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2011年6月10日 学習会 「学ぼう!韓国の元気な労働運動に」 - So-net

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2011年6月10日 学習会 「学ぼう!韓国の元気な労働運動に」 - So-net
反貧困ネット北海道 2011年度連続学習会(第1回)
韓国の労働運動に学ぶ
日時:2011年6月10日(金)
会場:北海道自治労会館/札幌市
1
記録
韓国の元気な労働運動に学ぶ
鈴 木
一
はじめに
「札幌地域労組」という労働組合で書記長をしております鈴木と申します。私たちの組
合は、日頃、札幌市周辺を中心に様々な労働相談を受け、その対応として組合づくりを支
援したり、相談者が組合を設立できる環境にない場合には、私どもの組合に個人加盟をし
てもらうなどして、問題を一つ一つ解決していくことを主な仕事としています。
労働運動が徐々に衰退している日本では現在、社会的には労働者の権利が抑圧されてい
る状況にあります。それに対しお隣りの韓国では、なかなか元気な労働組合運動があると
私自身も聞いており、そうしたなかで、たまたま3・11震災が起きる直前の2月21日~24
日、札幌地域労組の有志で韓国を訪れる機会がありました。新千歳空港からの直行便で約
3時間の距離です。
本日は、韓国で今回見聞きしてきたことを中心に、帰国後に学習したことも含めて、韓
国の労働運動に私たち日本の労働組合運動がいま学ぶべきこととはどのようなことか、お
話ししたいと思います。
1.韓国の労働組合ナショナルセンター
韓国には、2つの労働組合のナショナルセンターがあります。ナショナルセンターとは、
その国の労働運動を束ねる全国中央組織です。
日本の場合、現在は連合(日本労働組合総連合会)、全労連(全国労働組合総連合)、
全労協(全国労働組合連絡協議会)の3団体があります。
韓国の2つのナショナルセンターとは、韓国労総(韓国労働組合総連盟)と民主労総(全
国民主労働組合総連盟)です。
韓国では、1961年に軍人の朴正煕(パク・チョンヒ)がクーデターを起こして権力を掌
握して以降、軍事独裁政権の時代が始まりましたが、その際に軍事政権がテコ入れして誕
生したのが韓国労総です。
一方の民主労総は、政府にナショナルセンターとして公認されたのは1999年ですが、軍
事政権下で非合法に民主化闘争を担ってきた人たちの活動を背景としており、1995年に非
合法組織としてスタートしています。
2
2.民主労総の組織化戦略
私は今回の韓国訪問で、韓国労総と民主労総の両方を訪ねてきましたが、特に民主労総
の組織化戦略について詳しく話を聴いてきました。個々の労働者を組合員として組織化し、
使用者と対等な立場をつくり、権利を実現していくことが、労働運動の最も本来的な目的
です。
民主労総は現在、独自の組織化戦略をつくり、これに積極的に取り組んでおり、具体的
には、20億ウォン(約1400万円)の寄付金を集め、5つの産別組合に派遣して活動家15人
を養成し、2010年からは第二期の戦略組織化に取りかかっています。
ここでの取り組みについて、民主労総全国公共サービス労組京畿(キョンギ)支部の事
例を紹介します。同支部では、大学の清掃や警備に携わる労働者を主なターゲットに据え、
大学の集中している地域に活動家が入り、各大学の構内に直接出向いていって、休み時間
などを利用してこれらの労働者を勧誘し、次々と組織化していくという手法をとっていま
す。日本と同様に、韓国でも、労働者の多くは労働者の権利に関する教育をきちんと受け
ておらず、事実上、無権利状態に置かれています。そのため、組織化にあたっては、労働
者の権利について労組があらためて教育し、そのうえに立って、最終的に組合結成につな
げていきます。
3.弘益大学闘争の経過
民主労総の組織化戦略
が進められるなかで、
「弘
益(ホンイク)大学闘争」
という労働争議が2011年
1月に発生しています。
民主労総では2010年12
月2日をもって、
弘益大学
校で働く警備・清掃労働者
の組織化(組合結成)を果
組合結成の後、弘益大学の構内で座り込む清掃労働者
たしました。韓国の大学でも、構内労働者の多くは、大学の直接雇用ではなく、ビルメン
等民間会社の下請けです。当時の同大学構内における下請け労働の状況は、ヤンウ総合管
理の被傭者が計100人(警備55人、清掃45人)、インクヮンエンジニアリングの被傭者が計
74人(警備39人、清掃35人)という内訳でした。
日本でも、もしこのような雇用形態の労働者から相談を受けたならば、どうするか悩ま
3
ずにはいられないものです。つまり、組合をつくって、使用者を相手に団体交渉を求め、
労働条件の改善を求めて様々な要求をぶつけていくにしても、雇っている会社が別で使用
者が異なるので、会社ごとにバラバラな対応をされることが予想されますし、要求する内
容は同じでも、雇用される会社の異なる労働者同士をまとめることは容易ではありません。
日本でこの問題に対応するとすれば、下請けの会社ごとに別個の組合をつくり、それぞれ
の使用者に対して団交を求めることになるかと思います。とはいえ、ここで下請けに出さ
れている警備・清掃の業務は、弘益大学校と2つの民間会社との間の委託契約に基づいて
いるので、各社の労使関係の中身がどうあれ、委託契約が切られると、2社の被傭者たち
は失業することになります。日本の状況に引きつけて考えると、組織化を図る労働組合の
側としては、組合を結成しても上手くいかず、委託契約を切られて解雇されるという最悪
のケースを想定せざるを得ず、本当にそうなれば、組合などつくらなければよかったと、
労働者の側から恨まれる可能性もあるので、多くの労組関係者は腰が引けます。しかし、
現在の韓国の労組は、そのようなことはお構いなしに組織化を進めてしまうパワーがあり
ます。
この弘益大学校のケースでは、民主労総が2010年12月2日をもって組織化に成功したの
は、この2社計174人の下請け労働者のうち140人(80.5%)にも上ります。組合結成から
程なく、約20%の時給引き上げと、賞与、食事手当、盆・正月の休暇などを要求しました。
団体交渉は開始されたそうですが、その後全く進展せず、2011年1月3日をもって、想定
される最悪の状況に至りました。「請負契約の終了」で174人全員が解雇されてしまったの
です。ところが、これを受けて、大学総長室の前で労働者たちが座り込み・籠城を開始し、
結果的に、2月19日に至って、他の委託会社も含めながら、雇用確保、労働条件の改善(盆・
正月の出勤手当支給など)の内容で全面解決を見ました。恐らく大学当局を動かして解決
したものと見られます。
労働者側の勝利に終わらない闘争も数多くあるなかで、なぜ弘益大学校闘争が成功に終
わったのかということについては、いくつかの要因が考えられます。
一つは、「暖かいご飯、一食キ
ャンペーン」の展開です。大学の
清掃労働者は、昼食をとるという
ときに、食べるための場所がなく、
寒い廊下や階段に腰掛けて、冷た
いご飯を食べているという実態
があります。この状況はあまりに
も酷いのではないかと始まった
女優のキム・ヨジンが支援集会に駆けつける
YOU
Tube より
のが、「暖かいご飯、一食キャン
ペーン」であり、これが世論の連
4
帯を醸成していくのに一役買いました。これにより、2カ月で5000万ウォンの寄付金が集
まったほか、小説家の李外秀(イ・ウェス)や女優の金汝真(キム・ヨジン)といった著
名人の応援も得られました。先述した座り込み・籠城には、一般市民や学生も参加してい
ます。
二つは、何と言っても、指揮を執った民主労総ソウル京畿支部が、断固闘争の方針を掲
げ、しっかりとしたサポートを行ったことが大きいと思います。
※
弘益大学闘争に関する報告は、JIL(日本労働研究・研修機構)の呉学殊(オウ・
ハクスゥ)先生からいただいた資料を参考にさせていただきました。
4.民主労総本部を訪問
訪れました。
同本部に行くと、組合のシンボルマークを至ると
ころで目にしました。マークは青、白、赤の三色の
人の横顔から成り、この配色は韓国の国旗と同じだ
ということに後で気づきました。
私たち日本で労働運動に関わる者にとってみれば、
国旗の色を組合のシンボルカラーに使うという感覚
には違和感を覚えますが、韓国の国旗は「太極旗」
民主労総の看板(忠南地区本部にて)
今回の韓国訪問の初日、私たちは民主労総本部を
とも呼ばれ、日韓併合時代(日帝時代:1910年8月2
2日~45年8月15日)に、民衆が日本からの独立を勝
ち取っていく闘いのなかから生まれた旗です。そう
した歴史的な背景を踏まえるならば、労働組合が国
旗を尊重することには何の不自然もないと理解されます。また三色の顔には、肌の色に関
係なく労働者の権利を守る、という理念が込められているとのことでした。
私たちが民主労総本部を訪れたとき、その玄関には、いくつかのポスターが貼ってあっ
て、現在進められているキャンペーンの内容を知ることができました。
一つは、雇用保険の加入を促すキャンペーンです。韓国では、労働者の雇用保険への加
入率が低調で、全労働者の4割程度にとどまるそうです。日本でも同様の動きがあります
が、個人請負なり、偽装請負なり、労働者性を否定するような扱いにして、雇用保険をか
けない使用者が増えているからです。韓国では、特にトラックのドライバーのほとんどが
個人請負にさせられているそうですが、民主労総はこうしたドライバーたちの組織化とと
もに、雇用保険の加入も進めています。
5
このほか、大きなハサミで派遣の
糸を切るというイラストが印象的な、
派遣法の批判のポスターも貼られて
いました。ポスターには、「社長は
労働者をきちんと雇え」という批判
とともに、労災事故や残業代未払い
といった派遣労働の現場で実際に起
きている問題を列挙していました。
経営者よ、真面目に雇え!
派 遣 労 働 を 批 判 す る
民 主 労 総 の ポ ス タ ー
5.外国人研修制度への対応、日韓の差
民主労総本部を訪れた際、組合関係者との懇談を行いましたが、その中で話は外国人研
修制度の問題に及びました。
日本にも1993年より外国人研修生を受け入れる制度があり、例えば北海道では、オホー
ツク沿岸や根室周辺の水産加工場などを中心に、中国などから多くの外国人研修生が来て、
最賃以下の時給300円という低賃金で働かされています。制度上、最初の数カ月は研修生で
も、研修終了後からは実習生として「労働基準法」が適用になるはずです。しかし、中に
は良心的に法を遵守していると
ころもあるとはいえ、あちこちで
低賃金労働などの問題が起きて
いるのも事実です。よく見られる
ケースは、研修生のパスポートを
取り上げ、実習生になっても時給
は300円のまま、というものです。
実習生側も、なるべく多く稼いで
故郷に送金したいという事情が
民主労総の組織化戦略を解説する未組織非正規室の
イ・ジョンホ室長(左)とイ・スミ指導員(右)
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あるため、時給が300円でも積極的に働くし、残業もしますが、残業代も時給300円でカウ
ントされているようです。365日1日も休まず働かされているケースもあるそうです。
どこの国から来た人であっても、日本国内で働く場合、「労働基準法」や「最低賃金法」
が適用になるので、1日8時間労働を超える場合には時給は2割5分増し、午後10時を過
ぎる場合にはさらに2割5分増しで1000円近くになるはずです。しかし、不正の行われて
いる外国人研修制度の現状では、先述の通り時給は300円のままであり、経営者としては笑
いが止まらないということになるのでしょう。
数日前の新聞報道(『北海道新聞』2011年6月6日朝刊)によると、北斗市の水産加工
場で働いていた中国人研修生たちが、最低賃金を下回る時給で働かされたなどとして、加
工場を経営する企業や研修生の受け入れ機関などを相手取り、未払い賃金・残業代の支払
いを求めて、函館地裁に訴訟を起こすそうです。
外国人研修生と言えば聞こえは良いかもしれませんが、制度運用の実態からすれば、事
実上「奴隷」と言っていいだろうと思います。私たち労働運動に関わる者から見れば、こ
こには人権も労働者の権利も何もない悲惨な状況が現にあります。この問題に対する日本
の労組側の対応は、現状では全く不十分と言わざるを得ません。東京の上野にある「全統
一労組」という小さなユニオンが積極的に中国人の研修生問題に取り組んでいますが、ナ
ショナルセンターはこの問題に対してほとんど何もしていません。
民主労総の役員とこの問題について話すなかで、彼らの口から「私たちは日本の労働運
動を超えました」と誇らしげに言われました。彼らにそう言わせたのは、韓国ではすでに、
外国人研修制度を奴隷制度とみなし、民主労総と韓国労総で力を合わせ、労働界を挙げて
この制度に反対し廃止をさせているからです。私としては、彼らがそう言うことに不自然
さを感じず、本当にその通りだと思いました。
韓国の労働運動にさらに感服させられたのは、研修生問題に限らず、外国人労働者の組
織化に積極的に関わっていることです。韓国の建設現場には、外国からの出稼ぎ労働者が
多数入っています。多いのは、ベトナム、フィリピン、中国、バングラデシュ、ネパール
などで、これらの国々から出稼ぎに来た労働者たちが低賃金労働を強いられ、無権利状態
に置かれています。このような状態に置かれている労働者が増えていく状況を放置するこ
とは、やがては自分たち韓国の労働者の労働条件を悪化させることにつながります。彼ら
はそれを見越して、自分たちの労働条件を守ることでもあるとして、先見的に外国人労働
者の問題に関わっていると言えます。現在の取り組みとしては、外国人労働者に呼び掛け
るパンフレットをつくって配布したり、この問題に専門的に対応するオルガナイザーを配
置したりしています。パンフレットでは、国内の賃金相場を教えながら、組合加入を呼び
掛けています。併せて、就業時間の記録を促し、残業代未払いの摘発のサポートもしてい
ます。
7
6.現代自動車の非正規労働者のハンガーストを視察
民主労総本部の視察を終え、私たちは民主労総・未組織非正規室のイ・ジョンホ室長の
案内で、現代(ヒュンデ)自動車で働く非正規雇用労働者(構内下請け、偽装請負など)
が直接雇用を求めて闘っているハンガーストの現場に行きました。同社は韓国の自動車メ
ーカーの最大手であり、自動車のほか、大型車、重機、電車なども製造しています。ここ
で驚かされたのは、現
代自動車の正職員の
組合が、非正規労働者
の問題を取り上げ、組
合結成を支援してい
ることです。
日本で2008~09年
頃に「派遣切り」とい
う問題が横行し、大手
自動車メーカーや電
手前のテントの中では現代自動車の非正規労働者がハンスト
中。後ろは曹渓寺の本院。2011.2.21
機メーカーなどの工
場で、製造業派遣の労
働者たちが次々に不当解雇されていったとき、同じ会社の正職員の労働組合が、それら派
遣切り被害に遭った労働者たちを守ったという話は聞いたことがありません。当時、私の
知り合いの新聞記者が、ある国内の大手自動車メーカーの労組本部に電話取材し、「なぜ
皆さんの工場であれだけ多くの人たちが派遣切りの被害に遭っているのに、その問題に取
り組まないのですか」と尋ねたところ、「組合員ではないから、とだけ回答が来た」と言
って驚いていました。
これに対し韓国の場合、日本とは逆に、大手企業ほど民主労総加盟のしっかりとした組
合が存在し、非正規労働問題をはじめとして自らの足下にある問題に積極的に関わってい
ます。
現代自動車のケースでは、すでに、労働者側が裁判闘争に勝利し、裁判所は使用者に対
し、派遣や請負ではなく直接雇用(正規雇用かどうかは定かではないが)をするよう命じ
ています。しかし、韓国は労働組合も元気ですが、企業側も悪い意味で元気で、司法判断
がどうあれ、労組に対抗するために、暴力団紛いのガードマンを雇って、例えば構内での
座り込みを妨害したりしています。場合によっては、組合が出来るような会社ならば要ら
ないと、会社ごと潰してしまうような極端なケースもあるそうです。現代自動車に限らず、
韓国の労働争議の現場では、現在も至る所で、このような暴力と暴力の衝突が起きていま
す。
8
私たちが訪れた現代自動車の非正規労働者のハンガーストは、先述の直接雇用を命じた
判決を遵守し、きちんと自分たちも直接雇用するよう求めるものであり、すでにスト開始
から13日目に差し掛かっていました。
なお、このハンガーストは、ソウル市内の曹渓寺という寺院の境内で行われていました。
この寺は韓国の大韓仏教曹渓宗(禅宗系)の総本山です。これは労働者側の一存でストの
会場と決められたわけでは
なく、寺院側がその目的に賛
同し、支援していることによ
ります。日本の寺院では考え
難いことですが、境内に掲げ
られたスローガンには、李明
博(イ・ミョンバク)大統領
や彼の所属するハンナラ党
に対する批判や、大統領や同
党関係者の境内への立ち入
り拒否などが書かれていま
曹渓寺の山門。現政権を批判するスローガンを掲示。
した。
7.独立記念館の視察
訪韓2日目、私たちはソウルから特急列車で1時間ほどの距離にある天安(チョンアン)
市を目指しました。天安駅からは、全国一般労組協議会の崔満錠(チョイ・マンジョン)
議長の案内で、国立の「大韓民国独立記念館」を訪れました。記念館の観覧は無料です。
記念館は7つの展示館や劇場などから成り、原始時代から現代に至るまで、韓国史の様々
な展示物を陳列していますが、最も重点を置いているのは日帝(大日本帝国)との闘いに
関わるもので、これに3つの展示館が使われています。日帝支配への抵抗闘争の象徴であ
る「三・一独立運動」(1919年)を表
すモニュメント、あるいは戦時中に日
本軍によって行われた強制連行や従軍
慰安婦に関わるものなど、数多くの展
示物を見てきました。
このうち特に従軍慰安婦に関する展
示は、その内容が極めて深刻であり、
シャッターを押せませんでした。もし、
大韓民国独立記念館(天安市)
自分の妻や娘たちが他国の軍隊からこ
9
のような辱めを受けたら、と考えると胸が押しつぶされる思いです。日本で労働運動を担
う者として、このような歴史的事実から目をそらしてはいけないとあらためて思いました。
また、ここの展示物の中に、「元山(ウォンサン)ゼネスト」に関わるものもありまし
た。元山市は現在の北朝鮮に属す港町で、日帝時代には資材などを送り出す物流の拠点だ
ったところです。街のミニチュアを見ると、建物にかかっている看板はほとんど全てが日
本語であり、当時の彼らの言葉を奪った同化政策の一端がうかがえます。
ここで1929年、「三・一独立運動」から約十年後ですが、イギリスのライジングサンと
いう外資系会社において、現地の日本人監督が労働者に暴行を働き、これを発端にゼネス
トが発生したことがありました。そして、これについて後に調べたところ、神戸と小樽に
もライジングサンの経営する会社があり、そこの労働者が元山に連帯してストライキを起
こしたことがわかりました。
当時の日本はどういう時代であったかというと、1929年は小林多喜二が小説『蟹工船』
を発表した年です。そして、小林多喜二はその4年後の1933年に特高警察に捕まり、東京
の築地署で虐殺されています。そのような情勢下、連帯のストライキをうつことは本当に
命がけだったと思われますが、神戸と小樽ではこれを実行したということです。正確な記
録がほとんど残っていないことは残念です。
記念館を案内してもらった労組関係者の説明によると、韓国では民主化や独立をかちと
っていくなかで労働運動が果たした役割は大きく、記念館にはこれに関係する展示物も相
当程度に保存されていますが、保守系の現政権の発足以降、毎年一回の展示物の入れ替え
の度に縮小されていっているそうです。国立の施設ゆえ、時の政権の意向がダイレクトに
反映されるわけです。
8.民主労総忠南地域労組との交流
独立記念館の見学後、牙山(アサン)市
にある民主労総忠南地域労組(CGU:チ
ュンナム地域労組)の皆さんと交流してき
ました。ここは私たちの組合と同じ地域労
組です。
「忠南」とは、日本の都道府県に相当す
る忠清南道(チュンチョンナムド)の略で
す。
忠南地域労組の組合員の数は1000人ほ
どで、専従者は恐らく5~6人です。専従
者のうちの一人は、外国人労働者の組織化を担当する専門のオルガナイザーです。ナショ
10
ナルセンターの積極的な取り組みとは別に、地方組織にも外国人労働者の組織化担当者を
配置していることに感銘を受けました。
忠南地域労組には委員長が2人います。日本の感
覚からすると不思議ですが、どちらかがいつ逮捕さ
れても大丈夫なように2人置いているのだという説
明をされました。半分冗談のようにも聞こえました
が、交流した幹部たちは皆、若い頃に何度も逮捕・
投獄された経歴があり、そうした事実を踏まえると、
忠南地域労組のチェ委員長とクォン委員長
あながち冗談とも思えません。かつての「反共法」
(1980年廃止)の時代は去り、最近でこそ、外で「インターナショナル」を歌おうが、マ
ルクスの『資本論』を読もうが、そう簡単に逮捕されるようなことはなくなったようです
が、彼らが言うには、自分たちは組合員のためにいつでも逮捕される覚悟がある、とのこ
とでした。
余談ですが、交流前に天安市の名物である「スンデ」という鍋料理の昼食をご馳走にな
ったとき、韓国のお酒マッコリがふるまわれ驚きました。昼間から飲むのかなと思ってい
たら、逆に「あなたがたは昼間から酒は飲まないのですか」と聞かれました。彼らは昼間
からでも飲むそうで、それはアルコールが入った方が本音の議論ができるからだそうです。
これは彼ら組合関係者だけの話ではなく、翌日に訪問した労働研究機関の先生も「昼間か
らビールを飲みながら議論することがある」と言っていました。
余談をもうひとつ。ソウル市内で路線バスに乗ったとき、運転手がカーラジオを聴きな
がらバスを運転しているのを目の
当たりにし、大変驚きました。後で
知ったのですが、韓国ではこれは一
般的なことで、どの番組を聴いてい
るかで乗客たちは運転手の好みや
性格を推測するそうです。札幌地域
労組のなかでバス会社の労使紛争
をかかえる私としては、
「日本なら、
一発で懲戒解雇されるかも?」と
の思いが脳裏をよぎりました(韓
国では運転中や、電車の中での携
帯電話もOKです)。
大らかな韓国社会を羨ましく感
ソウル市内の路線バス。日本の大型バス(全長 12m)
よりも1m ほど長い。立って乗ると、加速で振り回
されるほどエンジンが強力。大型バスのノークラッ
チ化や料金精算のタッチパネル化などは日本の公
共交通よりも進んでいる。バス料金が日本円で 70
円程度だったのも驚き。
じた一瞬でした。
11
9.韓国労総の非正規センター訪問、2つのナショナルセンターの関係
今回の韓国訪問では、もう一つのナショナルセンターである韓国労総の本部も訪れまし
た。先述したとおり、韓国労総は1961年に時の軍事政権が設立した組織であり、本部事務
所は、国家の中枢機関が集中する一等地(日本の霞ヶ関に相当)にある十数階建てのビル
に入っています。ビル
は当時の軍事政権がプ
レゼントしたもので、
ビル内は本部事務所以
外は多くのテナントで
占められており、テナ
ント料は韓国労総の収
入になっています。
韓国労総はその設立
経緯からして政府の御
国家機関が集中する一画にある韓国労総本部のビル。組合の
ロゴマークは大極旗と同じ青と赤のシンボルカラーだ。
用組織であるかのよう
な印象を払拭できませ
んし、私たちも正直そ
のような思いがありましたが、私たちの旅を引率して下さったJILの呉学殊先生は「韓
国労総にも行って話を聞いた方が良い」とアドバイスしてくれました。
私たちが今回訪れたのは、韓国労総の本部全体ではなく、ビルの入り口から入ってすぐ
の所にある一室だけです。ここには「非正規センター」があり、非正規労働者の組織化担
当者の3人が詰めています。政府の御用組合と思われがちな韓国労総ですが、ここの中に
も労働者の立場に立って闘う人たちがいるのです。この3人は、韓国労総の非正規労働問
題への取り組みが弱いと感じ、自分たちで勝手にこの小さな一室を占拠し、「非正規セン
ター」の看板を掲げて活動しているそうです。彼らが抱える職場の問題への対応では、座
り込みを行って当局側とぶつかるといったことも多々あるそうです。
韓国労総と民主労総の関係で言えば、基本的に両組織はライバル関係になりますが、大
きな問題への対応では共闘することもあります。ただ、途中まで共闘していても、最後の
詰めの段階になると、多くの場合、韓国労総の方が政府の要求に折れてしまうことが多く、
民主労総側には裏切られるという思いもあるようですが、だからといって何もしないので
はなく、いざという時には団結しています。
また、労働法制の中身を審議する政府の審議会では、労働側の委員を決めるに当たり、
韓国労総と民主労総とで協議し、それぞれの組織から何人の委員を出すか決めています。
12
労働政策の問題への対応でも、労働側で共闘し、経営側に対し一定の歯止めをかけている
ということです。
10.労働組合法改正、岐路に立つ韓国の労働運動
韓国の「労働組合法」が、2011年7月1日をもって改正されます。現行法では、一つの
職場に複数の組合をつくることを認めていませんでした。したがって、多数派組合だろう
が少数派組合だろうが、最初につくられた一組合だけが認められ、団体交渉権を独占して
いました。これが改正され、複数組合の併置を認められることになりました。
こうした法改正の内容は労働運動にとって良いことのように思われるかもしれませんが、
そうではありません。経営者側の関心は、いかに組合の力を弱めるかにあります。1960年
代以降、日本の労働運動が弱体化した原因の一つは、使用者側による第二組合の結成にあ
ったと考えています。まず第二組合をつくらせ、人事異動や昇級・昇格などで徹底的に差
別し、労働運動が切り崩されていきました。韓国の経営者側もそうした日本の状況を観察
しています。韓国の場合、2011年7月1日以降、改正法の下、複数組合の併置が認められ、
日本と同様の状況が生じる可能性があります。
さらに困ったことに、改正法の下では、複数組合の併置を認めながら、団体交渉権は一
つの組合にしか認めないことになっています。つまり、使用者側からの弾圧や妨害を受け
るなか、職場で過半数がとれない組合は団体交渉権を持ちません。法的に団体交渉権が保
障されているからこそ、労働組合は会社側に対して強制的に話し合いに応じるよう圧力を
かけ、労使対等を実現することができるのであって、団体交渉権を持たない組合は単なる
親睦会に過ぎません。この点は改正法の影響が特に心配される部分です。
韓国の労働組合関係者が「日本から学べ」と言うとき、それは決して良い意味ではなく、
日本のような労働運動にしてはいけない、日本の轍を踏むな、という意味です。だからと
いって、日本の労働運動が韓国の労働運動と交流することは無意味ではなく、私たちは私
たちで韓国から学ぶことが数多くありますし、日本の労働運動の失敗を踏まえ、韓国の人
たちにアドバイスすることも可能です。
韓国の労働運動は日帝時代の抗日闘争や、近年の軍事独裁政権下の民主化闘争の流れの
延長線上にあるもので、主たる組合が戦後の占領政策の中でつくられてきた日本の労働運
動とは本質的に異なっていると思います。改正労働組合法で第二組合が認められるように
なったからといって、韓国の労働運動がそう簡単に切り崩されるとも思いません。しかし、
それでも心配せずにはいられないのは、血が流れるような闘争が今後も続くことが予想さ
れることです。そうなると民衆の支持が離れていく可能性もあります。
韓国の労組関係者に言われた言葉で最も印象的だったのは、「戦争に反対することを見
失ってはいけない」ということでした。労働組合の果たすべき第一の役目は戦争への反対
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です。自分たちの労働条件を守ることももちろん重要ですが、平時にどのような権利を勝
ち取っていたとしても、いったん戦争が起きれば全て吹き飛んでしまいます。韓国は北朝
鮮との関係では依然として戦時下であり、重みを感じました。
併せて、彼らは「南北朝鮮をいかに統一させていくかが重要だ」とし、日本から来た私
たちに対しては、「南北分断の原因をつくったのは日本であるということを忘れないでほ
しい」と言いました。その上で、「統一できないことそれ自体は韓国人自身の課題である
から、労働運動としてその実現に向かって進んでいきたい」とも言っていました。日本の
労働運動に携わる者として、この課題に真剣に取り組んでいく必要性を強く感じました。
<すずき はじめ・札幌地域労組書記長>
本稿は、2011年6月10日に札幌市内で開催された、反貧困ネット北海道2011年度連続学習会
(第1回)の内容をまとめたものです。
文責・正木浩司(社団法人北海道地方自治研究所研究員)
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