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北米の人種差別̶負の遺産はいまも はじめに 1. ビデオ Race

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北米の人種差別̶負の遺産はいまも はじめに 1. ビデオ Race
京都大学オープンコースウェア 「人種概念の総合的理解」
2008 年 5 月 23 日(金)2 限
リレー講義 担当 竹沢泰子
講義ノート @竹沢泰子
無断引用はお断りします。
北米の人種差別̶負の遺産はいまも
はじめに
アメリカ合衆国における人種差別が、奴隷制や移民制限といった過去の話とし
てではなく、過去の負の遺産がいかに現在に影を落としているのか。
特に「サバービア」の問題に着目。
1.
ビデオ
Race- The Power of Illusion
の解説
Episode 3: The House We Live In
・White by Law
法律によって誰が「白人」で、誰が「白人」でないのかが決定された。
→人種は自然なものではなく、社会的に規定されるもの
黒人の定義→州によって何分の一アフリカ系の血が入っていれば黒人かと
いう基準は異なっていた
アルメニア人が裁判で「白人」として認められる、フィリピン系や日系は?
*背景:アメリカ合衆国の市民権
領土内で生まれれば自動的に与えられる
しかし、移民は帰化によって市民権を得る(今日も)。20 世紀初頭、
西海岸では、日本人移民が農業や漁業で成功しはじめており、そ
れが脅威としてとらえられたため、それを阻害するような排日法
案(排日土地法、排日漁業法など)が多く制定された。
1790 年帰化法によって定義された資格
person)」 →「白い人」とは誰か?
・アジア人移民が帰化権を求めた訴訟
1922 年
1
「自由な白い人(a free white
小沢孝雄対合衆国
小沢孝雄 → アメリカ市民として申し分ない人物。
学歴、流暢な英語、敬虔なキリスト教徒、人望、生活様式、etc
皮膚は白人同様白い、しかしより重要なのは、本来皮膚の色は市民権には
関係ない、大事なのは内面である、と裁判で主張。⇒しかし、最高裁はコ
ーカソイドが白人であり、コーカソイドではない日本人は白人ではないと
の判決。
1923 年 合衆国 対 ガット・シン・シンド
小沢の判決の 3 ヶ月後に、その判決を下した同じ裁判官が、当時、Hindu と
呼ばれていたインド人シンドの帰化権を認めずシンドは敗訴。小沢に対する
判決を逆手にとって、同じコーカソイドであるから白人とみなされるとシン
ドが主張するも、建国の父祖は人種論を知らず、常識的に考えて、皮膚の色
の濃いインド人は白人ではないとする。両者の間には見間違いのしようがな
いほどの差異が存在すると。シンドはその後自殺。
↓
これらの裁判の後、それまで市民権を与えられていた日本人やインド人も、
市民権やそれによって保護されていた財産を剥奪されると
いう事態がおこった。
・1943 年に中国人の帰化、1945 年にインド人の帰化を認めるようになった。
帰化不能外国人というレッテル→日系人
・日系人の強制収容
第二次世界大戦中に日系人は砂漠地帯の収容所に。
現在、米政府は過ちをみとめ、ひとり 2 万ドルの補償費を支払った。
⇒現在でも、何世代たっても、アジア系アメリカ人は外国人であるとみ
なされることが多々あるという現実。
・Levitown でのハウジングプロジェクト
第一次世界大戦のあと、大量の兵士たちが帰ってきて、結婚したため、家が必
要になった。しかし、十分な住宅供給がなされていなかった。その対策とし
て、1930 年代ごろまでは家を買おうとすると、家の値段の半分の頭金を払わ
なければならなかったが、
頭金を一割払い、後は銀行からのローンでまかなえるような体制が整うよう
になった。
⇒一般の人々が自分の家をもてるようになった。
2
Suburbia
サバービア→郊外を大規模に開拓して、住宅を整備。
アパートを借りようとすると賃貸料 が 120 ドルほどするが、ローンだと毎
月 65 ドル
→GI(戦争から帰ってきた軍人)にはローンの優遇制度があり、家の購入
がしやすい状況。
・戦争から帰ってきた黒人復員兵
戦争中も隔離されて差別を受けた。戦後も国のために戦って帰ってきたも
のの歓迎を受けるどころか、不当な待遇をうける。→ 家を買おうとする
と「ニグロには売らない」。
・単に偏見のレベルではなく、政府のレベルで住宅地域を色でゾーン分けをし
ていた(白人だけの地域、混合地域、マイノリティが多い地域→住宅評価額
と関連、マイノリティ居住地域=「リスクの高い土地」)
・白人のなかでも社会的底辺に位置していた人々(アイルランド人、イタリア
人など)にとっては、アジア人への排斥などをとおして、ホワイトネスを獲
得。
・1968 年 ジョンソン ハウジングプロジェクトに調印
→白人専用居住地に非白人の居住が可能に。
*非白人の人が入ったことによって、その地区の住宅評価額が下落、それを
非白人に売却し、白人はさらなる郊外に「脱出」。
⇒約 2 年でその地区の住人が黒人ばかりになった。ただ、ローンをにな
う銀行も、非白人マイノリティには貸さなかった。すなわち、ある一
部のお金持ちの非白人のみが白人居住区に移り住むことができた。大
多数は都市のゲットーに住み続けていた。
↓
富裕層の居住区→税収入多い→教育環境、治安など改善。
貧困層の居住区→税収入少ない→教育環境、治安などが劣悪なまま。
学生 Q どうして、昔のジム・クロー(Jim Crow)のような segregation が今も
続くのか?
3
なにが whiteness かという問題は、書き込まれ方は異なるけれども、現在
も地理のなかに再び書きなおされている(re inscribe)。
・何年家賃を払っても、何の財産にもならない。
⇒アメリカ人は住宅に投資。住宅そのものが長期に預ける貯金のような位置
づけにある。それが次世代の資産となる仕組みが存在している。
・「自分の成功は父の努力のたまもの」
あなたがそうでないのは、あなたの父がそうしなかっただけという思考パタ
ーンがよく見聞きされる。しかし、単純に個人の努力や行動だけでは説明で
きない過去の遺産が生み出した社会的な事情。
・1対 8 分の1という白人と黒人の富の格差
⇒表面上は差別は解消しているようにみえるが、今日においても、中途退学
や資産の格差など、さまざまな過去の差別の累積としての格差は存在し、公
民権時代以後むしろその格差は拡大している。
参考文献(帰化権に関する):竹沢泰子「アジア人移民の帰化権問題と『人
種』
」三輪公忠編『日米危機の起源と排日移民法』論創社、pp.219-255. 1997
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