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人権だより 第5号

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人権だより 第5号
人権だより
平成27年7月6日
第5号
和泉市立和気小学校
人権研修部
平和学習週間
6月15日(月)から6月29日(月)まで、平和学習週間でした。平和学
習週間中には、平和学習ビデオの鑑賞、道徳で平和教材を学習、平和へ
の願いを書いた折り紙でチューリップ、千羽鶴作りなどを行い、平和について
考えました。
平和集会
6月29日(月)に、6年生の平和実行委員が中心となって、平和集会を
行いました。平和集会では、低学年が折ったチューリップで作った「へいわ」
の壁紙と、高学年が作った千羽鶴が披露されました。
また、5年生の平和実行委員が原寸大の原子力爆弾を描き、原爆の恐
ろしさをみんなに伝えることができました。
戦争の様子も、劇でみんなに知らせ、みんなで平和を願う集会にすることが
できました。
2年生『お母ちゃんごめんね』
大阪の大空襲のお話です。
絹ちゃんは 6 歳。 4 歳の弟と去年生まれたばかりの
赤ちゃんがいて、お父さんは戦争に行ってしまって…。
お母さんに叱られてばかりの毎日。「おかあちゃん、
ごめんね」が口癖になってしまった泣き虫。
そんな中で、赤ちゃんが死に、お母さんも病気で寝
込んでしまって、生活はどん底に落ち込んでいきます。
そして、大空襲…。 病床のお母さんは、子どもたちに逃げるように、家か
ら追い出すようにして外に出すと、自らは家に鍵を閉めて家にこもってしまいま
した。
子どもたちの命だけは助けたいと願い、子どもたちが家に戻ってこないように
…。
子どもの感想
おとうさんもおかあさんも、子どもを一ばんだいじにしていることがわかりまし
た。 おかあさんはじぶんをぎせいにしても、子どもたちをまもろうとしていまし
た。
せんそうはつらいことが いっぱいあることがわかりました。
せんそうがなくなってよかったとおもいました。
平和学習ビデオの内容と、子どもの感想を紹介します。
1年生『トビウオのぼうやはびょうきです』
いつも元気なトビウオぼうやは、平和な南の海で、お父さんとお母さん、そして
友達と楽しく暮らしていました。
お父さんが旅に出る頃、やっと飛べるようになり、大はしゃぎです。そんな
時、海で眩しい光と空から白い雪のようなものが降ってきました。
しかし、それからトビウオぼうやは医者さんにも判らない病気にかかって倒れ
てしまいます・・・・・・。
子どもの感想
とぶれんしゅうをしていて、とべてうれしくておとうさんに みせたいとおも
っていたのに、すいばくのじっけんで しろいはいをかぶって びょうきに
なって ねたままになってかなしい。
ばくだんがおちて おもいでがなくなりました。これからひとのきもちをかん
がえて なかよくしようとおもいました。
3年生『おこりじぞう』
昭和 20 年 8 月 6 日。その朝、 6 歳の誕生日を迎えた女子ひろちゃん
は、いつものように近所の「笑い地蔵」のところに遊びに行きました。しかし午前
8 時 15 分、閃光と大音響、衝撃の中、市街は一瞬で壊滅。ひろちゃんも背
中に大火傷を負ってお母さんの名を呼びつつ、苦しみながら水を求めました。
その時、笑い地蔵の顔は、目前の惨状を認めた怒り顔に変わっており、そ
の目から流れる涙が、水を求めるひろちゃんの元へ……。
子どもの感想
ひろちゃんがどれだけつらい思いをしていたか気づいて、これからもせん
そうがありませんようにと思います。
原子ばくだんがおちなかったら、しんだ人はいなかったと思いました。原
子ばくだんが作られたのはまちがっていると思いました。
4年生『しんちゃんの三輪車』
8月6日、あの夏の日、伸一ちゃん(3つ)は爆心地か
ら約1.5キロメートル離れた自宅の前で三輪車に乗って
遊んでいました。
伸一ちゃんは三輪車に乗るのが大好きでした。突然空
が明るく光り、伸一ちゃんと三輪車は激しく焼かれ、伸一ち
ゃんはその日の夜、亡くなりました。
お父さんは、たった3歳の子を1人お墓にいれても寂しが
るだろうと思い、亡くなってからも遊べるようにと、遊び友達である三輪車を伸
一ちゃんの亡骸(なきがら)と一緒に自宅の裏庭に埋めました。
子どもの感想
せんそうにいっていない人もかんけいするなんて、いやだなぁと思いました。
二度とせんそうはやりたくないと思います。
三輪車をもらったばかりなのに、すぐに死んでしまったかわいそうでした。
しんちゃんが原子ばくだんのひがいしゃになってなくなってしまうのが、すごく
かわいそうでした
5年生『お母さんの木』
ある家に「おかあさん」と七人の息子が暮らしていました。やがて日本が戦
争に入ると自分の息子たちは次々に召集され、戦地へ赴いていきました。
おかあさんは息子が出征する度に裏の空き地に桐を植え、息子がいない
間、代わりとなる桐に語りかけて息子たちを励まし続けました。
始めは出征をするからには手柄を立てるようにと願っていたおかあさんも、一
郎が戦死し、遺骨となって戻って来たことをきっかけに、次第に手柄を立てるよ
り無事に戻ってくることを願うようになっていきました。
後に息子たちは全て召集をかけられ、戦争が終わっても誰一人戻らず、
戦死または行方不明になっていきました。
それでも息子たちの帰って来るのを心待ちにして、自分が植えた七本の桐
の木に絶えず語りかけました。ビルマで行方不明になっていた五郎が片足を
引きずった状態で家に戻ってきた時には・・・。
子どもの感想
せんそうの話を聞くたびに、なぜせんそうを早くやめないのかと考えまし
た。せんそうはただ苦しむだけだし、みんな悲しい思いをするだけだからです。
おかあさんがかわいそうだし、子どもに会いたいと思う気持ちが伝わりまし
た。木を育て続けみんなの帰りを待っていたのに、五郎がせっかく帰ってきた
時には、もうおかあさんが死んでしまってかなしかったです。戦争は絶対にして
ほしくないです
6年生『つるにのって』
小学6年生の元気な少女とも子が、夏休みの
ある日、広島の原爆資料館を訪れました。とも子
は、平和公園で不思議な少女と出会いました。
彼女の名前はサダコ。そして、サダコの案内で、
とも子の不思議な不思議な冒険がはじまります。
サダコが言います。「ピカドンや戦争の犠牲に
なる子どもたちが 世界中か らなくなるように祈っ
て、私はここに立っているの」
その言葉にとも子は「お願い!みんなのためにサダコを世界中につれてっ
て!」と言い、サダコととも子はつるにのって世界中を回るのです。
子どもの感想
広島で原ばくのばくはつの放射能で死んでしまった人のことを知りました。
さだこさんの同級生の思いが、広島中、日本中、世界中に伝わって良かっ
たです。
さだ子さんはリトルボーイというばくだんの、ばくはつにまきこまれなくても、放
射能で亡くなって、私は「どうして人間は自分のよくを満たすために戦争なん
てするんだろう」と思いました。
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