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、一催檮:議溌雲繍u二……)
( ̄-つそんりさVol、22(へ- ̄)
①
%け
いんふおめ-しよ
〈PAP27=民籍農黛醐澄のためにノ
Zl闘繍座ノブ海・山・里からのだよ〃
「フィリピン・ネグロスで始まった民衆農業
☆ビデオ上映会
創造の試み」(ネグロス農民・日本ネグロス
キヤンペーン委員会秋山真兄)
日時:3月2日(±)
3月9日(土)14:00~レコム事務所にて「風
の記憶先住民族抵抗の500年」
14:00~17:00
内容:グァテマラのサンティアゴ・アティトラン
で1990年に起きた先住民族虐殺事件を中心
に、生きる梅利を勝ち取るためにたたかう先住民
族の姿を紹介します。
★次号そんりさ印刷・発送作桑
3月16日(±)13:00~
場所:早稲田奉仕園セミナーハウス
(O3-3205-5411地下鉄東西線早稲田駅
徒歩5分)
連絡先:むらとまちのオルタ計画(RUA)
(03-5273-8860)
あなたのご夢'阿藤って羨吏
石川智子さん報告会
大阪P2月22日(木)
19:00~
恒敦ソ(女姓の海リドボランティアーグァテマラ薮葺会一ノ
場所:JOCS(日本キリスト教海外医療協力会)関西事務所
、
大阪市北区茶屋町2.30大阪聖パウロ教会内(06-359-7277)
参加費:800円連絡先:0722-58-6396(荒木)
京都・2月23日(金)
18:00~20:30
場所:同士社大学今出川キャンパス博遠館305号
参加費:500円(学生300円)主催:中南米と交流する京都の会
連絡先:075-316-2657(辻久志)
14:00~
(地下鉄国際センター駅下車)
場所:名古屋国際センター(地下鉄国際センター駅下車)3F第一研修室
連絡先:052-732-2030〔懸田(かけた)〕
13:00~17:00
場所:NTTプラザ松山(O89-924-6100)松山市駅よりバス③鴨川団地行き南海放送前下車
主催:風の記憶連絡先:O8g-g73-0248(森拳)
13:30~
'グァテマラからの風一’職の息鱗を感じて一石〃智子&」3t田ns逵翻葺金ノ
石川智子さんと中南米と交流する京都の会の太田裕之さんに報告してもらいます。
場所:労政会館(JR飯田橋駅前セントラルプラザ12F
、一催檮:議溌雲繍u二……)
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。。●‐。●
「0-
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|鍬よい…専……《い…い,剛性.………÷
のための制度の整えるべきだ、そんな話題が時々取り上げられます。
だけどそれは本当に望ましい方向なのでしょうか。NGOという組織内部では専従スタッフと労働力としてのボ
ランティアという分断が生まれ、国内では「いいことをやっているらしい」専門的な組織と「いいこと」を支え
先い寄付者という分断された関係が生まれ、結果的にこのことが世界に生きる人々とのつながりを更に希薄にす
る危険性があるのではないでしょうか。
しかし新しい社会を夢見るならば、一人一人が他の世界に生きる人たちに関心を持てるようになることの方が
重要ではないでしょうか。
日本の忙しい生活にどっぷりと浸かってしまった人たちが、4時や5時に仕事を終わり、いろんな事に目を向
けていけるようになったなら、それだけで世界は変わり始める・・・
(アオ)
〆労ジ泳肪EIij莨口と勅だ(;〕X鰯〕or〒-…….「;………???F・P7w(9-票.
。..
’RECOMでは、一緒に活動く作業をしてくれる方を募集しています。以下の事項を参壱に自己紹介して
、
...-、
゛‐、
lいただけたらとてもうれしいです!.o
:*お名前、ご住所、鬮鯖番号、(fax番号、電子メール番号)。*RECOM会員ですか。1.
1鰹警璽(溌水灘)|・に塁てり〕に筐くこ苧ができますが・詑何躍巴なら来てH尼だけ議すか.と自宅での作i
:業を希望しますか。L*どんなことに興味がありますか。.,
I*得意なことは何ですか。(イラスト、語学、etc)
:鱈学に関してはく何騒ですか、読み、雷き、会賭、それぞれどのくらいのレベルですか、などなどできるだけi
`、群し<お願いします。’
、、*ワープロ、コンピューターなどお使いになりますか。機種、ソフトなども教えてくだし)6--′
 ̄--....------の-.ロロ--.....----...-.----ロー□-.のロー□、--..-の、-..---..-.-.--- ̄
〃
髄11M籍|薑童!
LiLiIL」|M艤棗[iP-ii晨珊≦雲霧W藝三、
正会員:年会費8000円会運営、総会への参加機関誌購読
学生会員:年会費5000円同上
賛助会員:年会費10000円(-口)機関誌購読
、ミミニニとf三塞菫I鱗綱。…・Z雪抄
RECOM事務所への 道
、
ラテンアメリカ
ネットワーク
〒101
i東京都千代田区三崎町2-13-5影山ビル205号
■
そ-------
I
ガソリンスタント 、
●
鐙園掴Lj
(専従職員は居りませんので留守番電膳が多くな
、
L〆iご=
卜
 ̄、冒丁
'。
□▼~
IELFAXO3-3222-O433
りますがご了承下さい。)
JR水道橋
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白山通り
「■■I■ ̄I■~□■勺
`JR水道橋駅,
:より徒歩3分:
:地下鉄神保町:
:駅より徒歩8:
・分.
■■・-■-ロ.--」
地下鉄I神保町駅
RECOMでは毎週木曜日にミーティングを、毎月第三土曜日
にオリエンテーションを事務所で行っています。気軽にお立ち
寄り下さい。
聿稚蕊チアパスは今
先住民族の普通のスタイルの挨拶は、
CONAIは、世界で現在問題になっている5
8の国内紛争についてケース・スタディをした。
「やあ、おまえの心臓はどうだい。おれのは、
とってもきれいだぜ。今、裏側もみせてやるよ。
紛争の仲裁の任に当る人々と意見交換をするこ
とてもきれいで、君に挨拶したがっている。」
とで様々な紛争の相違点と共通点があることが
今、私のハートはとても幸せです。
わかった。
また、CONAI(仲裁全国委員会)の議長で
第一の共通項として58の紛争の陰には常に
あり、私がその秘書を動'めているサン・クリスト
貧困と悲惨の状況が、構造的に存在する。第一義
バル司教区のサムエル・ルイス司教からの挨拶を
的に、前提として共通項がある。しかしそれだけ
おくります。また、仲裁全国委員会の12人の構
では戦争に至るはずはない。
成委員、そして、日本に来る直前までいたチアパ
メキシコの場合、これまで既に先住民族の組織
スからサパティスタ軍の2人の司令官ダピッド
化あるいは運動があったが、必ず弾圧されてきた。
とタッチョからの挨拶をおくります。
中でも特に厳しい形の弾圧は、先住民族のアイデ
ンティティを抹殺しようとする弾圧の仕方であ
私は、チアパス州、
サン・クリストバル・
ノ簔陞「のため
の芳しみ
メキシ
デ・ラス・カサス司教
区で仕事を始めて1
7年になり、6年間サ
J二r:
●●●●●
サパティスタj箪超」X婆
る。
しかし、それだけで
は十分な説明をする
ことはできない。現在
の社会的、政治的、経
ムエル・ルイス司教の
メキシコCONAI(仲裁全国委員会)事務局長
済的側面を見たとき
書記をつとめていま
ミゲル・アルバレス・ガンダーラさん来日講演
-つとして信頼のお
ける選択肢が残され
す。
94年1月1日午前
94年1月1日午前零時、サムエル・ルイス司
'ていない。社会的、政治的権力に信頼する拠り所
教は私を叩き起こし、なにが起こっているか告げ
が失われている。空白が存在する。そのような空
た。
白の中から、武力に訴えようとする組織が火山の
今回、サン・クリストパル司教区おいて経験し
た事の中から話をしたい。
ように噴出してきたわけである。チアパス州で、
先住民族が主体となった反乱、自分たちの会議の
方法、計画、物の考え方、組織の仕方を取り入れ
話を3つの部分にわける。
ながら反乱に結集していった。
1.蜂起を導いた要因
先住民族にとって、資本主義的近代化も社会主
2.蜂起がメキシコ国内に引き起こした衝撃。
義的近代も問題の解決にならなかった。唯一の方
3.現在の和平交渉の問題
法は現体制に自らを統合させていくだけであっ
た。
サパテイスタ民族解放軍(EZLN)の蜂起は、
このような状況の中で先住民族の人々が必死
まさにメキシコがNAFTA(北米自由貿易協
で求めてきたのは、今の枠組みの中でいかにして
定)の一員となろうとしていた時であったbOE
自分たちの生存を守り抜くかということだった。
CD(経済協力開発機構)に、言い換えれば先進
80年に入るととうとう自分たちをいかにして
国クラブに胸を張って新構成員になろうとして
守るかという具体的手段を講じなければならな
いたその時にインディヘナ(先住民族)蜂起なる
くなった。
当初、サパティスタ軍の組織グループがチアパ
ものが起こった。
蜂起の持つ意味は歴史的に遡って、構造的にと
らえて、初めてわかることである。
スに入って来たときサパティスタ軍と先住民族
との間には大きな期鑑があった。外からやってき
-2-
( ̄一二)そんりさVOL22(ヘーヘ)
たグループとして携えて来た提案と先住民族の
ラ)からなる4つの地下革命委員会が形成される。
共同体の中での一つの力学は必ずしも整合しな
調整した形の大きなまとまりとして、もう一つの
かった。
大きな組織が形成されている。この言語を超えた
横のつながりというのは、実は征服者がやって来
そこで、先住民族の側はサパティスタ軍の人々
に対して、自分たちがこれまで歩んできた共同体
て、破壊したものである。
の中で使ってきたもの、組織の仕方、文化につい
この組織は大きな意味でサパティスタの民と
ての考え方、会議のスタイルを外からやってきた
呼ばれる。これらは軍事に携わるものと、別の支
人々に示すことを始めた。サパテイスタ軍の主導
援部隊とがあり、これらの共同体が軍事面を下か
権を次第に先住民族がにぎるようになった。
ら支えているのである。
サパテイスタ軍は4つに分かれる。軍
事的にシンパの人々、活動家といった
人々、民兵、前線に出る人(反乱者)で、
民兵と反乱者は実際に武装している人々
である。政府軍の確定した数は1万2千
人で、武装要員は8万人、シンパになる
と数はわからない。
ラテンアメリカの反乱組織、政治勢力
の分析家は、サパティスタ軍による反乱
は第三世代に当たると言う。
つまり、第一世代はキューバ革命を担
った人々・共産党社会主義を一つの目標、
道筋として選択した人々・第二世代はニ
ミゲルさん
ラテンアメリカ全域には6千万人にのぼる先
住民族人口がいる。そのうち1千万人がメキシコ
国内に居住している。公式に認められた56の言
語がある。チアパス州では11の言語が話されて
いる。さらに現在、戦闘地域と考えられている地
域には4つの言語を話す人たちがいる。
カラグァ、エルサルバドルのフレンテ(民
族統一戦線)を構成し、、社会の変革を考えた人々。
この世代はさまざまな政治勢力、政党を-つの戦
線に結束して、広範囲の民衆を-つの力として変
革を成し遂げるという道筋をとった人々・サパテ
イスタは第三世代に当たる。それは知識人が前衛
を担うという組織の在り方をやめて主体は先住
サパティスタ軍の構成を説明すると次のよう
になる。チアパス州には900の先住民族共同体
が存在して、いくつかのグループに分かれる。そ
れぞれが共同体の中で独自の組織の仕方、人間関
係の力学を持っている。それが徐々に、チアパス
州の中ではそれぞれの(4つの言語の)文化の中
で大きなまとまりがつくられていき、それが文化、
言語を超えた一つの結び付きを作った。
4つの各文化的共同体のなかで、サパテイスタ
軍を支援するための地下革命委員会というもの
が存在する。それぞれ4人の構成委員(コミテグ
民族が担う、また同時に武装闘争を用いるが、究
極の目標にするのではない。武装闘争によって権
力を奪取するのを目的にするのではないという
反乱である。
武装した人々の考え、提案を市民・民衆の側に投
げ返し、真の改革を現在の体制につきつける。そ
のようなやり方である。
もう一つ、サパティスタの特徴的なことはあら
かじめ用意された計画目標を体制に、つきつける
方法ではなく、社会を構成するすべての人々によ
って改革が提示されることをよびかけるもので
-3-
、と
j鰯ミーチ乃腕は今
ある。サパティスタは世界のすぺての人に呼びか
を得たのは多国籍企業であった。生き残った多国
籍企業は、メキシコ経済がアメリカ合州国に従属
けるのである。
するよう橋渡しをした。これにより現在、NAF
その上で何が解決に欠けているかを求めよう
とする。それは先住民族のやり方である。サパテ
ィスタの中で先住民族が主体であるが、サパティ
スタは先住民族のためだけではない。
TAにみられるようなメキシー経済の対米従属、
対米債務の問題がある。このような現象はラテン
アメリアの他の国々でもおこっていることであ
サパティスタの新しい側面の一つにサパティ
スタの動きが政治的波紋をどんどん広げていく
中で、先住民族が主体となる引き金になっている
ことが挙げられえる。チアパス州以外の地域でも
軍事的でなく、政治的に先住民族の主体的動きを
触発し、津波のような増殖が見られる。サパティ
スタの反乱は、ただのゲリラではなくジュネーブ
外から入り込んできたグローパリゼイション、
言葉を変えると今の新自由主義(ネオリベラリズ
ム)の波がメキシコを襲い、外に開くようという
る。
ことを要求した。
現在、市場経済がどんどん拡大して国家経済を
食い〈国家がかって握っていた経済の実権を国家
から奪っている。国家はどんどん小さくなるとい
条約で認められた正規軍の地位を保護されてい
る。正規軍の地位を守るというのは4つのグルー
プのうち、常時武装している反乱者前線要員と民
う力学が働いている。次いで市場経済の原理が、
国家を、社会を食い潰そうと触手を伸ばし始めて
きた。わけても消費主義がどんどん拡張しようと
兵は一定の基地のなかに常駐しており、ゲリラの
している。
ように必要な時にだけ現れ、また身を隠す。そう
社会の側の対応には二つの考え方がある。一つ
は、社会の中でごく限られた意識を持つ、よく組
織され特定の人の集まりが社会であるという考
え方、他は全体が社会である。社会を構成する
人々全体が市民社会である。国家社会や経済社会
いう戦闘の仕方はとていない。活動家とシンパの
いわゆる目だし帽をかぶって活動いる人々は、帽
子をとればごく普通の民間人、農民のように日常
生活をすることができる。本当にサパテイスタが
表現している本質というのは、チアパス州のなか
とは別のものである。
に深く根差しているものである。
ところで、メキシコの市民社会は85年以来、
一つの転機を迎える。85年はメキシコ大地震の
2(キシコ盆f会の潔慰
起きた年で、危機に対して何ら能力をもたない政
府の無能力ぶりがあからさまになった。市民は自
らの主体性を発揮して、新しいものを創造する新
メキシコにおいて国家は強力な機構で、メキシ
コ経済の大半を握って経済の実権者としての役
割を演じてきた。ごく少数の民間企業と多国籍企
業も存在するが、経済の大幅な実櫓を握っている
のは国家である。国家の機楢は社会の大半を自ら
の傘下におくという方式を整えてきた。メキシコ
にコーポラティズムという政治理念があるが、そ
れを体現してきたのが現与党のPRI(制度的革
命党)である。社会の隅々まで掬い上げて国家の
中に含み込むというのがメキシコの政治の特徴
である。
70年代にメキシコの経済の危機が始まった
時、国家は外に向かって開くのではなく、内に向
かって閉ざすという対処をした。結果、中で利益
しい権威力となる課題を発見する。
85年以降さまざまな組織や、人々のつながり
をなすネットワークというものが形成され、メキ
シコ市民社会は大変な勢いで多様化をはじめる。
そうした頂点に達したのが88年選挙の年であ
る。
第一の優先課題としたのはメキシコでは民主
主義が必要だという合意であった。それまでは国
家と与党PRI(制度的革命党)が政治を握って
いた。メキシコ市民社会は政治は国家もしくは与
党の独占物ではなく、自分たちこそが政治を動か
す主体であることを行為で示そうとした。これが
-4-
(へ一へ)そんりさV01.22(今一一)
がもっとも必要とする課題は、この新しい組織作
88年の選挙に向けての市民社会の動きだった
わけだが、残念ながら敗北した。クワテモック候
り社会の構成の中で先住民族が主体となって声
補がサリナス前大統領に敗北した選罎挙である.
をあげて新しく実現しようとしつつあるのであ
新自由主義は、国家と同盟関係をはしゃぐかっ
る。
こうでわが世の春を謡歌していた。それに対し市
民社会の側は94年の次の選挙に向けて次の戦
サパティスタの目指すもの
略を練ることになっていた。
サパティスタが掲げているのは革命的プログラ
ムである。彼らは新しい政府、新しい体制、新し
この三者の関係は国家と経済の側にぐっと重
心が寄り、こちらのほうに転がろうとしていた。
い経済発展のモデル、新しい文化、そうしたもの
この動きをとめたのが正に1994年1月1日のサ
を主張している。ところが連邦政府側の論理とい
パティスタ蜂起であった。
うのは、サパティスタが真の変革、真の変化を要
政府の公式数字であるが、メキシコでは今日
求しているのに真っ向から対抗するもので、あく
,700万の人々が日に賃金を1ドルしか稼げない
までも現在の新自由主義の枠組みを維持した上
仕事に就いている。1日2~3ドル賃金を稼げる
で、譲歩してやってもいい余地をサパティスタに
与えようという考えを維持している。ここに両者
人も44万ぐらいになる。このようにメキシコ社
の視野の違いが存在する。
:会の中で体制から弾き出されている人斉は人口
94年1月12日、国際世論の訴えもあり、チ
の60%にも上る。まさにサパテイスタたちが先
住民族の側から異議申し立てするというのは、実
アパス州における戦闘行動は一旦止むことに}こ
はメキシコ社会で最も排除されている人の声を
なるが、両者はまだ戦える状況にあった。従って、
代表するということを同時に意味している。
普通の停戦の後、交渉のテーブルヘという流れと
したと言う事を表明する。新自由主義は富みを拡
は異なっている。現在、両勢力は一触即発の事態
にあり、いつでもちょっとした何等かの変化があ
大して分け与えると喧伝されているが、メキシコ
ればいくらでも戦闘が吹き出すという状況にあ
ではそのようなことはなく、生産はするが、その
る。
サパティスタたちは明確に新自由主義は失敗
政府が維持している論理は、国家として、体制
富は人々のもとには渡っていかない。
として国家内に生じた異分
子に対時するには、軍事的
に叩き潰すと1,Tう論理であ
る。国家は国内に生じた武
装勢力と話し合うことはで
きない。国家が国家である
かぎり、国家が体制を維持
する限り、それ以外の分子
には勝利を譲れない。これ
までに様々な武装闘争が生
.。-一・、。5.~司邑一・、
江、成云し、I目え=つしv、
ったが、常に武装闘争が国
家と対時する時に生じる緊
張関係は、国家が国家であ
サパテイスタたちの主張していることはメキ
シコでもっとも優先されるべき課題、メキシコ人
るかぎり武力、軍事力を独占する。それ以外のも
のには絶対に武器を与えない論理であった。
-5-
に
、..
鰯嘗チアバスは今
交渉の内容は7つのテーマに別れる。7つの主眼
点がある。それぞれのテーマが5つの段階を経な
ところが、現在メキシコ政府の中に一つの議論
が生じている。この2年間メキシコ政府の中には
二つの考え方の潮流が生じ、両者の間で激しい畿
がら話し合われていくわけだが、まだ最初のテー
論がなされている。一つは強硬派の人々で、はな
からサパテイスタは軍事的に潰すぺき存在でし
かない。もう一つはサパテイスタが何等かのプロ
マが話し合いのテーブルに乗り始めたばかりで、
妥結する見通しは、一月ぐらいまでかかってなん
とかが出てくるであろう。しかも、7つのうちの
セスを経て、政治的主体へ変貌を遂げるよう、そ
のような援助を認めるべきであるというもので
一年半後にわったって続くと予想される。
ほんの一つにすぎないから、交渉はまだ一年後、
従来の手慣れてきた交渉の在り方と異なるの
ある。
は、交渉の場に市民社会が大半参画しようとして
サパティスタの反乱や、紛争の推移はこのよう
いることで、交渉の場での計画プランは、サパテ
な次元の中で、二つの異なった見通しの戦いとい
う形で展開された。この状況の中で市民社会に何
イスタ側が提案したものでも政府が提示した案
でもない。サパティスタ側が提案したものと政府
側が提示したものの間に市民社会が提示したも
ができるか。
一つは、確固とした交渉のテーブルを差し出す
ということである。
のが入って、相互の間で歩み寄りが考えられてい
94年を通じて、実は毎週一通の書簡が両者の
間を行き来する水面下の動きが続けられていた。
る。そして今注視しなければならいのは
1.交渉そのものが、どのように進展していく
かと言う事。
CONAIの活動は極力水面下で行われ、外に漏
れない形を続けることが至上命令だった。何かが
2.-方で非軍事化、武装解除という軍事面で
表に出、何かが破れると、交渉のテーブルの設定
が危うくなってしまう状況にある。交渉のテーブ
3.チアパスにおける交渉をメキシコ全国、メ
の緊張をどのように解嵩ほぐしていくか。
キシコ社会全体にどのように反映させるか
ルを設置することはサン・ミゲルでの会合、サ
ン・アンドレスでの度重なる会合によって何とか
という点である。
準備する二とができた。交渉のテーブル自体は
最後に最も大切な点としては、チアパスにおけ
るあらゆる解決に向けての努力を先進国、第一世
95年になって設置された。
交渉のテーブルを準備し維持する重要さは紛
界の変革とどのようにむすびつけていくかとい
争が軍事的局面から政治的局面へ移行していく
すべてのプロセスを支えること、軍事的局面から
うことである。
政治的局面に変わることで政治によって平和が
が病んでいるのではなく、森という一つの系全体
達成されるのが目標である。
が病んでいることを象徴するものである。チアパ
チアパスで問題になっていることは、一本の木
しかも、その中.でも大事なのはこの交渉のテー・
プルを支えるすべての勢力の中に市民社会が加
わる、参画することである。平和は戦争が止むこ
スの問題解決が皆の問題解決に結びついていか
なければ問題解決にはならない。本当の変革には
`ならないのだ。,
とではない。実際に戦火を交えた二つの軍隊が武
世界中の皆が一体どのようにしてこのプロセ
器をおくことではなく、社会全体が、メキシコ社
会に欠けていたものを取り戻すために広く参画
スに参画していくのかは難しい。皆に向かってこ
すること、それが達成されてはじめて平和とよば
れる。,
の問題を投げかけよう。この変革、プロセスに参
画することで初めて、世界全体の意義と平和が解
決される6一人一人の主体的な関わりを希望する。
これから必要になるのは市民社会がこの交渉
の中に加わると言う事である。
IpDr
-6-
(ヘーヘ〕そんりさV01.22( ̄一合)
マルコス副司令置諦'ら曰敦民籍への〆ツセージ
去る10月20日フリージヤーナリストエ藤律子さんは、チアパスのある地域でEZLN(サパテイスタ国民解
放軍)のマルコス副司令官にインタビューを行いました。以下は、「日本の民衆は、あなたがたの闘いにいかに貢
献できると考えるか。日本人へのメッセージは何か」という問いに対する、マルコス副司令官の答えた内容です。
工藤さんの了解を得て紹介します。
■0勺■-.
われわれの要求を支持して下さるためには、ま
ずそれらが皆さん自身が訴えるべき要求である
ことを理解しなければなりません。ひとりの先住
民が「民主主義、自由、正義」と言う時、それは
東京にいるひとりの日本人、あるいは日本のどこ
かにいるひとりの人間が言うことと同じ意味を
持つのです。ただ、それを要求する方法が異なる
だけです。日本人にとっての「民主主義、自由、
正義」は、ツェルタルの先住民にとってのものと
はおそらく内容が異なることでしょう。しかし、
両者ともそれを手にする権利を有しているので
す。ですからEZLNの要求は理にかなったもの
で、人間ならばだれでも必要としている内容であ
マルコス副司令官
ることを、皆さんは理解すぺきなのです。
われわれは、日本の皆さんにそのことを理解していただきたいのです。EZLNを支援することは、
EZLNを支持すると同時に、人間としての当然の主張を支持することも意味している。それを理解
することがEZLNを支持する最良の方法なのです。なぜなら、その主張は日本人自身のものでもあ
るからです。日本の皆さんも「民主主義、自由、正義」を手にする権利を持つからです。
どうかわれわれをあなた方の「鏡」だと思ってください。日本人を映しだす「鏡」だと思ってくだ
さい。鏡は自分が思い込んでいるのとは異なる自分の姿を映しだします。鏡の中で自分の良いところ
と悪いところを探し出し、良いところはより良くし、悪いところはできるかぎりなくする努力をして
ください。それが、われわれがあなた方に希望していることです。自分たちも、われわれと同じ要求
のために、自分たちのやり方でたたかわなければならない。われわれという鏡を通して、そのことを
日本人は理解する必要があるのです。日本であれ、ロシアであれ、チェチェンであれ、アルジェリア
であれ、オーストラリアであれ、米国であれ、どこであってもね。
われわれの主張を理解し、われわれをよく知り、この地にも日本と同じことがあることを知ってく
ださい。新しい世の中をつくろうという大きな希望はどこでも共通のものです。より公平な世の中、
つまり人間が「モノ」としてではなく、「人間」として触れ合える世の中をつくることは、みんなが
望むことです。支配する者と支配される者という関係ではなく、あるがままの対等な関係で触れ合え
ることは、人間なら誰もが望むことです。チアパスでも、メヒコ全体でも、日本でも、世界中のどこ
においてもね。ここチアパスの人たちの間に存在する「新しい世界を築こう」という希望は、日本に
も必ず存在していると、私は確信しています。
(95.10.20チアパス、メヒコ:インタビュー.翻訳/工藤律子:写真/篠田有史)
-7-
掬蕊チア腕は今
;≦季'こ》識…よう…運瀞二1F
1994年1月1日のメキシコ東南部チアパス州での武装蜂起で始まったサパティスタ民族解放軍
による運動は3年目となりました。和平交渉は未だ進展を見せない状況の中、依然として「平和に生
きる権利」の人々の闘いは続いています。
彼らの闘いは、草の根の民衆と指導者、直接民主主義と代鍛制民主主駿、女性と男性、地域と国家、
農村と都市、先住民族と反権力と非権力、暴力と非暴力など様々な問いかけをはるか離れた日本の私
たちにも投げかけています。
現在の世界の在り方に異識を唱え、新しい社会の在り方を共に考える機会としてぜひチアパスを訪
れましょう。
日時:3月23日(土)~4月7日(日)〔左記の期間の内約11日間を予定〕
訪問先:仲裁全国委員会(サムエル・ルイス司教)、フライ・バルトロメ・デ・ラス・カ
サス人権委員会、農村共同体、バリオ(地域)市民運動、教会基礎共同体など
参加費:約23万円
問い合わせ先:日本ラテンアメリカ協力ネットワーク(レコム)
TeI/FaxO3-3222-0433
鐵襄灘I 鍵
メキシコをもっと知るために-参考文献一
『も
、
。)、
たくさんだ!
メキシコ先住民蜂起の記録①』
●
サパティスタ民族解放軍箸
時に怒りをこめて、時にユーモアを交えて、詩的に語られるメキシコ先住民の歴史と生活。権
力を求めず、みずからも兵士であることをやめて働く曰を待望しながら局地的に展開される民族
的復櫓のたたかいは、ポスト冷戦の世界に深い示唆と感銘を与える。
写真・解説多数収録。現代企画室刊4,500円
『コーラを聖なる水に変えた人々-メキシコ・インディオの証言』
リカルド・ポサス/清水透箸・訳
革命期のメキシコを数奇な運命で生きた父とチャパスの寒村にまでコーラが浸透する現代を生
き屡息子。親子2代にわたって語られた「インディオから見たメキシコ現代史」
現代企画室刊21600円
鶴
『バイクに乗ったコロンブス』
黒薮哲哉箸
メキシコ・ホンダの日々数知れぬ日本企業が国外にエ場を持ち生産に従事している。企業人
たちは現地の人びとに、どんな言葉遣いで話し、どんな態度をとっているのか。それをメキシコ.
ホンダエ場に探る。
現代企画室刊2.400円
-8-
鱸
オグァテマラ艤鰯
nテラ、への蓼切Z
1996年1月7日、グァテマラの大統領を選出する決選投票が行われ、PAN(進歩党)のアル
バロ・アルスが671,354票(51.22%)を得て大統領に選出されました。しかしながら639,404票
(48.78%)を獲得した対立候補のアルフオンソ・ポルティージョCFRG:共和戦總)との差は
31,950という僅差の勝利でした。特に22県のうち18県でFRGが勝利を収める結果となり、前グ
ァテマラ市市長であったアルスは首都での票でどうにか逃げきることができました。>
しかし明確な争点を欠く決選投票に対する関心は低く、棄権率は6a12%にものぼりました。(ちな
みにグァテマラ国内で投票権を持ちうると推定される人ロは530万人く今回有権者登録をしたのは377
万人>といわれますので、アルスは12%の票しか得ていないということになります。)
しかし今回の総選挙全般を見渡すと、"ムニシピオ(地方自治体)の首長選挙において、これまでの
既存政党への批判票を集めたコミッテ・シビコと呼ばれる市民組織の伸張には著しいものがありまし
た。それはいまだ改選数300のうちの21をとったに過ぎませんが、その中でもソロラ・ケシアル
テナンゴ・キチェというマヤの人ロが多い3県の県都の首長に、市民組織出身のマヤの人が選ばれた
ことは、今後の地方政治のあり方に大きな影響を及ぼしていくことと思われます。
またムニシピオの首長へのマヤの人々の進出は目覚ましいものがあり、マヤ系の人口が多いg県を
とった場合、85年の59対111,90年の80:90から今回は90:61へとマヤの人々の当選が上回る結
果となっています。(EノノワBgノロノW、2“DM,Ⅸ95*改選数は年によって違いがあります)
キチェ県の首都サンタクルス・デル・キチエの首長となったシルベリオ・ペレス.デ・レオン氏は
就任式において、まずキチェ語で、それからスペイン語で、次のように霞りました。
「今回、サンタクルス・デル・キチェの歴史ではじめて市民組織を通じて首長となることができま
した。この勝利はこの自治体、特に農村部が抱える問題を解決するために成し遂げられたものです。
また私たちの街の歴史に新しい-歩を記すものでもあります。それはマヤが自らの権利を行使し、意
識的な政治参加をはじめたものであります。こうして私たちは少しずつ自らの意志決定と問題解決の
場を広げつつあるのです。そして問題解決のためには皆さんの直接の参カロが必要です。一緒になって
問題を解決していきましょう。そのためには組織しなくてはなりません。また村ごとに議会をつくっ
てムニシピオの議会の助けにしたいと思います。このやり方で腐敗をなくし、差別をなくしていける
のではないでしょうか。今日この日に、これまで長い間に渡ってこのサンタクルスの人々に禁じられ
てきた権利を取り戻したいと思います。役人だけで物事を進めるのではなく、あなた方の参加と提言
によって決めていきたいと思います…これは私たちのサンタクルス・デル・キチエの新しい夜明け
なのです。」(96.1.15)
このように語ったシルペリオは具体的な参加の手法として村鍛会の他にも定期的に「カビルド・ア
ビエルト」(直接に民衆の声を聴く議会)も開いていきたいと語っています。こうした動きはマヤの
人々が歴史的に築いてきた政治システムを、現在の政治システムの中に取り込み再生していこうとす
る試みだと言えます。また役場でキチェ鱈で応対していけるようにも制度を整えていくつもりだとい
います。
ざ
こうしてマヤの人々が主体的に地方政治への参加を進めていくことによって、国レペルではなかな
か進んでいかないマヤの政治的権利の確立が徐々に成し遂げられていくのではないかと思います。
(青西)
-9-
色鮮やかな民族衣装で知られ、約一千万の人口の6割以上を占めるマヤ系先住民が、今も抑
圧と貧困の中で暮らす中米グアテマラ。現在、三十年を越える内戦を終結させる和平交渉が続
けられ、約二十万人と言われる国外難民と数十万人の国内避難民の帰還が進められている。一
方で、帰還先では軍部による弾圧が続!}ている。主な帰還先のイシュカン地方を訪れた筆者が、
今も続く人権侵害と、その改善を目指して自ら活動を始めた人々の動きについて報告する。
太田裕之(中南米と交流する京都の会)
<抵抗の共同体>
30年12月8日、午後3時。グアテマラ・キチェ県北西部のイシュカン地方(→☆)。私はジャ
ーノルの中にある「抵抗の共同体」を訪れ、ルイス・アントニオ(29)に再会した。
「抵抗の共同体」とは80年代初めの章による焦土作戦でジャングルに逃れた人々が作った共
同体だ。軍にゲリラだと決めつけられ、爆撃や機銃掃射などたび重なる迫害を受けながらも、
グアテマラ国民としての権利を尊重させることを政府に求めて非暴力・不服従の抵抗生活を続
けている。
90年代に入るまで、彼らの存在は一般にはほとんど知られていなかった。当初は兵士に追われてジャング
ルを逃げ回り、食べるものは木の実や草の根だけという毎日だった。何人もが兵士に殺され、それに劣らぬ
数の者が飢えや病気で死んでいった。やがて兵士の接近を事前に知るための見鰻りを置き、簡単な小屋を建
ててトウモロコシや豆などを作るようになる。だが燭撃や兵士の侵入は止まず、彼らはその度に(数キロ先
のメキシコ領内へ避難した。危険が去ったのを確潔して戻った時には、家屋や畑が焼かれているという生活
が続いた。
91年1月にラジオを通じて自らの存在を明らかにして以来、彼らは国内外の市民団体から支授を受けるよ
うになる。93年6月からは集落の中に外国人支擾者が住み込むようになり、軍による直接的な武力攻撃は止
むようになった。94年2月にはジャングルの一角を切り開いて作った新たな村での生活を始める。それは木
の下に隠れ住むのをやめ、太腸の下で堂々と暮らし始めることを意味していた。
私は93年12月と94年2月の二度に分けて彼らの共同体を肋れ、暮らしぶりを毘録していた。
再会した私に、ルイスは「人櫓部門で働いているんだ」とほほ笑んだ。2年前に訪れたとき
には耳にしなかった部門だ。
94年に入ってから、彼らは「人権ネットワーク」と呼ばれる部門を開設した。担当者を選ん
で法律などについて学習を始め、自分たち自身で人横擁護活動を始めた。同年末には同じイシュ
カン地方の帰還難民の組織らとCORDHI(イシュカン地方の人権擁蔑機関)という組織を
結成したとのことだ。今ではイシュカンの中心の町カンタパルに事務所を繩え、自分たちの共
同体だけでなく、域内全体の人横状況の改善に取り組んでいる。
93年前半まではたびたび兵士の侵入や機銃掃射を受けてメキシコ領への避難を余儀なくされ
ていた。トウモロコシや豆などの畑は何度も焼かれ、生き延びるだけで精一杯d海外のNGO
からの支援者の助けなしには自らの命を守れず、法律などについてきちんと勉強する余裕など
なかったのだから大きな進展だ。
ルイスも、もう1人の担当官フランシスコ・ラミレス(29)も共に小学校低学年の教育しか
受けていない。法的な事柄に関わるのは今回が初めてだ。だが、自身の体験から任務の大切さ
は十二分に理解している。ルイスは母と生後3カ月の妹を、フランシスコは兄を、’83年1月
に兵士に殺されていた。
-1-
去首
首都の北西約150キロのキチェ県北西部、車で+数時間のとこ
ろにある。メキシコとの国境に沿ってジャングルが広がる一帯
は、1960年代前半までは住む人の救い未開地だった。60年代半
ば、教会関係者らが土地を買い上げ、土地を持たない貧しい鵬
民に入植を呼びかける。全国から3万人近くが集まり、耕作は
個人で、収穫物の販売や医療・教育などの社会サービスは共同
で行うという共同体がいくつも形成された。
iii態
70年代後半から協同組合形態を嫌う軍による弾圧が激しくな
り、80年代初頭にはゲリラ討伐の名目で焦土作戦が展開される,
虐殺を免れた人々も土地を捨て、メキシコ領内や国内各地へ避
難した。軍は自らが破壊した村落の跡地に外部から人を集めて
「モデル村」を作り、自警団と呼ばれる住民相互監視機織を作
って自らのコントロール下に極いた。
<帰還難民キャンプ銃撃事件>
12月17日の夕方。「抵抗の共同体」訪問を終え、首
都へ戻るための乗合トラックが出るカンタパル方面へ向かって#'た時だ。穴だらけの道獲走る
トラックの荷台に揺られていると、隣で話している男たちの会話から次のよう粒言葉を耳にし
た。「昨日、カンタバル近くで武力衝突があって女の子が1人殺られたそうだ」。
翌18日の朝、カンタパルヘ着いた私がCORDHIの事務所を訪ねると、ルイスとフランシ
スコはその銃撃事件の処理に追われていた。
事件は16日の午後1時半ごろ起こった。国連グアテマラ人権監視団と国連難民高等弁務官事務所、グアテ
マラの政府機関である人権擁謹官事務所の職員が調査に訪れ、亡くなった女の子と負傷した男の子は国連の
ヘリで首都に運ばれた。
カンタパルを出て、メキシコとの国境へ続く1編5mほどの道を歩く。両側は亜熱帯の原生林
と、それらを切り開いて作った牧草地だ。乾期の太陽に照りつけられながら20分ほど進むと、
右手に棒切れとピニールシートを組み合わせたテントが集まっていた。銃撃を受けた帰還難民
のキャンプだ。
道路に面したテントに人だかりができていた。中を覗く。
2~3mほどの高さの木と、地面に打ち込んだ同じくらいの丈の棒切れを使って張られた黒
いビニールシートの屋根。そこには弾丸が通った跡と見られる直径1cmほどの穴がいくつかあ
き、柱にも弾痕が見られる。棒切れを組み合わ允脚に板切れを渡しただけのベッド中央にはロ
ウソクと数本のバナナ、数個のオレンジが供えられていた。女の子が鍵れた現場だ。
ベッドの板には長径が60cmほどの楕円形をした血痕が残っている。赤紫に黒を少し混ぜた色。
ペンキをこぼしたようにペットリとして、蝿が数匹たかっていた。
「突然、向こうから弾丸が飛んできたんだ」。キャンプ代表ルーカス.カストロ(30)が、
道路の反対側を指さして言う。
事件当時、道路わきの食料の配給所前には十数人がいた。付近では何人もの子どもたちが遊
んでいた。弾丸は複数の方向から飛んできた。数十発は連射されたという。人々はパニックに
陥り、逃げたり、地に伏せたりした。
一発が配給所の隣、道路に面したテントのベッドに腰掛けていた女の子マグダレナ.クー.
カール(9)の頭を貫通した。そばにいた男の子サンティアゴ・キッシュ・カール(12)も胸
に弾丸を受け重傷を負った。
-2-
心:::1輪.
T,靭已
蟻
《写真》銃鑛を受けた半・I・ルプでぬ巣会と、殺された女の子の母親(右)
銃撃が止んだあと.道Miiの反対側の茂み②硝趣が上がっていた」し点で軍用ブーツらしい足跡が確麗された。
、過去の弾圧の経験からも.柵通難民の人為とcORpHzのメンバーは、銃盤を加えたのは軍の兵士だと考
えた。
軍は当初、同じ時刻にゲリラとの間で戦闘があったと述べ、女の子らに当たったのはその流れ弾だろうと
の見解を発表する。戦闘があったとされる地点と事件現場が4キロ離れているのが明らかになると、ゲリラ
がキャンプを直接襲ったのだと宮い換えた。
この日、CORDHIのメンバーらはキャンプの人たちと集会を開いた。彼らが準備した告
発文書の内容の吟味や、新聞に掲載された記事の説明が行われる。この日の有力紙「プレンサ・
リプレ」には軍の見解が掲載されていたが、キャンプの人々の証言は全く書かれていなかった。
そこでキャンプ側とCORDHI側から代表者を選び、首都にある報道機関や人権機関に証言・
告発して回ることに決まった。
CORDHIのメンバーらとの話し合いにキャンプ側の人々は納得した様子だった。亡くなっ
た女の子の母親は地面に座り込み、幼子に乳を含ませながら声を出さずに泣いていた。
◇今回銃撃を受けた人々はイシュカンにあるサンタ・マリア・ドローレス村の出身だ。弾圧を受けてメキシ
コへ逃れている間に、彼らの土地には軍によって別の人間が住みこんでいた。メキシコで難民生活を送って
いた彼らは、95年8月、政府から1カ月以内に別の土地を提供するという約束を取り付ける。だが約束の期
限が過ぎても一向に履行する気配を見せない政府にしびれを切らし、10月末に2度に分けて帰還を強行した
のだった。
政府系の難民対策特別委員会は彼らの帰還を非難する。帰還先が確保できていない場合には難民帰還を
進めるのは大問題だと大統領がコメントした。
強行帰還した人びとはイシュカンにある難民帰還村でキャンプを狼り、政府の約束履行を待った。何の返
答もないまま12月になり、彼らは出身地のサンタ・マリア・ドローレスを訪れて占拠住民たちとの話し合い
を試みた。だが、自警団のメンバーら占拠住民たちに脅迫や妨害を受け、やむなく政府系の難民対策特別委
員会所有の土地にキャンプを移した。そこへ銃撃が加えられた。事件後、紛争地への難民帰還には大きな危
険が伴うとの大統領のコメントが各紙に掲戦された。
<イシュヵンの現状とCORDHIの働き>
93年以降、イシュカンではメキシコからの難民帰還が進められている。同時に国内避難民の
帰還・再定住も始まった。「抵抗の共同体」の人々は95年末から、ジャングルを出て開けた土
-3-
地への移住を進めている。
一方で、一帯のジャングルには今もゲリラが潜伏し、それを討つ名目で至る所に設けられた
軍の駐屯地もそのまま残っている。政府とゲリラとの間で和平交渉が進められている現在も、
散発的な戦闘は依然続いている。そのため、住民への弾圧が「ゲリラとの戦闘」としてカムフ
ラージュされてしまう。カンタパルには94年11月から活動を始めた国連人権監視団の事務所が
設けられているが、人櫓侵害は後を絶た江い゜へ
今回の事件の他にも、10月5日にはイシュカンに近いアルタ・ペラパス県のシャマン農園に
ある帰還難民の村で軍が無差別に発砲、子どもを含む11人が死亡、30名以上が負傷する事件が
起きている。12月15日には難民帰還を進める難民自身の組織「難民常設委員会」のリーダーの
息子が殺された。帰還難民や、ジャングルを出て新たな村作りを始めつつある「抵抗の共同体」
の人々には大きな恐怖感が広がっている。
「外部の機関にすべてをまかすのではなく、自分たちでも何かをしなければ」。そんな意識
の中から生まれたCORDHIは、結成後1年で次のような仕事を行ってきた。
◎14の村を回って人権に関する謝習会を開く。
◎焦土作戦時に軍が作った秘密墓地の発掘への立ち会い。
◎自警団からの脱退への立ち会い。
◎シャマンなど各地での人権侵害状況検証。国家警察による違法逮捕の検証など。
また、国連人横監視団らと連絡を取りながら活動しているCORDHIは、それらの公的機
関がきちんと機能するよう働きかける役目をも担っている。政府系の機関は軍を前にすれば口
をつぐみがちである。
「活動を始めた当初は自警団からの脅迫が絶えなかった。彼らが『人横について云々言うの
はゲリラだ」と言って回る中で、村を訪問しても僕らに賛同してくれる人は少なかった。でも
ね、何度も話をしていくうちに分かってくれるようになるんだ。今では多くの人が僕らに相談
しに来るよ」と、ルイスは語る。
80年代初頭の焦土作戦は「全国で440の村を消滅させ、十数万人の死者・行方不明者と、100
万人を越える難民・国内避難民を生んだ」と言われる。以来、人権侵害に異議を唱える者には
徹底的な弾圧が加えられてきた。人々に植え付けられた無力感と恐怖感は根深い。
状況を変えるには、地域の人々全員が恐怖を乗り越え、自信をもって取り組むことが必要だ。、
その意味でも、実際に弾圧を経験してきた者たち自身が構成する「抵抗の共同体・人構ネット
ワーク」やCORDHIの活動は大切な試みなのである。
霧:議繍蕊篝護義灘鱗蝋繍議鱗霧灘蕊篝霧議譲議i蕊|灘蕊鑿
CORDHIは、「抵抗の共同体・人権ネットワーク」や帰還難民の人権連絡会など3つの
組織が派遣する合計6名のメンバーによって運営されています。メンパーの活動経費はそれぞ
れが所属する組織が負担していますが、「抵抗の共同体・人権ネットワーク」には財政的に余
裕がありません。そこで筆者の知人らに呼びかけて「抵抗の共同体・人権ネットワーク」を支
援する会を作りました。
具体的には資金面での協力を考えていますが、日本で暮らす私たちと「抵抗の共同体」の人
々が交流していく足掛かりになれば、とも考えています。これを読まれた皆様が参加して下さ
るのをお待ちしています。
《連絡先》〒615京都市右京区梅津フケノ川町17-5太田裕之
茜075-872-3188(燕ただし96年3月末まで。以降は未定です。)
(カンパ振込先》(郵便)O1090-2-50698
「CPR人権擁護部門支援委員会」(※CPRは抵抗の共同体の略称です。)
<太田ネG卜えい石,リ檀3の鞄借会>-4-.3Plzp銭.ノ鞠蝋鯛c〕・うwFh3卜
2月23日・同売私大学今出111手や>ハ琢博遠館3.鋸18:。。開場
諺加瞥5℃○円(噌生3。。円)
冴問Ⅱ合介itf:辻久売・OD75-3l6-265ワ
(へ-へ)そんりさVoL22(ヘーヘ)
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私たちレコムの支援している、グァテマラのつれあいを奪われた女性たちの会(コナビゲァ)の共同代表、ロ
サリーナ・トユユクさんが、昨年11月の総選挙で国会殿員に立候補、当選されました。蟻員としてのこれから
の抱負をうかがいました。
私たちは今、先住民族として初めてこの国の政治に参加しようとしています。そこでは、これまで
政治的・経済的権力を握ってきた軍部や一握りのエリート層と対時しなくてはなりません。ですが私
たちは大きな変革の時期となるであろうこの96年、97年に向けて、まずいくつかの法改正に取り組み
たいと思っています。先住民族の政治参加を制限している政党法や徴兵制の改正、女性や子どもの権
利の擁護、自瞥団の解体、軍の縮小、そして免罪の問題などに取り組むつもりです。ですが、これま
でに法について、公に知らされてこなかったためもあり、私たちの法的な知識は十分ではありませ
ん。これから勉強し、改正案をだして行かなくてはなりません。これは熱意と民衆の支援があればで
きるはずだと思っています。
もちろんこうした仕事は1年ぐらいの短い期間にできるものではありません。農民や女性・労働組
合などの代表が選ばれていない議会内だけの仕事でもなく、広く市民の声が反映されるべきだと考え
ています。また顧問団も作り始めました。政治・経済・法制度や、マヤの相談役たちで、無償で構わ
ないと申し出てくれている人たちもあります。既に様々なセクターで活動する女性たちとは二度の会
合を持ち、その提案を聞いています。
毎日が学校のようなもので、一日一日学ぶことがたくさんあります。2000年の選挙には別の代表た
ちがでると思いますが、それまでにこの世界での経験を積み上げていきたいと思います。
これからは議会への民衆の代表として、これまで以上に草の根の人々と話し合う機会を多く待ち、
近くにいるべきだと思っています。議員になったからといって、コナピグァという組織を抜けるつも
りはありません。先住民族の政治参加という共同プロジェクトに参加、貢献するために、コナピグァ
が私を貸し出したというふうに考えていただければと思います。
この参加は差別をなくし、先住民族の権利を確立し~公正な社会を築くための新しい第一歩なので
す。
そのためには日本に住む皆さんにも協力をお願いしなければなりません。一つは資金援助で、これ
は新しいリーダーの育成や市民との話し合い、顧問団への支払いなどのために必要です。もう一つは
政治的・道徳的支援です。私たちは政府に対する対抗勢力となり、その家族にまで危険が及ぶ可能性
は大きいと考えられます。今後とも様々な形で支援していただけるようにお願いいたします。
95.12.12ロサリーナ・トウユク
-10-
汁グァテマラリリ輔『
智子さんおかえりなさい!!さっそくだけど聞いていいですか?
会員の皆さんには既におなじみの石川智子さんが年末から一時帰国しています。智子さんは93年からコナビグ
ァ「つれあいを奪われた女性たちの会」と行動を共にしてきました。
グァテマラでは80年代初頭を中心に行われた軍による大虐殺によって多くの先住民族が命を落としました。(破
壊された村は440以上、100万人以上の国内難民、15万人以上のメキシコ難民、そして殺された人は数万人
にものぼりました。)その他にも麗園での過酷な労働も彼らを死においやっています。こうしてつれあいを奪われ
た女性たちが、先住民族であることや寡婦であることへの差別もあいまった、困難をのり越えるために集まつだの
がコナビグァです。
人権活動をしていく中で、軍の抑圧は厳しく、他の民衆組織同様コナビグァのメンバーも誘拐や暗殺の危険にさ
らされています。
智子さんは外国人の「同伴者」として、彼女たちと一緒に寝泊まりすることでそういった危険を彼女たちから遠ざ
ける役目を担ってきました。
bこれまでも一時帰国された際には何度かお話をしていただきましたが、智子さん自身については案外、皆さん
「どんな万なんだろう」と思ってはいませんか。そこで今回は、グァテマラやコナビグァのことよりもむしろ智子
さんについて、直接お聞きしたいと思います。
Q:はじめてグァテマラに触れたのはいつですか?
A:87年に友達に誘われてメキシコとグアテマラを旅行したことがあるのね、グアテマラには、3
ヵ月ぐらい居たかな。サン・アントニオという村を拠点に半分くらいは旅行、半分くらいはそこ
の人たちと生活を共にしたりなんかして。それでグァテマラをとても気に入ったの。そこの村が
平和だったせいもあるのだけど、先住民族の人権状況なんかについては全然知らないまま..、
ほんと素敵な生活をしてたのよ。女性たちがゆっくり織物をして、時間の間隔が緩やかで、お日
様と一緒に生活しているって感じで。日本だったら天気予報だってテレビとかラジオとかつけな
きゃならないでしょう。でもそこでは自分では見て考えるんだよね。
Q:それがどうしてコナビグァに?
A:それから日本に帰ってきてからは全然グァテマラに関する情報をキャッチしないでいて。あんな
に気に入ったのに日常的に接してないと忘れちゃうでしよ。それで何年かたっちゃったのよれ。
でも第三世界とか、南北問題に対しては、ちょっとは関心もあって、JVC(日本国際ボランテ
ィアセンター)のラオスとベトナムを手伝っていたんだけど、そのときRECOMが孤崎さん(中
米の人々と手をつなぐ会)を呼んで勉強会していたのよ。そこで初めてグァテマラの先住民族に
対する弾圧の歴史について知る事になったの。それを知った時はショックだったわよ・旅行して
たのになんで気がつかなかったんだろう、帰ってきてからも何で何年も知らずにいたんだろう、
って
そしたら今コナピグァで外国人同伴者を求めてるっていうじゃないの。スペイン語できないけ
ど私でもいいの、って聞いたら、いいって言うじゃないの。じゃ、試しに行ってみるかって思っ
たの。軍の抑圧の中で、それだけひどい状況の中で、女性たちが勇気をもって立ち上がっている
〃だもの。それってすごいことでしょう。
Q;コナビグァでは、どんなふうに暮らしているんですか?
A;首都の事務所には、いつも何人かのメンバーが一緒に暮らしているから、個室はないよね。寝る
ときは薄いマットを適当なところに敷いて適当に寝るわけ。朝はみんなで6時に起きて、掃除し
て、シャワーして、洗濯して、食事して、8時には事務所の仕事に入ることになってるんだけど。
私の仕事はねえ、まずドア開け。誰かが来てピンポンってなったら私が出ていって、ドアのと
ころについている小さい窓を開けて誰かを確認して、大丈夫ならドアを開けるという仕事。外国
人が居るんだぞ、ということのアピールにもなるし、危険を防ぐという意味もあるし。他の民衆
組織の人とか、外国人、学生、マスコミ関係者とか、ずいぶん来るよ。地元のマスコミなんかひ
どいもんで、ドカドカと入ってきては「ロサリーナいる?」とかって。さんざん話し聞いてから
載せなかったり。
-11-
( ̄-へ)そんりさVoL22「-へ)
_。-_写,.。-つ■0o,2-
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。.!',・しげげDO1P・凶-
゜.i罫?
あとは新聞の切り抜き。コナピグァ1こ関係ありそうな記事を毎日5紙ぐらいから切り抜いてう゛
アイルしておくんだけど、これが結構大変で、だって忙しくて一日ためたらすごい量になるでし
ょう。わりと時間もかかるしね。
それから出かける人にくっついていくっていうのもあるよね。集会に出席する人とか、市場に
買い物にいく人とか、「一緒に行ってくれる?」って言われたら行くようにしているんだけど。
地方から出てきた人なんかは慣れてないからちょっとの外出もものすごく怖がるのよれ。やっぱ
り銃声に対する恐怖もⅥ私が持ってるものとは全然レベルが違うのよ・
デモについて行くのも結構あるわね。個人的に結榊好きだし、コナピグァの記録ってことで写
真も撮らなきゃないし。
で、事務所の仕事は正式には5時で終わり。でも夕食が済んでからも会議があったり、やり残
した仕事をしたり、昼間できなかった洗濯をしたり、みんな忙しいんだけど。10時から始まる
ニュース番組をみんなで見たりもするよね。そんなときとか、私が一人で事務所で作業してると
こっそり入ってきて、「U忙しい?今日はね、こんなことがあって、ちょっと足が痛いんだけど」
なんて言ってマッサージしてもらいに来るのよれ。(智子さんはニカラグァにハリを送る会の鍼
の先生にマッサージを少し教えてもらって、コナピグァでやってあげたところ大好評でリクエス
トが絶えないそうです)あんな状況の中を生き残って、これまでやってきて、ストレスはものす
ごいでしょう。体調なんかも良いはずないわよれ。学校だっていけなかった女性たちが、組織作
りから始めたんだから、責任感とか、恐怖感とか、子供や家族の心配だってつきないし、お金だ
ってないでしょう。食事だって充分じゃないし。
地方に行くこともあるよ。夜明け前に起きて、バスに乗って。地方でのデモや、集会、現場検
証(虐殺とか、誘拐、暗殺の)なんかに行くんだけど。コナビグァから一人とか二人で行く時は、
私がついて行かないと。
Q:コナビグァの人と一緒にいて感じたことは?
A:あれだけひどい中でどうしてこんなに忍耐強く運動を続けていられるのだろうと、思った。や
られるだけやられてきて、弾圧の中で軍がどれだけの事ができるかを知った上で、そして家族ま
で危険に巻き込むのを覚悟の上で..、彼女たちはそんなのは恐くはないというけれども..、
いつも「つけられているのでは...」とか気にしている。
だけど相変わらず変わらない社会の中で、それを変えるために頑張っている。手近な問題をど
うやって変えられるか考えているうちに、目指すものは非常に大きくなっているように思う。先
住民族の権利が認められて、飢える人がいなくてみなが食べられるように、仕事があって、平和
に暮らせて、みんなが社会参加できて...
Q:グァテマラで彼女たちの運動に触れてきた後で、日本の社会をみてどう思いますか?
A:日本って大変なところだと…私も会社で働いていたことがあるけれども、日本にいると自分の
世界だけで、外側のことに無頓着っていうか無感覚になってしまうような気がします。どうして
なんだかわからないし、個人個人のせいというよりも、もつと..、うん
それでグァテマラにいるときは「人と一緒にいるんだ」って気がするんだけど、日本にいると
一緒にいるっていう気がしなくて、なんかバラバラって感じかな。
Q:日本の私たちに、望むことってありますか?
A:やっぱり知ったこと、見たことをちゃんと伝えてほしいよね。無理して途中で疲れちゃうより、
ちょっとずつ続けてほしい。ツアーとかでグァテマラを知る機会だってあるし、見てみるのが手
っ取り早いかな...。
Q:コナビグァに望むことは何ですか?
A:早くお家に帰って欲しい。早くコナピグァという組織が要らなくなるくらい平和な社会になっ
て、彼女たちには家でゆっくりして欲しい。運動に関しては私がとやかく言うことじゃないし、
本当に早く帰れる日が来ればいいと思う。
お話を聞いている間中、智子さんは本当にコナビグァが好きなんだなあ、と感じました。智子さんのことを聞い
ているのに、結局コナビグァのみんなの話をしてしまうところなどは本当に。3月には再びグァテマラのほうへ戻
られるということです、2月中は全国で鰯演会が予定されていますので(巻末インフォメーションページ参照)、
皆さんぜひ智子さんに会いに出かけていってはいかがでしょうか。(聞き手千葉裕子レコム会員)
-12-
(へ-へ)そんりさVoL22( ̄-へ)
麹顧圏一劉魑鐘躍溺霞騒塞懸一■■歴趨
昨年6月のフアン・レオンさん、9月のマリア・カールさん、ロス・カニンガムさん来日の際に通訳として
国内さまざまな地域に同行してくださった新川志保子さんが、現在住んでいるボストンからレポートを送って
くれました。
ボストンに住み始めてまだ二ヶ月あまりですが、そ
の間に触れたこちらでのラテンアメリカ・カリブ連帯
運動について少し報告したいと思います。
まずなんと言ってもアメリカ合州国は日本とは異な
り、カリブ・中南米との歴史的、政治的、経済的な関
係が違うこと、合法・非合法を含めて米国に居住する
カリブ・ラ米人の数が多いこと、マス・メディアでの
ラテンアメリカ・カリブのニュースカバーは少ないけ
れど.マイナーな情報麓やコンピューターネットワー
クへのアクセスが簡単で、個人で情報を得るのが容易
なことなどがあり、連帯運動は日本と比較にならない
ほど大きく多様に展開していると言えるでしょう。各
地にある連帯組織がそれぞれ自立的に活動し、全国的
な催しはワシントンDCにあるネットワーク組織など
と連携して行うという形になっているようです。
とりあえず、なかでも私が最も情報を持っているグ
ァテマラ連帯運動について少し報告したいと思います。
まず、全国のグァテマラ連帯運動のネットワーク組
織であるNISGUA(NetworkinSolidaritywith
thePeopIeofGuatemala…どこもネーミングには苦
労してるようですが…)この組織の主な活動は、月
間のニュースレターと季刊ののグァテマラ・レポート
の発行などの広報活動の他、全国規模での催しも行っ
ています。ちなみに95年度の活動は以下のようなも
のでした。
・六ケ月におよぶく真相究明要求:CallforTruth>キャンペーンの実施
バマカ事件と呼ばれる、グァテマラ人ゲリラであった夫、エフライン・バマカが軍に連行された後、拷問を
受け殺された事件の背後にCIAが関わっていたという事実を米国政府とグァテマラ政府に明らかにさせるた
めのジエニフアー・ハーバリーさんの運動と、米国のトリチェリ騒員によるグァテマラにおけるCIAとグァ
テマラ軍部の関係についての鉦言を受けて実施された、グァテマラにおけるCIAが関与した人檀侵害の真相
究明キャンペーン。プレスへのコミュニケ発表、職会前でのデモや2000件以上のホワイトハウスへの電話によ
る抗騒、新聞への意見広告掲戯、国会議員へのロビー活動などを展開。
・オハイオ州クリーブランドでの50名の参加者による地域ワークショップの開催。
・グァテマラ国内の草の根民衆組織への資金援助(総額32,000ドル以上)と今年から6月3日を草の根組織支援
の人決めて催しを行う。
・他の組織をともに連帯活動家の代表をグァテマラに二回派遣。その他、学生の派遣、11月の選挙監視団の派
過。
・スターバックス・キャンペーンに協力
全国展開の喫茶店チェーンのくスターバックス>に対し、グァテマラからのコーヒーを輸入する際に、コーヒ
ープランテーションで雇用している人々への雇用条件をチェックするという内部規約を制定させた。
・グァテマラの民衆組織(CERJ、デフェンソリア・マヤ:マヤの権利を守る会、FESTRAS、C1EP、CONIC)から
6名を招いて全国50都市でのスピーキング・ツアー開催。
私が住んでいるボストンには1981年から活動をして
いるLACASA〈LATlNAHERlCA&CARlBBEAN
SOUDARlTYASSOC1ATlON>という組織があります。
(専従2名、ボランティア9名の騨騒会)。主な活動
目的は「ボストン地域の人々にラテンアメリカ、カリ
ブの状況を知らせ曇自国政府の抑圧と搾取の対外政策
をやめさせるように組織し、ラテンアメリカ、カリブ
の民衆運動、貧困層の人々、労働者、先住民族と運帯
する」というものです。キューバ委員会、グァテマラ
委員会、ポストンー帯に住むラティーノの人たちが中
心に作っているラテイーノ・コミテイー、経済と週境
問題に焦点を当てて活鋤するフェア・トレード・コミ
ァィー、ニュースレターを発行するニュースレター委
-13-
貝会。そしてラテンアメリカの文化と視点を紹介する
ためのスペイン語教室(ダンス教室を含む)などにわ
かれて活動を行っています。このほかに委員会を作る
ほど大きくないけれども、ハイチ‘メヒコ、エルサル
バドール、ニカラグァなどに関わっている人、グルー
プもあります。
私はグァテマラ・コミテイーに参加していますが、
メンバーは+数人ほどでしょうか。二週間に一度水曜
日に定例ミーティングがあり、常時7-8名は出世息
します。最近ではグァテマラの選挙監視団に参加した
人の報告と現状分析、資金粟めの方策などを検肘して
います、賀金集めの一環として、春に「ネトの沈黙」
というグァテマラ映画(1954年にアルペンス政権がク
(ニーヘ)そんりさVol、22(ヘーヘ)
-デターで倒された時代を背景にしたネトという少年
もちろん、先に述べたNlSGUAをはじめ、その他
とその家族の物語)の上映計画があります。私はまだ
の関連組織、グループとも協力しあっています。また、
グァテマラだけではなく、中米関連のキャンペーンな
見ていないので面白いかどうかは分かりませんが、主
人公はグァテマラの中産階級の家族であるという設定
だそうで、一般アメリカ人が見ても理解しやすいだろ
うというのも決定の理由の一つだということでした。
どにはコミテイーとしてではなく、個人で参加してい
る人もいます。
・GAPキャンペーンの成功
これはグァテマラではなくて主にエルサルバドールですが、支援運勤の成功例として紹介したいと思います。
今、米国で急展開している若者向けのカジュアル。ファッションのチェーンでくGAP:バナナ・リパブリ
ックというひどい名前のチェーンも所有している大企業です>というのがあります。ちょっと大きな町にはか
ならず数軒はあるし、派手な広告も出しているから、米国を旅行したことがある人ならば、ああ、あれねとす
ぐに思い浮かぶと思います。そのGAPはエルサルバドールにあるマンダリン・インターナショナルという名
前の縫製エ場(マキラドーラ)に下請けさせて商品を製造しているのですが、そこで働いている女性や子ども
の労働条件はひどいものでした。定価が20ドルのシャツを作ってもエ場労働者の収入は18セントにしかな
らず、12時間、時には21時間というシフトで働かされるにもかかわらず、トイレに行けるのは2回だけと
いった状態だったそうです。
そこでこのマンダリン・コーポレーションのエ増労働者たちが組合を作ろうとしたところ、エ塙側はこの人
たちを解雇しました。(当然、彼女たちに対する脅迫や暴力もありました。)米国の労働者団体であるナショ
ナル・レイバー・コミテイー(NLC)がスポンサーとなって、昨年夏にマキラ労働者が二人米国、カナダを
回って現状を訴えて以来大きなキャンペーンが起こり、労働組合だけでなく、消費者運勵、学生、宗教組織な
ども呼応して、GAPに解雇の取り消しと雇用条件の改善を要求したのです。GAPはこれに対し、マンダリ
ン・コーポレーションに下請けに出さない(つまりエルサルから撤退する)ことで対応しようとしました。反
対側はそれはエ場労働者たちの解雇を意味し、状況は悪化するだけだとして、あくまで縫製エ場は残し、労働
条件の改善を行うようにと主張し、「女性や子どもの搾取によって作られた洋服はいらない」という反GAP
の不買キャンペーンを開始しました。この問題はニューヨークタイムズなどの大手マスメディアでもかなり大
きく取り上げられ、反響を呼びました。GAPはすばやくこれに対処し、撤退を取りやめ、解雇の解消と法定
の労働時間と賃金の遵守もそして中立の労働条件オンブズマンと人権監視員を設置することをマンダリン・イ
ンターナショナルに強制することに同意したのです。反対運動側もびっくりするほどに大きく譲歩したわけで
す。
今後、この取り決めが守られるかどうかは監視が必要ではありますが、下請けエ場の労働条件と人権侵害の
。L■・
正規人を発注元の企業に認めさせたという意味で、非常に画期的な出来事でした。よい前例が-つできだこと
になります。反対運動側はこれを弾みにして中米全域を対象に、他の同様なことを行っている企業に対しても
圧力をかけていく予定です。
団体連絡先
関係団体連絡先
--
NlSGUA:1500MassachusettsAve・NW#241
WashingtonDC、20005
Tel(202)-223-6474Fax(202)223〒8221E-mailnisgua@igc、apc・org
CenterforHumanRightsLegalActio、
GuatemalaHUmanRightsComnission/USA
O2138
D・O20017
E-maIiIacasa、igc・apcplg
332112thst3NE,Washingthon
Tel(202)-529-6599Fax(202)526-4611E-mailghrc@igc・apc・org
HmanRightsWatch/America
メリカズ・ウオッチ)
Tel(202)-966-7903
(もとのア
(米州
機構への提訴など法関係の支援)
Tel(202)-265-8712
LACASA:I151MassachusettsAve・CambridgeMA
TeI(617)-492-8699FBX(617)=547-4959
TheRobertF・KennedyMdnorialCenterfor
HuInanRights
12East33rdsr,7thFloor,NYCNY10016
Tel(212)-679-4120Fax(212)-679-2517
-14-
(ヘーヘ)そんりさVOL22(ヘーヘ)
な経験や思考そして勇気を
知ることができます。もち
ろんその中には理解できな
いと思うこともあるでしょ
う。しかし彼らの運動を知
るなかで、そしてまた彼ら
の運動につながっていくた
レコムの「関わる姿勢」としてはまず「知るこ
と」を重視しています。それというのも現代の日
本社会に生きていて、いくらでも情報を手に入れ
ようと思えば、手に入れられる国に生きているに
も関わらず、あまりにも他の地に生きる人々への
関心が薄いのではないだろうか、そんな疑問があ
りました。いわゆるNGOに関わる人、あるいは
そうした団体へ寄付をしたりする人にしても、そ
の地に生きる人々について本当に関心があるのだ
ろうか、時々そんな疑念がわいてきます。ただ
「海外で仕事をしたい」とか、「かわいそうだ」
とかそういうレベルでの関心であって、その地の
人々が何を考え、何を求めて生きているのか、そ
うしたことには関心が向いていないのではないか、
そんな風に思えてしまうところがあります。
ですが、本当に必要なのは「知ること」を通じ
て他者への感受性を高めること、そして相互の理
解を深めていくことなのではないでしょうか。そ
れは「近代化」「発展」「開発」という名のもと
に、一方的な価値観の押しつけが行われてきた歴
史を前に、NGOという小さなレベルではあれ、
「援助」という名目のもとで他者理解を欠いた活
動が行われていくような事態は避けたいというこ
とでもあるのです。「知ること」を通じて相互理
解を深めていくことが出来たならば、世界はより
多様性を認めあえる豊かな社会を築いていくこと
P-
ができるのではないでしょうか。
レコムの「相互協力」というのはどういう意味
ですか?
現地の人々への支援活動も「相互理解を深め
賑
る」という流れの中に位置づけていけるのではな
いかと考えています。現地の人々の運動なり活動
なりに触れる中で、私たちはその地の人々の豊か
めに自分たちには何ができるのかを考えるなかで、
私たちはより理解を深められるのではないかと思
っています。
ですが同時に、この「相互理解」のプロセスが
一方通行ではまずいのではないかと考えています。
私たちも彼らに対して「今、私たちが目指してい
るもの、考えているもの」を伝えていけるように
ならなくてはいけないのではないかと思います。
それがレコムの「相互協力」というイメージなの
です。彼らが自分たちの社会を築くために、自分
たちの権利のために様々な活動を展開しているそ
の中で、私たちから彼らに提供できるのは「私た
ち自身の経験」なのではないでしょうか。
ですから私たちが豊かさの中で日々漫然と過ご
しながら、たまに海外へ出ていって、ただ学び続
け、あるいは彼らの勇気といった元気の素だけを
吸収して帰ってくるとすれば、それは一つの搾取
とでも言えるものではないでしょうか。
私たちが自分たちの生きる社会に向き合って活
動をしていくこと、そしてその経験を相互に交流
できるようなること、それが「相互協力」の姿で
はないかと考えています。
例えばグァテマラで軍部の抑圧や、自警団の解
体、駐屯地の撤退など「平和に生きる楕利」を求
めて、あるいは多民族国家への道を模索して、時
には命を賭けて闘っている人々への支援活動を続
ける中で、私たちの生きるこの日本という国はど
うなのか、私たち自身が「自分の生きる社会」に
向けてどう動くことが出来るのか、こうしたこと
が常に問い直されているのではないでしょうか。
以上のような活動を通じて、レコムが様々な
人々の運動のネットワークを行っていける運動体
となっていければと思います。
-15-
(レコム会員青西靖夫)
( ̄-へ)そんりさVol、22(へ-へ)
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》鰄勢蝋
諺鰹望ワー
鞠秀蝋
鰯
、EjaZ重DC
期間:3月20日(水)~4月1日(月)〔29日(金)までの短縮コースも検討中〕
参加費:約25万円
同行:新川志保子(翻訳家)
現地コーディネーター:ロス・カニンガム(先住民族和平イニシアティブメンバー)
ニカラグァ大西洋(カリブ海)岸にはミスキートスマ、マヤグナ、ラマ、ガリフナそしてメステ
ィーソなど多様な文化・言語を持つ人々が暮らしています。また歴史的にも中米諸地域の中でも、こ
こは植民地時代にスペイン人の支配がおよばず、イギリスの影響を強く受けてきたことから、独自の
文化を形成してきました。
その後、1979年のサンディニスタ革命の後、サンディニスタ政府による統合政策に対する反発
で、自治要求の運動が高まり、1987年に自治法が制定され、大西洋岸の先住民族は地方自治を勝
ち取りました。
今、さまざまな民族が共に暮らす中でいかに自治を築き上げていくか、そしていかに内戦終結後の
「暴力の文化」から「平和の文化」に変えていくかを考えていかなくてはなりません。この大きな取
り組みに加え、大西洋岸では天然資源の管理という問題にも直面しています。
この地域の豊かな森林資源、海洋資源を求めてさまざまな力がうごめいています。
ニカラグァ中央政府・外国資本・・・「天然資源を巡る新しい戦争」とも言われる状況の中で、先住
民族の伝統的権利等を踏まえた上で、いかに独自の「開発」を進めていくことができるのか、自治政
府の力が試されているところです。
昨年は私たちレコムでも、大西洋
岸から2名の訪問者を迎え入れ、日
本でも、徐々にこの地域への関心がA
高まりつつあります。ニカラグァの
現状は「日本」の中の「沖縄(琉
球)」と「日本本土」の関係に照ら
し合わせることができるかもしれま
せん6「自分たちの社会の在り方は
自分たちで決める」、ニカラグアで
考える「自治」、それは私たち「日
本」の社会の在り方を考える第一歩
です。
現地では自治政府コーディネータ
ー、自治大学の学長ミルナ・カニン
ガムさん(そんりさv01.19参照)、
現地NGO訪問などの他、ミスキー
トコミュニティー訪問、文化交流な
どさまざまなプログラムが組まれています。大西洋岸以外にもコスタ・リカ国境近くの自然保護区訪
問、人櫓団体訪問なども計画しています。
訪問地:マナグア、プエルト・カペサス、ワスパユソレンティナーメ、サンカルロス、エル・力
、スティーヨ
主催:日本ラテンアメリカ協力ネットワーク(RECOM)TEL/FAXO3-3222-0433
.~..、-1、F』.,藩
-16-
( ̄-へ)そんりさVoL22(へ_ ̄)
●
小山涛票真漫〆と。・チアバズ
期間2月19日(月)~3月1日(金)
g:30~18:30(土・日休み)
′日本宗グロス・キャンペーン委員会7
0周年記念ライブ′
′ノリaノノ〃aノ響きあうノ貢ノ
2月24日(土)18:00~
会場学芸出版社ギャラリー綴(よう)
京都市下京区木津橋西洞院東入る
東京山手教会(O3-3463-2971渋谷駅より徒歩
075-342-2600
出演:デッサ・ケサダSOSOジョエル・
第5〃ピースポートゼミナール
′27世f紐へ.〃1イプリッF”
i蕊蔚講痩ノ
主催:日本ネグロス・キャンペーン委員会(0
期間:2月10日~6月22日
(隔週土曜日18:00~20:3
0連続10回)
場所:早稲田奉仕園セミナーハウス
レセプシヨンホール(地下鉄東西線
早稲田駅徒歩5分)
講師・テーマ
市民政治と政党石川真澄・親米と親亜
石川好・反米軍基地と日米安保前田哲
夫・オウムと破防法木村晋介など
問い合わせ:03-3363-7561(ビ
ースポート・櫛渕)
5分)
アラパールサンバヤナン小室等
3-5273-8160)
除グロスーフt地に生きるノ厳日ヲ典
子票黛雇
2月20日(火)~25日(日)
銀座教会「ギャラリー・エルピス」{東京都
中央区銀座4-2-103-3561-2910}
主催:日本ネグロス・キャンペーン委員会(0
3-5273-8160)
第9回ラテン・ア〆リカ
国際燭跡形F霊
キューバツアー
ノユニセフの」慶近の』図'向とこれからの国際探
期間:3月17日~3月26日
費用:35万円
鑓麓カノ
訪問地:ハバナ、サンティアゴ・〒・クー
バ、バラデロ
ユニセフ駐日事務所所長和気邦夫氏
場所:東京女子医科大学
中央校舎4F小講義室
内容:市内見学、サルサ体験・レッスン、
革命博物館・農産物自由市場・モンカダ兵
営・ラムエ場見学キューバ音楽・民族舞踏
鑑賞など最少催行人員:6名企画・問
日時:2月10日(±)
13:00~15:00
連絡先:東京女子医大国際環境・熱帯医学
い合わせ先:グローポ(03-3230-
3086)
-17-
教室03-3353-8111
(内)22612.
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吟】・一
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鱸
勘
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桶7円睦宅
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少し遅れましたが、明けましておめでとうございます。1994年1月1日のNAF
TA発効に合わせて開始された。メキシコ、チアパス州での先住民族蜂起。あれからも
う2年が経ちました。その活動はメキシコ国内のみならず、世界中の民衆運動に様々な
影響を与えています。しかし表面的な戦闘は止んだものの現地の情勢はまだ混沌として
います。そんな中、この紛争の鯛停をしているCONA1(仲裁全国委員会)の事務局
長であるミゲル・アルバレス・ガンダーラさんが昨年10月、来日されチアバスの現状、
そしてこれからについて語られました。今号ではこのときの講演とEZLNのマルコス
副司令官のインタビューを紹介します。またレコムでは今回、チアパスヘのスタディー
ツアーを企画しました。もっとチアパスを知りたい!という方、ぜひご参加ください。
今後もそんりさでは、チアパス情勢についてお伝えしていくつもりです。みなさんにも
メキシコ・チアパスの問題を考えると同時に、それを通じて同様の日本の問題について
P
も考えていただければと思います。
[2
百■
、/
特集チアパスは今
メキシコ:ノ蒜生のたムウの書込み・・・サパティスタ蝿団ムス蟹
ミゲル・アルバレス.ガンダーラさん来日講演・・・・・2
マルコス副司令盲リから臼承民籍へのメッセージ・・・・・・・・・・・・7
翅の答への参Zi7差巡って~グァテマラ最新情報~..・・・・・・・・・・・9
今、新しい一歩を踏み出す
ロサリーナ.トウユクさんインタビュ-........10
石川智子さんインタビュー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・11
ア〆リカ合ルリ国Z、グァテマラ運織醜ケ..・・・-........13
RECOMって何?.・・・・・・・・・・・・・・・.・・・・・・15
インフォメーション・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・17
別冊「自分たちの手で人権擁護を」
~グァテマラ・イシュカン地方における国内避難民・帰還鐘民の戯み~
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