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バックナンバー - シルバー専科日和

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バックナンバー - シルバー専科日和
80歳代
歳代Aさんは
歳代 さんは、
さんは、数年前から
数年前から認知症
から認知症と
認知症と診断される
診断される。
される。
毎朝近所に
毎朝近所に散歩をするのを
散歩をするのを、
をするのを、とても楽
とても楽しみに出
しみに出か けるが、
けるが、周りは畑
りは畑で
桃 梨 柿 りんごを取
りんごを取ったり 拾ったりして食
ったりして食べてしまう。
べてしまう。
「甘いも渋
いも渋いも感
いも感じねぇのがなぁい」
じねぇのがなぁい」と介護者心配していた
介護者心配していた。
していた。
本人は
本人は「食わしたぐねぇがら、
わしたぐねぇがら、隠したんだべぇ」
したんだべぇ」と怒ったり、
ったり、注意すると
注意すると
益々怒る。
血糖が
血糖が高いので食
いので食べられるものは、
べられるものは、見えない場所
えない場所に
場所に隠して置
して置いたが、
いたが、
「腹減ったぁ
腹減ったぁ何
ったぁ何がねぇのがぁ」
がねぇのがぁ」と家中探しまわっていたり
家中探しまわっていたり、「
しまわっていたり、「まんまぁ
、「まんまぁ食
まんまぁ食って
ねぇ」
ねぇ」と食べたことを忘
べたことを忘れ催促する
催促する。
する。
あげくに生
あげくに生ごみの中
ごみの中の皮を食べてしまったこともあった。
べてしまったこともあった。
「食って わがんねぇ」「
わがんねぇ」「取
」「取ってわがんねぇ」「
ってわがんねぇ」「行
」「行ってわがんねぇ」
ってわがんねぇ」と声を
張り上げながら、
げながら、言い聞かせ説得
かせ説得するのですが
説得するのですが、
するのですが、
本人は
本人は 一向に
一向に おかまいなし・・・・・・・・
介護者は
介護者は、時々おかしいと思
おかしいと思いながら「
いながら「年のせい」
のせい」と思ったり、「
ったり、「なんでわ
、「なんでわ
がんねぇんだべぇ」
がんねぇんだべぇ」と戸惑いを
戸惑いを感
いを感じながら、
じながら、まともに 腹を立てて注意
てて注意して
注意して
いました。
いました。
本人が
本人が元気であればあるほどイライラさせられた
元気であればあるほどイライラさせられた。
であればあるほどイライラさせられた。
教えても叱
えても叱っても「
っても「元にはもどんねぇんだぁ」「
にはもどんねぇんだぁ」「病気
」「病気なんだから
病気なんだから しょうが
ねぇ」
ねぇ」と思えるまで、
えるまで、理解するまでに
理解するまでに葛藤
するまでに葛藤 増悪な
増悪な 感情を
感情を持っていまし
た。
理屈からはずれ
理屈からはずれ常識
からはずれ常識では
常識では考
では考えられない 言葉や
言葉や
行動をします
をします。
行動
をします。
逆らわず 叱らず「
らず「しょうがねぇ」
しょうがねぇ」と受け止められる
『 心 』が必要ではないでしょうか
必要ではないでしょうか?
ではないでしょうか?
在宅12年間の介護者の悲鳴
平成9年頃から、入退院を繰り返し、デイ、ショート、入所を利用しなが
ら
在宅生活を続けていたAさん。介護者から急に、冴えない表情で、「虐待
しているんでねぇがど、世間で思わっちんだべぇがない」「誰もいない間、
そればっかり考えて眠らんにぃ。家族の前では無理してご飯食ってる」と
話しがあり、一瞬ドキッとしました。
「誰がにぃ、何か言わっちゃのがぁい」と尋ねると、デイの連絡帳を持っ
てきて見せてくれました。内容は、手背に内出血があったので、痛みがな
いようなのでシップしておきました、と記載されていました。
「施設の人は、この市の人が多く働いでぇ、みんな鬼嫁だぁと、広まって
しまっている」「誰かに顔を合わせた時、車運転している時、鬼嫁だぁと言
われているように感じ、眼も合わせるのも嫌になっている」「風邪ひかせ
ねぇようにぃ、怪我させねぇようにぃ、こんなに看でんのになさげねぇ」「い
ぎでらんにぃ」「死んだら悪口言われ、家族、親戚にも迷惑かける」と、
切々と今まで溜まっていた想いを吐き出すように訴え、涙ぐんでいます。
虐待の事実もないし、強い口調での言動など聞いたことがなく、「良い
母親」「良い妻」「良い嫁」で火の打ちどころのない介護者です。弱音を吐
かない介護者だからこそ、家族、親戚、友達、子供たちに、辛さ、苦しさ、
悲しさを訴えることなく、12年間の長い年月と先の見えない介護が、心と
身体を蝕み病んでしまったと思いました。
私は、必死に「思い詰めないでぇ、事故など起こさないでぇ」と心で語り
かけ、声なき声の「心の叫び」を受けとめていなかったのではないかと、申
し訳けない気持ちで一杯でした。
いつもベットに寝せておくのは、かわいそうだといって、毎朝ベットから
椅子に乗せて、二人がかりでこたつまで連れてきて家族と一緒に過ごし
ていました。傍に居たAさんに、いつものようにヤクルトにストローを刺して
手渡すと、気持ちが伝わったのか、介護者の手を両手で包み、うつむい
ている顔をじーっと覗き込み、見つめているのです。言葉を発することは
できないが、愛おしい眼差しで、「おかあさん、ありがどなぁ」と言っている
ように思われました。その姿を見た介護者が、「私が壊れたら、Aさん、一
番困るんだもんなぁい」と顔を上げました。そして、「だれにも、いわんにぃ
ごど聞いてくれてありがどなぁい」と一言。
私自身、答えを示すことはできなかったけれど、背負っている重荷が少
しでも楽になれるように、『話して気持ちが楽になったよ』と、いわれる
『人』でありたいです。
シルバー専科日和指定居宅介護支援事業所
遠藤 信子
些細な出来事
要介護5 80歳代 Aさん
今から8年前に認知症と診断され、毎日夕
方になると「家に帰る」と部屋中をうろうろ
していました。家族が気づかないうちに外に
出てしまい雨の中、近所の人に保護されたり、
他の家の野菜を取ってきたり、石を拾って食べたりと、片時も目が離せない状
況が続いていました。介護者が病気を抱えていても必死に介護をしていました。
一時は老人ホームを申し込んでいましたが、孫娘さんがどうしても「ばあちゃ
んの面倒をみたい」と言って、順番が廻ってきた入所を断ったのです。
その後、認知症進行とともに現在は寝たきりで、歩くことも、言葉も少なく
食事もトロミをつけないと食べられない状態で、すべてにおいて介護が必要で
す。嫁いだ娘さんや孫娘さんの協力を得ながら家での生活を送っています。
そんな中、嫁いだ娘さんが介護者に代わってデイサービスに送ってきた時の
事です。
いつものように玄関先で車から車いすへ乗せて、
「今日は天気もいいがら、み
んなで娘さん見送っぺ」と声を掛けました。
「気つけていってらっしゃい」と手
を振ると、Aさんも娘さんの方を向いて右手を差し伸べ振る仕草をしたのです。
娘さんが、そんな母親の姿を見て「昔は、こうやって学校に行く時、見送って
くっちゃんだぁ」
「今日は大好きな、いちじくも食べてくれたし調子いいよねぇ」
「私も一日、元気に働けそぉ」とうれそうに出かけていきました。
その時の笑み、まなざしは子供を見送る母親の姿で、元気だった頃の「お母
さん」に戻ったように思いました。
Aさんが、その雰囲気を察知し感じてくれたんだ、と私も胸が熱くなりまし
た。デイ職員も、
「いちじくの季節なんですねぇ、おやつに作って又食べようね
ぇ」と一言。一瞬にみせる表情や仕草を本人、家族、職員と一緒に感じること
ができた事がうれしかったです。些細な出来事に感動して、小さな変化に気づ
き、感じとることの大切さを教えて頂きました。
シルバー専科日和指定居宅介護支援事業所
遠藤信子
発病してから30年
昨年の大みそかに永眠されたAさん。今年1月初めに告別式がありました。
そこに88歳になる妻が、堂々とお別れの言葉を述べたのです。
定年になる1年前に、
「好きなことをしたい」と退職を決意しましたが、辞め
る3か月に脳梗塞で倒れてしまいました。壮絶なリハビリ訓練を頑張って行い、
大好きな釣りのバケツが持てるまで回復をしたそうです。不自由ながら日常生
活を過ごしたその20年後再発し、言語障害を伴い全く動けなく寝たきりにな
ってしまいました。
妻は、毎朝5時に起きて蒸しタオルで顔を拭き、丁寧に髭を剃り、口の中を
ガーゼで綺麗に拭いて、さっぱりしたところで梅干しと朝茶で1日が始まりま
す。その顔の表情や咳払い、眼の動き、口の開け方一つで妻は、
「今日の調子が
わがんだぁ」と言っていました。
「いつもと同じでぇ、何も変わんねぇべぇした
ぁ」と思えることでも、身体の調子や変化を見逃さず、欲求、訴え、悲しみ、
喜びを、ちょっとした仕草や動作で何を考えているのか、何をしたいのかを感
じ思いをくみ取ることができるのです。
私は、
「毎日看ているお母さんが一番、お医者さんだぁねぇ」と笑い話ではな
く、本心からそう思いました。
この10年間、妻自身も何もなかったわけではないのです。病気で入院にな
った時も、詳細な介護メモを作り、
「お母さんのような介護はできないが、入院
中に具合悪くならないように・・・」とヘルパーと家族が一丸となっての介護、
手首を骨折した時は、ギプスを巻いたままで介護、足腰の痛みで歩くのがやっ
との時、ベット柵に掴まりながらの介護を、「手を抜かない介護」「人に任せっ
きりにできない介護」「最後まで自分の手での介護」「自分なりのこだわりの介
護」変わらない介護を10年間続けてこられました。
だからこそ、告別式で「心から大切に想う言葉」「やり遂げた言葉」「悲しさ
や寂しさの言葉」を言葉にして、夫に感謝の気持ち伝えたかったのではないで
しょうか。
自分の気持ちを素直に伝えることにより、自分自身にけじめをつけたように
思いました。
これからは、
「お母さんがやってみたいこと、行ってみたいこと」を挑戦して
ください。
シルバー専科日和指定居宅介護支援事業所
遠藤信子
今の私の気持ち
Aさん 80歳代
10年前に人間関係のトラブルで人前に出るのが億劫となり大好きな油絵教
室や木彫り教室に出かけなくなり、家に居る事が多くなりました。
3年前には、物忘れ症状が出現、
「お嫁さん仕事で忙しいでしょ、買ってこれ
ないでしょ」
「運動がてら行ってくんだがら」と言って、毎日のように近所の魚
屋さん、薬屋さん、スパーマーケットへ出かけて惣菜、さしみ、野菜、薬等を
買ってきます。家族は、「あんだから買ってこなくとも、今日は間に合わうよ」
と言い聞かせるように話をします。しかし本人は『役に立ちたい』
『家のことを
やっている』との思いしかありません。「買ってこなくともいい」「しなくとも
いい」と、言われている内容を理解・判断できず、
「叱られた、嫌な気持ちだな」
という印象が頭に強く残って、息子夫婦や夫の言動、態度、雰囲気を察知し敬
遠されていると、感じとった思いを綴った日誌を見せてくれました。ページを
開いて、
「今の私の気持ちです」と差し出しました。そこには下記の内容が書い
てありました。
自分の人格 (いつも自分をみつめる、反省心を忘れない)
○ 80歳台になりいろいろ考えたが
自分が考えている事により
遠い存在になっている 自分に気づかせられている
一 そんなに自分はバカになっているのか
一 自分で思っている事を話して悪いのか
一 何を話しても まじめに受けて くれられていないなと
思わせられる
一 年寄りは相手にしたくないと思われているのがわかる
ではどうすればいいのか、、、、。
① あまりしゃべるな
② あっち こっちかたづけるな
③ できるだけ人のいる所にいるな
④ 自分の好きな事をみつけて一日一日を過ごすこと。
(原文のまま)
ケアマネジャーとして本人の嫌な感情が和らぎ、お互いにつらい思いが少し
でも和らぎ、介護者の気持ちが軽くなり、時間を作ることでお互い気持ちに余
裕が持てるように、デイサービスを勧めました。本人も利用することで、
『心地
よい』
『また行きたい』と、感じとってもらえる『安らぎの場所』になればと思
います。
シルバー専科日和指定居宅介護支援事業所
遠藤 信子
どちらを選択しますか?
要介護5 Aさん
昭和63年頃に脳梗塞を発症し半身麻痺を伴
い、年を追うごとに寝たきり状態となりました。
日常生活においては、食事・排泄・着替え・床
ずれの手当等も家族の協力はもちろんのこと、
訪問看護・訪問入浴・訪問介護・福祉用具・シ
ョートスティ利用により在宅生活が維持できて
います。自ら言葉を発することはできないが、
声をかけると笑みを浮かべ、
「うんうん」とうな
づく仕草で意思表示を確認しております。
今年に入ってから時折、38度台の熱が出て薬処方を受けていました。
ショート利用施設からは、
「ベットを起こせない状態での食事介助は口の中に溜
まって飲み込めない、ひっかける可能性が高く、長いお泊りは難しくなってき
ます」と報告がありました。以前から家族が口癖に言っていたのは、
「具合悪ぐ
なり食わんにぃぐなったら、入院させねぇで家で看でぇ」でした。そんな矢先、
熱が40度、お腹がパンパンになり先生から、
「これではわがんねぇ」と救急車
で病院搬送となりました。
病院の先生からは、
「今後、生きていくために必要な量を口から入れられっか、
胃に穴を開けるか、まだ若しなぁ」と説明がありました。看護師さんからは、
「ま
んま炊がなくてぇいいべしたぁ」「食べさっせごとなくてぇ、いいんだがらぁ」
と言われ、
「がっかりしたぁ」としみじみと話しをしてくれました。本人の身体
のことを考えて胃ろう造れば、栄養確保され食事に時間かかることなく誤嚥性
肺炎リスクも少なく、定期的にショートスティを利用できて介護者の負担が少
しでも軽くするために、そう言ったのではないかと思いますが、家族には染み
入る言葉ではなかったようです。訪問看護師さんからも、
「入院したら口から食
べさせるのが難しい」と言われ「胃ろうを造る話はでるよ」とアドバイスを受
けていました。家族は、
「管を入れて何年も生きるよりは、おれができる範囲で
口から食べさせでぇ、食わんにぃどぎは寿命なんだがらぁ」と苦渋の選択と意
思の硬さを感じました。
病院看護師さんは、
「家の人だと、食べるんだね」と言っていたが、家族は本
人の表情をみれば、どの時間帯にどの位食べてくれるか? おいしく食べても
らえるのか? 長年食事介助をしているからこそ、『好みや食べさせ方がわか
る』だからこそ最後まで口から食べさせたい気持ちを持っていると思いました。
ケアマネとして、どちらを選択したとしても、本人 家族と一緒に心の声に寄
り添って一緒に考えていくことが大切であると改めて思いました。
(有)シルバー専科日和指定居宅介護支援事業所
遠藤 信子
「しっかりしろ」の言葉に
東日本大震災から、もう少しで1年がたとうとしています。
私達の地域は、人口6万6千人で中通り北部に位置し、今だに続く余震・原
発事故による放射性物質と向き合いながら、日々の生活を送っています。
あの日を振り返ると、最初に見たテレビの映像が、何とも言い難い虚しさや
切なさで、「これからどうなってしまうんだろうか?」「どうすればいいだろう
か?」と衝撃を受け、
「ここに居ていいんだろうか」と思いながら過ごしていた
ことも事実です。ライフラインが止まり、何もできない無力感に襲われながら、
「みんなで、できることから始めようと・・」、翌日には、もう1か所あるデイ
サービスの片づけや水を分けてもらいに走り、みんなでスタンドに並んで給油
を行いました。
そんな時に、地域のガソリンスタンドさんが「お年寄りの人や弱い立場の人
が困んだよぉない」と災害福祉車両として優先的にガソリンをわけてくれたの
です。ガソリンを入れていると「なんで入れらんにぃんだぁい」と、近所の方
が携行缶を持ってこられました。だれでもがほしいガソリンです。私は一瞬怯
みましたが、スタンドの方が「困っている人のために・・・廻ってくれていん
だからぁ」と住民の方を一所懸命説得してくれたのです。その姿に、申し訳な
く、ありがたさで胸が一杯になりました。私たちはそれに報いるために眼の前
のお年寄りをしっかり支えていなければならないと痛感しました。
また、当事業所には外に釜戸があり、室内には、まきストーブやおかろが設
置してあります。利用者さんの中には、地震があったことすら忘れている方も
おられますが、「何か変だぁと・・」など感じとることはできます。釜戸で炊
いたおにぎりを眼の前に差し出して「おめ、こんな時だがら食わなかなんねぇ」
と、いつもと違うシャキッとした表情に、戦争を体験し大正・昭和・平成の時
代を乗り越えてきた何事にも動じない力強さを感じました。利用者さんの笑い
声や会話が頼もしく、悲しみや不安の気持ちが和らぎました。逆に『しっかり
しろ』と言われているようにも感じました。私たちができることは、微力では
あるが、無力でないことを信じ前に進んでいきたいと思います。
シルバー専科日和指定居宅介護支援事業所
遠藤 信子
『チームケア』
最初の出会いは、介護保険が始まった 2000 年。まだ保原に事務所があった頃
に息子さん夫婦が来られ、
「父親が夕方、急に歩けなくなりトイレも失敗してい
る。どうしたらいいか?」との相談でした。あれから11年と長い年月の関わ
りになりました。夫は認知症状がありましたが、ヘルパーやデイケアを利用し
ながら在宅生活を続けておられました。
ある日ヘルパーが訪問中に、妻が倒れ救急搬送となり一命を取り止め、食事・
排泄・入浴等に介助が必要となりました。息子さん夫婦が要介護4・5の両親
を共働きしながら介護してきましたが、口では言い表せない苦悩、葛藤があっ
たと思います。
そんな中、今度は介護しているお嫁さんが、癌の手術を受けることになりま
した。私たちはみんなで、「お嫁さんが治療に専念できるように・・・」「退院
して来るまでの間、二人が家で無事に過ごせますように・・・」を合言葉に、
息子さんやお孫さんの協力を得ながら、すべて在宅で先生の往診、訪問介護、
訪問看護、訪問入浴、福祉用具を利用しながら乗り切ることができました。
お嫁さんが入院する前日に先生の往診があり、
「家の事は心配しないで行って
きてくださいと言われた時は、心強く、とってもありがたかったぁ。家族だけ
ではどうしようもない」と当時を振り返り話してくれました。普通であれば、
自分の身体のことで精一杯で「何も考えられない」「もう看れない」「施設に預
かってほしい」と、願うのが普通だと思います。しかしお嫁さんは、
「入院中は、
病気を治すことだけ考えでいたぁ」といつもと変わらない元気な姿で帰ってき
ました。
退院して来てすぐにお嫁さんが、「大好きなおはぎ買ってきたぁ」「1年に1
回位新しいパジャマ買ってやんねぇど・・」と本人達に語り掛けたら、二人が
満面な笑みで「よがったなぁ」と言っているように思いました。お嫁さんが弱
音や辛さをみせず、本人達や息子さんや孫さんの眼差しが、次から次に起る難
局を一緒に乗り越えようとする、
「明るい家族」
「お互いを労わる家族」
「温った
かい家族」「よく会話している家族」「夫婦仲がいい家族」の姿がありました。
だからこそ本人達を真ん中にして家族も先生も各事業者と手をつなぎ一致団結
して、『チームケア』で支えることができたのだと思いました。
シルバー専科日和指定居宅介護支援事業所
遠藤 信子
「
気づける人 」
家族の方が施設を訪問した際に、
「うちの○○ちゃんは、紙パックでは吸わんにぃげん
ちょ、コップだったら飲めんのにぃ」
「うるさい家族だ
なぁと思われんのも嫌だし、預かってもらってぇんだ
から、ちっとは我慢すっぺぇ」と思ったものの、職員
の人には何も言わず帰ってきたそうです。私も後日、施設を訪問しました。お
茶の時間なのか、ストローをさした紙パックをトレーから職員の方が、一人一
人に配り始めました。
丁度その時、利用者さんが紙パックを掴んで口に持っていく間に、ストロー
から溢れて、こぼれてしまいました。職員の方が、
「そんなに、押してわがねぇ
べしたぁ、吸わんしょ」と必死に言っています。利用者さんは何を言われてい
るのか、キョトンとしていました。私は思わず、
「この方は飲み物をコップにあ
けて、手に持たせれば自分で飲めますよ」と言ってしまいました。
職員の方が、コップを持ってきてくれました。注いだコップを、手に持たせ
ると上手に口に運び飲めました。
「飲めんだなあぃ」とその職員の方の一言。そ
の足で、別な施設にも寄りました。そこでもトレーに紙パックにストローがさ
した状態で運ばれてきました。トレーにはコップも準備されていたので、少し
安心しました。
認知症の方は、吸う行為や紙パックをどの程度掴んだらいいかなど加減がわ
からないのです。
「吸わんしょ」と言われても言葉の意味や行為が理解できなく
なってきています。利用者さんの生活状況を知っていれば、コップに入れて「飲
まんしょ」と両手を添えるのか、ストローですすめるのかなど、利用者さん一
人一人違うことを、
「あの職員さん気づいてくれたかなぁ」と思いながら、施設
をあとにしました。
私自身も利用者さんのことが、わかったつもりでいるのでないかと、帰りの
車の中でふと思いました。自分自身を振り返り、利用者さんや家族は色々なこ
とを教えてくれる存在です。私達ケアマネジャーは、些細な変化に気づける人
でありたいと思います。また、利用者さんの代弁者となり想いを伝えていきた
いと思います。
シルバー専科日和指定居宅介護支援事業所
遠藤 信子
「イクメンならぬ介護男子」
介護保険が始まった当初は、介護者は家にいる女性で妻やお嫁さんが多かっ
たのですが、13 年経った近年では夫婦共働きや男性が定年後家に居ることが多
くなり、介護するのがごく当たり前になってきました。イクメンならぬ介護男
子が増えてきたように思います。平成24年度高齢社会白書によると、男性介
護者の割合 30.6%、女性は 69.4%です。当事業所においては、登録されている
方の 25%の方が男性介護者です。男性介護者で、献身的に介護された方を紹介
します。
要介護5 女性70歳代 高齢者二人暮らし
県外に住んでいましたが、アルツハイマー型認知症と診断され1か月に1足
靴を履き潰す位、日中夜問わず徘徊があり、夫は疾病を抱えながら付き添って
歩いていました。ある時、路地裏に入った所で見失い警察に保護されたことも
あったそうです。自宅に、お風呂がなかったので銭湯に行っていました。番台
の方に、着替えやお風呂に入るのを手伝ってもらっていましたが、
「これ以上お
願いはできない、申し訳ない」との気持ちが強く、実家のある福島に住み替え
を決意し引っ越しをしました。認知症進行と共に寝たきり状態となり、夫は食
事介助、おむつ交換、家事、買い物などを一人でこなしていました。
朝食時に訪問した際、焼鮭と卵焼きが半分ずつ二人分が皿に用意されていま
した。寸胴鍋には、キャベツ、ジャガイモ、大根、人参、しめじ、ちくわ、リ
ンゴを入れて煮込み、別な平なべに食べる分だけ取って味噌を入れて、具だく
さん味噌汁を作ります。
「こうすると、柔らかくなるし、食べやすいし、野菜が
とれる。2、3 日はもつから・・」と工夫されており、思い通り食べてもらえな
い時もあり、30 分以上かかって介助されていました。
部屋の中は、いつも整理整頓されており、下着や衣服も、しわなく折り目正
しく整理されタンスに入っていました。
「何から何まで一人で行うことは、大変
ではないのか?」と問うと、
「たった二人だから、人に迷惑はかけられない」と
献身的に介護されていました。人に迷惑や心配を掛けたくない一心で几帳面で
まじめな方、何事も完ぺきにやらないと気が済まない方、感情を表さない方な
ので、「精神的に参ってしまうのではないですか?」「休む時間を作るのはどう
ですか?」と問いかけても、
「一向に、響いてないなぁ」と悩むこともありまし
た。
ケアマネとして感じた事は男性介護者の方は、
「弱音を見せないし・吐かない」
「本音は言わない」
「愚痴を言わない」人が殆どではないかと思いました。その
ために、女性介護者より支援要望が遅く、支援が遅くなってしまう傾向がある
と思いました。ケアマネとして男性介護者の特徴を踏まえ、
「一人で抱え込まな
いように、一人で悩まないように」と、発信し続けたいと思いました。
シルバー専科日和指定居宅介護支援事業所
遠藤 信子
「本人にとって」
要介護4、90歳になる方で、元気にデイサービスに通っていました。
縄なじりでは、
「皆へたくそだなぁ」と自慢気に話す、器用なかわいいおばあ
ちゃんです。
昨年11月頃より体調を崩し、
「低体温」
「低血圧」
「手足が冷たく皮膚は紫色」
「ご飯も思うように食べれない」、デイサービスの看護師から、「そう長く生き
られないような気がする」と報告がありました。椅子に座っているのが、やっと
で身体も傾き辛そうに見えます。くるみ割り、まんじゅう作りでは、あんこを
綺麗に丸めるなど、できることを一生懸命行っていました。
1 月に入ると、
「身体がこわい、こわい」
「何にも、いんねぇ」と、口に入れる
と手で払いのけて食事は2~3口程度、痩せてきました。デイサービス利用中
は寝ていることが多く、
「このまま逝ってしまうのではないか?」と思う時があ
ると、看護師から告げられました。しかし朝迎えに行くと、
「大変だなぁい、世
話になんなぁい」と、今まで弱々しい表情から一転してシャキッとなり挨拶を
する姿は、どこが具合悪いんだろうと思うくらいです。
今後の利用をどうするか、自宅に話し合いに訪れた際に、近所の方が顔を出
してくれていました。そうすると、「みんなさ、リポビタンやらんしょ」「俺、
茶の間さいがんにぃげんちょ、休んで行ってくなんしょ」とはっきりした口調
で話すのです。家族は、「調子いいことばっかり言ってぇ」「春になっと、元気
になんだべぇ」と言っていました。
「具合悪くなると、日和は使わんにゃぐなん
だべ」と聞かれることがあります。
ケアマネとして、デイサービス利用の限界、中止をいつにするか悩みます。
果たして、このままデイサービスを利用していいのだろうか? デイサービス
に通える身体の状態なのか? 耐え得る体力・気力はあるのか? など本人や
家族と悩みながらではあるが、在宅で看取ると決めました。そして、主治医往
診・訪問看護・福祉用具サービスを利用して2週間で永眠されました。家族の
方が、
「そんなに具合が悪いとは思わなかった」と話してくれたのが印象的でし
た。
本人の言動から死が迫ってきていることを、感じ取られなかったんだと思いま
した。「本人にとって」を一番に考えながら、家族の想いを受け
止め、丁寧に説明していくしかないと思いました。
(有)シルバー専科日和指定居宅介護支援事業所
遠藤 信子
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