Comments
Description
Transcript
Page 1 Page 2 上海外国语大学 博士学位论文 ズレを含んだ繰り返し
上海外 国漕大学 博士学位栓文 ズ レを含んだ繰 り返 し ノーベル賞受賞後の大江健三郎 を論ず る 重夏 中包含差昇 捻荻得 牒 只森文学笑后 的大江健三 郎 作者 徐 星 寺地 日活清言文 学 学号 0 2263 指等教授 周 提交 日期 平 2005年 6月 1 5日 小 論 の 完 成 に 当 た りま して 、 指 導 教 授 の周 平 先 生 を は じめ 、 上 海 外 国 語 大 学 日本 文 化 経 済 学 院 の 先 生 方 、 県 立 長 崎 シ ー ボ ル ト大 学 の 下 野 孝 文 教 授 及 び 諸 先 生 方 、 筆 者 の 高 校 時 代 の 恩 師 村 田淳 美 先 生 、 ほ か に 、 貴 重 な ご意 見 と多 大 な ご支 持 を くだ さい ま した 皆 様 に衷 心 よ り感 謝 の意 を 申 し上 げ ます 。 摘 要 日本作家大江健三 郎 自 1 99 4年荻得渚只布文学実 以后 ,十多年来 ,先后友表 了 《燃焼 的緑樹》三部 曲、《空翻》、《被倫換的該子》、《愁容童子》、《二百年的該子》 和 《再見 了,我 的弔叩可! 》等作品。作カー名享有世界声誉的作家 ,尽管年近古稀 , 仇然表現 出強烈的創作生命力 , 仇返些作品中不仮能看到其創作技法 的 目益精湛与炭 展,也能感受到多年来作者通達大量陶凌所得到的人生感情与思考 。 本捻文将研究花園鎖定在大江健三 郎 1 993年至 200 2年 r B l友表 的 《 燃焼 的緑樹》 三部 曲、《空翻》、《被倫換的該子》和 《愁容童子》迭 四部作 品上 ,透辻作品同存在 的朕系来分析其主題 的一貫性 ,以及各十作品的独特性 ,井結合作家的其他作晶,探 音速-吋期的大江健三 郎作品在創作上的特点和作者的創作意 国。 本龍文共 由六章杓成 ( 包含序章、正文、終章 )。 在序章中,首先対大江健三 郎的創作原種逆行 回顧 ,結合常兄的視点将其荻得渚 只布英之前的作品分力三十吋期四十部分 ,簡単介紹各↑折段作品的創作特 点和主要 坪仇 ,井対 日本和 中国的先行研究逆行介錯与概括 。然后 ,重点夫注狭得渚只布突 以 后的大江作品,拭到本龍文的向題意切 。一十 己蛭迭到相 当高度 的作家 ,在一度宣布 停止小悦創作之后 ,カ什ゑ要 自我食言,重新井始創作 ,而返些新的作品対干大江的 整十文学人生又具有忠樺 的意叉 ?J L部作 品之 同明塵 的朕系与差昇是忠樺戸生的? 迭些現象究寛意味着什ム ?カ了解決法些 何題 ,本捻文机住大江在文学方法 中十分強 調的一十理念 ` ` 重真申包含差昇 "作力切入点 ,臥 "忠A写 "和 "写什ム "迭丙十角 度分析各部作品同存在 的共 同与差昇 。在正文部分的四華 中,第-章和第二章重点分 析小説創作方法上的共 同与差昇;第三章和第 四章則側重分析小悦 内容与主題方面 的 共同与差昇 。辻而在韓華 中得到有夫的結砲 。 大江健三 郎在文学手法上受俄夢斯形式主又的影桐,一貫強調 "隔生化 "等一系 列手法 。在近年 的作 品中,"小五一般的主人公"和 "荒堪現 実主文 的形象体系 "送 丙点尤力突 出。前者主要体現在各部作品的主人公 〟顛覆社会秩序 "的行力方式上, 而后者則通辻小悦人物 的 〟崎形与残疾 "以及小腺情帯的 "狂歌性 "得到 了印証 .第 一章第一苛結合具体作品対返些 内容逆行 了具体分析 。第二苛則夫注大江文学的男- 十常兄手法- 引用。其中包括了対其他文学作品在 内容題材上的借塵和宣接引用丙 斉面O 大江的小悦重視虚拘,強調 ` ` 手法的暴露〝 ,但与此同吋,其作品内容又常常与 現実生活互相重合 。近年的作品中,能移看到作家対干 〟自我淡及 "現象的反思和辻 一歩探索。最明屋的変化体現在小説的叙事人称方面 。第二華中,以 《空翻》カ代表, 比照以前的作品,着重分析作者使用第三人称的意国,尤其是丙十視点人物相互交替 的方式,返在大江文学中是板具独特性的。而迭神変化 ,与作者的年齢有美,也与其 不断追求的 ` ` 克魂 同塵 〃密不可分。返也是近年的大江作品在創作手法上最突出的差 昇。 大江是一位富有社会責任感的作家,堅持作家庇 当 "参与社会 〝,因此,其作品 具有鮮明的 "同吋代性 " 。大江逸揮了 "辺縁化 "的視角来視察 自己所始的吋代。当 今吋代天龍在 日本国内述是全世界苑関内都存在一軒 ` ` 中心指 向性 ",而大江文学的 "辺縁性 "則是対此的一神抗争。在近年的文学中,大江逸取 了四国森林中的山谷迭 一辺線化的舞台,展現 了新米宗教団体法一辺線化的社会存在 ,以此来塑造 "赴干辺 縁的日本人形象 " 。《燃焼的緑樹》和 《空翻》中的宗教団体之阿有着祥多的相似点, 而返一切又可 以在 日本社会 中拭到其原型,如奥婦真理教等邪教 団体就是最好的体 現.《 燃焼的緑樹》対千 日本社会新米宗教団体同塵的爆友逆行 了預言,而 《空翻》 則是対現実中友生的同塵的再思考。返就是大江近年作品中尤力突出的文学与現実的 呼庄英系。 仇 以徒的大江文学作品中,可 以提煉 出作者 "追求康夏 "的-秤簡単模式。而分 析近年来的返些作品,我イ [ 7可 以友現,迭-模式得到了辻一歩的友展 。形成了 "希望 追求康麦却又辻一歩塾入深淵 "的新形森。但是 ,仇作品的分析我イ ロ可 以看到,所有 的作品都カ "最終的康麦' '留下了耕板的可能性,迭也正是大江文学所要追求的最終 目板。第四章在掲示了返-模式的存在之后,辻而村龍 《被倫換的核子》和 《愁容童 子》的特点 ,仇中可 以友現 ,作者将注意力仇 "社会的康麦"更多地轄到了 "十人的 康麦"上。究其原因,返与作家本人歩入老年,且身辺的至兼好友相継故世有着密不 可分的英系。送也正是大江健三郎 自己内心中吋刻意供的 "晩年的雅夫 " 0 通辻 以上四章,本龍文在終章中得出了以下的結捻; 大江健三 郎是一介 同吋生活在現実世界与文学世界中的作家 。丙十世界平行前 2 逆,共同友展,且互相形成影的与呼皮 。面対近年来社会与十人的企多碓題,大江正 在文学世界中努力寺求答案。 大江健三 郎近年的作品群之同存在者強烈的互文夫系,通辻相似的手法表現共 同 的主題。尤其是在小説中道用 "自我引用 "ち "自我淡及 "的方法,使不同作品岡相 対独立,又相互美咲,杓成 了 〟星座小悦 ' '的独特形泰,互文夫系也有 了新的提升。 在近年的作品創作中,大江健三郎有意切地引速 了-些 〟差昇 "。手法上,菅井 拓了第三人称叙事的新路;主題上,則将重心仇 〟社会的康夏"特移到了 ` ` 十人的康 夏"上乗。而返些差昇都是力作者所追求的 ` ` 泉魂 同塵 ' '所服各的。 大江健三郎カ国通辻近年的迭些作品創作,突破 〟晩年 的雅夫 "。也就是仇毎十 人都将面帳的死亡恐倶 中解放 自己,在有限的 日子里,追求 "心泉的康麦" ,争取創 作出更侍大的 〟晩期作品〃。返一点対 日本乃至世界文伝都有着深遠的意丈o 執硯全文,本龍文在 以下九十方面具有一定的刷 新意 又 . ・ 本龍文対大江健三郎荻得横貝布文学芙 以后的四部牧篇小悦逆行 了整体研究,罪 拓了新的研究領域 。夫子迭些作品,先行研究少。在我国,迭樺的研究是一十校新的 領域,即便在 日本,所能看到的文献也大多属干弔坪、簡龍 ,整体的、深人的研究井 不多兄。 本龍文結合大江健三郎以往的文学創作,在作品中息結出 ` ` 寺求心克康麦"的模 式,井将其述一歩友展,通用到対新作的研究中去,拭出了通用干四部作品的共通模 式。逆而在迭十模式 中,通辻現有作品的分析,対大江健三 郎今后的文学創作走 向, 作出了前塘性的、合理的預汁。 本龍文将文学作品与作家本人的現実生活、日本社会乃至整↑世界的友展現状朕 系在-起 ,夫注大江作品中所反映的社会現英和作者村法些 何題的思考 。掲示了大江 文学与現実的呼庇英系,以及作者的創作功机 。井仇中友現 了返些作品在 当代中国的 現実借釜意又。 3 ズ レ を 含 ん だ 繰 り返 し - ノーベル賞受賞後の大江健三郎 を論ず る 目 序章 次 文 学 の 高 峰 に 立 っ て - 日 ・- 日日日- ・日 - ・・t- ・日 l l、創作状況 と先行研究 2、中国における翻訳、研究の現状 3、問題意識 4、研究の視点 第-章 第-飾 繰 り 返 さ れ る 方 法 ・・- - - 日 日 ・- ・・・- --日日 1 4 トリックスター とグロテスク ・リア リズム 1、 トリックスターである主人公 2、グロテスク ・リア リズムのイメージ ・システム *不具 と崎形 *カーニバル性 第二節 さま ざまな引用 1、既成文学か らの借用 2、直接 引用 *西洋詩人の作品 *外国作家の小説や論説 *『聖書』 を初 め とす る宗教的内容 *大江氏本人の創作 第二章 第一節 作家の視線 作家の 自己言及癖 1、手法の露呈 *事実 と虚構 *現実 との 「 通気 口」 *作家の 自己反省 2、 「 大江的私小説 」 HH H H t- .1- .I- I- I - ・- ・・14 1 第二節 ナラテ イヴの変化 1、一人称か ら三人称- *『宙返 り』における視点人物の交代 2、視点 レベルの異化 第三章 第-飾 周 縁 か ら 同 時 代 を 見 つ め て 日 - ・.- 日 日 - ・t- - I6 6 同時代性 と周縁性 1、同時代性 *時代に参加す る作家 *同時代に対す る作家の態度 *小説の時間的展開 2、周縁性 *中心指向性 に対す る逆流 *周縁性 に立つ 日本人のモデル *傍点に見 られ る 「 周縁意識」 第二節 文学 と現実の呼応関係 1、信仰 に対す る作家の態度 2、大江文学に見 られ る新興宗教問題 *『燃 え上がる緑の木』 と 『宙返 り』の教団の共通性 *日本社会における新興宗教の問題 *作品に反映 され る宗教問題 3、文学 と現実の呼応関係 第四章 第一飾 「心 の 恢 復 」 を 求 め て H H H H H - - ・- - - - ・ ・9 5 「 恢復 を求める図式」 とその発展 1、「 恢復 を求める」主題 と図式 2、二重になる図式 *『燃 え上がる緑の木』の場合 *『宙返 り』の場合 3、-体 となる 『取 り替え子』 と 『憂い顔の童子』 第二節 社会の恢復か ら個人の恢復- 1、「 生 と死の問題」を考えて 1 1 1 *作家 自身の年齢 の問題 *身近な者 の死 2、社会の恢復 も忘れず に 終章 文学の世界に生きる作家 IH .・日 - .・- ・- ・ 日 . . H l 2 2 1、大江は現実世界 と文学世界 に生きる作家である。 2、大江の作品群 の中に強い間テクス ト性が存在す る。 3、大江は近年 の創作の中で、意識的に 「 ズ レ」を導入 している0 4、大江は近年の作品を通 して、 「 晩年の難 関」 を突破 しよ うとしてい る。 1 3 5 付録 1、大江健三郎全小説 2、大江健三郎のエ ッセイ、講演お よびその他 の著作 3、中国における大江健三郎作品の翻訳出版 参 考 文 献 日 日 - .- - - ・= - ・- - - ・・- .・.・日 日 - ・・- 1、近年出版 された主な研究書 2、近年発表 された主な論文、報道、書評な ど - ・- - = ・ - = ・1 4 3 - 序章 序章 文学の高峰に立 って 1 9 9 4年、大江健三郎氏がノーベル文学賞を受賞 してか ら、すでに 1 0年の月 日が 経っている。 この間、1 9 9 5年に 『燃 え上が る緑の木』第三部が発表 された後、氏 の小説創作は一時中断 したよ うにもなったが、1 9 9 9年、大江は 『宙返 り』 をもっ て小説の世界に復帰 し、今 日まで、ほぼ 1年 ∼2年のペースで長編小説 ( 2 0 0 0年 『取 り替え子』、2 0 0 2年 『憂い顔の童子』、2 0 0 3年 『二百年の子供』)を発表 し続 けてき た。これ らの作品には、小説家 としての熟練 した技法が見 られ るほか、長年続 けて きた読書の成果 と文学及び人生に対す る哲学的思考 も行間にに じみ出ている。小論 では、研究範囲をこの十年間に発表 された『 燃 え上が る緑の木』三部作、『宙返 り』、 『取 り替え子』と 『憂い顔の童子』の四つの作品を中心に、その間に存在す る緊密 なっなが りと主題の一貫性及びそれぞれの作品の独 自性 を分析 し、氏のほかの作品 とも合わせて、ノーベル賞受賞後の作品に見 られ る創作の特徴 と作者の創作意図を 探ってみたい。 1、創作状況 と先行研究 5 0年代の後期か ら文壇 に登場 した大江健三郎は、常に成長す る作家であった。 ある時期は牧歌的な少年の世界を謳歌す る作品を書 き、芥川賞を受賞 した。その 一年後には、突然、性的イメージの氾濫す る暴力的なエネル ギーを内閉 した作品を 書いた。大江は、初期の段階か ら、常に成長 と、脱皮 と、飛躍 を繰 り返 し続 けてき た。現在で もその模索を している。ス ウェーデン王立アカデ ミーが彼 に対 して 「 詩 的想像力によ り、現実 と神話が密接に凝縮 された想像力の世界 を作 り出 し、現代に おける人間の様相 を衝撃的に描いた」 1と評価 し、授賞の理 由 としている。 それまでの大江文学に関 して、日本でも世界でもさま ざまな研究が行われ、その 作品の特徴や、創作の時期分 けな どについてもいろいろな説があ り、ここでは、最 も一般的な見方に基づき、次のよ うにまとめてみた。 星室 表1 時期 第一期 年代 5 0年代末 作品 創作の特徴 全作品第一期● 監禁 状態 、政治 ∼6 0年代前半 第二期 6 0年代後半 全作品第二期T ∼7 0年代前半 ナー調 く) 『ピ ンチ 書』 ラ を除 ン 索「 共生」- の模 7 0年代後半 第 三期 と性 、実存主義 8 ∼9 0年代 0年代半ば 時 の評価 若者 世代 人 として 作家群 の代表 の一 、同 れ ることが多い 論 じら ( 学 に 生運動 政 治 的を中心 『ピンチ ランナ 方 法- の追 求 、 構 の の登場 造 、内向の世代 主義 に伴 そな の うも も -調書』、『同時 構 造 主義 - の按 の- の批 代ゲーム』な ど 近 江 の批判 の捕 らえ方判 、大 説』Ⅰ 『大江健 所収部分 三郎小 つ表 作 な側面を持 され 品が多 、私小説 く発 的 あ りとな りつつ 大家 * 批 古典 究が増 る、前期作 判 が少 、作者 と見 える ななす研 品 くな の を 第一期 サル トルの影響のもとに、青年の虚無的な存在感覚を表現す る一連の小説 始め、やがて戦争下における、四国の森に囲まれた村に生きる少年たちを主 を書き する小説を書 く。戦後文学の旗手 として、高い評価 を受ける。それか ら、作人公 と て生きる道を迷い始 め、異常な生活を送 りなが ら、それ以前の牧歌的な作風家 とし 化 して、性的なイメージの氾濫す る問題作を書き続 ける。六〇年 安保闘争を 「 戦後 I 『大江健三郎全作品』第一期 ( 全六巻)、新潮社 I 『 大江健三郎全作品』第二期 ( 全六巻)、新潮 か ら変 、1 9 6 6年. 直垂 民主主義」としての作家の 目か ら見た さま ざまな評論 も書 く。当時のジャーナ リズ ムか ら期待 された若 い作家の立場 を興奮気味に演 じるが、自分 の文学創作拠点が見 出せない苛立ちが作品に漂 う。 この時期では、大江の小説 を単独 に取 り上げた批評 はまだな く、ほかの小説家 と ともに、比較 され なが ら論 じられ、それまでの 日本 の小説 とは一線 を画 した新 しい 小説 とい う評価 が与 え られてい る。また、小説家 としては、石原慎太郎、開高健 と ともに、新 しい世代 を代表す る小説家 とい うレッテル を張 られていた0 *第二期前半 脳 に障害 を持 った長男が生まれ る。死か らの再生の覚悟 を持 って、大江は以降の 文学活動 を開始 し、衝撃的な問題作 を生み出 し続 けてい く。『個人的な体験』( 1 96 4 午)はその後の大江文学の震源 となった作品である2。 その次 に書 かれた長編 『万 延元年 のフッ トボール』 ( 1 967年)は大江文学の最高傑作 と言 われていて、ノーベ ル賞受賞の主な対象作品で もある。 この時期の文学批評 を眺めると、学生運動 を中心 とす る政治運動 を意識 した もの と、「 内向の世代」の登場 に伴 うものが特徴的である。大江 は政治運動 とも、「 内向 の世代」とも距離 を置いた位置 にい ると見な されてお り、当然それ らを評価す る立 場か ら批判 を受 けることになった。 この時期 はノーベル受賞前後 の報道 を除けば、 大江健三郎が盛 んに批評 の対象 になった最後の時期である3とも言われ る。 *第二期後半 『小説の方法』 ( 1 978年)の出版 をきっかけに、大江文学にある 「 方法 」 もよ り 重視 され るよ うにな り、その前後 に創作 された 『ピンチ ランナー調書』 ( 1 976年) と 『同時代ゲー ム』 ( 1 979年)が作者 の方法の実践 と見な されてい る。 「 方法的な 作家」とい う新 しい レッテル も大江 につ け られた。それ らの作品の中か ら、大江健 三郎 自身がたびたび用いていた言葉、た とえば 「 構造主義」、「ロシア ・フォルマ リ ズム」、「 中心 と周縁」、「トリックスター」な どが 目立つ よ うにな り、方法にこだわ るあま り、文章の 「 難解 さ」 も強 く批判 され るよ うになった。 この時期の批評 は 「 方法的」であることの是非に集 中 してい る。大江の語 る 「 方 3 星章 法」が小説 を書 く上で必要なのか、またそのよ うな 「 方法」を用い ることが果た し て有効なのか。否定的な批評が中心的な位置 を占めていた。その中にも二通 りの態 度があ り、マル クス主義の批評か ら構造主義そのものを批判す るもの と、構造主義 に対す る大江の理解 、及び文学に適用す る仕方を批判す るものである0 *第三期 この時期の大江は必ず一年 に一冊ずつ長編か短編集 を刊行す るよ うになる。その ような数量的な変化だけでな く、長編以外の小説 をふたたび書 き始めている。ス ト ー リー、内容 に関 して も、大江 自身を連想 させ る小説家の 日常生活 を扱 ったものが 多 くなる。この中で、死の問題 を正面か ら見すえ、世評の高い短編小説が含まれて いる。大江はこの時期 にブ レイクの詩 を読み解 くことによ り、魂の救済の道 を探 る。 これ以降の大江は、世界の大詩人たちとの対話 を通 して作品を作 り上げてい く。そ こには大江の祈 りに似た姿がある。息子 との 「 死を超 えて生 きる」共生の道 を開い た 『新 しい人 よ目ざめよ』 ( 1 983年)は、多 くの読者 の深い感動 を呼んだ。 この時 期に書いた 自伝的作品 『懐か しい年-の手紙』 ( 1 98 7年)がきわめて重要な意味を 持つ。『万延元年のフッ トボール』の続編 としての物語が、 ここに新たな展開を見 せたのである。この時期には、これまであま り語 られなかった家族、かつて出会 っ た人々をめぐる小説が書かれ る。た とえば 『静かな生活』 ( 1 990年)では、娘の 目 か ら見た大江一家の さま ざまなエ ピソー ドが語 られ るが、父親 を見 る娘 らしい視線 が、その当の父親 によって書かれているとい うことを完全 に忘れ させ る、見事な文 章である。日常生活 とはいっても、それまでの時期の小説 と同様 に奇怪 な出来事 と かイメージが語 られ るのだが、「 私小説的」 とい う読み方 を許容 して しま うよ うな 面 も持っている。 そのような旺盛な活動にもかかわ らず、文芸雑誌 の批評 な どで この時期に発表 さ れたものが正面か ら論 じられ るとい うことは少なかった。書評な どで取 り上げ られ るが、ほ とん ど挨拶程度のものである4。大江 自体が大家 になって しまい、あま り 否定的な取 り扱い方ができな くなっていることと、文芸雑誌の批評が関心を向ける のは新 しく出てきた小説家のほ うが多いことがその原因である。その代わ りに文芸 雑誌以外で、文学研究誌 に掲載 され るようにな り、その単行本 も刊行 された。これ 4 亘章 は、すでに大江の小説 ( 特に初期のもの)が古典 として一定の枠 に収 め られて しま っているとい うことである。 この傾 向は今 日に至っても続 け られている。 1 99 4 年のノーベル文学賞受賞を境 に、改めて大江健三郎 に関す る批評が雑誌や 新聞に掲載 された り、単行本 として発表 された りす るよ うになる。その代表的なも のとして、渡辺広士氏の 『大江健三郎』 ( 1 994 年)、榎本正樹氏の 『大江健三郎の 八十年代』 ( 1 995年)、中村泰行氏の 『大江健三郎文学の軌跡』 ( 1 995年)、栗原丈 和氏の 『大江健三郎論』 ( 1 997年)、小森陽一氏の 『 歴史認識 と小説- 大江健三 郎論』 ( 2002 年)、黒古一夫氏の 『作者 はこのよ うに生まれ、大 きくなった- 大 江健三郎伝説』 ( 2003年)な どが挙げ られ る。ノーベル賞受賞後に発表 された研究 書の中でも、主に、受賞以前の作品に対す る研究内容が中心 となってお り、受賞後 の最新作にはわずかに触れただけで、あま り深入 りす ることができていない。黒古 氏の著書では 『 燃 え上がる緑の木』、小森氏の著書では 『取 り替 え子』がそれぞれ 取 り上げ られているが、受賞後の作品を全体的に眺めて、それ を一体 として、その 間に存在す る関連性 を分析す る研究はまだまだ少ない。特に、2000 年以降に発表 された 『取 り替 え子』 と 『憂い顔の童子』に関 しては、研究書はもちろん、それ ら の作品を取 り上げた論文 も数が限 られている。い くつかの書評以外 に、それに関す る先行研究が少ないのが現状である。 2、中国における翻訳、研究の現状 中国では以前か ら日本作家の一人 として大江健三郎 に関す る紹介 も見 られたが、 注 目を集 めたのもやは り 1 99 4年 ノーベル文学賞の受賞以降のことである。大江に 関す る翻訳出版 には今まで、二つの ピー クが見 られ る。一つは 1 994年 ノーベル文 学賞の受賞をきっかけに中国でもその人気が高ま り、それ に合わせて、雑誌 『世界 文学』の 1 995年第-号に特集が組 まれ、『人間の羊』、『 頭のいい 「 雨の木 」 』や 『治 療塔』な どの作品が収録 された。それに続いて、1 995年 5月に 『大江健三郎作品 集』 ( 全五巻) ( 光明 日報出版社)、1 995年 6月に 『個人的な体験』 ( 中国文聯出版 公司)、1 996年 4月に 『大江健三郎最新作品集』 ( 全五巻) ( 作家出版社)、1 997年 5 度量 6月に 『 人間の羊』( 漸江文芸出版社)、1 997年 1 2月に 『 個人的な体験』( 清江出版 社)などが各出版社か ら出され、その作品の取捨選択及び翻訳 には菓洞渠先生が大 きな力を尽 くしている。その中に、初期短編の 『 飼育』、『死者の馨 り』か ら、『個 人的な体験』、そ して 『万延元年のフッ トボール』、『ピンチ ランナー調書』や 『同 時代ゲーム』な どの長編及び 『新 しい人 よ目ざめよ』のよ うな連作短編集 まで網羅 されている。小説のほかに 『ヒロシマ ノー ト』な どの随筆 も含 まれている。二つ 目 のピークは 2000年 に見 られ る。それは 2000年 1 0月に大江の中国訪問 と深い関係 がある。前回 と同 じく、『世界文学』2000年第五号にも大江健三郎特集が出て、中 には 『 火 をめ ぐらす鳥』 と 『 「 涙を流す人」の検』 とい う小説 のほかに、ギュンタ 一 ・グラス氏●らとの書簡 も掲載 されている。それ と呼応 して、2000年 9月に 『大 江健三郎作品 自選集』 ( 全三巻 四冊) ( 河北教育出版社)、『大江健三郎 自選随筆集』 ( 光明 日報出版社)がほぼ同時に出版 された。 中に、『燃 え上がる緑の木』三部作 や 『遅れてきた青年』のほかに、小説 に限 らず、エ ッセイ、書簡、講演の内容 も含 まれ、 さらに、氏の文学理論 を語 る 『小説の方法』 と 『私 とい う小説家の作 り方』 も取 り入れ られ、大江健三郎に関す る紹介がいっそ う全面的なもの となった。 『 燃 え上がる緑の木』以降の作品は、中国で も引き続 き注 目を受 け、その翻訳が 行われている。2001年 に訳林 出版社か ら 『宙返 り』が翻訳 出版 された。それか ら 2004 年 に入 り、南海 出版公司が 『 取 り替 え子』 と 『憂い顔 の童子』そ して 『二百 年の子供』の翻訳出版 を発表 し、その うち『取 り替 え子』はすでに発行 されている。 それ と同時に、大江夫婦が合作 した一連のエ ッセイ集 『緩やかな紳』、『恢復す る家 族』、『自分の木の下で』、『新 しい人の方-』な ども相次いで出版 され ることになっ た。 大江健三郎の作品はここ十年来、中国で これほ ど数多 く翻訳紹介 されている。そ れに応 えて、大江健三郎の名前 も中国の 日本文学研究の分野で よく提起 され るよ う になった。それは主に、書評、紹介の形 をとってお り、文芸雑誌や読書類の雑誌 に 見 られ る。近年 にな り、大江に関す る博士論文 も見 られ るよ うになった。例 えば、 2002 年、東北師範大学の王新新氏が大江健三郎早期の創作に関 して、そのデ ビュ 一 〔 Ght e rGr a s s 〕( 1 927-) ドイツの小説家、劇作家、版画家、彫刻家。1 9 9 9年 ノーベル文学 賞受賞。 6 皇室 -か ら 『万延元年のフッ トボール』までの十年 を論 じた。 同 じく 2002年 に、聾南 大学の王琢氏が 『想像力論』と題 して、大江健三郎の文学方法 を論 じたが、その対 象 もやは り主にノーベル賞受賞前の作品 となっている。そのほかに、日本に留学 し た張文頴氏が 『トポスの呪力- 大江健三郎 と中上健次』 とい う博士論文を 2002 年に発表 している。これ らの論文はいずれ も、すでに単行本 として中国 と日本で出 版 されている。 3、問題意識 日本でも中国でも、大江健三郎に対す る研究はノーベル文学賞受賞以前の作品が 中心 となっている。それ以降の作品はわ りと新 しくて、それ らに対す る考察がまだ 深 く行われていないの も事実であるが、受賞でブーム とな りなが ら、興味を持って 読んでみた読者か ら 「 難解だ」とい う苦情が圧倒的であったため、その新作に対す る読者、研究者 の情熱 もなかなか湧 き上が らなかった とい う一面 もある.そ して、 ノーベル賞受賞の理 由として主に 『万延元年のフッ トボール』や 『個人的な体験』 な ど、前期のものが評価 されているよ うに、 「 近作 よ り初期の ものがいい とい う、 総 じて どこで も聞 く通説 」 5がある程度定着 してい る。 しか し、作者 に とって、作 品を創作す るには必ず何かの理 由あるいは意図がある。大江 に とって、『 燃 え上が る緑の木』以降に書かれた これ らの作品は一体 どのよ うな存在 なのだろ うか。いっ たん、断筆宣言まで したが、なぜ、四年ぶ りに小説の世界 に復帰 したのか。そ して なぜそれに続いて作品を書き続 けたのか。これ らの作品の創作期間が続いている し、 内容的にもそれぞれつなが りを持っている。全体 としてその間に存在す る共通点 と 相違点を見る必要があるのではなかろ うか。 大江は 1 998年 に新潮社か ら 『大江健三郎小説』( 全十巻)を出版 した際に、「 『大 江健三郎小説』にも、私が小説家 としての 自分 を作 り上げてか ら、その上で、これ は自分の作品だ と認 めることを望む もののみ収録 した」 6と述べてお り、『 燃 え上が る緑の木』までの作品の中で 自分の基準に基づいて取捨選択 を行 ったわけである。 そ して、今後 も う小説 を書かないか とい うと、「 それ ( 死ぬ)までに私がなお新 し い小説 をい くつか書き うるな ら、この版の補巻 として加 えることをここに明示 して 7