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コラム19年

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コラム19年
余録:平安貴族の藤原伊通がまだ若いころ…
平安貴族の藤原伊通(これみち)がまだ若いころ、井戸の底の水に映る自分の姿に丞相
(じょうしょう)
(大臣)の相を見て喜ぶ。だが帰って鏡で見ると、そんな相はない。彼は
考えた。
「遠くに映る姿に相があるのは、今はだめでも先にそうなるからだ」▲その通りに
彼は太政大臣になったわけで、
「古今著聞集」はその人相見の力をほめる。なるほど出世は
鏡の啓示を良い方向に解釈した楽観主義のおかげかもしれない。
「遠目には幸運でも、よく
見るとダメ」と解釈すれば、その通りに終わったろう▲さていざ丞相となり、鏡に映る自
分の運気が4カ月前からどんどん悪くなる一方とあればどうだろう。これには生半可な楽
観主義は通用しそうにない。現代の民主主義国家の首相が手にする鏡は自らへの国民の支
持の実情を映し出す世論調査だ▲前回比6ポイント減の40%という数字となった小社調
査をふくめ、マスコミ各社の世論調査の安倍晋三内閣の支持率低落に歯止めがかからない。
一部調査では支持と不支持の逆転も現れているが、だからといって野党民主党への支持が
高まる気配もない。典型的な「政治不信」の構図である▲その内閣で今度は柳沢伯夫厚生
労働相から「女性は産む機械」との耳を疑うような発言が飛び出しては、支持者ですら思
わず身が引けよう。無党派層を膨らませるのは個々の政治的施策への不満ではない。
「この
国の政治はこんなものか」という政治を取り巻く文化そのものへのため息だ▲与野党を問
わず政治に携わる者は、そんな国民のため息を心の底からおそれてほしい。なかでも首相
が手にする鏡には、その掲げるスローガンと国民の望むところとのズレもはっきり映って
いよう。鏡に映る啓示をどのように読み取るかにその運命もかかっている。
毎日新聞
2007 年 1 月 30 日
東京朝刊
余録:「王の言葉は初めは絹糸のように細いが…
「王の言葉は初めは絹糸のように細いが、ひとたび口から出ると組みひも(綸(りん))
のように太く大きくなる」。古代中国の「礼記」にそうある。「綸言汗の如(ごと)し」−
−王の口から出た言葉は体から出た汗と同じく取り返しがつかない、という言葉もそこか
ら生まれた▲「ブラウン君、君はよくやっている」とのブッシュ米大統領の言葉も現代の
“綸言”だった。
「ブラウン君」はハリケーンへの初動対応の失敗で世論の猛非難を浴びて
辞任した高官だ。辞任前にブッシュ氏がかけたこの一言は大失言として世に広まり、つい
には携帯の着信音にまでなる▲父ブッシュ大統領にも、88年大統領選での「私の唇を読
め。増税しない」という歴史的“綸言”がある。当選すると増税した大統領だが、92年
の選挙では「唇を読め」と語る映像が繰り返し相手陣営のCMで流され、それが流行語に
なって敗北した▲現代の政治リーダーの不用意な言葉もいったん口を出れば、マスコミを
介して太く大きくより上げられること、糸と綸の比ではない。むろん取り返しなど到底つ
く話ではない。柳沢伯夫厚生労働相の「女性は産む機械」発言は、始まったばかりの国会
で、与野党の全面対決をもたらした▲「産む機械」発言の不見識は今さらいうまでもない。
むしろ気になるのは、そんな表現を用いてまで強調しようとした「産む役目にある人(女
性)が一人頭でがんばってもらうしかない」という少子化問題のとらえ方だ。安倍晋三首
相はそれが厚労相にふさわしいと考えるのだろうか▲さすがに「君はよくやっている」と
の失言は出なかったが、厚労相更迭は拒否したまま事態沈静化に期待をかける安倍政権だ。
ただこの“綸言”、まだまだ新たな糸もからんで太さを増しそうである。
毎日新聞
2007 年 2 月 2 日
東京朝刊
余録:「大風呂敷」とは大正時代に東京市長をつとめた…
「大風呂敷」とは大正時代に東京市長をつとめた後藤新平の東京の都市改造計画に浴び
せられた皮肉だ。この計画で街路や下水、公園などの都市計画に投じられる資金は8億円
近い。だが当時の市の予算は1億数千万円だった▲このプランは後に関東大震災の復興計
画の下敷きとなり、後藤は政府の復興院総裁として復興事業にあたる。だが来るべき時代
の都市生活や交通、防災を先取りした復興計画案も議会では「誇大妄想」と攻撃され、大
幅な縮減を強いられた。今の昭和通りや隅田公園は計画の名残だ▲「世界の目は後藤の上
にある……すべての歴史家は(大火後の)1666年ロンドンを計画したサー・クリスト
ファー・レンの名を筆にするが、彼を妨害した偏執小心の議員の名を忘れ去った。……貴
下が計画を実行すれば日本国民はその先見と不撓(ふとう)の勇気ゆえに貴下を記憶しよ
う」▲こう後藤に書き送ったのは米歴史家のC・ビアードだ。計画は千年後の歴史家も祝
福すると励ましたが、計画縮小は阻めなかった。震災から60年後、
「後藤の計画が実行さ
れなかったことを非常に残念に思う」と語ったのは昭和天皇だ(「江戸・東京を造った人々」
ちくま学芸文庫)▲では現代の都民はどんな色と大きさの「風呂敷」を選ぶのか。東京都
知事選挙は前宮城県知事の浅野史郎氏が出馬宣言したことで、事実上、石原慎太郎知事、
元足立区長の吉田万三氏、建築家の黒川紀章氏に浅野氏を加えた4人の対決となりそうだ
▲後藤の「大風呂敷」は大幅に縮められたが、今の東京の基礎をなす都市改造を実現した。
東京のリーダーの構想力は、千年はともかく何十年か先の都民にも祝福されるものであっ
てほしい。どれがそうかを見極めるのは今の有権者だ。
毎日新聞
2007 年 3 月 7 日
東京朝刊
冤罪事件の心の傷
5年前に日本公開された独映画「es[エス]」は、70年代に米スタンフォード大で行
われた心理学実験を描いた作品だった。この実験は新聞広告で集めた被験者を2グループ
に分け、仮想の監獄の看守役と受刑者役をあてがって、2週間過ごす計画だった▲だが、
実験は6日間で中止される。看守役も受刑者役もすっかり架空の役割にはまり込み、集団
全体が理性を失った危険な状況に陥ったからだ。看守役の中には禁止されていた暴力を振
るう者が現れる一方、服従を強いられた受刑者役には精神不安定に追い込まれる被験者が
相次いだ▲閉じた空間で権力と服従の役割を演じる人々は自分の性格まで役割に合わせ始
め、個々の人格は状況に埋没した。冤罪(えんざい)事件で人がやってもいない犯行を自
白するのも、閉ざされた取調室での取調官と被疑者の似たような心理作用が働くためとい
われる▲「強圧的取り調べが虚偽の自白を引き出した」。4年前の選挙違反についてそう捜
査当局を批判して12人の被告全員を無罪とした鹿児島地裁判決は、検察側の控訴断念に
より、控訴期限のきょうを過ぎれば確定する。何しろ被疑者に家族の名前を書いた紙を踏
ませる「踏み字」をさせ、自供を迫ったという取り調べだ▲取調官の方は役割への過剰適
応というより計算ずくの所業だろうが、一体いつの時代の捜査かと耳を疑う。取調室で被
疑者を異常心理に追い込んで得る自白を、客観的証拠収集より重視する捜査がまかり通る
なら、録画などによる「取り調べの可視化」は不可欠といわざるをえない▲スタンフォー
ド大の実験は被験者に長く心の傷を残し、社会の非難を浴びた。実験でもそうなら、現実
の市民生活を奪われた被告たちの心の傷はどれほど深いだろう。
毎日新聞
2007 年 3 月 9 日
0 時 06 分
余録:手近の辞書をいくつかめくってみたが…
手近の辞書をいくつかめくってみたが載っていない。奴雁。
「どがん」と読む。雁の群れ
が長旅の途中で羽を休めているときも、その中の1羽だけはすっくと首を立て、周囲を見
渡して番をしている。それが奴雁だ。
「学者は社会の奴雁たれ」などと使われる▲慶応義塾
の創始者、福沢諭吉翁の教えにある言葉で、日銀の元総裁が訓示の中で引用し、広く使わ
れるようになった。どんな状況下でもリーダーたるもの、警戒を怠ってはならないという
戒めの言葉でもある▲岐阜県高山市の美術品展示館から2億円相当の金塊が盗まれたとい
うニュースには驚かされた。白昼堂々、3人組の賊が押し入り、むき出しで展示されてい
た金塊を持ち去った。大胆不敵な手口で、逃走に使った軽自動車が盗難車だったことから
も計画的な犯行であるのは間違いない▲被害にあった大橋コレクション館は、42年前に
飛騨大鍾乳洞を発見した故大橋外吉氏が私財を投じて集めた美術品や装飾品を展示するた
め、鍾乳洞に併設して造られた施設だ。金塊は鍾乳洞発見25周年を記念して89年6月
から展示されており、直接金塊に手で触れることが出来ることから同館の目玉展示品とな
っていた▲夏の観光シーズンは半球状の透明樹脂ケースに納めて展示しているが、客の少
ない12月から3月までは扉が開いたままの金庫で展示していた。警備員もいなかったと
いうから不用心なことこの上ない。盗んでみればと犯人を挑発していたようなものだ▲た
だでさえ火の見やぐらの半鐘や側溝のふた、銅線など、金属のたぐいなら何でも盗まれて
しまう物騒な昨今だ。奴雁の心構えがいまこそ必要なのだろう。諭吉先生には「低レベル
な泥棒よけの教えではない」としかられそうだが。
毎日新聞
2007 年 3 月 22 日
東京朝刊
余録:亡くなった植木等さんの父は戦前…
亡くなった植木等さんの父は戦前、労働運動や部落解放運動に身を投じ、また出征兵士
に「戦争は集団殺人だ」と説く反骨の僧侶だった。その父が治安当局に拘束されると当時
小学生だった等少年は父の代わりに僧衣を身にまとい、檀家(だんか)を回って経をあげ
た▲ある日檀家から帰る途中、近所のいじめっ子らが道に仕掛けた縄で転び、顔を強打し
て鼻血を流した。等少年は近くに潜む連中に仕返ししたい衝動を必死でこらえ、泣き声も
罵声(ばせい)もあげることなく、血だらけの顔のまま静かにその場を立ち去った▲「衣
を着た時は、たとえ子供でもお坊さんなのだから、けんかをしてはいけません。背筋を伸
ばし、堂々と歩かねばなりません」。そんな母の言葉が等少年の頭にあった。家に帰ると母
は何も言わず手当てをし、血が止まると等少年を抱きしめ「よく辛抱したね」と涙を流し
たという▲「まじめな苦労人がいったんライトを浴びるとすごくおかしくてインチキな人
物になる」「まじめな人がひとたびカメラの前に立つと思いっきりはじけた」。植木さんの
訃報(ふほう)を耳にした知人の多くは、デタラメな無責任男を求道者のようにひたむき
に演じた見事な所作をたたえている▲もともとスーダラ節を歌うのがいやで悩んだ当人だ。
だが「わかっちゃいるけどやめられない」と人間の弱さを認めるのは親鸞の教えに通じる
と説いたのはあの父だった。おかげで人をあざける笑いでなく、自らに潜む軽薄を風刺す
る新しい笑いが、高度成長期の日本人を元気にした▲「やりたいことと、やらねばならな
いことは別と教えてくれたのがスーダラ節だった」とは後年の回想だ。
「無責任男」という
時代の僧衣をまとい、堂々と自らのなすべきことをやりとげた生涯である。
毎日新聞
2007 年 3 月 29 日
東京朝刊
余録:「大きな問題というのは…
「大きな問題というのは、問題を抱えているのを自覚していない人たちのところにある」。
戦後日本の製造業に品質管理の極意を教えた米国の統計学者デミング博士の言葉という。
管理者は現場に出て自分で問題を探せというのだ▲かつての粗悪品の代名詞「メード・イ
ン・ジャパン」を世界最高品質を示す言葉に変えたデミング博士だが、当の米国で有名に
なったのは1980年代だという。製品の高品質の秘密を探りに日本に来た米国人は、そ
こで無名の自国人が神様のように崇敬されていたのに仰天した▲この後、母国の産業再生
に貢献したデミング博士は品質管理の14ポイントを挙げる。
「 品質は工程の最初から織り
込め」
「価格で仕入れ業者を決めるな」
「数値目標やノルマをやめろ」
「現場の仕事への誇り
を奪うな」……つまり「数より質」だ▲だがこの日本には製品の品質管理などあまり眼中
になく、主力商品製造も下請けに安値で丸投げという産業もあるらしい。関西テレビの「発
掘!あるある大事典2」の番組ねつ造で、でたらめな番組制作を引き起こした背景まで問
われるテレビ業界だ▲むろん命にかかわる自動車や家電の欠陥は怖いが、知らず知らずに
意識をむしばむ放送番組の欠陥はある意味もっと怖い。関西テレビには今日にも総務相の
「警告」が出るが、もし欠陥番組が行政の放送への介入強化を招き、言論表現の自由が脅
かされれば国民は踏んだりけったりである▲視聴率最優先の「質より数」というテレビ局
の品質管理が、デミング博士の指示に大きく反するように見えるのは当然だ。だが、ネッ
トによる映像配信というライバルも現れたテレビ局には博士の次の言葉もある。
「 変わる必
要はない。生き残るのは義務ではない」
毎日新聞
2007 年 3 月 30 日
東京朝刊
余録:アンデルセン童話に「父さんの…
アンデルセン童話に「父さんのすることはいつもよし」というお話がある。自分でも「思
いだすたびに、ますますおもしろくなってくるような気がするのです」(大畑末吉訳、岩
波文庫)と書いているが、笑いながらも心にしみてくる▲ある農民の夫婦がいる。妻に父
さんと呼ばれ、絶対的に信頼されている夫が、飼っている馬を市で何かと交換しようと思
いつく。市への途中、馬を雌牛、羊へと次々に交換し、ついに腐ったリンゴに変わる。そ
れでも信じあう夫婦に最後、金貨が舞い込むというお話だ▲父さんがいろいろと交換する
場面に子供は笑い、大人は信頼で結ばれた夫婦の姿にひかれる。老いて読めば、人生の素
晴らしさをしみじみと感じられる。アンデルセンの童話は人生で三度楽しめるという理由
がよくわかる▲きょう2日はアンデルセンの202回目の誕生日で、「国際子どもの本の
日」。デンマークの貧しい靴職人の家に生まれ、ろくに学校に行かない落ちこぼれだった。
貧乏の悲しみ、恋の悩みや人生への懐疑を通して描かれたその世界は深い▲政府の教育再
生会議の学校再生分科会は先日、「道徳の時間」を「教科」に格上げする方針を示した。
一方、中央教育審議会の山崎正和会長は「内面的な価値としての倫理を学校で教えること
はあきらめ、もっぱら客観的な順法精神の涵養(かんよう)に徹するべきだ」(1月21
日読売)と提言し、うまくバランス感覚を示しそうだ▲いよいよ新学期。「愛国心教育は
まず思いきった国語教育の充実に徹するべきだろう」とも山崎会長はいうが、道徳を成績
評価の対象などと考える前に、子供自身が読書から学ぶ機会を増やしたい。アンデルセン
に限らず子供も大人も童話や昔話の世界から学ぶことは多い。
毎日新聞
2007 年 4 月 2 日
東京朝刊
余録:黒のアフタヌーン姿のヘレン・ケラー女史は…
黒のアフタヌーン姿のヘレン・ケラー女史は二〇九番の船室で静かに語った−−。19
37(昭和12)年4月16日の東京日日新聞(現毎日新聞)夕刊は彼女の来日をこんな
書き出しで伝えている。大きな写真付きで、記事冒頭に【横浜港外にて本社鳩便】とある
▲三重苦を克服して社会福祉運動に活躍するヘレン・ケラーの人気は日本国内でも高く、
原稿と写真の搬送に伝書バトを投入するなど大々的な速報態勢を取ったわけだ。事実、滞
在中各地で大歓迎を受けた▲70年後の今月12日、東京大学入学式で、福島智・東大先
端科学技術研究センター准教授が祝辞に立った。小学3年生の時に光を、高校2年で音を
失って盲ろう者となった。ヘレン・ケラーが世界で初めて盲ろう者として大学に進んだこ
とを励みに大学進学を果たし、研究者として歩いてきた。国内では前人未到の道である▲
「人間はひとりぼっちでは生きていけない」
「どのような困難な状況にあっても、可能性が
ゼロになるということはない」。自身の体験からこの二つを学んだという福島さんは、「他
者の立場を想像する力と、他者と協力しながら新しいものを生み出していく営み」こそが
挑戦であると訴えた▲ヘレン・ケラーも珠玉の言葉を数多く残した。
「 知識は力なりという。
しかし、私は、知識は幸福だと思う」
「すべては驚きに満ちている。暗闇と沈黙の世界も例
外ではない。だから、私はどんな境遇にあっても、満足することを学んだのだ」▲70年
の時を隔てて美しい言葉が響き合う。福島さんのメッセージを東大の新入生諸君だけのも
のにしておくのは惜しい。春愁、気迷いが頭をもたげ始めたら、東大のホームページをの
ぞいたらどうだろう。スピーチの全文が読める。
毎日新聞
2007 年 4 月 16 日
東京朝刊
平岩外四さん
「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きる資格がない」。座右の銘をたず
ねられてレイモンド・チャンドラーの小説の主人公の名セリフをあげたのは、先日亡くな
った平岩外四さんの東京電力社長就任時の会見だ▲「企業経営者は『志』をもってほしい」。
経団連会長就任時には「志と心」を強調したが、司馬遼太郎の小説「菜の花の沖」の次の
言葉に感銘を受けたからだ。
「志さえ高ければ、ことさら学問をせずとも、どんな野人の言
葉さえ、事理の言葉と同じ高さで吸い上げることができる」▲経済界屈指の読書家で、蔵
書の重さで家を傾かせたという逸話でも名高い平岩さんだった。その人が冷戦が終わり、
バブル経済がはじけ、55年体制崩壊と政界再編が進行する時代の大きな曲がり角で経済
界のリ ーダ ーと なっ たの は天 の配 剤だ ろう か▲ 冷戦後 の世 界の 地球 環境 問題 に対 応した
「地球環境憲章」。バブル後の企業倫理を問い直した「企業行動憲章」。90年代初めに制
定した新たな企業規範が、今日にいたる世界と日本の企業の課題を正確に先取りしたのも、
目先の利害にとらわれないリーダーシップのたまものだろう▲ただ戦後政治の地殻変動の
なかで決断した企業献金あっせん停止は、3年前に事実上復活された。また規制緩和を提
唱した「平岩リポート」はその後の構造改革の先がけとなったが、最近のご当人は競争万
能の世界的風潮にはマユをひそめ、その座右の銘は荘子の「無用の用」であった▲用や益
を求める経済活動は、実は用や益とは無縁の自然環境や人々の倫理観に支えられている。
本の森に深く分け入り古今の賢者たちと重ねてきた対話を、日本経済の歴史的転換期の舵
(かじ)取りにみごとに生かした経済人の冥福を祈る。
毎日新聞
2007 年 5 月 24 日
0 時 39 分
「杓子定規(しゃくしじょうぎ)」とは杓子の柄を定規に使うことだが、何がいけないかと
いうと昔の杓子の柄は曲がっていたのだ。今はお役所仕事などの融通のきかないさまを表
す言葉となったが、定規の狂いのせいで、払った保険料を払ってないといわれては国民は
たまらない▲行政学者らにいわせると、役人の杓子定規とは「訓練された無能力」のこと
だという。いったん身につけた原則にこだわり続け、新たな状況の変化に対応できない役
人にありがちな行動パターンを、米国の社会学者マートンがそう言い表したのだ▲この間
の社会保険庁の仕事ぶりに驚かされて、そういえばと思い出したのがこの言葉だ。ただこ
ちらは現実の変化に対応しそこなったというだけではない。パソコンのキータッチ数の制
限をめぐる労使協定などを聞けば、文字通り人間を無能にする訓練が行われていたとしか
思えない▲役人をめぐるマートンの指摘には「目標の転移」というのもある。こちらは規
則通り仕事をすることが自己目的化し、公衆への奉仕という本来の目標が見失われること
を指す。だが国民への年金支払いという目標を、保険料無駄遣いという新目標へと転移さ
せたのは社保庁の新機軸だ▲政府は、わが国行政史上空前の失態となった年金記録混乱を
めぐる検証委員会を発足させ、その原因と責任の調査分析を始めた。ことは単なる役人の
杓子定規や事なかれ主義の糾弾では片づけられまい。それらをグロテスクなまでに増幅し
た制度の病根にまで切り込めるかどうかだ▲年金制度にはそもそも曲がった杓子が定規と
して組み込まれてはいなかったか。いまの社保庁改革案で、信頼できる年金機構が生まれ
るか。その国民的論議の定規となるような報告を期待する。
毎日新聞
2007 年 6 月 19 日
東京朝刊
余録:古代中国で最も速い乗り物は四頭立ての馬車だった…
古代中国で最も速い乗り物は四頭立ての馬車だった。「駟(し)」とはそれをさす文字だ
が、駟で追いかけても追いつかないものがあったという。「駟も舌に及ばず」とは「論語」
で孔子の弟子、子貢が言う警句だが、駟より速いのは舌、つまり口から出た言葉だ▲失言
の取り返しがつかないことは昔も今も同じだ。英語でも「舌のすべり」とは失言を表す言
い回しだが、どうも軽率な発言を舌の勝手な動きのせいにするのは洋の東西を問わぬよう
だ。だが世の中には舌に責任を押し付けるわけにいかぬ失言もある▲米国による原爆投下
を「しょうがない」と述べた久間章生防衛相が辞任した。発言への被爆者はじめ世論の厳
しい非難が高まるなか、野党各党ばかりか与党内でも批判が相次ぎ、
「発言が理解を得られ
ず、迷惑をかけた」と引責の意を示している▲防衛相としての今回の発言の不見識はいう
までもない。そればかりか、以前にも閣僚でありながら政府見解から逸脱する発言を繰り
返し、物議をかもした久間氏である。安倍晋三内閣の「すべりすぎる舌」となってきたの
が、とうとう閣僚としての矩(のり)からすべり出てしまった形である▲この時期、参院
選を目前にしての閣僚交代が安倍内閣に与える打撃の大きさははかりしれない。首相にす
ればあくまで一閣僚の失言なのかもしれないが、その任命責任や他の閣僚の失言までを国
民に思い起こさせた政治的失態だ。意にそわない舌の勝手な動きのせいにはとてもできな
い▲またも任命責任の追及を受けるはめになった首相には本意でなかろう。だがあまりに
軽々しい発言が次々に閣内から飛び出るのは、どこかでその政治が言葉に対する緊張感を
欠いていたからに違いない。民主主義は何より言葉の政治だ。
毎日新聞
2007 年 7 月 4 日
東京朝刊
余録:「し、こ、せ、き、だん」
「し、こ、せ、き、だん」とは何だろうか。制服をまとう自衛隊員が心すべき「自衛官
の心構え」だという。つまり「使命の自覚」
「個人の充実」
「責任の遂行」
「規律の厳守」
「団
結の強化」の五つの心得の頭文字を並べて忘れぬようにするおまじないだ▲「つねに国民
の心を自己の心とし、一身の利害を越えて、公につくすことに誇りをもたなければならな
い」とは、この「心構え」の一節である。
「規律を部隊の生命とし、法令の遵守(じゅんし
ゅ)と命令に対する服従は、誠実厳正に行なう」という戒めもある▲海外で任務にあたる
隊員はじめ大半の自衛官はこの心構えを胸に刻んでいよう。しかし、文官だが自衛隊員で
ある防衛省の高官として自衛官の統制にあたってきた人物は国会の証人席で語った。
「 長期
間にわたり倫理規程違反を続けたのは申し開きできぬ事実で、27万隊員に申し訳ない」
▲防衛専門商社の元専務からひんぱんにゴルフ接待を受けていた守屋武昌前防衛事務次官
に対する国会の証人喚問である。この席で前次官は、200回以上のゴルフ接待や賭けマ
ージャンを認め、旅行の招待やゴルフセットの贈与があったことも証言した▲となれば注
目は次期輸送機のエンジン調達と守屋氏とのかかわりに集まったが、この日の証言では便
宜供与は一切ないと否定している。しかし、何とも破天荒な接待の実態を聞くにつけ、む
しろ疑惑を深める「国民の心」は現場の自衛官たちも「自己の心」としていることだろう
▲同じく5項目でも忠節、礼儀、武勇、信義、質素を掲げたのは戦前の軍人勅諭だが、軍
指導者自らが政治不関与の戒めを破って国を破滅させた。背骨をなす規範がそのトップに
よって平気で破られれば、どんな国も危ういのは歴史が示す。
毎日新聞
2007 年 10 月 30 日
0 時 10 分
余録:正直者
「私が他人のお金を盗まなかったからといって、あなたは私をほめますか?」。ゴルフの
球聖、ボビー・ジョーンズの有名なせりふだ。1925年の全米オープンでの出来事。ラ
フからのリカバリーショットを打とうとした際、
「ボールが動いた」としてジョーンズは自
ら罰打1を加えて申告した▲ラフの近くに人影はなく、ボールが動いたことはジョーンズ
本人以外誰も気付かなかった。しかも、この1打のためジョーンズは首位に並ばれ、プレ
ーオフの末、優勝を逃した。
「正直であれ」をむねとするゴルフのあるべき姿を体現したシ
ーンとして語り継がれているエピソードだ▲30年に当時の4大タイトルすべてを制覇す
る「年間グランドスラム」の偉業を達成したジョーンズは、その年限りで競技生活から引
退。まだ28歳の若さだった。しかし、ゴルフを愛する心は変わらず、郷里のアトランタ
近郊にマスターズの開催地、オーガスタ・ナショナル・ゴルフコースを作ったことでも知
られている▲ゴルフ発祥の地といわれるスコットランドに伝わる古いことわざがある。
「そ
の人物が偽物か本物か、18ホールですべてがわかる」。技術の巧拙を問わず、一緒にプレ
ーすると性格や長所、短所も透けて見えてくる。ゴルフとはそんなスポーツだ▲昨今の日
本はどうだろう。赤福問題や比内鶏騒動、社会保険庁や厚生労働省の資料隠しと、不祥事
のオンパレードだが、忘れてならないこともある。これらの多くが「正直者」の密告によ
り隠されていた真実が露見した。組織内で口をつぐんできた人たちが勇気を奮って発言し
始めた▲姿を見せない正直者を集めてゴルフ大会を開いたらどうだろう。きっと社長や高
級官僚よりフェアなプレーをするに違いない。
毎日新聞
2007 年 11 月 4 日
0 時 12 分
余録:職人
「樹齢二百年の木を使ったら、二百年は使える仕事をしなきゃ。木に失礼ですから」/
「人がいつか見惚(ほ)れて喰(く)うのを忘れるような、そんな和菓子を作ってみたい」
/「カンナをひきますわね。そのカンナ屑(くず)が板より長くなると、ちょっと腕が良
くなったというか」▲永六輔さんの「職人」
(岩波新書)にある職人の言葉だ。こんなのも
ある。
「残らない職人の仕事もあるんです。えェ、私の仕事は一つも残ってません。着物の
しみ抜きをやってます。仕事の跡が残らないようにしなきゃ、私の仕事になりません」▲
「私の仕事」に誇りを持つ職人がいて、その誇りに敬意を払う人々がいた。それが「職人
技」を生んだかつての日本だった。戦後の「ものづくりニッポン」を支えたのもそんな職
人技である。60年代の「技能五輪」での日本選手の活躍は高度経済成長期の記憶の欠か
せない一コマだ▲あすからその技能五輪と、障害を持つ人々が技能を競う国際アビリンピ
ックを合わせた2007年ユニバーサル技能五輪国際大会が静岡県で開幕する。日本での
技能五輪は85年の大阪大会以来、アビリンピックは81年の東京・千葉の第1回大会以
来だ▲海外への工場移転や、国内の従業員の非正規雇用へのシフトなどで、あたかも「も
のづくりニッポン」が時代遅れのように語られた一時期もあった。だが、自動車産業での
日本の競争力が生産現場の強さに支えられていることが改めて認識され、ものづくりの技
が見直されたこの数年だ▲レストランサービスなどサービス業の技能も競われる技能五輪
だが、現場の誇りが職人技を磨くのはどの業種も同じだ。やってきたすべての世界の選手
は、それぞれの「私の仕事」に高い敬意を払う日本の良き伝統で歓迎したい。
毎日新聞
2007 年 11 月 13 日
社説:国際学力調査
0 時 08 分
順位より「低意欲」こそ問題だ
経済協力開発機構(OECD)の国際学力テスト「学習到達度調査」結果が出た。多く
の人はまず日本の順位に注目しただろう。日本はこのところ順位があまりパッとしない。
しかし、もっと深刻な現実がのぞいた。学習意欲のあまりの低さ、つまり「やる気」の薄
さだ。
2000年に始まった調査は3年に1回、15歳(日本は高校1年生)を対象に「読解
力」「数学的活用力」「科学的活用力」の3分野をみる。いたずらに知識の多寡を測るので
はなく、理解と応用の力をみようとする。今回は科学的活用力に重点を置いた。
その日本の順位は参加国(OECD加盟30カ国、非加盟27カ国・地域)中6位で、
前回の2位からは後退した。だが全体でみれば上位で、見方によっては「誤差の範囲」と
もいわれる。この数字に一喜一憂するより、日本の生徒たちの日ごろの理科学習に対する
関心や意欲の調査結果を考えたい。
例えば、
「 30歳くらいでどんな職に」という問いに、科学関連の職業を挙げた生徒は8%
という。え?と言いたくなる結果である。OECD加盟国平均では4人に1人が挙げた。
また理科の勉強の目的も「自分に役立つので」と挙げた日本の生徒は4割余で、7割近い
OECD平均の中で際立って低い。動機づけや学習活動面で日本は最低レベルに位置して
いる。
なぜか。理系の職業や社会的地位は、発展途上国で相対的に恵まれ、子供のあこがれが
強いという事情もある。先進国では職業が多様に分化し、選択肢が増えるという側面もあ
る。日本では理系の職種が必ずしも厚遇されていないからという指摘もある。でもそれだ
けでは日本の子供たちの関心・意欲が「ずば抜けて低い」
(文部科学省)調査結果は説明で
きない。
実は、こうした傾向は理科教育に限らず、既に多くの学校や子供たちの生活の場で指摘
されていることだ。経済的な豊かさ、少子化と受験競争の緩和など、さまざまな要因が挙
げられる。
「生きる力の育成」を強調した「ゆとり教育」も、本来この状況の打開や改善を
目指したものだった。
前回のOECD調査で読解力の順位が下がったことで、ゆとり教育批判がにわかに強ま
り、教科学習を再び増やす学習指導要領の改定決定や、全国学力テスト実施に結びついた。
ゆとり教育の手法や成果、OECD調査結果との因果関係について十分な検証が行われな
いまま、「ゆとりが学力低下の元凶」論が高まった面がある。
今回の結果で、実験を工夫するなど理科教育の改善が進むことは期待したい。しかし、
「やる気の薄さ」はこの分野に限ったものではなく、社会全体の問題、これからの日本の
幅広い人材育成で避けて通れない問題、ととらえる視点と覚悟が必要ではないだろうか。
単なる授業量増加が即効薬ではない。意欲、動機づけ、興味、関心などは、なかなかつ
かみどころがなく、これまで本格的に掘り下げて取り組みにくかった問題だが、もう先送
りにはできない。
毎日新聞
2007 年 12 月 5 日
0 時 15 分
余録:漢字の発明
漢字を発明したのは「蒼頡(そうけつ)」という人物ということになっている。鳥や獣の
足跡を見れば、その鳥獣が分かることから文字の原理を思いついたという。蒼頡は漢民族
の始祖とされる黄帝(こうてい)の記録官で、目が四つあったというから、むろんすべて
は伝説だ▲気になるのは漢代の「淮南子(えなんじ)」という書物に、蒼頡が漢字を作ると
「天は粟(ぞく)
(穀物)を降らせ、鬼は夜泣いた」とあることだ。人によっては天が祝福
のために粟をまき、妖怪や霊魂は人間が文明化して居場所を失うのを悲しんだと解釈する
▲だが別の解釈もある。高誘(こうゆう)という注釈家は、天が粟を降らせたのは人が飢
餓に陥ると見たからだという。文字ができるとうそや偽りが生まれ、人は耕作を捨てて字
を刻む刀研ぎに没頭したからだ(武田雅哉著「蒼頡たちの宴」筑摩書房)▲漢字誕生とと
もに生まれたとされる人のうそや偽りである。それから何千年がたったのか、ことは伝説
の霧の向こうのことだから分からないが、西暦2007年の「今年の漢字」もまた「偽」
になったという。日本漢字能力検定協会が公募で選んだ1年の世相を代表する漢字である
▲老舗菓子店から一流料亭まで及んだ食品偽装をはじめ、年金問題や防衛省の汚職など外
見と内実の無残な落差が人々をあきれさせた今年は確かにこの字しかない。表示ラベルか
ら記録や証言まで、文字や言葉がうそや偽りのために用いられた場面にいったい何度出く
わしただろう▲異説もあるが、人の行為は偽りが多いからだという「偽」の字源説も妙に
説得力がある。情けないのは21世紀の日本人が、古代中国人が残した人間性への皮肉を
見事に実証してみせたことだ。
毎日新聞
2007 年 12 月 13 日
0 時 01 分
編集手帳
戦後最長の景気拡大が続いているというが、この春の賃金交渉は、それが実感されるよ
うな結果となるだろうか。財団法人社会経済生産性本部の機関紙が最近、経営者らに交渉
の課題などを聞いている◆「賃金・賞与金といった経済的便益だけではなく、従業員がい
きいきと働き、やる気・やりがいが見いだせる仕組みと環境づくりに取り組み、
『人材への
投資』によって従業員の満足に応えることが重要」と回答したのは新日本石油社長の西尾
進路さんだ◆アメリカンファミリー生命保険会長の松井秀文さんは「就労環境を整備し、
社員の勤労意欲を高めることが、優秀な人材を確保し、企業競争力向上につながる」と答
えている◆国際競争が厳しいから「賃金水準を上げる環境にない」とする空気も経済界に
は強い。経営の内実も様々で一律には論じられないが、「会社のためにひと肌脱ごう」と、
そんな気に従業員をさせるのも経営の手腕だろう◆「今年を展望する上で参考となる書籍」
という設問もあり、松井さんは教育者・森信三の「修身教授録」(致知出版社)を挙げた。
戦前、師範学校で行った修身の授業の記録である◆外資系の首脳が欧米のビジネス書など
ではなく、このような書を選んだことが興味深かった。西尾さんは司馬遼太郎の「菜の花
の沖」を推している。
(2007 年 2 月 4 日 1 時 46 分
読売新聞)
道教研究の先駆者で漢文を読むことにかけては日本で指折りといわれた中国哲学者、福
永光司さんは空海の漢文を翻訳していて腹が立ったという。旧知の司馬遼太郎さんにぼや
いた◆「定年も間近なおれが、二十いくつの小僧の書いたもので四苦八苦するのかと思っ
たら、悲しくなっちゃった」と。ぼやくと見せて、空海の天才にささげた福永さんの賛辞
は「司馬遼太郎対話選集」
(文芸春秋)に収められている◆儒・道・仏、三教の優劣を論じ
た「三教指帰(さんごうしいき)」は空海24歳の著述と伝えられる。真言宗の開祖にして
「三筆」に数えられた能書家で、教育や文学、社会事業にまで残した足跡の、幅も深さも
比類がない◆司馬さんは長編「空海の風景」を400字詰めの原稿用紙に、小さい字で1
200字ほど詰め込んで書いたという。「少しでも自分の書いていることを掌握したくて」
と語っている。それほどに主人公の人物が大きかったのだろう◆唐で密教を学んだ空海の
帰朝1200年を記念し、神奈川県大磯町の僧侶(57)がきのう、巡礼の旅に出た。中
国・福建省の海岸から唐の都・長安(現・西安)まで、その人がたどった2600キロの
道のりを3か月かけて歩くという◆学問や事績の以前に、歩いた距離からして現代人には
途方もない。「悲しくなっちゃった」心境が少し分かる。
(2007 年 3 月 6 日 2 時 14 分
読売新聞)
丘の上にただ一本そびえ立つ木は日光を独り占めしている。心のままにのびのび育った
から良材になるかといえば、どうやら違うらしい◆「丘の上の一本木は買わない」。作家、
塩野米松さんの「木の教え」
(草思社)に舟大工の言葉がある。たった一本で風に立ち向か
う幹は風に負けまいと総身に力を入れ、やがて「木の癖」が生まれる◆材木になった時、
ねじれや割れの原因になるという。創業者であり、筆頭株主にして経営のトップに君臨し
ていたその人も、事業の拡大競争という風に立つ「丘の上の一本木」であったのかも知れ
ない◆ライブドアの粉飾決算事件で東京地裁が前社長の堀江貴文被告(34)に懲役2年
6月の実刑判決を言い渡した。公判で部下に責任転嫁を繰り返し、
「身勝手な“木の癖”は
直らず」と映ったことも実刑の判断材料になったようである◆身にまとう一本木の伸びや
かさを慕ってきた人もいただろう。裁判所には障害をもつ子の親から、堀江被告に勇気づ
けられた旨の手紙も届いたという。裁判長はその文面に触れ、
「罪を償った上で再出発する
ように期待します」と語りかけた。この言葉を被告がどう聞いたかは分からない◆その人
が浮かべた「ライブドア」という舟はねじれと割れで浸水し、いまは再建の洋上を漂う。
冷徹な「木の教え」である。
(2007 年 3 月 17 日 1 時 39 分
読売新聞)
紫綬褒章を受けてほしいと、文化庁から内示の電話がかかってくる。妻が受けて仕事場
にいる夫に知らせた。「もらわないよ、断ってくれ」。夫はそう繰り返すのみで、妻と小さ
な口論になった◆「おれには国家というものが、最後のところで信じられない。少年兵の
とき、おれは…」。そこまで語り、口をつぐんだ。城山三郎さんの「勲章について」と題す
る詩である。詩集「支店長の曲り角」
(講談社刊)に収められている◆志願して17歳で海
軍に入った城山さんは、朝から晩まで殴られずくめの絶望を味わった。組織とは、個人と
は、大義とは、指導者とは何だろう。
「軍隊生活が僕を作家にした」と、のちに語っている
◆「男子の本懐」の浜口雄幸、「粗にして野だが卑ではない」の石田禮助、「落日燃ゆ」の
広田弘毅…等々、志を胸に、背筋の凛(りん)と伸びた城山文学の人間群像は、絶望の繭
から紡いだ美しい糸であったろう◆祖国をなくした漂泊の人々を「流浪の民」という。確
固不動の人気作家にふさわしくない喩(たと)えであることを承知でいえば、終生、ある
べき祖国の幻影を追いつづけた流浪の旅人であったかも知れない◆城山さんが79歳で亡
くなった。
「読者とおまえと子供たち、それこそおれの勲章だ。それ以上のもの、おれには
要らんのだ」。詩句の中に、その人がいる。
(2007 年 3 月 24 日 1 時 35 分
読売新聞)
江戸期の儒学者、新井白石が浪人の身で困窮していた時、人物に惚(ほ)れ込んだ富商
河村瑞賢(ずいけん)から「学資3000両で孫娘の婿に」と話があった。白石は断って
いる◆学者として大成した暁、商人から金をもらったことが傷になるのを案じたという。
後年、貿易政策や貨幣改鋳に見識を示して幕政を左右したことを思えば、「商人寄り」と
いう誤解をあらかじめ避けた判断は賢明であったろう◆「のちのち」の誤解を先回りして
避けるのは、非凡の人のみに可能な芸当かも知れない。「現在ただいま」の誤解を避ける
ことならば、しかし、普通の人にもできるはずである。できた、はずである◆インフルエ
ンザの治療薬「タミフル」と異常行動の関連を調べている厚生労働省研究班の研究者が、
タミフル輸入販売元の製薬会社から寄付金をもらっていた。一部は研究班の研究費に充て
られたという◆厚労省の後手、後手に回った対応が製薬会社の寄付金と関連があるとは思
わないが、服用する子供をもつ親にも、投与する医師にも、いったい何を信じたらいいの
か分からない不安を与えたのは確かだろう◆白石は自身の肖像画に詩を寄せ、「五尺の小
身すべてこれ胆(たん)」と書いた。私の体は全部、胆(肝っ玉、しっかりした心)で出
来ている、と。白石並みの全部は望まないが、空っぽでは困る。
(2007 年 4 月 6 日 1 時 29 分
読売新聞)
江戸期の狂歌作者に元木網(もとのもくあみ)がいる。人を食った名前だが、平明で調
べのきれいな歌もある。
「あせ水をながしてならふ剣術のやくにもたゝぬ御代(みよ)ぞめ
でたき」◆侮られぬよう、隙(すき)を見せぬよう、汗水流して剣術の腕前を磨いている
が、争いごとは望まない。日々の研鑽(けんさん)が無駄に終わる天下太平のありがたさ
は、身にしみて知っている、と◆国の守りも一首に尽きるのかも知れない。平和をめでる
心を忘れて腕っぷしに執心すれば、北朝鮮のようになってしまう。さりとて稽古(けいこ)
を捨てれば、無頼漢もいる世の中でわが身ひとつを守れない◆いまの憲法は一切の戦力保
持を否定し、
「竹刀には指一本触れません」と約束している。現実には自衛隊を抜きに国の
備えは考えられず、憲法の規定は稽古を捨てたふり、いわば美しい虚構にほかならない◆
制定の当時、時代劇でいう“凶状持ち”のような立場に置かれた敗戦国としては、それも
やむを得なかっただろう。憲法施行からきょうで60年、
「辻斬(つじぎ)り」や「道場破
り」に無縁の国であることを内外に知らしめた歳月である◆憲法改正とは、虚構の部分を
排し、裏も表もない正真正銘の平和憲法に書き直す作業をいうのだろう。平和のおかげで
現在の繁栄を築き、
「御代ぞめでたき」の心が骨の髄まで徹した国には、胸を張ってそれが
できる。
(2007 年 5 月 3 日 1 時 45 分
読売新聞)
もう70年余も昔になる昭和5年(1930年)に〈良寛さま〉、同10年に〈続
良
寛さま〉という本が出た。著者は相馬御風(1883∼1950年)◆早大校歌「都の西
北」の作詞者で知られる御風は33歳で郷里の新潟県糸魚川に帰り、郷土の先人、良寛の
研究に入った。名著〈大愚良寛〉があるが、冒頭の2冊は子どもたちに良寛さまを広めた
◆そのうれしくも懐かしい2冊がこのほど新潟市の朗読・音楽グループ「越後語り座」の
企画で同市の考古堂書店から復刻出版された(500円)。別に〈良寛さま童謡集〉(CD
付き)も(1500円)◆越後の良寛和尚は詩に歌に書に優れた名僧だった。が、それよ
りも子どもらと手まりや隠れん坊で遊んだり、物事にこだわらない奇行の数々の方が親し
み深くもある◆「良寛さまの行いには日本人のやさしい心、つつましい心、すがすがしい、
ゆったりした美しい心がよくあらわれています。日本中のこどもさんが良寛さまをすきに
なれば、きっとどんな人でも美しい心になると思います」◆御風はこう述べている。
(2007 年 5 月 9 日 13 時 58 分
読売新聞)
その患者は太っているので、胸部に耳を押し当てても音がよく聞き取れない。どうした
ものかと思案しつつ、フランスの医師ルネ・ラエネクは公園にたたずんでいた。子供たち
が遊んでいる◆ひとりが木の棒を釘(くぎ)でこすり、ひとりが耳を当てて音を聞いてい
る。ラエネクは病室に戻ると紙を巻いて筒をつくり、患者の胸に当てた。聴診器の発明は
1816年のことと伝えられる◆病院の医師であったり、映画の中の金庫破りであったり、
その道の専門家が携えてきた道具だが、最近は少しばかり様子が違うらしい。聴診器と説
明書のセットが書店で売れているという◆夫のメタボリック症候群が心配で…。病気がち
な子供の呼吸音が気になって…。購入の動機はさまざまだが、版元によれば3月中旬に販
売を始めてすでに1万冊が売れたというから、ささやかなブームには違いない◆木の棒に
耳をすませた子供の心か、
「どんな音がするの?」という好奇心から買い求める人もあると
聞く。健康に関心をもち、体を気づかうきっかけになるならば、それもまたいいだろう◆
胸を患った石川啄木にも、聴診器はなじみの器具だった。
「思ふこと盗みきかるる如(ごと)
くにて/つと胸を引きぬ――/聴診器より」。背筋の凍りつくような少年事件に、心の声を
きく聴診器を思い浮かべるときもある。
(2007 年 5 月 18 日 2 時 13 分
読売新聞)
「兄弟の4番目で、員数外という意味でしょう」。平岩外四さんは聞かれるとそうはぐ
らかしていたが、めずらしい名前は中国の「書経」に由来するという◆「外に四目(しも
く)を明らかにし、四聴(しちょう)を達せしむ」。目を見ひらき、人の声に耳を傾けるよ
うに…という命名らしい。名前の通り、いかにもよく聞こえそうな福耳をお持ちだった◆
出典の一文には目と耳があり、口はない。功なり名を遂げた経済人の多くは自伝を書く。
東京電力の社長・会長、さらには経団連会長という飛び切りの名を遂げながら、平岩さん
ほど固く回想談に口を閉ざしつづけた人を知らない◆「聞いて面白い部分には差し障りも
ありましょうから」と、理由を語ったことがある。“差し障り”とは、みずからが関与し
た政治の舞台裏など、いわゆる生ぐさい事柄を含めての裏話を指すのだろう◆昭和から平
成の財界に重きをなし、政界への影響力でも戦後屈指といわれた平岩さんが92歳で亡く
なった。目に見える事績よりも、おそらくは見えざる足跡のほうが大きい、最後の財界人
であったろう◆「耳の人」が巨人軍の話題になると、
「口の人」に変わる。投手の配球から
折々の采配(さいはい)まで、ときに身振りを交えて語った。差し障りの話題にもひと言
を…。内心で歯ぎしりした取材の時間を、いまは懐かしく思い出す。
(2007 年 5 月 23 日 1 時 32 分
読売新聞)
誰しも、自分のことは自分が一番分かっていると思いがちだ。が、勘違いは多い◆飲食
店に、ドキリ、とする標語が掲げられていた。
「つもり違い10か条」という。まずは「高
いつもりで低い教養」
「低いつもりで高い気位」
「深いつもりで浅い知識」。飲んで「浅い知
識」をひけらかしたかと不安になる◆品性については、「浅いつもりで深い欲望」「厚いつ
もりで薄い人情」
「薄いつもりで厚い面皮」と手厳しい。心構えも「強いつもりで弱い根性」
「弱いつもりで強い自我」とバッサリ。最後は飲み過ぎへの教訓か。
「多いつもりで少ない
分別」
「少ないつもりで多い無駄」と戒める◆個人のことは、まあいい。困るのは周囲に迷
惑な勘違いだ。例えばカゼ気味なのに学校や仕事に来る人。「たいしたことない」「自分が
いないと仕事が回らない」という◆これが、はしかだと感染力は強い。病原体をまき散ら
す。本人は大丈夫でも、うつされた側はたまらない◆はしか拡大で高校、大学の休校も増
えた。怪しいと思ったら病院へ。本当にはしかなら休む。分別を。
(2007 年 5 月 26 日 14 時 7 分
読売新聞)
鎌倉時代の軍記物語「承久記」に、「官打(かんうち)」という言葉が出てくる。右大臣
に昇進した源実朝に触れたくだりで、
「官位が高くなり、不幸な目にあうこと」をいう◆松
岡利勝農相(62)が議員宿舎で自殺したという知らせに、その言葉が頭をよぎった。昨
年9月の初入閣以来、政治資金をめぐる疑惑の渦中で釈明に明け暮れ、
「官打」を身をもっ
て味わった人である◆みずからの資金管理団体に計上していた高額の「光熱水費」
「事務所
費」で批判の矢面に立ち、最近は捜査の進む緑資源機構の談合事件に関連した疑惑も取り
ざたされていた◆自殺の動機が明らかでない今、
「ナントカ還元水」で国民を煙に巻くなど
いささか誠実味に欠けたこれまでの弁明と、死を選ぶほどに思いつめた苦悩とが、どうに
も脳裏で一つに結びついてくれない◆政治生命と生命のあいだには無限の距離がある。た
とえいかなる疑惑を苦にしていたにせよ、
「官打」に耐えきれないのなら、閣僚や議員の職
を辞し、政治生命の範囲内で身を処する道もあっただろうに◆命を絶つ以上に重く厳粛な
自責の行為がないことは知っている。だが、それは人の世の禁じ手でもあろう。身の潔白
であれ、贖罪(しょくざい)であれ、生き抜く中で示してほしかった。
「残念でなりません」
という言葉を添えて、亡き人の霊前に目をつむる。
(2007 年 5 月 29 日 1 時 58 分
読売新聞)
孔子がいまの中国山東省、名山で知られる泰山のふもとを通りかかると、婦人が墓で泣
いていた。わけを聞けば、かつては夫が、今はまた子供が虎に殺されたという◆この地を
去ればいいものを。孔子の問いに婦人は、
「ここには過酷な政治がないので」と答えた。孔
子は弟子に告げた。「これを識(しる)せ(このことを記憶しておきなさい)、苛政(かせ
い)は虎よりも猛(たけ)きなり」と◆相手が獣ならば、抵抗のしようもある。
「板子(い
たご)一枚、下は地獄」の海には、なすすべがない。ときに、虎よりも恐ろしかろう。中
国の古典「礼記(らいき)」に記された教えは、「苛政は海よりも猛きなり」と言葉を変え
て現代に生きている◆「脱北者」の家族4人を乗せた漁船が青森県の港に漂着した。濃霧
に助けられて官憲の目を逃れ、北朝鮮の清津(チョンジン)を出航したという。海が荒れ
ればひとたまりもない、横幅が2メートルにも足りない小舟である◆一家は向こうで、
「1
日おきにパンを食べるのがやっと」の生活だったと話している。所持品のなかに微量の覚
せい剤が見つかった。タコ漁で生計を支える20代後半の息子が自分で用いるためという。
すさんだ暮らしぶりが浮かぶ◆核放棄さえ実現すれば「北」問題はすべて片がつく。そう
楽観している国もある。脱北者の声に耳をすまし、「これを識せ」。孔子の言葉を借りて贈
る。
(2007 年 6 月 5 日 1 時 50 分
読売新聞)
明治新政府の外務卿などを務めた副島種臣は、郷里佐賀では七賢人の一人として著名だ
が、その副島の「全心の書」と題する書展が東京・上野毛の五島美術館で開かれている◆
没後100年を経たのを機に昨年、佐賀県立美術館で開かれたのに続く企画だ。副島は書
家としても知られた。決まった文字の型はない。習字の手本にはしにくい。しかし、どの
作品にも自由奔放、独創の気分があふれている◆普段は書に親しむ機会がない。パソコン
の印字や携帯電話のメール文字を目にしない日はないが、手書きの文字を見ることもめっ
きり少なくなった。悪筆を知られずに済むが、筆跡で人柄を推測するような楽しみがない
◆漢文の世界とも疎遠になった。この書展では作品の意味の説明がない。例えば「神非守
人
人実守神」という作も専門家には深い意味がわかるのだろうが、佐賀県立美術館でも
「副島がどういう気持ちで書いたかはわからない」と言う◆まず全心をこめ、これより遅
くは書けないというくらい遅く最初の線を書く。その後も気をこめて出来るだけ遅く書く。
構成や間隔は考えるな。そうやって修業を積めば、曲がっても筋の通った書になる。副島
が語ったという書の習い方だ◆実際に毛筆を握って試してみたくなるような、ほかの分野
にも通じるようなアドバイスだ。
(2007 年 6 月 10 日 2 時 5 分
読売新聞)
東京市長などを務めた後藤新平には、腹が立ってたまらぬ時につぶやく呪文(じゅもん)
があったという。内務官僚当時の部下で、戦前の拓務相などを務めた永田秀次郎に「教え
てやろう」と言った◆永田の耳もとに口を寄せ、極秘事項を明かすように声を低めていわ
く、
「相手に聞こえないように、馬鹿(ばか)、馬鹿、馬鹿と、三度言うのだよ」。後藤の没
後、永田が追悼のラジオ放送で語った回想にある◆旧幕府側、陸奥水沢藩士の家に生まれ、
薩長閥が幅をきかす明治新政府で頭角を現した人である。若い日には歯を食いしばり、
「馬
鹿、馬鹿、馬鹿」と胸につぶやくことが幾度となくあったに違いない◆関東大震災後の首
都建設など、
「大風呂敷」と呼ばれるほどに規模の大きな国家戦略を構想した人の、今年は
生誕150年にあたる。参院選に向かう政治の季節、折に触れて思い出される指導者だろ
う◆大きな風呂敷で包まねばならない「憲法」や「外交・安保」もある。同じ正方形の布
でも袱紗(ふくさ)で茶器を慈しみつつ拭(ぬぐ)うように、国民の不安を丹念に拭わね
ばならない「年金」もある。風呂敷か、袱紗か。
「風呂敷も袱紗も」だろう◆会期の延長問
題が大詰めを迎えている。選挙を目前にした終盤国会はときに、感情と感情が衝突しがち
である。立腹時の呪文はくれぐれも相手に聞こえぬように。
(2007 年 6 月 20 日 1 時 54 分
読売新聞)
沈黙は金、という。西洋伝来の格言は、「雄弁は銀」とつづく。はっきり自分を主張す
ることを美徳とする西洋人が雄弁を低く評価したのはなぜだろう◆「岩波ことわざ辞典」
によれば、格言の起こりは19世紀中ごろのドイツで、当時の西欧諸国は銀を基準にした
貨幣制度、いわゆる銀本位制が大勢であったという。古人はどうやら現在の意味とは逆、
「雄弁の銀」を上位に置いたつもりで格言をこしらえたらしい◆交易に、暮らしに、世界
の国々にとってなくてはならぬ銀の供給役を務めたのが日本である。17世紀の初めには
世界に流通する銀の3分の1を日本産が占め、なかでも石見(いわみ)銀山(島根県)か
ら採掘された銀の量は飛び抜けていた◆16世紀半ばにポルトガル人がインドで製作した
日本地図には、石見のあたりにポルトガル語で「銀鉱山王国」と記されている。“王国”
の夢の跡、
「石見銀山遺跡」が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録さ
れた◆ユネスコの諮問機関が「普遍的な価値の証明が十分でない」と登録延期を勧告して
いただけに、地元の喜びもひとしおである。自然と調和した「文化的景観」の魅力を日本
政府が、腕ずくならぬ口ずくで各国に説いて回ったのが功を奏しての逆転登録という◆格
言本来の意味を思い出させる「雄弁の銀」だろう。
(2007 年 6 月 30 日 1 時 34 分
読売新聞)
「掃除の下手な大工は仕事もあかん」と語ったのは、大阪万博の日本庭園をはじめとし
て生涯に120余りの茶室を手がけた数寄屋大工の中村外二(そとじ)さんである◆駆け
出しの職人は木の削り屑(くず)に肌で触れ、道具の使い方や仕事の段取りなどを先輩大
工から盗む。掃除が下手であることは基本の学習を怠ってきた証しであり、いい家が造れ
るはずもない、と◆自民党の敗北を伝えるテレビの選挙速報を眺めつつ、中村さんの言葉
を思い出している。
「消えた年金」など敗因は幾つかあれど、閣僚が招いた疑惑を掃除する
安倍首相の手際も響いたようである◆赤城徳彦農相の事務所費問題では、農相に経費の明
細を公表させれば疑惑の塵(ちり)は一掃できたのに、しなかった。掃除下手の棟梁(と
うりょう)に社会保障や外交・安保という大建築が手に負えるか、疑問に感じた有権者も
いただろう◆どの木をどんな用途、場所に使うか、
「大工は木を知らなあかん」とも中村さ
んは述べている。続出した閣僚の不始末を顧みれば、“論功行賞の木”や“お友達の木”
を重用した10か月前の組閣人事の罪というほかはない◆安倍首相は引き続き政権を担う
意向という。大敗を喫して続投する以上、敗因をきちんと取り除かなければ有権者は納得
しない。木は組み直す。疑惑は掃除する。できなければ棟梁を名乗る資格はない。
(2007 年 7 月 30 日 3 時 49 分
読売新聞)
〈行蔵(こうぞう)は我に存す、毀誉(きよ)は他人の主張、我に与(あず)からず我に
関せず〉――勝海舟の言葉だ。行蔵は出処進退の意。行は世に出て事を行うこと、蔵は世
から隠れること。出典は「論語」◆江戸の幕臣だった海舟は維新後、明治政府の高官にな
った。そのことを福沢諭吉が批判したのに対し、海舟は「出処進退は自分が決めること。
それについての悪口、称賛は他人の見方で自分には関係ない」と言い切った◆論語では、
孔子が「時を誤たず、出処進退を決められるのは私とお前(弟子の顔淵)だけだ」と言っ
ている。出処進退の判断はまことに難しい◆勝海舟のように自信を持って言い切れる人物
はそう多くない。参院選大敗後には辞任せず、代表質問開始直前に退陣を表明した安倍首
相はタイミングを2度誤ったと評された◆さて、今度は後継選びだ。自民党総裁選はきょ
う告示。あすの立候補受け付けに、だれが届け出るか。出馬に踏み切る人、断念する人、
今回は見送りの人、それぞれが〈行蔵〉について決断する◆投開票は23日。行蔵に誤り
なき人物の選出を望む。
(2007 年 9 月 14 日 13 時 54 分
読売新聞)
ユーモアとは「にもかかわらず、笑うこと」だという。苦境に立つ人が「にもかかわら
ず」浮かべる微笑であると◆その説に従えばユーモアは精神の鍛錬を要するものらしい。
山岳ゲリラを指導して南米ボリビアの山中を移動しながら綴(つづ)られたチェ・ゲバラ
の日記には、
「 にもかかわらず」の微笑が随所に見える◆1967年9月17日の条には「口
腔(こうくう)衛生の日。私はアルトゥロとチャパコ(いずれも同志)の歯を抜いてやっ
た」とある(中公文庫「ゲバラ日記」)。飲み水も満足になく、自分の小便を飲んで腹をこ
わす仲間も出る絶望的な起き伏しのなかでの記述である◆ほぼ半年ぶりに入浴したことを
記し、風呂なしで過ごした期間は「記録ものだ」と楽しそうに語ったくだりもある。逆境
下の集団をまとめていく上で、そこはかとないユーモアが助けになったに違いない◆政府
軍に捕まり、39歳で処刑されたのはその年の10月9日、きょうで40年になる。革命
家の肖像はいまも時折、Tシャツの図柄などで目にする。窮地にあって弾みを失わなかっ
た精神には、時代を超えて語りかけるものがあるのだろう◆やけ酒をあおって自嘲(じち
ょう)した記憶は数あれども、
「にもかかわらず」穏やかに笑った記憶はさて…という方も
おられよう。故人にあやかり、Tシャツでも着てみますかな、ご同輩。
(2007 年 10 月 9 日 1 時 33 分
読売新聞)
父親が逮捕され、妻と13歳の娘が家に残る。収入が途絶え、蓄えを食いつぶす暮らし
を心細がり、娘がつぶやく。
「かつぶしを削るやうだ」と◆その言葉を妻の便りで知り、父
親は拘置所から娘に、心配することはないのだよ、と手紙を書いた。
「かつぶしを削ってそ
のだしをすつかり吸収してくれればいゝのです。一日一日を元気で勉強して育つてゆけば、
かつぶしの役目は立派に果たされるのです」◆思えば、子をもつ親とは「かつぶし」かも
知れない。心身を削り、だしの風味と栄養が子の行く末に助けとなることを祈りつつ、や
がて消えていく。その人も「かつぶし」に我が身を重ねていただろう◆評論家の尾崎秀実
(ほつみ)は日米開戦の直前、スパイ事件いわゆる「ゾルゲ事件」首謀者のひとりとして
逮捕された。43歳で死刑に処されたのは終戦の前年、63年前のきょうである◆「人生
には、いろいろな苦しみや悲しみがあつても、やはり生きてゆく値うちのあるものです。
お父さんみたやうな境遇にあつても、やはり人生を価値あるものと思つてゐるのです」。獄
中書簡集「愛情はふる星のごとく」にある◆「今日は久しぶりに雨が降つた。楊子(よう
こ)
(娘)の新調のレインコートのために萬歳(ばんざい)を叫んだ」という一節もあった。
死のすぐ隣にいて、かつぶしを削りつづける。親というものは。
(2007 年 11 月 7 日 1 時 34 分
読売新聞)
「雍也(ようや)論語」という言葉がある。論語全20編を読み始めたものの、第6「雍
也」編まできて飽きてしまい、途中で投げ出すことをいう◆きのうで読書週間が終わった。
読む意欲はあったのに、ついついほかの趣味に時間を取られ、せっかく買い求めた本の表
紙にほこりを積もらせた方もあろう。今も昔も、読書に挫折はつきものである◆作家、陳
舜臣さんの「論語抄」
(中央公論新社)を読んでいて、ぶらぶら日を過ごすことを戒めた一
節を教えられた。
「囲碁や双六(すごろく)があるじゃないか。何もしないより、それでも
しているほうがましだよ」と(第17「陽貨(ようか)」編)◆読書週間の前後は宵のそぞ
ろ歩きに趣があり、聴く歌は心にしみ、酒は白玉の歯にしみとおる罪な季節である。
「 まあ、
何もしないよりは…」。孔子さまも表紙のほこりは大目に見てくれるかも知れない◆論語全
編から光彩を放つ文章を抜き出して解説した陳さんの著書は、
「雍也論語」派には格好の虎
の巻で、「雍也」編には以下の一節も見える。「子曰(いわ)く、知者は水を楽しみ、仁者
は山を楽しむとあり」◆晩秋の海辺を訪ねて「知者」となるか、紅葉に心身を染めて「仁
者」となるか、行楽の計画を立てるのも愉(たの)しい季節である。表紙のほこりを払っ
た本を鞄(かばん)にしのばせ、旅のつれづれ、“敗者復活戦”に臨むのもいい。
(2007 年 11 月 10 日 1 時 44 分
読売新聞)
愛する者よ、みずから復讐(ふくしゅう)するな、神の怒りにまかせよ――とは新約聖
書「ロマ書」の一節である。「主は言いたもう、復讐するは我にあり、我、これに報いん」
と◆この言葉を法治国家の刑事事件にあてはめれば、被害者遺族になりかわって怒り、復
讐してくれる「我」とは「法」をおいてない。だから遺族は深い悲しみに耐えて裁判を傍
聴し、法の裁きを見届ける◆犯人が自殺した事件の被害者遺族は頼みの「法」に怒りを、
復讐を、ゆだねることもできない。倉本舞衣さん(26)、藤本勇司さん(36)のご家族
はいま、なきがらにすがっては身を震わせるばかりだろう◆長崎県佐世保市のスポーツク
ラブで散弾銃を乱射した男(37)がきのうの朝、市内の自宅近くで自殺しているのが見
つかった。男は事件当日、友人の藤本さんをクラブに誘い出し、犯行におよんだという◆
二人の間にいかなるトラブルがあったのかは分かっていないが、おびただしい数の散弾を
浴びて殺されねばならない理由など、あるはずもない。ましてや、その場に居合わせた従
業員の倉本さんに、何のかかわりがあるというのか◆死出の旅を選ぶのならば、黙って、
静かに、ひとりで去れ。復讐はもはや法の手がおよばない神の手の領域にあるとは知りつ
つも、犯人を憎む。その蛮行を憎む。はびこる銃を憎む。
(2007 年 12 月 16 日 1 時 38 分
読売新聞)
〈対岸の火事〉と見ているのと〈他山の石〉と考えて対処するのとでは大いに違う。米
国で頻発する銃の乱射事件を日本では対岸の火事のように見てきた◆米国の銃社会は何度
乱射が繰り返されても変わらない。それを「社会の成り立ちが日本とは違う」で片づけて
きたが、長崎県佐世保市のスポーツクラブで男が散弾銃を乱射した事件は日本の銃規制に
激しく警鐘を鳴らした◆8人が死傷した事件の恐怖と不条理を思えば、米国の乱射を今や
対岸の火事ではなく他山の石として見る方がいい◆今回の事件は暴力団が違法に所持する
銃ではなく、合法的に所持を認められた一般人の散弾銃で引き起こされた。警察は事件後
に自殺した男への許可を「適正」だったとする◆が、男の近隣住民が彼の銃砲所持に不安
を訴えたこともある。結果として適正でなかった許可の現実は見直した方がいい。許可後
の銃の使用、保管のチェック、欠格事由や取り消し基準は厳格にと望む◆米国に似た銃社
会の入り口にいると言われて久しい。刀狩りならぬ平成の〈銃狩り〉を厳重にと望む。
(2007 年 12 月 17 日 13 時 39 分
読売新聞)
産経抄
宮崎県知事選での、そのまんま東さんの圧勝には驚いた。テレビニュースで演説の一部
を聞いたが、確かにうまい。遊説の途中で、おばあさんに明石家さんまさんと間違えられ
たエピソードで笑わせると一転、県政の改革を訴えて聴衆の気持ちをつかんでいく。
▼タレント仲間に応援を頼まない、
「意外」にまじめな戦いぶりが、過去の暴力事件やス
キャンダルによる負のイメージを打ち消した面もある。とはいえ最大の勝因は、保守の内
輪もめによる、「漁夫の利」を占めたことだろう。
▼出典の『戦国策』では、
「漁父(ぎょほ)の利」とある。前漢時代にまとめられた古代
中国の知恵が詰まった書には、こんな成句もある。
「善(よ)く作(おこ)す者は、必ずし
も善く成さず。始めを善くする者は、必ずしも終りを善くせず」。最初はもてはやされても、
知事の仕事を全うするのがどれほど難しいことか。
▼平成7年に東京都と大阪府で同時に誕生した2人のタレント知事のその後をたどれば
明らかだ。行政経験のない東さんの前には、オール野党の県議会も立ちはだかる。日曜日
の夜、当選確実となって支持者が万歳を繰り返しても、神妙な表情を崩さなかった東さん
は、当然承知しているだろうが。
▼「保守王国」で惨敗した自民党、不戦敗の屈辱を味わう民主党の両党幹部には、
「禍(わ
ざわい)を転じて福と為す」の成語を贈りたい。政党不信が地方にまで広がっていること
は、由々しい事態だ。一方で参院選を前にして、課題もはっきりした。
▼公共事業の透明化など、改革への姿勢をはっきり示し、都市部との経済格差問題につ
いて、有権者が納得する解決策を打ち出すしかない。間違っても、タレント候補で歓心を
買おうなどという、教訓は引き出さないことだ。
(2007/01/23 05:03)
この社会にナゾは多い。継体天皇陵である可能性がさらに強まった大阪の今城塚古墳で、
石室の土台の石組みは見つかったが、石室そのものはなかった。どこへ消えたのかわから
ない。全国で起きる半鐘などの金属盗も実態はほとんどナゾのままだ。
▼だが、もっとミステリアスな思いにさせられたのは、米国でミツバチが相次いで集団
失踪(しっそう)している「事件」だ。優れた帰巣能力を持つミツバチたちが巣箱に戻っ
てこない。米紙によれば、すでに24の州で確認されているという。原因はまったく分か
っていない。
▼ハチミツを作る養蜂(ようほう)業者はもちろんお手上げであろう。それよりも打撃
が予想されるのは、アーモンドやブルーベリーの生産農家だという。ミツバチに受粉作業
を頼っている農作物である。ミツバチたちが消えてしまっては、実をつけようがなくなる
からである。
▼自らは移動できない植物が、昆虫たちに花のミツを提供する代わりに受粉を手伝って
もらう。どちらが思いついたのか知らないが、感嘆するような優れたシステムである。人
間の方は、このシステムをうまく利用し、ハチミツや果物を安定的に手に入れているのだ。
▼特にきまじめに働くミツバチは、人間にとって貴重な労働力である。それだけに失踪
の原因として、ハチミツ集めに過剰なノルマを課せられたための「過労死」という説もあ
るらしい。ストレスから帰巣器官がおかしくなったか「集団家出」したとの見方もあるよ
うだ。
▼どれも的はずれになることを祈りたい仮説だ。だが、もし当たっているのなら「人ご
と」には思えない。今の人間社会を色濃く反映した「事件」のような気もしてくる。自然
のシステムや営みに対する畏敬や感謝を忘れつつある社会である。
(2007/03/04 06:55)
東京タワーがまだ建設途上だった昭和33年の東京を描いて大ヒットした映画「ALW
AYS
三丁目の夕日」を監督した山崎貴さん(42)は、当時の街並みを再現するため
あるテクニックを使った。VFX(視覚効果)で、わざと建物や自動車を汚したのだ。
▼昭和の建物や自動車だから薄汚れているはず、という観客の思いこみを利用したもの
だが、山崎監督はこう断言する。人間は過去の記憶を都合よく書き換えるものだと(本紙
4月27日付朝刊)。
▼近ごろ出版された写真集「GHQカメラマンが撮った戦後ニッポン」
(アーカイブス出
版)をパラパラめくってみても、確かにその通りだと実感する。連合国軍総司令部(GH
Q)専属カメラマンの手による鮮明なカラー写真に残された戦後東京の風景は、くすんで
も汚れてもいない。
▼中でも印象的な一枚がある。昭和22年の暮れ、占領軍が「タイムズ・スクエア」と
呼んだ銀座4丁目交差点を写したものだ。MP(米憲兵)が交通整理をする中、銀座三越
で贈り物をしこたま買い込んだ米兵が人力車に乗って悠然と交差点を横断する光景だが、
60年前はそんな時代だったのである。
▼日本人の警官は、少し離れた場所で、MPの腕の振りをみながら“協力”している。目
抜き通りの交通整理さえ、日本人の手でできなかった状況下で生まれた憲法が正常なもの
であるはずがない。
▼過去の記憶を都合よく書き換えたい人々は、現憲法は日本人自身が希求したものと思
いこもうとしている。これを植民地根性ともいうが、安倍晋三首相が本気で憲法を改正す
る気なら、慰安婦問題でわざわざブッシュ米大統領に「謝罪」するような小細工をろうす
べきではない。国民は首相の気概をみているのだ。
(2007/05/02 05:08)
出羽国米沢藩の第9代藩主、上杉鷹山(ようざん)といえば、江戸時代を代表する名君
として知られる。とりわけ破産状態の藩を立て直した手腕は、財政危機にあえぐ全国の自
治体の首長から高く評価されているようだ。読売新聞が今年2月に行ったアンケート調査
によれば、理想のリーダーとして、断トツの1位だった。
▼日向国高鍋藩主の二男に生まれた鷹山は、上杉家の養子となった。当時の米沢藩は、
幕府に領地返納を願い出る寸前の惨状だった。農村の疲弊をよそに、藩祖謙信以来の家柄
を誇り、格式にこだわる家臣の多くは、鷹山の進めようとする改革にことごとく反発する。
▼危機意識の薄さは、
「政治とカネ」をめぐる問題の解決に、今にいたって消極的な自民
党と共通している。その自民党が再生を懸けた内閣改造で、農水相として初入閣を果たし
た遠藤武彦氏は、山形県米沢市の出身だ。当然のことながら、尊敬する人物は鷹山である。
▼「国家は先祖より子孫に伝へ候国家にして、我私すべきものには之無く候」。自身のホ
ームページ「エンタケネット」には、鷹山が後継の治広(はるひろ)に残した「伝国の辞」
を掲げ、政治信条をこう語る。国会議員たるものは「国家国民への奉仕者」であり、国民
の「生涯補佐役」である、と。
▼鷹山は、倹約令を発令するにあたって、自ら一汁一菜に甘んじて範を示した。遠藤氏
の場合は、その言やよし、だが行動が伴わない。自らが組合長を務めた農業共済組合が、
国の補助金を不正に引き出し、指摘されても返さなかった。
「着服はない」との釈明は通ら
ない。
▼農水相のポストにあった8日間で、手がけた仕事といえば、農政のでたらめぶりを天
下にさらけ出しただけ。鷹山も泉下であきれかえっているだろう。
(2007/09/04 05:06)
春秋(1/11)
安倍首相夫人、昭恵さんの父は森永製菓五代目社長の松崎昭雄氏(現相談役)であり、
二代目社長、松崎半三郎の孫に当たる。半三郎は創業者森永太一郎の右腕として「森永の
松崎か、松崎の森永か」といわれた希代の経営者であった。
▼その森永が昭和初期に経営を誤って危うくなった。半三郎は永平寺管長の黙仙老師から
贈られた書「八風吹不動天辺月」の一幅を掲げ毎日端座した。その意味は「どんな困難や
誘惑がやってきてもあたかも嵐の中に天の月が悠然として輝いているように心が動揺しな
ければ何も恐れるものではない」というもの。
▼年の瀬から首相官邸が動揺している。内閣の支持率は低迷気味で、安倍政権発足 3 カ月
にもかかわらず、ちまたから「小泉、恋し」の声もささやかれる。
「やさしさが裏目に出て
いる」と身内評もあれば、言葉多く定まらず優柔不断ととられることもある。不満分子に
とって大いにスキありと見えるのだろう。
▼首相の父、晋太郎氏は長身で剣道が好きだった。得意はメン。しかし豪快な技の一方で
「ワキが甘く」よく胴をとられたという。半三郎の教訓として「災いと幸福は交互にくる
ものではなく、災いの後には災いが来るのが普通」と言っている。困難は相次ぐものと受
け止め一歩も引かない決意でかかった、とある。
春秋(2/5)
春めいた陽気で心が緩むのだろうか。駅や道端で、独り言を語る人をよく見かける。ブ
ツブツ呟(つぶや)きながら思案する人がいる。表情豊かに持論を説く人がいる。さて困
るのは、“独白人”を前に自分がどう振る舞えばよいのかが分からない。
周りの反応を観察すると、横目で声の主をチラリと確認するところまでは同じ。その後
の対応はいろいろだ。一番多いのが「聞こえないふり」だろう。この季節、自分も約束時
間に遅れて電車内で「しまった」などと口走ることが多い。無視して頂いて結構なのだが、
中には迷惑そうにスッと離れていく人もいる。
発達心理学によると、言語には「外言」と「内言」がある。他者との意思疎通が目的の
発言や文章と異なり、無意識のうちに脳内に現れる言葉がある。この内言が外側に漏れ出
るのが独り言だ。玩具で一人遊びする幼児の口からは、自ら紡いだ楽しい物語が聞こえる。
脳の扉は大人になるにつれて閉ざされていく。
扉が閉まるのは、己を守る生命の自然な営みに違いない。無数の外敵に囲まれる現代社
会は、脳内をさらけ出して生きられるほど平和な世界ではない。だとすれば、立春の束(つ
か)の間に扉を開放する“独白人”とは、無防備にも敵の存在を忘れた優しい心の持ち主
であろう。幸福そうな独り言ならば微笑(ほほえ)み返すのもよい。
春秋(2/14)
創業 10 年で松下幸之助氏は株式を社員に持たせることを決断する。社員に陰も日向(ひ
なた)もなく働いてもらい、水道の蛇口からほとばしる水のように優れた製品を世に送り
出し続けたい。その「水道哲学」が後の社の同族脱皮の原点といえる。
▼ガス器具メーカーのリンナイの社名は大正期の創業者、内藤秀次郎氏と林兼吉氏から生
まれた。現在の会長は創業者の三男、社長はその女婿という同族企業のガス湯沸かし器で
一酸化炭素中毒事故が起き、死者が相次いでいたことが明るみにでた。取り扱い上の危険
性を知りながら周知が不十分だった疑いが強い。
▼同じガス湯沸かし器の事故で 21 人の死者を出したパロマや、期限切れの原料を製品の洋
菓子に使っていたことがわかって営業を停止した不二家の場合も創業家一族が経営にあた
る同族企業だった。身内で固めたトップに社内の負の情報が伝わらなかったり、社会的な
リスクに対する経営判断の鈍さも疑われる。
▼不二家では不祥事で初めて同族外からトップが就任し、社外メンバーによる改革委員会
が再建策の検討にあたるが、例年ならバレンタインデーでにぎわう各地の店頭はシャッタ
ーが下りたまま。内部のきずなに甘んじて安全を預かる「公器」としての役割を見失えば
創業者が培ったブランドの失墜もまたたやすい。
春秋(2/15)
世の中に一を聞いて十を知る賢者は、そうはいない。神ならぬ身、一を聞いて知るのは
一だけである。十まで知るには、さらに聞く、本を読む、ネットで検索するなど、自分で
調べるしかない。それでも届くのは、せいぜい七か八か。
ところが、人の心には、一を聞いたら十を知ったと思い込みたい願望が渦巻いているら
しい。二から三、四とあれこれ検討する手間を省いて、一気に十の結論を得ようとする。
これを心理学では「認知的節約」と呼ぶ。健康とカネという人の2大欲望がからんだ場合
は、この認知的節約は特に強力に働くという。
古来、詐欺のテクニックはみな認知的節約のすき間を巧みに利用してきた。納豆を食べ
続けた1人の被験者の体重が減っても、納豆のダイエット効果とは全く結びつかないのに、
「発掘!あるある大事典 II」は強引に結論を下した。「効果には個人差があります」とテ
ロップが入る健康器具のCMに比べ、情報番組の作りが何とも粗雑だ。
核でも拉致でも、これまで世界をだまし、欺いてきた北朝鮮。苦い学習を積んできた国
際社会には、もう認知的節約は働かない。重油 100 万トン分のエネルギー支援を受けても、
狡猾(こうかつ)なおねだり上手は、最終的な核放棄へはすぐ動くまい。合意内容の一か
ら十まで、実行の厳密な検証が不可欠だ。
春秋(4/2)
「ホウレンソウ」は本当に有用なのか。といっても食べ物の話ではない。
「報告・連絡・
相談」の頭文字をとって報・連・相。今日 1 日、訓話や研修で「ホウレンソウ」の大切さ
を繰り返し聞かされる新社会人も多いかもしれない。
▼部下から必要なホウレンソウが来ない。そんな悩みを抱える管理職の話をよく聞く。こ
の語呂合わせは旧山種証券の社長だった山崎富治氏が 20 年以上前に考案したとされる。報
告は縦、連絡は横、相談は集団のコミュニケーションを指す。本来は風通しの良い組織づ
くりの大切さを説いたはずの言葉だった。
▼下から上へ、一方通行型のホウレンソウが求められる職場は危ういらしい。えてして叱
責(しっせき)と無視ばかりの上司が多く若手がやる気をなくす。自分の意見を持たず応
用力の乏しい社員が育つのも怖い。高収益で知られる岐阜県の電気設備大手、未来工業の
ように「現場が考えることが 1 番」とホウレンソウ不要を掲げた会社もあるほどだ。
▼「上司こそ部下へのホウレンソウを積極的に行い、範を示すべき」と指摘するのは人材
育成コンサルタントの細川馨氏だ。部下から相談されたら「えんかい(援助と解説)」で応
えたい。
「せつめいかい(説教、命令、介入)」を受けた部下は二度と相談に来ないそうだ。
どうかご注意を。
春秋(6/18)
「このままではいずれ破綻します」。バブル期、上司に直言したと元銀行員は語る。上は
耳を貸さず、貸し出しを増やす同僚が出世。元銀行員は生活サービス業に転身し、今は客
の感謝の声を励みに汗を流す日々を送る。勤務した銀行の名はすでに世に無い。
▼1941 年 8 月。30 代の若手官僚らが行った模擬演習で、日米が開戦すれば日本の負け、と
の結論が出た(猪瀬直樹『昭和 16 年夏の敗戦』)。それにもかかわらず 4 カ月後には真珠湾
攻撃が行われる。未来予測を手掛けたメンバーは出身母体に帰され、ある者は戦死し、あ
る者は戦後復興に力を尽くしたという。
▼「このままでは、この組織はまずい」。そう気付いたらどうするか。改革のため立ち上が
るのが「正しい」姿勢。しかし現実は簡単ではない。重荷を背負い冷や飯を食うより「右
から左へ」受け流す。親しい知人や家族ならそんな助言をしそうだ。異論を唱えるのに勇
気が必要な状態が、そもそも変なのだが。
▼事なかれ主義のリーダーは2つの罪を犯す。まず下の人々の心を壊し、次に組織を殺す。
社保庁にも「このままでは……」と考えた人は、様々なレベルでいたはずだ、と信じたい。
声をつぶし、あるいは沈黙を強いたのは具体的に誰なのか。救済策と並行し、過ちの仕組
みも解明してほしい。
春秋(9/15)
自ら官職を求めず、礼をもって招かれなければ仕官しないのが孔子の流儀だった。中国
の四書の一つ「孟子」に「其(そ)の招きに非(あら)ざれば往(ゆ)かざるを取れるな
り」とある。裏返せば、孔子の才を見抜くのが招く側の器量ということだろう。
▼自民党総裁選がきのう告示され、2 人が立候補を表明した。
「平時じゃないから招かれた」
格好の福田康夫氏がリードしているようだが、たった 1 カ月半前、参院選で大敗しながら
「辞めない」とたんかを切った安倍首相の首に誰もあえて鈴をつけなかったことだけは、
選ぶ人、選ばれる人とも忘れないでほしい。
▼一流の将棋棋士は、棋譜と呼ばれる対局記録を汚すことを嫌う。棋譜は後世に残る。負
けるにしても悪あがきをせず、美しい局面で勝負を投げるのが芸であり、美学である。負
けどころを誤ってこの国の歴史という大事な記録を汚した責任を、最後は孤立無援に陥っ
たかにみえた首相 1 人に帰するのは酷だろう。
▼「論語」によれば、孔子は才能を売り惜しんだのではなく、自分の価値を認め真に必要
とする人間を待ったのだという。2 度の 3 連休がからむ総裁選の期間は、秋祭りの季節で
もある。
「選挙に勝てる顔」という見端(みば)のよいみこしに群がったのは 1 年前。また
見端に目がくらむようでは、担ぎ手の器量が疑われる。
春秋(12/5)
「表情管理」という技術があるとは知らなかった。経営者や政治家に記者会見での振る
舞い方を指導するプロから聞いた。不祥事の謝罪会見でいくら丁寧な言葉を尽くしても、
不遜(ふそん)な目線ひとつで台無しになる。目は口ほどに物を言う。
▼これほど表情管理の技に長(た)けた政治家も珍しいのではないか。ロシアのプーチン
大統領が大口を開けて笑っている写真や映像はついぞ見た記憶がない。下院選の圧勝を伝
える取材カメラマンは苦労したに違いない。世界の新聞やネット報道を調べてみたが、か
ろうじて「微笑」と認定できる顔はほんの数枚だった。
▼素顔は違う。モスクワ郊外の大統領別荘で話を聞く機会があった。あの見慣れた鉄仮面
がカメラが去った途端に緩み、別人となったのに驚いた。笑い声を上げ、冗談を飛ばし、
ウインクまでしてみせる。とめどなく話し続けた揚げ句、ふと腕時計を見て「おや、夜が
明けてしまいますね」と言ってお開きとなった。
▼笑顔が人気を呼ぶとは限らない。徹底した表情管理で演ずる冷酷なまでの無表情。あれ
は本人以上に、大国を自負するロシア国民が心に描く「強い指導者」の投影なのかもしれ
ない。権力基盤を固めたプーチン大統領がひとり執務室で小躍りしている姿が目に浮かぶ。
〈外はみぞれ、何を笑ふやレニン像〉太宰治
天声人語
2007 年 01 月 06 日 ( 土 曜 日) 付
仙台市の青葉女子学園は、全国に9カ所ある女子少年院の一つだ。毎年春になると、創
作オペレッタの準備にかかる。手作りの音楽劇である。
教官が漢字1字のテーマを与える。昨年は「今」だった。それをもとに約20人の少女
たちが手分けして脚本や歌をつくる。目標を持てない少女と、不満や不安、不幸を抱える
四季の妖精たちが出会い、それぞれが生きる力を取り戻す物語に仕上がった。6月の学園
祭で保護者らを招いて上演された。
そうした20年にわたる営みが、今年度の人事院総裁賞に選ばれた。公務員の地道な活
動に贈られる賞だが、今回の主役はむしろ少女たちだ。ピアノの伴奏もする教官の北村信
子さんは「私たちの仕事は彼女たちの力を引き出し、支えることです」と語る。
覚せい剤や傷害、盗みなど非行の内容は様々だが、だれもが心に深い傷を負っている。
それが歌やせりふから伝わってくる。
「なんでこんなにつらいの。なんで私だけこんな思い
をしなきゃいけないの」「素直でいたい。だけどうまくいかない」「私なんて、いない方が
いいんだ。必要のない存在で終わってしまうんだから」
それでも最後は、
「信じる心、胸に、今未来へ旅立とう」と歌う。出演者も合唱隊もみん
な涙ぐんだという。
少女の一人はこんな話をしてくれた。
「夢があるからがんばれる。私には大切にしたい人
がいる。そうしたせりふで、自分の気持ちを客席の親に初めて伝えることができた」。そし
て、「みんなでつくり、励まし支え合ったのも、初めての体験でした」。
2007 年 01 月 24 日 ( 水 曜 日) 付
発明王エジソンが述べたという「天才」についての有名な言葉がある。
「天才とは99%
のパースピレーション(発汗)と、1%のインスピレーション(霊感)によってできるも
のである」。ほとんどは汗と努力によるもので、まれに霊感が閃(ひらめ)くと読める。
このエジソンについて、日本初のノーベル賞を受けた湯川秀樹博士が自著に書いている。
「自分の才能が発現することにたいする方法論的な意識というか、どうしたらいいかとい
うようなことは、ほとんど考えなかったという場合のひじょうに典型的な例だと思います
ね」(『続々
天才の世界』小学館)。
博士によれば、エジソンは「経験的な直観型の天才」だという。その湯川博士が、努力
の末に訪れた閃きに導かれ、あの中間子理論にたどりついたころのものとみられる日記が、
本紙で公開された。
27歳の博士が、生まれた子の名前を決めたり、大学内の野球大会で奮闘したりしなが
ら理論を詰めている。日記のコピーを見ると、後に中間子と名付けられる粒子が、
「〓(ガ
ンマダッシュ)」の記号で繰り返し登場する。天才物理学者の思考の跡が、いわば同時進行
で見える。
エジソンは「私の言葉が誤解されてしまったようだ」とも述べたという。
「99%の汗ば
かり強調されている……99%の汗が実るのは、1%の閃きを大切にしたときなのだ」
(ヘ
ンリー幸田『天才エジソンの秘密』講談社)。
湯川博士の汗と努力が実ったのも、1%の閃きを逃さなかったからこそなのだろう。そ
の汗に、野球で流した汗が入っていたかどうかは、小さな謎だ。
2007 年 01 月 27 日 ( 土 曜 日) 付
「演説」という言葉は、福沢諭吉による訳語だという。「演説とは英語にて『スピイチ』
と言い、大勢の人を会して説を述べ、席上にて我思うところを人に伝うるの法なり」(『学
問のすゝめ』岩波文庫)。
「演説」は出身藩だった旧中津藩で使われていた「演舌書」なる書面に由来するという。
「舌」という語句が俗なために「説」に換えた。福沢本人がそう述べたと慶応義塾のホー
ムページにはある。
昨日の国会での施政方針演説で、安倍首相は、福沢の「出来難(いできがた)き事を好
んで之を勤むるの心」という言葉を引用した。困難なことにひるまず、前向きに取り組む
心こそが、明治維新から近代日本をつくっていったのではないかと述べた。
支持率が下がる中で、明治という時代の勢いにことよせて心意気を示そうとの思いは理
解できる。しかし、演説にカタカナが目につく首相が「カントリー・アイデンティティー」
をまた持ち出したのは、やや理解しにくい。
首相は「カントリー……」は「我が国の理念、目指すべき方向、日本らしさ」だという。
昨年の所信表明演説での言い方の繰り返しだが、その中身とカタカナで呼ぶ必然性が、よ
く見えない。
福沢は、演説や講義での、やさしい行き届いた説明の大切さも説いている。例えば「円
き水晶の玉」を、「円きとは角の取れて団子のような」「水晶とは山から掘り出す硝子(ガ
ラス)のような物」と解き聞かせれば、相手が子供であっても腹の底からよく分かるはず
だという。首相の「我思うところを人に伝うるの法」は、これからのようだ。
2007 年 04 月 27 日(金曜日)付
青春とは人生のある時期をいうのではなく、心のあり方をいうのだ、と言われる。よく
似た意味で、老人には三つのタイプがあるとも言われる。すなわち、まだまだ若い人、昔
は若かった人、そして一度も若かったことのない人。
いまの若者は、老いて、どのタイプになるのだろう。財団法人「日本青少年研究所」な
どが日米中韓の4国の高校生を調べたら、いま一つ覇気に欠ける日本の若者像が浮かび上
がった。
「偉くなりたい」は他国の約3分の1。逆に「のんびり暮らしたい」は43%と他
の14∼22%を断然、引き離していた。
情けないと嘆く人、それも良しと肯(うなず)く人、考え込んでしまう人。感慨はそれ
ぞれだろう。クラーク博士の「青年よ大志を抱け」は死語になったかと、ため息をつく人
がいるかもしれない。
調査ではまた、「自分の会社や店を作りたい」が他の半分以下に沈む一方、「多少退屈で
も平穏な生涯を送りたい」は上回った。立身出世に血道を上げることもないけれど、若く
して閑居を望む声が多いのはどうしてなのかなあ。
「青年は決して安全な株を買うな」と言ったのは、フランスの詩人コクトーである。作
家の沢木耕太郎さんは、生命保険に加入したときに人は青年時代を終える、と書いている。
向こう見ずは青年の美徳、とまで言うと、少し言葉が過ぎるだろうか。
調査をした団体によれば、学級委員でさえ最近はなり手が減っているそうだ。
「いまどき
の若者は……」と言いかけた口をつぐんで、そっと不安をのみ込むことにする。
2007 年 04 月 28 日(土曜日)付
ある落語家が刑務所へ慰問に出かけた。受刑者を前に、第一声は「エー、満場の悪人諸
君!」。永六輔さんの「芸人
その世界」
(岩波書店)に収められている一(ひと)コマだ。
笑う人もいれば、
「言われる身になれ」と苦る人もいるだろう。人権感覚を疑問視する向
きも、あるに違いない。だが、こういう場合はえてして、背景やいきさつを知らずに判断
すると、的を外すことが多いようだ。
たとえば落語家が過去にもその刑務所を訪ね、交流を重ねていたとしよう。それなら荒
っぽい毒舌も、親しみをもって感じられるかもしれない。互いの間柄いかんで、言葉は丸
くもなれば、とがりもする。
「地獄へ直行」と書いた紙を廊下に張って、遅刻者の指導をした中学教諭がいた。
「イエ
ローカード」
「校長面談」などとも書いた紙に、遅刻の回数に応じて生徒の名を付箋(ふせ
ん)でつけていた。配慮を欠いた指導と問題視され、校長が謝罪する騒ぎになったが、川
崎市教委は先ごろ処分を見送った。
「生徒との信頼関係の中での指導だった」と判断したそ
うだ。
問題が表面化すると、生徒らから市教委に、
「先生を責めないで」といったメールが寄せ
られたという。少々荒っぽい指導でも受け入れる信頼感が、クラスにあったということだ
ろう。
教師の言動がいじめに結びつくこともあるから、判断はなかなか繊細だ。しかし先生た
ちの持っている“人間力”も封じ込んでしまう杓子(しゃくし)定規は、学校の魅力まで
一緒にそいでいくように思える。角を矯(た)めて牛を殺す。そんな故事もある。
2007 年 06 月 10 日(日曜日)付
消防署の裏手で育ったので、「119番」には妙な親しみがある。拡声機から流れる緊
迫のやりとりに身を硬くしていると、消防車や救急車がサイレンも高らかに飛び出してい
く。毎回、これぞ人助けの華だと思った。
華が多すぎるのも考えものらしい。救急車の出番が増え続け、助かる命も救えない恐れ
があるという。05年の全国の出動数は、10年前の1.6倍にあたる528万件。最寄
りの救急隊が出払っているなどの理由で、到着までの平均時間は6分を超えて延びつつあ
る。
問題は、救急車をタクシー代わりに使う行為だ。全国に先駆け、東京消防庁が今月初め
に動いた。救急隊が現場で「緊急性なし」と判断すれば、救急車を使わずに病院に行くよ
う説得する試みだ。
東京では45秒ごとに救急車が出動している。ただの鼻血や手足の傷ならご遠慮を、と
なるのは当然だろう。ただし、同意が得られなければ軽症でも運ぶ。公共サービスの限界
だ。
自分や近親者の容体は重く見えるもので、救急隊との会話で我に返る保証はない。動転
の中で「次の人」を思いやるのが難しければ、平時から、自分なりの119番の基準を考
えておくのもよかろう。
日本の消防署が初めて救急車を備えたのは、74年前の横浜だった。1年目の出動は2
13回で、市民が見物に来たそうだ(『救急の知識』朝日新聞社)。そんな神々しさはうせ
たが、白い車体は今日も、か細い命の火を運ぶ公器だ。軽率な「ちょい乗り」のために消
える火もある。その程度の想像力は持っていたい。
2007 年 08 月 04 日(土曜日)付
さすがの「不敗の代名詞」も緊張の糸が切れたのか、翌日、翌々日と連敗した。双葉山
は後援者に「我、いまだ木鶏(もっけい)たりえず」と電報を打ったという。木鶏は、中
国の故事で、最強の闘鶏のたとえ。木彫りの鶏さながらに、動じることなく勝負に臨む。
無心の境地をあらわす言葉だ。
相撲は心、技、体だと言う。技と体はともかく、心はまだまだ。電報は、未熟を恥じる
意味だったろう。土俵内外でのひたむきな姿勢で、双葉山は求道者(ぐどうしゃ)とも仰
がれた。名横綱に比べるのは無粋だが、いまの朝青龍騒動に、古き良き伝説を懐かしむフ
ァンもいるだろう。
看板役の朝青龍のいない夏巡業は、きのう群馬県を皮切りに始まった。日本相撲協会は
「おわび企画」として、急きょ力士の握手会を開いた。騒動は、横綱を甘やかしてきた協
会の、大きなツケでもある。
戦後の大横綱だった大鵬について、名アナウンサー北出清五郎さんが回想している。当
時の二所ノ関親方は、大鵬の素質を見込んで英才教育を施した。ほかの弟子とは違う特別
扱いである。その一方で、とりわけ厳しく第一人者となるべき心構えを説いたそうだ。
大横綱がそびえ立ち、巨木を倒そうと下位の力士が精進を積む。過去の隆盛期には、き
まって理想の形があった。真の巨木になれるのかどうか。ここが朝青龍の土俵際である。
2007 年 10 月 30 日(火曜日)付
防衛省の守屋武昌・前事務次官の座右の銘は「一人を以(もっ)て国興(おこ)り、一
人を以て国亡(ほろ)ぶ」であったらしい。中国の宋代の文人だった蘇洵(そ・じゅん)
が、遠く春秋時代の名相・管仲(かん・ちゅう)を評した言葉を元にしたのだろう▼気宇
壮大は結構なことだ。だが生身の人間の悲しさか、現実となると話はみみっちくなる。ゴ
ルフにマージャン、焼き肉……。利害関係の明らかな相手から、接待漬けにされていた。
夫婦そろって偽名でプレーしていたと聞けば、蘇洵もあの世で渋い顔に違いない▼その守
屋氏がきのう、国会で証言した。軍需専門商社の元専務との親密ぶりは、癒着そのものだ。
夫婦でゴルフセットも贈られていた。
「人間として甘かった。やってはならないことを、し
てしまった」と倫理規程違反をわびた▼しかし、そこまでである。便宜供与については、
「一切ない」と繰り返した。時折しどろもどろになるのは正直な人だからか。議員側の追
及には、いま一歩の鋭さがない。事の次第がつまびらかになったと思えない国民も、いた
ことだろう▼醜聞は福田政権を揺さぶっている。首相はおとといの自衛隊観閲式で、
「規律
の保持」を厳しく訓示した。その首相も、『一国は一人を以って興り、一人を以って亡ぶ』
と題する共著を、かつて出している。蘇洵の言葉の皮肉な巡り合いである▼守屋氏は先月、
離任のあいさつでも「心のよりどころ」だと言って座右の銘を紹介していた。一人を以て
国防への信頼を損ねた背景と、不祥事に至った真相。もっと、くわしく知りたいと思う。
2007 年 11 月 11 日(日曜日)付
ソロンといえば古代ギリシャの七賢のひとりで知られる。諸国巡りの旅に出たとき、あ
る王に「世界一幸せな人物は誰か」と問われた。王は「自分こそ」のつもりだった。だが、
ソロンが別人の名をあげたので怒る▼ソロンはあわてずに、答えて言った。
「あなたに莫大
(ばくだい)な富があることは知っている。だが生涯を終えるまでは何とも言えない。こ
のうえに結構な死に方ができて初めて、幸福な人物と呼ぶに値するでしょう」。ヘロドトス
の『歴史』
(岩波文庫)が述べる逸話である▼功なり名とげた人生も、死に方ひとつで幸不
幸の彩りは変わる。ソロンの言う「結構な死」とは、名誉ある死だった。いまなら尊厳あ
る死だろうか。それを大きく左右するのが、終末期医療だろう▼過剰な延命を望む人は、
いまや多くあるまい。さりとて「自然な終わり」を迎えるのは簡単ではない。国などの音
頭取りで、延命中止のルールづくりが進んでいる。だが素人目には、死にゆく人を主人公
にした印象は薄い。医師による、医師のためのルールでは、という懸念がぬぐえない▼夏
に封切られたドキュメンタリー映画『終りよければすべてよし』も、幸せな最期がテーマ
だった。生きることを支える力と、人の死への思想が、そのための両輪だと、羽田澄子監
督はメッセージを込めている▼先ごろ、小紙「ひととき」欄で「95歳で天国に凱旋(が
いせん)した母」という文章に出会った。
「凱旋」の語にひかれ、結構な旅立ちは、両の輪
がうまくかみ合ってのものだったろうと、独り想像した。
2007 年 11 月 24 日(土曜日)付
子供の動作にすぐ反応が返るような状況を、保育学では応答的環境と呼ぶそうだ。五感
はその中で豊かになる。
「応答的」な遊び相手なら、思い通りに姿を変える粘土がもってこ
いだろう。手のひらや指先に、遠い感触がよみがえる▼「粘土には予想のつかない変化の
力が働くので、意外な形になり、子どもは新しいイメージを次々に発見していきます」
(中
川織江『粘土遊びの心理学』)。小さな手の中で土くれは形になり、つかの間の命を与えら
れる▼医療の場に「夢の粘土」が現れた。ヒトの皮膚細胞に4種の遺伝子を入れたら、ど
のようにも育つ万能細胞になったという。細胞が七変化した末の皮膚という形を、白紙の
可能性を秘めた「無形の粘土」に戻すことができた。京都大学、山中伸弥教授らの成果は
ノーベル賞級と聞く▼脊髄(せきずい)や心臓などを患う人には朗報だ。実用化にはまだ
時間がかかるが、治療に必要な組織を自分の皮膚から育てる期待が膨らむ。万能細胞を起
点に、再生医療への道が開かれるに違いない▼医学の日進月歩を思う。1億人を救う新技
術が、明日の朝刊に載るかもしれない。1日生き延びれば、その病は治せるかもしれない。
京都発の「世界的スクープ」はそんな希望を抱かせる▼再生医療には、生命倫理の視点が
欠かせない。旧約聖書の創世記によると、神はアダマ(土)のちりで人間(アダム)を形
づくり、その鼻から命を吹き込んだという。いま、人類は土を得た。とはいえ、神ならぬ
身である。ここは大急ぎで、そして慎重に形にしたい。
2007 年 12 月 07 日(金曜日)付
お金を拾った話でよく知られるのは、落語の『三方一両損』だろう。左官屋が三両を拾
う。落とし主は大工と分かるが、
「もう俺(おれ)の金ではない」と受け取らない。届けた
方も「いらない」と言って喧嘩(けんか)になり、大岡越前守(えちぜんのかみ)の妙案
で丸く収まる。そんな筋だ▼正直者に手をたたくのは、せち辛い現実の裏返しでもあろう。
先ごろも茨城県で、1000万円の当たり宝くじを置き忘れた人がいた。報道されると、
19人が名乗り出たそうだ。越前守ならぬ警察が吟味して、本当の持ち主を特定した▼こ
うした手間が、来週から増えるかもしれない。遺失物法がほぼ半世紀ぶりに改正され、拾
得物がインターネットで公表されるからだ。落とした人は捜しやすくなる半面、偽者によ
る「なりすまし」が心配されている▼昨年届けられた拾得物は1222万点、現金は13
9億円にのぼった。不心得を防ぐために、警察は「本人しか知らないこと」は公表を控え
るそうだ。財布なら、色や大まかな形は明かすが、ブランドは明かさない。中身の額も伏
せることになる▼とはいえ、それもこれも前提がある。まずは正直者に拾われなければ、
ネットに載ることもない。139億円に集計されず、不実な懐に消えた額はいかばかりだ
ろう▼大事なものをなくせば、だれでも不運を呪う。だが無事に戻ったとき、不運を帳消
しにする人の情に感じ入るのも、経験することだ。軽い気持ちでも「なりすまし」は、届
けた人の善意まで奪う企(たくら)みだろう。そのほうが、むしろ罪深いのかもしれない。
2007 年 12 月 19 日(水曜日)付
火事に鳴らす半鐘は、危険の度合いで鳴らし方が違った。火が遠ければジャーン、ジャ
ーンと間遠にたたく。近づくほどに早鐘となり、いよいよ迫ると、たたく物を半鐘の内側
に入れて、かき回すように鳴らしたという▼119番を受けた消防職員は、火がどれぐら
い迫っていると判断したのだろう。3年前、さいたま市の「ドン・キホーテ浦和花月店」
で放火事件があった。その際の通報対応に落ち度があったと、焼死した従業員らの遺族が
市を訴えた▼通報は契約社員の女性がした。テープに残る消防の受け答えは、たしかに冗
長な印象を受ける。「火が出てんの?」「お宅さんの名前は?」……。筆者には火事を通報
した経験はないが、意外にぞんざいな物言いでもある▼避難を勧める言葉もない。女性は
身の危険を感じたのだろう。1分49秒後、
「すいません。私出ます」と電話を切った。そ
れが最後の言葉になった。録音を聞くと、助かる可能性を刻一刻と消していく秒針の音が、
頭の中に響く思いがする▼米国の9・11テロで出動した消防士から、
「我々はハートが二
つある」と聞いたことがある。早鐘のように自らを鼓舞する心臓と、冷静に平脈を保つそ
れだ。問題のやり取りは、プロらしい平静を保った対応なのか、それとも緊張を欠いてい
たのか▼119番の対応に、全国的な基準はないという。折から火事の多い季節である。
万一の通報のときは、わが身第一と心得たい。通報を受ける側も、
「危急の半鐘」を聞き分
けるプロの耳を澄ましてほしい。
2007 年 12 月 25 日(火曜日)付
ものごとや人を評するのはむずかしい。同じほめ言葉、けなし言葉を使っても、言う順
序で印象は変わる。たとえば「誠実だが、仕事が遅い」と「仕事は遅いが、誠実だ」では、
だいぶ違う▼薬害C型肝炎訴訟を巡る福田首相の判断は、どう評せばいいだろう。原告側
も言うように、「解決へ向けての大きな一歩」ではある。だが、遅すぎたのは否めないし、
何より内閣支持率の急落が背景にある。人心がさらに離れては政権はもつまい。
「英断だが
計算ずく」と言うべきか、
「計算ずくではあるが英断」だと見るべきか▼そう斜に構えなく
ても、という向きもあろう。だが、ことは政治家の、命への向き合い方にかかわる話だ。
国民の命を守る強い意志が、政治にあるのだろうか。それとも、その時々の空気次第とい
う、頼りないものなのか▼首相の判断を見守るかのように、民主党の山本孝史参院議員が
逝った。がんを公表し、余命と向き合いながら活動を続けてきた。がん対策基本法や自殺
対策基本法の成立に尽くした。氏をよく知る同僚は、
「いのちの政治家」と呼んで死を惜し
む▼山本さんは首相の判断を「英断」と評したくはないだろう。命は、日々の、当たり前
の政治の中で守られていくべきだ。そんな信念を抱き続けたと聞く。特別な英断に頼るの
は、氏にとって、政治の冷酷の裏返しに他なるまい▼本当に一律救済になるのか。国の責
任をどこまで明確にするのか。行きつく先はなお不透明だ。
「遅かったが、誠実だった」と
評される結末に期待する。
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