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人類の脅威となりうる非(低)病原性 ウイルスのサーベイランス
〔千葉医学 81:301 ∼ 304,2005〕 〔 研究紹介 〕 人類の脅威となりうる非(低)病原性 ウイルスのサーベイランス 白 澤 浩 はじめに 意識にのぼっていないようである。しかも,「高 病原性インフルエンザウイルス」は,正確に言 我々の教室では,従来行ってきた腫瘍ウイルス えば「高病原性ニワトリインフルエンザ」と言う の研究に加えて,ペット等を含む動物のコロナウ べきだったのに,「ニワトリ」の部分が省略され イルスのサーベイランスシステムを構築するため てしまったために,その辺の事情を知らない一般 の研究を行っている。本稿では,この研究の意義 の方々には誤解されているようである。警鈴を鳴 と現在までに得た成果を,従来から研究している らす意味で,このような命名は正解だったのかも ウイルスとの関連で紹介したい。 しれないが,「高病原性インフルエンザウイルス」 そのものは,家禽以外のヒトを含む動物では病原 非(低)病原性ウイルスと高病原性ウイルス (感染)性に乏しく,後に述べるように,ある意 味で極めて特殊な環境下で人為的に生じてしまっ 感染していても病気を起こさないウイルスが存 た特殊なウイルスであるという認識は一般の方々 在するということは,一般の方々にはあまり知ら にはないように思える。おそらく,SARS ウイル れていないようである。また,同じウイルスが, スにも同じことが言える。 ある動物にとっては非病原性であっても,他の動 物では致死的なウイルスになることがあるという 事実もあまり知られていないようである。 非(低)病原性ウイルスはウイルスの本来の姿か ? 例えば,「高病原性インフルエンザウイルス」 地球上の生物を大きく分けると細胞性生物と非 という最近作られた語句の正確な意味は,あまり 細胞性生物に分類できる。多くの読者が思い浮か 知られていないように思える。多くの一般の方々 べると思われる生物は全て細胞性生物ではなかろ は,インフルエンザウイルスというウイルスは本 うか。この細胞性生物に寄生する生物が非細胞性 来的に病原性の強いウイルスで,渡りカモが高病 生物であり,ほぼウイルスという概念で捉えられ 原性インフルエンザウイルスを運んできてニワト るものであると考えてよい。そして,全ての細胞 リに感染し,その後,ブタを介してヒトに感染す 性生物に寄生するウイルスが存在すると考えられ るようになったら,ニワトリと同様にヒトもバタ ることから,単純に考えても細胞性生物種数をは バタと死んでしまう危険性があると捉えている。 るかに凌ぐ数の非細胞性生物,つまりウイルス種 このような考え方自体に特段の間違いがある がこの地球上には存在している。 わけではないが,本来インフルエンザウイルス 実際,地球上に最初に誕生した生命の直系の子 がカモのウイルスであり,カモにとっては非病原 孫は数々の証拠からウイルスであると考えられ, 性もしくは低病原性であるということは,あまり 我々ヒトを含む細胞性生物の先祖と兄弟であった 千葉大学大学院医学研究院分子ウイルス学 Hiroshi Sirasawa: The Surveillance system for non-pathogenic/low-pathogenic viruses, possible threats to human. Department of Molecular Virology, Graduate School of Medicine, Chiba University, Chiba 260-8670. Tel. 043-226-2043. Fax. 043-226-2045. e-mail: [email protected] 302 白 澤 浩 と考えられる。この兄弟は,一方が他方に寄生す 非病原性パピローマウイルスの存在は,我々 る形で共に進化し現在に至った。 を含むいくつかの研究室の最近の研究で明らかに 細胞性生物とウイルスは共存共栄の形で存在す なった。我々は,ウシのパピローマウイルスを研 るのが本来の姿であると考えられる。つまり,ウ 究する過程で,対照とした健常皮膚にパピローマ イルスの本来の姿は「非(低)病原性」ではない ウイルスが検出されることを見出した [3] 。最初 かと筆者は考えている。なぜなら,ウイルスが自 は,コンタミネーションであると考えたが,本格 分自身の宿主となるべき細胞性生物を滅ぼしてし 的に調べると,殆どが今まで知られていなかった まったら,自らは増殖できなくなってしまうから 新たな種類のパピローマウイルスであることを発 である。逆に言えば,細胞性生物を滅ぼす可能性 見した。これらのウイルスは皮膚で増殖している のあるウイルスがいたとしても,どこかで消滅し が,その皮膚は少なくとも見かけ上は健常であり, てしまったと考えられる。しかし,ある種の細胞 非(低)病原性パピローマウイルスとでも言うべ 性生物種を滅ぼし,他の細胞性生物種に乗り換え きものであることが判った。その後,ヒトにおい て繁栄したウイルスは存在したかもしれない。 ても非(低)病原性パピローマルイスが健常の皮 膚に存在することが他の研究室から報告された。 パピローマウイルス,コロナウイルス,シンドビ スウイルスの共通点 シンドビスウイルスは元来低病原性で,ヒト の正常細胞に対する病原性はほとんどないが,癌 細胞で極めて良く増殖し癌細胞を殺傷することが 私達の研究室で現在研究しているのは,パピ 我々の教室で発見され,がん治療のためのウイル ローマウイルス,シンドビスウイルス,コロナウ ス(オンコリティックウイルス)としての応用が イルスという 3 種類のウイルスである。 期待されている。シンドビスウイルスは,清水文 パピローマウイルスはゆう贅(イボ)の病因 七名誉教授が米国留学中に研究していたウイルス となっている腫瘍ウイルスであるが,近年子宮頚 であり,清水先生が千葉大学医学部に赴任以来, 癌の発癌因子のウイルスとしても知られるように 学生実習に用いていた研究室株であった。実験室 なった。我々の最近の研究では,子宮頚癌および 操作でヒトに感染する危険性がなく,ヒトからヒ その前癌病変である子宮頸部異形成のほぼ100% トへの感染性も無いことから,現在でも学生実習 近くにパピローマウイルスが見つかる[1]。 で用いている。数年前に,他のオンコリティック シンドビスウイルスというウイルスをご存知の ウイルスの対照実験としてシンドビスウイルスを 方は専門家以外ではほとんどいらっしゃらないと 使ったところ,偶然にもオンコリティックウイル 思われるが,蚊を媒介して感染する関節痛を主徴 スとしての性質を教室の篠諭司助手が発見したも とする世界的に見ても限られた地域にしかない地 のである[4]。 方病の病因ウイルスである。 コロナウイルスについて言えば,おそらく, コロナウイルスは,SARS の病因ウイルスとし SARS コ ロ ナ ウ イ ル ス は, 本 来 の 宿 主 で は 非 て一般の人々にも知られるようになった。ヒト (低)病原性であると思われる。本来の宿主動物 のコロナウイルスは,冬季の「かぜ」の約20% が病気にならないので見つかり難いと筆者は想像 の原因ウイルスである。SARS ウイルスは,ある している。つまり,健常動物のウイルスをサーベ 動物を自然宿主とするコロナウイルスが変異によ イするシステムが現存していないからである。昨 りヒトに感染するようになったウイルスであると 年より我々が千葉県下で行っている健常動物を中 考えられているが,本来の宿主は未だに不明であ 心としたコロナウイルスのサーベイランスの結果 る[2]。 では,健常なイヌおよびネコの糞便中に新種のコ 実は,ウイルス学的に全く異なるこれら 3 つの ロナウイルスが数種類発見された。このコロナウ ウイルスには共通点がある。それは,いずれのウ イルスは,非(低)病原性のコロナウイルスであ イルスにも「低病原性」あるいは「非病原性」とで ろうと推測している。 も言える仲間が存在するようだということである。 人類の脅威となりうる非(低)病原性ウイルスのサーベイランス 新興感染症と非(低)病原性ウイルス 303 あるという点では,ウイルス疾患ではないが,海 綿状脳症もこの範疇の病気に入れることができ 人類の歴史を紐解くと,突然新しい感染症が る。人類が動物の家畜化,環境破壊等により生態 出現し,新興感染症として人類の脅威となったこ 系への人為的圧力を加えることを止めない限り, とが何度もあった。いずれの感染症も突然出現し SARS 同様の新興感染症による脅威が無くなる事 たことが特徴で,ほとんどが人獣共通感染症であ はないと考えられる[2]。 る。天然痘,黒死病,AIDS はこの例であると考 えられており,近年問題となっているインフルエ ンザ,SARS 等もこの例である。 コロナウイルスのサーベイランスシステム構築 天然痘(痘瘡)は,約一万二千年前に人類が家 既知の人獣共通感染症に対するサーベイランス 畜を飼い始めたことがきっかけで,家畜を通して はある程度確立されているが,ヒトに対して低感 げっ歯類のウイルスがヒトへと感染するように変 染性・低病原性動物ウイルスの変異による新興感 異し,約五千年前に出現したと考えられている。 染症の勃発を想定したサーベイランス・システム 中世ヨーロッパで大量の死者を出した黒死病 は現存していない。しかしながら,今後 SARS に は,従来ペスト菌によるとされていたが,実は 類する新たな新興感染症が勃発し,動物にも感染 野生動物由来の出血熱ウイルスによるものだった が広がった危機的状況を想定すると,環境中の野 と最近は考えられている[5]。現在,このウイル 生動物を含む愛玩動物・家畜等に感染しているウ スは姿を一時的(?)に消してしまったため,今と イルスのサーベイランス・システムが確立されて なっては,どのようにして人類の感染症になった いれば,迅速な対処に大いに益するものと考えら のかは不明である。HIV も野生のサル由来である れる。 と考えられている。 私達は,今後起きることが想定される新たな新 インフルエンザウイルスは,先に述べた通り, 興感染症のサーベイランス・モデルとして千葉県 本来はカモの非(低)病原性ウイルスであった。 下環境中コロナウイルスの調査を行い,動物ウイ 実は,このウイルスはニワトリに対する感染性が ルスサーベイランスのモデルを構築し,将来必要 低く,感染したとしても病原性は低い。では,な が予測される本格的なサーベイランス・システム ぜ高病原性(ニワトリ)インフルエンザウイルス 整備に資することを目的とした調査研究を平成16 が生じてしまったのだろうか。今まで知られてい 年度から 3 年計画で千葉県事業として開始した。 る高病原性(ニワトリ)インフルエンザウイルス すでに述べたように,平成16年度は,イヌ・ネコ は限られた場所でのみ発見されている。つまり, に非病原性と思われる新種コロナウイルスを数種 いずれも live birds market のある地域なのであ 類発見した。本年度は,他の野生動物およびペッ る。当然のことながら,自然界でこのように種々 トを含めた定点観測を行う計画であり,イヌ・ネ のトリが密接した不自然な環境でいることはな コ以外の愛玩動物等に新たな非(低)病原性コロ い。ヒトインフルエンザウイルスは,人間がトリ ナウイルスが発見されることを期待している。 を家畜化した時にヒトの感染症となったのかもし れないと考えられている。おそらく,太古の昔の 人類はインフルエンザで悩んでいなかったのでは おわりに ないかと筆者は想像する。SARS も,インフルエ 私達は目の前にある問題をまず片付けなけれ ンザと極めて良く似た状況で生じたのであろうこ ばならない。しかし,目の前にある問題だけをこ とは想像に難くない。 なすことを繰り返していると,起きることが判っ いずれにも共通しているのは,人類が生態系 ているのにもかかわらず,先のこととして問題の のバランスを崩したのがきっかけで,新しい感染 解決をつい先送りにしてしまう。結局は,問題に 症が生じたということである。本来肉食動物では 直面した時に慌てて解決しようとするが,解決す ないウシにヒツジの肉骨粉を与えたことが原因で るには時間切れという状態になってしまう。ちょ 304 白 澤 浩 うど,夏休みの宿題を夏休みの最後の日に片付 けようとしている小学生に似ているが,我々が日 常行っていることを省みると決して笑い事ではな い。 第二の SARS は間違いなくやってくる,多分, それは誰も予想していなかったウイルスであろう ことは過去の歴史が示している。病原性のあるウ イルスだけに注目して研究する戦略だけでは,人 類の明日を脅かすウイルスに対する研究をするこ とはできない気の遠くなるような話ではあるが, 病気を起こさない,そして実は大部分を占めるウ イルスの実態も明らかにしておかなければ,後悔 する日がいずれやってくる。 文 献 1 )Kado S, Kawamata Y, Shino Y, Kasai T, Kubota K, Iwasaki H, Fukazawa I, Takano H, Nunoyama T, Mitsuhashi A, Sekiya S, Shirasawa H. Detection of human papillomaviruses in cervical neoplasias using multiple sets of generic polymerase chain reaction primers. Gynecol Oncol 2001; 81: 47-52. 2 )白澤 浩.SARS ウイルスはどこから来たのか.千 葉医学 2004; 80: 21-5. 3 )Ogawa T, Tomita Y, Okada M, Shinozaki K, Kuboyama H, Kaiho I, Shirasawa H. Broad-spectrum detection of papillomaviruses in bovine teat papillomas and healthy teat skin. J Gen Virol 2004; 85: 2191-7. 4 )Unno Y, Shino Y, Kondo F, Igarashi N, Wang G, Shimura R, Yamaguchi T, Asano T, Saisho H, Sekiya S, Shirasawa H. Oncolytic viral therapy for cervical and ovarian cells by Sindbis virus AR339 strain. Clin Cancer Res 2005; 11: 4553-60. 5 )Scott S, Duncan C. Return of the Black Death. John Wiley & Sons Inc. UK, 2004.