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No.1(2008年8月)
Vol.01No.01 Aug,2008 『メルー・レポート』 第1回 http://www.geocities.jp/ilovemotherlake/kenya.htm CONTENTS 7/23 キベラスラム視察 1. 近況報告 8/4 Murera 赴任 2. キベラスラム視察 3. ケニアの部族 4. メルー国立公園の概要 5. エッセイ/私の周りのケニア人 6. 今日の諺 今月の予定(任地赴任前まで) 6/25 ケニア着 6/30~7/31 語学訓練@JACII 写真:Ura gate 小学校の先生と生徒たち 7/15~7/18 任地訪問@Murera 1. 近況報告 青年海外協力隊でケニア滞在中の中川宏治です。6月24日に日本を出国してから早2 ヶ月が過ぎようとしています。皆さんいかがお過ごしでしょうか。 この『メルー・レポート』は、簡単なレポート形式でケニアでの活動の様子を皆さんに お伝えしていくもので、これから約2年間、隔月で報告していく予定です。 さて、ケニア到着後、1ヶ月間は、ナイロビ市内の語学学校に寄宿しスワヒリ語の講義 を受講しました。 「愛と哀しみの果てに」1という映画の主人公カレン(メリル・ストリープ) が住んでいた NgongRoad は学校のすぐ目の前を通っています。この語学学校では、14人 の新隊員が3クラスに分かれ、通常は各クラスでケニア人の講師から講義形式で指導して いただき、特別授業として近くの市場などで地域住民との交流が数回ありました。最終日 には一人ずつ10分間の口頭発表があり、1ヶ月間の成果を確認しました。 8月4日からムレラ(Murera)という町に赴任し、メルー国立公園(Meru National Park) での活動を開始しました。当公園は、アダムソン夫妻が孤児のライオンを育てた場所とし て知られ、その物語は2「野生のエルザ」(原題は「Born Free」)として書籍や映画として 公開されています。また、当公園を含む野生生物の管理ユニットであるメルー保護地域 (Meru Conservation Area)の面積は、約 4,000km2 と琵琶湖の面積を上回ります。当公 1 『愛と哀しみの果て』(Out of Africa)は、1985 年公開のアメリカ映画。配給会社はユニヴァーサル映画で、監督はシドニー・ポラック。主演はメリル・ス トリープ、ロバート・レッドフォード。1937 年に出版されたアイザック・ディネーセンの小説『アフリカの日々』をカート・リュードックが脚色。第 58 回ア カデミー賞 作品賞ならびに第 43 回ゴールデングローブ賞 ドラマ部門作品賞受賞作品。 2 ジョイ・アダムソンの原作をジェラルド・L・C・コプリーが脚色、TV ドキュメントで活躍するジェームズ・ヒルが監督した猛獣と人間のつながりを見せるド ラマ。撮影はケネス・タルボット、音楽はジョン・バリーが担当した。出演は「ボワニー分岐点」のビル・トラヴァース、「マレー死の行進 アリスのような 町」のヴァージニア・マッケナがアダムソン夫妻を演じている。二人はほんとの夫婦でもある。撮影はすべてケニア・ロケ。 ©Koji Nakagawa 園の概要については、後述します。また、公園での活動の様子については次回のレポート でお知らせします。 2. キベラスラム視察 ナイロビ滞在中、私は二度キベラスラムを訪問 する機会を得ました。一回目は、JICA の安全 管理対策のプログラムとして、専用バスに乗り安 全管理担当職員の案内でキベラスラムを一巡しま した。二回目は、7月23日に「キベラスラムス タディツアー」に参加しました。このツアーはケ ニア派遣の協力隊員の現地研修プログラムに組み 込まれているものです。当日は、キベラスラムで貧困により学校に行けない子供たちの支 援をしているジャーナリスト3早川千晶氏の案内により、実際にキベラスラムを徒歩で移動 し、早川氏が活動する学校「マゴソスクール」や洋裁作業場、助産院の各施設を見学して きました。 キベラスラムは人口ベースでアフリカ最大の4スラムであり、約80万人の住民が生活し ていると言われています。 「キベラ」とはスワヒリ語で「森林」を意味しますが、スラムの 形成が始まった約100年前にはみどりに覆われていたようです。宗主国イギリスは植民 地支配するに当たりエジプト軍を兵力として利用しましたが、当時のエジプトはスーダン 系のノビア人を奴隷としていたことから、ケニアにも大量のノビア人が移住させられまし た。その頃、旧都モンバサからナイロビに首都を移転する計画があり、ノビア人はナイロ ビに駐屯させられ、その際に今のキベラスラムのある場所に居住したことがスラム形成の 始まりであると言われています。その後、1920年代のナイロビ都市計画に基づく人種 隔離政策に対する反対運動などを通してスラムの人口は急増し、独立直前の1952年に は既に2万人を超えました。 今回の視察では、見学した各施設に共通する課題が多かったことから、各施設の個別の 報告の代わりに、 「貧困」 「ジェンダー」 「エイズ」 「暴力」「夢」という5つのキーワードに 即して早川氏や住民の発言に基づき以下のとおり要約します。 <貧困> スラムでは定職に就ける住民は尐数で、非常に多くの若者が無職の状態です。仮に仕事 があっても、その多くはインフォーマルセクターであるため、住民の多くはその日暮らし で生活しているのが現状です。このような就業形態は、何らかの理由でしばらくの間商売 ができない状態が続くと元手を失ってしまい、その後仕事を再開することが難しいという 問題も抱えています。また、ケニアで就職の機会を奪っている原因の一つとして、チャリ 3 4 早川千晶さんの活動は以下の HP へ http://www1.ocn.ne.jp/~fura/magoso2.htm 早川氏によると、一説にはケニア国内には約200か所のスラムが存在するという。 ©Koji Nakagawa ティーの名の下で集められた古着や靴など先進国からの援助物資があります。このような 援助物資がいつしか形を変え“商品”となり、国中の市場で廉価で売買されている現実が あります。この影響は伝統産業にも及んでおり、例えば国内で原料の段階から生産されて いるカンガ(東アフリカの海岸地方の女性たちの民族衣装)はありません。 このように、キベラスラムでは生活費の確保が困難であるため、多くの子どもたちは十 分な教育を受けることができません。多くの子供たちは学費が高いために5セカンダリース クールに進学せず、路上職人に弟子入りする場合も多いようです。また、十分な栄養を摂 取できないため、HIV感染者が病気の進行を抑制できないことや、生存に必要な量の食 事を得るために売春を行うことなども問題となっているようです。 このような深刻な状況の中、マゴソスクールや洋裁作業場では、地域住民が衣料品を生 産し、住民や観光客に販売し、その収益の一部をマゴソスクールに通う子供たちの学費に 充てるといった地道な取り組みが続けられています。 <ジェンダー> 今回はジェンダーの問題が話題に上ることも多かったですが、この問題については6キリ スト教(聖書)を根拠に意見を述べる住民の方が多かったです。例えば、マゴソスクール で実施した20代の若者とのディスカッションでは、 「聖書に書かれているとおり男性は家 庭の頭である。男女平等は根本的な人間の在り方に反している。」「神が男女の役割を与え ていることを考えても、男女平等社会の成立は難しい。 」といった発言がありました。 また、ケニアには42もの部族があり、各部族で継承されてきた慣習はそれぞれ異なり ますが、男子に価値が置かれてきたことは各部族に共通しています。伝統的に財産を世襲 できるのは男性のみで、2005年の国会では女性に相続権を認める内容の法律案が否決 されました。ケニアでは、歴史的に土地を巡る襲撃が繰り返されてきましたが、男子の数 が尐ない家族が狙われる傾向があり、その防御のためにも男性の存在は重要です。7一夫多 妻制も根強く残っており、一人の男性が複数の妻やガールフレンドを持っていることはよ くあると言います。 このようなキリスト教思想と伝統的慣例に基づく性的偏見が見られる一方で、家庭内暴 力および近親相姦、レイプといった暴力行為が日常的に行われている現実があります。こ れらのセンシティブな問題は性に対する価値観が具現化したものであると安易に考えるこ とはできませんが、キベラスラムの生活環境は異常であり、その社会の人間関係は微妙な バランスで維持されていると言えます。 キベラスラムの女性に対する支援の一つとして、マゴソスクールの施設内に洋裁の作業 場があり、アル中の夫による家庭内暴力が原因で離婚した女性などが安定した収入を得ら れるように洋裁技術の指導を行っています。 <エイズ> 5 8年間の義務教育であるプライマリースクールに続く4年間の普通教育。最新の就学率は 23.1%(世界第 115 位、UNESCO) ケニアの宗教は、プロテスタントが45%、ローマン・カトリックが33%、イスラームが10%を占める。ただ、伝統宗教が約25%を占めるという統計 もある。 7 2005 年現在、ケニアの一夫多妻の世帯の割合は 10.1%であり、北東州で 22.3%、ニャンザ州で 15.4%と地域によりばらつきがある。 6 ©Koji Nakagawa キベラスラムの住民のほとんどが家族の何人かをエイズで亡くしています。マゴソスク ールでバンド演奏を披露していただいた男性も兄と姉がエイズで死亡し、これを機に音楽 活動を通してエイズ撲滅の活動を始めました。ケニア政府の発表では近年感染率は減尐傾 向にあるということですが、今回見学した助産院では先日、34人の被験者のうち15人 が陽性という結果が出ています。 キベラスラムに限らず、ケニアでのエイズ蔓延の原因は、部族に伝わる迷信や慣習、キ リスト教思想、住民に対する教育の不徹底など多岐に渡ります。これらの一般的な問題点 については次回以降に折を見て触れていくことにします。 キベラ地区でよくある事例として、複数の妻を持つ男性の妻がエイズで死亡する度に新 妻が次々に嫁いでくるというものがありますが、これらの女性は極貧生活から逃れるため に仕方なくこのような選択を取ります。また、助産院では、陽性の母親に対し、国境なき 医師団が無償提供している粉ミルクを斡旋していますが、各世帯が密集して生活するスラ ムでの風評を恐れ母乳を与え続ける母親も多いといいます。女性が相続の対象となる風習 が残っている部族の女性の場合、夫の死後、自分が夫の兄弟に相続されることを拒否する と生活する場所がなくなるため、既に陽性であることが分かっている兄弟に引き継がれる 事例もあります。 <暴力> ケニアでは昨年末の大統領選挙の結果をめぐって暴動が多発し、多数の死者および難民 がでました。キベラスラムは暴動の最前線で、特にキクユ族とルオ族が多数を占めるマシ モニとライニサバの境界付近での被害は甚大でした。 実際に暴動に加わったのは仕事もなく欲求不満を募らせている若者が多かったようです。 仕事に就いている住民は比較的冷静で、鉈を持った住民で埋め尽くされた路上を騒動に横 目に通勤していたようです。 一部の若者たちは、タリバン、チンコロロ、オサマ、ムンギキなどの名を持つ暴力機構 に組み込まれています。これらのグループはキベラの生活の中に温存され、地域に根ざし た組織で、住民は誰がどのグループの構成員であるかを認識しています。しかし、先の大 統領選挙後の暴動の際には一部の若者が刺客として政治的に利用されるという悲しい事件 もありました。 <夢> 最後に、マゴソスクールでの若者とのディスカッションの中で、 「夢」について語ってもら いましたので尐しだけご紹介します。 ■ジョエル(27歳) 当校を発展させていくことが夢である。コンピューターを導入し、建物を近代化し、ケ ニアの他の学校に引けを取らない学校にしたい。 個人的な夢は環境問題を専門とする教授になることである。ケニアの平均寿命(52歳) を考えると急がなければならない。 ©Koji Nakagawa ■ウィルフレッド(24歳) キベラスラムの住民の多くが貧困層で、8孤児 も非常に多い。このような状況に生きる子どもた ちが、社会に出るための勉強ができる環境づくり が夢である。恵まれた環境で勉強した子供たちが 医者や科学者、パイロットとなり社会で活躍し、 キベラスラムに再び戻ってきて子どもたちや住 民に夢を与え助けることができる社会を作りた い。 また、いつか政治家(大統領)になり世界を変えていきたい。なぜならば、ケニアの社 会がとても不公平であると思うし、また、キベラスラム以外の豊かな地域で生活する人々 が世の中を動かしている現実が受け入れ難く憤りを感じるからである。ケニアの人たちの 生活が地域差の尐ない、平準的なものになることを願っている。 3. ケニアの民族 先に述べたとおり、ケニアは42もの民族が生活する多民族国家です。私自身、日本と ケニアの対比という意味で特に関心があった点で、2年間じっくりと向き合っていきたい と思います。私の周囲のケニア人にもいろんな部族の出身者がいて、語学学校の教員はク リア族、キクユ族、ルオ族でしたし、環境教育チームの同僚はカンバ族、ナンディ族など 多様です。また、現在の私の住居の近くにムレラ(Murera)という村があります。194 8年成立の比較的新しい村ですが、周辺の最大部族であるメルー族をはじめ、キクユ族、 カンバ族、トゥルカナ族、ボロナ族、マサイ族、ルヤ族、インディアなどの部族が住んで おり、彼らは肥沃な土壌と豊富な水資源を求めて各地から移住してきました。 先のキベラ視察の事前説明でも触れられましたが、「部族」 (tribe)という単位は、イギ リス植民地統治の初期に、植民地政府が税金徴収のために導入した固定的なものです。イ ギリスは1902年、Village Headman Ordinance を制定し、これにより徴税のための現 地人による行政機構を整備しました。簡単に説明すると、最上位に Colonial Secretary(本 部 は ロ ン ド ン ) を 置 き 、 そ の 下 の Govenor 、 Provincial Commissioners 、 District Commissioners、District Officers までは植民地内に設置しイギリス人が就き、Provincial Commissioners は村の首長(headmen)をケニア人の中から任命することができるというも のでした。元来民族は本人の帰属意識によって決定される流動的な単位で、キクユ族から マサイ族に鞍替えするようなこともあったといいます。また、それまでは、アフリカ社会 の最小単位は、族長とその一族によって構成される村の共同体でしたが、両者の関係は決 して支配する者と支配される者との関係ではなく、平等社会でした。しかし、イギリスが 8 2005 年の調査によると、国内の14歳未満の子供のうち、20.5%は母親のみ、2.4%は父親のみと生活しており、6%は両親と生活できない孤児である。孤児の うち、80%は父親、20%は両親を亡くしている。地域別でなニャンザ州で 3.2%の子供が両親を亡くした孤児であり、同州内の Bondo で 9.6%、Suba で 8.3%、Homa Bay で 6.3%の子供が該当する。 ©Koji Nakagawa ケニアの共同体に代わるものとして創りだした部族社会は、イギリス植民地主義を下から 支える機構となりました。族長の代わりに傀儡首長を任命し、首長には西洋教育を受けさ せ、洋服や靴を支給するなど優遇しました。また、住民には身分証明書を持たせて、首長 に管理を一任しました。 また、「部族」という言葉には、「部族紛争」「部族対立」「部族主義」といった使われ方 に表れているように、未開であり、内部は均質で、外部に対して排他的であるというイメ ージがあります。そのため、近年、人類学の分野では、部族という単語は用いずに、代替 用語として「民族」 「エスニック・グループ」といった単語を使うようにしています。ここ では、 「民族」を使用することとします。 先に述べたとおり、民族は、本人の帰属意識によって決定される流動的な単位です。民 族を区別するために、言語、文化、宗教などの判断材料はありますが、比較的明確かつ客 観的な指標に見える言語でさえ方言が連続的に変化するため十分なものではありません。 例えば、スワヒリ語で河川を“Mto”と言いますが、キクユ、メルー、ルヤ、カンバ、キシ ー、クリアの民族ではそれぞれ、 “Mondo”、 “Monto”、 “Odondo”、 “Mundu”、 “Omonto” 、 “Omonto”といった非常に似た単語を使います。 一方、ケニア国内には、バントゥ語系、ナイル語系およびクシ語系という3つの主要な 言語系統があります。これらの言語系統は、移動経路が異なり、それぞれナイジェリア・ カメルーン、イスラエルおよびソマリ半島を発祥とし、各系統間の差異は言語や容姿、体 型、服装などから比較的容易に区別できるようです。例えば、部族語については、各系統 の間で英語と日本語ほどの差異がありますし、クシ語系の民族はすべて遊牧民で、メルー 国立公園の周辺でもキナ村などでボラニ族の人々がラクダを放牧して生活しています。 先日、同僚の職員(男性)に出身民族を尋ねたところ、亜族はナンディ(Nandi)である と答えてくれました。ナンディはカレンジン族の亜族ですが、彼にとっては亜族の単位の 方が大切であるそうです。このように民族をとらえる単位は立場によって様々です。 ケニア人に日本は同一民族の割合が極めて高い国家であることを伝えると、彼らは大変 驚きます。多民族社会は彼らの日常であって、それ以外の社会を想像することは難しいよ うです。 4. メルー国立公園およびメルー保護地域の概要 (1) 概要 本公園は、1966 年に設立されたケニアで最も 古い9国立公園の一つです。首都ナイロビから約 350km 離 れ た メ ル ー 北 部 県 ( Meru North District)に位置し、総面積は 870km2 にもなり ます。 9 2007 年現在、ケニアには、27の国立公園(National Park)、33の国立保護区(National Reserve)、4つの国定保護区(National Sanctuary)がある。 ©Koji Nakagawa 本公園は、5県3州のタナ川沿いに集合する5つの自然保護地域の一つです。これらの 自然保護地域は、本公園およびビサナディ国立保護区(BNR)、ムインギ国立保護区(MNR)、 コラ国立公園(KNP)からなるメルー保護地域(MCA)およびラホーレ国立保護区(RNR)か ら構成され、これらの総面積は 5,000km2 に達します。このように広域の連続性が保たれ ており、野生生物の広範囲の移動が可能となることから、1999 年には MCA の2つの国立 保護区の管理権限は地方自治体から10ケニア野生生物公社(KWS)に委任されました。MCA の周辺は、北部と東部は Boran および Somali、Pokomo といった民族が生活する放牧地と なっており、ここは野生動物の重要な移動ルートに含まれています。また、西部から南部 にかけては Meru および Tharaka、Orma、Kamba といった民族が定住し乾燥地農業(dry land agriculture)に従事しており、周辺部の民族構成は多様です。なお、MCA と隣接す るニャンバニ水源域、北部および西部に広がる牧草地は NWCTA(Northern Wildlife Conservation Tourism Area)に指定され、11国際動物福祉基金(IFAW)の資金援助を受け野 生生物の保全活動を推進しています。 土壌や降水量の変化に対応し、北部の疎林、西部のウッドランドサバンナ(疎林と草原) 、 その他のサバンナというように植生が多様に変化し、これらを刻むように14の河川が走 っています。このような地形条件から、アカシアが優占するサバンナに、河川に沿って分 布する河畔林、湿原が相まって、複雑で多様な自然景観を形成しています。また、当公園 の周辺には、社会的・学術的に極めて価値の高い12ガヤ森林保護区やケニア最長河川でもあ るタナ川など貴重な生態系が見られます。 観光客の多くが注目する野生生物については、ビッグ5(ライオン、ゾウ、バッファロ ー、サイ、ヒョウ)をはじめ、チーター、キリン、カバ、ガゼルなどの大型哺乳動物から 鳥類・爬虫類・昆虫類に至るまで、多くの種が生息しており、特に鳥類は約300種、ラ イオンは約600頭(2006年)が確認されています。しかし、ナクルやマサイ・マラ のように特定の野生動物が高密度で分布していることはありません。 当公園のキャッチフレーズ「Complete Wilderness(完全なる荒野) 」に象徴されるよう に、原生の自然環境の中で多くの野生生物が育まれてきました。しかし、当公園のソマリ アに近いという立地条件や周辺住民の貧困問題等のため、野生動物を巡る辛い過去を経験 しています。 1960年代までは、クロサイやシロサイなどが多くの個体群を維持しており、特にゾ ウに至っては 3,000 頭以上が生息すると推定されていました。しかし、1970年代後半 から1990年頃までの約20年間、全国的に密猟が横行し、その時期の13野生動物保護管 理行政に非常な混乱をきたしました。この間に全国のクロサイ個体群はその95%以上が 失われ、1990年時点で国内の個体数は約400頭と推定されており、MCA のゾウ個体 10 KWS: Kenya Wildlife Service IFAW: International Fund for Animal Welfare 12 Ngaya Forest Reserve は、MCA から 14km 北西のニャンベン丘陵(Nyambene Hill)にあるケニア国内で数尐ない原生林のひとつ。MCA を流れる河川の水源とし て重要であることから、KWS は Forest Act(2005)に基づいて周辺住民の森林利用組合の運営などに対して補助してく予定である。 13 1990 年までは政府部局の旧野生生物保護管理局(WCMD: Wildlife Conservation and Management Department)が野生動物保護管理行政を管轄していた。 11 ©Koji Nakagawa 数もそれ以前の10%まで激減したとされています。密猟の結果、この2種は極端に個体 数を減じましたが、その後、各地の公園や保護区外に残存していたサイやゾウを当公園に 移入する取り組みが始まり、個体数は回復しつつあります。サイについては、2007年 7月現在、園内に設置された14サンクチュアリーにクロサイ21個体、シロサイ35個体が 収容されています。また、ゾウについても、1998年以降多くの個体が移送されており、 毎年約5%の増加率で個体数は回復してきており、2002年には413個体がMCA内 で確認されています。 MCA の利用形態は、風景探勝、動物観察、ラフティング、魚釣り(キャッチ&リリース) 、 キャンプなど様々ですが、利用客の多くは、人里離れた場所にある原生状態の手付かずの 自然を求めてやってきます。1970年代 1995 - 2007 Visitation たが、上記の密猟による野生生物の減尐な どの影響により、1997年にはわずか2 千人にまで落ち込みました。近年は回復傾 向にあり、2007年の利用者数は約1万 4千人となっています。 No of Visitors 前半の利用者は年間約4万人にのぼりまし 16,000 14,000 12,000 10,000 8,000 6,000 4,000 2,000 0 Year <代表的な利用拠点・興味地点> ○アダムソンの墓(Adamson’s Grave) 1970 年にジョージ・アダムソンは今のコラ国立公園に移住し、孤児のネコ科動物を更生 するための活動を続けました。彼と妻ジョイは上述の「野生のエルザ」の物語の著者とし て有名で、そのモデルとなったライオン「エルザ」は MCA に放たれ、その墓は当公園内に あります。彼は1989年に殺害され(享年83歳)、彼と兄テランセは活動拠点のあっ た”Kambi ya Simba”に埋葬されました。 ○アダムソン滝(Adamson’s Falls) タナ川はケニア山塊のアバーディア山を水源とする国内最長の河川であり、MCA の中心 部を流れています。アダムソン滝はタナ川が創り出した景勝地の一つで、200m の距離 を数段にも落下する滝があり、周囲は散策やピクニックに適しています。 (2)経緯 1966 年 メルー国立公園の設立 1974 年 コラ動物保護区の設立 1979 年 ビサナディ国立保護区およびキトゥイ北部国立保護区の設立 1989 年 コラ国立公園の設立 1990 年 KWS 発足 1999 年 ビサナディおよびムインギ両国立保護区の管理権限を自治体からKWSに移譲 2000 年 IFAW がメルー国立公園および NWCTA に対する資金援助を開始(US$250,000 14 サンクチュアリー(動物保護区域)は、1986 年にツァボ西国立公園内で電気柵を設置したのを皮切りに始まり、ナイロビ、ナクル、アバディアなど数公園は 公園全体を指定しクロサイ・シロサイ個体を移送した。 ©Koji Nakagawa /年) 2007 年 15MCA 管理計画策定 (3)課題 MCA 内のコラ国立公園およびムインギ国立保護区では、牧畜民や定住農家が不法に園内 に侵入することが問題となっています。また、公園外のニャンバニ丘陵において、住民が16 薪を得るために森林を伐採したり、河川で無秩序に水を摂取するため、公園内で野生生物 の水資源がすることや、同地域の放牧地で家畜と野生生物の餌の奪い合いが起こっている ことが問題となっています。 周辺地域では、従来から頻繁に民族間の暴動が発生し、武器の売買も行われてきたこと から、不安定な治安情勢は観光振興の面からも問題となっています。特に、ライフル銃を 所有するソマリ系の住民が多く住んでいることは、密猟の危険因子にもなっています。 5. 私の周りのケニア人 まだ、ケニアの到着してから2か月で、やっと異文化に慣れてきたところであるが、ケ ニア人に対する印象を記録しておきたいと思う。 最初に既に見慣れてしまったケニア人の慣習として、挨拶での握手と人を呼ぶ際の「ク スクス」という呼び声について触れておきたい。ケニア人は頻繁に握手をする。その頻度 は日本人がお辞儀をするのと同程度で、街中やオフィスで握手をしている人を頻繁に目撃 する。私も毎朝職場で決まった同僚たちと「ハバリヤアスブヒ」 (おはようございます)と 言いながら握手を交わす。いつもレストランの外でスクマ(野菜)を切り刻んでいる女性 は手が汚れているので、彼女は腕を差し出し、私はその腕を握る。プロテスタントの同僚 は、同じ教会の人たちと挨拶を交わすとき、握手をしながら「ハレルヤ、 ・・・、アーメン」 と双方がお祈りする。ケニアでは握手は挨拶の基本であるようだ。 「クスクス」については、人を呼ぶ時に使う。レストランでウエイターを呼ぶ時や、マ タツ(乗合バス)で添乗員に運賃を支払う際によく使われる。最近まで使うことを躊躇っ ていたが、先日、レストランで「クスクス」と言うと、ウエイターが振り向いてくれてな ぜだか嬉しかった。 ケニア到着後1カ月はナイロビで生活していた が、そこで感じたことは歩行者が多いこと、そし て彼らの歩くスピードが速いことである。語学学 校 JACII で研修を受けている時、JICA 担当者と の打ち合わせなどに参加するため、約 2km 離れた 事務所まで往復することがあった。早くケニア人 社会に溶け込みたいと思いながらも、毎日、教室 15 MCA Management Plan(2007-2017)は、2006 年に KWS が策定した Protected Areas Planning Framework(PAPF)に基づき住民参加型で作成したもので、Tsavo Conservation Area でも同様の計画が策定されている。 16 2006 年現在、国内の世帯の 68.3%が料理用燃料として薪を利用しており、地方では 80%以上が木質燃料に依存している。一方で炭の利用に関しては、全世帯 の 13.3%にとどまっている。 ©Koji Nakagawa で講義を受けている時間が長かったこともあり、私は意気揚揚とケニア人に混じって歩い た。 道路はいつも渋滞していて、日本から輸出された低年式車が排気口を道路脇に向け、歩 行者に真っ黒な排気ガスを吹きかけながら徐行していく。しかも、7月という時期のせい かもしれないが、ナイロビはいつもほぼ無風状態で、歩道に向けて排出されたガスはいつ までも滞留し、何回も息を止めてその塊の中に突入した。これらの中古車は有害排気ガス の発生量が多く、今の先進国の基準を満たせないものばかりだろう、と想像しながらそそ くさと歩いた。 最初はなぜこんなにも多くの人々が、ここまで環境条件の悪いところを歩いているのだ ろうかと疑問を持っていたが、高い料金を払って歩くスピードとほとんど変わらないマタ ツ(乗合バス)で移動するよりも、距離が短ければ歩いた方がましだということだろうと 納得した。 それにしても、彼らの歩くスピードが速いことに驚いた。私は、日本では歩くのが早い 方で歩道ではめったに追い抜かれることはない。ただ、ここではどんどん追い抜かれてい く。身長の低い男性も大きくて力強いストライドでスタスタと追い抜いていく。もともと 運動神経が発達しているのか、単純に排気ガスの淀みの中から早く解放されたいためか、 理由は分からないが今まで旅行した途上国ののんびりしたイメージとは違う。 余談だが、渋滞の原因として考えられるのが、大量の車が乱雑に入り乱れクラクション が鳴りやまないラウンドアバウトで、早く信号付の交差点に移行すべきだと思う。このラ ウンドアバウトの中では、多くのドライバーがちょっとした隙間を見つけ、車を突っ込も うとするからすべての車の向きが不規則になっている。尐しは譲り合いの心を持ってほし いと思う。また、乗用車どうしの軽い接触事故が発生した場合でも、過失割合をはっきり さすため警察が到着するまで車を移動しない人が多いという話をよく聞く。尐々の接触事 故は当たり前という環境なのでこの影響も大きいのではないだろうか。 土日には JACII を離れ、買い物をしにダウンタウンを歩くことも多い。街中を歩いてい ると、多くのケニア人が声をかけてくる。基本的にケニア人の話し声の抑揚や緩急は日本 人と似ていて違和感はないが、街に出るといつも暗澹たる気分になる。 「チンチョンチャン」 と声をかけてくる子どもや男性が多いのは、ジャッキー・チェンなど中国映画の影響だろ うがあまりいい気はしない。その他にも、頼んでもいないのに一方的にケニアの歴史を語 り聞かせ、 「説明したから金をくれ」とせがんでくる男性。我々がレストランを探している 時、近づいてきて近くの店まで案内した後に金やソーダを要求してくる男性。このように、 街では多くのケニア人が声をかけてくるが、そのほとんどは男性で金銭を要求してくる。 路上で金銭トラブルの話が出てきたので、ここでそれ以外の場所での同様の問題にも触 れておきたい。市場や商店の多くでは、商品に値札が表示されておらず、口頭の値段交渉 から始まるが、日本人に対しては最初からこちらの常識を逸脱した価格を提示してくるこ とが多い。最近は市価相当額がだいたい分かるようになってきたのでよっぽど急用でない ©Koji Nakagawa 限り、そのような店員は無視するようにしている。また、マタツのコンダクターも正規の 2倍近くの不当な値段を要求してきたり、釣銭を返し忘れたふりをしたりとあの手この手 を使ってぼったくろうとしてくる。ただ、良心的な乗客も多く、 「釣りをもらわないといけ ないよ」と横からささやくように言ってくれる方もいる。そのようなとき、砂漠のオアシ スにたどり着いたような救われた気持ちになる。 道端の草むらや公園では、死んだように身を横たえ仮眠をとる人々が多いことに驚いた。 寝像は自由で、うつ伏せに寝ている人たちも多く、まるで自分の部屋の床で昼寝をしてい るようだ。植林された灌木のそばなど貴重な日陰を見つけて、自分の縄張りを誇示するよ うに地面にへばりついている。しかし、このような自由奔放な姿は枚挙にいとまながい。 「目 くそ鼻くそを笑う」ということわざがあるが、公衆で鼻をほじりながら談笑する人が男女 問わず目につく。同僚の女性も、鼻孔に指を入れながら、「当公園周辺では密猟や獣害の問 題が深刻です。云々」と真面目な話をする。先日は、乗り合いバスの車内で胸を出して授 乳する女性が横に座ったが、一切胸を隠そうとはしなかった。自然体で人目を気にしない 性格なのかもしれないが、日本人として自分が深部に持っている美意識が覚醒されたよう な気がした。 だが、である。一方で、女性の髪形は非常に凝っている。かつらをかぶったり、付け毛 を編みこんでいたり、ドレッドロックスやストレートパーマなどヘアスタイルにこだわる 女性がとても多い。街に買い物に行くと、明らかにかつらと分かるような艶のあるちりち りパーマの黒髪の中年女性や、ストレートパーマをあて一部を金色に染めている若い女性 を目にする。一番多いのがドレッドで、近くの集落でお母さんに編んでもらっている女の 子の姿もよく見かける。ケニアの女性たちは、本来の縮れ毛を長く見せようと努力と金を 惜しまない。「なんで髪を伸ばすの?」とある女性に質問すると、「美しいから。これかつ らだよ」と聞いた自分が情けなくなるような返事をしてくれた。ある職員の話では、この ようなヘアスタイルは10年以上前から始まっているということだった。 キリスト教徒が多いことは知っていたが、実際 に生活を始めてみるとその影響力を改めて実感 した。同僚にケニアに自然崇拝があるのかと聞く と、神が人間を一番上位に創ったからありえない とさげすむように言われたこともあるし、「おま えは進化論を信じるのか、それとも神が全生物を 創ったと考えているのか」と挑戦的な質問をして くる人もいる。以下の言葉はそんな彼らのひとり が進化論否定の根拠として私に言ったセリフだ。 「サルと人間は違い過ぎる。人間は物事を論理的に考えることができるし、体にサルのよ うな毛も生えてない。サルから人間に進化したとは考えにくい」 このセリフを聞いて失笑する人もいるかもしれない。しかし、多かれ尐なかれ、進化論の ©Koji Nakagawa 話になると、このように何も言っていないのに等しいコメントをする。勉強不足で返す言 葉がない自分も情けないが。 また、プロテスタントの場合規律はさらに厳しく、飲酒、喫煙、教会によっては一切の 医薬品の服用も厳格に規制されている。あるプロテスタントの男性から、 「ビールの飲むこ とはないし、ビール瓶を触るのもいやだ」と言われてから、飲酒は控えるようにしている。 なんにせよ、ケニアに来たら簡単に伝統宗教や文化に触れることができると思い込んで いたのでキリスト教の影響力は誤算であった。先日、近くの集落で毎年8月に行われる割 礼の儀式を見た。男性が笛や太鼓を用い、歌を歌いながら割礼を受ける子供の家の周囲を 走り回っている姿を見ながら期待を込めて想像した。今でもケニア人の生きる精神世界が、 たとえキリスト教の外観はあっても、根源は精霊信仰やアニミズムであるのかもしれない、 と。 6. 今日の諺 ○Mũcingũ mũnene unaga hiti kũgũrũ 直訳すると、 「肉を焼いた時に出る強い匂い(mũcingũ mũnene)が漂ってくると、ハイ エナ(hiti)が慌てて脚を折る」という内容のキクユ族の諺です。急ぐ時ほど慎重に事にあ たれという意味でしょうか。同義のことわざとしては、 「急いては事を仕損じる」、 「慌てる 乞食は貰いが尐ない」 、 「Hasty climbers have sudden falls」などがあります。 <参考文献> HISTORY AND GOVERNMENT Form Three Students’ Book. KENYA LITERATURE BUREAU Basic Report Kenya Integrated Household Budget Survey-2005/06 Kenya National Bureau of Statistics 2007 Annual Report KENYA WILDLIFE SERVICE Meru Conservation Area Management Plan, 2007-2017 ,KENYA WILDLIFE SERVICE, County Council of Isiolo, County Council of Mwingi 1000 KIKUYU PROVERBS, G.BARRA 哺乳類科学 36(2): 232-235, 1997 自由集会記録 メルー・レポート Vol.1 No.01 2008 年 8 月 20 日発行 発行人 中川 宏治 e-mail: [email protected] ©Koji Nakagawa