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高谷スキャンダルの 真相を追って

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高谷スキャンダルの 真相を追って
高谷スキャンダルの
真相を追って
本篇は、元逗子市議会議員である、小谷章氏の主宰する「おだにあきらブログ」にて、平成 23
年 4 月 23 日から 5 月 4 日の期間に、計 8 回に渡って連載された記事、そして続編をまとめたも
のです。
【小谷 章(おだに あきら)氏のプロフィール】
昭和11年 中国(旧満州国 大連市 生まれ)
昭和34年 慶応義塾大学法学部法律学科卒 (学生時代 体育会庭球部選手として活躍)
同年 4 月 ㈱東京放送(TBS)入社 30 年在職 その間、NHKから野村泰治、森本
毅郎、草野仁ら、花形アナウンサーを引き抜き、TBSのヘッドハンターとなる。スポ
ーツでは日本で最初のプロテニス公式戦「セイコー スパーテニス」の招聘を実
現、陰の仕掛け人を務める。
平成 元年 TBS退職
(在職中 スポーツ部、事業部、営業局、経営企画部等の各専任部長を歴任)
国務大臣環境庁長官秘書官に就任
平成 2年 (有)ヒューマン アセット ネットワーク代表取締役・プロデューサー
平成10年 逗子市議会議員に当選 教育民生常任委員長
平成12年 建設環境常任委員長
平成13年 議会運営委員会委員長 議会改革協議会会長
平成14年 逗子市議会議員選挙 落選
*平成 16 年 10 月 環境月刊誌「ソトコト」編集委員に就任
1
高谷スキャンダルの真相を追って ① / 2011 年 04 月 23 日(土)
正直申し上げて私は「高谷スキャンダル」と言われている事象について、何一つ具体的な
ことは知りませんでした。しかしようやく関係者までたどりつき真実を知りました。
逗子市民の皆様から唯一の「市政監視サイト」という評価を頂いている以上、その真実を
明かすこともサイト主宰者の責務と考え、取材を続けておりました。その甲斐あって、高谷
清彦・逗子市議会議員の破廉恥な行為を証言する関係者に直接取材することが出来たのです。
市議会議員と言う公職にある者の行為として、私は義憤を感じております。長文になりま
すので数回に分けての掲載にいたします。今日は予告編といったところでしょうか。
犯罪構成は具体的には婚約不履行と、その女性に対しての暴力行為です。男女の問題です
から本来、当事者同士で解決すべきものでしょう。しかし訴訟に持ち込む段階まで行きまし
たが、政党までからみ訴訟を断念しています。
私が直接取材した方は、沼間在住の高橋正久さんで、当該被害者は高橋さんの血縁者の女
性です。高橋夫妻は、子供がなかったこともあり、その女性の幼少時から親戚づきあいが密
であり、成長を見守ってこられた背景があります。
もし当サイトに掲載した記事に高谷清彦氏が反論するならば、このサイトにご投稿くださ
い。(つづく)
高谷スキャンダルの真相を追って ② / 2011 年 04 月 24 日(日)
昨日に続き標題の件の第 2 弾です。今回は当該女性と血縁関係にある親代わりの高橋正久
さんと、高谷清彦議員の父・高谷利彦さんとの関係から記述いたします。
長年、某大手精密機器メーカーに勤務されていた高橋正久さんは退職後、小坪 6 丁目の「コ
スモミロス」に管理人として平成 2 年から 15 年まで勤務されていました。平成 10 年に鎌倉
から高谷利彦さん一家が引っ越してきたことから二人の付き合いが始まりました。
平成 18 年 3 月頃、高橋正久さんに高谷利彦さんから、「息子の清彦(当時 27 歳)が、逗子
市議会議員選挙に立候補するので応援して欲しい」という依頼がありました。
当時、高橋正久さんは、横浜市保土ヶ谷区にある某大手電機メーカーの保土ヶ谷寮に夫婦
で住み込みの勤務をしていましたが、旧知の高谷利彦氏の依頼でもあり、自宅があった沼間
周辺を、1 軒づつ利彦、清彦の二人を伴って挨拶訪問をしました。
また高橋さんが知っている商店などにも清彦さんのリーフレットを配り出来る限りの応
援をしました。挨拶訪問が終わり高橋さんの自宅で談笑していたところ、清彦さんが写真立
てに飾ってあった M さんの写真を指して、この人に選挙事務所を手伝って欲しいと頼まれま
した。
高橋さんがこのことを伝え M さん(当時 26 歳)が手伝うことになりました。これが当該女
性と高谷清彦さんとの出逢いです。高谷清彦さんは民主党公認となり、高橋正久さんの応援
の甲斐あって 877 票を獲得、17 位で当選しました。その後二人の交際が始まりました。(つ
づく)
2
高谷スキャンダルの真相を追って③ / 2011 年 04 月 26 日(火)
市議会議員当選後、「高谷さんは当該女性・M さんとの間は急激に接近した」と高橋正久さんは
証言します。所詮、男女の問題です。いい大人が良識の範囲で行動すべきで、かつ、高谷清彦さ
んは公人としての行動が求められていました。
ところが M さんの朝帰りが続くようになり、高橋さんに M さんの父親から高谷清彦さんについて
の苦情が寄せられるようになり高橋橋さんは、清彦さんの父・高谷利彦さんに相談をしました。し
かし「親は関係ない」と取り合わず、清彦さんに注意を促そうと、高橋さんが携帯に電話しましたが
連絡は付きませんでした。
その時、M さんの妹が高橋さんのところへ来て、泣きながら高谷清彦さんの行状を訴えました。M
さんの父親が添乗員であり海外出張が多いことをいいことに、M さん宅に泊まることが多くなりまし
た。
M さんの妹は清彦さんが来ると 1 階に追いやられることに抗議すると怒られ、また父親に対して
も口止めされたと言います。高橋さんは M さんを高谷清彦さんに紹介した責任を痛感していました。
何とかしなくてはいけないと・・・。
高橋さんは酔って高谷利彦さんに電話をして暴言を吐いたことを反省し謝罪しています。その暴
言に対する利彦さんの回答は次のようなものでした。
① 清彦が証券会社を退職したのは、自己都合退職であって、馘首されたのではない。
② 高谷家が自宅マンションを売却しようとしたのは、鎌倉在住の親の面倒をみるために同居する
こととなったためであり、カネに困っているわけではない。
③ 清彦には困っており、次の選挙では落選すると思っている。しかし当選することが出来たら正
式に M さんの父親に挨拶に行く。
④ 清彦は怠け者で、寝てばかりで、本や新聞は読まない。次回は当選するとは思っていない。た
だ、清彦も大人であり、私には何があっても一切関係はない。
その後、清彦さんから M さんの父親に「M さんと結婚を前提にお付き合いしたい」との申入れが
あったとのことです。しかし M さんの父親は「次回の選挙に当選してから改めて考えさせて欲しい」
と返事したそうです。
高谷清彦さんの選挙をきっかけに高橋夫妻は民主党員になっていました。また高谷清彦さんが
政治の恩師と仰ぐ浅尾慶一郎さんの事務所にも相談を持ちかけましたが取り合ってもらえません
でした。その後、高橋夫妻は民主党を離党しました。(つづく)
3
高谷スキャンダルの真相を追って ④ / 2011 年 04 月 28 日(木)
葉山町議選挙の投開票日の前日から、このシリーズを書き始めたため、「みんなの党」に対する
影響が出ることを心配していましたが、みんなの党候補が全員当選したのでほっとしています。
しかしいずれ浅尾慶一郎事務所は、何らかの形でこの問題に対応しなくてはならなくなるでしょう。
浅尾慶一郎氏の足を引っ張ることは間違いありません。一日も早い浅尾氏の決断を求めるもので
す。
さて高谷清彦さんは、支持者・後援会の方々に M さんを婚約者として紹介していました。その時
点では確かに将来のことを考えての行動だったと思います。二人は平成 20 年 2 月から、半ば家出
同然の形でマンションを借り同棲を始めました。
高橋正久さん夫妻は、周囲は当惑するものの二人を支援しようと気持を改め、新居に相応しい
家財道具などを提供したと言います。また M さんは会社の同僚からもエアコンなどが贈られ結婚を
前にして幸せそうに見えたそうです。
ところが清彦さんにはすでにこの時、もう一人の女性の存在がありました。M さんもそのことには
気付いていたようです。その女性は A さんといい、M さんとの同棲が始まったころから執拗な連絡
が続き、時には清彦さんが A さん宅に残した洗面用具を送りつけてくることもありました。
同棲生活では、喧嘩は珍しくなくなり清彦さんは M さんに暴言は吐くだけではなく、暴力を振るう
ことが度々になりました。平成 20 年 8 月に、清彦さんが A さんと沖縄旅行に行くことが発覚してか
ら、その傾向はさらに強まりました。
M さんはじっと我慢をし、清彦さんが東京の A さんのところへ行ってしまった後でも、寝ずに帰宅
を待ち悶々とした毎日を過ごしていたといいます。
しかし平成 20 年 9 月 30 日の朝、横須賀市内を走行していた車中で、「お前は本当に頭が悪い。
ばか。人間との会話を学んで来い」と暴言を吐き、M さんを無理やりに車から降ろし走り去ったとい
います。
M さんは突然のことに驚き、父親に連絡して迎えに来てもらいました。M さんの父は詳細を聞き
激怒し、その日のうちに同棲は解消することにしました。(つづく)
4
高谷スキャンダルの真相を追って ⑤ / 2011 年 04 月 29 日(金)
このシリーズを掲載しはじめてから、当サイトへのアクセス数は急激に伸びていますがサイト主
宰者としては、こんなことまで市民の皆様にお伝えしなければならないかと思うとジレンマに陥りま
す。
違った見方をすれば、高谷清彦という人物を、政治的・社会的な対応能力も確かめずに、ただ若
い・カッコいいだけで選んだ無責任な結果だと思っています。あと数回の掲載予定ですが、段々と
気が重くなっています。
さて、証言者・高橋正久さんは、何度も高谷清彦さんに連絡を試みましたが、連絡はつきません
でした。提供した家財道具やエアコンなどを引き取りに行くなど M さんの整理の手伝いをしながら
婚約不履行と暴力行為、そして損害賠償を求める訴訟準備に入りました。
しかしここで高橋正久さんは、一つのミスを犯してしまいました。当時勤務していた横浜保土ヶ谷
にある事務所から、民主党神奈川県連宛てと、高谷利彦さんに清彦さんを非難する FAX を送った
のです。
すでに提訴の動きを察知していた高谷利彦さんは、この行為をもって高橋さんを逆に反訴の構
えを見せ脅すようになりました。高橋さんの勤務先である大手電機メーカーに対して、勤務先の備
品を使った私的行為であることを理由に、勤務先に処分を求めたのでした。
勤務先の方々から同情は受けたものの、社の方針には従わざるを得ず、訴訟を断念しました。
そして「念書」まで書かされ、その後高橋さんは大手電機メーカーを退職しました。
当時民主党神奈川県総支部連絡会の代表だった浅尾慶一郎・参議院議員の事務所に期待しま
したが、高谷清彦さんの行為を詫びる発言はあったものの事態の収拾には関わらないとの通告が
ありました。
以上の理由と、M さん自身が裁判が長期化することと、年金生活を送る高橋家をこれ以上巻き
込みたくないと懇願され、弁護士をいれて進めていた訴訟を断念することになりました。(つづく)
5
高谷スキャンダルの真相を追って ⑥ / 2011 年 04 月 30 日(土)
4 月 27 日、逗子市議会の議会報編集委員会が開かれました。当然、傍聴可能な委員会です。聞
くところによると、この委員会を高橋正久さんが傍聴されたそうです。委員会には高谷清彦・市議
会議員が出席していましたが、高谷議員は完全に無視したそうです。
委員会終了後、高橋さんは議長室で岡本勇議長に面会したとのことです。高橋さんは今回公表
した件について、なぜ、このような形で公表したかについて、議員各位の理解を得るためだったと
私に説明されています。
なお同席した議員は丸山浩章(自民党)、長島有里(民主党)、松本寛、君島雄一郎(無所属の会)、
横山みな(無会派)です。高野典子副議長には廊下で挨拶をされたとのことでした。今後この件に
ついての陳情審査等に影響するものと思います。
高谷清彦さんの行為は、M さんを婚約者として紹介されていた後援会からも当然非難の声が上
がりました。高谷清彦さんの二期目の当選は難しいとみている人が大半でした。
しかし翌年になって師と仰ぐ浅尾慶一郎参議院議員が民主党を離党(正式には除籍)され「みん
なの党」から衆議院議員選挙に立候補。高谷清彦さんも浅尾氏と行動を共にしました。
その結果、平成 22 年 3 月の逗子市議会議員選挙では、みんなの党の公認候補として「みんなの
党ブーム」に乗りトップ当選したのです。しかも 2 位は同じくみんなの党公認の毛呂武史さんでした。
ワンツー・フィニッシュを決めたみんなの党は、中央政界でも話題となり、マスコミにも取り上げられ
ました。
この結果がますます高谷清彦議員を増長させることになったことは言うまでもありません。この
時の彼のキャッチ・フレーズは、「ぼくがあなたを守ります」です。自分の婚約者も守れない男が何
をいうのか・・・。笑ってしまいました。これでは漫画です。
高橋さんは M さんとの一件を掌握している浅尾事務所の処分に期待していましたが、裏切られ
た思いがしたと言います。
一方、M さんは清彦さんとの同棲を解消したあと体調を崩し病院通いが続いていました。精神的
にも肉体的にも辛い日々を過ごしたそうです。しかし最近ようやくふっきれたのか、前向きな生活を
取り戻したと高橋さんはいいます。取材者として私も M さんが元気を取り戻したと聞き、ほっとした
ところです。(つづく)
6
高谷スキャンダルの真相を追って ⑦ / 2011 年 05 月 02 日(月)
昨日掲載の「高谷スキャンダルの真相を追って ⑥」について、取材者としの主観が強く入ってし
まったと思います。案の定高橋正久さんから、クレームではありませんが、加筆して欲しい文章が
送られて来ました。以下、整理した文章を掲載します。
① 同棲を解消した後、M さんは体調を崩し病院通いを続け、職場に対しても結婚予告を告げてい
たこともあり、職場の配置転換を申し入れ異動したと言う事実がある。
② M さんは最近になって、「新しい恋を探そう・・・」などと、前向きな発言が聞こえるようになった
が、未だに立ち直ったとは言えない状態が続いている。
③ M さんは清彦さんが、結局は A さんと結婚したという事実を知り、改めて割り切れない気持ち
でいる。
④ 未だに清彦さんから、M さんおよび、高橋さんに対して、一切の謝罪やお詫びの言葉がないこ
とに憤りを感じている。清彦さんはホームページなどで清新性をアピールし、今後も逗子市議会議
員として活動を続けていくならば、自分たちだけが一方的に我慢を続けることの理不尽さを感じざ
るを得ないとのこと。
⑤ 「おだにあきらブログ」で問題提起を行ってもらい、清彦さんがこれまでの態度を改める姿勢を
見せないのであれば、民事上の時効を迎えていないこともあり、司法の場で問題解決することも視
野に入れていること。
⑥ 浅尾慶一郎事務所に対しては、この間の経緯を把握していながら、清彦さんの推薦人に浅尾
氏自身がなり、みんなの党所属議員として活動を認めていることにて対する組織的な責任を求め
たいこと。
整理をすると以上の 6 点に絞られます。なお高橋さんは、逗子市議会議員・毛呂武史さんの後援
会員ですが、今回の件では、毛呂議員に迷惑をかけたくなく、一切の相談はしていないとのことで
した。(つづく)
7
高谷スキャンダルの真相を追って ⑧ / 2011 年 05 月 04 日(水)
標題の件の掲載は今回を最終回にしようと思います。その理由は「高谷スキャンダル」に切りが
ないからです。市政監視サイト主宰者としては、こればかりに構っていられないのです。
また高谷清彦氏の奇異ともみえる行状について、十分に良識ある市民の皆様に周知徹底できた
と思ったからです。
コメント欄に、この掲載について当事者の了解は得られているのか、という質問もありました。勿
論、了承したと言う当事者の自筆サインの入った承諾書を頂いております。
最終回は M さんが本件に関して、弁護士(女性)と交わした文章の一部を引用いたします。
(前略)
お恥ずかしい話ですが、私の話を聞いて頂いて、何故そんな男の人を好きなのか、ご
理解頂けなかったと思います。でも、私は彼 1 人と真剣にお付き合いさせて頂いていたので、彼か
らどんなにひどい事をされても彼が唯一の心の拠りどころでした。
なのでどれだけ辛くても彼の言葉を信じて必死に耐えました。そして、最後は必ず私のところに
帰ってきてくれる事を信じて諦めませんでした。
彼が私に決めたと言ってくれていましたし、彼の仕事や立場も考え、まさかこういった結末が起き
るとは思わずに、でも、彼は自分の立場を傘に私を騙した訳です。
私はとても彼が好きだったし、必死に努力してきました。全力を尽くしました。それが故に今回の
彼の対応は許せません。私の怒りは深いです。彼は親しい知人に、「東京の彼女が心の拠りどこ
ろだ」と、言っているようです。
騙された私も悪いですが彼が 2 年半かけて私にしてきた事は到底許せません。彼は先生(M さん
の弁護士)に、「東京の彼女とは別れる」というと思います。でも、ご承知頂いている通り、彼は 1 人
では絶対に生きていけない人なので、それは嘘です。
彼は本当に嘘つきです。後援会会長ほかの皆様からも、彼は二枚舌で二重人格だと言っていま
した。厳しい対応をお願い申し上げます。以上の理由により請求金額の件ですが、最初は 230 万
円~250 万円ぐらいから始めていただき、交渉でどうしても 200 万円は請求して戴きたいのです。
彼にはそのくらいの責任をとる必要があると思います。暴力・言葉の暴力・裏切り、2 年半を考え
たら当然だと思います。(中略)
現在彼は 2 年半自分がしてきたことをすべて棚に上げ、私のせいで自分の立場が悪くなっている
と私をひたすら逆恨みし、また彼のお母さんも「あなたのせいで清彦の信頼は地に堕ちました。あ
なたも辛かったでしょうが、清彦も十分制裁を受けました。いい加減に勘弁してください」と、謝罪ど
ころか私に対する責めの言葉しか言ってくれませんでした。(中略)
彼さえこんなことをしなければ、そして自分がしたことを真摯に受け止め反省すれば、ここまで話
は大きくならなかったし、彼も安泰だったのに。すべて自分が撒いた種です。
許せません。せめて誠心誠意、自分がしてきたことを反省し、謝罪してもらいたかったです。そう
すれば私もここまで怒りませんでした。でも、それすらしてもらえず、彼は静かに事が収まるのを待
っているだけ。でしたら解決方法はお金しかないと思いました。(後略)
8
以上が M さんが弁護士と交わした文書の抜粋です。読んでお分かりいただけたように、早い段
階で清彦さんが反省し謝罪をすれば済んだことだと思います。しかし彼の優柔不断が、この結果
を招いたものと思いました。
男として、また公人として絶対に許せるものではありません。特に暴力行為があったことは、公人
として婚約不履行よりも罪は重いと思います。3 年後に高谷清彦氏が逗子市議会議員でいること
はないと思います。逗子市民の民度が問われる選挙です。(おわり)
9
その後の高谷スキャンダル / 2011 年 05 月 12 日(木)
8 回の連載をした「高谷スキャンダルの真相を追って」は、市民の方々に大きなショック
を与えたようです。コメント欄をご覧いただければわかりますが、誰一人として高谷清彦議
員を支持し、反論してくる人はいませんでした。
勿論、高谷清彦議員からも、また高谷家からも、私のところにはクレームも抗議も来てい
ません。ということは全面的に認めたものと理解しています。
巷ではインターネットとは無縁の方ももいらっしゃるので、私のブログを是非、小冊子に
したいという申入れが関係者の高橋正久氏からあり、私は了承いたしました。近々【高谷ス
キャンダル】は、小冊子となって逗子市に登場することでしょう。
連載をしているうちに私自身も憤りを感じ、正義のために「やらねばならぬこと」と思い
詰めておりました。二度と高谷氏にはバッチを付けさせないというのが、私の目標になって
行きました。
賢明なる逗子市民です。彼を三度市議会に送りだすことはないでしょう。私は逗子市民の
良識に賭けます。
まだまだ続く高谷批判 / 2011 年 05 月 14 日(土)
「高谷スキャンダルの真相を追って」という当サイト連載が、関係者により小冊子化され
るという情報を掲載したところ、早速、読者から「もう投函されていました」という御礼コ
メントが寄せられています。
あまりのスピーディーな対応に驚いていると同時に、市民の関心の高さを示すものと受け
止めています。
8 回の連載が終了した時点から当サイトのアクセス数は下降気味でしたが、「その後の高
谷スキャンダル」という一文を掲載したところ、またアクセスは跳ね上がりました。やはり
逗子のスキャンダルがお好きな市民気質です。
高谷清彦議員の反論を手ぐすね引いて待っているのですが、当サイトへの抗議も反論もな
し。また高谷ツィッターの更新も 100 日以上更新がないそうです。無視を決め込んだのか、
それとも無駄な抵抗は止めたのか。
いずれにしろこれで終わったわけではありません。関係者は次期市議会議員選挙の結果に
焦点を絞っています。良識ある逗子市民へのアプローチはまだまだ続きます。逗子市の民度
が問われる選挙になります。
10
浅尾事務所に一言 / 2011 年 05 月 16 日(月)
パソコンと無縁と思われる逗子市民の方からも、電話で「高谷スキャンダル」について連絡を頂
くようになりました。関係者が作成した小冊子を読んだとい方々です。特に「あさお会」に加入して
いるメンバーは、真剣に浅尾慶一郎氏への影響を心配しています。
この「高谷スキャンダル」が表沙汰ななった段階で浅尾慶一郎事務所は、田村純也秘書(浅尾事
務所長)が、黙殺を貫いて来ています。
東日本大震災の影響で連日休日返上で政務多忙な浅尾氏は、こんな事務所関することまで手
が回らないことは致し方ないと同情しております。事務所長以下の秘書軍団がしっかりと浅尾氏を
支えるべきでしょう。
しかしながら浅尾事務所は「高谷スキャンダル」の重要性を過小評価しています。初期対応の拙
さを引きずっているのです。それがますます傷口を広げています。私は正しい情報が浅尾氏に上
がっていないと見ています。
もし「組織防衛」という言葉があるならば、浅尾陣営としても大切なことです。しかしそのために大
局を見失っています。正しい情報の共有こそが「組織防衛」の第 1 歩です。浅尾事務所の猛省を促
します。
高谷後援会は壊滅的事態 / 2011 年 05 月 17 日(火)
パソコン世代ではない方々からの電話が入るようになりました。勿論、【高谷スキャンダル】につ
いてです。当サイトに掲載した 8 回の連載記事が関係者で小冊子化され、読み回しが行われてい
るようです。
その電話の共通点は、浅尾慶一郎氏に悪影響を及ぼすのではないかという心配です。「あさお
会」のメンバーであることは明らかで、高谷議員を心配している話は一つもありません。「潔く身を
引け」というものばかりです。
その意味では浅尾事務所の対応に批判的です。初期対応の拙さ、また判断ミスがあったことを
率直に認め、軌道修正されることをお勧めします。聞くところによると浅尾事務所内部でも批判が
出でいると言います。
【逗子・あさお会】の中でも、市議会議員選挙で高谷清彦支持だったグループの離反が始まって
います。私は離反した方々の名前を一人一人挙げることが出来ますが差し控えます。高谷後援会
が危機的な事態にあることは事実です。
また高谷議員は二回目の当選後は、後援会の方々には殆ど顔を見せていないとのことです。
「奢れるもの久しからず、ただ春の夜の夢の如し」です。
11
「あさお会」連合総会 / 2011 年 05 月 18 日(水)
5 月 27 日(金)19 時から「あさお会」の連合総会が、鎌倉芸術館 第一会議室で開催され
ます。神奈川 4 区の栄区、鎌倉市、逗子市、葉山町の各地区「あさお会」の幹部の方々が
中心となって参加されると聞いています。
本来ならば、統一地方選挙の総括と、次期衆院選に向けた戦略を練るはずが、【高谷ス
キャンダル】の火消しに向けた総会になるのではないかという臆測も流れています。
正しい情報が浅尾氏に上がっていないことが、そもそもの躓きです。正しい情報を共有
することが、
【組織防衛】の第 1 歩であるという基本を忘れています。隠蔽することが、い
かに重大な結果をもたらすかは、福島原発の事故の政府対応をみれば分かることです。
速やかに浅尾代議士が正しい判断を下せる情報を上げることです。この環境の整備が今、
浅尾事務所に求められています。
話変わって毛呂武史逗子市議会議員が、単独でチラシ配布をしていたとい情報が流れて
きました。今までは高谷清彦市議と一緒に「みんなの逗子」として行動を共にしていまし
たが、今回は一人であることに注目しています。
見方によれば高谷清彦議員への絶縁状とも受け取れます。
「一緒にやってられない」と言
うのが、毛呂議員の本音だと思います。
さあ、どうする高谷清彦議員! / 2011 年 05 月 21 日(土)
逗子市議会平成 23 年第 2 回定例会は、6 月 2 日招集告示、6 月 9 日招集、そのための議
会運営委員会は 6 月 6 日に開催されることになりました。請願・陳情の締め切りは 6 月 1
日午後 5 時です。
私の次の定例会の関心事は、高谷清彦議員がどの面下げて出席するのかということです。
当サイトが 8 回連載で『高谷スキャンダル』を明らかにしてから、一度も市役所に登庁し
ていないのです。閉会中であっても、週に何度か役所に顔を出すのが通常議員の方々の行
動パターンです。特に共産党と公明党の登庁率はいいようです。
聞くところによると高谷清彦議員は、浅尾慶一郎事務所にもご無沙汰のようです。事務
所も連絡がつかないとか・・・。一体何処で何をしているのでしょうか。市民からみれば
議員職務の放棄です。
彼がいくら綺麗ごとを言おうと、もう市民は誰も信じないでしよう。それとも私が書い
たことに反論するために英知を絞っているのか。弁護士と相談して事実を暴露した関係者
と私を告訴する打ち合わせでもしているのでしょうか。
当然、今回の定例会には高谷議員に議員としての規範を求める陳情が出てくるでしょう
し、また暴力行為についてはまだ時効になっていないことから、当事者も刑事告訴を視野
に入れていることも考えられます。
体調不良による議会欠席という手はありますが・・・・。さあ、どうする高谷清彦議員
12
高谷清彦さんからの葉書 / 2011 年 05 月 26 日(木)
部屋の整理をしていたら、平成 17 年 12 月 23 日付けの高谷清彦さんから頂いた葉書が出てき
ました。まだ市議会議員になられる前の葉書きです。記憶を辿ってみると、市議会議員に立候補
することにしたので、いろいろと教えを請いたという連絡がありお目めにかかりました。
まず高谷さんは約束の時間に 30 分以上も遅刻。さらに驚いたのは「逗子市政の問題点を教え
て欲しい」ということでした。遅刻にしろ、問題点を教えろとの態度にさすがの私も腹が立ちました
が、大人げないのでその場は取り繕いました。
逗子市の課題が何であるかの問題意識もない人が、市議を志すことが理解出来ませんでした。
その時、単なる就職に過ぎないと思いました。以下、高谷清彦さんの葉書です。
先日は待ち合わせの時間に遅れて大変申し訳ございません。それにも関わらず、逗子の問題
点から解決策へ導くご助言をいただき有難うございます。小谷先生が沖縄より帰られまして、ご
都合のよろしい日に改めてご指導を願えますでしょうか。
先生よりご指摘を受けました勉強不足を今まで以上の速度で学んでまいります。どうぞ今度も
宜しくやお願いします。 高谷清彦
その後、会った記憶がないので、多分、会ったのはこれ一度だと思います。正直に申し上げて、
二度と会いたくないと思いました。
13
高谷清彦同情論 / 2011 年 05 月 27 日(金)
逗子市議会平成 23 年第 2 回定例会は 6 月 9 日に開会されますが、議案としては紛糾するよう
な大きなものはありません。一般質問では東日本大震災を受け、殆どの質問者のテーマが「防
災について」になることは間違いありません。
陳情審査では、高谷清彦議員関連のものが出てくることは確実なので、その取り扱いに関心を
持っています。6 月 6 日の議会運営委員会で、その扱いについて議論されることでしょう。陳情審
査よりも取扱いについての議論の方が面白いかも知れません。
ところで高谷清彦議員についての同情論も寄せられていますので紹介致しましょう。発信者は
鎌倉事情に精通されている方からです。高谷清彦氏は父親の夢を叶えるために犠牲になったと
いうものです。
清彦氏の父・高谷利彦氏はサラリーマンから鎌倉市長を目指した人物だったとのことです。竹
内謙・市長が、2期で引退を表明した時の選挙に向けて立候補の準備をしていたそうです。
しかし勝算が全くないないために断念。その断念の記者会見をしたことで、記者の中で有名人
になりました。当時、泡沫候補が出馬断念の記者会見をしたと揶揄されました。
その結果、高谷利彦氏は、無所属の松尾英洋(59)候補を支持すると発表。松尾英洋氏は、現
鎌倉市長・松尾たかし氏の実父です。市長には無所属で自・公・民・由推薦の石渡徳一氏が他
候補 4 人を大きく引き離して当選しています。
夢破れた高谷利彦氏は、息子・清彦に果たせなかった夢を託したというのです。それで狙いを
付けたのが浅尾慶一郎氏だったというのです。息子を将来の逗子市長にすべく、浅尾事務所に
入れてもらい逗子市議会議員に立候補させたという説です。
昨日掲載した高谷清彦氏の私への葉書でもお分かりのように、怠惰で勉強嫌い、新聞も本も
読まず、ただひたすら駄眠をむさぼるだけの人物に、市議会議員が務まるわけがありません。清
彦氏は父親の果たせぬ夢の犠牲者だという同情論です。
高谷氏については、別の女性問題の情報も寄せられています。現在、裏取り取材中です。
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悩ましい逗子市議会 / 2011 年 06 月 04 日(土)
6.2 騒動の結果が、逗子市に及ぼす影響について考えてみました。このから騒ぎについてコメン
トしているのは高野毅議員(民主党)だけでした。高野氏自身の冷静な分析が語られています。
結論から申上げれば、何の影響もなかったというところでしょうか。逗子は実に平和なまちです。
それよりも市議会議員の方々は、6 月 9 日からの第 2 回定例会での高谷清彦議員に対する陳
情の取り扱いに苦慮されているようです。昨日も本欄では市職員の DV 事件にひっかけて高谷ス
キャンダルを書きましたが、市議会にとっては頭が痛いところです。
陳情審査に関係した人物を参考人として招致できないか、との情報もあるようです。真相究明
が求められているのですから、ありとあらゆる可能性の中で審議をお願いしたいと思っています。
関係者を招致できれば、また新しい事実も浮上する可能性が十分にあります。6 月 6 日には議
運が開かれ、その扱いが審議されますが、「みんなの逗子」の議会運営委員は高谷清彦氏自身
なのです。まさか体調不良で欠席することはないでしょうね。
高谷議員と気脈を通じてると言われる加藤秀子議員(無会派)からも、ぜひ審査に協力するよう
アドバイスをお願いしたいものです。
注目の高谷スキャンダルについての陳情/2011 年 06 月 09 日(木)
6 月 6 日、議会運営委員会が開かれ、注目の「高谷清彦議員に対する陳情」について、その取扱
いが審議されました。午前中で終わる予定を午後 4 時までかかり、結局は扱いについては議長・
副議長一任となったと聞いています。
私の取材によれば、一部議員から議員個人に対する陳情は馴染まないという論理が展開され収
拾がつかなくなったとのことです。しかし請願権は憲法第 16 条に定められた国民の権利です。
その国民の権利を議会の都合で左右することができるのでしょうか。さらに逗子市議会において
は、平成 18 年陳情第 27 号において、「君島雄一郎議員に品位ある政治活動を求め本陳情に対し
て適正なる措置を求める陳情」が出され審議されています。
これも議員個人の問題ではないのでしょうか。議会はこの違いについての説明責任があります。
しかしそこには論理の矛盾があり、説明は不可能です。一体、何処が違うのでしょうか。議運では
実に低次元の議論がなされていると思います。
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