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本文ファイル - 長崎大学 学術研究成果リポジトリ

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本文ファイル - 長崎大学 学術研究成果リポジトリ
NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE
Title
長崎の証言ニュース No.21
Author(s)
Citation
長崎の証言ニュース No.21; 1973
Issue Date
1973-12-10
URL
http://hdl.handle.net/10069/36282
Right
© 長崎の証言の会
This document is downloaded at: 2017-03-29T10:36:07Z
http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp
’
ダ
食を取る暇もなく所定の時刻にや
っと会場にすべりこんだ。先発の
葉山事務局長が、鉢巻を巻き、長
崎原爆被災協の腕章とたすきを肩
からかけ、声をからして整理をし
ておられたが、われわれの到着を
知りニッコリされた。
総決起集会で
し、車の進行を規制している。先頭
,を進んでいるマイクロバスからは、
通して、ビルの谷間にコダマせよ、
被団協の事務局の 女 性 が 拡 声 機 を
とばかりに都民に訴え続けた。わ
れわれは、それにこたえてシユプ
レヒコトルをする。﹁私達は、二
十八年前、広島、 長 崎 で 原 子 爆 弾
ゞを受けた被爆者です。本日あの日.
以来全国に散らばっていた被爆者
が東京に結集し、原爆被害者援護
法を制定するよう厚生省に要求し
ています。都民のみなさま、どう
か絶大なるご支援とご協力をお願
い致します。私達は、もうこれ以
健康、生活苦等を考慮し、昭和五
十年迄には絶対に援護法をという
決意で行動計画をたてたが、不幸
にして国会は休会中になってしま
った。しかし、もう待てないとい
う全国からの被爆者の叫びを重ん
じて予定通り行動する事に決めた。
この中から選出された約百名は、
厚生省への交渉団と共に行動し、
うぞ!﹂と叫んだ。
入った。私は、本当に自分が可愛
想に思われた。しかし、この時あ
らためて世界で最も弱い被爆者の
最も強い要求をみたしてくれるべ
き国は、戦争放棄を叫んだ日本で
あり、そうでなくては平和宣言を
した資格がないのだということが
わかり、私達がいま行なっている
﹁援護法の制定闘争﹂の重大なる
意義をあらためて理解した。私の
まなこからは、涙がとまり、今ま
で放置していた政府への怒りをこ
めて、大声で﹁全国の被爆者は闘
厚生省前に坐りこむ
八n月7日Vテントを張ってがん
ばっている坐り込み団に対して、
厚生省側は﹁あと三十分で撤去し
て下さい。﹂と詰めよってきた。
﹁今朝は冷えて気温は七度じゃな
いですか。われわれが全国三十余
万被爆者の代表者としてこうする
のは、二十八年間も半病人にして
ホッタラかし、知らぬ顔をしてい
る政府に対して最大の憤りを感じ
ているからだ。そんなに、あなた
がいうのなら厚生大臣に会わせな
さい。﹂﹁約束は守って下さい﹂
﹁そういうなら、国は法を守りな
さい﹂のやりとりが早朝から続い
た・
全厚生労組執行委員長は、﹁皆
さんを苦しめている政府に対して
新たな怒りを感じる。私達が勤め
ている厚生省の中にもたたかいの
成功を祈っている多数の組合員が
いるということを忘れないでほし
い。一切の皆さん方のご要望は、
りますから安心して闘って下さい空
と激励された。
|,
ます。どうぞその時、一人でも二人
びに諸団体への支援要請に行った
人びとの話しが次々となされた。
中でも﹁この霞ヶ関界隈には、あ
らゆる官庁が建ち並んでいます。
その労組員の一人一人が、白髪の
おじいさん、おばあさん、白い杖
をもった被爆者の皆さんが、自分
の要求のために全国から集り、闘
っているということに対して、深
く尊敬しています。そしてそれは、
自分達の労働組合運動そのものに
対する反省にもなっています。私
達は直ちに全国の下部組織に電報
を下し、皆様方の支援を要請し、
ともに闘います。また今夜、お茶
の水の労金ホールに都下五千名の
組合員を集めて決起大会を行ない
でも結構ですから、皆様方の訴え
を伝えて下さい。その結果は、き
っと日本国民全部に伝わり、潮の
ような勢いで皆様方を支援して、
押し寄せてくることと信じま式﹂
という言葉を聞いた時は、その力
組合の方からも守っていきます些
と云う内面からの力強い応援があ
った。その後、京都、大阪府等の
ある時は駈け足で追いかけた。白
髪の人も、婦人も、頭の上を会場
でもらったプリント用紙やハンカ
チで覆い、両肩に流れる雫を気に
しながら進んだ。
交通量のはげしい、大東京のど一
真ん中での五列縦隊の行進であるp
交通整理の警官は、トランシーバー
−を片手に、隊列から離れず行動一
前進する回答を期待し、本日より
大行動に参加する第二陣と共に再
び国会請願デモを行なった。﹁都
民の皆さん、被爆者に対する国の
補償はいまだに見るべきものがあ
りません。私達は、肉親を殺され、
病気や生活の苦しみに追われてい
ます。日本政府は今すぐ援護法を
制定せよ!広島、長崎をくり返
させるな!アメリカは被爆者に
あやまれ!医療を無料にせよ!
誠意をもって補償せよ!等のシ
ュプレヒコールを繰り返した。
私は今度は、第一日目と違って
胸を張って歩き行動した。それは、
私たちのあまりにも正当な要求が
そのまま多数の人びとに伝えられ、
支援され、長崎の代表であると云
う自覚にたったことが出来たから
であった。山手教会での中央集会
では、大行動の第一陣を代表して、
長崎の武田団長が、第二陣の愛知
県の団長に熱烈な引き継ぎをした。
強い激励に対して溢れ出る涙をこ
’
八n月9.伯日V連日の闘いの成
らえ、カーぱいの拍手を送って感
果がみのり、ついに厚生大臣と面
謝した。
会することができ、公衆衛生局を
生活保障をふくむ窓口と決定する
第二回国会請願デモ
迄にこぎつけた。ここで私たちの
ハn月8日V日ましに増加する支
五日間にわたる涙の中の感動的な
援団体や、日本被団協の﹁要求骨
大行動を修了し、決意も堅く、そ
子 ﹂ を 盛 り 込 ん だ 社 共 公 民 の 全 野 一れぞれの故里へと散って行った。
党 共 同 提 案 へ の 動 き 、 そ れ に 加 え 一.︵長崎の証言の会事務局次長︶
て総理を始めとする与党の大きく
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0
そんな中で、政府や各党への陳
情の結果や首相との面接報告、並
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− − 岳 一 一
一
一
●‘●
│
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∼
●
’
上まっておられません!医療と
生活を援護せよ! 全 員 に 年 金 を
保障せよ!国家補 償 に も と づ く
被爆者援護法を制 定 せ よ ! 全 国
(
3
)
●
I
2
)
長崎の証言ニュースNq21
の被爆者は闘うぞ!﹂
拡声機のカン高い叫びに相呼応
するかのように、日本山妙法寺の
僧侶三名の打ち鳴らすうちわ大鼓
の音が鳴り響き、﹁私も仏弟子と
して、人びとの苦しみを共有し、
共に不正義と闘いつつ、人間が人
間として存在できる世をめざした
い﹂と念願する渋谷僧侶等のお題
目が力強く聞えて来た。この時、
・私 は 今 ま で 味 わ っ た 事 の な い こ の
厳しい闘争の中で 、 背 筋 を 走 る 緊
張感にうたれ、声がつまった。
行進を見ている都民の中からふ
と﹁可愛想にね﹂という声が耳に
一
一
一
一
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111
華
や
まれるに至った。しかし、市民が反戦平和のたたかいが強調された。
基地の実態をよく知っていない面その主張は教師は労働者としての
もある。高校からは戦争体験アン感性や思考を持ち、8.9などの
世保の.﹁平和教育と基地佐世保﹂が争中の遺品の収集、戦争の傷跡を
あった。佐世保では空襲の記録一火カメラにおさめている。8.9で
の雨﹂が出版され、大空襲の日ののグループ学習が報告された。
西彼では﹁平和闘争﹂と題して、
6.羽は帥免以上の学校でとりく
県教組第羽次、高教組第創次、ケートの報告があった。
教育研究長崎県集会は十一月九日諌北では、昨年に比べて8.9
十日の両日、大村市で開かれた。登校日は質量共に飛躍的に前進し
私はその第躯分科会・平和教育のたと報告された。飯盛中では学年
司会をつとめた。一日目の九日はにふさわしい資料の収集や系統的
旧の総支部のレポートに基づく実な指導案づくりが行なわれ、被爆
践報告、二日目の十日は討議が行の生き証人がいるうちにと地域で
なわれた。まず私はレポートをよの聞き書き運動をすすめている。
んで、平和教育が広くとりくまれ、大東での8.9実践は三の一ほ
深みをましているのを感じた。8どだったが、8.9だけでなく8
.9原爆登校日は全県下に確実に・9前後にしても教育的価値は変
定着しつつあり、ここを起点に平わらないのでないか。地域内の資
和教育が掘りおこされ、各教科や料を掘りおこす必要がある。原爆
年間を通じて拡がりつつあるが、学習だけでは主体的行動へ結びつ
そこはまだじゅうぶんではない。かないので戦争学習をすべきだ。
しかし、年々平和教育が着実に前県に平和教育の機関が必要である
進しつつあるのは間違いない。との提案もなされた。
島南でもゲリラ的とりくみから
一、平和教育をどう進めたか
組織的とりくみへ変わりつつある
実践報告ではまず長崎の﹁生徒が、まだアンバランスがひどい。
会による平和教育の進め方﹂、佐モンペ、ズキン、戦闘帽などの戦
︵北高。飯盛中学校︶末永浩
l教育研究長崎県集会の報告l
平和教育は前進している
’
ある。
和の闘いを討議した。対馬・五島
長崎・大村・島原から、最近判決
が出て国民に対していっそうかた
くなになっている自衛隊の実情と
その闘いが報告された。カベが厚
く状勢がきびしいため教師にとま
どいが感じられるが、平和憲法の
原点にたちかえって考えよう、小
さなことにもっと目を光らせよう
ということになった。その場合、
安保条約と米軍基地の視点を欠い
てはならない。教師の教室外での
平和闘争の弱さも指摘された。
平和教育を進める時、生徒の自
主性を引き出してゆこう、与えら
れたものはほんものではない。生
徒会活動や文化祭などでの文集展
や原爆展、創作ダンスなどをとり
くませよう。また、加害者の立場
を忘れないようにしよう。地域の
父母・住民への働きかけも大切で
くか
ことになった。
集︶を県段階で作成してほしいと
の声が多かった。アンケートでは
子どもの認識を知り、方向性をつ
かむ、追跡調査にもなる。系統性
やカリキュラムでは飯盛中、森山
中、猶興館高、長崎の山川先生の
プランや実践が出たが、まだ弱い。
原爆読本の増刷などを事務局体制
を整えてきちんとやってほしい、
地域での掘りおこしや実践に基づ
いた資料づくりをやろう、という
C平和教育をになう教師集団
その主体の強化と拡大
これについては時間がなくて討
議が.不足したが、ABでの討論と
−1I
平和教育を倭小化するな、自己目
的化するなというものであったが、
やや観念的であった。
五島は﹁実践過程における平和
教育の問題l国語教育を通して﹂
というレポートだったが、三分の
二以上の分会が8.9をかちとっ
た。校長たちもとりくまざるをえ
一律や嘩檮つ永蓉羅稚班計唖匪畦生恒
う提案があった。すぐれた文学教
材である﹁とびうおのぼうやはび
ょうきです﹂を使った効果的な実
践もあった。
北松は今年は8.9を設定する
ことができたが、では何をするか
というと、とまどいもあった。や
はり総支部での活動として、組織
的にやっていく必要がある。高校
から教科での自主編成のための一
覧表が提示された。
玄海︵壱岐︶では8.9のとり
くみが昨年は6校だったが、今年
は肥校のうちⅣ校となった。小学
校低学年のとりくみをどうしたら
よいかということだったが、文学
教材による五島の実践はその方向
を示しているだろう。
対島はこの会場まで十一時間か
かってやってきたという。自衛隊
のうまいPRにどう対処したらよ
いだろうかとの疑問がのべられた。
教室実践も闘いになっている。離
島では地元出身の先生が少なく、
劃
登校日をなくそうという立塲か言い︸
とであった。
8.9とりくみとの間にずれが
があ
あ一
、、、nxUc
る 。 資 料 が 手 に 入 り に く くノ、
8.
というこ
9の内容はまだとぼしいと
実践報告の終わりに、長
長崎 の
の坂
坂一
口先生から十月十三日、十四日に一
広島で行なわれた﹁平和教育シン
ポジウム﹂の報告がなされた。
二、平和教育をどう進めるか
二日目は次の順序で討議した。
Aその実践と視点の問題点
Ⅱ■
ここでは8.9登校日のとりく
みの問題に意見が集中した。離島
では先生が本土に帰るという問題
もあり、登校日をなくしていくと
いう方向と矛盾するのではないか。
それに資料不足の問題もある。こ
れに対し従来からの全校登校日が
そのまま平和教育登校日に移行し
た感があり、なぜ8.9をやるの
かという意義をじゅうぶん討議し、
明確にすべきであるということに
なった。まず職員会で平和教育の
位置づけをはっきりさせ、四月は
じめに学校行事の中に入れさせる
こと、8.9は平和教育の出発点
であり、とくに長崎にとっては絶
対的なものであること、8.9に
はやはり原爆を扱うべきではない
か、ということになった。
次に自衛隊と平和憲法、反戦平
’
−
’
I■■■■■■■■■■
ー一→竜一ローーー−−.-......-..・ロ..、--.-ロロ一一一PP−−−■・・一一・--−---
!
B生徒の認識をどう深めてい
−
ゼミ﹂が原爆展を行ないました。
目戦災資料の返還。整理など
原点ゼミでは﹁原爆と三菱﹂を
東京都知事への協力要請
テーマにした資料と八月六’九日
の各新聞︵二十紙︶を展示し注目
東京都と都民による労作﹁東京 されました。とくに長崎原爆につ
都百年史﹂と﹁東京大空襲。戦災
いての報道が長崎を離れれば離れ
誌﹂の刊行は、〃歴史への積極的 るほど稀薄になっていくことなど
な 市 民 参 加 〃 の 具 体 的 な 結 実 と し 重大な事実が指摘されています。
て高く評価されていますが、この
証
言
ゼミでは﹁原爆ビラ問題の
十月︾﹁戦災誌﹂編さん関係者を
真
相
﹂
﹁歴史の偽造﹂の分析のほ
中心に、次の二点についての都知
か
、
昨年以来とりくんできた渡辺
事への要望書が出されました。①
千
恵
子、福田須磨子、松尾あつゆ
アメリカに押収中の資料のマイク
き
、朝鮮人被爆者、被爆二世の六
ロフィルム購入への援助、②﹁東
組
の研究発表を行ない、また文集
京大空襲・戦災誌﹂の編さんに使
﹃長崎の証人たち﹄第3集を発行
用したぼう大な資料、各国各都市
しました。これには久保カヲ︵哲
の空襲・戦災資料の整理、統合、
保存への援助、の二つで、②は8
月名古屋で開かれた﹁空襲を記録
する会全国連絡会議﹂の申合せに
もとづくものです。この要請書に
は、東京空襲を記録する会、アメ
リカ押収資料を返還。公開を要求
する会、横浜空襲を記録する会、
広島原爆文献の会の世話人のほか、
長崎の証言の会︵秋月辰一郎、鎌
田定夫︶も連署しています。
− ・ ロ 一 一 一 一 一 - 口
’
LOPl■0F
’
図充実した原爆展・文集発行
I
もかかわっている。教室外での今
日的問題にもっと取りくむべきだ
との主張に対して替否両論あった。
8.9をはじめ平和教育を組織的
にとりくんで行こう、そのために
は教師の主体性、積極的な姿勢が
大切だということで討論を終わっ
た。昨年まとめた﹁平和教育の進
め方﹂に二日間の報告。討論をさ
らに加えてまとめることを確認し
た。︵長崎市立山町六○︶
q
】
●
l造船大付属高文化祭l
’
圏八。八集会記録刊行予定
l
I
﹁証言一一ユース﹂別号で紹介し
I
去る9月羽日、釦日おこなわれ
た長崎造船大学付属高校の文化祭
では、今年も﹁原点ゼミ﹂﹃証言
’
●
●
た8月8日夜の﹁原爆と科学。教
育文化を考える夕べ﹂の記録集が
近く科学者会議から刊行されま式
|
長崎の証言ニュースNQ21
(
5
)
’
まず生徒の作文がとりあげられ、
はじめは同情作文や決意作文が出
てこようが、それをどう高めてい
くかは教師の責任であり、ここに
教材や系統性、カリキュラムの自
主編成が重要であるということに
なった。作文では個人指導をした
り、文集で生徒へ還元すべきであ
る。視聴覚教材︵スライド。写真
i
(
4
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可
一
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