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森川貞夫『スポーツ社会学』の研究対象、研究方法につ
いて
関, 春南 研究年報, 1996: 15-17
1996-08-01
Departmental Bulletin Paper
Text Version publisher
URL
http://doi.org/10.15057/7598
Right
Hitotsubashi University Repository
2.
森川貞夫『スポーツ社会学』(青木諦198。年)
の研究対象、研究方法について
rスポーツ社会学」と銘打って1980年に出され
関春南
認識の方法のもつ限界にいては、別のところ(
た本書は、スポーツ社会学研究では先駆的な位置
r現代日本のスポーツ政策」 rスポーツ政策』大
をもつものと見なすことができる。
修館、1978年)で述ぺたので繰り返さないが、氏
これまでの研究を検討し、学としてのrスポー
のrありのままにとらえる」は竹之下のそれと同
ツ社会学」を構築していこうとするわれわれにと
じではないと思うが、氏の意図を的確に伝える論
って、本書は一つの重要な素材を提供していると
理と概念装置が欲しい。
考えられる。本書を取り上げた理由もそこにある。
しかし、第二のrいかにしてスポーツが国民に、
その研究が如何なるものであるかは、研究対象
また社会に機能していくのかについて正しくとら
と研究方法に表明されると、私は考えている。そ
えなおす」という視点は、極めて明快であり、本
こで、本書についても、この二点を視座に内容を
書のスポーツ現実認識の基本的視点として位置づ
検討してみたい。
いている。それは、氏が本書の内容としてあげた
次の五点が物語っている。すなわち、r第一に、
1.研究対象にっいて
スポーツを現実の生活・労働を基礎にしてとらえ
氏はまず、研究対象をとらえるにあたり、次の
ること、また、スポーツが人間にとっていかなる
二つの視点をあげる。第一は、 r社会現象として
文化的・社会的価値をもっているのか、そのスポ
のスポーツをありのままにとらえていくこと」で
ーツの発展した形態としてのスポーツ労働の必然
あり、第二は、 rいかにしてスポーツが国民に、
性にっいて。
また社会に機能していくかについて正しくとらえ
第二に、スポーツが日本の歴史的・社会的条件
なおしていきたい」というものである。
のなかでどのような性格をもったか、また、日本
さて、第一のrスポーツをありのままにとらえ
のスポーツ組織の寄生的性格はどのようにしてつ
る」という表現であるが、これはr客観的に」と
くられたか、その必然性について。
いう意味であろうが、認識主体との関係でいえば、
第三に、今なお支配的なスポーツ観としてのス
rありのまま」といったからとて、認識主体の主
ポーツ・アマチュアリズムの基本的矛盾とは何か、
観的基準を排除したことにはならず、現実には、
その克服・止揚について。同時に、今日のスポー
多種多様なrありのまま」のとらえかたが存在す
ツの危機的状態を改革していくための視点につい
ることになる。っまり、 r社会現象としてのスポ
て。
ーツ」認識の概念としては、科学的とはいいがた
第四は、r権利としてのスポーツ」論とスポー
い。
ツマンの人権・生活権の擁護・確立について。
ここですぐ思い起こされることは、竹之下休蔵
最後に、国民のスポーッ発展の基礎である地域
がrスポーツの社会学は、社会的事実をあるいは
のスポーツ活動について、とくに、スポーツの主
問題としてのスポーツを実証的・客観的にあるが
人公にふさわしい主体形成の契機を地域にねざす
ままにとらえればよい」 (rスポーツの社会学と
スポーツ活動のなかでどのようにとらえるべきか
問題」 rスポーツ社会学講座10・スポーツの社会
について」。
学』大修館書店、1965年)と述べたことである。
確かにこれらの全ては、重要な研究対象であり、
この現実認識の方法、つまり、対象あるいは問題
内容であると私も考えるが、それぞれの内容が、
15
どのような相互関係にあるのか、っまり、対象の
二 地域におけるスポーツと住民運動
全体構造がいまひとっはっきりしない。これが、
付録
学としての体系を語る第一の条件であるから、こ
付1 六郷ゴルフ場開放運動について
の点の積極的提案が欲しかった。
付豆 労働者体育・スポーツ運動のあゆみ
資料 ユネスコ「体育・スポーツ国際憲章」
∬.研究方法にっいて
(試訳)
まず第一に、これらの研究対象を分析していく
あとがき」
視点についてであるが、それを端的に物語ってい
みられるとおり、分析視点の特徴の第一は、ス
るrもくじ」を次に見よう。
ポーツ現象を社会・経済的基礎との関係でとらえ
ようとしている点である。例えば、氏は次のよう
rはしがき
第一章 スポーツと労働
に述べる。 rこれらの前提条件(経済的・物質的
労働とスポーッ
基礎一筆者注)は、スポーツ活動に先行する必須
スポーツ労働の成立
のものである。現実には、われわれの日常のすぺ
スポーツ労働の性格
ての生活は、社会的分業によって条件づけられて
四 スポーツの社会的・経済的基礎
いる。この点で、スポーツも例外ではありえない。
第二章 スポーツと社会
スポーツの客観的条件としてのrかね、ひま、ば
スポーツの日本的図式
しょ』を総称するスポーツの経済的・物質的基礎
二 日本のスポーッ組織の歴史的・社会的性格
は、それぞれのスポーツがおこなわれる現実の社
三 スポーツ根性論の歴史的・社会的性格
会的諸関係によって規定されている」(12頁)と。
第三章 現代社会とスポーッ・アマチュアリズム
そして、これに注を付し次のように説明する。
スポーツ・アマチュアリズムの基本的性格
「『スポーツのためのスポーツ』という表現は、
ニ アマチュア・スポーツマンの社会的・経済
それ自体、矛盾であるが、このことを表現できる
的基礎
社会的・経済的条件が特定されなければならない。
三 資本主義のもとでのアマチュア・スポーツ
これを無視して、一面的にスポーツの自己目的性
の疎外
を強調し、スポーツの社会性の否定=rスポーツ
四 スポーツ・アマチュアリズムの止揚とrス
の中立性』の主張がスポーツのブルジョア的イデ
ポーツ労働」の解放
オロギーを形成していることにわれわれは注意し
第四章 スポーツと人権
なければならない。 rスポーツの自由』のとらえ
基本的人権の体系におけるスポーツの位置
方も同様である。真のスポーツの自由は、すべて
づけ
の人が、自由にスポーツを楽しむことのできる社
二 国民のスポーツ権とスポーツマンの人権・
会的・経済的条件が成立したときに達成すること
生活権
ができよう」 (16頁)。
三 スポーツ権の国民的自覚とスポーツ(マン)
特徴の第二は、国民生活の向上、スポーツの国
教育の課題
民的普及という視点から分析し問題をとらえよう
四 スポーツにおける主体形成
としている点である。たとえば、次のような文章
五 ユネスコr体育・スポーツ国際憲章」の現
に集約的に表現されている。 r国民の生活現実は
代的意義
rスポーツをやりたくてもやれない』状況である
第五章 スポーツと地域社会
(総理府r国民スポーツに関する世論調査』)。
「コミュニティ・スポーッ」論の諸問題と
スポーツが国民的規模で普及・発展するためには、
課題
スポーツの客観的条件であるrかね』rひま』
16
『ばしょ』がすべての国民に用意されなければな
研究方法で感じたことを、紙数との関係で、以
らない。そのためには、憲法にもしめされている
下箇条書きに記しておきたい。
ように、すべての国民にr健康で文化的な生活を
第一は、社会科学的分析で重要なことは、対象
営む』ための条件整備が国、企業、地方公共団体
・問題の歴史的・社会的分析であるが、本書では、
によっておこなわれなければならない。国民が
歴史的分析は、第二章でわずかになされているの
rいっでも、どこでも、だれでもスポーツを』で
みで、全体としてほとんどなされていない。氏の
きるためには、スポーツ施設の飛躍的な増設、指
提起するrスポーツ社会学」は歴史的認識を不要
導員の配置、その他国民のスポーツ活動のための
のものとするのであろうか。
必要な配慮が財政的裏づけをもって、 r政策』と
第二は、 rスポーツの社会科学的研究の基本的
して実行されなければならない」 (76頁)。
課題にせまるための視点」として、氏は、rスポ
特徴の第三は、現実の問題状況を変革していこ
ーツ労働」論を提起している。このことの論理的
うという視点から分析が行われている点である。
必然性が、いま一つ説得力に欠ける。この妥当性
氏は次のようにいう。 rこのような状況を変革し
について、もう少し立ち入った議論が必要であろ
ていくためには、日本のスポーツ政策そのものの
う。つまり、 r基本的課題」は如何にして獲得で
抜本的改善とそのための具体的なとりくみ、運動
きるのか、という問題である。
が必要であり、それなしには真の解決はありえな
第三は、そもそも、氏がここで提起した「スポ
い。国および地方自治体のスポーツ行・財政のあ
ーツ社会学」と、 rスポーツ(の)社会科学」と
り方を国民の側から批判・検討を加えることが重
は違うのか、同じなのかが不明確である。氏の研
要となる」 (78頁)。
究方法を概観した限りでは、同じに思われるが、
以上三つの分析視点は、氏の研究立場や、思惟
どうであろうか。
の方法を明確に表明するものとなっており、論理
r社会学は社会科学と同義語である」という立
の明快さの源泉であった。受け継ぎ、深めるべき
場に立つ河村望などは、 r社会学者の数ほど社会
重要な視点でもあった。
学がある」ような社会学を批判し、客観的基準に
研究方法として注目すべき点の第二は、上記の
基づいた社会的現実の認識を主張し、さらに、社
ような視点からの分析が、体系化への試みとなっ
会学は、社会科学の個別科学ではないと主張して
ている点である。すなわち、氏は、芝田進午の
いるが、敢えてrスポーツ社会学」と銘打った森
川氏は如何に。
r基本的人権の体系」に依拠し、 r基本的人権の
体系におけるr権利としてのスポーツ』の位置づ
ともあれ、以上提出された論点は、全て、スポ
け」を「試案」として提示している。これは、現
ーツ社会学を概念的に把握しようとする時、避け
代に生きる国民が、スポーツを享受し豊かに生き
て通ることのできない検討課題であったように思
るための問題の所在を示したものであるとともに、
う。
スポーツの現代的価値を定式化したものであった
(90、91頁参照)。つまり、一方では、文化とし
てのスポーツの人間にとっての意味、社会にとっ
ての意味・役割を問いながら、他方では、その疎
外の体系を総体として解明していこうという方法
意識がうかがわれる。この点は、充分説明がなさ
れているとはいいがたいが、学としての体系化へ
の努力とそれへの萌芽を読み取ることができるよ
うに思う。
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