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6.棚機号
一 奈 自・ ιヽかるが便 り 6欄 機号 影山 建樹 悲 しい知 らせ 1、 教職時代 か らず っとお世話 になっている『 互助新聞』。転居先 まで送 って下 さって誠 に あ りがた く、長年 にわた って支 えて来 て くださった諸賢 に心 よ り御礼 申 し上 げます。 隅 か ら隅まで目を通 させて もらっているが、近頃、気 になるの は言卜 報欄 で、今回は先輩 お一人 と後輩お一人 のご逝去を知 った。先輩 だって八 十歳前 だ し後輩 はず っと手前。 もっ と長生 きを と言 いたいが、実際 の人生では何があ って もおか しくはない。若死 に して もそ れはその一生 ではないか と思 うようにな ってきた。 しか し、悲 しい知 らせである。 葛 うどん 2、 以前 に、奈良 B級 グルメ決定戦 の結果を報告 したが、私 自身 はそのいずれ も賞味 せ ずに 済 ませて しまった。味覚音痴 の私 では役 に立たないが、今回、入選作 の「 吉野葛 うどん」 の説明書 を入手 したので報告す る。 吉野葛 は万葉 の昔 か ら知 られるもので、山野 に 自生す る葛根をす り潰 し、寒水で澱粉を 揉 み 出 して水晒 しして精製 した もの。葛湯・ 葛粥・ 葛餅 。葛豆腐・ ぜん ざい等 々、料理や 菓子 に用 い られてきたが、『葛 うどん』は吉野葛 と小麦粉 を混ぜ合 わせた細 目の麺。昔か ら知 られ る三輪素麺 の技法を生 か し、腰があ り、喉越 しに優れ た麺 とな った。冷麺 に も温 ウ)0120-77 4192 http://www.kudzu/jp キョ クド 麺 に も向 くとい う。問合せ:天 極堂 (テ ン サ ウダ ーデ ポル トガルヘ行 った時、五月 の リスボ ンは ジ ャカ ランダの花が満開で、街全体 が紫色 に 3、 染 まって いた。 また、 ポル トガルの夜 といえば「 ファド」。小型 の ポル トガルギターを伴 奏 に切 々たる情 が巷 のそこここにある酒場で歌われて いた。 : 洋楽 には大 まかに『長調』 と『短調』があるが、長調 に多 い正義・ 本道・ 努力・ 熱望 な ど人生 のプラス面 と、 それ とは反対 の孤独・ 悲壮・ 不運 な どや、成功者 に も付きまとう 「 ひとはけの哀愁」等 のマイナ ス面を持つ短調、 この双方 の表現技能が大切だといわれ る。 ‐ ― 日本語 にな りに くい このマ イナス情感を、 ポル トガルでは「 サウダーデ」といい、 これ を理解 せず に音楽 は出来 ないとい う。 ファ ドは民謡酒場であ り、各国 の人 が同席 していて、 日本人 向けの歌謡曲 も披露 して くれる。 日本人歌手 な ら、控 えめに くど くな らないよ うに 歌 うところを、ポル トガル・ ファドは、切な く苦 しく「 これで もか、 これでもか」 と歌 い 嘆 き続 ける。 まさ しく『 ド短調』 の『 ド演歌』 である。 サウダ ーデはポル トガル以外 の国で も「 タスカ ー」「 トスカ」な ど共通 の内容を持つ言 葉 があ り、勇壮な音楽や熱狂的な音楽で も、 どこかに トスカがない と良 い音楽、良 い演奏 と言えな い とい う。 日本 には この情緒 を訳す言葉 はな いのであろうか ? いや、「暗愁」「閑愁」な どがそれに当たるとい う。 しか し、今では死語に近 い存在。 とい うことは、今 の 日本人 には情緒面 で欠けやす い面 があるとい うことか ? リスボ ン 。テ ージ ョ河 回は、かつ て世界 一 周を目指す男 たちが 出港 した歴史を持 つ港。 そ こに咲 く「 ジ ャカラ ンダ」が JR清 水駅 の「 みな と口」にも植え られている。 一 :一 4、 古都 の風景 古都奈良。 さすがに平城遷都 1300年 前 の建物 は残 ってお らず、古 さで一番 の法隆寺 も再建説 が定着 して いる。ま してや、都市景観 な どはは、時代 と共 に変化 していて当然で ある。「移 ろい易 く留ま らず」は仏法 の第一義。 私 が最初 に奈良へ来 たのは昭和 27年 か 28年 と思 うが、学生帽姿 の写真 が残 るだけ。 しか し、教職時代には数 え切れ ないほど生徒 を引率 して奈良 へ来 た。教師 とい うものは因 果 な商売。折角 の観光地 へ来 て も生徒 と共 に遊んで いるわ けには参 らぬ。「安全 が第一」 で、「 精神不安定 な中学生 の引率」 とい うことが頭 か ら離れな い。 そ うした限 られた中で の体験 か ら見て、最 も変化 した風景 は西 の京 の薬師寺 だと思 う。 今 とは反対 の北側 の駐車場 か ら木立 の中を歩 いて薬師寺 に入 る。 ここか ら薬師寺 とい う 区画 がな く、突然 に右 に金堂 (旧 )左 に二 重 の塔 が現れ る。そ こに待 ち構えて いた坊 さんが、 大きな声 で「清水市立 ○○中学 の皆 さん !こ んにちわ !」 とい うか ら生徒達は虚を突かれ て魂を失 う。お坊 さんは立て板 に水 を流す如 く、飛鳥 。自鳳・ 天平 の違 いを写真例 で示 し、 国宝 の薬師三尊 の素晴 らしさ、「凍れ る音楽」東塔 の裳階 か ら、地上では見えぬ水煙 の こ とまでを見事 に説明なさる。我 々だ って旅行前 に何度 も学習会を開 いてい るのだが、 この 坊 さんには適わな い:子 供 が興味を引 く流行語 も入れて笑 いを取 り、帰校後 の人気投票や 感想文 では他を押 しの けて第一位 となる。 その後、西塔 が再建 され、礎石に掘 り抜 かれた礎芯 とそ こに写 る東塔 に感服す るな どの 体験 は失 われたが、 それ以上 に大 きな違 いは、塔を囲む樹木 が取 り除かれ、回廊や大駐車 場 が出来 て、南か ら眺め る風景がす っか り変わ って しまった ことにある。現在 は竜宮造 り で美 し く結構 だ し、建設に携わ った西岡棟梁 の話 な どに感心 もするが、入江泰吉氏が撮 っ た古 い薬師寺 の美 しさ、醸 し出され る雰囲気 を懐か し く思 う気持 ちも残 っている。 5、 大和 のお酒 私 は『 日本酒党』 である。 いや、あれ これ アル コールの味覚遍歴 を した結果 などとい う 立派な ものではない。「 この酒 はどうか ?」 と問われて も「 旨い」「 飲 める」程度 しか言 えな い 日本酒党なのである。 息子 が奈良 に住まい、時折、大和 の酒 を送 って くれ て、 日本酒党は大和酒党 にならた。 何 と言 って も麹 の香 りの良 さが素晴 らしいのがその理 由である。鼻 は一人前 らしい ? 奈良市街 の東端 を南下 し天理市に近 く、菩提仙川 とい う清流 がある。 これが 日本酒発祥 の地 だそ うで、正暦 3(992)年 に創始 された正暦寺 なるお寺が建 っている。現在 の奈良 の醸 造所 がそれ とどのよ うな関係 があるか知 らな いが、全国 に流通 して いる酒 に比 べ て、大和 酒 は個 性 が強 い。香 りも高 いが値段 も高 く、晩酌 を続 け ると空財布 となる。 6、 新聞の読者文芸 か ら 阿弥陀 さま 今年 の新茶 (毎 日 、 7 0首 ほ ど も掲載 され て い る ¨作者 名 は省 略 ) 召 し上がれ 手 み鹿 の そ りの そ り と横 断 す 欲 張 った花見 に行 って 亡 き母 の書作 を掲げ風を入 れ 被災地 でわが家を探 し飛ぶ ツバ メ 白い花 はさんで隣家 と話 け り こ け ま してん 東塔 が トウ トウ見 えず な りに け り -2- 子 に もあ り孫 に も見 え た 我 が 短 所 7、 和 をもって川柳を造る『以和創句』 斑鳩 といえば法隆寺。法隆寺 は聖徳太子。太子の十七条憲法 の第一条 は「 和を もって貴 そこで『 和』を使 って句を造 るの はどうだろ う。 を もって励 ま しきた る朋友 (と も)が 居 り 和 しなが ら喧嘩 しなが ら子供会 じとなす (以 和為貴 )」 (例 8、 )和 一年生「 いただきます」 と和 して言 う 囲みいる夕飩 の膳 の和気あ いあい この夏 に行 ってみたいな和歌 の浦 和 を 旨 に越 え て至 れ り老 夫 婦 奈良の ワルガキ 新聞報道 によると「 春 日大社 の東側 に広 がる世界遺産・ 春 日山原始林 の立入禁止区域 に 侵入 して焚 き火を し、花火 の発射をす る者 が後を絶 たない」「遊 泳禁止 の吉野川 に飛 び込 み、溺死す る者 が後を絶 たない」そ うで、わが家 の廻 りは暴走族 が後を絶 たない。 「 死神 は後 ろか ら近付 いて急 に肩を叩 く」 というが、奈良特有 の細 く曲が って見通 しの 悪 い道を走 っていると、突然 に「 ブ ッ」 と警笛 が鳴 る。バ ック ミラーで見 ると若 い女が眼 を三角に して速 く走 れ とせか している。 しか し、安全 は無視 出来な いので注意 は怠 らぬ。 やや広 い通 りに出ると、女 は反対車線 に出て追抜 いて行 った。 その先 の横断幕 には大 き く 『 ゆ っ くり走 ろう斑鳩 ここは ロマ ンと文化 の街』 とある。 あの娘 は字 が読 めねえんだな。 久 しぶ りに音楽 孫 が学校 へ行 くよ うにな り、一 日の生活 ペース も落ち着 いて きたので、懸案 の荷物整理 をゆっ くりと再開、僅 かにスペースを作 ってキイボー ドを設置 した。 ここな ら外 へ の音 の 9、 漏 出 は少 な くて済 む。初心者入門テキ ス トの易 しい曲か ら始 めて、 20分 ほど弾 く。階下 の家内 には聞 こえて いたよ うで「 久 しぶ りで いいね」 とい うか ら、少 し続 けてみようかな。 リコーダ ーは遠鳴 りする性質があるか ら後回 しに してお く。 御殿蜂蜜 の販売 我 々が転居 して間 もな く「 桜開花 の時期」 となった。「 騎馬上看花」 とは、洛陽 の牡丹 10、 名所を、馬に乗 って大雑把 に鑑 賞 する ことをい うら しいが、奈良 の桜、私 は車 で廻 ってた くさん の桜名所 を見 る ことが 出来 た。 その一 つ が郡 山城 の桜 である。 その昔、修学旅行 で法隆寺 か ら京都方面 へ帰 る際、金魚養殖地 の先 で郡山城 の脇を通過 す る ことは知 っていたが、桜 の名所 とは知 らなか った。「 郡 山城 さ くら祭 り」 とい う催 し に、混雑 を覚悟 の上で出掛けたが、城内は広 くさ くらは多 く、駐車場 に も苦労 せずに観桜 す ることが出来 た。 郡 山城 の最初 の城主 は筒井順慶。次 いで秀吉 の実弟・ 大和大納言秀長 が入 って大き く発 展 したと言 われ る。明治新政府 の破却 によ り城内施設 の大半 を失 い、放置 されている所 も 見 られるが、石垣に添 って咲 く桜 は古木 もあ って素晴 らしい。今回 はその桜 の蜂蜜を集 め て販売 され るとい う話。江戸時代 に「 御殿桜」 とい う呼称があ ったことか ら「御殿蜂蜜」 と名付け られ、養蜂業者 が城跡内の桜 の蜜を集め、 フランス料理店 の協力 も得て成分調整 な しの「 ソメイ ヨシノ蜂蜜」 とな ったとい う。 問合 せ :大 和郡山城内・ 柳沢文庫 -3- 80743-58-2171 奈良 ホテル視察報告記 奈良 ホテル といえば、明治 に建 て られた「 関西 の迎賓館 」 として知 られる。since1909 奈良公園公道 か ら情緒 ある道を進 んで駐車場へ。立派 な黒塗 りの車 ばか り並 び、運転手 11、 付 きの よ うだか ら、ア ッシのボロ車 ではチ ー ット恥ず か しいが、勇気 (そ んな もんあるか どうか判 らんけど)を 振 るって隣へ並 べ て『新館』か ら入 らせて もらう。 有名 な○○会社 の役員会 があるらしく。○○様御席 の立て札が並 ぶ。 その先 は結婚式 の 披露宴 か ? 全室が 日本庭園 に面 して、オ ー ク材 を用 いた大和文 化 の華 やぎを表現 した造 りとい う。豪華 な引き出物 の見本 は軽 く見過 ごして『本館 』へ の通路を進む。 本館 は奈良公園を借景に桃山御殿風檜造 り。和洋折衷 の融合美 を百年以上 も誇 るという。 客室を覗 く訳 には参 らぬが、応接室 に入 らせて もらう。大 きな振 り子時計は天皇陛下 の アイデア。 その脇 には風格 は堂 々として い るが可成 り痛 んだ ピアノがある。説明書を読 む と、大正 11年 (1922)に 来 日したアル ベル ト・ アイ ンシュタイ ンが ここへ宿泊 した際 に、 バ ッハ を弾 いた ピアノとあ る。戦時中 に疎 開 して行方不明 とな っていたが、某社 の倉庫 に 放置 されて いた ものが発見 され、当時 のスナ ップ写真 も見つか って、博士 が弾 いた ピア ノ として展示 され るようにな った とい う。だいぶ痛 々 しいが、 ちょっと音を出させて もらう。 ドイ ツ・ アクシ ヨンらしい手 ごたえのある響 き。調弦調律 も良 い。低音・ 高音 に も触れ て みたがほぼ良好であ り、鍵盤 を補修すれば演奏可能 と思われ る。 応接室を出 ると昭和天皇を始 めとして 、 このホテルに宿泊 された皇族方 の写真 がた くさ ん張 り出され ている。記憶に残 る有名人 として、 ピアニ ス トの プ ロコフィエ フ、飛行家 リ ン ドバ ーダ、喜劇王 のチ ャップ リン、 ヘ レン・ ケラー、 マーロン・ ブランド、 オ ー ドリイ・ ヘ ップバ ー ンな ど。愛新覚羅薄儀 も泊ま り、ダ ライ・ ラマ 14世 も泊まって いる。 ミーハ ー的 。野次馬根性 で宿泊料 を調 べ た ところ、イ ンペ リアル 0ス イ ー トル ームは、 一泊が 34万 6千 5百 円也。高 いか ?安 いか ? お断 りを食 らうだろう。 レス トランの昼 の 日本食 は 2、 いや、私 の風体 ではチ ェ ックイ ン以前 に 500円 か ら。洋食 は 4、 000円 か ら。夕食 は倍以上 である。土産物売 り場 のシ ョウケ ースには高価 で手 が出せ ぬ奈良名産品 が並んでいた。 大体 を見て、本館 の玄関か ら出ようとした ところ、ボ ーイが跳ぶよ うに駆けて来 て、最 敬礼 して ドアを開けて くれ たので、当方 も胸を張 り、ち ょいと会釈 して退出。表 の運転手 たちはち らりと視線を向けただけだか ら、悠 々と愛車 のエ ンジンを掛けて表 へ 出た。 12、 がん こ―徹長屋 唐招提寺 と薬師寺 の間 に、近鉄「 西 の京」駅 があ り、 その西側 に「 がん こ一徹長屋」が ある。奈良 の伝統 工芸を受 け継 ぐ匠 (た くみ )た ちの仕事場 で、現在 の工房 は茶塞 (先 )、 表具、一刀彫、赤膚焼、 とんぼ玉、製墨、毛筆、 それに近頃参加 したとい う漆芸 がある。 こ う した施設 は、無心に打 ち込んで い る製作過程 を、 こち らも黙 って見 せて もらうことを 第一義 とすべ きであ る。 しか し、匠 の方 にも見せたい語 りたいの気持 ちがあるか ら、 ほ ど よい所 で会話 となる。見物人側 が無作法 だ と、下 らぬ質問でその場 の雰囲気を損 な って し ま うが、 うま く匠の話 を引き出す と素晴 らしい場 とな る。私 は墨造 り人 としば しを語 り合 っ たが、清水 の紙安、四つ葉商会 などで見かけた墨 と筆 を扱 う人 だ った。入場無料。 -4-