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目 黒 川 沿 い の 歴史 を た ど る
U A ON W TI A IA G C A SSO INM A SHRIS TO 10 ●東海寺 大山墓地 品川区北品川4-11-8 ❾近代硝子工業発祥の碑 品川区北品川4-11-5 日本で最初の西洋式硝子工場。日本の近代工業の発祥 の地。 1873年(明治6年)、東海寺境内に日本初の近代ガラス 工場、興業社が設立。3年後に明治政府に買収され、工部 省の官営工場となった。外国人技師を招いて食器や日用 ガラス器製造の技術を伝えた。 目 黒 川 沿いの 歴史をたどる 大 山 墓 地には 以 下 の人々の墓がある。 沢庵和尚・賀茂真淵 ( 国 学 者 )・井 上 勝 (鉄道の父)・渋川春 海(江戸の天文学 者)・西村勝三(近代 工 業 の 父 )・六 閑 斎 沢庵和尚の墓地 泰曳宗安(裏千家第 6世)・本居内遠(国学者)・服部南郭(儒学者)。また、島倉 千代子(演歌歌手)の墓がある。 目黒川とは 目黒川の河口付近は古くは 「品川」 といい、 これが 「品川」の 起こりとされている。 江戸時代には、 その上流の下目黒付近では 「こりとり川」 と呼 ばれ、 「こりとり」 は 「垢離取り」 の意味で、 この川で身を清めて から目黒不動尊に詣でたことから名付けられたとされている。 ❶天王洲エリア 江戸時代前期まで、 このあたりは 「洲崎」 と呼ばれ、 海中の土 砂が堆積してできた 「洲」 であった。 また、1751年(宝暦元 年) に船人が牛頭天王(ごずてんのう)の面をこの海域から 引き上げたことから、 「天王洲」 の地名の由来となっている。 ❸寄木神社 品川区東品川1-35-8 江戸時代には寄木明神社と呼ばれた、猟師町の鎮守。拝 殿は木造であるが本殿は蔵造りで、祭神は日本武尊(やま とたけるの みこと)。 本殿内側の2枚の扉 に名 工・伊 豆 長 八 の 手による漆喰鏝(こて) 絵が描かれている。 目黒川沿いの桜並木∼3月下旬頃 ❽日本ペイント明治記念館 品川区南品川4-1-15 日本ペイント株式会社・品川工場の一角にある赤レンガの 建物。1909年(明治42年) に建てられた当時の工場が一 般に公開されている。明治時代のペンキ製造に用いられた 機械類を展示。団体見学には事前の予約が必要。 ❺荏原神社 品川区北品川2-30-28 History of the Meguro River 南品川宿の鎮守で、北の天王様と呼ばれた品川神社に対 して、南の天王様と呼ばれる。現在の社殿は、文政の大火後 1844年(弘化元年) に竣工。6月に行われる “かっぱ祭り” といわれる神輿の海中渡御は、全国的に有名。 ■ しながわ観光のお問い合わせは 一般社団法人 天王洲アイル∼大崎 しながわ観光協会 103-5743-7642 http://sinakan.jp/ 〒140-0014 品川区大井1-14-1 大井1丁目共同ビル1F しなかんPLAZA 【開館日】火∼金曜日 午前9時30分∼午後6時 土・日曜日 午前10時∼午後5時 【休館日】月曜日・祝日 品川駅 品川プリンスホテル 目黒川荏原調節池 H 大崎広小路 H TOC 御殿山小学校 大崎 センタービル 大崎4丁目 芳水小学校 大崎駅 〶 10 シンクパーク 夢さん橋 〶 大崎2丁目 百反通り 目 ソニーシティー大崎 座商店 戸越2丁目 街 豊町1丁目 ▶ ❸寄木神社 ❺荏原神社 洲崎橋 鎮守橋 卍 品川橋 荏川橋 海徳寺 東海橋 卍 ❻本光寺 〶 卍 清光寺 南品川1丁目 卍 清光院・奥平家墓域 ❼ ❽日本ペイント明治記念館 15 南品川4丁目 第一京浜 井 広町2丁目 しながわ中央公園 品川区役所 東品川公園 品川区特別 支援学校 ノンボ (ラーメン) しなかんPLAZA 四季劇場 [夏] 東急大井 町線 大井蔵王権現神社 イトーヨーカドー 南品川6丁目 永楽(ラーメン) 丸八(とんかつ) 吉兆(ラーメン) 大井町駅 357 くらやみ坂 海曼寺 卍 泊船寺 卍 品川火力発電所 若潮橋 八潮1丁目 大井火力発電所 大井埠頭 東品川3丁目 南品川2丁目 八潮高校 東海中学校 室町時代の1382年(永徳2年) に、 日蓮宗日什門派の派祖 天妙国寺 である日什(たっけい)が創建。以後、各時代の支配者や豪 東品川4丁目 商らの庇護をうけ、 浅草の慶印寺 マーブル (喫茶) 江戸時代には天妙国寺、 品川シーサイ とともに、江戸の日蓮宗日什門派を統括する 「江戸触頭 (ふド 南品川5丁目 東横イン H 青物横丁駅 れがしら)三ヶ寺」 となる。 サンルートホテル H 卍 品川寺 3代将軍徳川家光がこの寺を訪れ、 (港区)の住 卍 海雲寺 芝・増上寺 品川 職 ・ 意伝と、 この寺の住職 ・ 日啓が、 東海寺の沢庵和尚の立 シーサイド駅 エトワール女子 南品川3丁目 会いのもとに、念仏無間の問答をしたと伝えられる。 仙 台 坂 至 溝の 口 浅間台小学校 東品川海上公園 ❹目黒川改修記念碑 ❻本光寺 品川区南品川4-2-8 卍 大 至西 東品川橋 城南第二 小学校 城南小学校 〶 西品川1丁目 JR東日本 東京総合車両センター アイル橋 新品川橋 品川警察 316 天王洲公園 ❷目黒川水門 昭和橋 東海寺 防災船着場 子供の森公園 卍 要津橋 品川区南品川4-2-35 もとは東海寺の塔頭のひとつだったが、明治 維新以後独立。江戸時代初期の1650年 戸越小学校 戸越公園 (慶安3年)に、肥後国字土藩(熊本藩支藩) の藩主、細川行孝が母を開基として建立した と伝えられる。 瓦積の土塀に囲まれた598㎡の奥平家墓域 は、都内の大名墓域としては有数の広さ。 16 14年(慶長19年) に没した二代からの墓石 88基がある。奥平家は徳川家譜代大名で、 中津(大分県)藩主であった。 北品川2丁目 ゼ ー ムス 坂 至西 馬込 ❼清光院 ・奥平家墓域 宮前小学校 文庫の森 広町1丁目 〶 東品川5丁目 品川埠頭橋 東品川2丁目 海岸通り 天王洲アイル駅∼ 大崎駅 約4.5km 一心寺 卍 卍 法禅寺 ❾近代硝子工業発祥の碑 新馬場駅 三獄橋 第一三共 新東海橋 ❶天王洲エリア 天王洲アイル駅 京浜運河 戸越銀 J R 新東海橋 品川埠頭 天王洲アイル駅 スフィアタワー りんかい線 JR山手線 貴船神社 三木小学校 台場小学校 利田神社 東品川1丁目 鯨塚 10 ●東海寺 大山墓地 居木橋 西品川3丁目 T.Y.HARBOR BREWERY 防災桟橋 京急本線 桜名所 大崎中学校 居木橋 天王洲橋 北品川駅 北品川3丁目 銀河劇場 天王洲 ふれあい橋 〶 ミャンマー 大使館 京浜東北線 戸越駅 通り い線 りんか 戸越台 中学校 山手 戸越1丁目 品川浦の屋形船 品川神社 賀線 横須 戸越銀座 小関公園 H 北品川1丁目 品川女学院 大崎1丁目 H 戸越 森永橋 ゲートシティ大崎 2 道 モーリタニア 翡翠原石館 大使館 大崎ニューシティ 天王洲水門 東京モノレール 荏原 原美術館 小関橋 H 大崎3丁目 居木神社 O美術館 至 新木場 楽水橋 品川区 河 洲運 天王 12 ●大崎駅周辺 御殿山ガーデン 北品川5丁目 鈴懸歩道橋 H 港区 東京海洋大学 道 海 東 旧 目 セルビア大使館 アートヴィレッジ 11 ●御成橋 大崎 大崎広小路駅 立正大学 東急 池上 線 西五反田6丁目 新八ツ山橋 東五反田2丁目 山本橋 大崎警察 中原口 旧海岸通り 西五反田7丁目 ふれあい K字橋 区境 り 通 山 八ツ 西五反田1丁目 八ツ山橋 北品川6丁目 八ツ 山通り 京浜 第一 第一日野 小学校 目黒線 首都高二号 学 五反田ふれあい 水辺広場 日野学園 大崎橋 品川インターシティー ▶ 大崎郵便局前 港南2丁目 高輪4丁目 五反田駅 五反田大橋 港南5丁目 至 品川 〶 清泉女子大学 東五反田1丁目 H 本村橋 317 港南大橋 京浜運河 H 亀の甲橋 谷山橋 前駅 高輪3丁目 高浜運河 市場橋 下 目黒川河口に接続する天王洲運河 新港南橋 に設置された水門。 高潮や津波に備 えた防潮水門で、通常は開いている が、台風などで高潮の危険がある時 や地震の発生時にただちに閉鎖さ れ、水害の発生を防ぐ。 港南小学校 水門に描かれている図柄は、一般公 募により選ばれ、表には「しながわ 御楯橋 「海のともだち」 鯨」、裏側には という 作品が描かれ、 2008年に完成した。 港南4丁目 グランドプリンス ホテル高輪 東五反田3丁目 西五反田3丁目 ❷目黒川水門 江戸時代、将軍(主に徳川家光)が鷹狩りにきた時 (将 港南1丁目 営浅草線 都 軍の御成り)、居木橋村の名主がここまで出迎えに来 たといわれている。御鷹野橋とも呼ばれていた。 外苑 西通 り 東急目黒線 大崎は目黒川を望む高台であ コロンビア大使館 池田山公園 頌栄女子学院 池田山 り、室町時代には、品川宿から多 〶 (城南五山) 418 上大崎3丁目 摩地域へつながる街道へのアク 高輪台駅 東京医療保健大学 タイ大使館 セスとして、目黒川に居木橋が インドネシア大使館 かけられた。 1 東五反田4丁目 花房山 近年は大崎駅東口地区の再開 (城南五山) ねむの木の庭 り 通 発によって、 東京副都心の1つと 田 桜 して脚光を浴びるようになった。 東五反田5丁目 叙園 至 田町 11 ●御成橋 目黒駅 至 浜松町 ●大崎駅周辺 12 首都高一号羽田 線 恵比寿 で で天王洲ま りんかい線 王洲アイル駅 約4分 天 大井町駅∼ 八潮橋 2015.3.現在 八潮北公園 ❹目黒川改修記念碑 大井北ふ頭橋 目黒川は、大正時代まで川筋が蛇行 していたため、溢水に悩まされてい 大井埠頭 た。1923年(大正12年)から大改 ハー修工事が行われ、 トン ホテル 荏原神社付近で北 H 品川清掃工場 西に大きく迂回していた流れを、 南 へ移し替え海に注ぐようにした。 品川八潮 エコステーション