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市松キャンバス「人生講話2014」 NPOカタリバ代表 今村久美さん

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市松キャンバス「人生講話2014」 NPOカタリバ代表 今村久美さん
市松キャンバス「人生講話2014」
NPOカタリバ代表 今村久美さん
NPOカタリバ代表理事 今村久美(いまむらくみ)さんは、2001
年に任意団体NPOカタリバを設立し、高校生のためのキャリア学
習プログラム「カタリ場」を開始されました。2006 年には法人格
を取得し、全国約 1000 の高校、約 180,000 人の高校生に「カタリ
場」を提供されています。
2011 年度は東日本大震災を受け、被災
地域の放課後学校「コラボ・スクール」を発案。2011 年 7 月に一
校目の「女川向学館」を宮城県女川町で開校。同 12 月には、二校
目の「大槌臨学舎」を岩手県大槌町で開校。被災地の子どもに対す
る継続的な支援を行っています。
2008 年「日経ウーマンオブザイ
ヤー」受賞。2009 年内閣府「女性のチャレンジ賞」受賞。201
4年10月、本校の「人生講話」の講師としてお招きいたしました。
皆さんこんにちは、NPOカタリバの代表理事の今村久美と申します。私は、朝5時に起きて東
北から新幹線に乗って松戸までやってきました。 市松のみなさんとは、ご縁あってこの場に立た
せて頂いています。ぜひ皆さんと一緒にこの場を作っていきたいと思います。
みなさんノミってわかりますか? ジャンプして、猫や犬の毛の中にいる少しやっかいな生き物
です。そのノミを瓶に入れ、フタをせず、しばらく様子を見ます、するとノミは瓶の底から30c
mくらいジャンプします。 そこで、その瓶にフタをしてみます。その後、どうなると思いますか?
最初はフタにぶつかっていたノミが、三日後にはフタの高さまでしか飛ばなくなったそうです。最
後にはフタを外しても、フタのあった高さしか飛ばなくなった・・・。 自由であればあんなに高
く飛ぶ力があるノミが、たった三日で自分が飛べる力がなくなったという事実です。
始めに自己紹介をします。岐阜県高山市出身の今村久美と申します。NPOカタリバの代表理事
をしています。私は大学卒業する際にカタリバを立ち上げました。今では、このように人生講話の
講師をしていますが、みなさんと同じ頃はどうだったかというと、私はどちらかというと人の足を
引っ張るようなタイプの高校生でした。行きたかった高校には行けず、部活動も剣道部に所属はし
ていましたがあまり活躍はできず、成績も決して上のほうではない。とにかく自分自身に自信がも
てない生徒でした。 変わりたい願望はあるのだけれども変わることができない。ますます自分に
自信がなくなって来ました。
それだけなら人に迷惑をかけることはないですが、さらに私はクラスで頑張っている人を見て冷
めた目でクスクス笑っているようなタイプでした。「生徒会、せいぜいがんばってね・・・」とか
「部活の朝練、朝早くからお疲れ様・・・」とか、頑張っていることを評価せず、冷ややかに見て
いました。
自分が頑張ることができず、さらに周りを評価しない。ノミの話を聞いたとき、これは私のこと
だと思いました。この瓶に入れフタをした人は誰なのだろう・・・。 本当は文化祭や体育祭で盛
り上がっている人は羨ましい。 勉強頑張っている人は、本当はすごいと思っていても、それを言
えない自分にモヤモヤしていたのです。私にフタをしているのは、きっと親や先生だと思っていま
した。
私の地元の高山市は、電車が1時間に一本の街です。みなさんが今、普通にやっているプリクラ
は私が中三の時、日本中に広がりましたが、私の街に来たのは高二の時でした。とにかくこの街か
ら出て行きたい・・・。その手段として大学生になることを考えました。しかし私には人より優れ
た武器が何もありません。頑張っている人の足を引っ張り、うまくいかないのは他人のせいだと思
っていた私は、これといった特徴がなかったのです。このままではまずい、とにかく何かやらない
といけないと思い、大学を調べ、オープンキャンパスにいったりしました。学力を上げることはも
ちろんですが、当時導入され始めたAO入試を利用しようと、とりあえず今までの自分では考えら
れないくらい豹変し学習に打ち込みました。
しかし今まで頑張っている人を評価してこなかった訳ですから、今自分が頑張っている姿を人に
見られたくはありませんでした。 頑張っている自分を見られると、友達の自分に対する評価がか
わってしまうのが怖かったのです。ですので、隠れるように勉強しました。勉強を続けると、それ
まで味方だと思っていなかった先生方との関わりも変わり、自分の中のわだかまりもしだいになく
なって来ました。しかしそれでも、私にはAO入試を突破できるアピールポイントは見つかりませ
ん。
しかしある時、新聞に何か自分の事が載るようなことがあれば、それが私のPRポイントになる
かもしれないと思いつきました。実際に新聞を見ると、エッセイの公募など、500文字程度で薄
謝支給という場合もありました。 新聞へ投稿するには世の中や社会を理解しないと書けません。
それが世の中を見ることに繋がりました。とにかく機会があるごとに投稿し続け、20~30回は
書いたと思います。それにより観点がぐっと広がって行きました。大学でやってみたいことも見え
て来ました。
ノミの話にもどります。私の日常をつまらなくしているのは
親や先生のせいだと思っていました。しかし、このフタをして
いるのは、実は自分自身ではないかと気づいたのです。しかし、
今まで周りが頑張ることを応援しなかった自分が、文章を書く
ことに熱中し、卒業する頃には自分の文章が表彰されるレベル
までいっていたにもかかわらず、友達に言えませんでした。こ
んな形で高校生活を終えました。
大学で私の生活は一変しました。私の周りには「私こんな事
がやってみたい」
「将来こんな夢がある」ということを語れるひ
とが多かったのです。そんな環境の中で、私もいつのまにか人
前で自分の事をしっかり話せるようになっていました。
そして20歳になり、成人式のため地元に戻りました。今度こそ、今までのことを取り戻そう。
高校の頃は正直に話せなかったけど、
「大学でこんなことやっているんだ」
「こんな事熱中している
んだ」と、今なら気兼ねなく話せると思いました。
しかしそれは叶いませんでした。友人、みんなが今の私のように楽しい大学生活をおくっている
人ばかりではなかったのです。「やりたいこと見つからないよね」とか「やめたいよね」という人
が大半でした。それは本当に衝撃的でした。今、満たされている私の環境は、私自身の努力ではな
く、たまたま出会った人たちの中で与えられた充実感だと気づいたからです。今回もまたフタを開
けることができませんでした。自分が変われば楽しい日常がまっていると気づいたのに、みんなに
それが言えなかった。また自分でフタをし、周りのフタを開けることがとうとう出来なかったので
す。
私の高校生活には、後悔ばかりあります。今回NPOカタリバを立ち上げた説明は今回しません
が、日常楽しく、お互い応援したくなる気持ちに溢れるような高校生が日本中にいたら、もっと世
の中がよくなるのではないかと思い、現在4000人くらいのボランティアスタッフとカタリバ授
業という進路について考える仕事をしています、
今、私が住んでいる街は岩手県の大槌町です。みんなも覚えていると思いますがあの東日本大震
災で、地震の直後、津波で全ての建物がなくなってしまいました。町中を津波が襲い、さらに水産
加工場で使用するオイルなどが引火し、街中火事になってしまいました。すべてが流れ、焼けてし
まい、自分の住居がどこにあったのだろうと皆立ち尽くしている状況でした。線路も流され、復旧
の目処はたっていません。私がこの街を訪れた時は、私自身も日本中の高校生を元気にすると言い
つつも、これからこのカタリバをどうすればいいか悩んでいる時期でした。
私が初めて被災地に入ったとき、一人の女子高校生に出会いました。2年生の笑顔がかわいい元
気な女の子です。その子は街の子供たちをあつめて「だるまさんがころんだ」をやっていました。
私は彼女に声をかけました。東京で集めた寄付をどう活用すればいいか考えながらここに来ていた
ので、その女の子にいろいろ話を聞こうと思ったのです。いろいろなことを話す中、ふと「午前中
は何をしていたの?」とたずねると、女の子は「今、両親が行方不明で、遺体捜査をしていた」と
言うのです。私はしばらくの間言葉を失いました。
こんな明るく元気でいる子が、両親の遺体を探している・・・。さらに今、たいへんな状況なのに、
どうして子供たちと遊んでいたのか聞くと、
「私も悲しいけど、私は高校生。小学生や中学生など、
私よりずっと幼くて家族を失った子供がたくさんいる。 私は
保育士になるのが夢で、この状況ではその夢はあきらめなけれ
ばならないかもしれないけど、子供と遊ぶことは今の私にもで
きる。今私ができることはこれなのです。」と言ったのです。
本当に衝撃的な話です。彼女だって平気なはずはありません。
私には彼女が、声をかけた最初の目的を忘れてしまうくらい、
立派に見えました。辛く、苦しい時でも、今やるべき事、でき
る事をやっている。そんな17歳が世の中にいたことに感動を
覚えました。彼女にとって子供と遊ぶことが一つの挑戦だった
のです。
今は大槌町と女川町で、高校生、中学生や仲間たちと一緒に塾をやっています。みなさんは、今、
自分に誇れる時間の使い方をしていますか? 今もし、震災があったらどんな行動をしますか?
同じ高校生のもう一つのチャレンジを紹介します。岩手県大槌町で、写真を取り続けている少女
の話です。その女の子も同じように被災しました。 心身ともに大変な毎日が続く中で、この現状
を忘れないで前に進むにはどうすれば良いかと考え、写真を撮って行くことを決めました。
とにかく、変わってしまった故郷の風景や景色を撮り続けました。 時間が経つうち、それがだ
んだん風景から、そこに住む人たち自身の笑顔を撮影することに変わってきました。 地域の方た
ちとのふれあいの中で、被災された方たちの多くが、思い出の物や過去のものが全部流されてしま
ってとてもつらいという話を聞き、せめて今この瞬間を残そうと考えが変わったというのです。
その女の子は、自分ができる「マイプロジェクト」として100人の笑顔を撮ろうと決めました。
それまで彼女は、対人恐怖症で、学校では保健室にいることが多かったのですが、震災後、自分が
やるべき「マイプロ」を決めた瞬間、元々あった感性が花開いたに違いありません。 彼女の活動
を目にした、神戸の印刷会社から連絡がきたり、銀座で写真展を開いたりするまでになりました。
彼女は今年高3になり、写真展でカンボシアに招待され、これから大学に進学することが決まって
いますが、震災があったことで、写真を撮るという「マイプロ」を決め、いまのような環境にいる
ことなどかつては想像できなかったことでしょう。
私は高校の時、文章を書くということを始めて、本当によかったと思っています。当時は大学に
行きたいと思っていただけで、今の高校生を支援するような仕事をすることは全く想像していませ
んでしたが、あれを始めたから今の自分があると思っています。私にとっての「マイプロジェクト」
の原点です。これからみんなは進路を決めたり、職業を選んだりして行くわけですが、世の中は凄
いスピードで変化し、今では想像できないことが起こることがあります。
私が高校生のときiPhoneなんてありませんでした。みなさんが大人になり、社会人になっ
ていくときにはどんなことが起こっていて、どんな世の中になっているのでしょうか? そんな変
化の激しい社会だからこそ一人一人のマイプロジェクトを始めてほしいのです。決して大がかりな
物でなくても良いのです。自分にアンテナが立っていると、探そうと思っているものが探せる場合
が多いのです。普通の生活の中や、目に入ってくるものの中に気づきがあり、それを目で追えるよ
うになるのです。今何となく興味がある物。クラスや部活の中でこれは解決したいなと思っている
こと。人との関係の中で避けたいと思っていてなかなかできないこと。それをどうしたらいいか。
さらに「こうしたらいいのではないか」というプランを誰かに話してみる。何でもいいのです。そ
れらを自分のプロジェクトにしてみてください。そうすると勉強のしかたなども変わってくると思
います。ネタをさがすように勉強を始めると思います。
そのような積み重ねが、みんなが仕事を選ぼうと思ったときに武器となるはずです。よく「夢を
持て」「目標を見つけなさい」といわれることがありますが、私は10年後の夢を見たことはあり
ません。「今、興味のあることを見逃さないように」やってきたのです。
自分の中にプロジェクトを持つこと。興味があることに目をそらさないこと。自分がいやだと思っ
ていることから逃げないこと。それが将来の糧になっていくと思います。
高く飛べなくなったノミが高く飛べるようになるにはどうすればいいとおもいますか? 横に
高く飛んでいるノミを置くことだそうです。そうすると高く飛べることに気づいて飛べるようにな
るそうです。
もしかしたらみなさんの中には日常の中で、「これ以上ダメだ」と思っている人がいるかもしれ
ない。そんな時は周りを見てください。きっと同じような悩みを持ち、頑張っている人がいるはず
です。さらにあなたの頑張りが周りを変える力になるかもしれない。あなたが周りの人の可能性を
伸ばす存在でいましょう。
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