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【ケニア共和国】(PDF:797KB)
独立行政法人 国際協力機構 青年海外協力隊 活動報告 土田 和歌子 項目 派遣国 派遣期間 職種 配属先 ケニア共和国 2013 年 1 月~2015 年 1 月 (平成 24 年度 3 次隊) エイズ対策 ボメット県保健事務所 私は青年海外協力隊として、2 年間ケニア共和国でエイズ関連の活動をしました。ケニアの紹介 及び私の活動の報告を致します。 1. ケニア共和国 位置・気候 ケニア共和国 首都 ナイロビ ケニア共和国は東アフリカに位置し、赤道 直下の国です。面積は日本の約 1.5 倍、 人口は日本の約 3 分の一です。首都ナイ ロビの標高は約 1700m と高く、気温は年 間を通して 15-25 度と過ごしやすい気候 です。乾季と雨季に分かれ、年 2 回の雨 季があります。 民族 ケニアには 42 の部族がいます。キクユ族、ルヒヤ族、カレンジン族など。日本で有名なマサイ 族はケニアとタンザニアに住んでいます。それぞれの部族には各々の言語、伝統、食べ物等 があります。 1 言語 国語はスワヒリ語、公用語は英語です。部族毎に部族語が存在します。異なる部族間ではス ワヒリ語又は英語で会話しています。 宗教 85%がキリスト教、10%がイスラム教です。その他、伝統宗教も残っています。 食べ物 主食はトウモロコシです。日本の甘くて黄色いトウモロコシとは異なり、白色で固く、甘みはあり ません。このトウモロコシを茹でたり焼いたりしても食べますが、主食はトウモロコシを乾燥させ て粉にし、お湯に入れて練って作る「ウガリ」と呼ばれるものです。水気を含み少し固い蒸しパ ンというイメージでしょうか。味はあまりありません。これを手で取り何度か練って食べるのが、 美味しい食べ方です。ウガリを野菜炒めや肉と一緒に食べます。 野菜はスクマ(青菜、大根の葉に近い食感)、キャベツ、人参、玉葱、じゃがいも、トマトなどが あります。肉は牛肉が一番安く、山羊肉、鶏肉があります。豚肉も一部の地域にはあります。 ↑右がウガリ、左はスクマと呼ばれる青菜 これが最も一般的な食事 ↑主食のトウモロコシ 2. 任地ボメット 私が活動していたボメットという町は首都ナイロ ビからバスで 4 時間。カレンジン族が住み、多く の人が酪農と農業を営み、しぼりたての牛乳が 大好きな部族でした。 町の大きなホテルや病院以外には水道は通って おらず、生活用水は川や水溜まりで汲むか、購 入する必要があります。また、電気は比較的普 及していますが、村の家にはありません。夜は灯 油ランプや懐中電灯を用いますが、早く寝て早く 2 起きる生活をしています。電気があっても停電も頻繁にあるため、一日オフィスのパソコンが使 えない・・・ということもありました。ただ、停電した夜は満点の星空を楽しめました。 広い大地に豊かな自然。一番の感動は家の前でホタルが飛んでいたことでしょうか。 (左)マーケット。野菜だけでなく、牛や羊などの家畜、また調理器具など何でも揃う。 (右)水場で水を汲む女性。20L タンクで汲み、家まで運ぶ。女性と子供の仕事。 3. 活動概要 配属先 県保健事務所 県立病院 保健事務所には、保健事務所長の下に、公衆衛生、HIV/AIDS、母子保健、結核、栄養など の各分野の担当官が働いています。 県立病院には、内科、外科、眼科、歯科、産婦人科、検査科、HIV/AIDS センターや入院病棟 が入っています。他国の援助で建てられた立派な病院です。但し、医師が数名しかいなく、准 医師と呼ばれる短大卒の医師がメインで働いています。この病院で治療できない重病は県内 のミッションホスピタルか首都ナイロビの大病院に行くことになります。私は HIV/AIDS センター で働いていました。 3 活動内容 1) HIV/AIDS 啓発活動 ケニアでは、小学校から HIV とは何か、エイズとは何かを学びます。多少の知識はあるに も関わらず、予防行動がとれていないのが現状でした。そこで、村人への教育セッションを 通じた啓発活動に加え、感染リスクの高い集団や村の健康指導員を対象にワークショップ を実施しました。グループワークや視覚教材を用いて、正しい知識の普及並びに予防方法 の練習等を実施しました。アンケートを取りいれ、ワークショップ受講により知識が身に付き、 意識のポジティブな変化があり、さらに実際に予防行動を取るようになったことがわかりま した。 2) HIV 陽性者支援活動 HIV 陽性の人々は、貧困に加え、差別・偏見に苦しむつらい現状 があります。そして、病院に来る交通費もなく、何時間も歩いてくる 人や、病院に来ることをやめてしまう人もいます。彼らは毎日欠か さず服薬する必要があり、治療を継続するためにも、色々な支援 を必要としています。そこで、陽性者グループで収入向上活動を 開始しました。一つは養鶏、もう一つは乳用の山羊飼育です。継 続的な収入獲得が目的でしたが、「生きる希望をもらえた!」とい う声を聞き、何よりも嬉しく思いました。 3) 衛生指導 村では濁った池で生活用水を汲んで使用しています。そして牛や山羊の家畜もその池で水 を飲んでいます。日本人から見ると、この水は絶対飲みたくないと思うような水を使ってい るのです。ケニアの 5 歳未満児の死亡原因の約 10%が下痢です。 そこで、私は村で水の処理(塩素処理・濾過・煮沸)と石鹸での手洗いの指導を行ってきま した。 ←学校での手 洗い指導 4 4) 孤児支援 病院の HIV/AIDS クリニックで、多くのエイズ孤児を見てきました。靴がなく裸足で病院に 来る子供もいます。孤児の子供達の為に何かしたい、そう思っていた時に、現地の方が孤 児院を始めようとしていることを知りました。一家族で始めたプロジェクトで、資金が足りず 準備が進んでいなかったため、日本から寄付を募り、収入源としてのコンピュータープロジ ェクトを開始しました。また施設の建設も進め、2014 年 11 月から孤児の受け入れを開始で きました。一人でも多くの孤児の子供が、十分な食糧と衣服を与えられ、教育を受け、夢を 持って羽ばたいて欲しいと思います。本孤児院のウェブサイトを作成しましたので、ぜひご 覧ください。 DAVILA CHILDREN'S HOME http://davilachildrenshome.webnode.com/ https://www.facebook.com/DAVILACHILDRENSHOME ↑孤児院 (伝統的な家造り) ↑コンピュータートレーニングを実施 授業料を孤児院の運営資金に。またコピーや ラミネーションなどのビジネスも同時に実施 4. 最後に 2 年間のケニアでの生活は、ほぼ全てが新しく、日本とは異なるものばかりで、楽しいものでし た。自然豊かで、人々は半分自給自足。「地球に生きているんだ」と実感します。何より、ケニ アの人々の優しさに触れ、助けられ、子供達の笑顔と目の輝きに未来を感じ、周囲の人の支 えがあって、異国の地での活動を全うできたと思います。協力隊という立場や 2 年間という限 られた期間の中では、大きな成果を残すことは難しいとも感じました。国際協力の難しさも見て きました。ただ、私が現地の人と一緒に行った小さな小さなことが、何人かの中に残り、それが 未来につながっていくと信じています。そして、多くの子供達が「日本人がここにいた」と記憶し、 日本とケニアの架け橋になることを期待しています。子供達が覚えた日本語「ありがとう」をい つまでも忘れないで欲しいと願っています。 5