...

白黒テレビ 氷の張った洗面器 毎日の手伝い

by user

on
Category: Documents
20

views

Report

Comments

Transcript

白黒テレビ 氷の張った洗面器 毎日の手伝い
ブロック会議
H23.3.3(木)
№21
家庭数配付
本校のホームページでも
見ることができます。
毎年2月、ブロック会議の案内が届きます。広い東部地
区を5つに分け、地区長さんや町内会長さんなど関係者が
集まり、地区の課題などについて話し合われます。
毎年、4つのブロックからお呼ばれし、他と重ならない
限り私が出席するようにしています。日頃、安全安心に関
する指導や温かい声がけをいただいていることに感謝申し
上げ、地区の課題を知り諸情報を得る貴重な場です。
今回から全ブロック共通テーマによる話し合いはやめ、
「見守り・声がけによる地域づくり」
「少子高齢化社会を支
える地域づくり」など、ブロックごとのテーマで話し合わ
れました。
その2
白黒テレビ
近所にはじめてテレビが入ったのは、私が小学3年生の時ですから昭和34年頃にな
ります。大相撲放映の時間になると、その家に行って見せてもらいました。たくさんの
子どもたち、大人も混じっていました。私の家でテレビを買ったのは5年生のときだっ
たと思います。当時は、NHKだけの放送で民放はまだできていなかったように思いま
す。今とちがって、はじめは一日中放送されているわけではなく、夕方から10時ころ
までの放送でした。学校から帰ると、『ちろりん村とくるみの木』(その後が『ひょっこ
りひょうたん島』)などを夢中になって見ていました。この頃からNHKの『みんなのう
た』が始まり、大好きな番組の一つになりました。
カラーテレビが普及したのは、東京オリンピックの頃からで、当時のお金でも1台 40
万円くらいしました。大変、高価なものでした。
氷の張った洗面器
私の住む地区に水道が引かれたのはいつの頃だったでしょうか。まだ水道がなかった
小さい頃は、手押しポンプで井戸から汲み上げなければなりませんでした。冬の寒い朝、
前の日、洗面器にくみ置きした水には時々氷が張りました。氷を割って冷たい水で顔を
洗ったのを覚えています。タオルも凍りましたから、
時には沸かしたお湯を水に足して洗いました。
毎日の手伝い
小学生の時の、私の毎日の手伝いは雑巾がけでした。
現在住んでいる前の前の建物でしたから、今のような
サッシ窓はありませんでした。隙間だらけの古い家で
した。道路も舗装されていませんでしたから、風のあ
る日、家の廊下は砂埃で真っ白になりました。
米沢の伝統人形
~相良人形 21
「おひな様」
「おだいり様」
朝と夕方の2回、1階と2階の廊下が担当でした。
“ずぼこり”のひどい日は二度拭き
しなければならず、また冬の寒い日は冷たい水で雑巾を絞らなければならず、いやでい
やでたまりませんでした。奥の暗いところはおっかなかったり、変な虫の死骸も落ちて
いました。ちょっと手を抜いたりごまかしたりすると、すぐにわかって怒られました。
でも、お客さんから褒められてうれしくなったり、きれいになった黒光りする床を見て
気持ちよく感じたりしたのを思い出します。
今では雑巾がけは滅多にしなくなりましたが、
「理にかなった掃除の仕方」
(たとえば、
板目や継ぎ目に方向にそって拭く、正しい雑巾の絞り方など)は身につきました。
手伝い~その2
私が住んでいる地区には、牛乳配達は来ていませんでした。私の体が丈夫になるよう
にと、祖母は近くの牛を飼っている農家から牛乳を取り寄せ、飲ませてくれました。う
すめていない生乳でしたから殺菌する必要があり、弱火で温めて飲みました。表面に張
った薄い膜(カゼインというタンパク質であることは、大きくなってから知りました。
栄養価が特に高いそうです。)を、妹と取り合ったりもしました。
4年生くらいになってからは、私が牛乳を取りに行く担当になりました。一升びんを
風呂敷に包み背中に斜めにしばって、自転車に乗って運びました。でも雪の降った冬は
歩いて取りに行かなくてはなりませんでした。待つ間に嗅いだ牛舎のにおいや農家の藁
のにおいは、今でも覚えています。
手伝い~その3
私の祖母は、私が生まれる前は置賜駅前で店を開いて
いました。そのせいか商売っ気が抜けず、私が小学生の
とき、酒粕運びを手伝わされました。祖母と一緒に汽車
(まだ電車ではありませんでした。)に乗って隣り駅の米
沢まで行き、駅近くにあった浜田酒造で酒粕を仕入れ、
米沢の伝統人形
~相良人形 22
風呂敷に入れて家まで運びました。次に家のわきの停留場
「鳥抱き童子」
からバスに乗り、注文のあった農家まで一緒に運びました。
「おだいり様」
ときどき、お菓子などの駄賃をもらうのが楽しみでした。酒粕のにおいを嗅ぐと、ずし
りとくる酒粕の重さとともに、その頃のことが思い出されます。
NHK『みんなのうた』
先の「白黒テレビ」でもふれましたが、NHK『みんなうた』のテレビ放送が始まっ
たのは、私が小学5年生の頃ではなかったかと思います。
「おお牧場はみどり」や「クラ
リネットこわしちゃった」
「ちいさい秋みつけた」など、大好きな歌がたくさんありまし
た。今でも私の体に染み付いていて歌うことができます。
『みんなのうた』や童謡のカラオケがあり、
『みんなのうた』を思いっきり歌ってみた
いなあと思います。
※NHK『みんなうた』のホームページを見たら、なんと今年がちょうど50周年でした。
1961年4月(私が小学校5年生になったばかり)から放送が始まったのだそうです。
Fly UP