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「哲学・思想の基礎」
2014年度学科共通科目 「哲学・思想の基礎」 05/01分のコメントへの応答 http://web.ias.tokushima-u.ac.jp/ shin-kokusai/philosophy/top.html 担当 熊坂元大・石田三千雄・山口裕之 タブラ・ラサ(白板)について 一切の観念は経験に由来するというが,理性は生まれ 持っているのか。そうであればタブラ・ラサとは言えない のではないか。 ロックが言っているのは,生得観念というものは存在せ ず,経験から観念を学び取るということ 理性(reason)は観念ではなく,観念を組み合わせたり する心の機能 タブラ・ラサ(白板)について ロックの考える理性(reason)の働きは 1)論拠の発見,2)論拠の配置,3)論拠の結合 4)結論づけ ロックが(信仰との対比で)考える推論(reason)とは 「心がその自然の機能を使って,いいかえれば,感覚あ るいは内省で,えておいた観念から行う演繹によって到 着するような,そうした命題ないし真理の絶対的確実性 あるいは蓋然性の発見」(『人間知性論』第4巻18章) タブラ・ラサ(白板)について 「ロックの時代には,精神はあらゆる種類のことを先天的 に知っていると考えられていたのであり,ロックが,知識 は全く知覚に依存してると唱えたことは革新的な新説で あった」(B・ラッセル) 生得観念という考えは古代ギリシャまで遡る プラトンの作品『メノン』で,ソクラテスが奴隷に 幾何学の正しい答えを「想起」させている 幸福計算について 多くの人びとの快適な生活のために奴隷制が復活させ られてしまうから功利主義はよくない 大勢の人や社会にとって有益な人を救うために,健康な 人の臓器を奪うことが許されてしまうから功利主義は問 題だ 妥当な例だろうか 今日とりあげるミルは,功利主義の結論は一般的な道徳 観と多くの場合一致するという弁護もしている 幸福計算について 娘を売りに出すことで家族の幸福総和が増大される場 合,功利主義では肯定されてしまうという,道徳的直観 に反する結論が幸福計算で導き出されてしまう 社会の幸福を考えるのが功利主義 個人や一部の集団が「自分たちの得になるからやろう」 というのは,本来の功利主義ではない 幸福の多様性 計算の仕方は?/○○というケースではどうなるのか? 何をどのように計算するかを考えることが必要 地域や個人によって価値観が異なるのだから,ベンサム の幸福計算に意味はないのでは? どこまで実現可能かは別として,現代では多様な価値観 に対応可能なリベラルな社会が求められるが,功利主義 者の求める社会も例外ではない 功利主義も広義のリベラリズム(自由主義)の一つ 幸福計算はあやふや? 功利主義だろうと権利論だろうと,哲学が個別のケース に答えを出してくれるわけではない 疑問や悩みを考えぬこうとする人にとって,思考の助け となるのが哲学 自分で考えることを放棄して答えだけを欲しがる人に, 疑問や悩みの解決方法を直接差し出すわけではない 功利主義は反自由主義? 社会主義のように国家が細かく支配・介入する社会でな いと功利主義の実現は不可能ではないか 実際ベンサムは管理制度を細かく論じており,その弟子 ミルは「大きな政府」を要請 「小さな政府」を支持する者のなかにはこのコメントのよう な理由から功利主義を批判するものもいる リバタリアンはその典型 リバタリアニズム(自由絶対主義) リバタリアニズムは政治的にも経済的にも規制を嫌い, 政府の機能は最小限に抑えるべきだ(あるいは治安維 持や司法制度も民間サービスに任せればよく,政府は不 要だ)と考える なぜリバタリアニズム? 1)自由な社会となることで人びとがより幸福になるから 2)人びとの自由権を侵害することは不正だから ロックとリバタリアニズム 「人は誰でも自分自身の一身については所有権を持って いる」(『統治論』第二篇第五章) 身体およびそれを用いた労働の成果は本人のものだと いうロックの思想はリバタリアニズムに大きな影響を与え ている 「課税→再分配」という仕組みは,努力・工夫した人 の財産を強奪してばらまくようなもの ロックの哲学の利他主義 ただしロックの所有権の考えには「ロック的但し書き( Lockean proviso)」と呼ばれる補足がある 「彼のみが,己の労働のひとたび加えられたものに対し て,権利を持つのである。少なくともほかに他人の共有 のものとして,十分なだけが,また同じようによいものが ,残されているかぎり,そうなのである」(『統治論』第二 篇第五章) ロックの哲学の利他主義 またロックは自己保存だけでなく他者の保存も必要だと 主張 「人は自分自身の存続が危くされないかぎり,できるだけ 他の人びとを保存すること」(『統治論』第二篇第二章) 他者の権利を侵害しない(消極的義務)だけでなく他者 の保護(積極的義務)も自然法に含まれるとロックは考え た ロックの寛容について ロック哲学に見られる利他主義の要因の一つが,神は「 世界を人間に共有のものとして与えた」という前提。 ロックにとって無神論者は,自然法の創始者を否定する ものであり,だからこそ 「人間社会の絆である約束,契約,誓約などは,無神論 者にとって確固不動で犯しがたいものではありえない」 と考えた ※無神論以外にも「公共の福祉」を損ねる宗教は否定 リバタリアニズム リバタリアニズムではロックの権利論に見られる利他的 な側面は大きく後退 リバタリアニズムが広い支持を集めるには,管理・介入 を行う大きな政府の問題点を指摘するだけでなく,大き な政府なしでも人びとが「保存」されるという見込みが必 要なはずだが…… リバタリアニズム(権利論)からの 功利主義批判 リバタリアニズム ただしリバタリアニズムと功利主義は,あらゆる点で対立 するわけではなく,論者によっては共通している点も たとえば性的嗜好への寛容 イングランドでは同性愛は長い間,死刑や終身刑もあり うる重罪。非犯罪化されたのは1967年だが,ベンサム は同性愛を擁護) 自由史概略3 ミルの思想,自由と寛容 哲学思想の基礎 04回 担当:熊坂 元大 功利主義を体系化した思想家2 ジョン・ステュワート・ミル 『自由論』の著者 女性参政権を要求 ジャマイカでの黒人暴動 では、ダーウィンらと共に 総督を弾劾し、反乱した 黒人側を擁護 J・S・ミルの功利主義 父ジェームズ(功利主義者,ベンサムの友人)の英才 教育でベンサムの思想を学ぶ ジェームズは「快楽というものをほとんど信用しなかっ た」が,一方で「もし人生を、よき政治とよき教育との力 で、その可能性の通りにすることができれば、それは 手に入れるに値するものになる」と考えた 快楽<良き個性の涵養 ベンサムを批判しつつも,彼の功利主義を受け継ぐ J・S・ミルの功利主義 「功利主義=豚の哲学」との批判に対して 「まさしく野獣の快楽が人間の幸福の概念を満たさな いがゆえに堕落的だと感じられるのである。 人間は動物の欲求能力よりも高級な能力を持ち、一 度そうした能力に気付いたなら、その能力の充足を含 まないようなものは幸福と見なさない」 ベンサムの思想 J・S・ミルの思想 : : 量的功利主義 質的功利主義 快楽の質を考慮に入れることで,ミルはベン サムの功利主義を改良したとも言われる 単純に快楽を追求→低俗な豚の印象 より高級な快楽(クラシック音楽鑑賞など)を 求めるのは,むしろセレブっぽい? 高次の快楽は低次の快楽に比べて,より多くの 幸福を与えてくれるというのであれば量の比較な ので計算可能 しかし高級な趣味から得られる快楽が,食欲・性 欲・睡眠欲のような動物的な快楽より,大きな快 楽を与えるという主張にはどこかしら無理がある ミルが主張しているのは,大きさや量ではなくて 質が異なるということ 高次の快楽(Y)と低次の快楽(X) 直接 Y と X を計算したり比較できない 「2X+Y と 3X+2Y」のような比較であれば 問題ないが 「2X+2Y か 3X+Y」というような場合,判断 に困る 【問題点1】 質を考慮して幸福計算ができるのか ミルの人間観 ミルは人びとが動物的な快楽に満足してはいけ ないとは言っていないことに注意(人びとの趣味 の自由を制限するようなことはミルの思想に反す る) 「動物の欲求能力よりも高級な能力」を持ってい る人間は,動物的な快楽だけでは十分に幸福を 感じることができないのだ,と主張(事実認識) ミルの人間観 しかし実際には,高級ではない快楽ばかりを求 める人が多く存在する ミルはどうこたえるか ミルの人間観 「満足した豚であるよりは、不満足な人間である ほうがよい。同様に、満足した愚者であるよりは 不満足なソクラテスであるほうがよい。 そして、その豚あるいは愚者の意見がこれと異 なるのであれば、それはその者が自分の主張し かできないからである」 ミルの人間観 自由を必要とする、多様な個性を活かし発展した 人間と、自由を望まない人間がいる 前者がいなければ「人間生活は淀んだ水たまり のよう」 【問題点2】 エリート主義? ミルの人間観 適切に経験すれば,人はより高級な快楽を好む ようになる 長期にわたって一つの事柄に専念する 一時的な停滞や後退を受け入れる こうした姿勢を後押しする教育 ミルの自由論 ミルの質的功利主義と人間観は,彼の自由に対 する考えと結びつけて考えることが必要 ベンサムの思想も自由に好意的ではあるが,彼 が重視したのは「各人は一人としてとらえられる べき」という平等主義 ミルは平等主義を維持しつつも,個性や多様性 を強調しようとした→焦点が自由論へ ミルの自由論 「他者の行動の自由に正当に干渉しうる唯一の 目的は、自己防衛である」 危害原則:他者に危害を加えない限り、何をしよ うと自由 ミルの自由論 危害原則に違反しない「自分自身だけに関係する行 為については、彼の独立は、当然絶対的である」 1)内面の自由(思想信条とその表現) 2)嗜好と職業の自由 3)個々人の団結の自由 【問題点3】 本当に「自分自身だけに関係する行為」があるか ミルの自由論 ところでミルの言う「自由」とは何か 危害原則:他者に危害を加えない限り、何をしよ うと自由 素直に解釈すれば,自分の思う通りに振る舞うこ とができて制限を受けないという消極的自由 ミルの自由論 ミルは民主主義が「多数派の専制」を生んでいる にすぎないとする批判的視点を持っていた 多数派が社会の改革を望まないという自由を行 使した場合「自由の精神は,改善に反対する人 びとと局部的に,また一時的に同盟する」という 可能性を指摘 ミルの自由論 自由を必要とする、多様な個性を活かし発展した 人間と、自由を望まない人間がいる 前者がいなければ「人間生活は淀んだ水たまり のよう」 しかしミルは,自由を望むエリートがもともと自由 を望まない大衆を強制的に導けば良いとは言っ ていない ミルの自由論 ミルは当時を「懐疑主義に怯えている時代」とし て認識 社会に共通の理想や目的がないという状況は, 現代社会にもあてはまり,「多数派の専制」という 状況は,むしろ今日のほうが深刻であるとも言え る ミルの自由論 ミルは人びとが慣習に盲従するのではなく(適切 な教育を受けることで),優れた人格を涵養し, 自由に人生を切り開く個性を備えるようになれば, 大衆社会も自由なものになると考えた 人間性への信頼や楽観主義 ミルの自由論 ミルの考える人間とは,ホッブズのように欲求に 突き動かされる受動的な存在ではなく,自律的 な行為者(積極的自由の概念と関わる) ミルの自由論 リバタリアニズムも人間性を高く評価するが,人 格の涵養のようなことは,あるべき人間像を押し 付けるものだと考え否定的 ミルの自由論は「人間は人格を涵養すべきだ」と いう「べき論」ではなく,「人間は低級なままに留 まっていては幸せになれない」という人間のあり 方を前提としている バーリンによるミルの理解 「ミルは,自由,すなわち強制する権利の厳格な 抑制を善と確信している。なぜならばミルは(略) 人びとの生活の一定の最小限度の領域のなか で,他の人びとによる干渉から自由にしておかれ ないならば,発展することも,繁栄することも,十 分に人間らしくなることもできないことを確信して いるからである」 バーリンによるミルの理解 (ミルの消極的自由について)「この定義は役に 立たないだろう(略)圧制者(あるいは隠れた説 得者)が,その臣民(あるいは顧客)を首尾よく条 件づけて,彼らの本来の願望を喪失させ,かれ がかれらのために造り出した生活形態を受け入 れさえる(内面化させる)ならば,かれはこの定義 に基づけば,その臣民あるいは顧客を自由にす ることに成功していることになる」 ミルのアングロ・サクソン評 代議政治・民衆政治に相応しい性格とそうでない 性格 活動的な性格⇔受動的な性格 害悪と闘う性格⇔害悪に忍従する性格 イギリス人・アメリカ人は代議政治に向いている とミルは考えた ミルが評価しない受動的な性格に美徳を見い出 す文化をどう考えるのか 危害原則から考える表現の自由・寛容 44 ミルの自由論 危害原則に違反しないので「自分自身だけに関 係する行為については、彼の独立は、当然絶対 的である」 1)内面の自由(思想信条とその表現) 2)嗜好と職業の自由 3)個々人の団結の自由 ヘイトスピーチは危害原則でどう扱われるのか 45 完全な表現(言論)の自由? いかなる社会においても、規制は存在 民主主義社会を成立させるためには、最低限の 手続きとして発言規則が必要 46 完全な表現(言論)の自由? そもそも表現は社会の中で行う(他者に関わる) ことに意味がある 無人島で孤独に暮らすロビンソン・クルーソーが 誰にも邪魔されず表現できることに、どれほどの 意味が? 47 完全な表現(言論)の自由? 何らかのフィードバック(承認・反応)を求めて表 現は行われる ネガティヴなフィードバック(怒りや侮蔑)は、たと え法的罰則がなくても人々に表現を控えさせ、精 神的な抑圧を引き起こすことも(ベンサムの「制 裁」の一つ) 48 ミルの立場は? 「どれほど不道徳なものだと考えられようとも、発 言や議論の十全な自由が存在しなければならな い」 「一人を除いて全人類が同意見で、ただ一人だ けが反対意見だとして、その一人に沈黙を強い ることは、一人が全人類に沈黙を強いる(そんな 能力があるとして)より正当化されるということは ない」 49 ミルの立場は? ミルにとって表現の自由は個人の尊厳にとって 不可欠であり、その制限は one very simple principle、すなわち危害原則にもとづかなければ ならない 50 ミルの立場は? 穀物業者が貧困層を飢えさせているという発言 →問題なし 怒りに燃えた暴徒の前での同じ発言 →穀物業者に対する暴行や監禁の直接の引き 金と成りうるので規制される 51 危害原則で考えると 1977と78年に、ホロコーストを生き残ったユダヤ人 が多く住む地域を、ネオナチが軍服を着て、ナチの 鍵十字を見せながらパレード ただしユダヤ人に物理的危害は加えず 52 危害原則で考えると 当時の社会状況では、このパレードがユダヤ人迫 害再現の引き金になるとは考えられない 暴動が起きる?→状況を考えれば危害を被るのは ネオナチ側 危害原則では規制すべきでないとの判断に 53 精神的危害を考慮? ミルは精神的危害をあまり考慮していなかった 精神的危害を考慮すればよい? 54 精神的危害を考慮? 政治的発言の多くは、特定の集団(富裕層・貧困層・移 民・外国人・宗教団体 etc.)の問題点に言及するので、 標的にされた集団は何等かの精神的危害を主張でき る 宗教的発言は、一層そうした傾向が強い 精神的危害に厳格に危害原則を適用すると、ほとんど 公的発言・表現ができない社会に 55 嫌なら見るな/聞くな/読むな 精神的危害を口実にあらゆる表現に介入することは問 題 容易に回避可能な精神的危害は危害を受ける側が避 ければ済む(範囲の問題) 表現が行われていること自体が受け入れがたいような 危害は規制(強度の問題) 結局かなりのヘイトスピーチは認められることに 56 現代の我々にとって 危害原則を one very simple principle として採用 することには無理がある 表現の自由は極めて重要で制限は慎重に 行われるべきだが、社会のなかで行われる ものである以上、絶対的なものではない 社会にある他の価値との関連のなかにある 57 現代の我々にとって ヘイトスピーチのように、特定の集団を劣った存 在や忌むべき存在として描き出すことは、民主主 義社会の基盤(相互の信頼や平等精神)を脆弱 なものに 社会の安定のためにも寛容が必要 58 現代の我々にとって しかし特定の集団は、実際に嫌悪感や敵意を感 じさせる? 最初から親密さを覚える相手、あるいはどうでも よいことを認めることは寛容ではない 59 現代の我々にとって しかし特定の集団は、実際に嫌悪感や敵意を感 じさせる? 最初から親密さを覚える相手、あるいはどうでも よいことを認めることは寛容ではない 程度の問題はあるが、受け入れがたいことを受 け入れるのが寛容 60 どこまで寛容になれるのか 社会の安定ということから寛容を考えるのであれ ば、安定を掘り崩すような存在・行為(過激派や テロ)には、寛容であり続けられない 一方的な寛容の要求や批判はいずれ破綻 61