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Page 1 京都大学 京都大学学術情報リポジトリ 紅
Title Author(s) Citation Issue Date URL ウェルギリウスの歴史叙述 : 『アエネイス』第6巻の解釈 を中心として 山下, 太郎 西洋古典論集 (1994), 11: 118-135 1994-03-30 http://hdl.handle.net/2433/68617 Right Type Textversion Departmental Bulletin Paper publisher Kyoto University ウェルギ リウスの歴史叙述 『アエネイス』第 6巻の解釈を中心 として 山 下 太 郎 1.はじめに 『アエネイス』第 6巻の冒頭 において,主人公アエネアスはへ レヌスの指示 3 . 4 5 3 f f . ) ,シビュッラの予言を求めてアポロの神殿に赴 く( 6 . 9 f f . ) 。 した通 り( 詩人はここでいったん物語の進行を中断 し,神殿 にまつわる縁起物語を紹介す 6 . 1 車9 ) ,すなわち,噂 ( 6 . 1 4f a m a)によるとダエダルスはミノスの王国を る( 逃れ, クマエに到着するとアポロを祭る巨大な神殿を建造 したという.続 く箇 所では,この神殿の扉 に刻まれたダエダルスの絵 に関 して次のような描写が行 6 . ∑ o f f . ) 。 われる( 扉 にはアンドロゲオスの死が,ついで,あわれ,罰を償 うよう命 じられたア テナエ人の息子たちの体が描かれる.毎年七人の若者を捧げることが定め ら れていたのだ.我 を引 く壷 も立 っている.もう一方の扉 には隆起するタレタ の大地が海 に答えている. ここには牛への狂お しい愛,人 目を忍び契 りを交 わ したパシバエ, さらには混血の子 , 道ならぬ愛の記念,すなわち二つの姿 をもつ ミノタウルスが描き込 まれる。一方こちらには困難をもたらす館 と解 くことのできない迷路 とが描かれている. しか し王女 (アリア ドネ ( 1 ))の 激 しい愛に同情 したダユダルスは, ( テセウス (2)の)盲 目の足取 りを糸を 使 って案内し, 自ら館の欺 きの仕掛けと迷路の謎 とを解 き明か した。汝 もま たイカルスよ, 父の悲 しみが許 したならば, これ埠どの作品の中に大 きな部 分を占めたことだろう。ダエダルスは二度息子の悲劇を黄金に彫 り込 もうと 試みたが, この父の手は二度 とも地 に落ちた。 ここに示されるのはエ タフラシスと呼ばれる叙事詩の伝統的技法であ り, 『ア 4 6 6 9 3 ) においても認め られる (3) エネイス』では,第 1巻のユノの神殿の絵 ( オ-ステ ィンはこの対応関係を認めた上で,各々の主題の相違に注意を促 して - トロイア戦争) いる (4)。 すなわち,ユノの神殿にはアエネアス自身の体験 ( -1 1 8- が描かれるのに対 し,ダエダルスの扉絵 には神話的エピソー ドが語 られる, と. これはむろん明白な事実である。だが ここで注 目したいことは, これ らの図柄 と物語の進行 との関わ りの相違である.第 1巻 において,主人公は未知の土地 1 . 1 5 7 f f .) ,心中不安 と希望が交錯する (5) . ( カルタゴ)に漂着 し ( しか し, ユノを両る神殿に自らの体験を主題 とする絵を見出したとき,大いなる救済の . 4 5 0 2 ) .事実,絵の内容 に関 して簡単な言及が 確信を得たことが示 される ( 1 なされた後 , アエネアスは次のような励 ましを部下 ( アカテス) に与えている ( 1 . 4 6 2 3 ) . ここには人の世の営みに対する涙がある. 人間の行いは心の琴線 に触れる. 不安を取 り去るがよい.ここに描かれる名声は何 らかの救済を我々にもた ら すだろう. この言葉は,続 く場面 におけるデ ィドの最初の言葉 と対応することが明らかで . 5 2 2 f f . )に対 して次のように答 ある.デ ィドは救済を直訴するイリオネウス( 1 えている. トロイア人よ,心か ら恐れを追い払い,不安は取 り去るがよい (6)。 ・・・ アエネアスの一族 について知 らない著がいるだろうか。 トロイアとその国民 , その武勇の誉れ, またあれほどの戦争の猛火について知 らぬ者は一人として . 5 6 2 6 ) いない. ( 1 この対応は緊密なものであ り,アエネアスがデ ィドと対面する場面 ( 1 . 5 9 5 f f . ) をスムーズに導入する上で重要な意味をもっと考えられる。 これに対 して,第 6巻冒頭で語 られるダエダルスのエピソー ドは,必ず しも 物語の進行 と密接な関連を有 しない。む しろいつまでもこの絵を眺める トロイ アの一行に対 し,シビュッラは 「 今は汝 らにとってその絵を眺める時ではない」 ( 6 . 3 7 )と言い放つ.従来 この扉絵の意義 については,ここで示される神話上の エピソ- ドと第 6巻の他の箇所 との関連が重視 されるようである (7). だが, いずれの説 も単なる対応関係の指摘に過ぎなか った り 象徴的解釈の域を出な , いように見受けられる.本稿では 『アエネイス』第 6巻 に繰 り返 し見出せる叙 述技法の特徴 に注 目することにより,このエピソ- ドの意義 を考えることにす る。 このとき,ユノの神殿の絵 との関連 についても,新たな視点で捕え直す必 - 110 - 要が出てくるだろう (8) 2.第 6巻 における叙述技法の特徴 6 . 2 0 33 )に入る前 に,神殿の建造 に関する物語 - ダエ 詩人は扉絵の描写 ( ダルスの神話上のエピソ- ド- を紹介する。アユネアス一行にとり, 目の前 の神殿は現実に存在するものであるが,ダユダルスがこれを建てたかどうかに a m a ( 6 . 1 4 ) の語はこのことを示唆する (9)。 だ ついては何 ら確証をもたない.で 間投詞 mi s e r u m( 21 ) が詩人は扉絵の描写を進めるうちに, 感情移入を始める ( に注意). とくに, この描写の最後の部分おいて,絵に描かれていないイカル スの悲劇に触れ, 「 汝 もまたイカルスよ,父の悲 しみが許 したな らば,これほ どの作品の中に大きな部分を占めたことだろう。ダエダルスは二度息子の悲劇 6 . 30 を黄金に彫 り込もうと試みたが, この父の手は二度 とも地 に落ちた.」( 3)と締め括る.イカルスへの呼び掛け ( 10)は臨場感を高め, この言葉がアエネ アスの心中を代弁 しているかのような印象を与える.噂 として聞いていたエピ ソー ドはもはや噂ではな く,絵を刻もうとして刻めなか った著の悲 しみが (ア ユネアスおよび読者の)心の中でまざまざと蘇る.だが このときアカテスがシ ビュッラとともに現れ,叙述は現実の世界に引き戻される。そ してもし彼 らが o m n i a ) を飽かず眺めていただろう」 現れなければ, 「 一同は目によってすべて ( ( 6 . 33 4 )といわれる。 「 すべて」を詳述する機会 一 意志ではない - は先わ れるものの,初めに 「 噂」 として挙げ られたダエダルス ・エピソ- ドの真実性 は損われることなく読者の胸 に刻まれる。 ところで, 欝6巻26 4 7において,詩人は次のような祈 りの言葉を冥界の神 々に捧げている. 冥界を支配する神々よ,沈黙の影たちよ,おお混沌よ,プ レゲ トンよ,静寂 の限 りな くひろがる夜の世界よ,聞いたこと( au di t a)を語ることが私に許 さ れるように.汝 らの神意によって, 地中深 く暗黒に覆われた出来事を明らか にすることが許されるように. この表現についてオーステ ィンは叙事詩の伝統的技法であるとして, 『イ リア ス』第 2歌 4 8 4 行以下 との関連を指摘する ( l l ). -1 2 0- 今 こそ私 に語 り給え,オ リュンボスに住 まうムーサたちよ - 汝 らは女神で あ り,その場に居合わせ万事を知 ?ているが,一方我々は,ただ噂 ( kl e o s ) を聞いているだけで何一つ知 ってはいない - ダナオイ勢の将軍たちや指揮 官たちが どのような人々であったかを.イリオス城下に結集 したこれほど多 くの軍勢 については,たとえ私に舌が十枚,口が十あったとしても,また暖 れることのない声 と青銅の胸があったとしても,もしオ リュンボスに住 まう ムーサたち,アイギスをもつゼウスの娘たち,汝 らが教えて くれなければ, 私 には語ることも名を挙げることもできないだろう.では軍船の将軍たちと 船隊の名を,これか らあまね く述べることにしよう. その場に居合わせ万事を知る者」 と, (B) 「ただ噂を聞い ここには (A) 「 ているだけで何一つ知 らない者」の対比が認められる. 『イリアス』の詩人は 「 噂を聞いているだけの者」であるにも関わらず,ム-サの恩寵 に与ることで 軍船の将軍たちと船隊の名を 「あまね く」( c f . 2 . 4 9 3pr o p a s a s )語る意志を表 明する.むろん,文字通 りすべての名を列挙するというのではな く,詩的技巧 を凝 らして全体を描 こうというのである.実際には 「 部分」を描 くに過ぎない が,読者には 「 全体」が描かれていると判断されるような工夫を詩人は凝 らす 6 . 2 6 4 7 ) ことになる (12). 他方,今挙げた 『アエネイス』における祈願の言葉 ( において,詩人は 「聞いたこと」 ( -噂)を伝える立場 にあることを認める一 方,冥界の神々に祈 りを捧げることによ り,自ら 「 暗黒に覆われた出来事を明 らかにすること( p a n d e r e ) が許 される」 と考える.p a n d e r eには真実を明らかに するという含意が認められる ( 13) . ところで, この (A) と (B) の対比は,冒頭の扉絵の記述においても見出 せるものである.ここでは, 自己の体験を神殿の扉に彫 り刻んだダエダルス と それを 「 噂」 ( 6 . 1 4f a m a )として聞 く者の対比が見 られる.ダエダルスは扉絵 の出来事を直接体験 した者,すなわち (A) 「その場に居合わせ万事を知る者」 とみなしうるが,詩人は,あ くまでこの神話上の出来事を ( B) 「噂 ( f a m a )と 一部」 して聞 く者」で しかない.だが,ちょうどダエダルスが 自己の体験の 「 を描 くにとどめる - イカルスの悲劇を描かない - ことによりその経験の真 実性をあます ところな く伝えるように,詩人はシビュッラとアカテスを登場 さ せ扉絵の叙述を不意 に切 り上げることで,かえってダエダルス ・エピソー ド- 6 . 3 3o m ni a )- の真実性を印象的に伝えている. 「 噂」の 「全体」( この工夫は,第 6巻の他の箇所を検討するとき,いっそう明瞭に理解される - 121 - だろう・この巻の中ほど( 6 ・ 5 4 8 f f ・ )にはタルタルスの描写があるが `14㌦ この 記述の初めに見 られる 「タル タルスのプ レゲ トン」( 6 . 5 5 1 )という表現は,先 に見たプ レゲ トンへの呼び掛け ( 6 . 2 6 5 )を想起 させる. この対応が示唆す るよ うに, タル タルスの描写はい くつかの点で,冒頭の扉絵および冥界の神々への 祈 りの表現 と緊密な対応関係 を示 している.まず, この描写が始 まる直前 にお いて,シビュッラはいっまで もデイポブスと語 り明かす アユネアスに対 し, 「 我 々は涙を流 していたず らに時を過 ご している」 ( 6 . 5 3 9 )と注意を与え,吹 のようにいう. ここで道は二手に分かれている.右手は偉大なデ ィスの城塞の下 に続 く道で, 目指すエ リ羊シウムへの道 となる.一方左は窓人たちを処罰 し,容赦ないタ ル タルスに送 り込む道である. ( 6 .5 4 0 3 ) ところが続 く箇所において,詩人は期待 されるエ リュシウムへの行程を記述 し てい くのではな く,逆 にタルタルスの描写を開始する( 6 . 5 4 8 f f . ) . このように 物語の展開を意図的に遅延させる手法は,巻頭のダエダルスの扉絵の場合 にも 見 られたものである. アユネアスはタル タルスの城塞の中か ら叩 き声や鞭の響 き,鉄の鎖の乱む音 を聞 き,シビュッラにこう尋ねる. いかなる罪の姿か,査女よ語 って くれ.どのような罰を彼 らは受けているの 6 . 5 6 0 1 ) か.上空 に昇るあの大 きな叫び声は何なのか. ( これ に対 し査女は次のように語 り出す ( 6 . 5 6 2 5 ) . テウケルの末商たちを率いる誉れ多 き長よ,汚れなき者 には汚れた者たちの 敷居 に踏み入ることは許 されない. しか しへカテがアウ ェルヌスの杜の長 に と私を任 じたときに,女神御 自身が神 々の与える罰を教え,またすべての場 所 を案内 して くれた. このや り取 りでは,アエネアスの問いが叙事詩 における伝統的なムーサへの呼 び掛けに類似 していること (15) ,アユネアスはタル タルスに足を踏み入れず, かわ りにシビュッラの見聞を聞 くとい う設定が用意 される点が注 目される.つ -1 2 2- まり,先に見た 『イ リアス』 との関連でいえば,アエネアスは (B) 「ただ噂 p e r q u e を聞 くだけで何一つ知 らない」立場に置かれる一方, 「 すべての場所 ( ( A) 「その場 に居合わせ万事を知る者」 o m ni a )を案内された」 シビュッラは の役を演 じ,その見聞をアエネアスに伝える資格をもつ.他方,今挙げたアエ ネアスの問いに対 して, この見聞を締め括る箇所でシビ ュッラは次のように答 6 . 6 2 5 7 ) . えている ( た とえ私 に百の舌,百の口,鉄の声があるとしても,すべての ( o m ni s ) 罪の 姿を数え上げ,すべての ( o m ni a ) 罰の名を挙げることはできないだろう. この表現が先の 『イ リアス』の詩人の言葉 と酷似する点は明白である (16). 請 人は字句通 り 「 すべて」の名 を挙げることはむろんできない.む しろ,何 らか の詩的技巧 を用いて 「 全体」を表す意欲のあることをここで示唆 していると解 される (17). 続いてシビュッラは 「さあ今は道を急げ,取 り掛かった責務を全 うするがよ い.」 ( 6 . 6 2 9 )と述べ,見聞談を不意 に切 り上げる.この展開は再び第 6巻 冒 頭を想起させ るだろう.そこでは,神殿の扉絵を眺めていた トロイア一行に対 し, シビュッラが 「 今は汝 らにとってその絵を眺める時ではない」 と注意を促 す ことによ りダユダルス ・エピソー ドが不意に打ち切 られていたのである. こ c f . 6 . 3 3o m ni a , れらの箇所 において,詩人は取 り上げたエピソー ドの 「 全体」 ( 6 2 6o m ni s ,6 2 7o m ni a )を物語る構えを示唆 しなが ら,実際 にはそれを描写す 語 られなか った全体」 る機会を途中で放棄す る.読者は 「 語 られた部分」から 「 に思いを馳せるよう促 されるであろう.ダユダルス 。エピソー ドの真実性 に関 しては,ダユダルスが残 した扉絵そのものが動かぬ証拠を与えていた.一方 タ ルタルス ・エピソー ドについては,これが真実を語るシビュッラ ( c f . 6 . 1 0 0 ,6 . の言葉を介 して描写 される点に注意 したい.さらにこのエピソ- ドの導 1 8 8 9 ) 入部では,アユネアスが タル タルスの城壁の外観 - プ レゲ トンに囲まれ,チ ィシポネが見張 っている - を実際に眺めていること( 6 . 5 4 8r e s pi ci t ,6 . 5 4 9 ui d e t ) ,またその内部か らのうめき声,鞭打つ音,鉄や鎖をひきず る音を耳 に 6 . 5 5 7e x a u di r i ) ,驚博のあまり( 6 . 5 5 9e x t e r r i t u s ) 足を止めた ことが示 さ し( れる。すなわち,アエネアスはタルタルスの内部 を見ることは許 されないもの の,その描写 に関 しては,視覚的にも聴覚的にも最も臨場感のある舞台の上で, 最 も真実を語 ると期待 される人物の言葉を耳にする.このような舞台設定 にも, -1 2 3- エピソー ドの真実性を効果的に伝えようとする詩人の技巧の跡を認めることが できる. ところで, 「 全体を表す」 というモチーフは,第 6巻の巻末 ( 6 . 6 7 9 f f . )にお いて繰 り返 し見出せ る. このエピローグの導入部 において - す なわちアンキ セス とアエネアスの再会の場面 に先立つ箇所で - アンキセスは未来のローマ 6 . 6 81l u st r a b at ) ,子孫の 「 すべて」( 6 . 6 810 m n e m q u es u o r u m ) 人の霊を眺め ( の名を数え上げていたことが示 される ( 6 . 6 8 2r e c e n s e b a t ) .一方,詩人は未来 の偉人たちに関する記述 - 従来 「 英雄のカタログ」と称 される (18) - を終 えると 次のようにい う( 6 . 8 8 6 9 ) . , このように彼 らはすべての場所 ( t ot ar e gi o n e )を見て回 り,ひろ く霧の掛か o m ni al u s t r a nt ) .アンキセスは った平原ですべて ( の英雄の霊)を眺めた ( p e rsi n g ul a ) 息子を導 くと,やがて得 られる誉れへ それ ら一人一人の間に( の情熱によってその心 に火をつけた. . 6 8 1o m n e m q u eと 6 . 8 8 7o m ni aの対応,6 . 6 811 u st r a b atと 6 . 8 9 7 表現上,6 の対応が注 目される. また,6 . 6 8 2r e c e n s e b atと 6 . 8 9 8p e rsi n g ul a 1 u st r a n t d u xi t は合意する意味 において響 き合 う (19). 第 6巻のエピローグでは, この 枠組み - 「 全体」の記述を志向する詩人の姿勢を強 く示唆する - の内部 に おいて,アンキセスが将来生 まれ来るローマの偉人たちをアユネアスに示す と いう設定がなされている ( 20). アンキセスは初めに 「 小高い場所 を選び,そ こ か らすべての魂が長い列をつ くり( o m ni sl o n g oo r di n e(21))向かい来るのを眺 e g e r e) ,近付 く者の顔がよ くわかるように した」 といわれる ( 6 . 7 5 4 5 ) . め(l 一人一人の顔 を識別することと,魂の長い列の全体を鳥轍することは,上で見 てきた 「 部分」 と 「 全体」の対比 として理解で きるだろう. また巻頭のダユダ ルスの扉絵の描写 において, 「 一同は 目によってすべてを飽かず眺めていただ ろう」 ( 6 . 3 3 4 )といわれていたが,表現上,o m mi a -p erl e g e r e nt( 6 . 3 3 4 )と o m ni s-l e g e r e( 6 . 7 5 4 5 ) の対応は明らかである.扉絵の描写 において,詩人は i cの反復 この絵のデ ィテールを詳 しく描 く一万 - h ( 6 . 2 4 , 2 7 )に注意 - , 絵の 「 全体」を表す語 としてo m ni aという語を用いていたことが想起 される. ところで,詩人は未来のこととして - すなわちアエネアスにとっては未知 ( c f . 6 . 7 1 1i n s ci u sA e n e a s )の こととして - これ らの英雄の国家への貢献 と 活躍を紹介 しているが, このローマの未来 に関する予言は, 『アユネイス』を -1 2 4- 読む読者にとっては,むろん過去ない しは現在の出来事である.読者はアユネ アス とは異な り,エ リュシウムの場には居合わせないけれども,アンキセスの 語る一人一人の人物名,およびその人物 にまつわるエピソ- ドのすべてをあ ら か じめ知 っていることが期待 されている.詩人はここで文字通 りすべてのロー マの偉人の名を挙げているわけでは決 してない.だがこれを読む者は,まるで 自分が未来を予言す るアンキセスと同様 に過去か ら現在 に至るローマ史の 「 全 体」 - ローマの運命 ( 6 . 6 8 3f a t a q u ef o r t u n a s q u e , 7 5 9t u af a t a(22)) を知 っているかのような錯覚に襲われるであろう. このような 「アンキセスと読者の共通の視座」 というモチ-フは, 「 英雄の カタログ」の末尾を飾るマルケ ッルスの記述においてい っそ う強調 される (23) アンキセスは, この若者 について涙なが らにこう語る( 6 . 8 6 8 8 6 ) . おお息子よ,おまえの一族の大 きな悲 しみについて尋ねるな.運命はこの子 を地上にただ見せ るだけで,それ以上長 く留まることを許 しては くれないだ ろう.神 々よ,ローマの子孫はあなた方にはあまりに力あるもの と映 ったの であろう, もしこの贈 り物が永 くローマのものであったならば.-ああ,哀 れな子よ,おまえが厳 しい運命を打ち破 って くれたなら。おまえはマルケ ッ ルスとなるのだ.両手一杯 に百合をくれ.紅の花を撒 くのだ. この子孫の魂 の上 にせめてこの贈 り物を山のように捧げ,虚 しい務めを果たす としよう. アンキセスの言葉に込め られた万感の思いは, この若者の死を弔 ったばか りの ウェルギ リウスの同時代人に共通する心持ちであ っただろう (24)。 とりわけ, 父と子 を示す語の反復 ( 8 5 4 , 8 6 3 , 8 6 4 , 8 6 7 , 8 6 8 , 8 8 2 ) は,いやがお うでもマルケ ッルスを失 ったアウダス トゥスの悲 しみを推測せ しめる (25). だが,まさにそ の点において, この記述は第 6巻初めの扉絵の叙述 と対応するのである.イカ ルスを失 ったダエダルスの悲 しみは‥ 息子の悲劇 を自ら扉絵 に描 き得なか った 事実 - 少な くともアエネアスにはそ う思われたはずである - を想起するこ とでよ り強 く胸 に迫 る.同様 に,詩人はここでアウダス トゥスの悲 しみに一切 言及 しないにも関わ らず,その計 り知れない大 きさを印象づけている (28). 扉 絵の描写における詩人の感情移入についてはすでに触れたが,マルケ ッルス ・ エピソー ドではそれがいっそ う強い形で現れる.ダエダルス ・エピソー ドはあ くまで神話上の出来事 にまつわる 「 噂」であるのに対 し,マルケ ッルスの死は アウグス トゥスはもとよ り,ウ ェルギ リウスおよびその読者の身近で起 きたあ ー1 2 5- まりにも痛 ましい事件であった.これを読む者は,ローマの未来を予言 した記 述の真実性を決 して疑い得なか ったであろう (27). このように詩人は現実のロ-マの出来事 - アウダス トゥスによる平和国家 の樹立,マルケ ッルスの死など - を詩 における未来の出来事 として予言 して いる. このとき,詩人 自らが (A) 「その場に居合わせ万事を知る者」の立場 6 . 71 1i n s ci u sA e n e as ) の立場 と対 を代表 し, 「 何 も知 らないアエネアス」 ( 比されることになる.なるほどシルウ ィウスやロムルスを初めとする伝説上の 人物への言及 に関 していえば,詩人はあ くまでも (B) 「ただ噂を聞いている だけで何一つ知 らない者」の立場に終始する.だが,アウダス トゥスやマルケ ッルスに関する記述を読み, ここに真実の語 られていることを確信する読者は, 他の叙述に関 しても同様に真実であるとの印象を抱 くであろう (28). 他方,巻頭で扉絵を見るアユネアスにとり,ダエダルスのエピソー ドは 自ら の体験 ( 扉絵を見るという行為)に先行する歴史上の出来事 として把捉される. 6 . 5 4 8 ff .)においては,神話に登場する神や人間 またタルタルス ・エピソー ド( の名 ( ラダマ ン トゥス,テ ィシポネ,ヒュドラ,大地 ( ゲ-),テ ィタンの種 族,エビテル,サルモネウス,テ ィテ ユオス,イクシオン,ピリ トウス,テセ ウス,プ レギ ュアスなど)が挙げられる一方で,固有名詞を伴わない一般化 さ 6 . 6 08 f f .(29)). 言い換えれば,a et e r n u m qu e れた罪人の種類が語 られている ( の表現が示唆するように,神話 と普遍化された人間の世界が ここで描 ( 6 . 61 7 ) かれていることがわかる.これは本質的に現実の歴史的世界 とは異なるもので ある. しか し,ステ ユクスを守るカロンは,アエネアスに対 し, 自分がかつて へル クレスやテセウス,ピリ トウスを舟 に乗せて渡 したことを認めている ( 6. 3 9 24 ) .このうちテセウスとど リトウスは,タル タルス ・エピソ- ドにおいて も言及 されている( 6 . 61 7 2 0(3 0)).とくにテセウスについて整理すれば,アエ 6 . 3 9 3 )( 過去),今罪人 としてタルタルス内 ネアス以前 に冥界に降 りたこと( 6 . 61 7s e d et )( 現在),そ して永久 にここに座 り続けるであろ 部にいること( うこと( 6 . 61 7 a et e r n u m q u ese d e bi t )( 未来)が明示されている.すなわちテセ ウスの神話上のエピソー ドは,アエネアスの体験 と時間的に前後関係をもつも ∫ のとして語 られる点が注 目される.この叙述技法は,ダエダルスの扉絵の描写 - ここではテセウスのクレタ島におけるエピソー ドが暗示される - におい てすでに認め られるものといえる.他方 これとパラレルをなす形で,詩人はア エネアスの物語を読者の生 きる現実世界か ら見た過去の出来事 として紹介 して いる.アエネアスによるローマ建国の物語は元来神話上の出来事 とみなされる -1 2 6- が,詩人はこれを読者の体験 に先行する過去の出来事 として描いたのである. 以上見て きたように,第 6巻の( 1 )ダエダルスの扉絵の記述, ( 2 ) 冥界の神 々 3)タル タルス ・エピソー ド,および ( 4)アンキセスによる 「 英雄の への祈願, ( カタログ」は,いずれ もムーサ に祈願する 『イ リアス』の詩人の言葉 と密接 に A) 「 その場 に居合わせ万事 を 関連付けられる点で注 目される.すなわち, ( 知る者」 と (B) 「ただ噂を聞いているだけで何-つ知 らない者」の対比の構 造は, これ ら( 1 )∼ ( 4)のいずれの箇所 においても見出せ る.また,詩人は基本 すべて」 を語 的に過去の出来事を 「 噂」として聞 く立場であ りなが ら,その 「 り得る可能性を示唆する点で 『イ リアス』の詩人 との共通性を明らかにしてい る (このとき 「 部分」 と 「 全体」の対比が重要な意味をもつことが窺われた) しか し一方 において,詩人は 『イ リアス』に見 られない別の技法 - 神話の歴 史化 という手法 - を導入 していることも明らか となった.それではこれ らの 叙述技法を用いることで,詩人は何を表そうとしたのか. 3.第 1巻 と第 6巻の対応について ここで,第 6巻 と第 1巻の対応関係 に注 目してみたい.第 1巻ではカル タゴ 上陸の場面 に続いて,ウェヌス とエビテルの対話の場面が用意される( 2 2 3 f f . ) . ウェヌスはイタリアか ら トロイアの一行が遠ざけられている事実を指摘 し ( 1 . 2 3 3 , 2 5 2 ) ,それがエビテルの約束 - 未来のローマ人による支配の約束 - に 反す ると訴える.これに対 しエビテルは,アエネアスおよびその子孫 に定め ら . 2 5 7 8 ) ,その秘密を順 々に解 き明か してい く. れた運命は不動であると述べ ( 1 . 2 5 9 6 0 ) ,アスカニウスによ ユピテルは,主人公 アエネアスの未来の神格化 ( 1 るアルバ ・ロンガの建設 ( 1 . 2 71 ),ロムルスによるローマの建設 ( 1 . 2 7 6 7 ) , . 2 8 3 9 0 )などについて語 っているが, と アウダス トゥスの事績 とその神格化( 1 くにウェヌスの言及 した未来のローマ人 による世界支配 に関連 し,ローマ人 に は 「際限のない支配権 を与えてある」( 1 . 2 7 9 )と言明する. この言葉 を字句通 りに受け取るなら,詩人はここで単に主人公アエネアスのみならず,読者 にと っての 「 未来」の出来事を予言 していると解される. . 3 0 5 f f .),相手が さて,この対話の直後にアエネアスはウェヌス と出会い( 1 1 . 3 3ト2 ) . 母 とは気付かず に, 自分たちがいかなる岸辺に漂着 したのかを問 う( これに対 し,ウェヌスはここがデ ィドの支配す るカルタゴの地であると伝え, カル タゴ建国にまつわるデ ィドの過去の体験を詳 らかにする( 1 .3 3 8 f f .) .ウ ェ - 17 2 - ヌスはまず 「(デ ィドの受けた)不正は語れば長 くなる し,その貯余曲折 も長 い話です.そ こで私は出来事の要点を掻い摘 まんでお話 ししましょう.」 ( 1 . 3 4 1 2 )と述べ る.ウ ェヌスは語ろうと思えば出来事の全体 を語ることはで きる のだが,ここでは重要 と思われる点に絞 って物語 るという.すなわち,出来事 の 「 部分」を語ることで 「 全体」を表現 しようとする詩人の立場 をここに見出 す ことが可能である (31). ウ ェヌスが語る内容は,アユネアスが 目の前で見ている城塞 ( 1 . 3 6 5 6 ) に関 する縁起物語 となっている.デ ィドは兄を逃れ ( f u gi e n s ) テ ユロスの国を後 に 1 . 3 4 0 1 ).実の兄によ って愛す る夫を失 ったデ ィドは,夫の霊の命ずる した ( まま地中に埋め られた金 と銀の大塊を船 に積み入れるとカル タゴに逃れたので ある。カル タゴに漂着 したデ ィド一行は感謝の印としてユ ノの神殿 を建立 した ( 1 . 4 4 2 7 ) .一方fu gi e n sという語は,第 6巻初めで描かれるダエダルス ・エピ ソ- ドにおいても見出 し得る.ダエダルスもミノス王の支配を逃れ ( f u gi e n s ) クマエの地 に着 くと,アポロへの感謝 を表 してその神殿 を建立 した (32). ウ ェヌスが舞台を去 った後,アエネアスはユ ノの神殿 に近付いてい く.だが この神殿を 「 細部にわた り打ち眺め」( 1 . 4 5 31 u s t r a t . ‥si n g ul a ) ,そ こに見 出された絵の中に 「順々に」 ( 1 . 4 5 6e xo r di n e )描かれた出来事を見るにつけ, アユネアスははか らず も涙にむせぶ ( 1 . 4 5 91 a c ri m a n s ) .なぜな ら,そこで見 たものは,ほかならぬ 「自己の体験」- 「トロイア戟争」の絵であ ったか らだ. アポロの神殿の扉絵は,そこに描かれる出来事の体験者その人 - ダユダルス ( 1 . 4 5 7一 a m a )となった トロイア戦争の出来事が描かれる. また,その真実性は 「 その場に居合わせた者」アユネアスの流す涙が証明するであろう. この点で 先 に見た第 6巻終 りのマルケ ッルス ・エピソー ドとの関連が考え られる.一方, ( A) 「 その場 に居合わせ,全体を知 る者」 と (B) 「 噂 としてそれを聞 く者」 の対比は, ここではダエダルスの扉絵の場合 とは逆の形で認められる.すなわ ちユ ノの神殿の作者が (B) ,絵を見るアユネアスがむ しろ (A) の立場 をと . 4 5 31 u s t r a td u nsi n g ul aと 1. 4 5 6e xo r di n e は, る. また表現において, 1 英雄のカタログ」の中で,出来事の 「 全体」を語ろうとす いずれも第 6巻の 「 る詩人の意志 と密接 に関わる形で用い られていた ( c f . 6 . 8 8 7 90 m ni al u s t r a n t . / ‥. p e rSi n g u l ad u xi t . ) .このように 「ユノの神殿の絵」は,単にダエ ダル スの扉絵 との比較が可能であるばか りではな く,第 6巻 において明らかにされ た詩人の歴史叙述の技法を色濃 く反映 しなが ら, 「 主人公の過去の出来事」 を - 1 2 8 - 物語 っていることが窺える. 4.結びにかえて 以上見て きたい くつかの対応 ・対比関係を整理すれば,次のようになるだろ う。詩人は 「 全体」を志向す る 『イリアス』の詩人の言葉 を念頭 に置 きなが ら, 次の各要素 について物語ろうとする. (a) 「 主人公の過去」 「 ユ ノの神殿の絵」 「 エビテル とウェヌスの対話」, (a) I「 主人公の未来」 「 英雄のカタログ」 (b) 「 読者の過去 。現在」- ・ - -- (ら) '「 読者の未来」-- (C) - - - - ・- ・ --- - 「 神話上の人物の過去」-- - -・ 「 英雄のカタログ」 「 エビテルとウェヌスの対話」 「ダエダルスの扉絵」 (C) I「 神話上の人物の過去 ・現在 。未来」 -- 「タルタルス 。エピソー ド」 ウェルギ リウスの独 自の視点 とは,読者の生 きる時代の出来事を詩の中で 「未 来」の出来事 として予言する点 にあると思われる。第 6巻末の 「 英雄のカタロ グ」で描かれる主人公の未来 とは,読者 にとり確定 された過去 ( および現在) の出来事にはかならない ( すなわち (a) ' - (b)) .また第 1巻のエビテ ルの予言は,アユネアスの未来を語ると同時に, 現実の - さらには未来の - (b) ' ) 。このよ ロ-マに生 きる人間に与えられた予言で もある ( (a) ' うに,詩人は本来神話上の出来事 とされるアユネアスの体験 と読者の体験 とを 分かち難 く結び付けている.一方,ダユダルス 。エピソー ドにせよ, タル タル ス 申エピソー ドにせよ,詩人はこれ らの神話上の出来事を,アエネアスが 目の 前の絵を通 じて,あるいは盛女の言葉を通 して 「間接的に」知るという設定を 行っている。 しか しダエダルスが扉絵を刻んだ事実は,アユネアスにとり疑 う 余地のないものであ った。また足を踏み入れぬ とはいえ,坤 き声の聞 こえる城 門を 目の前 にし,アエネアスはシビュッラの語る見聞談を真実 として受け入れ たであろう. こう解す るとき,アエネアスの経験 (a) と神話上の出来事 (C) は互いに歴史的前後関係をもつ ものとして結び付 く。一方 このことは,詩中に 語 られるアエネアスの体験を,詩人の言葉を通 じて 「 間接的に」知る読者の立 場 と呼応す る.そ してこの詩人の言葉の真実性 についてはムーサが保証す るで - 129 - あろう。上で見てきたそれぞれのエピソ- ドにおいて,詩人は絶えず 『イリア ス』 におけるム-サへの呼び掛けを読者 に想起 させなが ら,詩的真実を語る自 らの姿勢を示唆 していたのである。 す 上記 (a)∼ (C) の各要素の内容が示すように,詩人は読者 も含めた 「 べて」の人間について,その過去 ・現在 。未来の出来事をあまね く物語ろうと 試みる (33). また,同時代の読者のみな らず,未来の読者 も念頭 においてこの 詩が書かれたことはいうまでもない.エビテルによって約束 される 「 際限のな 1 . 2 7 9 )とは,アウダス トゥスの治世以降においても継承 されるべ い支配権」( き理念であった。 『アエネイス』の冒頭 において, 「 私は一人の英雄 と戦争 に ついて歌 う」 といわれるが( 1 .1 ) , この詩が主人公の限 られた経験を描 くもの でないことは明らかである.悠久の時の流れと永続する人間存在を想定すると 一部」 - 一人の英雄の運命 - を語るに過ぎぬこの詩 にお き, そのほんの 「 いて,人間の歴史の 「 全体」を語ろうとしてや まない詩人の意図を読み取るこ とは可能であろう (34)。本稿で取 り上げた第 6巻 冒頭の 「ダエダルスの扉絵」 を初めとするい くつかのエピソー ドも, このような詩人の歴史叙述の技法 との 関連 において,改めて解釈する必要があるように思われる。 注 テクス トは, を使 用 した. 氏.A.B。Myno rs (ed.), P .V e rgili Ma ronisOper a , 0.C .T. 1 9 8 3 ( 1 )6 . 2 8r e gi n a e をパ シバエ とみなす解釈もあるが ( c f . B . O t i s , Vi r gi l ,A S t u d yi nCi vi l i z e dP o e t r y ,0 X f o r d1 9 6 4 ,2 8 4n . 1 ) ,通例アリア ドネと解 さ . G .A u s ti n ,P . V e r gi l i粥 a r o ni sA e n ei d o sLi b e rS e x t u s ,O x f o r d れている.氏 1 9 7 7 ,a d6 . 2 8 f f . , A . D . Wi Hi a m s ,T h eA e n e i do fVi r gi l , B o o k sl l 6 ,L o n d o n , a d6 。 2 8 . ( 2 )6 . 3 0u e s t i gi a はテセウスの足取 りと解 される.C f . A u s t i n( s u p r an . D, a d6 . 3 0 . ( 3 )C f .R . D . Wi l l i a m s ,T h ePi c t u r e so nDi d o' sT e m pl e ,C Qn . 5 . 1 0 ,1 9 6 0 , 1 4 5 f f .さらに,第 8巻の盾の描写 ( 8 . 6 3 0 7 2 8 ) においても,ユタプラシスの技 -1 3 0- 法は用いられる.本稿ではこの箇所の解釈 には立ち入らないが,第 6巻におい て見出される叙述技法は 第 8巻 においても重要な意義 を有すると考えられる. , この点については稿 を改めて論 じたい。 ( 4 )A u sti n( s u p r an .1),a d6 . 1 4 41 . ( 5 )C f .1 . 2 0 8 9 , 3 0 5 f f . , 3 3 2 3 . ( 6 )原文は,s ol ui t ec o r d em et u 恥 T e u c ri ,s e cl u di t ec u r a s 。 この表現 は , アエネアスのアカテスへの言葉 S ol u em et u s( 1 . 4 6 3 )と対応す る一方,エ a r c em et u( 1 . 2 5 7 )とも関連づけられる。エビテル ビテルのウ ェヌスへの言葉 p はメル クリウスを通わ し,デ ィドが トロイア人を暖か く受入れるよう働 きかけ ていた ( 1 . 2 9 7 3 0 4 ) 。 ( 7 )E . No r d e n ,A e n ei sB u c kVI ,B e rl i ni 91 6 ,a d6 . 1 4 f f .は このエピソ - ドが叙述を遅延させ緊張感 を損 う, と否定的にとらえるが,A u s ti n( s u p r a , 孤 . i ) ,a d6 .1 4 4 1は, ここに見られる殺害,罰, 道ならぬ愛の尊チ-フが, t i s 続 く主題の展開に暗い繁 りの色合いを与える点に注意を喚起する.他方,O ( s u p r an .冒,2 8 4 ,Wi l l i a m s( s u p r an . 1 ),a d6 . 1 f .は, ミノス王の迷宮 と アエネアスが足を踏み入れる冥界 との頬似性について, さらには扉絵 に見 られ る神話上のエピソ- ドがアエネアスの過去の体験 を象徴的に表 している点を指 摘す る。Wi l l i a m sはさらに,ダエダルスとイカルスの父子関係がアエネアズ とアスカニウスの関係を想起 させると解す。その他,氏 . ∫ . Cl a r k,C at a b a si s , Vi r gi la n dt h eWi s d o m T r a di ti o n , A m st e r d a m1 9 7 9 , 1 4 9 ,E . H e n r y , T h eVi g o u r o fP r o p h e c y ,AS t u d yo fVi r gi l ' sA e n ei d ,B ri st ol1 9 8 9 ,1 4 2参照。 ( 8 )例えば O t i s( s u p r an ,1 ) ,2 8 4 5によれば,アエネアスは冥界でパ リ ヌルス, デ ィド,デイポブスの霊に会 うが,これは主人公 に過去の体験を想起 させる点でダエダルスの扉絵の記述 と対応 し,同時 に第 1巻のユ ノの神殿の絵 e r oi cp a st が,第 6巻では とも対応するという.ただ し第 1巻では主人公の b e r oti cp a st が示 される, と. しか しアユネアスの直接体験 を反映する箇所 と, アエネアス以外の人物の体験 を表す箇所 ( ダエダルスの扉絵) とを同 じ次元で 比較することには無理がある. ( 9) ダエダルスのエピソー ドは詩人 と読者のみならず,アユネアス一行にと f a m a )として把捉 されるものである。アエネアス自身, このエピ っても 「 噂」( ソー ドについてある程度の予備知識をもっていたか らこそ,その絵の世界に没 入で きたのである。 ( 1 0 )叙事詩におけるアポス トロぺ-の機能については,中務哲郎 「ホメロ ー 31 1 - スにおけるアポス トロぺ一について」,京都大学文学部研究紀要 3 2 ,1 9 9 3参 照. ( l l )A u s ti n( s u p r an . 1 ) ,a d6 . 2 6 4 7 . ( 1 2 )この詩作上の工夫 については,岡道男 『ホメロスにおける伝統の継承 9 8 8 ,7 1 参照. と創造』,東京 1 ( 1 3 )C f . 3 . 2 5 l f .:q u a eP h o e b op a t e ro m ni p o t e n smi hiP h o e b u sA p ol l o / p r a e di xi t ,u o bi sF u ri a r u mm a xi m a血 . 6 . 7 2 3:A n c hi s e sa も q u eo r di n e si n g u l a早_ a n di t . ( 1 4 )タルタルス ・エピソー ドに関する論考 として,岩谷智 「ウェルギ リウ 4 8 6 2 7「タル タルス」考」,西洋古典論集 2 ,1 9 8 6 , ス 『アエネイス』第六巻 5 2 2 4 4参照.なお 加s t i n( s u p r an . 1 ) ,a d5 4 8 6 1は,この描写 自体をユタ プラシスとみなしている。 ( 1 5 )6 . 5 6 0e f f a r e は叙事詩特有の表現 とみなしうる。C f .J.C o ni n g t o n( J . C o ni n g t o n 班 .N e t t l e s hi p ,T h eW o r k so fVi r gi iV ol .冒,L o n d o n1 8 8 4( Hi l d e n s h ei m1 9 6 3 ) ,a d6 . 5 6 0 . ( 1 6 )エ ンニウスの表現 ( A n n .5 6 1 f f . )との関連 も指摘されるが ( c f . A u s ti n , ( s u p r an . 1 )a d6 . 6 2 5 f f . ,本稿では 『イリアス』第 2巻にみ られるム-サへ の呼び掛け全体 との関連を重視する. ( 1 7 )6 . 6 2 5 7と G e o 。 2 . 4 2 6との関連 も考えられる.C f 。Wi l l i a m s( s u p r an . ,a d6 . 6 2 5 6 .『農耕詩』第 2巻では植物の多様な生育方法や栽培技術が紹 1 ) 介された後,2 . 8 9 1 0 8において 「イタリアワインのカタログ」が見 られる。カ タログを締め くくる箇所では次のようにいわれる。 だがこれ らにどれだけの種類があ り,どのような名前があるのかについて語 り出せば切 りがない.また実際に数え上げようとしても無益である。それを 知 りたいと思う者は, さなが らリピュアの砂漠の砂粒が西風によってどれだ け多 く空 に舞い上がるのかを知 りたいと望む者 とよく似ている。あるいは東 風が激 しく船に襲い掛かるとき,どれだけの数のイオニアの大波が岸部を打 ちつけるかを知 りたいと望むようなものである. . Y a m a s hi t a , T h et h e m eo fV a ri e t yi n この箇所をめぐる解釈 については,T ,西洋古典論集 9 ,1 9 9 1 ,5 6参照。 t h eG e o r gi c s ( 1 8 )「英雄のカタログ」をめ ぐる解釈 については,山沢孝至 「『アユネ-イ ー 13 2 - ス』におけるマルケ ッルス追悼の詩句について」,西洋古典論集 7 ,7 7 9 8参 照. ( 1 9 )6 . 8 9 8p e rsi n g ul ad u xi t は,一方においてタル タルス ・エピソ- ドに . 5 6 5p e ro m ni ad u xi t の表現を想起させる.また6 . 8 9 8si n g ul aは,6 . おける 6 . 7 2 3自体直前のアンキセスの科 白 7 2 30 r di n esi n g ul ap a n di tと対応するが,6 における 6 . 7 1 7e n u m e r a r eを受けている. ( 2 0 )本稿では 6 . 8 5 4 8 6に示 されるマルケ ッルス ・エピソ- ドも 「英雄のカ タログ」七 含めて理解する. この視点 については,本文で紹介 した枠組みが一 つの根拠を与えている.なお, このエピソー ドの意義 については,詩人の叙述 技法 との関連で後述す る。 ( 21 )6 . 7 5 40 m ni sl o n g oは一方において6 . 4 8 20 m ni sl o n g oo r di n ec e r n e n s と対応 しつつも,さらには6 . 7 2 30 r di n esi n g ul ap a m di t の表現 を想起 させる. なお o r di n eの語は第 1巻のユ ノの神殿の絵 に関 しても用い られている( 1 . 4 5 6 日i a c a se xo r di n ep u g n a s ) .との点については別の角度か ら後述す る. ( 2 2 )6 . 7 5 9t u af at aは6 . 6 8 3f a t a q u ef o r t u n a s q u eと呼応 しなが らアエネア ス及びローマの運命を意味すると解される. ( 2 3 )山沢孝至,上掲論文,7 8 以下参照. ( 2 4 )山沢孝至,上掲論文,注4 4 参照. ( 2 5 )マルケ ッルスはアウダス トゥスの場 に当たる。 ( 2 6 )むろんこの悲 しみは,ひとりアウダス トゥスの悲 しみ と特定できるわ けではない.マルケ ッルスの死を我が事のように嘆 く者の悲 しみがすべて ここ に凝縮 して描かれる. ( 2 7 ) 『イ リアス』との関連でいえば,詩人および読者は 「その場 に居合せ 全てを目撃す る者」 とみな しうる. ( 2 8 )ウ ェルギ リウスは,読者の体験する歴史的事実を詩中における未来の 出来事 として予言することによ り,その叙述全体の真実性の確証 を与えている。 同様 に, アエネアスの未来についてはシビュッラが予言 し,その真偽をアエネ アスが 自らの体験を通 じて確認する。この二つのパ タ- ンの並置を明瞭に示す 例 として,6 . 1 2 5 以下が挙げ られる。シビュッラはカタバ シスの条件 として, 6 . 1 3 6 f f . ) ,( 2 ) 死んだ友の埋葬を行 うこ ( 1 )黄金の枝を発見 し取 って くること( 6 . 1 4 9 f f .)の二つをアエネアスに告げている。 これらの条件は と( , 当初アエネ アズにとって 「 盲 目の出来事」 ( 6 . 1 5 7 8c a e c o s q u e …e u e nt u s )とみなされて いた. しか しやがて物語の進行 とともに , -1 3 3- シビュッラの言責の真実性は明 らか になる.アエネアスは砂浜を歩 くうちにミセヌスの死体を発見 し( 6 . 1 6 2 f f . ), 6 . 1 8 8 9 ) . 次のようにいう ( ああこれほどの森の中,もしあの金の木の枝が,今我々にその姿を見せて くれ o m ni a )あまりに正 し たなら. ミセヌスよ,かの垂女はおまえのことをすべて ( 〕 e r e ) 言い当てたのだから. く( 一方,詩人は ミセヌスの生前の誉れを語 り( 6 .1 6 4 7 0 ) ,次いで噂 として伝わる ( c f . sic r e d e r edi g n u me s t )彼の死因にふれ, ミセヌスは トリトンの怒 りを 買って岩間に溺れ死んだことを伝える.さらにアエネアスが築いた ミセヌスの 墓 ( 6 . 2 3 2 )に触れ,その土地が今でも彼の名 にちなんで ミセヌスと呼ばれる a e t e r n u m q u e . ‥n o m e n )を残すだろう, こと,何世紀 にもわたって永遠 にその名 ( という ( 6 . 2 3 4 5 ) .読者はミセヌスの名をもつ土地の存在に関 して,その真実 性を自らの体験を通 して確かめることができる. ( 2 9 )テセウスとプ レギュアスは, この一般化された罪人の列挙の中で言及 6 . 6 1 7 2 0 ). されている ( ( 3 0 )伝統的にヘル クレスはテセウスとどリトウスを冥界か ら救出 している. 9 2 4 ではこれ ら三名が,かつてステ エクス川を渡 った 『アユネイス』第 6巻 3 人物 として挙げられなが ら, タルタルス ・エピソー ドにおいてはへルクレスへ の言及が見 られないばか りか,テセウスは永久 にこの場所 に座 り続けるといわ れる.ウェルギ リウスは伝承を改変 し,ヘルクレスによる救済はなか った とみ な しているのか,あるいはそれがアユネアスの冥界行の後 に実現すると暗示 し ているのか,必ず しも定かではない.いずれにせよ,詩人はアエネアスの体験 とテセウスのそれとが時間的に前後することを示 している. ( 3 1 )この立場は続 くアエネアスの科 白 ( 1 . 3 7 2f f . )においても見出せる. こ れらの箇所 に示唆される 「 部分」 と 「 全体」の対比は他の巻においても認め ら c f . 3 . 3 7 7 9 ,8 . 4 9 5 0 ) . れる ( ( 3 2 )表現上 第 1巻のユ ノの神殿 ( 1 . 4 4 6t e mpl u ml u n o nii n g e n s ) と第 6 , 巻のアポロの神殿 ( 6 . 1 9i m m a ni at e m pl a )は, ともにi n g e n sという語によ って 修飾 される点でも対応を示す. ( 3 3 )ユ ノの神殿 において,アエネアスの体験 した トロイア戦争の 「 噂」は すでに全世界に広まっていることが示される.同様 に,詩人が 『アユネイス』 を通 じて語 る内容は,空間的に広大な範囲で,時間的には永遠に語 り継がれる -1 3 4- ことが期待 される. ( 3 4 )岡道男 『前掲書』7 1注 1 ),同 「ウェルギ リウスの英雄像」, 『ギ リシ 9 7 9 ,3 7 3参照。 ア ・ローマの神 と人間』,東海大学出版会, 1 -1 3 5-