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Page 1 京都大学 京都大学学術情報リポジトリ 紅

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Page 1 京都大学 京都大学学術情報リポジトリ 紅
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伊太利ところどころ(三五)
瀧川, 規一
地球 (1933), 19(2): 151-158
1933-02-01
http://hdl.handle.net/2433/184133
Right
Type
Textversion
Departmental Bulletin Paper
publisher
Kyoto University
委 員 間 水 音 彦 氏 に勤 し で洗基 の謝意 を 衷 す るも
(三五 )
按 背 後 の力 と な って 下 r
uった淋 m 数 授 及 び静 岡
ろ ぐ
一
の であ る。 (
完)
こ
規
順 史 編 纂 委 員 ' 静 岡 牒 史 蹟 名 勝 天然 記念 物 調 査
伊 太 利 と
ノ
この欺 き の橋 は歓 洲 各 地 に見 出 r
uれ る同 形 の柿
瀧
ニスを見 逃 が す 人 は 在 から う。 ヴ ェ ニスに訪 れ
︹グ エ ニス行︺ 伊 大 利 を 歴訪 す る者 にL y.
グエ
恥入 はな から う 。 聖 マ ル コの焼 場 に 付 む者 は 三
ル コ寺 の焼 場 に群 れ居 る鳩 の鳴 - 邸 に耳 を 傾 け
な か ら う 。 ゴ ソード ラに輿 を兜 え た 人 に し て型 マ
定 し て屠 ら ぬ時 ほ は ゴ ンド ラ を呼 び 止 め ん と す
語 が 通 じ 覆 い時 に自 分 の手荷 物 が ど の ゴ ンド ラ
囲 人 は少 から ず そ れが 為 め に迷 惑 を戚 ず る。 言
る b ンド ラ舟 の舵 手 が 客 の奪 S(;以 をす る。異
停車 場 に着 - と 、幾 敵 と 在 - 客 待 ち 恕 し て ゐ
の原 型 であ る。
方 に取 り囲 む挑 廊 と 寺 院 の前 の時 計 塔 に注 意 す
るで あら う。
ラ胎 で皮 膿 む披 か れ た邦 人 も あ る。 そ れ を し か
る に も 言 語 が 通 じな い。斯 - し て騨 前 のゴ ンド
た 人 ほ し で名 物 の ゴ ンド ラに乗 ら な か った 人 は
サ ン ・マ ル コの内 陣 を 押 し た 者 は隣 接 の大 公
l
空
六九
も 帝意 気 に も の に番 いて ゐ る人 も あ る。 r
JA な
は接 し 去 ら れ た か判 ら ぬ。 落 着 先 の ホ テ ルが 確
Duc
alPa
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e)内 の輪 番 を 巡 接 し た後 、「炊
宮殿(
大利 と 1
」ろん\
ャed
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iSos
pi
r
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)を見 るで あ ら う。
き の柿」 (
Pon
伊
地
球
妨 十九潜
経廟 はヴ ェ ニスの ゴ ンド ラ船 に限 った 乙と で は
な い。 上 帝 に鼎 が着 -と 支 弗 人 が雲 集 し て客 の
荷 物 の.
恕 以合 以むな し 蓬 に は手荷 物 を支邦 人 は
進 上す る憂 日 を見 る こと が あ る。 大 阪 で は田 舎
者 が ク キ シほ乗 ら んと て邸 を かけ ると 電極 手が
客 を奪 以合 って寓 になぐ ,
L各 以hl
す る。友邦 騨
前 で タ キ シを拾 ふと す ると 運樽 手 同 志 が 喧嘩 む
しだ し た r
Jとが あ る。 一の量席 が出 凍 ると 大 軍
乙れと 反封 は、 菅 教 授 の令 嬢 を自 説 の秀才 連 が
の先 生 ま で弟 子 の押 し黄 み を し倉 ふ こと が あ る
奪 以倉 以をを し た時 も あ った0 'ゴ ンド ラ船 の舵
手 が 異 聞人 の手荷 物 を驚 以合 弘をす る r
Jと は斯
ガ。
-類 例 を 求 め ると 今 更 鮮 - 可ら ず
h
r.ニスの風 景苗 を見 て、 ビ ル
ヴ ェ ニスは水 の都 であ ると 開き クー ナ (
Tur・
e
r
)
nの有 名 を るブ
妨 二雛
蚕
山
七〇
は番 いであ るや う に美 し い ロ マンチ ックな 都 で
あ るかと の疑 問 は蔵客 怒 ら で も起 る。 ヴ ェ ニス
を汚 い町だ と 云 ふ人がど の運 河 を ゴ ンド ラで'
の
ま た 月難 どん な 時 刻 は ゴ ンド ラは乗 った か む
考 へて見 ると大 抵 は干潮 の時 に乗 って ゐ る。 耐
かも 停 車 場 から 出 て r'nンド ラに 行先 を命 ず ると
舵 手 は必ず 敢 捷 種 をと る。 最 7
9近道 で あ ると 云
は る る踊 路 は大 抵都 骨 で は裏 町 でな け れば露 路
で あ る。 そ 尤 夜鷹 を 迫 って 乙の恥 骨 は汚 いと 判
定 す るなら ば離 断 でな け れば 飴 葦 皮 肉な 観 察 豪
の評 言 で あら う。 皮 肉 な観 察 潜 在 -と 云 ふ所 以
は次 のや う家 事賓 が あ るから であ る。 基 氏 の新
築 庇 に招 か れ た 人が ' 新 築 家 屋 にど れ丈け薯 際
に金 が か か 久で ゐる かむ判 定 す る馬 めけ便 所 に
入 った人 が あ った。 ま ね縁 談 の聞 き 合 せ に 行 っ
て縁 談 先 の家 に素 知 ら ぬ顔 で 態と便所 恕倍 - そ
の家 の壁 活 現 状 む探 った人 7
9あ った0更 は友人
の家 は泊 って客 人 の枕 で在 - そ の家 の主 人 の枕
い都 骨 で あら う かと 想 像 し て ゐねが 、
薯 際 に 行 って見 ると ブ エ エスは薯 は汚 い町 であ
の白 布 の汚 れ 工 各 を見 て家 婦 の行届 き 不行届 き
ht
判 ず る試 金 市と し た人 も あ ったO これ等 の人
在 は美 し
ったと の印象 を語 る兼客 が か在 -多 -あ る. 莱
し て グ ム ニスは汚 い都 骨 であ る か若 - は物 の本
ら 態 々来 る で は夜 か つカと 後悔 す る者 が あ れば
も 汚 いも のであ る。 そ れを悟 ら ず r
Jんな r
Jと な
泥 土 の汚 いのが 露出 し てど人 家 海 岸 の大 都 骨 で
と 判 ず る のと 大差 がな い。 潮が l.t-頃 に在 ると
ヴ ェ ニスの裏 町 を見 てヴ ェ ニスは汚 い都 骨 だ
の観 察 に は 754
はあ るが 金敗か
)蔽 ふ r
Jと は用 水
な い○
し て ゐる。 全 市 の桁 の数 三百 七 十 八 を算 し 小 運
る。 この道 は カ - (
Cat
t
i
)と 呼ば れ桁 を以 て連 絡
yし た ので あ る。然 し 運 河 の堤 に は狭 い道が あ
- 一杯 に建 て諦 めら れ町通 わ の代 - に運 河 を以
はれ で ゐるが薯 は官飴 の小島 の上 に飲 ます 魔 夜
ヴ ェ ニスは海 上 に建 設 てら れ 允都 であ ると 云
い漁 況 の揮用 を見 て印象 を態 々窓-す る にも 及
ばな い。
運 河 であ る。大 運 河 の両側 の家 屋 は十 四世紀 か
も のは ヵナ ラ ツ ヅオ (
C at
azzo)と 云 はる る大
a
n
河 は百 四十 六 を計 へる。 市 の大迫-JJ云 ふ べき
ま ね話 の種 だ から 乙机でも 兼 ね僧侶 が あ っL
Jと
云 ふ人 7
9あ るO
.
ら グ エ ニスの美観 を麗
ら 近 - は十 八世 紀 は至 る種 々 の様 式 の建 築 であ
r
uでそ んを ら ど うし た
質出 水や う。 少 し舟 薯 が 高 いか も知 れな いが 必
る。 ゴ シ ック型 のも の ルネ ッサ ン ス型 のも の或
べ伊 囲情 緒 を歌 ふ魔 はしき礎 は耳 H
L
J
楽 しま せ る
よ い0出 水 得 べ-人 ば 月明 の許 に ゴ ンド ラht
浮
行 し両 岸 に立ち 並 ぶ宮 殿 と 別荘 と を見 物 す るが
が 逗 留中 に は必ず ゴンド ラを傭 って大 運 河 を柳
開 き 且 っ眺 めで ゐるが 、疲 れ基 てた る旗 の身 と
程はr
Jれ は ゴ シ ック型 これ は何 型と 輿 噛 む以 て
て ゐる。 ゴ ンド ラの舵 手 の散 明 を き いで初 めの
れば殆 ど 二官 ば か り で何 れも大 班 石 を用 以ら れ
はそ れ以 後 の時 代 のも の7
9あ るが そ れ を 合計す
a
n
い。 到着 の 日は基 迫 - の運 河 で我慢 し ても よ い
ず大 運 河 (
C al Gr
an de)を通 れと命 ず るが よ
が よ い。 或 は舟 を 沖 に出 し て海 から 陸 を眺 め る
七 l
は鍵 物 毎 は差 異
建築様 式 は飴 -糖 通 せ 氾眼 と ほ
]三
が よ から う 。憶 が れ の水 の都 は 凍 て居 な が ら 汚
伊 大 利 と ころぐ1
地
域
節 十 九懲
第 二雛
蒜
四
七二
の劇 を胸 中 に描
デ
ぼ る る家 の前 に舟 を寄 せ て舵 手が 俗 に スデ モ
s
de
mona) の宮 殿 と 呼 ば れ る7
9の は これ
ナ (
De
あ る 乙と を認 め て むで もま た そ の装 飾 の賑 や か
r
bよ好奇 の恨 む み は って ゐ でも 遼 に は数 の飴 -
であ ると説明
いて無 限 の興 を覚 え る。 一八 一八 年 は詩 人 パイ
yo
rn)が辞 ド ン・.I,
hヤ ン (
Do
nu
Jn
a)敬
ロン (
B
し て呉 れ ると 沙翁
に多 4
7が 故 に千塵 一律 に 只美 し い嘗 めかし いも
J
いた うち にも 文撃 的 そ の他 の連
背 き 飴 めた のは r
Jの三 野頂 き の E
f1.
フツ ツオ・モ
のと し か見 え 肘や う に在 る 。多 く の .'J
tラ ツ ツオ
(
Palazzc
,
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に兄飽
へ
ばr
Jれ は ムソリ この別 荘 だと 聞 か さ れ ると 斯 る
と 指摘 n れ ると 今 更な が ら 印 象 を新 た はす る。
チ ユ ニ''
n(
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zo JWo
c
e
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io)の異 ん中 の家だ
ょ って記憶 は留 ま るも のが 多 -あ るO 例
人 物 の私 び家 と し て 必要 であ ら うと 首 肯 す る。
或 は詩人 ブ ラ ウ ニングが 一八 八 九年 は丑 を終 へ
想に
ガ ン ヌチ オが 伊 園 政府 から典 へら れたも のだ と
沙翁 の 「ヴ ェ ニスの商 人 」 中 にあ るク ア ルト
憶 を新 た にす る。
これであ って パラ ッ ツォ 。 ロレダ ン (
Patazzo
る記
(
Palazzo R ezzonico)を指 示 さ れ ると 詩 人 は封 す
Rust
紋 別 され ると 成 葦北 だと 思 ふ 。 ラ スキ ン (
「大 運 河 の
た最 後 の家 であ ると で パラ ッ ツォ 。レツオ エ コ
k
i
n
)が 其名著 「ヴ ェ ニスの石 」中 は
-
盆股 は 亘 って敢 美 しき 宮 殿 」 と 折 紙 つけ た豪 は
Lor
edan)
と 呼 ば れ る宮 殿 であ ると 閉 -と
骨 の前 の頗 場 はあ つねと 云 ほれ ると 、舟 を曹 -
(
Ri
al
t
o) 即 ち潜 時 の商 業 取 引 所 は 乙 の向 ふ の散
は今 敢な がら 敬 服す る。 ラ スキ ンが 十 五 世配 の
過ぐ る頃横 から ま た ゴ ンド ラ舟 で迫 か け て来 る
棄 て て・
i
i
陸 す る。 - ア ルト橋 の 下を 'ゴ ンド ラで
' 飴
目 立 た ぬ家 に そ の美 を敬兄 し た ラ スキ ンの慧 眼
ゴ シック型 の最 も高 相を る建 物 だと 云 っねと 数
若 き 婦 人 が あ る。 見上 げ ると 美 し い娘 で あ る。
と 見 る間 に自 分 の ゴ ンド ラの舷 に手 を r
uし の べ
へら れると n うかを -と 同意 す る。 ゴ シ ック聖
Cont
ar
i
ni
・
Fasan)と 呼
の コンクリ エ・プアサ ン (
r)が .i八 八 三年 に敢 彼
た。楽 聖 ワグナ (
W agne
の家 の上 階 の欄 .t に侍 って べカ コを せ 将婦 人が
屠 るな ら ば ロ マンチ ック で あ る7
9のをと 恩 ば れ
何 か 口早 は伊 語 を喋 べ るO 英 語 な ら ど んな に 口
早 で も判 るのだ が と 思 って考 へて ゐ る間 に娘 は
所 の -1にな る や 否 や 。 一八 一八年 頃 に マ- ナ ・
下 は極 東 人 が べカ コをさ れ た塵 だ と て後 世 に名
ェ ニスの水 町 の女 で あ った さ うだ 。- ア ルト柿
は笑 って ゐ る。 ホ テ ルに掘 って聞 -と そ れ はヴ
I,・hヤポ ニカと 怒鳴 る。 何 の こと か判 ら ぬ。舵 手
と 云 へば 或 は通 常 かも 知 れな い。 ゴ ンド ラ の舵
ru-と で 只 の家 と 云 ふ の は物 足 ら な い。 罫 に舘
紬 も 大 運 河 に櫛 比 す る で フツ ヅオを 一々宮 殿
と 謬 す る の は何 と 在 - 大 袈 裟 のや うな 京 が す る
云 ふ館 で あ る。
Pal
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i Cale
r
gi
)と
ミ ン・カ レルヂ (
の息 を ひきと った家 は で フツ ヅ オ ・ダ エ ンド ラ
て聞 手 の目尻 を指先 で釣 -上 げ て
両 手 を勅 に あ
e
n
z
o
n
) と 云 ふ美 し い伯 番
手 が 紬 を 英 語 でぽ っ-- 1
訟 明 す るが 飴- に数
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犬 人 が 居 って パ ラ ッ ツ ォ.コルネリ 。スピ ネリ
ベ ンゾ ン (
Marina
ェ ニスの流 行界
に は詩 人 rr
'1イ ロンや .∼- ア (
Mo
o
r
e
)が 訪 れ カと
の人
然 と 眺 める丈け で7
g美 し い。 ヴ ェ ニスの美 観 は
ヅ ツ オ の屋 並 び を 何 等 の文撃 的 連 想 を - し て漫
が多 いの で閉 口す る。然 し な が ら 大 遊 河 の で フ
azzo Co
r
ner Spi
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ti)で ヴ
聞 か さ れ ると 今 は主 な き 家 で も内 部 を窺 弘光 -
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在 る。 カ 。ド B(
Ca dT
Oro
)と 云 ふ は泥 の家 に非
大 迫- ほ潜 る大 運 河 に あ ると 云 って も 過 言 で あ
るま 5
,
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々 を基 め て染 ん だ 塵 は 乙 の家 で あ わ 、 こ し
らず L t
j
帯 金 の家 で あ る。 'ゴ シ ック式 で建 てら
サ ン 。マ ル コ寺 院 近 - ほあ る著 が 宿 る ホ テ ル
J霊
七三
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も 亦大 運 河 に而 し て ゐ る。 河 の向 ふ側 に は チ チ
ア ン(
Ti
t
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in)の給 で有 名 な サ ンタ 。マリ ア 。 ラ 。
れ た ヴ ェ ニスで の敢 美 しき家 で あ ると 云 は れ る
史 け あ って. 宛 ら 洋 館 の金 閣 寺 で あ るO 時 代 の
色 が つ いた黄 金 色 も 亦 ゆ か し いも のであ る。 乙
大利ところんし、
仲
球
節 十九谷
節 二舵
壷
ハ
七的
河 に而 し て ゐる露 毒 に班 で .J朝 食 をと る。 す J
地
サ ル ユー テ (
Sant
a Mar
i
a de
Ea Sau
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te)と 云 ふ
めら れ るま .ほ波 の上 に ゴ ンド ラを進 めて、 サ
の
に建 てら
寺 が 見え る。迄 か向 ふ の地角 の島
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し い天蓋 附き の ベッドが あ る.部 屋 の月 を押 し
見 え る。部 屋 に は王侯貴 族 の身 を横 へるほ相 願
渡って ヴ ェ ニスを見 返 へす 時 に は非 常 は美 し -
g
giore)の寺 の塔 の果 報 が 見 え る
Ma
乙 の島 に
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o
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た。 あ れ は簡費 を濫 華 し て ゐ る のだ」 と て如 何
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<い. 「前 晩 日本 人 が ゴ ンド ラ舟 で豪 遊 し て ゐ
憤慨 的 ほ論 じ て ゐ る。 耳 を峰 て ると 何 の 乙と は
ると 二人 の邦 人 客 が 居 て 口角 泡 を飛 ば し て悲憤
都 の有 様 は クー ナ の翰 其 ま ゝであ る. 宿 は鋸 へ
霧 n へ立ち 革 め る梅 の上 に立ち 並 ぶ ヴ ェ ニスの
ン ・ヂ オ ルヂ オ近 - ま で 行- 。静 か在 る朝 和 は
上
れ た サ ン 。デ オ ルデ オ ・マデ オ レ
あけ て欄 干 の鹿 に出 ると 日光 が アドヅ ア チ ック
に男 女 の葦 がす る. 男 は テナ の美 邸 を ふ-あ げ
いて窓 下 は 及< で居 る。 いつの轟 か階 下 の波際
肇 二間 ば か ゎ の金 だ 。 滴 多 川 に舟 を浮 べ ると せ
を持 た 氾腹 癒 せ恕 や って ゐる のであ る。 僅 か邦
に も残念 貰う であ る。 ゴ ンド ラ情 緒 を味 ふ男気
。
源 の彼 塵 から 賛 色 の輝 し 霊 町を波 上けな が - 惹
て幾 段 の波 上 に饗 を夜 が す 。 女 は ソプ ラ ノ邸 で
サ ン・マ ル コ寺 の前 の焼場 は件 ひ。無数 の鳩 が
ば そ れ以 上 か か る。 金銀 で はど う に も舟
・
6
ら ぬの
計と の説 明 を うけ る? ボー イ の口に乗 ると も舟
敷 詰 めた 石 の上 に降り て居 る。 時 に は帽 子 の上
これは 刺す る。 舟 を 7つ買 って や れと ボー イが
に乗 る勇気 は覆 い。 そ れで は歌 の料 をと て僅 か
或 は肩 上 にと ま る。脚 下 で はう つかみす ると 足
は只言 語 の障 樽 で あ る。
ば か,
Lを輿 へる。今 度 は べカ コht
Lな か った。
で踏 み檎 L n,
J
lであ る。 こん な光 景 は既 に倫敦
の セ ソー ・ポー ル寺 の前 でも見 たO雁 馬 の セ ソー
す Jめ る。舟 に は乗 - 心地 よき 設備 が田 凍 て ゐ
u史け が 記憶 ほ の f
Jる。
撃 の柔 か芸事 の柔 か r
朝 朱 色を見 るた めに早 - 題 q
J出 で階 下 の大 運
ト ・ピー ク寺 の前 でも見 た。光 京 は浅 草、 京 都
の寺 に線-込ん で 凍 る。善 男善 女 が 行列 の筏 か
J机が ま た異様 夜 服 装 で あ る0
,
ら つ いて氷る。 r
し て寺 院 内 に
9亦 を の巽 尾 に 附
時 計 塔 から 急 は降- 七日 分 7
に これ を上 基 から 撮 影 し た寓 異 を見 た .成 程 物
る。寺 内 の小網 で は異 心 乙めで斬 って ゐ る 海軍
は本願寺 で見 た。 物 珍 ら し- はな い害 であ る の
は これ を r
J!で見 ると 珍ら し い戚じ が す る。 後
珍 し-思 った評 が 判 った。購 い方形 の焼 場 に敷
r
u
Aが あ る。 何 を斬 って ゐ る のか。 冥 蘭 を斬 っ
る。内 陣 で は砲 弾が 行 はれ Li
Jゐ
詰 め た敷 石 の上 に梯 花 の散,
L敷 - や う に鳩 が居
てゐ るのか現 世 の車 両 を斬 って ゐ る のか 。
埜肢 は ア レキサ ンド リ アから 八 二
豊 マー ク の.
入
るから で あ る。謬 な - 珍 し いと 思 った のは直覚
的 印象 が 珊 知 の批 判 よ少 も以 上 のも のを敦 へて
置 さ れ で ゐ ると 云 はれ で ゐ る。 望鰭 安 置 の散骨
九年 は 運 ば れ て今 日 乙の伽藍 の高 い祭 壇 下 に安
J礎 の
時 計塔 に上 って見 る。既 に塔 と 云 ふ べq
は他 の散 骨 よ -も暗 示 す る凝 洗- 機 邦新 橋 の封
典 れね のであ る。
高 塵 に上 った経験 から 判 断す ると この時計塔 は
て人 間 の情 的欲 求 に食通 す る。偶像崇
照 物と し
群 は信 仰 を具象 的 にす ると 共 に抽 象 的 班論 的信
ル セ- ユの高塔 に上 った.
巴里 の凱 旋 門 上 に登 った。 エッ フ ェ ル 塔 で は
仰 よ -も カ を典 へる r
Jとが あ る. f
Jの鮎 備 数 と
マ
土 から 持 合 はせ の新 聞 紙 を飛 ば し て見 て叱ら れ
基 尊敬 と は撰ぶ 慶 が在 いや う に胤 はれ る.
左 程 に高 - 覆 い。
た。倫 軟 でも許 さ れ る鷹 は大 抵 狂 った。 何 れも
玄踊 上 の有 名な 青銅 製 の大 きな 馬 を見 物す べ
七五
一
七 九七
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n
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に
高 鹿 から 見 下ろ す愉 快が あ る。熟 し今 時計 塔 の
ン
土 から寺院 参 列 の冊 を見 下 した 乙と は これが 敢
)茸
から 十 三世 紀 にヴ ェ ニスは運ば れ
馬
其
- 上 る。 f
Jの馬 は コソ スタ ンクイ ン C t
a
n∼
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in e ) が羅 から コソ スタ チ ノー プ ル 運び
鹿
初 であ って敢 徴 であ る。頗 場 の向 ふ から 異 様 の
大 利 と ころ
ぐ
ー
脱 狼 をし た何 が な が -列 を覆 し て サ ン ・マ ル コ
伊
地
球
節 十 九各
年 に はナ ポ レオ ンが 巴且 は運 び去 つねが 1八 一
五年 は ヴ ェ ニスに遅速 nれ ね、と 云 ふ箔 附き の
馬 で あ る。堂内 の モザ イ ブク の大規 模在 る 乙と
先似 九 十 託錦
昭和 七年
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九 十 平方 少
は只驚 - ば かむ で あわ 四常 五 千七 B
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を敢 う で ゐ ると 聞 いて益駅 -0
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金棒 印字 都宵 沓 捕 食 行
新
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O 石 川 肝 の 地 誌 郷 港 外 二潜 菊 判 空 ハ拾 :罰
十 二月
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とし てあ る がt
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荷措 辞 に て髄 登 部 よ り 上肘 に跳ば れ、 描 水 が
地 拙番 に能 登 上布 が 晒 され る のは邑知 泊 地碑 の断 暦 蝕 め汐塊
漸 - 泣 る 程度 の安山 山
方よ り な る耕 噂 の拝 地 を 利 用す る約 十釆
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・
四方 の対 地 と撚 と で暇翻 され た1問 」の中 に布 を 姓 し て 三 日間
はれ る。 同 様 な 寄 はま だ碑 々あ る が省 略 す る。 凡
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低位 す」と雷 ふ和 如 さ (知 れ ば '上紙 の純 は しな か つた であ ら
か な り.i
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i芯 し て省 いてあ り、 砂 丘地 鞘 や牛 島年 は頗 る阿白 い
うと瀧
が' 米 だ如班 に神 郷 たら し め る ど ん な即 と 富 ふ鮒 に多 少 の避
燦 を感 ず るD 例 [ば 七雌 桝 の奥 聡 い木 江 の石 垣 帆放 な ど は弧
る立山 と油 ふ気 分 のす る邸 な ど も地 誌 に苦 いて恋 いこと では
嗣 さ れ ても よ し、 石 川 。江 沼 平 野 から 見 る出 川 が越中 か ら 見
あ るま い。 問 は甘 五十六 に挫す る が折 尺 を独忽 せぬ放 因 が多
- の糊 に致 命傷 的紬 火 を炎 (てみ る。 納税 は少 いが それ でも
な
大切 な も のに誠 が あ るO 然 し郷訳 の地 名 に収 僻 名 あ る都 は・離
妃 雑地 珊L
g
1卯 の風樹 に凍 って漸 - 刊 行 蛸 と
か ら ぬ中 に紺 秋⋮
白 眉 の 一とし て光 る本譜 を細 介 し た いO 常務
氷 の目的 を忘 れた も の
で地 甜挙 的税 別 を 受 - る であ ら う
〇 人 とな って ゐる0 (侶 :
_也 )
0欧 洲 の 暴 風 地 帯 を 杜 -
ア レキ サ ンダー .ポウ
斗 ル
中 で明 治 十 二坤 の人 にー絃 計 は 珍 し い. 加架 の士政 は 五 二六 六
の序 文 があ り' 各 地 に文政 と奴 い統 計表 が服 せ てあ る。 そ の
れた 榊中 将 御 氏 と郷 土教 育 と地 誌 の約 42を迎 べた拾 略 胤灘 骨
ねば な ら な いO 谷 頭 に は 石 川願 の他 州的 ト ピ ック スを 戦 訓 さ
の地 靴的 興味 拭 き地 方 に糾 った地 誌 を牡 た 都 に就 いては 謝 せ
浴。
砂 丘。扇状 地 。丘陵 工向山 。地純 。川 接 ぎ 。製 梅 酢 其 の他綿 々
瀞 に糊 る 傑制 であ るO 兎 も角 も 城 下 町 。挙i
.=n的 淡 路 ・洪 日光
は多 祥帥砲 塔 校 に於 て郷 土 の地 相研究 に努 力 し た鴇 粒 の土 で
そ の提 排 した材 料 を 巧 み に織 ら れ た。 地 菰舶基 の怒 斑 にも色
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