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第 6 講
第 6 講 ピュシス(其のⅠ) 本講と次講では「古代ギリシアにおける自然概念」 、 「ノモスとピュシス」 、 「主観性を否定する原理 としてのピュシス」 、 「ピュシスとアリストテレスの哲学」 、 「アリストテレスの自然学」などのテーマ で自然概念(ピュシス)に焦点を当ててギリシア哲学を論じたいと思います。 古代ギリシアにおける自然概念(ピュシス) ギリシア世界の構造の深層に自然概念(ピュシス)が伏在した。 「自然」 (ピュシス)は印欧諸語の 元の共通言語に淵源するほとんどアルケオロジックな概念であり、印欧語族に属する古代諸民族の意 識下に共通に住み着く集合的無意識とも言うべきものであった。したがってそれは本来ギリシア人に とって意識の対象であった以上に、意識の深層に住み着く構造的概念であった。 ギリシア語において「自然」を意味するφυσιςはφυω(生む、生まれる、生える、生い立つ、 生長する) 、φυτον(植物、樹木、生え出たもの) 、φυσω(生長)などと同語根の語であり、 またラテン語の natura も nascor(生まれる、生じる、生長する) 、nascentia(誕生、植物、草木) 、 natio(出生,誕生、種族、民族)などと同語根の語であります。この同じパターンはサンスクリット 語の prakrtih(自然)においても、prasu(生む、生まれる、起こる) 、prasutih(生殖、出産、誕生、 子孫) 、praja(生き物、出生、子孫、民族) 、prasavah(誕生、出産、生殖、子供) 、pran(息をする、 生きている) 、pranah(気息、生命) 、pranin(生き物、人間)などといったように見られ、印欧語族 に属す古語のいずれにおいても確認されるでありましょう。このことは自然概念の起源が歴史時代で ないことはもちろんのこと、神話時代ですらなく、印欧諸語分岐以前であることを物語っています。 神話時代ないし歴史時代にいたって φυ- とか na- とか pra- といった姿で現れる語根は印欧諸語分 岐以前の共通の源言語の未知の語根に由来しており、φυ- や na- や pra‐によって了解される意味 内容はその発生を印欧諸語分岐以前の共通源言語の内に有しているのであります。換言するなら、印 欧語族に属す古代諸民族の分岐と拡散以前にすでに自然概念はその一定の意味内容を発生させてしま っており、それら諸民族の意識の深層に自らを深く刻み込んでいるのであります。このことは、わた したちが印欧語族に属す諸民族の中でそれらが現れてくる際に見られる構造の驚くべき同型性と、そ の同型性を維持する執拗さを目にするとき、また「自然」 (ピュシス)という語で即座に了解される前 反省的な了解内容の諸民族間における驚くべき共通性を想うとき、否定しがたい事実として感得され ます。 「自然」(ピュシス)はそれゆえ、自然が対象として発見され、それを「指示する」 (Bedeuten)た めに自覚的に形成された対象概念ではありません。実はそもそもギリシアにおいてピュシスがトータ ルに対象として発見されたことなど一度もないのであります。このことについては後に述べます。そ れはむしろその発生を言語形成のごく初期の意味発生の段階に有しており、意味発生は構造の形成で もあるがゆえに、構造の中に自らを深く刻み込んでいるのであります。自然概念の意味発生は恐らく 世界が対象として発見されるはるか以前にあったのであり、そしてそのような構造概念として、それ は印欧語族に属す古代諸民族の意識の深層に深く沈潜し、伏在したのであります。自然概念(ピュシ 1 ス)はまさにギリシア人にとってユングの言うような意味での集合的無意識ないしは元型とも言うべ きもののひとつなのであります。 「ピュシスはギリシア民族の集合的無意識のひとつである。 」これが 自然概念に関する本講義のテーゼであります。ピュシス(自然)は「存在者」 (dsa Seiende)ではな く、 「存在そのもの」 (das Sein selbst)であるとハイデガーは語っていますが( 『形而上学入門』全集 40 巻、17 頁) 、これは自然概念(ピュシス)のギリシアにおける根源性を語ったハイデガー一流の表 現と言うことができます。自然概念(ピュシス)の根源性に対する洞見こそハイデガーのギリシア理 解の根幹をなすところのものであって、この根源性に対する感性なくしてはギリシア哲学の本質的理 解など期待すべくもないというのが、恐らくハイデガーの言いたいところなのでありましょう。 したがってギリシア哲学ないしギリシア哲学において形成された諸概念でもってギリシアの自然概 念(ピュシス)を説明することはできません。むしろ自然概念(ピュシス)はギリシア哲学において 形成された一切の哲学的概念より古くかつ根源的なのであって、それはわたしたちが哲学として理解 しているギリシア期のすべての世界説明において前提となっていたものなのであります。そしてそれ らの世界説明(哲学)を根底から潜在的な威力として突き動かし、規定していたのであります。自然 (ピュシス)はギリシア人にとって対象ではありませんでした。自然(ピュシス)を対象として前に 立てるどころか、むしろギリシア人は対象とはならない虚的存在とも言うべき自然(ピュシス)によ って潜在層から突き動かされ、駆りたてられていたのであって、その哲学的表現とも言うべきものが イオニアの自然哲学であり、あるいはアリストテレスの哲学なのであります。アリストテレスの哲学 が、その根源のところでは、彼自身にとっても説明不能な自然概念(ピュシス)によって動機づけら れ、導かれていたとのことについては次講で論じたいと思います。初期ギリシアの自然哲学はいずれ も自然概念(ピュシス)が潜在層から湧出してきた現象諸形態とも言うべきものであったと言って恐 らく不当でないでありましょう。イオニアの自然哲学者たちはすべて自然概念(ピュシス)という動 因によって根源層から突き動かされていました。そしてそれをそれぞれのタームに包んで表現したの であります。その結果が初期ギリシアの諸々の自然哲学であります。だからこそ、そこに示された探 究エネルギーはあれほどにも巨大だったのであります。彼らの探究努力はほとんど尋常の域を越えて おり、彼らはおしなべて哲学的探究に人生のすべてを捧げています。そしてその献身によって大抵自 らの身を破滅させてしまっています。うかつにも手を出した相手(ピュシス)が巨大過ぎたというこ とでありましょう。彼らの探究は反省レヴェルのそれではなかったのであります。近代の哲学のほと んどが基本的に反省的意識の中での思索でしかないことを思うとき、ここにギリシア哲学の際立った 特徴を見ることができます。今日においてもなおギリシア哲学が不可抗的な威力として感得されるゆ えんであります。どのような哲学があらたに生み出されようと、ギリシア哲学が西洋において不動の 基礎をなすことに変更が生じるといったことは決してないでありましょう。したがってここでわたし たちが確認しておかねばならないことは、哲学によって自然概念(ピュシス)を説明することはでき ないということ、このことであります。またこれまで説明されたこともないということ、このことで あります。それを説明することは原則不可能であるということであります。にもかかわらず、そうい った根源的概念である自然概念(ピュシス)の解明がなお可能だとするなら、それはその概念が自ら 「現れ出る」 (パイネスタイする)現場を差し押さえる現象学的方法によって以外ではありえないであ りましょう。 「自然」 (ピュシス)は確かにしばしば現れます。その現場を押さえ、その現象を記述的 に分析することによってしか、わたしたちは「自然」(ピュシス)を垣間見ることはできません。 「自然」 (ピュシス)は「自然」 (ピュシス)の側からの開示によってしか知られません。この言い方は少し奇 異に感じられるかも知れませんが、このことはむしろわたしたちが日常ごく普通に経験しているとこ 2 ろであって、 「自然」 (ピュシス)は、例えば主観性が放下されたような瞬間に虚的に露になってくる、 そのような存在なのであります。しかしそれを捉えようとすれば、たちまち消えてしまいます。 「自然 は隠れることを好む」 (ヘラクレイトス、断片 B 123)のであります。自然(ピュシス)を対象として 取り出して前に据えることはできません。言い換えれば、対象とされたようなものは、自然物ではあ るかも知れませんが、もはや本来の自然(ピュシス)ではありません。ギリシアの自然概念(ピュシ ス)を問題としようとするとき、わたしたちは、ハイデガーと共に、このことをはっきりと確認して おかねばなりません。 ところで「自然」 (ピュシス)は、構造概念であるなら、それ自体としては否定性でしかなく、ポジ ティブな意味対象とはなりえません。 「自然」 (ピュシス)それ自身は他に対する否定性によって取り 囲まれた虚空間でしかなく、したがってそれはその都度それが他に対して立つ関係の中でしか姿を現 さないでありましょう。 「自然」 (ピュシス)が対象として露になるというようなことはありえないの であって、自然概念の解明は「自然」という言葉によって指示される対象の解明とはなりえないであ りましょう。この点の誤認に近代の自然哲学がおしなべて不毛な試みに終わらざるをえなかった主た る原因があったのでありましょう。後段においても述べるように、近代の自然概念(nature, Natur, nature)はゲステルに組み込まれた対象としての自然でしかないからであります。あのような対象志 向的なアクティブな追求に対しては「自然」 (ピュシス)はどこまでも逃れ去らずにいないのであって、 「自然」 (ピュシス)はどこまで行っても対象とはなりません。 「自然」 (ピュシス)をその本来の姿に おいて理解するかどうかは、ひとえにこのテーゼをそれとして認識するかどうかに懸っているのであ ります。このどこまで行っても対象となりえない「自然」 (ピュシス)を一気に対象として「前に立て る」ところに近代科学の成立がありましたが、これが「自然」 (ピュシス)に対していかに不当な仕打 ちであるか理解しなければなりません。近代科学をベースとする近代世界はこの不当性の上に立ち上 がっているのであります。いかんとしても拭いきれない不当性の感覚が近代には常に付きまとってい ますが、ゆえないことではないのであります。 「自然」 (ピュシス)は虚言語空間でしかないというこのことは、だからと言って、自然概念が虚し いものであるとか、非力なものであるということを意味しません。ギリシアにおいて自然概念(ピュ シス)がいかに強力かつ執拗であったか、このことをやがてわたしたちは見ることになるでありまし ょう。虚なるがゆえに根底にあって無意識の内にトータルに意識を規定し支配する威力、それがギリ シアの自然概念(ピュシス)なのであります。しかもそれはまた虚なるがゆえに抜き取りがたく、執 、、 、、 拗なのであります。人間の場合でも、 「ない者」どうしが「ない」ゆえに徒党を組むではありませんか。 、、 しかもその党派性の度合いは否定性に基づくほど強度で執拗ではありませんか。 「ない」ゆえの党派が いかにしぶといものであるか、そのしぶとさが肯定的理由に基づく党派の到底及ばないほどのものに なることは、わたしたちが歴史において経験してきたところであり、また日常社会において経験する 、、 ところでもあります。 「自然」の構造もまた「ない」の構造、否定性の構造なるがゆえに、しぶとく、 かつ執拗なのであります。 それ自身虚空間でしかない「自然」 (ピュシス)は常に何らかの衣装を纏ってしか現れません。ある 場合にはそれは近代的な哲学的概念の衣装を纏って現れ、ある場合には神話的表象を纏って現れ、あ る場合には土俗的な規範意識として現れるのをわたしたちは目にしますが、その際注意しなければな らないことは衣装と衣装を纏ったものを混同しないことであります。ところが衣装を纏ったものは虚 的存在でしかないのであります。虚空間である「自然」 (ピュシス)は包帯を巻いた姿でしかわたした ちに現れない透明人間のようなものであります。包帯と透明人間を混同することはありえませんが、 3 包帯を解けばわたしたちは彼を見ることができないのであります。 したがってテキスト中に「自然」 (ピュシス)という語が使用されている事例を探し出し、それらの 語例を抽出し、集め、比較したところで、自然概念(ピュシス)の解明は果たされないでありましょ う。また自然概念(ピュシス)をその潜在力と共に取り出したことにもならないでありましょう。そ ういった方法で解明が果たされるためには自然がイデア的な意味対象であることを必要とします。一 定のイデア的な意味対象がすでにあって、 「自然」 (ピュシス)という語がそれを指示する関係が出来 上がっている場合であれば(そういった場合ももちろんあるでありましょうが) 、そういった方法も何 がしか成果を得るでありましょうが、ところがギリシア人にとって「自然」 (ピュシス)は本来対象で なかったのであります。少なくともギリシア的志向性に対してそれがそのものとして対象となったこ とは一度もないのであります。またギリシア人が「自然」 (ピュシス)を反省的に思索の対象としたケ ースもほとんどありません。根源的な自然概念(ピュシス)からの呼びかけがギリシアの自然哲学を 生成させた根源的動因であったにもかかわらずにであります。彼らは「自然」 (ピュシス)に駆り立て られ、突き動かされていたにもかかわらず、自然(ピュシス)をトータルに対象として自らの前に立 てたことは一度もないのであります。あるものが対象として措定されるためには、それを対象として 前に立てる志向性がなければならず、そういった志向性が成立するためにはそれに十分な主観性の出 現がなければなりませんが、ギリシア的主観性は未だ「自然」 (ピュシス)をトータルに対象化するま でにはいたっていませんでした。この点が肝要であります。ギリシアにおいては主観-客観関係、あ るいはノエシス-ノエマの超越的構造の内に「自然」 (ピュシス)が全体として入ってきて、その中で そのまったき姿を現したことは一度もなく、むしろ逆にそれらの関係そのものを虚的に包むそのよう な存在で「自然」 (ピュシス)はありつづけたのであります。しかしこのように言うのもなお曖昧さを 残します。むしろこう言った方がより正確かも知れません。 「自然」 (ピュシス)はギリシア人にとっ ては意識の対象ではなく、ある意味性を帯びた意識そのものであったと。したがって「自然」 (ピュシ ス)はノエシス-ノエマの関係の中に時にその姿を垣間見せることはあっても、否、むしろ垣間見た ように思わせることはあっても、そのものとしては常にノエシス-ノエマの関係を越えてありつづけ たと。なぜならノエシス-ノエマの対立関係そのものが意識において成立する関係だからであり、そ してその意識そのものが「自然」(ピュシス)という意味性に染まっていたからであると。意識は自ら をトータルに意識の対象とすることはできません。時に反省のもとにもたらされることはあっても、 そのものとしては常に非反省的意識としてそれからすり抜け、背後に隠れてしまいます。ギリシア人 にとって「自然」(ピュシス)とは、時に浮かび上がることはあっても、全体としてはそういった顕在 的意識の背後に隠れてしまう意識のある意味性、意識の色合いのごときものだったのであります。 「自 然は隠れることを好む」 (ヘラクレイトス、断片 B 123) 。これはギリシア的志向性にとっての「自然」 (ピュシス)のこのようなありようを感得したヘラクレイトスの嘆息であり、またその承認の弁であ ります。それゆえそれは基本的に潜在的な意識の深層にありつづけました。そしてそういった潜在層 から顕在的意識を呪縛し、規定しつづけたのであります。元型は普段は深層に隠れていて意識されま せん。にもかかわらずそれは常に意識を無意識の層から規定しつづけ、何らかの機会、例えば平常の 意識が破壊されたような機会に、そのヌミノースな姿を現すのであります(ユング) 。 「自然」 (ピュシ ス)は実はユングが元型論において見て取ったような極めて不気味な潜在的威力なのであります。少 なくとも近代人にとってそれはなお不気味な存在でありつづけています。近代は実はこの不気味な潜 在力と今なお戦いつづけており、近代は今なお自然に脅えています。時に圧倒的な威力でもって自然 が近代を否定するとき、近代はこの脅威を新たにします。しかしまたたちまちの内に忘却してしまい 4 ます。忘却によって人類はからくも存続しつづけているのであります。そのことは阪神淡路大震災や 東日本大震災の教えるところであります。しかし忘却は勝利ではありません。近代の勝利は決して確 立していないのであります。否、むしろ近代が自然(ピュシス)に勝利することなど永遠にないであ りましょう。近代は自らを自戒すべきであります。 ところで、意識は無垢でも、無色透明でもありえません。それは言語の習得と共に一定の色合いに 染まらざるをえません。どのような色合いにも染まっていない無色な意識といったものは恐らく意識 でないでありましょう。言語の習得は構造の習得だからであり、構造は意識を色づけずにいないから であります。したがってその色合いは個体に起因するものではなく、個体を越えた類的継承と言うこ とができます。事実ギリシア的意識はその言語を継承することによって遠い祖先から「自然」 (ピュシ ス)という意味性(色合い)に染まってきたのであります。そしてそれがいわば複合観念となってそ の意識に固着していたのであります。ギリシア人がこの複合観念の呪縛から解放されることは遂にあ りませんでした。 それをトータルに対象化するだけの主観性がギリシアには欠けていたのであります。 ギリシアにおいてももちろん主観性の出現は見られます。以下においてわたしたちは特にこのことを 指摘しなければなりませんし、またそういった主観性原理の出現に対して「自然」 (ピュシス)が否定 的威力として立ち現れてくる現場を目撃することにもなりましょうが、しかしギリシアにおいては主 観性が「自然」 (ピュシス)をトータルに対象化し、その呪縛から自らを解放することは遂になかった のであり、結局「自然」 (ピュシス)の圧倒的な呪縛の内にありつづけたのであります。 「何ものも有 らぬものからは生じないし、また有らぬものへ消滅して行くことはない」 (μηδεν τε εκ του μη οντος γινεσθαι, μηδε εις το μη ον φθειρεσθαι)というのがギリシアの自然哲学の基本原則、シンプリキオスの表現を借りて言えば、 「 (ギ リシア)自然学の共通の公理」(το αξιωμα κοινον των φυσικων) です が(シンプリキオス『アリストテレス「自然学」注解』103,13. 162,24) 、この公理の意義は、その内 容の表向きのポジティブな性格とは裏腹に、消極面にあるのであって、これは「自然」 (ピュシス)を 全体として対象化しえていない、したがって「自然」 (ピュシス)から飛び出せていないギリシア的志 向性の自己認識の告白なのであります。 「自然」 (ピュシス)の端的な開始ということを想いえないギ リシア的知性の限界性の告白であって、したがって「自然」 (ピュシス)の方が大きいのであります。 ギリシア的志向性は「自然」 (ピュシス)の背後にまで回りえていないのであります。 「自然」 (ピュシ ス)の向こうにまで達して、 「自然」 (ピュシス)を全体として括弧に括り、それを一個の対象として 自らの前に立てえていないのであります。 「自然」 (ピュシス)はまだまだ彼らにとって自分よりはる かに巨大な未知の規定しえぬ威力なのであります。それは絶えず「無限なるもの」 (アナクシマンドロ ス)としてギリシア的志向性の及ぶところを越えて広がりつづけ、明晰性を誇るギリシア的知性を抱 擁し、ギリシア人の世界観を脅かしつづけました。そしてそれがそうであるのは、先にも述べたよう に、「自然」(ピュシス)は彼らにとって一定の意味性をおびた意識そのものであって、本来的には意 識の対象でなかったからであります。意識は意識を越えて及ぶことはできません。したがってその色 合いも越えることはできません。意識が及ぶ限り、その色合いも及びつづけます。それゆえギリシア 的志向性はいつまでもその色合いの影響のもとにあらざるをえませんでした。そして意識がそのよう に着色されたのははるか昔、古代ギリシア民族発祥期においてであったか、あるいは恐らく印欧語族 に属する古代諸民族の分岐以前だったのであり、結局彼らは古典期にいたってもなおその色合いを完 全に払拭することはできませんでした。これがギリシア的知性の運命(ゲシック)であります。ギリ シア的知性は、その明晰性、澄明性、地中海世界の光明にも比すべき輝かしさにもかかわらず、その 5 活動は結局茫漠とした自然概念(ピュシス)の掌の内においてでしかなかったと言うことができるで ありましょう。わたしたちが事実として確認できることは、ギリシア人は結局最期まで神々の世界に 生きていたということであります。神々とは根源的な自然力(ピュシス)の多様な現れとその諸側面 の神話的表現に他なりません。神々の故郷もまた「自然」 (ピュシス)なのであります。また彼らは運 命(モイラ)という観念に結局最後まで呪縛されつづけたということであります。ギリシア悲劇は基 本的に運命劇であります。またなぜギリシア政治史の全期間にわたって卜占がポリスの政治的決定に おいてあれほどにも重要な意味を持ちつづけたのか、わたしたちはその意味をもう一度考えてみなけ ればならないのではないでしょうか。運命(モイラ)にしても卜占にしても、それらには存在(ピュ シス)に自らを委ねる姿勢が含意されています。そこには存在への帰依が表現されているのでありま す。 「自然」 (ピュシス)は「存在」(Seyn)がギリシア人に送り届けてきた「現前性」 (Anwesenheit) であったとハイデガーは語っていますが( 『哲学への寄与』 ) 、これはギリシア精神の根源に「自然」 (ピ ュシス)が位置することをハイデガー流に語った表現と言うことができるでありましょう。 これを要するに、ギリシアの主観性はなお「自然」 (ピュシス)の中に包まれおり、 「自然」 (ピュシ ス)を己の前に対象として立てるまでにはいたっていなかったということであります。ギリシア的主 観性にとって「自然」 (ピュシス)は未だ対象ではありませんでした。にもかかわらず「自然」 (ピュ シス)に突き動かされ、駆動されていたのであって、そういった動因の結果が、先にも述べたように、 イオニア以来のギリシア自然哲学なのであります。この点にギリシア的主観性の基本的特徴がありま す。したがってギリシア哲学の基本特徴がここにあります。ギリシア世界は近代世界とは違うのであ ります。ソクラテス、プラトンの哲学を見る限り近代哲学との差はほとんど感じられないがゆえにわ たしたちはギリシア世界を近代的視点で見てしまいがちです。別言すれば、主観性の哲学の視点で見 てしまいがちであります。そういった近代の哲学にとっては当然ソクラテス、プラトンが特別な存在 として立ち上がってきます。しかし実はソクラテス・プラトン哲学との間にこそギリシア世界は根本 的な断絶を有していたのであって、ソクラテス・プラトン哲学をもってギリシア世界を代表させては ならないのであります。ソクラテス・プラトン哲学はギリシアにおいては一エピソードでしかない哲 学なのであって、その一エピソードでしかない哲学が中世キリスト教哲学を経由して近代哲学に繋が ったというだけのことなのであります。近代によって採用されたことをもってギリシアの代表とみな す根拠にするというのは何という本末転倒でありましょうか。近代はギリシアを判定する権利を有し ているとでも言うのでありましょうか。何という不遜でありましょう。古代ギリシアは近代とはまっ たく別の原理の上に築かれていたのであって、換言すれば、主観性とはまったく異なる原理の上に存 在した世界であって、この点を明確に把握するかどうかにギリシアをギリシアとして理解するかどう かが懸っているのであります。これまでの哲学史のギリシアの扱いは不当であり、誤っています。 ノ モ ス と ピ ュ シ ス ソピストの活躍した前5世紀の後半にことさらに顕在化したノモスとピュシスの対立意識も主観 性と潜在的な構造概念の対立の一表現に他ならない。 ところで「自然」 (ピュシス)が前5世紀の後半にノモス(法、定め)やテクネー(技術、技、技巧) との対立関係の中で立ち現れてくるのをわたしたちはしばしば目にしますが、また特にこういった対 立の構図においてギリシアの自然概念を語るのが哲学史の定番ともなっていますが(例えば F. .ハイ 6 ニマン『ノモスとピュシス』参照) 、この場合でも「自然」(ピュシス)は決してポジティブな対象概念 としてノモス(法)やテクネー(技術)との対立の構図の中で姿を現していたわけではないというこ とを指摘しておきたいと思います。 ソピストの活躍した前5世紀の後半のギリシア古典期における最も顕著な現象は、前述のように、 「自然」 (ピュシス)がノモス(法)やテクネー(技術)といった人為性との対立関係の中で際立って くることであります。ところで人為とは人間のアクティブな働きかけであり、その背後には主観性が あります。前5世紀の後半は主観性が自覚され、プチ主観性がさまざまな形で現れ、跳梁跋扈する時 期ですが、不思議なことに、それと共に「自然」 (ピュシス)もまたことさらに顕在化してくるのであ ります。しかしその場合でも「自然」(ピュシス)はそういった主観性に対する否定性として現れてく るだけで、その実体が何であるかを示すことはほとんどないのであります。例えばソピストのヒッピ アスが、 「法は自然に反した多くのことを強制する人間の僭主(τυραννος των ανθρωπων) 」 (断片 C 1)であるとして、法(ノモス)に自然(ピュシス)を鋭く対立させ、またアン ティポンが「法の掟は付け足しであるが、自然の掟は必然的である」 (断片 B 44)として、 「法の掟」 (τα μεν των νομων)に対して「自然の掟」 (τα δε της φυσεως)を 対置する場合でも、その「自然」(ピュシス)の語るものは法(ノモス)の人為性の裏返し以上のもの ではほとんどありえていません。 「しからば君の言う自然(ピュシス)とは何であるか」と問われても、 ヒッピアスもアンティポンもそれに対して何ら明確な答えを持ち合わせていなかったでありましょう。 人為性に対する自生的存在ないしは自生的体系として漠然と「自然」 (ピュシス)は想定されているの ですが、この概念は実はポジティブな対象概念ではなく、その見掛け上の肯定的性格とは裏腹に、そ の実体は否定性でしかないのであります。したがってそれは人為性との対立の中でしか意味を発揮し えていません。と言うのも、 「自然」 (ピュシス)と呼ばれる自生的存在を対象として取り出しえた者 はいないからであります。またそういったことは何人にも果たしえぬ課題であったでありましょう。 「自然」 (ピュシス)はその実体は対象ではなく、虚的な構造であるがゆえに、それを対象として取り 出すなどということは原則不可能だからであります。したがって法(ノモス)に対して自然(ピュシ ス)が対置されるといっても、対象としては何も対置されていないも同然なわけであります。しかし それにもかかわらずヒッピアスやアンティポンの主張は明快であり、即座に人々に了解されるのであ ります。しかも彼らの主張は告発の性格を帯びており、そこには怒りさえ感じられます。そして聞き 手もそれをそのようなものとして受け取っています。したがってそこにはたしかにある何ものかが顕 在化しているのですが、そこに顕在化しているものは実は人為性とその恣意性格、その卑小さ、その 素性のいかがわしさに対する意識、要するに主観性に対する反発意識であって、本来公共的なもので あるべき法(ノモス)がそういったもので汚染されていることに対する耐え難さなのであります。ま た法(ノモス)と言っても、その程度のものでしかないという認識なのであります。そしてそれに対 する対立項として、とにかくも「自然」 (ピュシス)が呼び出されているのであります。 したがってここで真に「自然」(ピュシス)に対立しているものは実は「法」 (ノモス)ではありませ ん。法(ノモス)はヘラクレイトスにおいては「共通の神的なロゴス」(ο κοινος λογος και θειος)をポリスにおいて表現するものとして、この構図においてはむしろ自然(ピュシ ス)の側にあり、鋭く主観性に対置されています。法律解釈者ヘルモドロスを追放したことでヘラク レイトスはエペソスの市民たちを激しく罵倒していますが、それは彼がエペソスにおいて主観性の芽 生えを感じ取ったからであり、主観性が跳梁跋扈し、主観性がポリスの「法」 (ノモス)をないがしろ にし、あまつさえそれに勝ろうとするのを見たからであります。まさにそのことがヘルモドロスの追 7 放ということでした。 ディオゲネス・ラエルティオス( 『ギリシア哲学者列伝』IX 2)/ストラボン( 『地理書』XIV 25. P.642) 「エペソスの連中は、成年に達した者はすべて首を縊って死ねばよいのだ。そしてポリスはこれ を未成年の者に委ねたらよいのだ。彼らは、ヘルモドロスという自分たちの中で最も有為な人物 を、われわれのもとには最も有為な人物などいなくてよい、そんな者がいるなら、他のところで 他の人たちと一緒に暮らしたらよいのだと言って、追放したのだから。 」 ヘルモドロスはエペソスの法律解釈者であり、またエペソスを追放された後ローマにいたって、ロ ーマ法の祖となったと伝承される人物であります。伝承の真偽はともかくとして、ヘルモドロスはま さにヘラクレイトスにとって公的な法(ノモス)の代弁者であり、象徴だったのであります。そのヘ ルモドロスを追放するということは、主観性が公的なロゴスに立ち勝り、それをないがしろにすると いうことであり、ヘラクレイトスの到底座視しうるところではありませんでした。ヘラクレイトスは 断固法(ノモス)を守る立場に立つ哲学者でした。 「市民は城壁を守るように、法を守るために戦わね ばならない」 (ヘラクレイトス、断片 B 44)と彼は訴えています。 「人間の法はすべて神の一なる法に よって養われている」 (ヘラクレイトス、断片 B 144)というのが彼の信念でした。ヘラクレイトスに とって法(ノモス)は人間のこしらえものなのではありません。ましてや主観性の手先などでは断じ てないのであって、むしろそれは存在の真理(ロゴス)であり、 「共通の神的なロゴス」のポリスにお ける現れに他ならないのであります。しかしソピストの時代にいたって「法」 (ノモス)が人為的なも のでしかないことが暴かれたとき、換言すれば、それが主観性のこしらえもの、その手先でしかなく なっていることが意識されたとき (まさにこのことがソピストの時代に起こりました) 、 それに鋭く 「自 然」 (ピュシス)が対置されねばならなかったのであります。ヘラクレイトスにおいては法(ノモス) は自然(ピュシス)の側にあり、それに主観性が対置されました。この構図がソピストの時代になっ て逆転しました。彼らにとっては法(ノモス)は主観性の側にあるのであります。それゆえそれに「自 然」 (ピュシス)が対置されねばならないのであります。ここでは法(ノモス)をめぐって世界が一変 してしまっているのであります。 ソピストたちによる「自然」 (ピュシス)の対置は、要するに、主観性に対する告発意識の表現なの であります。これは実に奇妙な現象であります。ソピストたち自身が前5世紀の後半の主観性の芽生 えによる現象であり、主観性の跳梁跋扈とも言えますが、ところがその主観性に彼ら自身が耐えられ ないのであります。このことは何を意味するのか。彼らはソクラテスのような確信した主観性ではな かったのであります。主観性を自らの原理とするまでには彼らはまだいたっていなかったのでありま す。彼らは主観性でありながら、まだ主観性を原理とすることを決意した存在ではなかったというこ とであります。彼らの中では「自然」 (ピュシス)の呼び声がなお反響していたのであります。法や宗 教や社会規範は所詮人間のこしらえもの、主観性の手先でしかないという意識が目覚めるや、それら を告発せざるをえなかったというところに、わたしたちは彼らの根底においてなお潜在層から語りか けている構造的な自然概念(ピュシス)の執拗な呼び声を聴き取るのであります。そのことを百も承 知でなお法を契約として正当化する近代人と対比するとき、彼らの立つ位置が一層はっきりします。 「契約」は基本的にプラグマティックな観念であり、すべてを人間関係の中で処理する決断をした近 代の主観性の哲学の基礎概念であって、その実質意味するところは彼らの哲学からの「存在」ないし 8 「自然」 (ピュシス)の排除なのであります。 「存在」ないし「自然」 (ピュシス)を徹底的に排除して、 法や国家を社会的関係の中にのみ基づけようとするときに持ち出される概念が「契約」なのでありま す。ここにはあくまでも存在ないし自然(ピュシス)から離脱しようとする近代哲学の根深い傾向性 が見られます。しかしそれらは所詮存在から遊離した仮構概念でしかなく、言ってみれば偽装であり ます。と言うのは、契約した覚えのある者など誰もいないからであります。近代社会はその根幹から して偽装社会であります。ところが、そのような近代人とは異なり、ソピストたちは本質的にはなお 自然哲学の系譜に属する哲学者たちだったのであります。彼らの中ではまだピュシスが残響していま した。ソピストたちを「ソピスト」というレッテルを貼って哲学者のカテゴリーから排除するのは、 「哲学者」という名称を「主観性の哲学者」に限定した場合にのみ妥当することであって、主観性の 哲学の一方的な押しつけと言わざるをえません。従来のソピスト解釈のように、彼らをただ跳梁跋扈 するプチ主観性としてのみ記述し、都会ズレした破壊的な自由思想家しかそこに見ないなら、彼らの 本質を見誤ることはもちろんのこと、 その歴史的意味に対して不当をなすことになるでありましょう。 彼らの活動の舞台となった啓蒙期のアテナイという都市環境に彼らを同化させてしまうなら、彼らの 真の本質は捕り逃されてしまわざるをえないでありましょう。しかし、意外なことに、ソピストたち は大抵田舎町の出身者なのであります。彼らにはどこかに田舎人特有の虚勢と都会人に対する意識の ようなものが感じられます。また「啓蒙期のアテナイ」と言っても、それを近代の啓蒙概念と等置し てはなりません。そもそも「アテナイの啓蒙」と「近代の啓蒙」は同じでないのであります。のみな らず、 「ソピスト」という彼らの身過ぎ世過ぎの生業でのみ彼らを見るなら、ソピストという現象の真 の意味は見過ごされてしまわざるをえないでありましょう。啓蒙的状況下に立ち現れた主観性であり ながら、潜在層からなお呼びかけてくる自然概念(ピュシス)の声によって自らを告発せざるをえな かった矛盾した意識がソピストという存在なのであります。主観性でありながら、未だ主観性という 自覚に立ちえなかった意識がソピストたちなのであります。 「ソピスト」という現象はそういった根源 の動向を垣間見せる生起なのであります。はっきり言えることは、一般にソピストたちは自虐的な存 在であったということであります。 しかしこの自虐性の内にこそ、 ひねくれた形においてではあるが、 存在の真理がなお閃き出ていたとすればどうでありましょうか。なぜソクラテスやプラトンがあれほ どにも悪し様にソピストたちを罵らねばならなかったのか、ここにその秘密はあります。あの尋常な らざる排斥によって、ソピストたちがなお「存在の声」であることをソクラテス、プラトン自身が誰 よりも雄弁に証言しているのであります。いずれにせよ、ソピストという現象によってわたしたちが 見まがいようもなく確認させられることは、主観性は自らに否定性を招かずにいない原理であるとい うこと、このことであります。主観性は己が身に告発を招来せずにいません。ここに主観性のいわば 宿業性があり、救い難さがあります。目覚めた主観性であるわたしたちはこのことをよく承知してお り、自らに向けられる否定性を何とか回避しようと日々悪戦苦闘してはいないでしょうか。自らが主 観性であることを仮装し、消し去ることに日々苦労してはいないでしょうか。わたしたちが主観性で ある限り、このわたしたちの苦労が止むことは恐らくないでありましょう。 したがって彼らの告発の中で真に対立していたものは「法」 (ノモス)と「自然」 (ピュシス)では なく、 「主観性」と「自然」であります。 「法」 (ノモス)は「自然」 (ピュシス)の側に立つこともあれ ば(ヘラクレイトス) 、 「主観性」の側に立つこともある(ソピスト)のであります。そしてその対立 関係の中で「自然」 (ピュシス)がとにかくもポジティブな意味対象となって浮かび上がっているので あります。しかし、繰り返して言いますが、ここで見間違えてはならないことは、「主観性」と「自然」 という二つの実的な対象がまずあって、それらが対立しているのではないということであります。こ 9 こではそのような気の抜けた対立関係が語られているのではありません。対立意識はもっと根深いも のであり、抜き差しならないものであって、主観性に対する根深い不信感、警戒感、嫌悪感、猜疑心、 主観性を告発すべきとする前反省的意識がそこにはあるのであり、それにこの対立は根ざしているの であります。したがってここでは対立の方が先であります。言い換えれば、対立の構造、差異の構造 がむしろ先にあって、その構造の中で、この場合には「法」(ノモス)と「自然」 (ピュシス)が対立項 として浮かび上がっているのであります。主観性との対立の構図の中で「自然」(ピュシス)が一定の 役割を果たす、そういう構造がそこに存在していたのであります。そしてそういう構造をギリシア人 はその言語の発生以来潜在的意識として持ちつづけていたのであります。したがって自然概念(ピュ シス)はギリシア人にとっては何よりも主観性との対立性をその内に蔵した構造として深く意識下に 伏在する、そのような潜在的な意味層であったと言うことができるでありましょう。しかもここでは 「自然」 (ピュシス)は主観性に対する否定性でしかありませんでした。もっとも「主観性」という概 念はギリシア人には言語的に未知の概念でしたので、自覚的にこのことが意識されていたわけではあ りません。それでもこの対立意識、差異意識は実に根深く、執拗であり、ギリシア哲学のさまざまな 局面において実にしばしば顕在化するのであります。 自らを嫌悪し、自らに吐気せざるをえないとは、主観性というこの原理は何という救い難い原理な のでしょうか。ヘラクレイトスが世界大火でもって人類を焼き亡ぼさざるをえなかったことを想うと き、ニーチェが三度の吐気をもって人類を否定せざるをえなかったことを想うとき、またハイデガー が近代社会に対して「存在の見捨て」 (Seinsverlassenheit)を通告せざるをえなかったことを想うと き、わたしたちは主観性というこの原理の救い難さを痛感せざるをえません。果たして人間はどこま で主観性なのでしょうか。言い換えれば、人間はどこまで救い難いのでしょうか。 主観性を否定する原理としてのピュシス 主観性が現れると、それを否定する原理としてピュシスもまた必ず立ち現れてくる。その具体的事 例。ソピスト再論。 ソピストについては前講で論じましたが、ここで再度「ソピスト」という現象を取り上げ、自然概 念(ピュシス)との関係性の中で考察したいと思います。 前項で見たようにソピストたちは前5世紀の後半のアテナイの啓蒙的状況下に跳梁跋扈したプチ主 観性と形容することができるでありましょうが、彼ら自身主観性であったために彼らは主観性にとり わけ敏感ならざるをえなかったのでありましょう。法も宗教も社会規範も人間のこしらえもの、主観 性の手先でしかないとのことを彼らははっきりと意識しました。それゆえ彼らはそれらに対して直ち に告発の言辞を発しなければなりませんでしたが、 その時、 その対立項として彼らが呼び出すものが、 前述のように、 「自然」 (ピュシス)なのであります。前5世紀の後半に「自然」 (ピュシス)がことさ らに顕在化してくるのはこのことの結果なのであります。しかしここで顕在化してくる「自然」 (ピュ シス)がポジティブな対象概念ではなく、どこまでも否定性でしかないことは前項で述べた通りであ ります。以下、彼らソピストたちの告発を具体的に聞くことによって、そこに生起していたのがどう いう事態であったか、再度確認しておきたいと思います。 エリスの人、ヒッピアスは「法」 (ノモス)を「自然」 (ピュシス)に反した多くのことを人間に強 制する「人間の僭主」 (ヒッピアス、断片 C 1)として告発しました。ヒッピアスにとっては、 「法」 10 (ノモス)はもはやそれを守るために市民が一致団結して戦わねばならない存在の真理(ロゴス)で はなく、むしろ自然に反した多くのことを人間に強制する規定でしかないのであります。次のプラト ンの報告から、 「法」 (ノモス)さえなければわたしたち人間は同胞相親しめたのに、 「法」 (ノモス) の自然に反した強制のおかげで互いに離反しているとのヒッピアスの無念の思いが読み取れます。 プラトン( 『プロタゴラス』337 C) プロディコスにつづいて知者のヒッピアスが語った。 「この場におられる皆さん、わたしはあな た方皆さんを同族であり、同胞であり、かつ同国民であると考えます。ただしそれは自然によって であり、法によってではありません。なぜなら互いに同類であるというのは自然によって同族なの であり、法は人間を支配する僭主であって、自然に反した多くのことを強制するからです。 」 この告発意識は『真理について』 (Περι της αληθειας )や『心の一致について』 (Περι ομονοιας)の著者とされるソピストのアンティポンにより鮮明に見られます。ア ンティポンによれば、 「自然」 (ピュシス)はそれだけで完結した統一をなしています。 「もし人がベッ ドを地中に埋め、腐敗が芽を出すような力を得たとするなら、そこから生じてくるものはベッドでは なく、木であろう」 (断片 B 15) 。人間の「法」 (ノモス)はそういった「自然」 (ピュシス)の統一に 外から加えられた余計な規定であるのみならず、大抵の場合反自然的であり、それゆえ有害ですらあ ると彼は言います。彼によれば、 「法」 (ノモス)とはこういった自然に反した余計で有害な規定でし かないのであります。それゆえアンティポンはこういった余計な人為的規定に過ぎない「法」 (ノモス) を守らねばならないという必然性はまったくなく、人は安んじてそれを破ってよいとしました。ただ し誰にも見られないことが肝要であると言います。 アリストテレス( 『自然学』B 1. 193 a 9) その証拠としてアンティポンは次のように言う。 「もし人がベッドを地中に埋め、腐敗が芽を出 すような力を得たとするなら、そこから生じてくるものはベッドではなく、木であろう。 」 パピュロス(オクシュリンコス・パピュロス XI n. 1364, ed.Hunt) 「なぜなら法の掟は付け足しであるが、自然の掟は必然的だからである。・・・ いずれにせよ、そ ういった疑いは法による正義の多くは自然に反した仕方で定められているという点にあるのであ る。と言うのも、法は目に対してはあるものは見なければならないとし、あるものは見てはなら ないとし、耳に対してはあるものは聞かなければならないとし、あるものは聞いてはならないと し、舌に対してはあることは言わねばならないとし、あることは言ってはならないとし、手に対 してはあることは為さねばならないとし、あることは為してはならないとし、足に対してはある ところへは行かねばならないとし、あるところへは行ってはならないとし、心に対してはあるこ とは望まねばならないとし、あることは望んではならないとするからである。 」 だが目は見、耳は聞き、舌は語り、手は為し、足は歩き、心は望むのであって、それらに加えられ た以上のような規定は、 アンティポンによれば、 まったく余計な人為的規定でしかないのであります。 余計であるのみならす、むしろ自然に反しており、したがって有害ですらあります。したがってそれ らにしたがわねばならないという必然性はまったくないというのが彼の主張するところであります。 11 「自然性」と「人為性」の対立がアンティポンの心中に鮮明に浮び上がっていることに盲目であって はなりません。 また自然の観点から見れば、わたしたち人間は皆同じように生まれついており、家柄とか祖先の立 派さとか、またギリシア人とか異国人といった区別、一般にどのような社会的、制度的、因習的な差 別もすべて自然に反しており、ナンセンスであることをアンティポンは指摘します。一切の人種的、 社会的差別や不平等、つまりすべての社会的悪はもっぱら人間の取り決めによることであって、自然 状態にありさえすればそういった嘆かわしい弊害は決して生じなかったであろうというルソーばりの 自然主義思想を次の主張から読み取る人もあるでありましょう。 パピュロス(オクシュリンコス・パピュロス XI n. 1364, ed.Hunt) 「と言うのは、自然によってはわたしたちは、異国人もギリシア人も、まったく同じように生ま れついているからである。・・・ わたしたちは皆な口と鼻で空気を吸い、皆な手を使って物を食べ るのだ。 」 このアンティポンの主張を近代的な人権意識と取り違えてはなりません。むしろこれらの主張にお いて前景に出ている意識は、 「法」 (ノモス)は、それがどのような形を取ろうとも、必ず自然に反し たものにならずにいないという意識であり、さらに言うなら、主観性はいかにしても是認されないと いう絶望的認識なのであります。人間に対するこういった絶望的意識がソピスト一般の共通意識であ って、人権意識が共通意識であったわけではありません。ソピストを前5世紀のギリシアに出現した 「絶望的意識」と形容した人がいますが、間違いとは言えないでありましょう。ソピストがある種の 深さと感じられるのは彼らが絶望的意識だったからであり、人権主義者だったからではありません。 プラトンは大抵の場合ソピストを軽佻浮薄な似非思想家として描いていますが、あの軽佻浮薄さの下 に深刻な絶望的意識が隠されていたとすればどうでありましょう。主観性が世界一般を蔽うとき、そ こに醸成される意識はこのようなどうしょうもない絶望的意識とならずにいないのであって、この理 をソピストたちの以上の言論は見まがいようもなく示しているのであります。彼らの言動はこういっ た絶望的意識から何とか逃れようとしたあがきと言えなくもないでありましょう。彼らの問題意識の 根の深さを認識しなければなりません。この問題意識は近代のあらゆる自然思想に通底しています。 プラトンの『国家』に登場し、 「正義とは借りたものを返すことである」などと語っているソクラテ スの煮え切らない議論に腹を立てて、俄然「正義とは強者の利益に他ならない」 (トラシュマコス、断 片 B 6 a)と主張した人物としてわたしたちに馴染み深いカルケドンの人、トラシュマコスもまた「法」 (ノモス)の人為性と恣意性を鋭く指摘したソピストと言うことができるでありましょう。彼によれ ば、 「法」 (ノモス)とはすべて強者の「法」 (ノモス)であって、実定法はその時々の権力者が己の利 益のために制定した勝手な規定に過ぎないのであります。 「法」 (ノモス)や正義は力があって、それ を制定することのできる者が自らの利益のために作ったものでしかないがゆえに、それが不利益にな ればいつでも廃棄してよいものであるとしました。この主張をトラシュマコスは自らの主張として提 起しているわけですが、その裏にあるものは、 「法」 (ノモス)と言ってもその程度のものでしかない というトラシュマコスのやはり絶望的意識なのであります。いかんとしても彼らが「人間」を肯定す ることはできませんでした。 プラトン( 『国家』338 C) 12 そこでわたし〔トラシュマコス〕は主張する、 「正義とは強者の利益に他ならない」と。 上のトラシュマコスとは反対に、カリクレス(出生地、生没不詳)は正義とはむしろ弱者の利益に 他ならないと主張します。 「法」 (ノモス)とは横暴な強者を制約するために弱者たちが考え出した狡 知でしかないというのがカリクレスの主張であって、それゆえ自然の観点からすれば、強者は弱者た ちのこのような法(ノモス)を無視して余計に取ってよいのであります。 プラトン( 『ゴルギアス』483 A) 「むしろ法を制定するのは弱い人間ども、多数の人間たちであるとわたしは思う。彼らは自分た ちのために、自分たちにとって利益となることのために、法を制定し、称賛したり、非難を加え たりするのだ。すなわち、人間どもの中で力があってより多く取ることのできる者たちを恐れさ せて、自分たちより多く取ることのないように、より多く取ることは醜いことであり、不正なこ とであると言うのだ。これがすなわち不正をはたらくということなのだ。すなわち他の者より多 くを得ようとすることがそうなのだ。思うに、彼らは劣った連中なのに、等しいものを得さえす れば満足するのだ。このゆえに法の上では多数の者より多く得ようとすることは不正であり、醜 いことであるとされ、それを彼らは不正行為と呼んでいるが、むしろ自然そのものは優れた者が 劣った者より、力ある者が力のない者より、多く取ることこそ正義であることを証しているよう にわたしには思われる。 」 こうなってくれば、 「法」 (ノモス)はもはや存在の真理でないことはもちろん、客観性すら認めら れないものとなります。トラシュマコスにしても、カリクレスにしても、 「法」 (ノモス)は勝手な人 為的規定以外の何ものでもないのであります。しかも横暴であるか、方便であるかであり、そこに公 的な必然性は微塵も認められていません。 「法」 (ノモス)の凋落は目を覆うばかりですが、主観性の 手にかかればすべてはこのような仕儀にならざるをえないのであって、その理を以上の諸主張は明確 に示しているのであります。こうなると、ヘラクレイトスにおいて「法」 (ノモス)がどうしてあれほ どにも「公的かつ神的なもの」(ο κοινος και θειος)として権威を持ちえたのか、 むしろ不思議な気すらしてきます。主観性が登場する前と後では意識の差はこれほどにも違うのであ って、その断絶の深さにわたしたちはあらためて驚かずにおれません。ここでは「法」 (ノモス)をめ ぐって世界観が一変してしまっているのであります。ここにあるのはもはや軽蔑と自嘲でしかありま せん。こういった「気分」 (Stimmung)が近代世界の基調でもあることにわたしたちは盲目であって はなりません。 宗教もまた彼らの懐疑の目を逃れることはできませんでした。ケオス島はイウリスの人、プロディ コスは伝統的な宗教に対して懐疑を表明した人として知られます。彼によれば、神々として敬われて いるものはそれらから得られる利益のゆえに人々がそうするにいたったものなのであります。 セクストス・エンペイリコス( 『諸学者論駁』IX 18) ケオスの人、プロディコスは次のように言う。 「昔の人々は太陽や月、河川や泉、一般的に言っ て、われわれの生活を利するもののすべてを、それらから得られる利益のゆえに神々と見なした 。例えばエジプト人はナイル川を神と見なしたが、そのゆえにまたパンはデメテル、葡萄酒はデ ィオニュソス、水はポセイドン、火はヘパイストスと見なされるのであり、有益なもののそれぞ 13 れもまたそうである。 」 またプラトンの母方の伯父に当たる30人執政官のひとり、クリティアス(前 403 年没)は、神々 とは、人間たちに神々に見つからずしては悪はなしえないという恐怖心を与えるために、ある古の賢 人が導入したものであるというプラグマティックな神観を表明しています。 セクストス・エンペイリコス( 『諸学者論駁』IX 54) クリティアスもまた、アテナイの僭主のひとりであるが、神を信じない人たちの一団に属して いるように思われる。と言うのは彼は、神々とは、人々が神々による処罰を気にして密かに隣人 に不正をはたらくということがないようにするために、人間の正しい行ないや誤りを監督する者 として、古の立法家たちが捏造したものであると言っているからである。 これらの主張において明瞭に認められることは、神がすでに対象的存在と化してしまっていること であります。そうなると、神々といえども自らの存在理由を弁明しなければならないのであって、そ のとき導入される光学は、 「それらは一体何のためにあるのか」というプラグマティズムの光学でしか ないのであります。しかしプラグマティズムの光学のもとではおよそ神々は生き延びることができな いことをプロディコスとクリティアスの前掲のテーゼは明瞭に示しています。 「ユーティリティ」 (有 用性)のみで構成されたプラグマティズムないしネオ・プラグマティズムの世界は存在から完全に遊 離したところに人工的に構築された世界であり、そこにあるのは完全なニヒリズムであって、そのよ うな環境の中ではおよそ神々は生きることができないのであります。神々もまた存在によって養われ ることによって初めて生きうる存在者だからであります。神々の故郷、その生存の土壌もまた存在(ピ ュシス)なのであります。梅原猛氏の言によれば、森なのであります( 「森の思想」 ) 。セクストスにお いてクリティアスははっきりと「神を信じない人たちの一団に属する人物」と認定されています。言 い換えると、 「無神論者」として識別されています。人間によって弁明されねばならないような神々は もはや神とは言えません。そのような神はもはや神としての威力を発揮しえないでありましょう。神 なき時代の明瞭な先駆けがここに見られるのであります。いかに信仰告白が熱意を込めて叫ばれてい ようとも、近代人が基本的にクリティアスと同じ局面にあることを否定することはできないでありま しょう。存在(ピュシス)から切れたところでは神々もまた生存しえません。無神論は主張なのでは ありません。無神論者たち自身はそれを自らの主張と思い込んでいるようですが、それは誤解であっ て、無神論は主張ではなく、主観性の存在性そのものなのであります。無神論を自らの主張と思い込 んでいる無神論者は自らの思い上がりを自戒すべきであります。人間はそのようなことを自分の主張 とできるような存在者ではありません。 これらの主張はいずれも法や宗教が人為的なものでしかないこと、言い換えれば、主観性のこしら えもの、その手先でしかないことを指摘するものですが、こういった告発的意識が前5世紀の後半に 主にアテナイを中心に跳梁跋扈したソピストたちの時代精神でした。彼らは共通して法や宗教や社会 規範を攻撃しましたが、そのことによって彼らは自らもまたそれであった主観性を告発していたので あります。そしてそれに対して彼らは共通して「自然」 (ピュシス)を対立項として持ち出しているの であります。しかし「自然」 (ピュシス)そのものは、既述のように、対象的存在でないがゆえに、ポ ジティブな対象として立てることはできません。 「自然」 (ピュシス)はどこまで行っても否定性でし かありません。しかしそれで十分なのであります。告発そのものが否定性の発露であるがゆえに、 「自 14 然」 (ピュシス)がその否定性の根拠としての役割を果たせば、それで十分だったのであります。真相 は主観性そのものにあります。主観性は否定性を身に招かずにいない原理なのであります。否定性を 自らに招来せずしては現れえないという点に、わたしたちは主観性という原理の宿業性を見ると言わ ねばなりません。そしてまさに前掲のソピストたちの諸主張においてわたしたちが見まがいようもな く見るものは、自らも主観性であったソピストたち自身が主観性に伴わずにいない否定性の表現にな っているということなのであります。ソピストたちは主観性に目覚めた哲学者たちでした。それゆえ 主観性原理の性格に鋭敏であらざるをえなかったのでありましょう。むしろその性格を鮮明に意識し た哲学者たちがソピストたちだったのであります。 ソピストたちをわたしたちはギリシアのおける 「否 定性の哲学者」と呼んで差し支えないのではないでしょうか。ソピストたちは主観性の否定面の表現 なのであります。それに対してソクラテス、プラトンはその肯定面の表現と言うことができます。そ してその否定面をソピストたちは「自然」 (ピュシス)という概念を対立項として使って表現したので あります。したがってソピストという現象からわたしたちが明確に学ぶことは、主観性が現れると「自 然」 (ピュシス)もまた必ず立ち現れてくるということであります。ただしそのときの「自然」 (ピュ シス)は主観性に対する否定性以外のものではなく、その実体は無であるということであります。こ れが本講義の語らんとする最も主要なテーゼであり、このことを示すことが本講義全体の目的である とすら言うことができます。テーゼ: 「主観性が現れると、自然(ピュシス)もまた必ず立ち現れてく る。 」ソピストという生起において見られた以上の諸現象もまた、存在と主観性の対立の一現象形態だ ったのであります。 以上の観察はわたしたちを暗澹たる気持にさせずにいないものがあります。主観性の手に帰せばす べてが駄目になってしまうということであります。このことをわたしたちは前世紀の全般にわたり猛 威を奮った主観性の一イデオロギーのもとで体験しました。法も宗教も国家も人倫も、主観性のもと ではそれ本来の力を失い、カリカチュアになってしまいます。そのようなものは、ソピストならずと も、もはや告発と軽蔑の対象でしかありません。主観性原理の浸透によって生じる荒廃の最初の例を わたしたちは前5世紀の後半のアテナイにおいて見るのであります。この事態にソクラテスは一層強 力な主観性によって対処したわけですが、結果は人類にとってなお一層宿命的でした。ソクラテス的 原理の帰結である近代世界の荒廃は前5世紀のアテナイのそれの比ではないのであります。はっきり と言えることは、主観性によって構成されたような世界に救いが存することはないということ、この ことであります。そこは基本的にニヒリズムと荒廃の世界であり、存在が脱去した世界であります。 故郷を喪失したこのような世界になおどのような救いがあると言うのでしょうか。そこに真のパトス が生まれることはありえず、そこではすべては冷え切っています。ニーチェがギリシア人の悲劇的パ トスの喪失を残念がった気持ちが今更にして懐かしく感じられます。ソクラテスは冷えた男でありま す。ニーチェの洞察によれば、理性概念によってその根底を掘り崩すことによってギリシア悲劇を自 殺に追い込んだ男こそソクラテスなのであります(ニーチェ『悲劇の誕生』参照) 。 以上はギリシア的意識において「自然」 (ピュシス)という構造的概念が果たしていた役割の一例で すが、これは一般的な性格のものであって、何もギリシアにのみ限定したことではないかも知れませ ん。しかしギリシア哲学に対する自然概念の規定性はこの程度のことでは済みませんでした。一個の 哲学をまるまる決定した例すらあります。アリストテレスの哲学がそれであります。次にアリストテ レスの哲学の中で自然概念(ピュシス)が果たした役割を見ることによって、その規定の根源性を再 度確認しておきたいと思います。 同志社大学大学院文学研究科「古代哲学史特講」 (Ⅰ・Ⅱ)講義録 15