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綾町埋蔵文化財調査報告書第 13集
HOSHIHARA
星原 地 下式横 穴墓
個人農地開発 にかかる埋蔵文化財調査報告書
2011.3
宮 崎県綾 町教育委員会
綾町教育委員会 では、個人農 地開発 に伴 い平成 22年 度星原地下式横穴墓 の発掘調査 を
実施 いた しま した。
調査 の結果、 この付近 で以前 か ら見つ かつている地 下式横穴墓 と似 た特徴 を持 ってい る
地下式横穴墓 が発見 され 、また人骨 な ども見つ かつてお ります。 このよ うな発見は、綾 の
歴史をひ も解 くたいへ ん貴重な歴史的資料 とな ります。
今後 も開発 と文化財 の保護 との調整 を図れ るよ う努力 してい きたい と思い ます。なお、
本書 が文化財 の保護 へ の理解 に役 立つ とともに、生涯学習 。学校教育等 の場 で広 く活用 さ
れれば幸い に存 じます。
最後にな りま したが、調査 に多大な るご協力 いただいた地権者や関係各位 の方 々 に厚 く
お礼 申 しあげます。
平成
23年
3月
綾 町教 育委 員 会
教 育長 玉 田 清人
言
1.本 書 は、個人農地開発 に伴 い綾町教育委員会 が主体 とな り、平成 22年 度に実施 した
「星原 地下式横穴墓」 の発掘調査報告書である。
2.現 地調査における実涙1図 作成 は、作業員 の協力 を得 て井上が作成 した。
3.図 面及び遺物 の整理等は、井上がお こなつた。 また、写真についても井 上が撮影 をお
こなつた。
4.本 書 で用いた方位 は磁北、 レベル については海抜絶対高である。
5。
本書 に用 いた土色は、
『 新版
標準土色 帖
(2001年 版
)』
によるものである。
本書 の執筆及 び編集は、井 上がお こなった。 なお、第 Ⅲ章については鹿児島女子短期
大学教授竹 中正巳氏の執筆 による。
6。
7.調 査 の記録類、出土遺物な どは全て綾町教育委員会 で保管 している。
目 次
本 文 目次
第 I章
は じめに
第 1節
調査 に至 る経緯 と調査組織
1
1.調 査 に至 る経緯
2。
第 2節
1
調査組織
1
遺跡 の位 置 と歴史的環境
1
調 査 の全容
第 Ⅱ章
第 1節
調 査 の概要 と基本土層
3
1.調 査 の概要
2.基 本土層
第 2節
3
3
4
調 査 の結果
1.遺 構
2.人 骨 の 出土状況 につい て
3.副 葬 品につい て
第 Ⅲ章
第Ⅳ章
4
4
4
宮崎県綾 町星原地下式横 穴墓 か ら出上 した古墳時代人骨
1.は じめに
2.人 骨 の所見
6
,り
3. Hお オ
6
6
1こ
ま とめ
ま とめ
8
調査抄録
11
挿 図 目 次
第 1図
遺跡位置図
2
第 2図
基本土層図
3
図 版
第 3図
目
地下式横穴墓実測図
次
図版 1
基本土層
3
図版 9
堅坑 ステ ップ検 出状況
図版 2
古墳時代人骨出土状況
7
図版 10
玄室状況
図版 3
出土古墳時代人骨
7
図版 H
羨道状況 (玄 室側か ら)
図版 4
発見状況
図版 5
竪坑検 出状況
図版 6
竪坑土層状況
図版 7
竪坑埋土状況 (下 部 )
図版 8
竪坑完掘状況
・ ・・・ ・・・・ ・・
・・ ・・・ ・・ ・・・ ・・・・・・
9
10
10
図版 12 人骨出土状況 ・・・・・・・・・・・・・・
10
・・・ ・・ ・・・ ・・・・ ・・・
図版 13 刀子出土状況 ・・・・・・・・・・・・・・
10
・・ ・・・ ・・・ ・・・・ ・・・
図版 14 遺跡遠景
10
図版 15現 地説明会
・・・・・・・・・・・・・・・・
10
第 I章 は じめ に
第 1節 調査に至る経緯と調査組織
1.調 査に至る経緯
平成 22年 5月 、土地所有者 より綾町教育委員会へ重機 による土地 の掘削中に陥没 が見
つ かった との連絡があった。町教育委員会 が現状確認 をお こなった ところ、地下式横穴墓
玄室 の天丼崩落による陥没 と確認 された。土地所有者 と協議 を行 つた結果、記録保存 を 目
的 とした発掘調査を実施す ることとなつた。
調査については、町単独事業 として調査す ることになつた。調査面積 は 8m2で ぁる。
2.調 査組織
調査 の組織 は、次 の とお りである。
調査主体 綾町教育委員会
教 育長
玉田
社 会教 育課 長
谷 口 俊彦
社 会教 育係 長
藤本
匡史
調査 担 当
社 会教 育課 主 任 主事
井上
隆広
特別調 査員
鹿 児 島女子短 期 大 学教授
竹中
正巳
清人
第2節 遺跡の位置と歴史的環境
星原地下式横穴墓は、宮崎県東諸県郡綾町大宇南俣字星原 に所在す る遺跡である。綾
町は県庁所在地 の宮崎市 か ら北西に約 2 0kmの 位置 にあ り、大淀川 の支流 の綾北川、綾南
川により開かれた平地 に町の 中心地が位置す る。町の大部分は九州山地で占め られてお り、
照葉樹林 がよく発達 している。
遺跡は綾北川、綾南川 により挟まれた錦原台地 (中 位 段 丘礫層)の 東端縁辺都、標高約
68mの 場所 に位置す る。今回発見 された地下式横穴墓周辺では以前か ら地下式横穴墓が
発見 されてお り、昭和 56年 には宮崎県教育委員会 により内屋敷地下式横穴墓 の発掘調査
が行われ、また地元 の聞き取 りでは以前か ら発見が相次 いでお り、調査 されずに壊 された
地下式横穴墓 も多い と思われ る。位置的 には内屋敷地下式横穴墓 の近 くではあつたが、今
回は字名 より星原 の名前を取 り名前を付けた。周辺 の古墳時代 の遺跡 としては、綾町古墳
(首 塚)が 遺跡 か ら北西約 100mの ところに所在す る。また、町内の地下式横穴墓 とし
ては、四反 田地下式横穴墓、中迫地下式横穴墓 が調査 されてい る。
参 考文献
石川恒太郎
1969 「東諸県郡綾町地下式古墳調査報告」『 宮崎県埋蔵文化財調査報告書』
第 13集 宮崎県教育委員会
1969 「東諸県郡綾町地下式古墳調査報告」
『 宮崎県埋蔵文化財調査報告書』
面 高哲郎
1981
第 14集 宮崎県教育委員会
「内屋敷地下式横穴発掘調査報告」
『 宮崎県埋蔵文化財調査報告書』
第 24集
宮崎県教育委員会
宮崎県教育庁文化課 (編 )1996『 中迫地下式横 穴墓群 』
-1
綾町教育委員会
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第 1図
遺跡位 置 図 (S=1/10000)
-2-
第 Ⅱ章
調 査 の全 容
第 1節 調査 の概 要と基 本土層
1.調 査 の概 要
星 原 地 下式横 穴墓 の調 査 は 平成
22年 7月 20日 ∼ 9月
8日 まで の 間行 われ た。 木 遺跡
は 、サ ッカ ー 場や 野球場 な どが あ る町 中 心 部 の錦原 台地 南東 端 の標 高約
68mに 位 置す る。
調 査 の概 要 と して は重 機 に よ りす で に玄室屋 根 の一 部 が壊 れ てい たた め 、 まず は堅 坑 の検
出 か らお こな つ た。 竪坑 の検 出 はアカ ホヤ上 面 で の検 出 を心 が けた が 、北側 部 分 につ い て
はアカ ホヤ 面 の境 が 不鮮 明 で あ つ たた め重 機 掘 削 の壁 面 の立 ち上 が りにて、検 出 の参考 と
した。 堅坑 土 層 断面 につ い て は、重 機 の掘 削面 をそ の ま ま利 用 し観 察 をお こ な っ た。 そ の
後 、竪坑 内 の埋 土 を手掘 りにて除去 し、羨道 か ら水没 に よ って 玄室 内 に流入 した土 を搬 出
した。 玄室 内 の 流入 土 をす べ て 除去 した 後 は 、鹿 児 島女 子短期 大 学竹 中教授 に よ り人 骨 の
実測及 び 取 り上 げ をお こ なわれ た。 人骨 の 取 り上 げ後 は玄室 内 の 実測 を行 い 、 そ の後 竪坑
の 実測 、す べ て の 実測作 業 が 終 わ つ た 後 は 、 写真 撮影 を行 い 、重機 に よる埋 め戻 しをお こ
な つ た。
2.基 本 土 層
本 遺跡 にお け る層 序 は、竪坑 内 の 北壁 に よ り I∼ Ⅵ 層 まで 分別 で きた。 詳 細 につ い て は
以 下 の とお りで あ る。
I層
:
黒褐 色 土 層
(10YR 2/3)
表 土及 び 耕 作 土。
Ⅲ層
:
明褐 色 土 層
H=68.Om
(7.5YR 5/8)
アカ ホヤ 。 下部 に φ 5mm∼
lmmほ
どの豆石 を
多量 に含 む。 さ らさ ら してい るが、若 干 しま り及 び
粘 J性 あ り。
Ⅲ層
:
黒褐 色 土 層
(10YR 2/2)
ク ロニ ガ 。 非 常 に硬 質 で粘性 あ り。若 千炭化 物 と
第 2図
基本 土層 図
(S=1/40)
微 細 な 白色粒 を含 む 。
Ⅳ層
:
暗褐 色 土 層
(10YR 3/4)
非 常 に硬 質 で しま りが あ り、粘性 あ り。微 細 な 白
色粒 を多 く含 む 。 下部 は褐 色 土 (10YR4/4)を マー
ブル 状 に含 む 。
V層 :
にぶ い 黄褐 色 土 層
(10YR 4/3)
小林 ボ ラ。 非 常 に硬 質 で しま り粘性 あ り。 白色粒
を非 常 に多 く含 む 。 φ 5mmほ どの軽 石 (明 褐 色 。
褐灰 色 )を 若 干含 む 。
Ⅵ層
:褐 色 土 層 (10YR 4/4)
粘性 が あ り若 千 しま りもあ り。 φ lcm∼ 2mmほ
どの 明赤褐 色粒 を含 み 、 また 白色粒 を若 干含 む 。
図版
-3-
1
基本 土層
第 2節 調査の結果
1.遺 構
(第
2図 )
発 見 され た地 下式横 穴 は 、妻入 りで あ っ た。
O玄 室 につ い て
1,8m、 最小 幅 1.2mを 図 る。
玄室 内 の屋 根構 造 は切 り妻 造 りで 最 大 高 0,75m、 最 小 高 0.45mで あ る。 玄室 内 の
玄室 は 奥す ば み形 の 台形 に近 い 長 方形 を呈 し最 大幅
壁 には鉄 製 工 具 と思 われ る造 成痕 が残 ち ていた 。
○羨 門・ 羨道 につ い て
羨 門は幅約
0.55m、
高 さ約
0.6mの
縦長 の長方 形 を呈 し、羨道 の長 さは約
0。
4
mで 堅坑 の左 よ りに設 け られ てい る。 羨 門 は閉塞石 が なか っ た が 、堅坑 の 土 層 断面 で は詳
細 には確認 で きて い な い が発 見 され た 当初 玄室 内 には流入 土 が ほ とん どみ られ なか っ た こ
とよ り、板 閉塞 な どの 可能性 が 考 え られ る。
O竪 坑 につ いて
竪坑 は上 場最 大幅
0。
1.7m、
下場 最 大 幅
1.4m隅
丸方形 を呈す る。 竪抗 には 下場 か ら
7mの 高 さに 2ヶ 所 のス テ ップ が残 存 してい た。 竪坑 内 の埋 土 につ い て は 、 土 層観 察
で は再 度 掘 っ た よ うな跡 は見 られず 、 一 度 だ け の使 用 と考 え られ る。 また 、 は っ き りした
土 層堆積 の痕跡 が み られ な い こ とか ら遺 体 を玄室 に安 置 した 後 はす ぐ埋 め戻 しをお こな っ
た可能性 が あ る。 羨道 の入 り口は堅 坑床 面 よ リー 段低 くな っ てい た。
2。
人骨 の 出土状 況 に つ い て
地 下式横 穴墓 か らは 、性 別 不 明 の 人骨 の歯 と遺 存 状況 の悪 い 下肢 が 出 土 してい る。骨 の
状況 か ら地 下式横 穴墓 に埋 葬 され てい る の は 1体 で あ る と考 え られ る。埋 葬 状況 と して は 、
羨道側 に頭 を向 け、 玄室奥側 に足 を向 けた状態 で あ っ た と考 え られ る。 また 、人骨 の 取 り
上 げ をお こな っ た竹 中教授 の所 見 か らは埋 葬 され た人 骨 に つ い て は屈 葬 の 可能性 が 指摘 さ
れ てい る。 人骨 の性別 につ い て は依 存状 況 が悪 く判 定 がで きなか っ たが 、残 存 していた 歯
か らは熟 年 の人骨 で あ る こ とが指摘 され てい る。
3.副 葬 品 につ い て
人骨 の そ ば に平造 りの刀 子 の 出土 が み られ たが 、依 存状 況 が 悪 く図化 で きな か っ た。残
存部 分 の 直径 は
10cmで
、幅 は刃部 が約
1.5cm、
把 部 は約
2cmで
あ る。 また把 都
には動物 等 の骨 に よ る装飾 が み られ る。他 の 副葬 品 につ い て は発 見 され なか っ た が 、土師
質 の 土器 の細 か な破 片 が 1点 だ け玄室 内で発 見 され た。 しか しなが ら、調 査 中 に紛 失 して
しまい年 代 な どの詳細 につ い て はわか らなか っ た。
-4-
注記
1… 黒褐色土層 (10YR 2/3)表 土及び耕作土
2… 明褐色土層 (75YR 5/8)ア カホヤ。下部に φ5mm∼ lmmほ どの
豆石 を多量 に含む。 さらさらしているが、若干 しまり及び粘性あ り
3… 黒褐色土層 (10YR 2/2)し まりがあ り粘性あ り。
4… 黒褐色 (75YR 2/2)10cmほ どの小林軽石ブ ロ ックを少量含 む。
2mmほ どの軽石 を含む。暗褐色上 をマーブル状 に含む。粘性 はな く
さらさらしている。
5… 暗褐色 (10YR 3/3)ブ ロ ックを多 く含む。若干小林軽石ブロ ック
を含む。
6… 黒色土 (10YR 2/1)若 干粘性がある。小林軽石 をブ ロ ック状 に含
む。暗褐色ブロ ック、軽石 を含む。
7… 暗褐色 (10YR 3/3)粘 性 はほとんどな くさらさらしている。多量
の小林軽石、暗褐色 ブロ ックを含む。黒色上がマーブル状 に入る。上
部 は大 きいブロ ック状の ものが多 く、下部は少ない。
な くさらさらしている。
,
8… 黒色土 (10YR 4/1)ア カホヤブロ ックを非常 に多 く含 む。粘性 は
曲
ヽ
│
曲
ー
卜/
│
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0
H=68.Om
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一
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推定 閉塞 ライ ン
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︵
︱ い ︱
第 Ⅲ章
宮 崎 県 綾 町 星 原 地 下 式 横 穴 墓 か ら出 上 した 古 墳 時 代 人 骨
鹿 児 島女子短 期 大 学
1.は
竹 中正 巳
じめ に
2010年 8月
、 宮 崎 県 綾 町 に 所 在 す る 星 原 地 下 式 横 穴 墓 か ら古 墳 時 代 の 人 骨 が
出 土 した 。 出 土 した の は
1体 の み で 、 鉄 製 の 刀 子 が 1本 副 葬
され て い た 。 墓 は
竪 坑 が 玄 室 の 南 側 に あ り、妻 入 リタ イ プ で 、天 丼 は 切 妻 型 に 造 られ て い る 。人 骨
の 保 存 状 態 は よ く な い が 、宮 崎 平 野 部 西 端 部 の 地 下 式 横 穴 か ら 出 土 した 貴 重 な 資
料 で あ る。
2.人
骨 の所 見
人 骨 は 、歯 と 下 肢 の 一 部 が 遺 存 して い る だ け で あ る 。遺 存 して い る 部 位 に 重 複
は な い こ とか ら 、 1体 の み が 埋 葬 され た と 考 え られ る 。 下 肢 は 、 左 大 腿 骨 と左 右
の 雁 骨 が 遺 存 して い る 。左 大 腿 骨 と左 怪 骨 は 直 線 上 に 並 ん で お らず 、か な り膝 を
曲 げ た 状 態 で あ る 。埋 葬 姿 勢 を 左 大 腿 骨 と左 右 の 睡 骨 の 位 置 関 係 か ら考 え る と 屈
葬 で あ る 。仰 臥 で あ っ た の か 側 臥 で あ つ た の か は わ か ら な い が 、伏 臥 の 状 態 で は
埋 葬 され て い な い 。
遺 存 して い る 人 骨 の 表 面 に 赤 色 顔 料 の 付 着 は 認 め られ な い 。性 判 定 可 能 な 骨 の
部 位 が 遺 存 して い な い こ とか ら人 骨 の 性 別 は 不 明 で あ る 。歯 は 上 顎 左 側 切 歯 と上
顎 左 犬 歯 が 遊 離 歯 の 状 態 で 遺 存 して い る 。咬 耗 は 両 歯 と も
Martinの 2度 で あ る
こ とか ら 、 出 土 した 人 骨 の 死 亡 時 の 年 齢 は 熟 年 で あ つ た と考 え られ る 。
歯 の 大 き さ を 計 測 す る と 、上 顎 左 側 切 歯 の 歯 冠 の 近 遠 心 径 は 6.07mm、 頬 舌 径
は 6.35mmで あ る 。 上 顎 左 犬 歯 の 歯 冠 の 近 遠 心 径 は 7.42mm、 頬 舌 径 は 7.60mm
で あ る。 縄 文 人 と 渡 来 系 弥 生 人 と の 間 に は 、 歯 の 大 き さ に 有 意 な 差 が 認 め られ 、
縄 文 人 が 明 らか に 小 さ い 。渡 来 系 弥 生 人 に つ な が る 集 団 は 、弥 生 時 代 以 降 、現 代
に 至 る ま で 、大 き い 歯 を 保 つ て い る 。星 原 地 下 式 横 穴 墓 か ら 出 土 した 2本 の 歯 は 、
い ず れ も縄 文 人 と 同 程 度 の 歯 の 大 き さ で あ る 。
下 肢 で は 、左 大 腿 骨 に 柱 状 形 成 が 認 め られ る 。下 肢 を よ く使 っ た こ とが わ か る 。
3。
お わ りに
星 原 地 下 式 横 穴 墓 か ら 出 土 した 人 骨 に つ い て は 顔 面 の 形 質 や 身 長 等 が 不 明 で
あ る が 、歯 の 大 き さ か ら 、少 な く と も歯 に は 縄 文 人 的 特 徴 を 有 す る こ とが わ か る 。
星 原 地 下 式 に 近 在 す る 内 屋 敷 地 下 式 横 穴 か ら は 、低 広 顔 の 男 性 熟 年 人 骨 が 出 土 し
て い る (松 下 ,1990)。 宮 崎 平 野 の 中 央 部 か ら は 高 狭 顔 の 古 墳 時 代 人 骨 が 出 土 し
て お り、古 墳 時 代 の 宮 崎 平 野 の 中 央 部 とそ の 西 端 都 で は 形 質 の 地 域 差 が あ つ た 可
能 性 が 考 え られ る 。綾 町 を は じ め と す る 宮 崎 平 野 部 西 端 部 の 地 下 式 横 穴 か ら 、今
後 、 更 に 保 存 の よ い 人 骨 が 出 土 す る こ と を 期 待 した い 。
参考文献
松 下孝 幸
(1990)南 九 州 地 域 に お け る 古 墳 時 代 人 骨 の 人 類 学 的 研 究
長 崎 医 学 会 雑 誌 65:781‐ 804.
-6-
.
図版
2
宮 崎 県 綾 町 星 原 地 下 式 横 穴 墓 か ら 出 上 した 古 墳 時 代 人 骨 (性 別 不 明 。熟 年 )
下 肢 の 出 土 状 況 (上 :左 右 睡 骨 ,下 :左 大 腿 骨 )
図版
3
宮 崎 県 綾 町 星 原 地 下 式 横 穴 墓 か ら出 上 した 古 墳 時 代 人 骨 (性 別 不 明 ・ 熟 年 )
-7-
第Ⅳ章
ま とめ
本遺跡 の調 査 で は地 下式横 穴墓 の発 見 が な され た。梅 雨 に入 る前 の調 査 で長 雨 な どの影 響
がで る調 査 とな っ た。 担 当者 の力 不足 で 十分 な考察 は 出来 な いが ま とめ と したい。
この付 近 で は以前 か ら地 下式横 穴墓 が発 見 され てい た。 今 回 の調 査 中 に も地元 の人 か ら
の話 で 、以前 か ら地 下式横 穴墓 は見 つ か つて お り、鶏舎 をたて る ときに空洞 が発 見 され 中
か ら土器 な どが 見 つ か つ た こ とや 、 自分 の祖 父 の 頃 か ら陥没 が起 こって は人 骨 が発 見 され
て い た こ とを雑 談 がて ら聞 く こ とがで きた。
56年 の調 査 で は人 骨 だ けで な く多 くの 副葬 品 も見 つ か つ てい る。 今 回見 つ か つ た
地 下式横 穴墓 につ い て も昭和 56年 に発 見 され た もの と構 造 (妻 入 りで切 り妻型 )や 主 軸
昭和
の方 向 な どよ く似 た特 徴 を も つてい る。 他 の 地 下式横 穴墓 の 状況 につ い て 考察 は出来 な い
が 、町 内北西 に位 置す る 700∼
800m級
の 高 さで あ る釈 迦 岳 ・ 矢括 岳 な どの 山 々 を意
識 した主 軸 の設 定 の 可能性 や 、遺跡 北西方 向に所在 してい る綾 古墳 (首 塚 )の 高塚墳 の周
辺 を意識 した 群構 造 の 可能性 も一 概 に否 定 はで きな いで あ ろ う。 また 、地 下式横 穴墓 が つ
く られ た時 期 につ い て は、年 代 を裏付 け る遺物 が 出 土 してい な い た め年 代 は判 定 で きな い
が 、昭和
56年 調 査 の 内屋 敷 地 下式横 穴墓 と特徴 が似 てい る こ とを考 え同時 期 と仮 定 した
ときはおお よそ 6世 紀 後 半 ごろ と推 測 され る。 今後 も この 付近 の類例 を待 ち 、全容 の解 明
が 出来 る こ とを望 み た い。
最後 に夏場 の暑 い さなか 、地 下式横 穴 出土 の人骨 の測 量及 び 取 り上 げ を行 つてい ただ い
た竹 中教授 には調 査 の助 言 な どの ご指 導 ご協力 を い た だ い た。本 町 出身 の埋 蔵 文化財 セ ン
ター 谷 口め ぐみ氏 に も作 業 の 手伝 い を い ただ きお礼 申 し上 げた い。 また 、 地 権者 で あ る児
玉 氏 には物 資 の提供 な どの 多大 な協力 を い た だ き、夏 の猛 暑 の なか で も比較 的快適 で 、有
意義 な調 査 が行 うこ とがで きた。 末筆 なが らお 礼 を 申 し上 げま とめ と したい。
引用参考文献】
【
綾
石川
町
恒太郎
1979 『綾 町郷土誌』
1969
「東諸県郡綾町地下式古墳調査報告」
『 宮崎県埋蔵文化財調査報告書』
第 13集
面高
哲郎
1996
宮崎県教育委員会
「内屋敷地下式横穴群」
『 宮崎県史 資料編 考古 2』 宮崎県
-8-
甲
I‐
●:挙 ・
f冬
図版
図版
6
図版
4
発 見状 況
図版
竪坑 土層 状況
8
│
堅坑完掘状 況
-9-
5
竪坑検 出状況
図版
7
堅坑埋 土 状況 (下 都 )
図版
9
竪坑 ス テ ップ検 出状況
図版
図版
10
12
図版
14
図版
玄室状況
人骨 出土状況
11
図版
13
図版
遺跡遠 景
-10-
羨道状況 (玄 室側 か ら)
15
刀 子 出土状 況
現地説明会
調 査 抄 録
垂日
フ リガ ナ
副
書
ホシハ ラチカ シキ ヨコアナボ
名
星原地下式横穴墓
名
個人農地開発 にかかる埋蔵文化財調査報告書
シ リー ズ 名
綾町埋蔵文化財調査報告書
シ リーズ番号
第 13集
編 集 者 名
井 上
発 行 機 関
綾町教育委員会
所
在
隆 広
〒880‐ 1303 宮崎県東諸県郡綾町大宇南俣 546-1
地
2011年
発行年 月 日
繊
プばぱ
脚
宮崎県東諸県郡
星原地下式横穴墓
綾町大宇南俣字
綾
ぱプぱ
所収遺跡名
3月
地下式横穴墓
調査面積
H22.7.20
8雷
H22.9.8
敷
璧
動
]ll
不
調査期間
主な時代
鎖
主な遺構
地下式横穴墓
嗽
綾町剛 説 期 限 紛 湾 報 糊
主な遺物
ノピ骨 儀Υ∋
鉄器
(刀 子)
13集
星原地下式横穴墓
個人農地開発にかかる埋蔵文化財発掘調査報告書
2011年
3月
薪記柴:。 蒲 〒 綾町教育委員会
〒880‐ 1303
宮崎県東諸県郡綾町大字南俣 546-1
TEL 0985-77-1183
株式会社 Fttl‐ Zン ター クログ
〒880‐ 0022
自崎県 宮1崎市大橋 2丁 目 175
TEL 0985-24-4351
因
麟
農業
関連
特記事項
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