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ジャン=ジャック・ルソー「人間不平等起原論」を読む スイス、ジュネーブ

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ジャン=ジャック・ルソー「人間不平等起原論」を読む スイス、ジュネーブ
ジャン=ジャック・ルソー「人間不平等起原論」を読む
スイス、ジュネーブの時計職人のもとに生まれたルソーは、その特殊な生育環境から彼独自の政治思想を展開
するに至った。ルソーの生きた時代における思想家、文学者は貴族やブルジョアに属する人々が主であり、ルソ
ーのように浮浪者同然の青年期を過ごした人間は誰ひとりとして存在しなかったのである。
ルソーは 1750 年に発表した懸賞論文「学問・芸術論」によって名声を博し、その 5 年後に発表された本論文、
「人間不平等起原論」で文人としての地位を確立することになるが、その思想の真髄は今日でも正しく理解され
ていないように思われる。現代でもルソーと言えば「森へかえれ」というスローガンを掲げた人間であるとされ
ているが、本論文を通して描かれる原始生活との対比は“ジュネーブ共和国”という理想郷を見据えた先に提示
されるものであり、けして単なる過去への回帰ではない。確かに人間の不平等は社会状態によってもたらされた
とするルソーの主張は一見ラディカルで、未開時代へのこだわりを強く感じさせる文脈であることは事実である。
しかし、ルソーが見据えている先はけして過去ではなく、現状の不平等を克服した先にある未来なのである。
本文では、本論文のエッセンスとも言える不平等の起原について考察すると共に、ルソーの「自然へかえれ」
という標語がどのような文脈から誤解されてきたのかという点についても迫ってみたい。本論文は序文、第一部、
第二部の三部構成となっており、比較的読みやすい分量となっているが、ルソーによる膨大な注が付けられてお
り、それら全てを含めて包括的に理解することは些か難解であるように思われるため、今回は本論における内容
のみについて扱い、考察することにする。では本論文の大まかな流れをみてみよう。
序文で、ルソーは自然と法のあり方について思索を巡らしながら自身の問題意識を明らかにしようと試みる。
その結果「本源的な人間とその真の欲求とその義務の基本的な原理についてのこの研究 p.29」が必要だという結
論に至るのである。題にも掲げられている「人間不平等起原」と本源的な人間のあり方、この二側面を探究して
いくことが本論文での主な試みであると言えるだろう。
ルソーは前提として、人間には二種類の不平等があることを指摘している。彼が指摘した第一の不平等は「自
然的または肉体的不平等」であり、第二の不平等は「道徳的または政治的不平等」ある。ルソーが特に問題だと
考えたのは後者、第二の不平等である。すなわち、暴力が権利を生み、自然が法に屈し、強者が弱者の上に立つ、
その過程こそが問われるべきだと考えたのである。
以上の問題意識を踏まえて、第一部では自然状態から人間がどのように変化してきたのかを追い、不平等の根
源を探ろうとする。その際、自然状態を理想とするかのような考えが繰り返し提示されるため、後世の人間はこ
こからルソー=「自然へかえれ」と解釈してしまったように思われる。
ルソーによれば人間の不幸の原因は「自己を完成していく能力 p.50」である。この能力は人間と動物との差異
を明確に規定するものであり、この能力があるがゆえに、人間はどんどん愚かになっていくとルソーは考えた。
一方で、先の能力を開花させるためには様々な外的要因による偶然の協力が必要だとも述べており、ルソーに
とって人間理性や社会化は偶然の出来事として扱われているとも言えるのである。加えて、ルソーは死の恐怖や
神の存在、言語、道徳など様々な側面から社会化の過程を推測しており、出来る限り詳細な想定を行おうとして
いることが伺える。第一部での考察はあくまでもルソーの想像によるものであるため、確実な論拠があるとは言
い切れないが、少なくともルソーが炙り出そうとした社会、社会化された人々の問題点は明らかになっているの
ではないだろうか。
第二部の中心となる問題は「私有の概念」についてである。ルソーはこの「私有の概念」を自然状態から社会
状態に至る過程の最後の局面であると捉えていたため、ここに至るまでに人間は多くの感覚や感性を手に入れて
きたとする。彼によれば第一に人間が獲得した感情は自己の生存の感情である。これは比較的簡単に想像出来よ
う。我々は自らの生存のために食事など、様々な行為を行うからである。こうした生活に関わる行動から多くの
知識を獲得し、次第に人間は動物に対して優越感を持つようになった。ここから人間は徐々に未開状態から離れ
ていき、言語や家族という概念を獲得し、緩やかに国民という枠で繋がり始める。そうしてついに大きな革命を
作りだした二つの技術、冶金と農業が確立されるに至ったのである。中でもルソーは農業に着目し「土地を耕す
ことから必然的に土地の分配が起こり、そしてひとたび私有が認められると、最初の正義の規則が起こった
p.102」と述べている。私有が認められる背景には利潤が絡んでおり、このような私有の概念から「一方では競
争と対抗心、他方では利害の対立、そして常に他人を犠牲にして自分の利益を得ようとするひそかな欲望」とい
った悪が生みだされることになったのである。ここから人間のあり方は急激に狂い始める。人々は戦争をはじめ、
暴力で制圧を行うようになり、隷属した人民が「このうえなくみじめな屈従に、平和という名前を与えている」
状態に陥るのである。ルソーはこれらから自由を見出すことはもはや出来なかった。
ここまで様々な例を見てきたが、ルソーはそれらを総括して次のように語っている。
つまり未開人は自分自身の中で生きているのに対して、社会人は常に自分の外にあり、他の人々の意見のな
かでしか生きることができないのである、そしていわば彼は自分自身の存在の感情を、他人の判断のみから
引き出しているのである。P.135
ここまでの流れをまとめると、ルソーは社会状態を徹底的に批判し、自然状態への回帰を求めているように見
える。しかし、それは彼の最後の言葉を正しく受け取れることが出来れば即座に晴れる疑いなのである。すなわ
ち、ルソーが本論文の前に「ジュネーブ共和国にささげる」と題して熱く共和制への想いを語ったように、第二
部の最終ページには彼の考える理想の状態がはっきりと示されているのである。正確な理解を導くために少し長
くなるが引用しておきたい。
わたしは不平等の起原と進歩、および政治的な社会の成立と弊害とを証明しようと努めた。しかもそれらの
ものを人間の自然から引き出されうるかぎりにおいて、ただ理性の光だけによって、また統治権に対して神
の権利の認可を与えている神聖なる教義とは離れて、説明しようと努めたのであった。この説明の結果とし
て、不平等は自然状態においてはほとんど無であるから、その力と増大とはわれわれの能力の発達および人
.........................
間精神の進歩から引き出されるものであり、そしてそれは所有権と法律が成立することによって、ついに安
............
定した合法的なものになる、ということになる。P.136(筆者による強調)
ここから見出される結論とは、けして「自然にかえれ」ということではない。むしろ、我々が陥っている現状
を正確に理解し、より優れた統治形態へと舵を取ることが目的とされているのである。
以上を持ってルソーの試みは明らかになり、彼への誤解は大方晴れたように思われる。最後に彼の議論が現代
の我々にとって一体どのような意味を持つのか、私なりの視点から考察を行ってみたい。
ルソーの議論でみられる問題意識は、現代においても重要な意味を成すように思われる。ルソー以後多くの哲
学者たちが理想の社会形態や統治システムを考案してきたが、完全に成功しているとは言えないからである。
かつてカントは「永遠平和のために」という論文を書き、共和制こそが最も優れた統治体制であると主張した
が、ここで主張されている”共和制”という統治方法自体にも差異が存在しているために、単純に共和制であれ
ばよいと声高に訴えることも難しいように思われる。そもそも共和制は「本来,ある政治社会が,ある特定の個
人ないし階層の私物ではなく,構成員全体のものであり,全構成員の共同の利益のために存在しているとみなさ
れる体制」1であり、ここから重要なのはその構造自体ではなく、その構造を支配する法の中身であるというこ
とが示唆される。したがって、カントの主張する共和制が最高の統治形態になり得るのは「カント自身が作成し
た法による必要があるのではないか」という問いが浮かびあがってくることになる。この問いは、君主を持たず
構成員に主権を置くといえども、法を制定した個人(当然団体も想定し得る)が結局実質的に君主となってしま
うのではないかという問いとも密接に関わっている。つまり、かつて共和制こそが最高の統治形態だとした哲学
者たちは、彼らの考案する法が採用されて初めてその意味を認めるのではないかということである。彼らは自ら
が考案した法が採用されなくとも共和制という制度自体を認めることが出来るのだろうか。これは非常に重要な
問いであろう。
少なくともルソーが本論文で提示した内容の解決が未だなされていないことは歴然とした事実である。依然と
して我々は南北問題や環境問題などに手を焼いており、不平等は解決されそうにない。したがって、本論文は社
会的な人間そのものに秘められた闇を明らかにすると共に、一つの解決の方向性を示したと言う点で、現代に生
きる我々が参照する価値のある論文であると言えるのである。
我々は過去に遡って、昔はよかったとノスタルジーに浸りがちである。しかし、本論文は我々の目を強烈に覚
ます力を持っている。そもそも社会があるから不平等が発生するのだという指摘は、今後社会のあり方を考えて
いかざるを得ない我々にとっても、けして欠かすことの出来ない視点なのである。
2014/05/14
1コトバンクによる
http://kotobank.jp/word/%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%88%B6
<参考文献>
ジャン=ジャック・ルソー『人間不平等起原論・社会契約論』中公クラシックス 2005
エマニュエル・カント『永遠平和のために』岩波文庫 2011 第 42 刷
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