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大学は地域に何ができるか

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大学は地域に何ができるか
大学は地域に何ができるか
小松 隆二
学校法人白梅学園 理事長 1 学問の世界では軽視されてきた地方・地域
にしても、地域は重視どころか、常に視野にさ
̶日本の地域と大学̶
えおかなかった。せいぜい周年事業や特別事業
(1)軽視しあってきた地域と大学
大学にとって、地域は宝の山である。研究・
などで大学から特に要請されれば、付き合い程
度なら応じるといった姿勢・対応であった。
教育の対象・素材としても、またパートナーや
もちろん、双方が対立しているわけでも、そっ
サポーターとしても、この上なく有益な存在で
ぽを向き合っているわけでもない。しかし、真
ある。また地域にとっても、大学は使い方、活
正面から向き合うこと、お互いに謙虚に手を差
かし方によっては、頼りになる強力な存在であ
し伸べあって恒常的に積極的に協力、連帯する
る。日本では、大学も、地域も、お互いにその
ことはしなかったのである。
点に十分には気付いてこなかった。とりわけ大
学の方がそうであった。
本来、大学と地域は、一方がより大きな力を
それでは、地域と大学がお互いに重視し、尊
重しあわないできた原因はどこにあったのであ
ろうか。
もち、常に与えたり、貢献したりする側、他方
恐らく、その主要な原因は大学側にあったと
が弱く、専ら恩恵を受ける側といった関係では
考えてよいであろう。そもそも日本の大学で、
ない。それぞれが自立した自由な位置に立脚し
その目的や使命の一つに地域活動を掲げるとこ
ている。むしろ、自立しているだけに、安易な
ろは極めて稀であった。文部科学省も、大学も、
形では寄り掛かかりあったり、つながりあった
その目的や使命に地域活動を、研究と教育に加
りしなかった面もある。
えたのは、ごく最近のことである。
いずれにせよ、長い間、日本における現実は、
大学教員にとっては、研究・教育の課題も方
連帯や共創の関係とは遠いものであった。とく
法も、必ずしも地域、あるいは地方を基礎・土
に日本の大学の多くは、むしろ地域を軽視し、
台に組み立てるものではなかった。地方・地域
地域への貢献や還元を格別意識して目標とする
よりも、いきなり中央・全体の動向・あり方中
ことがなかった。研究、教育、地域活動で成果
心に研究の関心が向けられ、課題設定も行われ
をあげる際に、またそれらの成果を大学が発信
た。教員は、自らの立脚する地域や住民の生き
する際に、足下の地域を重要な根拠地や実践の
た暮らしや活動を基礎にして、そのうえで中央
場として活用しうるのに、そのような認識をも
や全体を観るという視点には立たなかった。
たないできた。せいぜい個々の教職員やグルー
プが関わりあう程度であった。
要するに、地域が、地方と共に学問の方法論
としては主役や主流として位置づけられにくい
また地域は地域で、大学からの協力や貢献に
国であった。地域、そして地方のことは、中央
はそれほど期待を抱かないできた。大学が地域
や全体研究のついでに、あるいは付随的に触れ
に大きな貢献をなしうる力をもっていないと考
るのが常で、研究としては従や下に観る視点が
えるからではなく、どうせまともに相手になっ
一般的であったのである。
てもらえないのではないかと判断したうえでの
その点については、20世紀末に大学が大都会
対応であった。だから大学に対する協力や貢献
のセンターエリアから郊外や地方に移転した事
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6
小松 隆二(こまつ りゅうじ)
東北公益文科大学特任教授(3月で終了)、白梅学園理
事長、慶應義塾大学名誉教授
1938年 生まれ
1961年 慶應義塾大学経済学部卒業
1972年 経済学博士(慶大)
〔専門分野〕
公益学、ニュージーランド学、社会政策論
〔主著〕
『企業別組合の生成』御茶ノ水書房、1971
『社会政策論』青林書院、1973
『理想郷の子どもたち −ニュージーランドの児童福祉−』
論創社、1983
『大正自由人物語』岩波書店、1988
『イギリスの児童福祉』慶應義塾大学出版会、1989
『現代社会政策論』論創社、1993
『ニュージーランド社会誌』論創社、1996
『オーストラリア・ニュージーランド 先進国の社会保障2』
編著、東京大学出版会、1999
『公益の時代』論創社、2002
『公益とまちづくり文化』慶應義塾大学出版会、2003
『公益とは何か』論創社、2004
『公益の種を蒔いた人びと』東北出版企画、2007
例を観ると、一層よくうかがえる。それらの場
住民、その生活や諸活動にはさして関心を示さ
合は、地域を選ぶというよりも、土地を選ぶと
なかったし、そのような地域に対する還元・貢
言われても仕方のない進出・選択姿勢が主流で
献などの役割、逆に地域から受ける恩恵・貢献
あった。
を十分に理解できなかった。それでは、足場・
何となれば、大学にとっては、地域との交流、
根拠地が定まらず、地域・住民とつながる生き
地域の住民、生活、産業・経済、文化・芸能、
た高度の研究や教育も、また地域・住民のより
伝統などの意味合いは二義的であった。大学の
良い生活・あり方に貢献する研究・教育も期待
主たる関心は、立地条件や交通事情はもちろん
できなかったのである。
考慮するが、一定の広さの土地をいかに安く手
現在も、まだまだ両者の自覚・認識には地方・
に入れるかであった。現に、周辺には住宅が建
地域ごとに相違、落差がみられる。不安定であ
てられず、住民の住めない市街化調整区域を選
やふやな面ももっている。継続的で安定した強
ぶのが大方であった。最初からその地域、その
い絆には育っていない。それでも、徐々に大学
地方のもっているものは当てにせず、住民・地
は大学で、既存の本来の目的・使命を遂行しつつ、
域との交流も限定的にしかできない土地を選ん
同時に地域活動を目的・使命に新たに加えたり、
できたということである。
より良い暮らし・より良いまちづくりの実現に
そこでは、地域の人から見れば、大学は地域
向けて地域との協力に挑戦しはじめている。実
の中では別格であるかのように自ら壁をつくっ
際に、大学と地域の両者は、各地で協働・共創
て住民を寄せ付けない位置にいる。近隣住民か
の活動に向けて動き出した。まだ形式的対応の
らみたら、大学・キャンパスには入りにくいの
域を出ないが、協定の締結も目立っている。さ
である。朝晩、あるいは週末や休暇の日の散策
らに、多くはないが、先駆的な足跡が記され、
にも、足は大学には向きにくい。
成果も蓄積されだした。もっとも、それが永続
化するかどうか、また大きな成果を上げること
(2)漸く連携に向けて動き出した地域と大学
ができるかどうかは、なお今後の課題ではある。
近年、大学と地域は漸くお互いにその殻から
抜け出し、対等でいながら友好的に、かつつか
ず離れずではなく、積極的に活かしあい、連帯
しあう関係が模索され出した。
現在、大学を取り巻く状況は極めて深刻であ
2 危機の中の地方・地域と大学
地方は危機の中にある。地方が危機の中にあ
るということは、そのまた基礎となる地域も危
る。その大きな要因の一つは、以上のように地
機のなかにあるよいってよい。国の政策としても、
方軽視・地域軽視に象徴される大学の理念や姿
国民・市民の意識としても、大都市・中央に比
勢の軽さや閉塞性にあったといっても言いすぎ
べて、地方が軽視されてきたこと、それら地方
ではない。長い間、大学は、足下の地域、人々・
および都市全体の基礎である地域も軽視されて
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きたことが、現在に至って地方・地域の脆弱性・
弱さとして鮮明に浮き彫りになっている。
それに、若者・学生が集らないというだけで
なく、多くの大学では、教育でも、研究でも、
市場原理・競争原理を重視すれば、有利にな
また地域活動でも、本来あるべき姿とは遠いも
るのは大都市・中央で、地方は救われない。経
のであったことも、大学の綻び・矛盾、そして
済的にも、財政的にも、市場原理に依拠すれば、
困難性を大きなものにしている。
地方は自立や発展が難しい。高速道路であれ、
本来ならば、大学の収入の圧倒的部分を提供
文化・芸術活動とその施設であれ、経済的には
してくれる学生に対する教育は、最も重視され、
地方では採算はとりにくい。市場原理では容易
学生本位に内容や水準も高度のものでなくては
には成り立たないのである。
ならないはずであった。しかるに、その点が、
地方では、商店街や駅前の活性化を目ざして、
長い間最も手抜きされてきたのである。
大都会の有名大学から専門家を招いて、調査、
それなら、教員が重視する研究は高度でオリ
活性化の処方箋なり提案なりを仰いでも、有効
ジナルなものが多かったかというと、必ずしも
な解答・改善策は得られないできた。大都会か
そうではなかった。大学が増えた分、大学教員
ら地方に短期間出かけて調査したところで、す
も増えている。それにあわせて、研究水準が高
ぐに良い解答がえられるほど地方の状況は甘く
まったり、オリジナルな成果が目立つようになっ
ない。その専門家が地方に無関心あるいは軽視
たりしたかというと、決してそうではない。と
してきた当人であることが多いので、満足な処
くに地域に根差した研究、地域を生かす研究の
方箋などを期待するほうがおかしいのであった。
少なさが、大学と地域との関係の弱さを象徴的
また地方は地方で、それぞれの地方・地域に長
に示すものであった。
期的に、またまちづくりに真に必要な対応では
大学は地域を必要としている。ところが、大
なく、高速道路など公共事業・工事といった目
学は、大学まちづくりのように地域と一体にな
先の経済効果を狙う対応が目立っていた。
る理念・活動の必要性も理解していなかった。
当然、経済的に弱いところからは、若者中心
それなら、それ以外に何か地域・住民を引き付
に人々も離れていく。すると、経済活動も社会
けるものがあるかというと、それも十分にはな
活動もますます弱くなっていく。地方の県・市
かった。経営陣も地域と協力関係を強め、寄付・
町村からは人々が去り、人口減に見舞われてい
支援を仰ぐような理念・姿勢にはなかった。さ
ること、大企業の支店・工場もどんどん引きあ
らに、教職員も地域を研究・教育の足場や主要
げつつあることが日本の現実である。
な対象にする理念・姿勢には立っていなかった。
大学も危機の中にあると言われだしてから久
そういったことが、大学の危機を一層深めた。
しい。経済・財政面でも、また人口面でも、脆
大学が生き延びるためには、大学にとって危機・
弱な地方に足場を置く大学ほど取り巻く環境は
困難をもたらす要因を一つ一つ取り除かなくて
厳しい。人口、とくに子ども人口が少ないうえに、
はならない。とりわけ地方・地域軽視の理念・
若者も大都会志向が強い。受験生・学生が集ら
あり方をどう正していくかが今後の鍵になるで
ないのである。
あろう。幸い、地域も大学を必要としている。
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地方・地域と大学は、弱いもの同士ではあるが、
とすることが優先されたし、研究対象・課題と
良さも沢山持ち合わせている。その地方・地域
しても、地域研究は従的な位置しか与えられな
と大学がお互いに協働、さらに協働を超えて共
いのが普通であった。
に新しいもの・新しい方向を創りだしていく共
いうなれば、足下の地域で展開される人々・
創を実践する必要がある。お互いに必要として
住民の生きた暮らしや活動に関しては、学問的
いることを受け止め、認め合って、プラスに転
にはさして関心を示さず、それらとは遠いとこ
じあう必要があるのである。
ろで、研究の課題設定、資料処理、分析、理論
化の作業が行われるというものであった。基本
的な方法論・理念のところで、地方・地域は主
3 大学が軽視してきたもの
̶教育・学生と地域̶
要な位置を与えられなかったのである。
とくに社会科学など文系の研究では、地域に
大学の目的や使命には、一般的には研究と教
おける人々の生きた暮らしを礎や目標に据える
育、つまり高度の研究とそれを反映する高度の
研究は少なく、中央・中心か、観念・理念レベ
教育があげられる。それに、医学部があれば、
ルの研究が主流であった。実学の軽視といって
医療サービスが加えられる。これらに地域活動
もよい。ここでいう実学とは、最近流行のすぐ
が加えられたのは、ごく最近のことである。
に役立つとか、実用性が高いという意味ではな
長い間、大学が軽視してきたのは、教育、つ
い。市民の実生活に根ざし、実生活と結びつく
まり学生であるとともに、地域と住民、そして
研究で、しかも実証・科学性を重視する研究と
そこでの活動であった。
いう意味での実学である。決して流行や即効性
教育の軽視は余りによく知られたことであり、
を追うことではない。
今さら説明するまでもない。正規の授業が定刻
換言すると、自らの研究が市民のより良い生
より遅れて始まり、時間前に早く終わること、
活、それを支えるより良いまちづくりにどうつ
時には教員の都合で終了、休み(休講)となり、
ながり、貢献するかよりも、中央や全国レベル
補講も行われないこと、教員は一般に研究重視
の問題を取上げ、理論的整合性・一貫性を重視
で、研究に差し支えない程度に教育に従事する
する方法への関心が、研究の主流であった。
ことなどは、長年公然と行われてきたことであ
その意味では、大学における教育よりも重視
る。いうなれば、最も大切な学生をないがしろ
されがちであった研究の動向にあっては、とく
にしてきたのである。
に地方・地域の軽視が顕著であった。そうであ
もっとも、大学、とくに教員の間では重視さ
ると、研究を反映する教育でも、地方・地域が
れてきたはずの研究でも、成果をさっぱり上げ
軽視されたことは容易に推測できるであろう。
ない教員が少なくなかった。とくに高度でオリ
教員に関心のないことが講義・授業などの教育
ジナルな研究を追究する姿勢が弱かった。それに、
で重視されるはずはないからである。
視点や方法でも、地方・地域の軽視が顕著であっ
大学の姿勢がそうであれば、まち・地域から
た。研究の方法論としても、中央・全体を課題
も大学に積極的に協力や貢献が寄せられるわけ
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がなかった。欧米の大学が地域から資金的に、
意味をもってくる。しかも、すぐに結果・成果が
また人材的にいかに強力な支援を受けてきたか
出るのではない。初めはどうしても小さなもの、
は改めてことわるまでもない。寄付を基金にそ
目立たない程度の動き・成果になりかねない。一
の運用益で研究・教育を支援する学校会計でい
般的には大きく、しかも継続的に成果を提供でき
う三号基本金は、日本の大学では日本大学、国
るには時間のかかるものなのである。
際基督教大学などが上位、慶應義塾大学、早稲
当然のことではあるが、大学がなすべき地域
田大学などがそれに続くが、アメリカの大学に
や社会への貢献というと、大学の本来性につな
比べると、ゼロの数が1つか2つ違うほど規模
がる研究・教育による貢献・還元が基本となる。
が小さい。施設・設備でも、周年事業を除けば、
高度の研究・教育ができないようでは、大学と
やりくりしながら自前で建設・設置するのが日
しての役割を果たしたとはいえない。大学は、
本の大学であるが、それに比べて恒常的にまち・
地域貢献だけを本務とするNPOでも、専門学
地域からの寄付に依存できるのが欧米の大学で
校でもない。まず高度の研究を通して社会、さ
ある。欧米では、大学がそれだけ地域に還元、
らには世界を先導しなくてはならない。また高
貢献をしてきたということで、それに応えて寄
度の教育を通して優れた人材を育成し、社会に
付文化が成立してきたのである。
送り出さなくてはならない。その質・レベルが
研究に比べて教育が軽視されてきたこと、そ
して研究でも教育でも、学生と共に地域が軽視
高ければ、それ自体社会貢献になり、地域貢献
になるであろう。
されてきたことが、日本の大学が背負うマイナ
その意味で、大学はオールマイティでも、ど
ス面の大きな特徴であった。それが正されない
んな問題にも応えうる存在でもない。基本的に
限り、日本の大学の将来は暗い。
はその専門領域とその周辺における貢献が基本
となる。
それでいて、その高度の研究も、人材育成も、
4 大学による地域を見る眼および地域貢献
自分たちのためだけではなく、究極的には全て
地域と大学は、お互いにかけがえのない存在
の人々によりよい暮らしを実現し、保障するこ
である。欧米の大学の安定的発展は、その認識
とにつながるものでなくてはならない。そのた
を根底に持ち、実際にお互いに活かしあったこ
めにも、足下の住民のより良い暮らしにも関心
と、貢献しあったことが大いに与っている。そ
を払わなくてはならない。足下の身近なところ
のことを、日本の大学も数年前から漸く少しず
で生活する住民のよりよい暮らしに関心を示す
つ気付き始めた。
こともしないで、全体のよりよい暮らし・幸福
大学は、地域に対していきなり、あるいは常
の実現などは意味がないからである。研究も、
に大きな貢献をできるわけではない。大学が一方
地域や住民に根ざしてこそ、本物になる。その
的に地域に向けて貢献するように動いても、適切
自覚が必要である。
な反応が返ってくるとは限らない。大学と地域・
住民が理解し、納得しあって初めて可能になり、
かくして、大学も、教職員も、地域に参加し、
地域を知ることが必要である。大学・教職員は
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地域にサービス・貢献すれば、地域も育ち、大
公益活動とは、基本的には自分を大切にしつ
学にもプラスになって返ってくる。それによっ
つも、自分を超えて不特定多数に非営利でサー
て大学が地域によって活かされ、育てられる面
ビスを提供する活動である。その公益活動には
も出て来る。それができて、地域を基礎に置く
すべての人が関わるが、主たる担い手(主役)は、
視野、そして地域を超える視野も育つし、さら
集団では企業などではなく、公益法人、NPO、
には世界に向けた視野に飛躍することもできる
行政など、個人では全てのものが可能性として
のである。
は関わりうる時代になってはいるが、主にボラ
ンティアたちである。
このように、公益大は、経済活動に対する経
5 大学は地域に何ができるか
済学に対して、公益活動に対する公益学を学問
̶公益大が地域で実践・貢献したこと
として構築しようという目標に立って出発した。
ここで、私の関わった東北公益文科大学(略
多様な学問の応用学として出発しながら、一つ
称・公益大)の大学まちづくりの例を取りあげ
の体系をもつ学問の構築を目指して取り組む目
てみよう。
標であった。
公益大は、2001年創設の新しい大学である。
それに、大学づくりに際しては、大学づくり
山形県の鶴岡市・酒田市が中心となる庄内地域
を超える大学まちづくりを目標とした。どこか
に公設民営方式で設置された。専門は公益学。
のまちで土地だけ取得して落下傘のように大学
最初から地域とともに歩む大学として、地域を
関係者が舞い降りてくる。そこで、まちやまち
重視し、
「東北から俯瞰せよ!」
「大学まちづくり」
づくりと関係なく、大学やキャンパスをつくる
をモットーとして掲げた。
方式はとらない。あくまでもまちづくり・地域
少子高齢化の時代の進行をみて、18歳人口の
減少が盛んに言われ出す時に、とくに地方にお
づくりの一環として大学およびキャンパスをつ
くるという理念と方法に立った。
いて私立大学、それも文系の学部・学問を始め
その際、開学時から「大学まちづくり」とい
ることは極めて厳しいものがあった。また既存
う用語をつかった。まちづくりは当初は町造り
の大学や学部の在り方を踏襲するようでも成功
などと漢字で、ひらがなではなかったが、大学
はおぼつかないという時代状況であった。そこで、
が「大学まちづくり」を提唱し、その用語を掲
長い検討の末に選ばれたのが公益学という新し
げた最初であった。
い学問であり、また地域に開放され、地域とと
もに歩む大学であった。
公益学というのは、公益活動を研究対象とす
具体的には、キャンパス、施設・設備、行事・
活動などのうち、可能なものは原則として市民・
地域に開放・公開する。そのためキャンパスの
る。経済活動とそれを研究対象とする経済学な
四方に壁や門はつくらない。例えば、図書館は、
どが競争や営利の市場原理を基本原則とするの
コミュニティ図書館の一面ももっており、全て
に対して、公益活動と公益学は、競争や営利で
の人に開放する。教室類や、コンピュータなど
はなく、非営利の公益原理を基本とする。
も可能なかぎり貸与する。講演会、シンポジウム、
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コンサート、演劇なども開放する。そのような
の出版費用は、地域が提供してくれるのが常で
方針で出発した。
あった。
それに応えうるように、図書館も個性を出し、
それでも、大学である以上、地域貢献におい
どの大学にも負けないほど地元山形文庫の充実
ても、最も大切なものは、やはり研究と教育に
をはかること、公益の国の代表であるニュージ̶
よるものである。つまり高度な研究成果を発信
ランド研究所をつくり、図書館にもニュージー
し続けることによって社会から歓迎され、大学
ランド文献の蔵書数を日本一とすることを目標
の評価が高まること、そして地域の人材の育成
とし、実現した。その努力もあって、市民によ
と地域への人材の還元・提供を実現することが、
る大学図書館の利用率では、全国でもトップク
大学にとってと同時に、まち・地域にも高い評
ラスになったほどである。講演会やコンサート
価を与えることになるからである。その点では、
でも、市民の参加のほうが教職員・学生よりも
日本ニュージーランド学会、日本公益学会で公
多いのが常となった。
益大学教員は、リーダー的な役割を果たしたし、
大学がまち・地域に参加する方法として、当
『大学地域論』(論創社)、『大学地域論のフロン
初は市町村の委員会・審議会・研究所に委員・
ティア』
(論創社)など多くの著書、論文を通し
講師等で人材提供を続けた。個々の市町村のま
ても、公益大は専門領域では先導的な成果もあ
ちづくりの計画・実践にも、多くの教職員・学
げた。
生が参加した。地域の祭礼・行事への参加、公
益法人・NPOとの連携、高校との高大連携も
すすめた。
そのような蓄積の上で、日本で最初の学生ま
結び
地方・地域にとっても、また大学にとっても、
ちづくりサミットが公益大で開催された。また
それぞれを取り巻く環境は今後ますます厳しく
小泉内閣の下で全閣僚の出席する都市再生本部
なりそうである。
の会議で、西からは関西学院大学、東からは公
このように危機の中にある同士の地方・地域
益大が選ばれ、それぞれのまちづくりを紹介、
と大学が、本格的に連携、協働・共創できたら、
公益大は大きな評価を受けた。このことは新聞
決して甘くはないが、将来に向けて可能性が出
等で紹介された。これらの積み重ねで、全国紙
て来る。大学としても、組織全体として地方・
の行う大学の地域活動・地域貢献のランキング
地域を重視し、全力をあげて協働・共創するの
でも、公益大は上位の評価を受けることが少な
であれば、可能性は出て来る。
くない。
とくに地方の大学は、地域の特徴、個性、素
それに、大学教員の専門を通してまち・地域
材性を生かし、方法的にも理論的にも地域と住
の良さを発掘、再評価し、全国に発信する作業
民の生活や活動、文化や伝統に根ざした研究・
も行った。市民講座などでもそれを行い、その
教育を重視するほうが、大学としての個性や特
成果を市民や来訪者、旅行者に配布できるよう
徴も出しやすい。むしろ、地域発のオリジナル
に多くのパンフレット類も作成、発行した。そ
な理論や実証的成果をドンドン発信できるかど
’
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うかが大学の発展への鍵といってもよい。公益
学としての本来性も発揮できないし、さしたる
大は胸を張って「東北から俯瞰せよ!」をモッ
成果も貢献も期待できないであろう。
トーにしたように、地方・地域に根ざしたほう
が高い姿勢でのぞむことができるはずである。
いずれにしろ、大学が地方・地域にただ存在
するだけでは、その地方・地域の誇りになるわ
その視点・方法こそが、大学を際立たせるだ
けでも、また地方・地域も大学に協力するわけ
けではなく、日本の、また世界のオリジナルな
でもない。地域からみて、大学がその専門を通
成果を高め、学界のレベル、また研究・教育の
して地域や住民に、また全国や世界に貢献をし
レベルを高めることになろう。そのような高い
てくれてこそ、大学の存在が精神的にも文化的
姿勢やオリジナルな成果を生む挑戦に関心のな
にも地域の誇り・支えに思えてくる。そこで初
いものは、自ら大学を去る位の姿勢も必要であ
めて地域にとっては協力・貢献の対象になるし、
る。教授になっても、めったに論文を発表しな
実際に本格的に協力・貢献することになろう。
い人、ましてやほとんど研究成果を発表できな
それに合わせて寄付文化も成立するのである。
い人は、大学教授に相応しくないと考えるべき
である。
今や大学が質や個性に関係なく、ただ存在す
るだけでは、地域・住民にとってほとんど魅力
そうすれば、全国から注目されるほどレベル
的ではなくなっている。地域・住民も大学を選
が高くなり、同時に個性・特徴を打ち出せ、足
別する時代である。大学なら何でもいいから来
下の地域・住民からも、大学に対する理解や大
てほしいという時代はとうに終わっている。大
きな協力も得られるはずである。
学もその現実を受け止め、それに応える努力を
今後は、地域との連携や支援、いわば相互貢
継続しない限り、生きてさえいけない。そのよ
献なしに、大学が本来の目的である研究・教育
うな危機感や自覚こそ、大学を蘇生させ、地域
を独力で深め、将来に道を拓くことは難しい。
からも本当に必要と思われる存在に成長させる
地域をいかに活かすか、地域からいかに支援を
ことになるであろう。地方・地域、そして住民
引き出すかが鍵であり、課題である。資金・モ
が大学を選ぶ時代になっていること、それだけ
ノなどの寄付だけではなく、多様な支援が地域
に地方・地域・住民を視野に入れ、重視する研究・
から寄せられてこそ、大学は生き延びていける。
教育が必要であることを、大学は銘記すべきで
地域を土台や視野に入れ、地域・住民とつなが
ある。ただし、そのあり方、方法は多様でよいし、
る研究、教育、その意味での実学志向が大きな
創造的であることが欠かせない要件になること
課題である。それら無しの研究・教育では、大
はいうまでもない。
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