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九州の自動車産業集積と大分県の特産品振興

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九州の自動車産業集積と大分県の特産品振興
2008 年 11 月 14 日発行
九州の自動車産業集積と大分県の特産品振興
①拡大する九州北部の自動車産業~大分県の取り組み
②世界に広がる一村一品運動~日田地域の特産品振興
要
旨
1.九州の北東部に位置する大分県は、海の幸、山の幸が豊富な県だ。このような恵み
を生かして、県下の各地では様々な物産品が作られている。こうした産品を活用し
たのが、地域政策において大分県の名を高らしめた「一村一品運動」である。一方、
近年耳目を集めているのが、県北部への自動車工場の立地だ。福岡県から大分県に
かけての九州北部は、大手自動車メーカー3社が進出し、一大自動車生産拠点へと
成長しつつある。本レポートは、このように地域活性化に関して広く話題を提供し
てきた大分県について、産業振興と特産品振興の二面からまとめたものである。は
じめに、九州北部の自動車産業の集積状況を概観し、大分県における地場企業の自
動車産業参入への取り組みを紹介する。次に、一村一品運動の経緯を振り返るとと
もに、特産品振興の事例として県西部の日田地域の活動に焦点を当てる。
2.福岡県東部から大分県北部にかけての地域には、完成車メーカーの工場が相次いで
進出し、これに部品等を供給する事業所なども立地してきた。九州は、「カーアイ
ランド」として着実に成長しつつある。しかし、関東や東海の自動車生産ゾーンと
比べると、部品などの域内調達率は低く、地場企業の技術力向上等による自動車産
業への参入が課題とされている。大分県においても、県が主導する形で大分県自動
車関連企業会が結成され、県下の製造業者などの間で情報共有を図る一方、完成車
メーカー出身のアドバイザーを地元企業に派遣するなどして、地場の事業者の競争
力強化を支援している。このような取り組みによって九州における自動車産業の裾
野が広がることで、研究開発から、設計、部品生産、完成車の組み立てまで担える
ような自立的な自動車産業集積地域の形成が目指されている。
3.1970 年代末から大分県で進められてきた「一村一品運動」は、県下の市町村がそ
れぞれ一つ以上の自慢できる物産品や観光資源を発見・開発・育成し、それらを県
が支援しながら全国にPRすることで、地域活性化を図ろうとした活動である。ま
とまった補助金を用意するような施策ではなかったが、県下各地で特産品が開発・
販売され、成功事例も生まれた。こうした活動は他の県の取り組みのモデルとなり、
近年は海外でも注目され、多くの視察者が大分県各地を訪れる。県としての活動は
一段落した一村一品運動だか、取り組みのエッセンスは世界へと広がっている。
4.大分県西部に位置する日田地域は、山々に囲まれ、林産地として知られる。当地は
林業や製材業が盛んで、家具、建具、下駄など多くの特産品を有する。しかし近年、
これらの製品は、安価なアジア産に押され気味だ。こうした中で、第三セクターの
日田・玖珠地域産業振興センターは、地場の特産品の開発・販売支援に当たってき
た。同センターは、公的助成の縮小などにより厳しい事業運営を余儀なくされつつ
も、地元での販売や福岡・首都圏などでの販路開拓に努めてきた。また、当地の有
力産業である林業・製材業でも、地域の資源を生かした新たな試みが始まっている。
本誌に関する問い合わせ先
みずほ総合研究所株式会社 調査本部
上席主任研究員 内藤啓介
TEL 03-3591-1418 E-mail [email protected]
当レポートは情報提供のみを目的として作成されたものであり、商品の勧誘を目的としたものではあり
ません。本資料は、当社が信頼できると判断した各種データに基づき作成されておりますが、その正確
0
性、確実性を保証しているものではありません。また、本資料に記載された内容は予告なしに変更され
ることもあります。
は じ め に
九州の北東部に位置する大分県は、「海の幸」「山の幸」に恵まれた県として知られる。県
の北部から東部にかけては、瀬戸内海や太平洋に面する。複雑で風光明媚な海岸線が続き、
沿岸で水揚げされる関サバ、関アジ、城下カレイ1などは、県を代表するブランド食材となっ
ている「海の幸」だ。また、海に面する物流の優位性から、県庁所在地である大分市や県北
の中津市などでは事業所の立地が進んでいる。県の西部から南部にかけては、九州山地の山
並みが広がる。林産資源が豊富で、果物やキノコなどの「山の幸」が特産品となっている。
そして、別府(べっぷ)や湯布院(ゆふいん)など、わが国を代表する温泉地が点在する。
九州各県の中では、歴史的経緯などからどちらかといえば地味な県とされてきた大分県であ
るが2、地域振興の面では広く注目を集めてきた。上記のような山海の資源を生かした特産品
の育成・活用は「一村一品運動」として知られ、同県のみならず、全国そして世界へと同様
の活動が広がっている。一方最近は、自動車工場の立地が耳目を集めている。中津市には大
手自動車メーカーの事業所が進出し、自動車産業の集積が進む北部九州で存在感を示し始め
た。隣接する福岡県とともに自動車関連産業の広がりに期待が高まっており、県もその支援
を本格化させている。そこで当レポートでは、躍進著しい九州の自動車産業について近年の
動きを概観するとともに、大分県の政策対応に焦点を当てた。次に、一村一品運動の経緯を
振り返りつつ、特産品振興の実例として県西部の日田地域のケースを取り上げる〔図表1〕。
〔図表1〕大分県周辺図と本稿で取り上げる事例
主な自動車関連工場
北九州
苅田
姫島
福 岡 県
宮若
日田・玖珠地域
産業振興センター
豊 後 高田
宇佐
玖珠
久留 米
大分自動車
関連企業会
中津
日出
杵築
一村一品国際
交流推進協会
別府
日田
佐賀 関
由布
大分
大 分 県
第三セクター
トライ・ウッド
臼杵
豊 後 大野
竹田
佐伯
熊 本 県
宮 崎 県
1
2
(資料)みずほ総合研究所作成
関サバ、関アジは、大分市東部の佐賀関(さがせき)港で水揚げされる、サバ、アジの高級ブランド。城下カ
レイは、県内の日出(ひじ)町内にある海外沿いの城跡の近くで水揚げされるカレイのこと。
江戸時代の大分県地方は有力な藩が存在せず、小藩が分立していたため、福岡(黒田家)、熊本(細川家)、鹿
児島(島津家)など大藩が所在した地域のような存在感は示せなかった。もっとも、
それ以前の戦国時代には、
大分県地方を拠点として九州を制覇する勢いを示したキリシタン大名の大友宗麟(おおともそうりん)が現
れた。宗麟は現在でも県を代表する歴史的英雄で、大分駅前には彼の立像が置かれている。
1
1.拡大する九州北部の自動車産業~大分県の取り組み
昨年 12 月、大手自動車メーカーであるダイハツ工業グループの大分第二工場(大分県中津
市)が、稼動を始めた。隣接地で既に操業していた第一工場と合わせて、中津市の製造拠点
は年産50万台近い生産能力を誇る。これにより大分県は、自動車の一大生産地の仲間入り
を果たした。
大分県と同県に隣り合う福岡県は、自動車産業の集積地として近年注目を集めている。地域
の自治体も、関連産業を含む自動車産業ゾーンの構築に向けて、積極的な誘致策・支援策を
講じてきた。2006 年には大分県自動車関連企業会が創設され、地元企業の自動車産業参入に
向けた活動が本格化している。以下では、近年の九州北部における自動車産業を巡る動きを
確認しつつ、地域産業の活性化に向けた大分県の対応を紹介する。
(1)「カーアイランド」九州の躍進
九州は、半導体関連の事業所が多く立地することから、日本の「シリコンアイランド」と呼
ばれてきた。しかし最近は、自動車関連事業所の相次ぐ進出により、「カーアイランド」と
して話題を集めるようになっている。九州での最初の自動車工場の開設は 1970 年代であった。
その後工場の新設・増設が進み、九州における自動車生産台数は次第に増加してきたが、そ
のペースは 2000 年代に入って加速し、2006 年にはついに年産 100 万台を突破した〔図表2〕。
この 100 万台という生産規模は、イタリア1国の生産台数に匹敵するものだ。
九州は今や、東海、関東とともに国内の三大自動車生産地帯の一角を占めるまでになり、全
国の自動車生産におけるシェアも 10%程度にまで上昇している。
〔図表2〕九州における自動車生産台数
160
(万台)
(%)
10
全国シェア(右目盛)
140
8
120
100
6
80
4
60
40
2
20
0
生産台数(左目盛)
0
93 94 95 96 97 98 99 00 01 02 03 04 05 06 07 (年)
(資料)九州経済産業局「リサーチ九州」
2
<相次いだ自動車メーカーの進出>
このような九州における自動車産業発展の経緯を振り返ると、まず 1975 年に大手自動車メ
ーカーの日産自動車グループが、福岡県北東部にある苅田(かんだ)町に進出した。続いて、
1991 年に最大手のトヨタ自動車グループが、福岡県北部の宮若(みやわか)市に事業所を開設
した。さらに 2004 年には、ダイハツ工業グループが大分県中津市に生産拠点を設けている。
これらの完成車工場に加えて、近年は自動車に搭載するエンジンの生産施設も立地し始めた。
苅田町には 2005 年にトヨタ自動車グループのエンジン工場が新設され、今年は福岡県久留米
(くるめ)市にダイハツ工業グループのエンジン工場がオープンした。
九州北部には、これらの完成車工場やエンジン工場に部品などを供給するメーカーの事業所
も相次いで進出し、自動車を取り巻く諸産業の一大エリアとなりつつある。すでに 140 万台
の生産能力を持つとされる九州は、今後も工場の新増設などが進む見込みで、内外の景気動
向に左右されるにしても、いずれ数年内に九州の自動車生産台数は 150 万台に達すると予想
されている。
<九州の産業立地上の強み>
それでは、以上のように九州で自動車関連産業の集積が進んだのはなぜであろうか。
まず第一に、北九州市など古くからの工業基盤があり、とくに素材産業などの部材供給源に
厚みがあったことが指摘されている。
第二に、相対的な人件費の安さが挙げられる。大都市圏では労働者の賃金水準が高止まりし
ているのに対し、九州ではこれまで求人倍率が低めであったことから、メーカーにとって人
件費コストを抑えつつ優秀な工員などを獲得しやすい雇用環境にあった。これが、事業所の
立地につながったと考えられる。もっとも最近は、相次ぐ自動車関連企業の進出で、大分県
などでは労働需給が逼迫するという状況も生まれているようだ。
第三は、九州北部の交通・物流面における優位性である。輸出向けの生産が多いわが国自動
車メーカーは、内陸よりも積み出し港のある臨海部に立地することが有利である3。また、災
害が比較的少ないことも九州北部の特色とされる。瀬戸内海に面し、穏やかな土地環境にあ
る苅田町などはこれらの条件に十分に合致し、二大自動車メーカーの立地につながった。
そして第四に、発展するアジアとの近接性に着目する見方も多い。九州は東シナ海を挟んで
中国と向かい合う。九州から上海など中国東岸部への距離は、東京までの距離とほとんど変
わらない。韓国への距離となると、これよりさらに至近だ。「世界の工場」そして大消費地
へと変貌しつつあるアジアとの貿易は、原材料、部品、完成品のいずれのレベルでも潜在性
が高い。自動車に限らず、勃興するアジアへの近さが貿易面での強みとなり、九州の産業立
地上の大きな魅力となってきているのだ。
3
九州で生産される自動車の約7割が対米輸出向けとされている。
3
(2)豊前地域の自動車産業ゾーンの形成~域内部品調達の実情
さて、こうした立地上の優位性などから、九州では自動車関連産業の集積が進んでいるわけ
だが、中でも中核的なゾーンとなっているのが瀬戸内海に面した福岡県北東部から大分県北
部にかけての、かつて豊前(ぶぜん)と呼ばれた地域である。とくに福岡県苅田町は、九州随一
の自動車産業の町だ〔下掲コラム参照〕。そして近年、これに大分県中津市が加わった。
<増強が続く自動車製造拠点>
苅田町や中津市の自動車製造拠点では、生産力等の増強が行われている。日産自動車の九州
工場(苅田町)では、グループ企業の日産車体が敷地内に施設を新設し、2009 年から稼動の
予定である。トヨタ自動車グループは、先述したように苅田町に国内 4 番目のエンジン工場
を整備したところであり、隣接地にハイブリッド部品工場の設置工事も進めている。
【自動車産業の町:苅田(かんだ)】
拡大が続く九州北部の自動車産業集積エリアの中で、その縮図ともいえるのが福岡県北東
部に位置する苅田町である。日産自動車グループに加え、3 年前にはトヨタ自動車グループ
が当町に進出し、自動車業界の両雄が同居する全国唯一の自治体といわれる。苅田町は人口
3.5 万人ほどの小さな町ながら、住民一人当たりの工業製品出荷額では全国自治体の中で常
にトップクラスに顔を出す。これら事業所の立地により町の税収も豊かで、30 年以上にわ
たって普通交付税の交付を受けていない。現在、福岡県下で唯一の不交付団体だ。
苅田町がこのような自動車産業都市へと成長できた背景には、物流面での立地メリットや
災害の少なさに加え、こうした優位性を積極的にPRしてきた町の誘致姿勢があった。
2006 年には、隣接する北九州市から苅田町に跨る形で北九州空港がオープンし(旧空港に
替えて新空港が整備された)、臨空都市としての魅力が加わった苅田町は、今後も躍進する
九州北部の産業拠点として、その機能が一段と向上していくことが期待されている。
〔写真1・2〕苅田町役場(左)と北九州空港(右)
(撮影)みずほ総合研究所
(写真)苅田町
4
ダイハツ工業グループは、群馬県にあった事業所を移転する形で、2004 年に中津市に進出
してきた。第一工場に続いて昨年第二工場がオープンしたことは冒頭で触れた通りで、現在
同グループの新車の約 4 割が大分県内で製造されている。なお、同グループは 2010 年頃福岡
県内に車両開発センターを立ち上げる予定で、九州における開発から生産までの一貫体制を
構築していく方向だ。
<関連事業所が増えるも低い域内部品調達率>
完成車やエンジンの製造所があれば、そこに部品などを供給する事業所が集まる。これが、
多くのパーツから組み立てられ、裾野が広い自動車産業の特色である。九州では今、自動車
関連工場の開設が目立って増えてきており、2006 年から 2007 年にかけては年 50 件近い新規
立地があった〔図表3〕。その大半は福岡県と大分県が占めており、完成車メーカーの関連企
業などが本州から進出してきていることをうかがわせる。
〔図表3〕九州における自動車関連工場の立地動向
50
40
30
(件)
他の5県計
大分県
福岡県
20
10
0
01
02
03
04
05
06
07 (年)
(資料)九州経済産業局「九州の工場立地動向調査」
このように自動車関連産業の集積が進む九州北部であるが、その裾野の広がりはまだ途上に
あるとの見方が一般的だ。九州の完成車工場における九州域内からの部品調達率は、現状で
はまだ 5 割程度にとどまるといわれている。これは、関東や中部の自動車産業ゾーンにおけ
る域内部品調達率(8割程度)を大きく下回るものだ。とくに九州では、エンジンなどに組
み込まれる重要なパーツの現地調達が少ないと指摘されている。
これは、九州内では高度な部品を供給できる事業所が限られ、また金型やメッキなどの基盤
技術を持った企業の厚みが十分ではないためだ。このため、高機能部品や重要なパーツは域
外から取り寄せられてきた。
しかし、遠隔地から大量の部品等を調達することは完成車メーカーにとってコスト要因とな
る。そこで、自動車大手各社は関連部品会社の九州展開を急ぐ一方、九州内の地場のサプラ
イヤーからの調達拡大に期待をかけるようになってきた。
5
<求められている地場企業の強化>
このような大手各社の期待があるものの、従来自動車関連機器の製造実績が乏しかった地場
の企業では、完成車メーカーや一次部品メーカーなどの高い要求に対して、即時に、また十
分に対応できる品質管理や技術者配置の態勢が整っていなかった。また、製品取引への参入
を目指そうという地元の企業にとっても、自動車産業に関する情報が不足していた。これら
は無理からぬことではあるが、自動車産業をコアとした地域経済の一段の発展のためには、
地場企業の強化と参加による裾野の広がりが欠かせない。そこで、地元の事業者の有する加
工技術の高度化や品質管理能力の改善、コスト競争力の向上といった取り組みが重要なもの
となってきた。その上で、自動車産業への参入に向けて、企業間の連携を通じた情報交換や
取引の多角化などが求められてくる。
九州では近年こうした課題が広く認識されるようになり、地域の自治体や産業界などが、そ
の解決に向けて精力的に取り組み始めている。そのような動きについて、次節では大分県の
例をみていきたい。
(3)大分県の産業政策と企業誘致
大分県は、福岡県とともに九州を代表する産業県として知られる。大分県の製造品出荷額は
約 3.9 兆円(2006 年)で、九州では福岡県に次いで第2位に付けている。県庁所在地である
大分市は有力な産業都市でもあり、臨海部には鉄鋼、化学などを主力とするコンビナートが
形成されている。近年は県北部への事業所の進出が目覚しく、工業団地などにおける工場立
地が増えている。中津市に自動車工場を誘致できたことは、象徴的なトピックといえよう。
県は、こうした動きを定着させることを地域経済の発展に向けての手立てとして重視してお
り、とくに自動車産業については、部品の納入や雇用面での波及効果を地域に拡大できるよ
う、地場企業の強化を図っていく意向だ。
<大分県の産業上の優位性>
大分県が近年、このように産業県としての存在感を高めている背景には、同県の立地上の優
位性がある。古くからの産業ゾーンである北九州工業地帯に隣接していることに加え、各種
製造拠点が臨海部に点在する瀬戸内海に面していることが大きい。とりわけ、港湾の優位性
が大分県の物流面での魅力となっている。大分港は九州を代表する重要港湾で、貨物取扱量
は北九州港に次ぐ九州第2位である。中津港も近年機能強化が進められており、外航船の寄
港も可能になった。こうした実績が認められ、同港は 2006 年、(社)日本港湾協会から「ポー
ト・オブ・ザ・イヤー」に選ばれている。
6
また大分県は、自治体の企業誘致に取り組む姿勢が企業から高く評価されている。今年 7
月に発表された経済産業省の「都道府県の企業立地満足度調査」(企業を対象にしたアンケ
ート調査)では、大分県が総合評価で第1位となった。同県は「行政手続きの迅速性」、「ワ
ンストップサービスによる対応」、「立地後のフォローアップ」などの項目でとくに高い評
価を得ている。
このように、大分県は立地上の強みに加えて、自治体のスピーディできめ細かい企業誘致の
取り組みが功を奏し、工場の幅広い進出等に結び付いたのである。
<自動車産業に対する大分県の方針>
それでは、大分県の自動車産業への取り組みに移ろう。県産業の全般的な底上げを図りつつ、
地域経済の活性化を実現していくためには、企業を県外部から誘致するのみならず、地場の
企業が広く参加する形で産業集積が進んでいくことが望ましい。このため大分県としても、
九州北部の自動車産業ゾーンに地域の事業者が積極的に結合していくビジョンを描いている
ところだ。
ただし、前節でも見たように完成車メーカーなどとの取引を拡大させていくためには、事業
者の技術力や競争力の向上と企業間ネットワークの構築が欠かせない。そこで行政側として
は、自動車産業への参入を目指す意欲的な企業経営者に対して、その自助努力を支援すると
ともに、事業者間の連携の枠組を形成していくことに力を集中する方向性を取り始めた。そ
の主軸となる取り組みが、県が事務局を務める「大分県自動車関連企業会」の活動である〔写
真3〕。そこで次節では、同企業会の活動内容を概観する。
〔写真3〕自動車関連企業会事務局が入居する県の産業政策の司令塔:大分県庁
(撮影)みずほ総合研究所
7
(4)大分県自動車関連企業会の活動
大分県の取り組みは、1990 年代におけるダイハツ工業グループの九州進出表明からスター
トした。調査・検討作業から着手され、自動車関連産業に参入し、部品等の受注獲得を図る
ための事業者ネットワークとして、まず県北に限定した企業会が組織された。これを発展さ
せる形で 2006 年 2 月に設立されたのが、大分県自動車関連企業会である。
企業会の会員数は当初 80 社程度であったが、現在は約 120 社に拡大した。この間に自動車
関連産業に実際に参入した企業数も、約 20 社から 80 社程度へと大きく増加している。もっ
とも、これまでのところ県下のメーカーがこぞって加入するというほどの膨らみにはなって
いない。このため、現在は参加の少ない県南の企業の呼び込みが進められている。
企業会には、会員各社のほか、特別顧問として完成車メーカー(トヨタ、日産、ダイハツ)
を迎え、また顧問として九州経済産業局、中小企業基盤整備機構、大学の産学連携組織、商
工会議所連合会などに加わってもらっている。関連団体に広く関わってもらうことで、県を
挙げての活動としての体制を整えているわけだ。そして事務局は、大分県商工労働部が担当
している。その企業会の主な事業内容は〔図表4〕に示す通りである。
〔図表4〕大分県自動車関連企業会の事業内容
○講演会・セミナー事業
・講演会や地区別意見交換会等の開催。
・新規参入・取引促進のためのセミナーの開催。
・自動車関連産業集積地域の工場・展示会等の視察。
○受注獲得事業
・外注説明会や商談会、交流会、部品の説明会などの開催。
・他の団体が主催する商談会に関する情報提供や出展支援(出展経費の助成など)。
・企業情報のデータベース化やビジネス・マッチング。
○技術力向上事業
・自動車メーカーのOBなどをアドバイザー、専門調査員として起用。
・そのアドバイザーらが会員企業の生産現場を訪問して課題を抽出し、工程管理や品
質管理の改善方法などについて指導やアドバイスを実施。
○人材育成事業
・完成車メーカーや一次部品メーカーの技術者を招いての生産現場での工員指導。
・完成車メーカーなどに従業員を派遣しての研修(企業会が経費の一部を補助)。
・現場改善の手法などについてのセミナーの開催。
(資料)大分県自動車関連企業会資料により作成
8
<完成車メーカー・地場企業・行政の連携>
大分県自動車関連企業会の活動の特色は、大手の完成車メーカーと地場の企業、そして県や
関連団体の密接な連携にある。大分県では、大手自動車メーカーからアドバイザーを受け入
れ、県の外郭機関である(財)大分県産業創造機構(地場企業の支援機関)に自動車関連産業へ
の参入を支援するプロジェクトチームを組織した。そして、自動車部品製造等に参入意欲の
ある地元の企業を選出した上で、集中的な支援に取り掛かっている。その際、行政が県外か
ら進出してきた企業と地元の企業の間を取り持つことで、協力関係の構築がスムーズに進ん
だとされる。こうして取り結ばれた連携関係を起点に、実際に自動車メーカーとの取引に漕
ぎ着けた地元機械メーカーも次々と出てきており、短期間で売り上げの半分が自動車関連向
けとなった製造業者もあるという。
こうした企業会の活動に、大手の完成車メーカーなども協力的だ。先に見たように、九州で
はこれまで域内からの部品調達率が低かったが、製造過程におけるコストや時間の節約につ
ながる地元調達の拡大は、完成車メーカーとってもメリットが大きく、歓迎すべきことだ。
そのため、地場の企業を部品等のサプライヤーに育てようという県の働き掛けに前向きに対
応しているようだ。
<自動車産業を巡る産学連携も>
大分県では、試験研究機関や大学が参画する自動車関連の産学連携も、重点的に進められて
いる。県の産業科学技術センターには、自動車関連企業支援チームが設置され、金型加工の
技術支援や部品メーカーの製品検査などのサポート体制が整えられている。大学との連携で
は、2007 年に県と九州工業大学との間で連携協定が締結され、県内企業への技術支援、新技
術開発、人材育成支援、インターンシップなどの協力事業が実施されている。このほか、大
分県立工科短期大学校では、自動車産業向けコースの定員が増員され、実践的技術者の養成
が進められている。
このように、企業会の活動と多様な関連主体による幅広い連携により、地場企業の自動車産
業への参入が広がるようになり、部品等の域内調達率の引き上げにも効果をみせ始めている。
(5)九州各県との連携と今後の課題
さて、「カーアイランド」としての九州が一層の発展を遂げていくためには、大分県や福岡
県にとどまらず、九州各県に自動車産業の裾野が広がっていくことが大切である。また大分
県においても、完成車の製造拠点にとどまることなく、地元企業を巻き込む形で部品の供給
源としての厚みを備え、さらに設計・開発機能をも担えるような産業集積が図られていくこ
とが望ましい。そこで最後に、自動車産業振興に関わる九州各県間の連携の動きを確認する
とともに、大分県における今後の自動車産業の底上げに向けた課題をまとめておこう。
9
<九州各県間の連携>
大分県と同様に、福岡県、長崎県、佐賀県など九州各地で自動車関連の振興組織が生まれ、
地場の事業者の自動車関連産業への参入に向けた取り組みが進められている4。相次いだ福岡
県、大分県への完成車メーカーの工場進出は、九州北部全域、さらに九州南部にも広がる全
島的な産業振興の波となりつつある。こうした流れを受けて、県間の連携による広域的組織
として、九州自動車産業振興連携会議(事務局は福岡県商工部内)も組成された。同連携会
議は、共同実施事業として九州各県の一次部品メーカーなどの合同商談会を開催したり、有
数の自動車生産拠点である愛知県での展示商談会、連携公開セミナーなどを実施している。
このように、自動車産業を巡っては相互に県間の垣根を取り払う動きが出てきているが、企
業の誘致という面では各県が競合関係にあるのも事実である。大分県も、協力できる部分は
協力するというスタンスで、活動の仕分けを図っているという。行政もメーカーも、競争と
協力をバランスさせながら対応していくことで、九州の自動車関連産業のレベルアップが進
んでいくことになるのだろう。
<大分県における今後の課題>
もう一度、大分県に焦点を戻そう。
大分県自動車関連企業会は、今後も地場の企業を含む部品メーカーの集積に向けた取り組み
を地道に進めていく方向だ。品質やスピードに関する注文水準が高い完成車メーカーとの取
引拡大は容易ではないが、地元の企業にも付加価値を高める技術力を身に付けてもらうこと
で、自動車産業への参入を進め、併せて企業の競争力強化を目指す方向である。その意味で、
完成車やエンジンの工場が進出してきた今が大切なタイミングとなる。
そこで、県は企業への働き掛けに注力していく方針だ。その際、企業に努力させる、参入す
る気にさせる啓発活動が大事だという。有力自動車メーカーとの取引に参入できれば、製品
の品質保証にもなるわけで、安定的な事業展開につながるはずだからだ。これまでは、地場
産業への働き掛けよりも、外部からの工場誘致のための助成が優先されてきた。これからは、
意欲のある地場企業を後押しできるよう、県としても力点をシフトさせていく意向だ。
九州北部は自動車の製造段階の拠点としては充実してきた。今後は、設計やR&Dといった
開発機能を取り入れたいところだ。開発から生産までの一貫したプロセスを担える地域へと
成長していくことが、大分県とともに九州各県のこれからのステップとなろう。
4
福岡県には北部九州自動車 150 万台生産拠点推進会議が、長崎県には長崎県自動車関連産業振興協議会が、
佐賀県には佐賀県自動車産業振興会が設立されており、南九州各県でも同様の組織が生まれている。また、
福岡県北九州市には、自動車部品製造企業の民間レベル連携組織として、「北九州地域自動車部品ネットワ
ーク(パーツネット北九州)」が結成された。
10
2.世界に広がる一村一品運動~日田地域の特産品振興
これまでみてきたように、大分県は、主に北部で製造業の集積が進んでおり、九州産業の中
核エリアの一つとして成長しつつある。しかし、県下の多くの市町村は、山や海といった地
形的制約があり、大規模な産業の立地に適さない地域も多い。そうした地域では、従来から
の農林水産業や、そこから派生する地場産業を生かすなどして地域を活性化していくことを
目指すことになろう。実は大分県は、このような地域資源の育成や活用において先進的な取
り組みを行ってきた県として、注目されてきた。その活動が、「一村一品運動」である。以
下では、大分県における一村一品運動の経緯を振り返るとともに、特産品による地域振興の
一例として、県西部に位置する日田(ひた)地域の近年の動きを取り上げる。
(1)大分県の一村一品運動
「一村一品運動」は、県下の各市町村が、それぞれ自慢できるような地元産の農林水産物や
特産品、観光資源などを見つけ、あるいは育て、それを活用・PRして、地域の活性化に結
び付けていこうという活動である。一つの自治体が、少なくとも一つ、あるいは二つ、三つ
と誇れるものを持てれば、地域の個性を打ち出せるし、住民の励みにもなる。こうした取り
組みは、各地で散発的に行われてきたが、県を挙げて体系的に実施したのは、大分県が最初
であった。この運動を推進してきたのが、平松守彦前大分県知事である。平松氏は、1979 年
から 2003 年まで 24 年間にわたり知事を務め、一村一品運動に心血を注いできた。
一村一品運動は、知事に就任した平松氏により 1979 年に提唱された。それ以前から県内の
旧湯布院町(現由布市)などでは、地域の資源を活用した地域づくりが試みられてきたが、平松
氏はこうした手法を「一村一品」というキャッチフレーズのもとに全県に広げていったので
ある。それは、特産品づくりの実践的活動であるとともに、地域づくりの精神運動でもあっ
た。取り組みは地域ブランドの先駆例として地域の内発的発展のモデルとなり、また農山漁
村の若い人に雇用と挑戦の場を与える手立ての一つとして、他県でも参考にされていった。
<代表的な一村一品ブランド>
一村一品運動は、各市町村が自慢の物産品や地域資源を県に申請し、これを県が登録・リス
トアップする形で進められてきた。自治体ごとに一つ以上の産品等が指定されてきたが、そ
の中でも全国的にも知られるようになった代表的な例として、カボス、関サバ・関アジ、宇
佐(うさ)市の麦焼酎、日出(ひじ)町の城下かれい、竹田市等のしいたけなどか挙げられる〔次
ページ図表5〕。このうちカボスは、大分県が国内生産のほぼ 100%を占めるという県を代表
する特産品だ。また麦焼酎は、一村一品の運動の効果もあって、ここ 30 年間で大分県の国内
生産シェアが 1%から約 30%へと高まった産品である。
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〔図表5〕大分県における一村一品運動の代表的品目
市・郡名
主な品目名
町・村名
大分市
旧佐賀関町
別府市
速見(はやみ)郡
東国東(くにさき)郡
宇佐(うさ)市
中津市
佐伯(さいき)市
豊後大野市
日出(ひじ)町
姫島村
旧本匠(ほんじょう)村
旧三重町
旧千歳村
竹田市
にら、みつば、びわ
関サバ、関アジ
湯の花
城下カレイ
姫島車えび
麦焼酎
巻柿(菓子)
いりこ、活ぶり
茶、やきアユ
カボス、しいたけ
千歳茶
しいたけ、サフラン
(資料)大分一村一品国際交流推進協会資料等により作成
また、観光資源を活用した例では、旧湯布院町(温泉・文化・芸術の地域づくり)、旧直入
町(なおいり、ドイツと提携した炭酸泉保養地)、豊後高田市(昭和の町づくりにより観光
客が急増)、旧安心院町(あじむ、グリーンツーリズムや民家への宿泊で外国人に人気)な
どが有名である。
<一村一品運動の原則とPR活動>
一村一品運動の推進に当たっては、「三つの原則」が立てられた。それは、①ローカルにし
てグローバル(全国・世界で通用する特産品を目指す)、②自主自立・創意工夫(行政が指
導したり、補助金を提供するものではない)、③人づくり(人材の育成が狙いの一つ)、の
三つである。こうした原則を踏まえ、一村一品運動では、民間や住民が中心となった物産品
の育成・開発・PRや、担い手づくりが行われてきた。
力が入れられた分野の一つが、PR作戦である。運動開始当初は、毎週地元の放送局で市町
村ごとの「おらが村自慢」番組が、2サイクル・2年間放送された。これは、無料提供され
た県の広報番組枠を利用して、各市町村が自主的に制作したもので、優れた番組には知事賞
が贈呈された。この番組が契機となって一村一品運動が注目されるようになり、新聞など各
種メディアで取り上げられるようになった。また県内では、地域の商工業者や農業者などが
集まっての地域おこしの研究集会やシンポジウムが多数開かれるようになった。
続いて、実際に物産品の販売が取り組まれてきたが、そこでは物産展の中心的運営主体であ
る大分県物産協会などが大きな役割を担ってきた。
一方、人材育成については、一村一品運動と並行して取り組まれてきた「豊の国づくり塾」
の活動が注目される。これは 1983 年から県内 12 か所でスタートしたもので、地域活動への
意欲の高い人たちが、地域づくりの先輩経験者からの講義を受けるなどして学びつつ、地域
おこしについて論じ合ってきた。同塾の卒業生は 2002 年度までに 2000 人を超えており、こ
の活動は一村一品運動の人づくりネットワークの形成に大きく寄与したといわれている。
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<行政が担った役割>
「一村一品運動の原則」にも挙げられているように、この活動の主役は市民であり、民間事
業者である。役所が個々の活動を取り仕切ったわけではないし、県などがまとまった補助金
を配布したわけでもない。しかし一方で、知事や行政は、大分産品のPRにおいて役割を果
たしたし、県の試験研究機関は商品開発などで活動をサポートしてきた。
例えば、県の農業祭には一村一品の特産品が出展され、成果を上げたグループが表彰されて、
賞金が授与された。これまで、200 団体近くが受賞している。また、物産展やフェアの開催
などの拡販支援が行われた。東京のホテルで大分フェアを開催し、大分ならではの料理を提
供してきたことなどは、その一例である。その際、知事はトップセールスで貢献している。
商品開発では、県の試験研究機関である大分県農林水産研究センター(きのこ研究所、花き
研究所等)や大分県竹工芸・訓練支援センターなどが協力してきた。
(2)一村一品運動の成果と国際化
さて、それではこのような一村一品運動により、大分県は地域活性化で大きな成果を得られ
たのであろうか。
運動をスタートさせた 1980 年から約 20 年間で、一村一品の品目数はおよそ 2.3 倍に増加
し、特産品の販売額は約 4 倍に伸びたとされている。観光資源についても、前節で記したよ
うに、湯布院や豊後高田のような成功事例が現れている。活動を通じて一定の経済効果が得
られたことは確実であるといえよう。
一方で、特産品1品目当たりの販売額が 90 年代に入って頭打ちとなったことや、一部の品
目では特定の企業の売り上げのみが突出して伸びているケースもみられたことが指摘されて
いる。また、個々に成果を上げた事例があるにしても、一連の活動を通じて大分県の諸産業
が全体として飛躍的に成長したとまではいえず、多くの市町村では人口増に結び付いたわけ
でもない。
もっとも、運動そのものが仮に実施されていなければ、地域経済の状況がより深刻なものと
なっていたであろうことも間違いのないところで、バランスをもった評価が必要であろう。
そして、一村一品運動の成果は、なにも明示的な経済効果には限られるものではない。
<人づくりに貢献した一村一品運動>
一村一品運動の目標の一つは、三原則にも掲げられていたように、地域の活動を担っていけ
る「人づくり」である。優れた地域おこしのリーダーがいる地域では、活動も活発で、長く
継続するといわれる。一村一品運動のひとつの重要な成果は、時間をかけた人材育成にあっ
たといえよう。
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また、地域の活動における女性の参加が広がったことも指摘されている。一村一品運動の中
で、県西南部の旧荻町(現竹田市)のトマトケチャップや、県西部の旧天瀬町(現日田市)のかり
んとうの事例などでは、主婦が活動の推進役となったとされる。このように、農村女性の力
が発揮される場ができたことも一つの成果といえよう。
さらには、県の知名度の向上、県民の意識の向上といった点でも、一村一品運動は相応の役
割を果たしたといえるであろう。
<その後の一村一品運動>
一村一品型の地域振興事業は、大分県に続いて、北海道など全国各地で展開されるようにな
った。地域ブランドの育成と発信は、農山漁村における地域おこしの手立てとして、「一村
一品」という言葉がとくに意識されないほどにまで定着したといえよう。
さて、パイオニアとなった大分県では、2003 年 4 月に平松守彦知事が退任したことで、一
村一品運動は一区切りとなった。県の関連セクションは廃止となり、同セクションが手掛け
てきの業務の一部は、NPO法人として新たに設立された大分一村一品国際交流推進協会(平
松守彦理事長)〔写真4〕などに引き継がれた。
〔写真4〕大分一村一品国際交流推進協会が入居する大分市内の複合ビル
(撮影)みずほ総合研究所
近年はむしろ、この運動は海外で広く注目され、地域おこしの方策として実践されるように
なった。アジアやアフリカの各国で同様の運動が行われており、日本政府も、経済産業省が
キャンペーンを実施するなど、その推進に一役買っている。大分県はその先駆者として、各
国から多くの視察者や研修者を迎えるようになり、一村一品国際交流推進協会は活動のアド
バイスなどに当たっている。こうした中で、「一村一品」のネーミングは、「One Village One
Product」として国際的なキャッチフレーズとなった感さえある。最近は、学者グループによ
る一村一品学会まで誕生したとのことだ。
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このように運動が世界へと拡大していく中で、一村一品国際交流推進協会も課題を抱えるよ
うになった。それは、協会の活動を支える人手が足りないことだ。一村一品運動のノウハウ
を知り、かつ語学力がある人材は限られる。このため、講師派遣などを頼まれても、対応し
切れていないという。協会は、こうした活動を担える人材が何より必要とされており、政府
がその養成などに力を貸してくれることが望ましいとしている。
その上で協会は、一村一品運動が広がりを持つようになる中で認識されるようになった点と
して、運動を通じた都市と農村の格差是正、工業と農業のバランス確保の重要性を強調して
いる。わが国においても、また途上国においても、これまで工業優先の経済政策が進められ
てきたが、環境保護の要請も高まる中で、その偏りが問題視されるようになっている。一村
一品運動は農工の併進を目指すものであり、運動の今日的意義はますます高まっているとい
えよう。
(3)九州の中央部に位置する日田市
このように大分県で取り組まれてきた特産品振興の取り組みの一つのケースとして、ここか
らは、大分県西部に位置する日田(ひた)地域の事例を取り上げたい。この地域は、大都市から
離れた山間地帯に当たり、地域経済の浮揚という面で厳しい環境に置かれている一方、林産
資源を中心とする多くの特産品で知られる地域だからである。
<わが国を代表する林産地日田>
日田地域は、筑後川5の上流部に当たり、ちょうど九州の中ほどに位置する。大分県内にあ
りながら、福岡県との文化的結び付きが強いとされる地域だ。近世には江戸幕府直轄の天領
となり、九州一円の天領を管轄する西国筋郡代が置かれて、商業集散地としても栄えた〔次
ページ写真5〕。このため、現在も日田市の中心部には、古い町並みが残る。また、この地域
は九州山地の山並みに囲まれ、杉を中心とする林産資源が豊富だ6。このため、林業や木材関
連産業が、地域の基幹産業となってきた。そして、山や森の恵みから、多くの特産品が生み
出されてきた。
日田地域は、中心となる都市で筑後川沿いの盆地部にある旧日田市と、周辺の山間地である
天瀬(あまがせ)町、大山(おおやま)町、前津江(まえつえ)村、中津江(なかつえ)村、上津江(か
みつえ)村の1市2町3村から構成されていたが7、2005 年 3 月にこれらが合併して新しい日
田市となった。合併後の新市の総人口は、7 万人強となっている。
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6
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熊本県北部・大分県西部を源流域とし、福岡県南部から佐賀県へと流れて有明海に注ぐ、九州最大の河川。
日田地域は、秋田、吉野(奈良県)とともに、日本三大林産地に数えられる。
このうち中津江村は、2002 年に開催されたサッカー・ワールドカップにおいて、カメルーン代表チームの
キャンプ地となり、話題を集めた。
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〔写真5〕江戸時代に天領であった日田地域:日田駅前
(撮影)みずほ総合研究所
<多くの特産品がある日田地域>
日田地域は、林産資源や山の幸に恵まれ、多くの特産品を有する。大分県内でも最も特産品
が集中するとされるこの地域における代表的な品々は、以下のようなものである。
[製
材]
杉と桧が中心で、多くは家屋の構造材として使われている。
[家
具]
脚物家具(椅子・テーブル・リビングセットなど)の一大産地であり、日田市内
に有力メーカー5社が立地している。
[下
駄]
日田は、日本有数の履物の産地である(静岡、福山、日田が三大産地)。杉材で
下駄を製作しているのは日田のみとされる。
[建
具]
日田の業者は技術力の高さが評判で、とくにふすまが有名である。
[工芸品]
箸やお盆、テーブル小物など。高級品は、京都の料亭などに納入されている。
[陶
良質の土が得られる市内皿山地区の小鹿田(おんた)焼が有名で、その陶芸技法は重
器]
要無形文化財となっている。
[食料品]
銘菓、銘酒など。
さらに、周辺の旧町村部や、隣接する玖珠(くす)郡では、山間地で栽培される農産物や食品
が特産品となっている。旧天瀬町のみょうが、旧大山町の梅やハーブ、旧前津江村のしいた
け、玖珠郡の豊後牛や漬物などが知られており、そのうち主なものは大分県の「一村一品」
にリストアップされている〔次ページ図表6〕。なお、図表中にある旧中津江村の鯛生(たい
お)金山は、明治期から昭和期にかけて採掘された鉱山で、坑道跡などが残り、観光資源とし
て「一村一品」に登録されている。
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〔図表6〕日田・玖珠地域における一村一品運動の代表的特産品
市・郡名
町・村名
日田市
玖珠(くす)郡
旧天瀬(あまがせ)町
旧大山町
旧前津江村
旧中津江村
旧上津江村
玖珠(くす)町
九重(ここのえ)町
主な品目名
木工芸品、下駄、焼物
みょうが、こんにゃく
梅、ハーブ、すもも
生しいたけ、わさび
茶、たけのこ、鯛生金山(鉱山跡)
ログハウス、豆腐
豊後牛、吉四六(きっちょむ)漬
豊後牛、キャベツ
(資料)大分一村一品国際交流推進協会資料等により作成
<厳しい経済状況にある日田地域>
このように自然環境に恵まれ、多くの特産品を有する日田地域であるが、近年その経済状況
は厳しい。有効求人倍率は県内で最も低いレベルにあり、雇用機会が乏しいことから、若者
の域外流出が続いている。地元の商店も、売り上げの減少や店主の高齢化などから、廃業に
追い込まれるケースも増えているようである。
さらに、当地の主力産業の一つである林業も、安価な輸入材の広がりなどにより、劣勢に立
たされている。木材価格の低下に加え、担い手の不足や従業者の高齢化で、手入れが行き届
かない林地が拡大している。また、製材業においても、外材の輸入が増えて事業の採算が悪
化し、売り上げが減少しているという。
特産の脚物家具も、中国製家具の浸透によって売り上げが減少基調にあり、下駄もアジア産
に押されているようだ。これらの製品は、10 年ほど前までアジア製は粗悪品との評価であっ
たが、近年は日本から業者が海外進出し、指導を行いながら現地生産・逆輸入している。こ
のため、国産とアジア産の品質の差が縮小し、安値のアジア製品が広く購入されるようにな
ったのである。このため当地の業者は、高級品に特化するなどの差別化を進めているという。
森林・木材関連産業や特産品業者を含めて、地域経済の再生がここ日田地域においても、重
要な課題となっている。
(4)日田・玖珠地域産業振興センター
このような日田地域において、これまで特産品振興の拠点となってきたのが、(財)日田・玖
珠(ひた・くす)地域産業振興センター(ひたっくす)である。日田市中心部に立地する同センタ
ーは、1980 年代に全国各地に設立された「地場産業振興センター」〔次ページのコラム参照〕
の一つであり、この地方の名産品の開発・展示・販売などで重要な役割を果たしてきた。こ
こでは、同センターの事業内容と近況について概観する。
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【地場産業振興センター】
地場産業振興センターは、県や市町村、地域の産業団体などが出資する第三セクター機
関で、1980 年代における地域産業政策の一環として、地場産業が盛んな都市に設置され
た。これらのセンターの多くは、特産品等による地域振興のための設備(展示場、研修室、
研究室、交流スペース等)を有している。こうした施設は、通商産業省(現経済産業省)・
中小企業庁の地場産業振興施設建設補助事業(注)の導入により、各地に整備されるようにな
ったもので、建設費の4分の1を国が、4分の1を県が負担し、中小企業事業団(現中小企
業基盤整備機構)も融資等を行った。このため、地元企業等の当初負担は、建設費の1割程
度に限定された。なお、施設建設のための補助は、1993 年度までで終了している。
一方、地場産業振興センターが実施する様々な事業(産業技術交流、新商品開発能力育
成、デザイン高度化、人材確保・養成、経営能力強化、情報収集・発信、地場産品展示な
ど)に対しても、自治体を経由した補助が行われてきた。このようなサポート措置にも助
けられ、全国に 41 か所の地場産業振興センターが設けられ、物産品の開発・展示・販売
などを通じて地域経済の活性化に寄与してきた。九州には、福岡県の久留米(くるめ)市、
日田市、宮崎県の都城(みやこのじょう)市、鹿児島県の枕崎(まくらざき)市の計 4 センター
がある〔図表7〕。
しかし、地場産業振興センターへの公的なバックアップは次第に縮小され、事業活動へ
の国からの補助も 2003 年度をもって打ち切られた。現在国の支援は、地場産業振興セン
ターに特定しない形での、規模を縮小した助成措置に改められている。
地方経済の停滞的状況による消費財需要の低迷に加えて、近年は補助金が削減され、多
くの地場産業振興センターは厳しい事業運営を余儀なくされている。
〔図表7〕九州地方の地場産業振興センター
センターの名称
久留米地域地場産
業振興センター
日田・玖珠地域産業
振興センター
都城圏域地場産業
振興センター
南薩地域地場産業
振興センター
所在地
福岡県
久留米市
大分県
日田市
宮崎県
都城市
鹿児島県
枕崎市
開設年
代表的な地場産品
久留米絣、仏壇仏具、八女(やめ)提灯、
はんてん、タオル、八女茶、和菓子
下駄、脚物家具、木工製品、竹製品、
1982年
建具、陶芸品、銘酒、かりんとう
地鶏、焼酎、お茶、工芸品、
1981年
しいたけ、らっきょう、梅、漬物
かつお節、焼酎、川辺の仏壇、お茶、
1982年
黒豚、さつまいも、さつまあげ、ぐい飲み
1981年
(資料)各地場産業振興センターのホームページ等により作成
(注)都道府県が作成する地場産業振興ビジョンに基づいて、広域的な市町村を対象とする地域ぐ
るみの振興機関を設立することを支援する事業で 1981 年にスタートした。
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<日田・玖珠地域産業振興センターの事業>
日田・玖珠地域産業振興センターは、日田・玖珠両地域の名産品の開発・販売拠点として、
1982 年にオープンした〔写真6〕。大分県や日田市、商工会議所、地元業界などの出資によ
り設立された第三セクターで、国や県からの助成も得て施設が整備され、事業が運営されて
きた。同センターは、大分県内でも目立って物産品の多いこの地域において、特産品の開発
や販売、担い手となる企業の強化や、人材の育成において重要な役割を果たしてきた。
〔写真6〕日田市街にある日田・玖珠地域産業振興センター
(撮影)みずほ総合研究所
これまで同センターが展開してきた主な事業の内容は、以下のようなものである。
第一は、製材・家具・履物・工芸・建具等の地場産業の事業者を対象とした商品開発能力育
成と需要開拓である。建具等の新商品開発、履物等のデザイン開発、家具等の販路開拓など
において、各種の事業者支援を行ってきた。
第二は、人材育成事業である。一部の伝統工芸品では技術の伝承に支障が生じてきたので、
技術講習会などを開催してきた。第三は、事業者の経営力強化事業である。外部から専門家
を招聘し、経営者向けのセミナーを実施するなどしてきた。
そして第四に、地域産品の販売促進のための諸事業である。物産展や展示即売会を各地で実
施してきた。また、零細事業者が自身で行うのはむずかしい大都市やデパートでの展示・販
売を同センターが取りまとめ、消費者向けのPRを行ってきた。
販売促進事業の中でも特筆されるのは、博多駅や福岡空港などでギフトショーやフェアを約
10 年間行ってきたことである。こうした交通拠点はPRの効果が大きく、産地を知ってもら
うよい機会となったようだ。また、遠隔地での活動にも力を入れた。千葉県幕張で開催され
てきたふるさとじまん市に 10 年ほど出展してきたし、東京でみやげもの物産展を行い、全国
各地のバイヤーとも商談を開くなどして、一定の販路開拓効果を得ることができたという。
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もちろん地元での販売活動も行ってきた。センターの建物の1階は販売スペースになってお
り、バスで来訪する観光客などに物産品を販売している。また 2000 年には、日田市内に新設
された大手ビール会社の工場敷地に姉妹店(物産館森の風)を設置して、地元の特産品を売
り出してきた。
<近年は厳しい運営状況が続く>
このように特産物の多い日田地域のシンボル的存在である日田・玖珠地域産業振興センタ
ーであるが、近年は厳しい事業運営を迫られている。物産品等の販売額は 1998 年度がピーク
で、その後は地方経済の不振や観光バスの立ち寄りが減ったことなどから販売額の減少傾向
が続き、2006 年度にはピーク時の半分以下となってしまった。ビール工場に併設された物産
館も、開業当初の販売額こそ高水準であったが、その後競合店が現れたことが響き、売り上
げは大きく落ち込んでいるという。
物産品の販売収入が減少する中で、公的な助成も大きく削られてしまっている。先述のよう
に、地場産業振興センターに対する国からの補助は、すでにほとんどが打ち切られた。各地
の地場産業振興センターは、地元の自治体のサポートにより事業活動を続けているところが
多いが、日田・玖珠地域産業振興センターの場合は、県や市が支援措置の絞り込みを行って
きたことなどから現在は独立採算に近い運営になっていて、他のセンターと比べても相対的
に厳しい状態にあるようだ。それでも自立して事業を維持・拡大していければ、地場産業振
興センターの新たなモデルとなり得るのだが、現下の経済環境は逆風だ。
このため、日田・玖珠地域産業振興センターでは、事業を縮小方向で見直さざるを得ない状
況に立ち至っている。全国各地で実施してきた展示即売会や物産展への出展などは、多くが
中止に追い込まれてしまった。PRや商談は継続しないと効果が薄れてしまうため、対応に
苦慮しているとのことだ。また、コスト抑制のため、職員数の削減にも手が付けられている。
このように、近年その運営に制約も生じているセンターではあるが、日田・玖珠地域の特産
品振興に少しでも貢献できるよう、事業の好転に向けた努力が続けられている。
(5)林業を核にした地域活性化の取り組み
以上みてきたように、山林資源に恵まれ、多くの特産品を有する日田においても、地域経済
の活性化は思うに任せない状況にある。それでも、地域特有の資源を数多く持ち合わせてい
ることは、この地域の大きな強みだ。日田では近年、古くからの有力な生業であった林業に
再度目を向け、地域の活力向上につなげていこうと取り組みを進めている。これは、林業都
市である「日田らしさ」を前面に出した、意欲的な試みである。
そこで最後に、当地の林業と林産資源をコアにした地域づくりの事例として、木材専門の工
業団地と林業第三セクターについて触れておくことにしたい。
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<木材産業団地:ウッドコンビナート>
日田市中心市街から東方の郊外にある「ウッドコンビナート」(高度総合木材加工団地)は、
全国的にも珍しい木材関連産業の事業所が集まる産業団地である。いかにも林業都市ならで
はのウッドコンビナートは、全国一の木材供給基地を目指して整備され、1999 年にオープン
した。大分県や日田市が林業関連予算を投入して開発したもので、日田木材協同組合や家具
製造会社など木材関連の事業者を中心に 10 社を超える事業所が立地している。
2006 年 3 月に政府に認定された地域再生計画8「ひたの自然と人が共生する環境と地域の個
性を生かした活力あるまちづくり計画」は、このウッドコンビナートの利用促進などを主眼
に設定されたものである。この計画では、日田市山間部とコンビナートを結ぶ林道・市道の
整備などにより、原木搬出のスピードアップなど林業・木材産業振興のための交通アクセス
の改善が図られた。併せて、都市・山村交流、グリーンツーリズムの推進策も盛り込まれて
いる。さらに、地域再生計画の一環として、未利用木質原料を用いたバイオマス事業も取り
組まれており、木質のみを燃料とする発電所では全国最大規模となる木質バイオマス発電所
がウッドコンビナートに設置され、2006 年から稼動している。
このようにウッドコンビナートは木材関連事業所の集積地となりつつあるが、課題もある。
オープンから 10 年近くが経つものの、半分近くの分譲地が未立地となっているのである。こ
のため、木材関連以外の企業にも対象を拡大して事業所の誘致が進められている。
<林業第三セクター:トライ・ウッド>
日田市南部山間地の上津江町(旧上津江村)にある(株)トライ・ウッドは、1990 年に設立され
た第三セクターの総合林業会社である。山懐で山林資源に恵まれた上津江は林業の盛んな地
ながら、高齢化や若者の林業離れなどから、従業者の減少や後継者不足、森林資源保全への
懸念といった問題が生じてきた。こうした課題に対処し、新たな林業振興を図るために、日
田市や日田郡森林組合、山林所有者などの出資により設立されたのが、トライ・ウッドである。
同社の主な事業は、育林や伐採・搬出、木材加工、堆肥生産、林産品加工販売、エコ商品な
ど幅広い。また、森林体験ツアーなどユニークな活動も手掛けている。設立から 10 余年を経
て事業も軌道に乗る中、2007 年度には間伐・間伐材利用に関するコンクールで、同社は「林
業事業体による森づくり部門」の林野庁長官賞に選出された。また、中小企業庁の連携支援
事業では、同社をコア企業とし、装置メーカー、森林組合、木材協同組合、九州大学などが
参加する「未利用木質系資源の粒子化による新規建材の開発・販売」プロジェクトが認定さ
れ、事業化が進められている。
社員約 70 名で、平均年齢が 30 歳台というトライ・ウッドには、地域外から就職したIタ
ーン者もおり、上津江での重要な雇用の場となっている。同社の活動は、林産地の再生と山
里づくりに貢献し、林業の新たな可能性を開く、地域資源に立脚した好例といえるだろう。
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「地域再生計画」は、自治体等による地方自立のための取り組みについて国が認定を行い、支援を実施する
もので、2003 年に政策的枠組みが整えられた。
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お わ り に
以上にみてきたように、大分県では北部を中心に自動車産業を軸とする産業集積が進みつつ
ある。足元での内外経済の動揺が、わが国の自動車生産にも影響を与え始めているが、中長
期的に当地が自動車製造拠点として成長していく方向性に大きな変化はないであろう。一方、
海の幸、山の幸に恵まれた大分県には、各地に多くの特産品があり、これを育成・活用する
形で「一村一品運動」が進められた。活動から多くの成果が生まれた一方で、物産品の販売
に近年行き詰まりが見られるケースもあることは、日田市の例でみた通りである。その一方
で、全国的には低迷が指摘される林業などで、新たな動きが見られることも大分県の特色と
いえよう。
大分県には江戸時代、府内(現大分市)、中津、杵築(きつき)、臼杵(うすき)、岡(現竹田市)な
ど8つの藩が存在し、それぞれに独自の社会・文化を形成し、互いに競い合ってきた。この
ため大分県は、九州各県の中でもとりわけ地域ごとの自立性が強いとされる。こうした県の
特徴は、一村一品運動の素地ともなってきた。地域性の強さは、ときに県としての求心力を
弱めるともいわれるが、大分県の場合はよい意味で切磋琢磨しあうことによって、それぞれ
個性的な地域づくりが進められ、成果を上げてきたといえよう。このような多極的な地域活
性化は、地方分権の在り方とも合わせて、全国の参考となろう。
近年工場立地が目覚しい県北部に対し、県南部では地域経済の浮揚に苦労も多いようだ。熊
本県や九州全島でもみられるような、いわゆる「南北格差」が大分県でもうかがわれる。こ
の点は、県全体としての地域活性化を図る上で重要なテーマとなるが、県南部には工業用地
としての立地性とはまた違った形で、地域おこしの糧となるような海の幸、山の幸といった
地域資源が一層豊かにある。日田地域の最近の取り組みにみられるように、山間地において
も潜在性は決して小さくない。
今年は大分県のサッカー・チームが快進撃を続けており、同県の活力をあらためて感じさせ
る。一村一品運動が国内のみならず世界各国で参考とされてきたように、これからも大分県
の地域づくりの試みの数々は、広く注目され続けるであろう。
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