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取締役の監督義務に関する オーストラリア判例法の展開

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取締役の監督義務に関する オーストラリア判例法の展開
187
ソシオサイエンス Vol. 18 2012年3月
論 文
取締役の監督義務に関する
オーストラリア判例法の展開
― 判例法とソフトローとの関係を中心に ―
林 孝 宗*
Ⅰ はじめに
ながら事実上の強制力を持って上場会社に適用
されることになった。
オーストラリアは,近年,健全なコーポレー
オーストラリアにおいても,1991年に,停滞
ト・ガバナンスの確立に積極的な国の一つで
していたオーストラリア経済の活性化のため
ある。特に,取締役の義務や責任については,
に,ボッシュ委員会が,民間主導により,
「会社
1960年代の早い時期から会社制定法による取締
の実務と慣行」
(Corporate Practices and Conduct)
役の義務の明文化や判例による義務内容の具体
という上場会社のコーポレート・ガバナンス
化が進展してきた。また,1990年代初めから,
にとって望ましいとされる様々な勧告を行っ
民間主導により最良実務慣行などのソフトロー
た。この「会社の実務と慣行」も,後にオース
によるコーポレート・ガバナンス向上を目指し
トラリア証券取引所の上場規則の中に取り入れ
たイギリスと軌を同じくして,オーストラリア
られ,上場会社に対して大きな影響を及ぼして
においても民間主導による上場会社のコーポ
いく。これは,オーストラリア証券取引所が中
レート・ガバナンス改革が進められた。
心に作成した「コーポレート・ガバナンス原則
イギリスでは,上場会社の不祥事を契機に,
1992年のキャドバリー委員会報告書を嚆矢とし
て,民間設置の委員会がコーポレート・ガバナ
と最良実務勧告」
(Principles of Good Corporate
Governance and Best Practice Recommendations)に
引き継がれていくことになる。
ンスにとって好ましい慣行を示し,それを上場
このように,民間主導によって作成された最
会社が自主的に取り入れるという方法によっ
良の慣行や勧告は,会社法などの制定法とは異
て,イギリスは健全なコーポレート・ガバナン
なり任意規範であることから,一般にソフト
スを確立しようとしてきた。その後,こうして
ローと呼ばれている。上記の慣行や勧告のよう
示された最良の慣行は,ロンドン証券取引所の
なソフトローは,上場会社に対する指針でしか
上場規則に取り入れられ,その遵守か不遵守の
なく法的な強制力がないことから,当初はその
説明を求められるという形で,任意規範であり
有用性に疑問が持たれることも少なくなかっ
*早稲田大学大学院社会科学研究科 博士後期課程3年
188
た。ところが,近年では,ソフトローが上場規
則に取り込まれることによって,上場会社に対
して実質的な強制力を有し,加えて,裁判所が
取締役等の注意義務違反を判断する際に,指針
Ⅱ オーストラリアにおけるコーポレート・
ガバナンスの構造と法規制の特徴
1.会社制定法における取締役の義務と責任
として用いられることで,ソフトローの新しい
判例法の展開を検討する前に,まず,オース
機能が発揮されている。特に,オーストラリア
トラリア会社法における取締役と会社役員の義
では,裁判所の判断がソフトローの作成過程に
務と責任について概観する。ただし,オースト
大きな影響を与え,また,逆にソフトローが裁
ラリア会社法上,会社役員は,取締役に関する
判所の判断に影響を与えるという相互補完的な
規定に服することから,取締役の注意義務の変
関係が見出される。
遷を中心に取り上げることにする。オーストラ
一方,我が国の裁判所では,これまで実務界
リアは,元々は英連邦諸国の一つであり,イギ
等の作成したソフトローを判断基準として採用
リス会社法を継受してきた経緯から,取締役や
することに,一般的に消極的であったように見
取締役会議長は会社に対して衡平法上の信認義
受けられる。変化の早い経済状況において,制
務(fiduciary duty)と,コモンロー上の注意義
定法だけでは適切・迅速に対処できない問題に
対して,ソフトローが適宜機能するよう法制を
務(duty of care and skill)を負うとされてきた。
その後,オーストラリアでは,どの英連邦諸国
設計することは,今後の我が国のコーポレー
よりも早く,取締役の注意義務について会社制
ト・ガバナンスを考えていくうえで重要な視点
定法に明文規定を設けている。
の一つといえよう。
1958年ビクトリア州会社法107条が設けられ
本稿は,オーストラリアの上場会社における
るまで,取締役の注意義務に関する規定は,法
取締役の注意義務違反に関する判例法の展開を
文上は存在せず,判例法に委ねられていた。当
検討し,これを通じて,裁判所の判断とソフ
時のオーストラリアの裁判所は,イギリスの判
トローとが相互補完的な関係を有しているこ
例である Re City Equitable Fire Insurance Co. Ltd
と,およびその内容を明らかにすることを目的
事件判決(1) を参考に,取締役は自身が有する
とするものである。検討の順序としては,Ⅱで
知識や経験にかんがみて行為すれば注意を尽く
は判例法の理解に必要な限りで,取締役の注意
したことになると判示していた(いわゆる主観
義務に関するオーストラリアの法制度を会社法
基準(subjective test))。この基準によると,取
とソフトローである「コーポレート・ガバナン
締役の知識や経験が乏しいほど,取締役の責任
ス原則と最良実務勧告」を中心に概観する。Ⅲ
を問うことができる場合が限定されることが指
では,上場会社の取締役と取締役会議長につい
摘され,取締役会の監督機能の形骸化を招いた
て,注意義務(監督義務)違反が争われた判例
と,学説上,批判が生じていた(2)。当時,国内
を若干詳しく検討する。Ⅳにおいて,オースト
では取締役の注意義務について明文規定を設け
ラリアの判例の検討を通じて明らかになる点を
るべきかが活発に議論された。この取締役の注
確認し,日本法への示唆を指摘したい。
意義務の明文化に関する議論は,コーポレー
取締役の監督義務に関するオーストラリア判例法の展開
ト・ガバナンス改革の一つの試みであり,当時
189
員(officer)は,その権限の行使および義務の
のイギリスも含め他の英連邦諸国には見られな
履行にあたっては,当該会社において同様の地
い特色であった。1958年ビクトリア州会社法
位を占める合理的な者が当該会社の置かれた状
107条には,「取締役は,常に誠実に(honestly)
況からすると用いるであろう程度の注意と勤勉
行動し,その地位に伴う義務の履行において合
を払わなければならない」と規定している。こ
理的に(reasonable)勤勉性を用いる必要があ
こでは,単に従来の主観基準ではなく客観基準
る」という内容の規定が置かれ,取締役は職務
で判断することのみを強調し,当該取締役が一
を果たす上で合理的な範囲で注意義務を負うも
般の取締役よりも高い水準の知識,技量,経験
のとされた。この規定は,1961年オーストラリ
を有している場合に,その有する知識等に見合
(3)
ア統一会社法にも引き継がれた 。しかし,こ
うように注意義務の基準が引き上げられるか否
の規定のみでは,未だどのような基準で取締役
かは充分に検討されていなかったようである(6)。
の注意義務を判断するかは具体的に明らかでは
1999年の会社法改正でも,取締役の注意義務
(4)
なく ,基準の具体的な明確化は1992年の改正
の規定(現在のオーストラリア会社法180条)
を待たなければならなかった。
に関して大幅な改正はなかったが,その後の判
1989年,オーストラリアでは,取締役の義務
例法(7) によって取締役の注意義務違反につい
について検討したクーニー委員会が,取締役の
ては二重基準によって判断することが確認され
注意義務についての主観基準による判断は現在
た。二重基準(dual test)とは,取締役に対し
の社会的要請に合致せず,立法による客観基準
て,客観的に当該取締役と同様の役割を果たす
の明示が必要であると勧告した。同じ頃,イギ
者に合理的に期待される,知識,技量,勤勉さ
リスでは,オフショアの租税回避行為によって
が要求されることを基礎として,当該取締役が
債務を負担することになった不動産会社の業務
一般の取締役よりも高い水準の知識,技量,経
執行取締役の責任が問題となった事案におい
験を有している場合には,その有する知識等に
て,1991年 の Norman v. Theodore Goddard 事 件
見合うように注意義務の基準が引き上げられる
判決(5) が,これまでの主観基準による判断か
とする基準である。この二重基準は,イギリス
ら,取締役は取締役の義務を履行する者に合理
の1986年倒産法214条および2006年会社法174条
的に期待されうる技量を備えていなければなら
でも採用されている(8)。この1999年の改正作業
ないと判示し,これまでと異なる基準による
においては,注意義務の中に含まれる取締役の
判断が示された(一般的に,これを客観基準
監督義務を明示した規定を設けるべきかについ
(objective test)と呼ぶ)。
クーニー委員会による勧告とイギリスにおけ
る判例の変化の影響からか,オーストラリアで
ても議論されたが,オーストラリア取締役協会
(the Australian Institute of Company Directors)
等の反対によって現実しなかった(9)。
は,1992年の会社法改正時に,客観基準につい
1999年の改正時には,取締役について,経営
ての規定(当時のオーストラリア会社法232条
判原則(business judgment rule)の規定も追加
4項)が設けられた。条文は「取締役を含む役
された。これは,アメリカの判例法(主にデラ
190
ウェア州裁判所の判例法)を参考に設けられた
判所に申立てを行い,裁判所の命令によって,
規定であり,オーストラリア会社法180条2項
当該取締役に対して資格剥奪と20万オーストラ
に,取締役は経営判断を行う上で規定に掲げる
リアドル以下の制裁金を課すことができると規
要件をすべて満たした場合には,会社法上およ
定している(12)。オーストラリア証券投資委員
び衡平法上の注意義務を果たしたとみなされる
会は,単に証券取引の監督のみならず,市場経
旨が規定されている。その要件として,①経営
済の安定のために,会社の登記業務や会社業務
判断が適正目的(proper purpose)によって行わ
を調査・監督する役割を与えられている。後に
れたこと,②経営判断が誠実に(in good faith)
判例の検討において触れるが,取締役の注意義
行われたこと,③経営判断を行った取締役が私
務違反についても,株主が訴訟を提起すること
的な利益を有していなかったこと,④経営判断
は少なく(13),オーストラリア証券投資委員会
を行った取締役が,判断する上で重要な情報の
が民事罰の執行のために訴訟を提起することが
適切性を合理的に信じていたこと,⑤経営判断
多いようである。また,上述の取締役の民事
を行った取締役が,会社の最善の利益(in the
罰の規定は,民事手続による旨が定められて
とが挙げられている。180条3項には,経営判
会社法793C 条2項(b)号には,オーストラリア
best of interest)になると合理的に信じていたこ
断についての定義規定も置かれている。これら
おり,刑事罰や行政罰とは区別されている(14)。
証券投資委員会が,上場会社の取締役に対して
の規定は,取締役の責任に対する判例の判断基
当該会社が上場規則を遵守するよう裁判所に命
準が厳格になりすぎたとして追加されたもので
令求めることができる旨を規定しており,オー
あるが,改正後,実際に経営判断原則の適用に
ストラリア証券投資委員会が,上場会社のコー
ついて争われた事案はほとんどないようであ
ポレート・ガバナンスについて大きな役割を
(10)
る
。オーストラリアでは,この規定が導入
担っていることが窺われる。
される以前から,経営判断の内容について実質
的な審査をすることは避けられる傾向にあり,
経営判断に至る過程または手続的側面に着目し
(11)
2.
「コーポレート・ガバナンス原則と最良実
務勧告」における取締役の義務と責任
,訴訟を提
次に,オーストラリアの上場会社に対する
起された取締役が特に経営判断原則を主張・立
ソフトローによる規制について概観してみよ
証することは少なかったともいえそうである。
う(15)。上場会社に対するソフトローによる規
ところで,オーストラリア会社法には,イ
制の議論は,1990年代はじめに遡る。1980年代
ギリス会社法と異なり,取締役の注意義務違
後半からの経済の停滞と上場会社に対する市場
反に対する民事罰の規定がある。オーストラ
の信頼の低下から,1990年に,政府は,オース
リア会社法1317E 条は,会社に損害が発生して
トラリア経済に関する諮問委員会のワーキン
いなくても取締役が注意義務を欠いていた場
グ・グループとしてボッシュ委員会を設置し
合,オーストラリア証券投資委員会(Australian
た。同委員会には,実務界も積極的に加わり,
て判断がなされていたことから
Securities Investment Commission:ASIC) が 裁
委員会の作業は民間主導で進められた。翌年の
取締役の監督義務に関するオーストラリア判例法の展開
1991年に,ボッシュ委員会は,「会社の実務と
慣行」を公表し,望ましいとされる上場会社の
コーポレート・ガバナンスについて様々な勧告
191
て,オーストラリア証券取引所(Australia Stock
Exchange : ASX)は,1994年から上場規則にお
いて「会社の実務と行動」の規定を遵守してい
を行なった。この勧告の公表は,オーストラリ
るかあるいは遵守していない場合はその理由の
アが初めてソフトローによりコーポレート・ガ
説明を開示するよう定めた(オーストラリア証
バナンスの健全化を目指した画期的な出来事
。前述したように,会
券取引所上場規則 4.10.3)
(16)
であった
。イギリスでも,1980年代後半から
社法は,オーストラリア証券取引委員会が,上
続いた多くの上場会社の不祥事を契機にキャ
場会社の取締役に対して上場会社が上場規則を
ドバリー委員会が設置され,1992年に民間主導
遵守するよう裁判所の命令を求めることができ
によるソフトローと呼べる「最良実務コード」
ると規定しており,これは,ソフトローである
(Code of Best Practice)が公表された。両国と
「会社の実務と慣行」を,間接的に上場会社に
もに共通している点は,上場会社に対してソフ
遵守させる効果を持つものである。上記の経緯
トローによりコーポレート・ガバナンスの規範
からして,
「会社の実務と慣行」が,1990年代を
確立を目指した点であり,これはその後,国際
通じて,上場会社のコーポレート・ガバナンス
的な潮流となっていった。
の規範を確立する役割を担っていたといえる。
ボッシュ委員会による「会社の実務と慣行」
2000年代に入ると,上場会社の取締役や会
は,取締役会の監督機能の向上を中心に据え,
社役員について注意義務違反を争う判例が多
取締役会の監督機能の向上が,コーポレート・
数あらわれ,上場会社のコーポレート・ガバ
ガバナンスの健全化にとって要点であるとし
ナンスについて,再び大きく議論が展開する。
た。そして,監督機能の向上のためには,業務
2002年に,後述する大規模な上場会社の不祥事
執行の監督のみ行う取締役(非業務執行取締役
である HIH 事件を契機として,オーストラリ
とも呼ぶ)の役割が重要であるとしていたが,
当初,イギリスのキャドバリー報告書の「最良
実務コード」と同様に,非業務執行取締役の独
立性について具体的な基準を示さないなど,取
ア証券取引所が,実務界との協力によりコー
ポレート・ガバナンス委員会(ASX Corporate
Governance Council)を立ち上げ,上場会社に
おけるコーポレート・ガバナンスの健全化のた
締役会の監督機能を向上させるための具体的な
めの新たな規範を模索し始めた。この時期は,
基準については明示していなかった。その後,
アメリカやイギリスにおいて,上場会社のコー
オーストラリアの機関投資家団体であるオー
ポレート・ガバナンスについて大きな変化が
ストラリア投資マネージャー協会(Australian
見られた時期でもあり(18),オーストラリアも
Investment Manager Association: AIMA)の協力(17)
少なからずその影響を受けていると思われる。
による数度の改正を経て,非業務執行取締役に
2003年に,上記委員会は,「コーポレート・ガ
ついて独立性の具体的化(Guideline 1.1)等が
バナンス原則と最良実務勧告」(以下,「原則と
行われた。
また,
「会社の実務と慣行」の公表に合わせ
勧告」という)を公表した。この「原則と勧告」
は,前述した「会社の実務と慣行」と同様に,
192
上場会社における取締役会の監督機能の向上を
は取締役会の監督機能が担保されないことか
中心に据え,その中でも取締役会の議長と取締
ら,さらに加えられている要件であるといえ
役会構成員である非業務執行取締役が,監督者
るだろう。具体的に挙げると,①主要株主(a
としての役割をどのように果たしていくべき
substantial shareholder)である者またはこれと
かを明らかにすることを課題とした。その後,
直接的な関係がある者,②過去3年以内に当該
2007年と2010年に部分的な改正が行われている
会社またはその会社の属するグループ会社の従
が,内容的に大きな変更はない。
業員である者または過去に従業員であった者,
では,その内容を本稿との関連に留意しつつ
③当該会社との間において直接・間接的に重要
概観していくが,断りがないかぎり,2010年に
な取引上の関係にある者,④当該会社またはそ
改正された「原則と勧告」に基づいて記述す
の会社の属するグループ会社の取締役以外の重
る。取締役会は業務執行者に対する監督機関と
要な役職に就いている者,⑤過去3年以内に当
して主に期待されている(原則1)。また,取
該会社またはその会社の属するグループ会社に
締役会の監督とは,業務執行者に対する監督
おける専門家として助言を締結する契約を行う
のみならず,会社全体の監督(Oversee)も含
など重要な関係を有していた者は,独立性を否
み,会社の内部統制や法令遵守について監督
定される。また,会社としても,独立取締役で
(Monitor)する立場にあるとされ(勧告1.1の
あるか否かに関わらず,個々の取締役が業務執
ている。上記については,年次報告書に添付さ
えなければならない(勧告2.1の Commentary)。
Commentary),かなり広範囲の監督を期待され
行者から独立した判断ができるよう体制を整
れるコーポレート・ガバナンス報告書において
この独立取締役とは,非業務執行取締役の役割
具体的に説明できなければならない。また,業
である監督者としての役割をさらに高めるため
務執行者や会社に対する監督を高めるために,
の考え方であり,イギリスのコーポレート・ガ
取締役会以外にも監査委員会,指名委員会,報
バナンス・コードやアメリカのニューヨーク証
酬委員会の設置が求められている(勧告4.1な
券取引所の上場規則においても採用されてい
取締役会や各委員会は,広範囲の監督を期待
の監督機関としての独立性を担保するために有
されていることから,業務執行者から独立して
効であると認識されている一方で,独立性を求
いることが求められ,取締役会の構成員の過半
めるあまり就任している会社や業界に関する知
数は独立取締役(independent director)でなけ
識や経験が不足しがちであることが指摘されて
員会においては構成員のすべてが非業務執行取
主に行う非業務執行取締役に対して会社を監督
締役でなければならず,過半数は独立取締役で
する上での専門性を求める議論が活発になされ
なければならない(勧告4.2)。この独立取締役
ている(20)。この専門性については,具体的に
とは,業務執行者からの独立性を有する非業務
制定法などで決定することは困難であることか
執行取締役を指す。これは単なる社外性のみで
ら,ソフトローである自主規制によって具体化
ど)。
ればならないとされている(勧告2.1)。監査委
る。この独立取締役に対しては,取締役会など
いる(19)。そこでオーストラリアでは,監督を
取締役の監督義務に関するオーストラリア判例法の展開
193
すべきとする意見もある(21)。実際に,イギリ
会社法において,オーストラリア証券取引委員
スのコーポレート・ガバナンス・コードにおい
会が,上場会社の取締役に対して当該会社が上
ては,非業務執行取締役や取締役会議長に専門
場規則を遵守するよう裁判所の命令を求めるこ
性を求める規定が追加されている(22)。
とができる旨を規定していることから,「原則
加えて,取締役会議長の役割の重要性が認識
されている。取締役会議長の主な役割として,
と勧告」は上場会社に対して,開示による事実
上の強制力を有している。
個々の取締役が取締役会において効率的に判断
できるようにすることと,取締役会と業務執行
者が適切な関係を維持できるように調整する役
割が期待されている(勧告2.2の Commentary)。
そこで,このような役割を担うために,勧告で
Ⅲ オーストラリアにおける取締役の
監督義務に関する判例法の展開
1.AWA 事件判決の影響
は,取締役会議長は独立取締役でなければな
これまで見てきたように,会社法上,業務執
らず(勧告2.2),また,取締役会議長と業務執
行を監督する側面から,取締役の注意義務の基
行者が同一の者であってはならないとしてい
準は,客観化することによって厳格化する傾向
る(勧告2.3)。もし,取締役会議長が,独立取
にある。また,前述した「原則と勧告」は,取
締役ではない場合,取締役会の他の独立取締役
締役会が監督機関として機能するために,非業
が取締役会の構成員の互選により筆頭独立取
務執行取締役と取締役会議長の役割をより具体
締役に任命されなければならない(勧告2.2の
化する方向で規定を設けている。とはいえ,会
Commentary)。取締役会議長の独立性は,1990
社法には,非業務執行取締役や取締役会議長に
年代を通じて,オーストラリア投資委員会等の
特有の義務や責任についての規定は存在せず,
機関投資家団体から提案され,取締役会議長が
どのような義務や責任があるかは判例法に委ね
独立取締役でない場合,非業務執行取締役が独
られてきた。オーストラリアでは,2000年代に
立した立場から監督することが困難になると主
入り,取締役会議長の注意義務違反が問われた
張する文献もある(23)。このように「原則と勧
判例や,取締役会構成員として非業務執行取締
告」では,非業務執行取締役と取締役会議長に
役が十分な監督を行わなかったことに対して注
ついて,業務執行を行う取締役とは役割を異に
意義務違反が問われた判例など,この点に関す
することを前提に,その役割と責任を具体化し
る重要判例が現れている。
ていることが理解できる。
2000年代の判例を検討する前に,まず,2000
「原則と勧告」は,「会社の実務と慣行」と同
年代以前においてオーストラリアにおける上
様に,オーストラリア証券取引所に採用され,
場会社のコーポレート・ガバナンスを考える
上場規則中に「原則と勧告」の規定を遵守して
上で重要な判例である① AWA 事件判決を検討
いるかあるいは遵守していない場合はその説明
す る。AWA 事 件 と は,1992年 か ら1995年 に か
をするよう定められている(オーストラリア証
けて上場会社の取締役や会計監査人の監督義務
券取引所上場規則 4.10.3)。これまでと同様に,
が問題となった一連の事件のことを指す。事案
194
は,国際通貨の不規則変動に対するリスクヘッ
役会が日々の業務すべてに拘ってしまったなら
ジのために,為替相場取引を行なっていた上
ば,取締役は,取締役会としての重要な決定を
場会社 AWA 社(電子機器の製造・輸入などを
行うことはできないだろう。…当該会社が合併
目的)に関するものである。会社の国際取引マ
等によって巨大化・複雑化する状況下で,非業
ネージャーとして働いていた A は,その為替相
務執行取締役が詳細な知識や行動力によって取
場取引に関して利益の部分のみ報告・開示し,
締役としての義務を果たすことはできない。…
損失に関わる報告は行わず,会社に多額の損害
(業務執行を行う)取締役と非業務執行取締役
を生じさせた。AWA 社の会計監査人は,為替
(27)
として非業
は異なる機能を有している。…」
相場取引に関して損益が明らかになっていない
務執行取締役の監督について注意義務違反を認
こと,会社の内部統制が不十分であることの改
めなかった。この判示に対しては,大規模な上
善提案書(a letter suggesting improvement)を提
場会社の中では,非業務執行取締役は業務執行
出していたものの,取締役会には報告していな
者からの会社業務に関する情報等に依存せざる
かった。そこで,AWA 社は,監査を行なった
をえないとしても,これでは業務に対する監督
会計監査人に対して損害賠償請求訴訟を提起
責任を簡単に免れてしまうと多くの批判が寄せ
し,加えて,問題となった為替相場取引に関し
られた(28)。また,第一審判決では,取締役会議
て十分な監督が行なわれていなかったことを理
長についても言及しており,
「…取締役会議長
由に,業務執行取締役と非業務執行取締役に対
は,取締役会全体の行為について他の取締役と
しても損害賠償請求訴訟を提起した。
は異なり,より重い責任を有している。…取締
(24)
第一審
で,Roger 裁判官は,まず,被告で
役会に上程する議題を選択し,…取締役会とし
ある業務執行取締役に対して「…当該被告取締
ての方針を決定する…責任がある。…」(29) と
役は,…以前から会計士(chartered accountants)
判示していた。
として実務を経験しており,さらにいくつかの
(25)
取締役会議長をしてきた経験がある。…」 と
判示し,さらに「…(業務執行を行った)取締
役は,その立場において期待されている注意や
技量をもって権限を行使しなければならない。
その後,非業務執行取締役の責任について
争 わ れ た 控 訴 審(30) に お い て,Clarke 裁 判 官
と Sheller 裁判官は,取締役を単なる名目的な
者(ornament)ではなく,コーポレート・ガバ
ナンスにおける重要な構成要素であると捉え,
取締役として要求される技量は客観的に判断
「…取締役の責任として,業務執行者に対して
(26)
と判示し,当時,一般的な判断
される。…」
合理的な方法によって指示,監督することが要
基準とされていた主観基準ではなく客観基準と
(31)
と判示して,取締役は単に名
求される。…」
いえる基準によって注意義務違反を認めた。し
目的な存在であってはならず,業務執行者を監
かし,監督のみを行なった非業務取締役に対し
督する重要な機関であるべきことを示した。ま
ては,
「…上場会社の取締役会は日々の業務を
た,「…一般的に,取締役は会社の事業につい
すべて行うことはできず,業務執行者に日々の
て基本的な理解が必要とされる。…なぜなら,
業務を移譲する必要がある。…上場会社の取締
取締役は通常の注意義務(ordinary care)を負
取締役の監督義務に関するオーストラリア判例法の展開
195
うからであり,…もし取締役が自身の取締役と
の議論につながっていった。ところで,本判例
しての義務を果たすのに十分な経験を有してい
は,イギリスの同様の事件に対する判例の考え
ないならば,取締役は義務を果たすのに十分な
方にも大きな影響を与えている。イギリスの
知識を得るか,または(取締役を)辞任するべ
投資銀行である Barings 社の取締役が,同社の
(32)
きである。…」 と判示し,取締役として一定
ディーラーが行なった不正取引による会社破綻
の客観的基準が存在することを第一審に続いて
について責任を問われた Re Barings plc(No. 5)
確認した。非業務執行取締役については,「…
非業務執行取締役は,業務執行者が虚偽の報告
事件判決(35)において,Jonathan Parker 裁判官は
①判決を引用して,取締役は,取締役会全体と
を行っている(deceiving)かどうかを判断する
して,また個々の取締役としての義務を適切に
際に,会計監査人,業務執行取締役,取締役会
遂行するために十分な知識と理解を持ち,また
議長,その他の役員に責任転嫁するべきではな
維持する義務を有するとし,事件が生じた大き
い。…活動しない(sleeping)取締役や消極的
な原因は,取締役が適切に監督できていなかっ
な(passive)取締役は生き残ることはできない
たことにあると取締役の責任について判示して
だろう…」 と判示し,第一審において責任を
いる。このように,①事件第一審判決により,
否定された非業務執行取締役の責任を認めた。
取締役会議長と取締役の役割が異なることは判
これは,たとえ非業務執行者であっても,業務
示されたものの,より具体的にどのような役割
執行者からの情報のみに依存していた場合,注
を担うか明らかにされるには,その後の判例の
意義務違反について過失を認定されてしまうこ
蓄積を待たなければならない。
(33)
とを示したものといえる。控訴審では,AWA
社の取締役会が月に一度しか開催されていない
2.ソフトローの形成に影響を与えた判例
ことにも言及し,取締役会が適切に監督機関と
2000年代に入ると,非業務執行取締役や取締
して機能するように,より頻繁に開催されるべ
役会議長について①判決で判示された点につい
(34)
きと判示している
。
て進展がみられ,「原則と勧告」の作成に影響
本判例によって,取締役会が監督機関として
を与えるような判例が現れる。最初に検討す
適切に機能することが期待され,業務執行者に
る② ASIC v. Adler 事件判決(36) は,2001年に経
対する監督者としての,取締役と取締役会議長
営破綻した住宅保険を主とする大規模上場会社
の役割が示されたといえよう。①判決が現れた
である HIH グループの取締役の責任が問われ
背景には,1990年代の初めから,取締役会の監
督機能や非業務執行取締役の役割の明確化など
た事件(HIH 事件ともいう)である。オース
トラリア史上,最も大きな上場会社の破綻事件
を示していた「会社の実務と慣行」の強い影響
として知られ,政府による特別調査委員会であ
があると考えられる。この一連の①事件判決の
る HIH 王立委員会も設置され,破綻について
結果,取締役や会社役員の監督義務が非常に注
目され,前述した1999年の会社法改正における
客観基準の明文化と取締役の監督義務について
詳細な調査が行われた。同委員会の調査によっ
て,HIH グループの本社である HIH 保険の非
業務執行取締役である Y1 が,本社の完全子会
196
社である HIHC 社の非業務執行取締役を兼務
また,Santow 裁判官の判示は,取締役が業
し,その HIHC 社から Y1 が一人取締役に就任
務執行者等から情報を取得する場合などに,責
また PEE 社経由によって多くの不透明な融資
れるかについて具体的に示したところに重要
している PEE 社に多額の融資が行われており,
任を免れるためにどのような判断要素が考慮さ
が行なわれていたことが判明した。本社の取締
な意義がある。具体的に,判旨では,「…⒜業
役会は,上記の融資が行われていたことを認識
務執行者等の役員(officer)に適切に権限を委
しておらず,また唯一融資について認識してい
譲しているか,⒝取締役が問題となっている
た Y1 は取締役会に報告していなかった。この
点についてどの程度調査しているか,⒞取締
調査をもとに,オーストラリア証券投資委員会
役と権限を委譲した者との関係において,取
は,本社の非業務執行取締役 Y1 と本社の財務
締役が,権限を委譲した者は,信頼できる者
担当取締役 Y2 ,本社の最高経営責任者 Y3 に
(trustworthy)であり,権限に基づいて行動す
看過したことについて注意義務違反があるとし
誠実に(honestly)に信じているか,⒟取引の
対して,不透明な融資が行なわれていたことを
て裁判所に民事罰を求める訴訟を提起した。
ることに関して適格者(competent)であると
リスクと性質,⒠取締役によって講じられた調
Santow 裁判官は,判旨において「…取締役
査などの方法の程度,⒡取締役が業務執行取締
は,業務執行者に対して指示・監督する際に,
役または非業務執行取締役のどちらであるか
合理的な方法によってこれを行わなければなら
…」と列挙した。本判例によって具体的な判断
ない。具体的に言うと…⒜取締役は,従事して
要素が示されたことは,特に業務執行の監督を
いる会社についての基本的な知識に精通してい
行う非業務執行取締役の注意義務違反を判断す
なければならない,⒝取締役は,会社の業務に
る上で,大きな意味を有しているといえよう。
関する情報について継続的に取得する義務を負
この②判決の後に,オーストラリア証券取引
う,⒞取締役が会社の業務や方針について決定
所は「原則と勧告」を公表することになった。
するには,取締役会への定期的な出席を必要と
前述したように,「原則と勧告」は,取締役会
する,⒟取締役は財務に関する書類(financial
の監督機能の向上を主眼に置いているが,非業
statements) を 定 期 的 に レ ビ ュ ー す る こ と に
務執行取締役と取締役会議長が取締役会におい
よって会社の財務体質に精通していなければな
て重要な役割を有していると言及するに至った
らない。実際に,財務に関する書類を読まない
のは,①判決と②判決の影響が大きいものと思
かぎり,取締役は会社の破綻について責任を免
われる。①判決で判示されたように,非業務執
(37)
れることはない。…」 と判示した。判旨の取
行取締役と取締役会議長は,通常の業務執行取
締役の役割について指摘した⒞と⒟は,これま
締役とは役割が異なる。また,判決では非業務
で判示されてきた抽象的ともいえる取締役の役
執行取締役は名目的な存在であってはならず,
割に加えて,さらに具体的に取締役会への出席
より積極的に会社の業務に対して監督を行う必
や財務に関する書類の確認等を行うことを明示
要があることが強調された。「原則と勧告」で
したところに大きな特徴がある。
も,非業務執行取締役が,取締役会や監査委員
取締役の監督義務に関するオーストラリア判例法の展開
会等の構成員として積極的な監督を行うことを
197
Y1 の資格や経験,専門性から,他の非業務執
求め,業務執行の監督のみならず,内部統制シ
(39)
行取締役よりも高度の特別の責任を負う…」
ステムが適切に構築されているかを評価するな
と判示して,地位や,資格と経験,専門性に基
ど会社全体の監督を担うとしている。「原則と
づいて,他の取締役と比較して責任を加重する
勧告」によって,非業務執行取締役の役割が具
ことを認めた。これは,前述した①事件の第一
体化されているともいえるだろう。②判決にお
審判決が判示した考え方を踏襲するものとい
いても,取締役の役割や注意義務違反における
え,また,客観的基準よりも高い基準によって
判断要素を具体化しているが,「原則と勧告」
注意義務違反を判断している(40)。Austin 裁判官
はさらに将来的に取締役が注意義務違反を問わ
は,取締役会議長に,その有している資格や経
れる際に問題となりうる点について,先取りし
験,専門性に基づいて,取締役会が当該会社の
て取り上げているとも捉えることが可能であ
業務執行者を監督し,財務情報に関して適切に
る。
評価できるような体制を確保するよう求め,そ
(38)
次に検討する③ ASIC v. Rich 事件判決
で
のために,取締役会議長は会社の重要な財務情
は,取締役会議長に対して上場会社内で積極的
報に対してすぐにアクセスできなければならな
な役割を果たすことを求め,具体的にどのよう
いとした(41)。他に,取締役会議長は,当該会
な役割があるかについて判示した。また,ソフ
社が適切な知識や経験を有する財務担当取締役
トローが裁判所の判断に影響を与えることにつ
を選任するような体制を確保しなければならな
いて判示した点から重要な意義を有する判例で
いとした(42)。これは,取締役会議長が中心と
もある。事案であるが,One.Tel 社は,電話等
なって内部統制システムを構築するよう求める
の長距離回線による通信業を営む上場会社であ
ことを意味している。また,当該会社の公表す
る。One.Tel 社は,会社設立の1995年から徐々
る書類(public statement)について,オースト
くの投資を募り拡大路線を目指した会社経営に
い体制,株価に大きな影響を与える情報につい
対する不安が市場に蔓延したことから,株価が
て,即座にオーストラリア証券取引所に通知す
に業績を伸ばしていたが,2000年になると,多
急落し,多額の負債を抱えたまま,2001年に倒
産した。取締役会議長と監査委員会の議長を兼
ラリア証券取引所や投資家に誤解を生じさせな
る体制を確保しなければならないとも判示した
(43)
。これは,取締役会議長は,市場に対して
務していた Y1 に対して,オーストラリア証券
も責任を果たすべきことを意味するだろう。
投資委員会は,会社の財務状況等を適切に把握
このように取締役会議長の責任や役割を非常
している必要があり,また取締役会に財務状況
に広範に捉える場合,大規模な上場会社であれ
等について正確に伝えていなかったことなどを
ばあるほど取締役会議長個人の負担が過大なも
原因とする注意義務違反があるとして,民事罰
のとなってしまう。そこで,業務執行者や会計
を裁判所に求める訴訟を提起した。
監査人など専門家による情報を信頼することが
Austin 裁 判 官 は,「…Y1 は … 取 締 役 会 と 財
務・監査委員会の議長の地位についており…
どこまで許容されるかが問題となる。Austin 裁
判官は,「…もし,すべての取締役に業務を遂
198
行する上で必要な情報について継続的に維持す
ない部分を明らかにする際に,補完となるだろ
べき義務があるならば,それは取締役会議長に
う…」と発言している(51)。Austin 裁判官の判示
も課される義務である。(これまでに比べて)
や国際会議での発言などから,裁判所が抽象的
取締役会議長の責任は高まるであろう。…」(44)
な条文の下で法的判断を下す際に,ソフトロー
と判示した。この判示は,②判決が非業務執行
が具体的な内容を示すものとして機能している
取締役について判示したように,取締役会議長
ことが窺われる。
であっても単に受動的に他者からの情報を信頼
するだけでは注意義務違反になることを示唆し
ている
3.ソフトローが裁判所の判断に影響を与えて
いると思われる判例
(45)
。
最後に,本判決が,裁判所の判断に対するソ
③判決には,裁判所の法的判断に対してソフ
フトローの影響を示唆しているとして,注目
トローが補完的な機能を果たしていることを窺
されている点を見ておこう。Austin 裁判官は,
わせる側面があることを指摘した。次に検討す
断する場合,裁判所の役割は,現代社会の期
上場会社の取締役の注意義務違反を判断する上
「…被告となっている取締役会議長の責任を判
待を反映した(reflects contemporary community
る④ ASIC v. Macdonald(No.11)事件判決(52)は,
で,取締役は具体的にどのような場合に積極的
expectations)基準によって判断することである
に行動しなければいけないかを提示した判例と
ことを忘れてはならない。…」 と判示してお
して注目され,「原則と勧告」の影響が指摘で
り,これについて,裁判所がソフトローを活用
きる事案である。
(46)
して判断するべきことを示唆しているとの指
James Hardie 社は,建築材を製造販売してい
摘がある(47)。加えて,本判決において,2003年
る世界中に子会社を持つ上場会社であり,子会
の1月にイギリスで公表された非業務執行取
社を通じてアスベストを素材とする建築材も製
(48)
を引用し,「…
造販売しており,アスベストによる公害被害を
(ヒッグス報告書における)取締役会議長に対
生じさせていた。1995年から2000年の間に,こ
する勧告(Guidanse for Chairman)である添付
のアスベストによる公害被害の対応によって多
勧告)は,原告(証券投資委員会)側の根拠を
らなくなり,会社の財務状態が悪化していた。
締役に関するヒッグス報告書
書類 D(統合コードの規定の内容に関する改正
(49)
くの被害者に多額の賠償金を支払わなくてはな
強固になしうる勧告が含まれている…」 と判
そこで,同社の取締役会は,多額の賠償金によ
示した。この判旨に対して,イギリスの文献で
る負債を James Hardie 社の会計から切り離すた
は,ソフトローといえるヒッグス報告書の勧告
めに,2001年にアスベスト被害者救済のための
が,本件取締役会議長の責任に関して裁判所の
基金を設立することについて決議した。同社
判断基準となりうることを示す好例であると引
は,オーストラリア証券取引所に対し,基金の
用している(50)。また,Austin 裁判官は,国際会
設立に際してアスベスト被害者の救済に見合う
議の席で「…少なくとも,専門家団体が作成し
だけの資産は十分にあり,資産については特別
た行動規範は,裁判所が…制定法が明示してい
調査委員会の調査済であることを伝え,証券取
取締役の監督義務に関するオーストラリア判例法の展開
引所経由で情報開示(ASX Announcement)が
199
ことも確認した。注目すべき点としては,「…
なされた。その後,2001年に,同社は税務上の
情報を開示する際に被害者の救済に見合うだけ
理由から,オランダに新会社を設立し,本社機
の基金がないことについて独断で判断しないよ
能を移転することにした。しかし,2003年に入
うにすることは,…取締役の監督機能の一部で
ると,親会社となったオランダ本社が,今後,
(54)
,また「…これ(情報開示が独断で
ある…」
オーストラリアにある子会社(元本社)に対し
行われないようにすること)は,業務執行上の
て十分な資金提供を行わないことを決定した。
問題ではない。…証券取引所経由による情報開
この一連の行為について,オーストラリアでは
示に対する市場の反応は,重要なものである。
同社が多額の賠償金を逃れるために行った行為
…これ(情報開示が独断で行われないようにす
ではないかとの疑念が生じ,大きな社会問題と
ること)は,取締役会の責任の枠内の問題であ
なり,政府が特別調査委員会を設置することに
(55)
と判示して,③判決で挙げた取締役
る。…」
なった。特別調査委員会によって,アスベスト
会議長の市場に対する責任と同じように,取締
被害者救済のための基金を設立するのに必要な
役会の構成員として非業務執行取締役にも市場
資産は十分になく,また虚偽の文書を作成して
に対する責任があることを明確にした。非業務
いたことが報告された。そこで,基金設立の取
執行取締役に求められる役割についてさらに具
締役会決議に参加していた10名の取締役に対し
体化したといえよう。
て,オーストラリア証券投資委員会は,十分な
また,アメリカに在住していることから電話
資産がないのに基金を設立することを決議した
会議システムで取締役会に参加していた2名の
ことによって虚偽の情報開示を行った注意義務
非業務執行取締役が,取締役会開催時に当該情
違反を理由に,民事罰を裁判所に求める訴訟を
報開示に関する書類を持っていなかったにも
提起した。
関わらず,書類の写しを提供するよう会社に
ここでは,非業務執行取締役を中心に検討し
要求しなかったことについて,Gzell 裁判官は
ていくが,Gzell 裁判官は,①判決と②判決か
「…これ(当該情報開示に関する書類)は James
は,会社の業務について取締役としての義務を
(56)
とし,また「…(オース
な書類である。…」
ら踏襲されている考え方を前提に,「…取締役
Hardie グループを組織再編していくうえで重要
果たすために必要な知識に精通していなければ
トラリアにある)子会社において,取締役会は
ならず,そのための情報を継続的に取得しよう
形骸化した状態であって…業務執行者が手短に
としなければならない…」と判示し,加えて,
述べるのみで,当該取締役は情報開示について
「…取締役が合理的に勤勉に行動したかを判断
(57)
と認定して,この2
承認してしまった。…」
するには,取締役が有している知識や経験や置
名の非業務執行取締役の注意義務違反を認め
かれている状況から判断されるのみならず,通
た。判決では,2名の非業務執行取締役が注意
常人(ordinary person)の立場から客観的に判
義務違反を認められた大きな要因として,取締
執行取締役に対して客観基準によって判断する
態にあり,適切な情報を得ていないにも関わら
(53)
断されなければならない…」 として,非業務
役会の手続きや状況が Best Practice に程遠い状
200
ず,会社の重要書類について精査しなかった
(58)
点が指摘されている
。非業務執行取締役は,
在,我が国で活発に議論されている公開会社法
との関係からも,示唆を与えるものと思える。
単に受動的に取締役会決議に参加するのみでは
また,オーストラリアでは,株主に対する責任
足りず,積極的に決議に参加しなければならな
のみならず,市場に対する責任から非業務執行
いことを具体的に示したことは重要な点であ
取締役や取締役会議長は,より専門性を伴った
る。また,取締役会が定足数等の法的要件を満
存在として期待されていることが理解できる。
たしていたとしても,取締役会が形骸化してい
その過程で,2000年代に入ると「原則と勧告」
て十分機能していない状況であれば,非業務執
のようなソフトローが,判例が示してきた規範
行取締役は責任を果たすことはできないとする
をより明確に上場会社に対して提示したという
のは,ソフトローである「原則と勧告」の影響
ことができ,加えて,判例においてまだ問題と
が大きいといえる。今後も,取締役会を十分機
なっていない部分については,それを補完する
能させるために,非業務執行取締役や取締役会
形で「原則と勧告」が新たな規範を提示してき
議長は,積極的に会社の情報を入手し監督を行
た。
うことが求められていくと思われる。そのため
第2に,これまで,「原則と勧告」のような
のモデルとして,「原則と勧告」が指針として
ソフトローは,情報開示を通じた規制という側
さらに活用されることが予想される。
面でのみ捉えられがちであり,裁判所の判断指
針としての機能はほとんど認識されていなかっ
Ⅳ おわりに
たといえるが,前述の判例の分析や国際会議に
おける裁判官の発言などから,ソフトローが裁
以上の検討から,第1に,オーストラリアの
判所の判断指針として機能していることが十分
裁判所は,非業務執行取締役や取締役会議長の
に窺われる。今後も,オーストラリアの裁判所
役割や義務の内容を,注意義務違反を判断する
が,取締役の注意義務違反について,ソフト
中で具体化していったといえよう。かつては,
ローを活用して上場会社のコーポレート・ガバ
取締役会において名目的な存在であることも許
ナンスに影響を与えるような判例法を形成して
された非業務執行取締役や取締役会議長が,判
行くであろうことが予想される。このようにし
例の蓄積によって注意義務の基準が厳格化し,
て,重要な役割を課された非業務執行取締役等
多くの重要な役割を担う存在として認識される
や取締役会議長について,どのようにして適切
に至った。特に注目すべき点は,裁判所が上場
に役割を果たす者を育成するのか,また,責任
会社の取締役や取締役会議長は市場に対して重
の重さを適切なものにするために,責任免除制
要な役割を担う存在であると認識し,取締役等
度等との関係をどのように考えるかなど,課題
が市場に混乱を与えた場合に責任追及されるこ
も多く残っている。
とを判示したことである。我が国の会社法の解
ところで,我が国では,会社法上,上場会社
釈において,取締役の市場における責任につい
の取締役の善管注意義務違反のかなりを占める
て十分議論することは少なかったといえる。現
のは,内部統制構築義務違反など内部統制に関
取締役の監督義務に関するオーストラリア判例法の展開
連した事案である。今後,議論が進めば,内部
統制構築義務違反を判断する際にオーストラリ
アのようにソフトローを判断の指針に活用す
る途も考えられるだろう。また,コーポレー
ト・ガバナンスの観点から,我が国では,取締
役会議長の役割について詳しく議論されること
は少ないが,取締役会の監督機関としての側面
からは,議長の重要性を認識すべきであり,取
締役会についての問題のみならず,会社に対し
て取締役会議長がどのような役割と責任を担っ
ているのかについて,より具体的に検討する必
要がある。その際に,ソフトローによってどの
ような役割を負っているのか具体的に示される
201
という学説上の意見もあったようであるが , 裁判
所は一貫して主観基準で判断していたようであり ,
多くの批判があったようである。
⑸ [1991]BCLC 1028
⑹ Farrar, Supra note 2, at p. 137によると , ここでの客
観基準はアメリカにおける通常の慎重な取締役基
準(ordinary prudent director)と呼ばれる基準と同
一のものであった。1990年から1999年の会社法改
正までの間は , オーストラリアにおいて二重の基
準が定着していなかったことから , アメリカの判
断基準によって取締役の責任追及について補填し
ていたとも考えられる。
⑺ たとえば , ASIC v. Vines[2004]48 ACSR 322を
挙げることができる。
⑻ イギリスにおける二重の基準については改正の
経緯も含め , 石山卓磨「英国会社法における取締
役の義務規定の改革-取締役の注意 , 技量 , 勤勉
ならば,取締役会議長の責任を問題とする際に
義務を中心にして-」酒巻俊雄先生古希記念論集
も重要な指針を得ることができよう。また,公
『21世紀の企業法制』(商事法務 , 2003年)81頁以
開買付けや組織再編の局面で問題となった場合
にも,どのような形で取締役が判断していくべ
きか等,内部統制以外の場面においてもソフト
ローが裁判所の判断指針として活用できる可能
性がある。今後の研究としては,オーストラリ
アにおける M & A の局面での取締役の注意義
務とソフトローとの関係や,重要な役割を担い
はじめた非業務執行取締役と取締役会議長の責
任軽減について,研究していきたいと考えてい
下に詳しい。
⑼ Farrar, Supra note 2, at p. 137.
⑽ R P Austin and I M Ramsay, Ford's Principles of
Corporations Forteenth edition,(Butterworths, 2010),
at p. 438.
⑾ Deborah A DeMott, Director's Duty of Care and
The Business Judgment Rule: American Precedents and
Australian Choices,(1992)Vol.4, Bond Law Review, at
p. 144.
⑿ Ian M Ramsay, Director's Duties in Australia: Recent
Developments and Enforcement Issues,(1999)Vol.3,
Company Financial and Insolvency Law Review, at p.
260. では , 1993年から2000年まで , 取締役に対する
る。
〔投稿受理日2011.9.24/掲載決定日2012.1.26〕
民事罰の規定に対して積極的な活用はなされてい
なかったことが指摘されている。
⒀ Ramsay, ibid, at p.274.
注
⑴ [1925]Ch. 407.
⑵ John Farrar, Corporate Governance Theories,
⒁ Farrar, Supra note 2, at p. 245.
⒂ 林孝宗「オーストラリア法におけるコーポレー
ト・ガバナンスの展開-取締役会の監督機能と取
Principles and Practice third edition,(oxford, 2008), at
締役の監督義務を中心に-」社学研論集18号(2011
⑶ 酒巻俊雄「オーストラリアの会社法(8)」海外
ンス原則と最良実務勧告」など , オーストラリア
p. 142.
商事法務108号(1971年)38頁。
⑷ John Farrar, Supra note 2, at p. 142. では , この規定
を根拠に後述する客観基準を採用するべきである
年)268頁以下において , 「コーポレート・ガバナ
におけるソフトローについて詳しく検討している。
⒃ Farrar, Supra note 2, at p. 381.
⒄ 加藤良三「コーポレート・ガバナンスと機関投
202
資家の役割(1)-豪・英・日会社法を中心に-」
関東学院法学(2000年)11巻23頁。
⒅ アメリカでは , 2001年末に生じたエンロン事件
等の上場会社の不祥事を契機として , ニューヨー
ASIC v. Rich[2003]NSWSC 85.
ASIC v. Rich[2003]NSWSC 85 paragraph 4.
John S Keeves, Director ’s duties –ASIC v Rich
– landmark or beacon?,(2004)Vol.22, Company &
ク 証 券 取 引 所(New York Stock Exchange: NYSE)
Securities Law Journal, at p. 188. では , 裁判所が , 個
て SOX 法(Sarbanes-Oxley Act 2002) が制 定 され ,
そのような知識や経験を有していない取締役に対
の上場規則による自主規制に加えて , 連邦法とし
人的に特別な知識や経験を有している取締役が ,
また , イギリスにおいても , アメリカの影響から ,
する最低限の要求を超えて高い水準の行為基準を
の役割を検討したヒッグス委員会等いくつかの委
化」で行われた議論を参考にしていることを指摘
員会が設置され , 2003年に会社法と統合コードの
している。
上場会社のガバナンスについて非業務執行取締役
改正が行なわれたことが挙げられる。
⒆ Farrar, Supra note 2, at p. 396.
⒇ Angus Young JP, Regulating non-executive directors
in Australia: a socio-legal approach,(2008)29 Co. Law,
323 at p. 327.
Angus, ibid, at p. 328.
林孝宗「イギリスにおけるコーポレート・ガバ
ナンスの展開-非業務執行取締役の役割と注意義
務を中心に-」社学研論集17号(2011年)256頁。
Farrar, Supra note 2, at p. 395.
AWA Ltd. v. Daniels[1992]10 ACLC 933
AWA Ltd. v. Daniels[1992]10 ACLC 933 paragraph
求めることは , イギリスにおける「会社法の現代
ASIC v. Rich[2003]NSWSC 85 paragraph 14.
ASIC v. Rich[2003]NSWSC 85 paragraph 14.
ASIC v. Rich[2003]NSWSC 85 paragraph 14.
ASIC v. Rich[2003]NSWSC 85 paragraph 79.
Keeves, Supra note 40, at p. 193.
ASIC v. Rich[2003]NSWSC 85 paragraph 71.
Farrar, Supra note 2, at p. 422.
D. Higgs, Review of the Role and Effectiveness of
Non-Executive Directors(2003).
ASIC v. Rich[2003]NSWSC 85 paragraph 69.
Paul L. Davies, Gower and Davies ’Principles of
Modern Company Law, 8th ed.(2008), at p. 494.
772.
この国際会議の発言について , Angus, supra note
864.
立法機関の制定法の作成を補完する好例として挙
AWA Ltd. v. Daniels[1992]10 ACLC 933 paragraph
20, at p. 328. では専門家団体が作成した行動規範が
AWA Ltd. v. Daniels[1992]10 ACLC 933 paragraph
げている。国際会議での発言は http://www.lawlink.
Farrar, Supra note 2, at p. 140.
SCO_austin121006からアクセス可能である。
864.
AWA Ltd. v. Daniels[1992]10 ACLC 933 paragraph
864.
Daniels v. Anderson[1995]13 ACLC 614
nsw.gov.au/lawlink/Supreme_Court/ll_sc.nsf/vwPrint1/
ASIC v. Macdonald(No.11)
[2009]NSWSC 287
ASIC v. Macdonald(No.11)
[2009]NSWSC 287
paragraph 239.
Daniels v. Anderson[1995]13 ACLC 614 paragraph
ASIC v. Macdonald(No.11)
[2009]NSWSC 287
Daniels v. Anderson[1995]13 ACLC 614 paragraph
ASIC v. Macdonald(No.11)
[2009]NSWSC 287
Daniels v. Anderson[1995]13 ACLC 614 paragraph
ASIC v. Macdonald(No.11)
[2009]NSWSC 287
Daniels v. Anderson[1995]13 ACLC 614 paragraph
ASIC v. Macdonald(No.11)
[2009]NSWSC 287
[1999]1 BCLC 433.
Anil Hargovan, Director’
s and officer’
s dereliction
664.
666.
664.
664.
ASIC v. Adler[2002]NSWSC 171; 41 ACSR 72;
20 ACLC 576
ASIC v. Adler[2002]NSWSC 171 paragraph 372.
paragraph 332.
paragraph 333.
paragraph 260.
paragraph 234.
of duties and disqualifications: an analysis of James
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