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植民地主義者としてのジョン ・ ロック
11 伊藤宏之二植民地主義者としてのジョン・ロック 植民地主義者としてのジョン・ロック 最近のロック研究への批判的評価(3) 伊 藤 宏 之 1 はじめに ディアンの狩猟者とデヴォンシャーの農夫との問 のロックによる明白な比較」(p.7)への注目に 本稿では、バーバラ・アルネイユBarbara Amei1の「ジョン・ロックとアメリカー英国植 他ならない。この点で、アルネイユはタリーの論 民地主義の擁護一Jo加Lo漉θα雇、4’πεr∫cα∫ (1990年)を高く評価する。しかし、アルネイユ TゐθDφθηcεo∫Eπgl五sんCoJoηεα伽』(Oxford, はタリー(及びポーコック)に対して限定を付す。 1996)を検討する。ロックのアメリカ論への関心 アルネイユのタリー批判の第1は、『統治論』と の高まりは、さきのタリー論文(1990)を大きな 先住民との間の関係理解のポイントが、主権論だ 契機として続いているが、このアルネイユの新研 けでなく、「植民地主義という商業的必要性」 究もその一つである。まずは、アルネイユの課題 (p.8)であるということ、したがって、トーマ を確認しておこう。 ス・マンやジョサイア・チャイルド、それにチャー アルネイユはロック『統治論』研究史において ルズ・ダヴナントらの経済論並びにジョン・ウイ 文「アメリカ再発見RediscoveringAmerica」 「アメリカとその先住民の役割」が看過されてい ンスロープなどの植民者の著作とロックの関連が るが故に「『統治論』の重要な見解が見失われる 軽視されるべきでない、というものである。批判 (p.2)との指摘に続いて、次のようにいう一 の第2は、タリーが「統治論』の第二論文第2章 「第二論文でのロックのアメリカヘの再三の言 を正当な征服論と読むことに向けられている。 及を重大だと受けとめることによって、『統治論』 「自然法の侵犯に応答する暴力は、罪人を罰しそ が、イングランドの懐疑家やアメリカにおける先 の土地を掌握することを正当化する」というロッ 住民、それに他のヨーロッパ列強による反訴に抗 ク読解は、第二論文第16章に照して誤りである、 して、新世界でのイングランドの植民政策の擁護 というのがアルネイユの主張である。 として執筆された、ということが明らかになる。 さらにアルネイユは、タリーの他に、レボビス 特に、「統治論』でのアメリカ・インディアンヘ Harman Lebovice,フラナガンThomas Flana− の言及の大部分を含む周知の所有権章は、イング gan,グリフィンNicholasGriffinなどに言及し ランドの所有権の『優越的な』要求への力強い擁 た上で、ウイリアムズRobert Williamsとバッ 護を通じて、先住民の土地の17世紀的剥奪を正当 クルStephenBucklelbがともにロックの「私的 化するために書かれたということを示したい。」 所有権」への制限論を見失っているとし、ロック (P.2) アルネイユがロック研究史整理によって析出す における自然法の実質的比重の大きさを強調する (PP.9−11)。 る論点は、「荒蕪地waste」を、ラズレットのよ アルネイユは以上のロック研究史の系列の他に、 うに「イングランドの開放耕地open field tillage アメリカ政治思想史におけるロックの位置づけに inEngland」としてではなく、「アメリカ人の文 関する研究史に着目する。アルネイユは、ベッカー 脈」の中において理解すること、つまり、「イン Car1Becker(1922)に代表されるところのジェ 12 福島大学教育学部論集第61号 1996年12月 ファーソンとロックをともにリベラルとする解釈 1磁αη漉協εSむθrηLε9αZ7乾0μ9厩ゴTん20εS− が1950年代に至り挑戦を受け、ロビンズやロジッ coμrsθo∫(〕oη(7μεsε,Oxfor(i, 1990;Stephen ターに始まりベイリン曳21に集約される見解、つ Buckle,Nαむα芦αZ Lαωαη4むんθ丁五θo月y o∫ まりアメリカ革命が最も影響を受けたのは「ホイッ ProPεr砂rGroむ‘μsω飽肌ε,Oxford,199L グのパンフレット」であったという解釈にとって (21 B.Bailyn,丁五θ」(メθoJogεcαZ Or‘g匠πs o∫ かわられてきている (pp.11−2)、という。そし 伽、肋↓θrlcαπ∫∼θuoZαεloη,Cambridge,Ma− て、ダンやポーコック13’などに見られるように ss., 1967. アメリカ建国=合衆国憲法とロックを切断してい (3〕 John Dunn,The politics of John Locke る、ことに強い不満を示す。 in the18th Century,in John Yolton(ed)., そして、アルネイユは、『統治論』とアメリカ・ JoんπLOCんθ∫ProわZε肌Sα認PθrミρθC如θS, インディアンとの関連の存在が、アクスチル、シー Cambridge,1969;J.G.A.Pocock,丁五θ ハン、チェンバレン14〕らによって主張しはじめ ルfαC配α0θZJ五αηルfoη↓εη孟r FJorθ漉漉εPoZ詫∫一 られてきていることに止目する。そのポイントは、 cαZ T五〇㎎配α屈折θ窺Zα漉‘c Eβρμ厩。αη 「イングランドの市民社会とアメリカ・インディ Trα厩琵。π,Princeton,1975. アンの野蛮な状態との間の基本的な区別」(P.14) (4! James Axte11,Tんθ∫加αs‘oπ曙漉‘η二 という論点である。この研究動向をふまえつつも、 丁んεOoπ9μ2sむ。∫α4砿rθs加CoZo漉αZ/Vor疏 アルネイユは、「こうして、学界は、所有権につ 且ητθr‘cα,Oxfor(i,1985;Bernard Sheehan, いての植民地の論争、この論争へのロックの関わ &ルα9‘s㎜απdαu漉砂r∫η読α几sαηゴEπ9− り、部分的にこうした当面の必要性への応答とし llsん肌θη‘ηCoJoη‘αZ岡㎎εmεα,Cambridge, てのロック所有権理論の発展と、アメリカの原住 1980:」,E.Chamberlain, 丁五ε∫∫αrroωεπ9 民に対するロック思想の究極的な含意との間の結 0∫E旋η二概観θ窺厩認θSε0ωαrdsNoπん びつきについては、今だ十分描いていない」(pp. A肌θrεcαη〈厄五加θs,Tronto,1975. 15−16)と言って、研究史をふまえたさきの自ら の課題を改めて表明するのである。 1 ロックのアメリカ情報 アルネイユの本書での課題は、サブ・タイトル が示すようにロック思想がアメリカでの英国植民 アルネイユがまずロックの蔵書を中心とするア 地主義擁護論であることの論証にある。ロック思 メリカ情報に注目するのは、ロックの「自然状態」 想と18世紀アメリカ思想の密接な関連を解明する 概念が「歴史的意味で存在する」(p.21)という ことによって、タリーの業績を大きく乗り越えて、 ことを主張するためである。ダンもマクファーソ アメリカ史におけるロック像を復元すること、そ ンIDもともに、「自然状態」を非歴史的なものと して同時に、それが、アメリカ先住民にとって持 見倣しているが、こうしたロック研究者の一般的 つ意味を問うことによって、ロックとアメリカ建 傾向にアルネイユは不満を示す一方で、とりわけ 国期の思想、とりわけジェファーソン思想との歴 タリーが、「ロックの自然人natural man理解に 史的意義を現代において明らかにしょうというの とって、新世界の重要性を認めている」(p.22) がアルネイユの目的である。 ことに賛同する。 この点をふまえて、以下、具体的に見ていこう。 ところでアルネイユは、ロックの理論と歴史に ついての方法的問題をアシュクラフトを授用しつ 注 つ、次のように理解する一 「ロックによる蔵書からの情報の選択的利用は、 q〕Robert A Willians Jr.,TゐθAητθrεcαη 諸例のために歴史を調査する以前に、ある人の理 伊藤宏之:植民地主義者としてのジョン・ロック 13 論的原理が確立されているべきだという彼の見解 ものだった」(◎H−49)とのロックの言葉は、 によって訳が分かる。」(pp.22−3) 単なる比喩ではないからである。アルネイユは、 これについてのアルネイユの典拠は、ロックの 『統治論』の特に所有権章をすぐれてアメリカ植 1677年4月6−10日の『日録jouma1』i21での 民地主義論として読み取ろうというのであるが、 「道徳諸原理を十分に心底に持ち、人間の諸行為 その当否は後の検討事項である。アルネイユの についての判断方法を知っている人は、……歴史 「自然状態」解釈で、特に注目すべきは、ロック の研究から慎慮の大きく有益な教訓を学ぶことが のいわば歴史的方法の問題性を指摘しているとこ できる」という言明であり、「統治論』1−34の ろである。つまり、ロックの重視する事実とは、 フィルマー批判である(p.23)。つまり、アルネ 理論に従属的なものであり、事実間の関連から抽 イユによれば、ロック「統治論』の方法とは、 象化された理論という方法が見られない、とアル 「所有権や政治的服従の本質に関する自己の理論 ネイユはいう。アルネイユの指摘するロックの方 を支えるために、ロックが自然人についての歴史 法上の問題点は、「自然状態」概念が先験的=仮 的諸例を使用している」(p.23)ということであ 説的概念でもある、ということを示している、と る。だが、アルネイユはロックのこうした方法が いえよう。 「問題をはらむproblematic」といって、「これで 「自然状態」概念を、非歴史=仮説的概念とい は、1 u事物things』をそれ自体として理解するよ うより、むしろアメリカ史に即した歴史的概念と ン)も、理論を説明するために「事物』を適合させ して把握すること、そしてこれは後に見るように ることになるのは必至であり、ロックは自らの理 ロック所有権property概念理解の枢要点となる 論に適合するアメリカの生活の一側面をのみ選ぶ こと、これがアルネイユの基本認識である。しか という結果になっている」(p.23)という。つま し「自然状態」概念は、アルネイユによれば、一 ン)、「『現実の』自然人についてのロックの理解は、 面的な歴史的概念である。 部分的であり歪んでいる」(p.23)、とアルネイ さて、ロックはアメリカ情報を、挿絵入りの旅 ユはロックの方法上の問題を指摘するのである。 行記録と自らの植民地経営への関与からえている。 検討1。 旅行記録としてロック『統治論』で使用されて ロックの「自然状態」概念が、非歴史的仮説的 いるのは、アコスタの「両インドの自然史と社会 な概念であるとの解釈は、その含意が何であれと 史Nα脇戸αZαηd Morαl H‘鉱orッ。∫1π読θ8』(1604 もかく一般的傾向として認められるところである。 年)をはじめとして多数にのぼるが、これらはい アルネイユは、タリーとともに、これに対して、 ずれも、旅行者の後援者としての国王や教会の意 「自然状態」概念を歴史的概念であるとの見解を 向に影響されて、「王国の拡張と先住民のキリス 示す。その含意は、「自然状態」を未開状態、と ト教への改宗」(p.26)とを植民の目標と考えて して把握することによって、「市民社会civil socie− おり、「文明化されたキリスト教徒と異教徒のア ty」を「文明社会」として位置づけ、発展段階説 メリカ未開人との区別」(p.26)を基調とし、 をロックが採っていた、ということにある。むろ 「後者はキリスト教信仰によって前者に変わらね ん、アルネイユにおいても、非歴史的仮説的概念 ばならない」(p.26)というものであった、とア としての「自然状態」が否定されてはいない。し ルネイユはいう。これによって、「高貴な未開人 かし、アルネイユの解釈では、歴史的概念として と卑賎な未開人との区分」(p.26)となり、ロッ の「自然状態」論が主軸をなしている。 クが、この区分を使って、一方で「自然状態」か 私は、アルネイユの解釈は重視すべきものと考 ら「(戦争状態への卑賎な傾向の故の)市民社会 える。アルネイユも典拠としているように、「こ への参入」と、他方で(平和的に共存する高貴な のようにして、最初は全世界がアメリカのような 未開人というように)絶対的圧政よりすぐれた代 14 福島大学教育学部論集第61号 1996年12月 替」(p.27)としての「自然状態」を根拠づけて 状態」や「自然人」はアメリカ・インディアンの いる、とアルネイユはいう。そして、「実り豊か 実態の一面に基づいて構成されているものであり、 な土壌を供給されている」アメリカ先住民(◎E− その構成基準はイングランドを基礎とする「市民 41)が改良に失敗しているとのロックの指摘が、 社会=文明社会」化である、とアルネイユはいう エデンの園とアダムの原罪とパラレルになってい のである。そして、こうしたロック理論は、現代 ながら、ロックが「すべての人間に備わる理性が に至るまでアメリカ・インディアンについて、 もし働かされるならば、結局はアメリカ・インディ 「市民社会=文明社会の歪められた反対物a dis− アンを戦争状態から文明に移行させる」との信念 tortedinversionofcivilsociety」というイメー を持っていた、とアルネイユはいう(pp.29−30)。 ジを付与することによって「犠牲」を強いた、と この移行はキリスト教信仰を受容し、さらにそれ 鋭く指摘している。 が政治的原理に転換され自然状態から市民社会に 不可避的に展開することによって可能となるとロッ 注 クが見ていた、とアルネイユはいいつつ、次のよ うに「ロックの手抜かり」について小括を下す。 〔1)John Dunn,TんεPo伽εcαZ T五〇μgんヵ。∫Jo一 「文明人と自然人という方法論的な二分法は、 加Looたθ,Cambridge,1969;C B.Macph− 新大陸への探検家の旅行記の中ではじめ作られた erson,1ntro(iuction,in John Locke, Tんθ ものだが、ロックは哲学的著作の中で文明転換 Sθcoπ4丁陀α琵sθo∫Gouε肌ητθ漉, (e(i.)C. civilconversionという強力な政治原理に鋳直し B.Macpherson,1ndianapolis,1980. たのであって、インディアンは以後3世紀の間、 121 John Locke,Journa1,6−10Apr.1677, 市民社会の歪められた反対物であり、またそうし Bodleian Library,MS f.2. た神話の究極の犠牲を感じ続けてきているのであ 〔3)アルネイユはこの点でWillam Batz,The る。」(P.44) Historical Anthropology of John Locke, ここにアルネイユはロックが旅行記からの偏っ た事実選択を行ったことの帰結を認めている。ア Joμ肌αZoμんε伍sカorッ。∫14εαs,35/4, 1974.を批判している。 コスタをはじめとして、先住民の中に世襲君主政 に先行する「自治団体commo−nality」の存在や 皿 植民地主義と自然法 (p.35)や「共同体として彼らの財産を所有し耕 作する」タイプ(p.41)が記述されているにもか 自然法学者としてのグロチィウスやプーフェン かわらず、ロックは、家父長判的=君主制的統治 ドルフのロックヘの影響は周知のところであるが、 から同意に基づく統治というシェーマや個人的所 以上のようにロックにとって植民地が重大な意味 有=文明人というバイアスの故にこれらの事実を を持っていたとすれば、グロチィウスやプーフェ 自らの理論に不適合として無視した、とアルネイ ンドルフがロック以前に植民地主義をふまえて自 ユはいうのである一31。 然法論を展開していたのではないか、という論点 検討2。 が予測されうる。アルネイユは、この点が従来の ロックにおいて、蔵書や植民地経営からのアメ 研究史において「看過されている」(p.45)とし、 リカについての、特にアメリカ・インディアンに 「ヨーロッパの植民帝国の拡大によって、海洋及 ついての情報の選択が一面的であった、とのアル び大陸の双方に関して提出された新しい問題」 ネイユの指摘は、その典拠に照らして正しい。先 (p.45)に自然法学者が取組んだことに注目する。 住民族には、例えば自治団体や共同体的所有の存 Φ グロチィウス 在が認められているからである。ロックの「自然 アルネイユは、まずオランダ東インド会社の意 伊藤宏之:植民地主義者としてのジョン・ロック 15 向により、若きグロチィウスが「捕獲船法綱要 に限定している。特に注目されるのは、処罰とし Dε」μrθPrαゴαθCo肌配θ舵αr∫認』(1604−6年) ての戦争として、「獣のような人間、とくに人肉 において、ポルトガルやスペインに対して、オラ を食する人間」への戦争を正当化していることで ンダ商船の海洋の自由、いいかえれば「自然権、 ある。「プーフェンドルフが……グロチィウスに 特に所有権」(p.47)を擁護している、という。 論戦を挑んだように、そうした議論は、アメリカ・ そして、グロチィウスの「動産と不動産の区別」 インディアンヘの恣意的な攻撃を正当化するため (p.47)に着目する。動産所有は、「差押えattach− に使われる」(p.53)とアルネイユはいい、さら ment」により、不動産所有は「囲い込み」によ にそうして征服された先住民に対して、グロチィ り成立するが、しかし、海洋についてはいずれも ウスが「従属民族の自由への欲求は、不当な戦争 不可能であり、「すべてに開かれている」(p.47) の原因である」と応えている、という。 とグロチィウスがのべている、とアルネイユはい 12〕プーフェンドルフn) う。すなわちグロチィウスによれば、「他国の航 アルネイユはプーフェンドルフの自然法論がグ 海と交易を阻止する権利を持つ国はない」(pp. ロチィウスと異なり、又ロックとも異なり、自ら 47−8)のである。グロチィウスは、こうした区 のパトロンや母国の植民の必要性から出てくるデ 分によって、未開地への植民を含む植民地主義を ィレンマと調和を図る試みをしていない、という 正当化しているとアルネイユは読む。グロチィウ (p.54)。そして、プーフェンドルフが自然状態 スはその後、イングランドとの抗争時において を「道徳科学」(p.54)の文脈でとらえ、「ただ 「無制限の自由貿易」に反対の主張をオランダ東 未開の時代に存在したもの」(p.55)であり、 インド会社の権益のためにおこなうが、主著の 「アメリカの住民をヨーロッパの国々の住民と同 丁戦争と平法の法DθJirθBθJZ‘αc Pαc‘s』(1625 様に取扱わねばならぬ」(p.55)と見ていた、と 年)において以下の論理を展開していると、アル いい、それは、スペインのフランシスコ・ヴィト ネイユは整序する一 リアFranciscoVitoriaによるインディアン征服 「極度の単純さから成る共同体的所有の範例で 論への批判に表われているとアルネイユはいう。 あるこの未開の状態は、そうした状態で幾世代も プーフェンドルフによれば、「海洋の自由を享受 住んできているアメリカの諸部族に見られるもの するヨーロッパ人は、ただ「嵐にふきよせられた である」とのグロチィウスの言葉は、アメリカ・ 1)』、無害な客であるという理由でのみ、正当に インディアンが「自然状態」に住む「自然人」で 外国の岸辺に上陸できる」(p.56)、というこに あることを意味する。そして、グロチィウスは、 なる。プーフェンドルフは、「自然状態」につい 個人問の「自然状態」を国際関係にも相似的に使 て、自然法に基礎づけられた平和な状態であると 用して、「そこでは神の法と自然法以外の権威は しホッブスを批判しつつ、他方でそれが「脆弱で ない」(p.50)と見ている。所有権についてはこ 信頼できず……他の保障がなければ人間の安全に の共有状態において、人の必要による利用が所有 とって不十分な保護者にすぎない」(p.56)とい になる、とグロチィウスはいう。これは動産か不 う。そうした自然状態と自然法認識の上で、プー 動産かを問わず同一である。そして、この所有が フェンドルフは、所有権について「神は人間に地 法的に確認される。これがグロチィウスの所有権 球の産物の利用を認めたがこれは領有の直接的な 論であるが、この場合、海洋はそれが「無制限」 原因ではなく……領有は人間の行為と明白ないし であるが故に所有の対象になりえない。また、 暗黙の同意とを絶対的に前提とする」(p.57)と 「これまで未耕作」の土地は未所有とされ、外国 いう。ここで注目すべきは、グロチィウスにとっ 人の所有の対象となる。さらにグロチィウスは正 ては利用を前提とした同意による私的所有のみが 当な戦争を「防衛、所有権の回復、処罰」(p.52) 正当な所有権であるとされるに対して、プーフェ 16 1996年12月 福島大学教育学部論集第61号 ンドルフにとっては、利用は所有権を含意せず、 権論がグロチィウスやプーフェンドルフのそれと 個人間の合意によって、私的所有も共同所有も正 比較されることは従来の研究史が示すとおりであ 当なものとしてありうる、とされていることであ る。しかし、アメリカ論を視野に入れた所有権論 る(pp.57−8)とアルネイユは強調する。そし という形で所有権論の「汎世界的意味」(中村恒 て、プーフェンドルフは、占有についてそれがす 矩氏12一)の解明を大きく前進させた、という点 べて私的=個人的所有に分割されねばならないと でこのアルネイユの研究は特筆すべきものである。 は言わず、非占有物も自動的に領有にさらされね とくにプーフェンドルフの所有権について、貨 ばならないわけではない、といって、結論的に次 幣導入後や土地の私有の本格化以後まで含めての のようにのべている ロックとの比較論になお余地があるにしても、プー 「それ故、もし私的所有者のまだいない地帯が フェンドルフのアメリカ論に着目したことは、プー 発見されたとしても、それは非占有だから誰でも フェンドルフ研究としても稀少なものとして見ら 自分のものとして取ることが自由だとは直ちに見 れるべきものである。 倣されるべきではなく、人々全部に属するものと ロック研究としてのアルネイユの所説の問題は、 して理解されよう。」(p.58) これら植民地論がロックの経済論全体の中で占め こうした所有権論は、すでに見たように、征服 る位置測定についてである。これを次に見よう。 への抵抗の正当化論にも連動する。「アメリカ・ 注 インディアンは、もし無害な客としてか又は嵐に よって吹き上せられて上陸したのでなければ、上 陸した人々を攻撃することが正当化される、とプー 11/アルネイユは、プーフェンドルフの著作の フェンドルフは結論づけている」(p.60)とアル うち、ここでは主に『自然法と国際法 Dθ ネイユはいう。 画rθNα施rαθαGθπぬ肌五めrlOc診。』(1672 さて、ロックはグロチィウスとプーフェンドル 年)を使用している。 フをふまえている。所有権論においてロックはグ {2)中村恒矩氏の田中・平野編『ジョン・ロッ ロチィウスの「使用」やプーフェンドルフの「合 ク研究一イギリス思想研究叢書4一』へ 意」の以前に「労働」をおくことによって、「独 の書評(ゼ社会思想史研究』第5号,1981)。 創的で深い自然法を創造する」(p.63)一方で、 私的所有を新大陸を含めて唯一の所有形態とする W 英国植民地主義の展開 点でグロチィウスと同一である、とアルネイユは 見ている(p.62)。又、「ロックにとって囲い込 17世紀英国の植民地主義は、先住民のキリスト みは、アメリカでの私的領有についての英国の権 教化、スペインやオランダに対抗する帝国の拡大 利を論証するために、土地についての議論に限定 それに投資による利得を目的としており、世紀初 されているが、グロチィウスにとっては、同じ原 期の商取引から末期の植民への重心の変化を重視 理が海洋に適用され、所有の共有権とそこへのオ すべきである、とアルネイユはいう。とくに、カ ランダの接近の権利を証明するためのものになっ ロライナはスペインのフロリダ権益と隣接し、ア ている」(p.62)という。 シュリー卿とロックにとって重大関心事であった 検討3。 し、ロック自身投資利得に強い関心を持っていた アルネイユが、ロックヘのグロチィウスやプー ことを、アルネイユはクランストン等を典拠に指 フェンドルフの影響をアメリカ植民地論まで広げ 摘している(p.69)。 て探求し、三者の所有権論の相違を明らかにした 商取引から農業や定住への重心変化は、「新大 ことは、創見といえるものである。ロックの所有 陸での所有権と主権についての新しい論争」(p. 伊藤宏之二植民地主義者としてのジョン・ロック 17 70)を引きおこした、という意味で、注目すべき の原因だとしたのであるが、アシュリーは、「交 とされる。16世紀においては、「発見の権利」(p. 易と植民の問題は、一体の強力な指揮の下で統一 71)ないしは征服によって所有権は主権に併呑さ され一層高度の政治的優越性が与えられるべきで れていたが、1580年に英国政府がスペインとの対 ある」(p.94)と主張したのである。国王チャー 抗から、「購入ないしは定住による所有」(p.71) ルズ2世はこれを受入れ、アシュリーを新しい を主張しはじめた。又、この変化は、「イングラ 「交易植民委員会」の長官に任命し、ロックは主 ンドの失業者の救済」(p.72)を新たな目的とす 事に就任している(1673−5年)。 るものであった。しかし、アシュリー卿やロック アルネイユは、クランストンや近年のロック経 にとっては、「社会福祉よりも私的及び国家的利 済論著作業の編者ケリーPatrick Kellyの見解を 得の拡大」(p.73)が第一の目的であり、アルネ 授用しつつ、ロックが対オランダ関係でのイング イユは、その典拠としてG.ベーアのいう「イン ランドの交易の「衰微decay」並びにフランスに グランドの交易の増大と供給の新しい拠点の創出 よるイングランド交易の「簒奪usurpation」を との追究」(p.73)を引用している〔’)。 分析して、植民地をイングランドの製品販売地及 アルネイユは、この変化の中で、「イングラン び原料供給地にしてイングランド産業と競争を禁 ドの植民者が自らをスペインの植民者と区別し、 ずる方策を作ったことを指摘しつつ、「シャフベ 他のヨーロッパ列強の同様の要求を受け流し、分 リー〔アシュリー卿〕と同じくロックは、もし適 裂的な植民者への規制を確保することで、イング 当に運営されるならば、アメリカがイングランド ランドの利益になる場合には、先住民の土地への の富の新しい源泉になるとの見解を持った少数派 権利を認めた」(p.83)という。そして、「アフ の一人であった」(p.96)とのべている。 リカ人と先住のアメリカ・インディアンヘのイン こうしたロックの見解に影響を及ぼしたのは、 グランド植民者の態度の深遠な相違」(p.84)に トーマス・マン、クランダークT Cradock¢サー・ 注目し、アメリカ・インディアンが「合理的で学 ジョサイア・チャイルド、それにチャールズ・ダ 問があり潜在的にキリスト教徒」(p.84)であり、 ヴナントであった、とアルネイユはいう樹(pp. 「発展の初期段階のヨーロッパ人」(p.84)、「イ 96−102)。 スラエルの第10番目の行方不明の部族」(p.84) と見られていた、という個。 アルネイユによれば、ロックが『統治論』でチャ イルドやダヴナントとともに、富=価値の源泉を さて、アルネイユは、ロックのアメリカ植民地 労働において把握しつつ労働をほとんどもっぱら、 への関与が、経歴や書簡から明白であるとし、と 「鋼業、牧畜業、手工業及びその他の産業よりも、 くにロックがイングランドの世論における「植民 農産物栽培、農業経営という言葉づかいで語って 地主義への懐疑と反感」(p.91)に抗して、「ア いる」(p.102)ことに止目すべきであって、こ メリカにおけるイングランドの権利」(p.91)擁 れはイングランド国内農業発展重視のあらわれで 護の役割を果たした、という。 あるばかりでなく、植民地においても耕作できる (1)経済的擁護論 限りの土地所有の重視とイングランド製品の販路 1660年から70年代にかけて、イングランドの経 拡大による国内雇用増大、それに輸送手段として 済は、自然災害や国内外の紛争それに歳入欠損に の船舶の重視との関連で理解されうるのであり よって危機的状況にあったが、この解決策をめぐ (pp.103−4)、1660年の「航海条令TheNavigatio− る論争において「交易と植民」(p.91)を強調す nAct」と軌を一にするものなのである(p.105)。 るアシュリー卿やロックは少数派であった、とア この点でアルネイユは、『統治論』H−43剛の参 ルネイユはいう。多数派は植民が良民の流出と母 照を求めるとともに、ロックの手稿『交易論ノー 国からの独立をもたらす故にイングランドの衰退 ト/▽oむθs∫orαπEssαッ。ηTrαd周(1674年)や 18 福島大学教育学部論集第61号 「帰化についてForαG飢θrαZ〈厩砂誠sαむεoη』 (1693年)を典拠としている。 1996年12月 にロックにおいても引かれている一 「周知のように、世界のうちで最初に人々が住 さらにアルネイユは、ロックの『利子・貨幣論』 みつき、したがって当然最も人口の多かった地方 における「戦争や征服よりも航海や交易がわが王 でも、時代がくだってアブラハムの頃になっても、 国に利益である」との結論を授用している(pp. 人々は自分たちの資産である羊や牛の群と共に、 106−7)。そして、チャイルドと共にロックが 自由にあちこち遊牧した。……しかし同じ場所で 「平和的な農業や自由と所有権の保全こそが、英 一緒に家畜を養うための十分な余地がなくなって 国の植民地統治の基礎とならねばならない」(p. くると、彼らはアブラハムとロトがしたように 107)という認識をもっていたという。その典拠 (『創世記』第13章第5節)、同意によって離別し、 は、「統治論』での次の言明である一 最も気に入ったところへ彼らの放牧地をひろげて 「人口数の大いさの方が領土の大きさよりも望 いった。」(◎H−38) ましい、……耕地の増大とそれの正しい利用こそ アルネイユはこの労働投下による土地の取得に が統治の重要な技術である。また君主は、……確 ついて、「囲い込みと勤労、とくに農耕」にお 立された自由の法により……人類の誠実な勤労を いてイングラン人はアメリカ・インディアンと異 保護・奨励しようとする賢明で神のごときもので なっているとロックが区別している、という(pp. あろうということである。」(◎H−42) l12−3)。ロックの場合の発言として、次が引用 (2)倫理的擁護論 される一 植民をめぐる論争の第2は、「アメリカ・イン 「神はこの世界を人間の共有物として与えた。…… ディアンによってすでに占有されている土地への しかし神の意図が土地をいつまでも共有で耕作さ イングランドの権利」(P.107)についてであっ れぬままにしておくべきだということにあったと た。アルネイユはパーカスSamue1Purchas,マ は考えられないのである。神が土地を与えたのは、 サチューセッツ総督ウィンスロープJohn Winth− 勤勉で理性的な人々の使用に供するためであった rop,カッシュマンRobertCushman,グレイRo− (そして労働が土地に対する彼の権原となるべき bert Gray,ヴァージニア第1代長官ストレイチー であった)。」(◎H−34) Willian Strachyなどが「先住民族の土地を取得 「磨かれない自然のままに放置され、文字やし するイングランドの権利を擁護した」(p.108)と つけの助けなく、学芸や科学の進歩もない民族が いう。彼らは「アメリカが領有のためにすべての ある。」(⑰1−4−8) 人に開かれている空地。αo泥船ゴ。椛顔Z彪肌or 「全能の神のこの偉大で最初の祝福、すなわち oαcα舵Zαη4だと考えられるべきである」(p.109) 生めよ、殖えよ、地に満ちよ……は、学芸や科学 との前提を持っていて、「空白のアメリカと満ち それに生活の便宜の改善を含むものである。」(◎ たイングランドというこうした基調は、しばしば 1−33) 神学的な重要性でもって染め上げられている」 「土地のある一部を改良することによってこの (p.110)とアルネイユはいう。すなわち「大地 ように占有することは、他人に対する何の侵害に を満たすことが旧約聖書の最初の数冊で描かれて もならなかった、というのは、まだ十分に、そし いる移住民の出国と調和した神話と類似している て同じようにたつぶりと土地が残されているから とされている」(p.110)のである。その象徴的 である。」(◎H−33) な例は「アブラハムとロト」の物語である。アル 「そこの住民たちは、……荒廃してしまった土 ネイユは、パーカスによって最初に『創世記』第 地に勤労を加え、彼らが必要とした穀物の蓄えを 13章でのこの物語が使用されたという (p.lll)。 増してくれた人に恩義を感じているのである。」 この「アブラハムとロト」の物語は、次のよう (◎H−36) 19 伊藤宏之:植民地主義者としてのジョン・ロック アルネイユは、こうして、さきのパーカスらと 検討4。 同じく「ロックにとっては、先住民の土地をイン アルネイユは、ロックの植民地思想へのチャイ グランド人が領有することは、神学的権利である ルドやダヴナントらの影響を指摘している。これ ととも自然の権利である」(P.l15)というので は典拠に照らして首肯しうるものである。ロック ある。 のアメリカ植民地論において、定住農耕が重視さ (3)カロライナ植民計画 れ、それが英国製造業の販路=市場として、又原 以上の思想がカロライナ植民計画の中に具体的 料供給地という連関の中で位置づけられている、 にのべられている、とアルネイユはいい、その際 という解釈は注目に値する。しかし、問題はここ 『公文書館Public Record Office』所蔵のシャッ にこそある。アルネイユの理解は、ロックの植民 ツベリー文書集成その他の文書のうち1668年から 地論を素材連関で把握するものであり、この点で 1675年にかけてのロック執筆文書を主に典拠とし チャイルドやダヴナントとの親近性を認めるもの ている(p.118)。 である。しかし、素材連関中心の把握では、ロッ その中で、アルネイユが植民論として最も集約 クの意図を十分に汲みとったものとはいえない。 にロックの意見がまとめられているものとしてあ アルネイユは、ロックの国策に触れているが、こ げるのは、1671年5月13日ロック執筆で、アシュ れが素材連関にいかなる意味を持つかは、解明し リイ名でのカロライナ総督ウィリアム・セイル ていない樹。スペイン型植民との相違はアルネ William Saile宛書簡である。そこには次のよう イユによって指摘されているが、国策としての にある一 「航海や交易」がロックのイングランドにとって 「あなた方は、貧欲からスペイン人の味方になっ 持つ意義(及び、チャイルドやダヴナントにとっ て人々を苦しめるのにまかせたりわが隣人のイン ての意義との相違)の分析には及んでいない。 注 ディアンの平穏な所有物をうばったりしないよう に注意されたい……人々は、植民に必要なもの以 上にその国に深入りしてはいけない。あなた方は、 陛下の喜びが平和的支配の中で我々を保持するこ 〔11George Beer,Tんθαd CoZo痂αZ S』ys古εη1, とにあることに応えるように思いをいたすべきで 2vols, Lon(ion, 1932. ある。我々は我々が許さないし許そうともしない 121アルネイユは、この典拠として、RoyHar− 強奪や略奪によって我が国民が生存することが最 veyPearce,Sαuα9εs肌απゴα副2翻。π∫ 優先さるべきこととは考えない。植民と交易が我々 AS如の。μんθZπ読αηαπゴ・4肌θfcαηル伽ゴ, の意図するところであり、又これがあなた方の利 Berkeley,1988などをあげ、又、ロックやシャ 益なのである。もしあなた方がこの事でただ我々 フッベリーの「アフリカ黒人貿易」への投資 の指導に従いさえずれば、その国の人々の同意の (p.127)を指摘している。 もとにそしてあなた方に危険なくその国でのスペ 131 Sir Josiah Chil〔i, ノ1 2〉θω 1)∫sooμrsθ oπ イン人の富のすべてをあなた方がうる道を我々が Trα4ε,1689.;Chales Devenant,、D‘800μrsεs 開くことになるのである。それ故、あなた方が人々 oπ地θPμわZεc Rεuεημεs(zηd oπ 抗θTrαdiθ の気持ちをただ植民と交易にのみ専念させるよう o∫翫gJαηゴ,1698. 私は強く念をおす。もし、人々が勤勉かつ正直に ゆ 「一つ一つの塊のパンがわれわれの口に入 専心するならば、陛下及びそちらへ人々を送る我々 る前に、それのために勤労が準備し利用した の目的に応えるのみならず、人々自身が安全かつ ものをもしたどることができれば、奇妙な物 容易にその地域でのぞましいすべてのものの主人 品一覧表ができあがるであろう。すなわち鉄、 になろう.」(pp.130−1) 薪、皮革、樹皮、木材、石、煉瓦、石炭、石 20 1996年12月 福島大学教育学部論集第61号 灰、織物、染料、瀝青、タール、帆柱、綱、 うすることによって彼の所有権である何ものかを その他職人のだれかが仕事のどの部分かに使っ そこにつけ加えた。これに対しては他の人は何の た物品の何かを運んだ船に用いられている、 権原もない」(◎H−32)と明言している、とア すべての材料……」(◎H−43) ルネイユはいう (p.139)。農耕と領有が一体と (5〕アルネイユは、ホント1stvan Hontに依拠 なっていることは、「大地の開墾又は耕作と、領 しつつ、「ダヴナントとロックは、強力で膨 有権の獲得とが一つに結びつけられているのがわ 張する国家のネオ・マキアヴェリアン的擁護 かる。前者が後者への権原をあたえたのである。 者であり、交易は英国国家がその力漉r戯を それ故、神は大地の開墾を命ずることによって、 行使する手段であった」(p.101)というに その限りでそれを占有する権限を与えたのである」 とどまっている。 (◎H−35)とのロックの発言からも明らかであ る、とアルネイユは説く。そして、「包い囲んで V 所有権論と植民地主義 耕作された土地」が土地の価値を増すとのロック の言明(◎1−37)によって、「農耕というヨー アルネイユは以上の所説をふまえて、ロック所 ロッパ的形態を採用しないかぎり、先住民は彼ら 有権論についての新しい見解を提示する。私的所 の土地に権威を持ちえない」(p.141)ことがロッ 有権の権原論がアメリカでの私的土地所有論と密 ク所有権論からいいうることになる、とアルネイ 接不可分であり、従来ロック所有権論が「内政と ユはいう。これは又、「うち捨てられ、ために荒 の関連」(p.135)でのみ論議されてきたことに 廃してしまった土地」(◎且一36)、あるいは「全 アーネイルは異議を唱える。「新世界」への視野 く自然のままに放置され、牧畜、耕作、栽培によ の拡大は、グロチィウスにおいては「海洋論」と る改良の手が加えられていない荒蕪地」(◎H−4 して展開されたのに対して、ロックにおいては 2)という表現からもいいうること、とアルネイ 「土地へのイングランド人の利益の擁護」論とし ユは解く(pp.141−2)。 て展開されていることにアルネイユは注目する だが、そうした土地の占有は無制限なものとし (P.136)。 てではなく、ニュー・イングランドの衰頽に見ら アルネイユは、「いまでは、所有権の主要な内 れるように耕作可能な占有のみがロックにおいて 実は、大地の果実や大地で育くまれる動物ではな は是認されるものつまりは、「腐敗制限」がある く、他のすべてのものを収容したずさえている大 というものであったとアルネイユは記す(P.i43)。 地それ自体なのである」(◎一32)とのロックの この「腐敗制限」はアメリカ・インディアンにとっ 言明を重視する。アルネイユによれば、ロックは、 ても意味を持っている、とアルネイユは説く。ア チャイルド、ダヴナント、パーカスそれにアシュ メリカ・インディアの狩猟経済は、「充分制限」 リー(シャフツベリー)と共に、「インディアン は度外視できるが、「腐敗制限」を必須とする。 やスペイン人の方法と考えられた狩猟や採鉱に対 これとの対比でいえば、イングランドにとっては 抗するものとしての農耕こそが所有権要求の唯一 「充分制限」が意味を持つ、とアルネイユは指摘 の合法的な基礎である」(p.139)というのであ するのである(pp.144−5)田。 る。しかもロックは、『創世記』第1章第28節の しかし、ロックは、「利子・貨幣論』や「交易 「生めよ、殖えよ、地に満ちよ、そして地を従わ 論ノート』でも貨幣の必要性を説き、これによっ せよ」に呼応して、「神は全人類に共有物として て、ロックにおいて「労働により始まり腐敗制限 この世界を与えたとき、人間に労働することを命 によって制限された土地所有権は、貨幣の使用に じ……人間はこの神の命令に従って、その大地の 同意した人々だけにとっては拡大された」(pp. 部分を開墾し、それを耕し、そこに種をまき、そ 147−8)と、アルネイユは受け取る。 伊藤宏之二植民地主義者としてのジョン・ロック 21 ところで、すでに見たように、アーネイルによ イユは読み取る。 ればロックにおいては、「アメリカ・インディア 次にアルネイユは、「共有地」についてのロッ ンは、イングランドの子供と同じく、理性又は合 クの言明の解釈に向かい、ロックからの引用をお 理性への可能性を持っている」(p.149)との判 こなう一 断があった。その典拠は次の通りである一 「たしかに、多数の人々が統治の下にあって、 「ヴァージニアの頭目アポカンカナがイングラ 貨幣をもち商取引を営んでいるイングランドやそ ンドで教育されたとしたら、おそらくこの国のだ の他の国家Comtryでは、同胞の共有権者のす れにも負けないほどのりっぱな数学者であったろ べての同意がなければ、誰もそのどの部分も囲い う。なぜなら、アポカンカナとイングランドの進 込んだり占有したりすることはできない。なぜな んだ人との違いはただ次の点、すなわち、アポカ ら、この土地は契約によって、すなわち犯すべか ンカナの諸機能の行使は自らの国のやり方・しき らざるその土地の法律によって、共有のままに残 たり・思念の限界内にとどまって、それ以外のあ されているからである。そしてそれは、ある一部 るいはそれ以上の探求にけっして向けられなかっ の人々に関しては共有地であるが、全人類にとっ たからである。」(⑪1−4−12、cf.⑰1−4−8) てはそうではない。つまり、この国家Country その上で、アルネイユは、ロックが「自然は所 とか、この教区とかの共有財産なのである。 有権の尺度を、人間の労働と衣食住の便の範囲に ・ところが、世界という大共有地の黎明期で、 よってうまく定めている。すなわちどんな人間の はじめて人が住み始めたころは全く事情が異って 労働もすべての大地を開墾したり占有したりする いた。人間が服従した法はむしろ占有をすすめた。 ことはできなかったし、また彼が享受することに よって消費しうるものもほんのわずかな部分であっ 神は人間に労働するように命じ、また人間も必要 にせまられて労画せざるをえなかった。労働は彼 た。……アメリカのどこか内陸の無人の境で…… の所有権であ阜)、彼がひとたびどこかにそれを固 植民者が自ら作ることのできる所有物は……人類 定してしまえば、それがどこであろうと、彼から の他のものの利益を侵害するものでもなく、また それを奪うことはできなくなった。こうして土地 不正をいわせたり、この男の進入によって損害を の開墾、また耕作と、領有権の獲得とが一つに結 こうむったと思わせたりする理由を彼らに与える びつけられるのがわかる。前者が後者への権限を こともないであろう」(◎H−36)とのべている 与えたのである。それ故、神は土地の開墾を命ず ことを典拠にして、ロックがアメリカ・インデイ ることによって、その限ぴ)でそれを占有する権限 アンヘの侵害としていたのは、「インディアンが を与えたのである。」(◎H−35) 自ら手にしている自然の産物か又は生存のこうし アルネイユはこのロックの言葉から「共有」が たレベルを維持するのに必要な小地片への干渉」 2つの意味で使われていると見る。つまり、「ア (p.151)であった、という。言いかえれば、「土 メリカでは、土地は神からの本源的な贈り物とし 地を囲い込み、10エイカの土地から、自然のまま て共有であり、イングランドでは共有は一定の成 に放置された100エイカの土地から取れるより多 員の間での契約の結果である」(p.153)とアル くの衣食住の便を取る人は、まさしく90エイカの ネイユは読み取る。この読解は、このロックの言 土地を人類に対して与えることになる」(◎H−3 葉を市民社会=文明社会と自然状態=未開社会で 7)や、「住民たちは、……荒廃してしまった土地 の共有の相違と見倣し、よってロックが「共有」 に勤労を加え、彼らが必要とした穀物の蓄えをふ 概念を説明するべくたんに「荘園制度」を使用し やしてくれた人に恩義を感じるであろう」(◎H− ている、というラズレットの注解を「誤解」と評 36)を典拠に植民がインディアンにとって侵害で するものである(p.133)。ラズレットは「Country」 はない、とロックは主張しているのだ、とアルネ が「Locality地方」を意味すると解するが、それ 22 福島大学教育学部論集第61号 1996年12月 は、「国家nation」の意味に他ならないのであっ で、「障害」に対抗して交易を「促進」するため て、ロックの言葉は、「一つの国家、つまりイン には、「所有権の整合と確かさrigister and グランドとその他の、とくにアメリカとの区別を certainty of property」に依拠するところが大き しょうとしている」(p.154)とアルネイユは解 い、と記述していることに着目する (p.158)。 くのである。アルネイユによれば、「議事堂や公 そして、「カロライナでの、アメリカ・インディ 園」のように「国家」によってか又は「教区」に アンからの植民者の土地購入の禁止は、植民全体 よって土地が「公有」されているが、「占有のた の利益という観点から総督が所有権を確定し決定 めにまだ思うように用いられると考えられるよう したからである」(p.158)とアルネイユはいい、 な共有地はイングランドにはない」(p.154)と 他の交易論の著作家とともにロックも、「統治の いうのがロックのいう意味であって、この意味で 規制を通じての人口数の維持ないしは規制」(p. は、イングランド人は他の国の人々すべてをその 159)を主張していたという。そして、アルネイ 利用から排除するのであるが、しかし、「アメリ ユは、従来、ロックの重商主義戦略を示すものと カ・インディアンは、そうした排斥を行う権利は されてきている「統治論』第2論文第42節の周知 ない」(p.155)し、「だれでもアメリカに行って、 の文言を、「カロライナ問題」をも視野に入れて すでにそこに住んでいる人々の同意の必要なく、 読み取るべきことを主張する(p.160)。それは 囲い込みや占有ができる」(p.155)というのが、 第1に、総督が「自由の法」を確立し、内紛を避 ロックの言葉が示すものである、ということにな けおさめ、所有権の割り当てについての基本法と る。 指図を植民者が守ることであり、第2は、総督が では、ロックにおいて、市民社会=文明社会に 「正直で勤勉な人にすべての合理的な奨励を与え おける所有権はいかなるものか。アルネイユは、 る」ことである。 スカンロンThomas Scanlon,タリーJames Tully アルネイユは、この他に『統治論』第2論文の それにウォルドランJeremy Waldron〔2)らが、 30、35、38、45、50節を典拠としている。アルネ ロックの所有権は、「人の労働だけでなく法律に イユによれば、次のロックの文言は「カロライナ よって決まるものであり、それ故、自然権という 入植の記述」(p.161)である一 よりむしろ約束事の権利conventinal rightであ 「彼らは合体し、一緒に定着し、そして都市を る」(p.155)とする解釈を批判する。アルネイ つくった。そしてこの頃になってはじめて、彼ら ユは、「市民社会において、法律が所有権を基礎 は合意によって彼らの別々の領土の境界を定め、 づけたりあるいは造り変える、とはロックはどこ 彼らとその隣国との境界について合意し、そして でも言っていない」(p.157)と指摘する。労働 彼ら自身の間でも、法律によって同じ社会の人々 や勤労がいたるところで所有権の始めとなる、と の所有権を確定するようになったのである。」(◎ ロックはのべた上で、「人類の文明化された部分」 H−38) (◎H−30)とアメリカ・インディアンとの間に 又、第45節は、前半で労働によるイングランド 区別をもうけ、前者では「法律によって確定する」 植民の擁護と市民法による植民の継続がのべられ、 のに対して、後者では「労働に基づき労働によっ 後半では国家間の所有権の確定、つまり、ヨーロッ て確定する」(p.157)というのがロックの説く パ諸国の植民地分割に言及している、とアルネイ ところである、というのがアルネイユの見解であ ユはいう(p.161)。又、第50節は、『カロライナ る。 基本法』の擁護として読解できる、という (pp. では、アメリカ植民地における植民者の所有権 161−2)。 はどうか。アルネイユはここでも創見を示す。ア こうして、アルネイユは、アメリカにおけるイ ルネイユは、ロックが『交易論ノート』(1674年) ングランド人の土地占有について、ロックがそこ 伊藤宏之:植民地主義者としてのジョン・ロック 23 では「たんに個人の労働によってというよりは、統 済のアメリカ・インディアンの所有権の侵害にな 治と国家の利益に一致した形で規制され決定され らないものとして定住農耕を文明社会論=生産力 ねばならない」と考えていた、という(p.162)13}。 論として展開したことは、アルネイユの指摘する そして、アルネイユは、ロックがアメリカの とおりである。ここでは歴史的概念としての「自 「征服」について懐疑的であったとし、この典拠 然状態」論が生きている。そして、このことが、 として、「アメリカの住民は、(ペルーとメキシコ アメリカ・インディアンにとっては労働に基づく という二大帝国の剣や拡張する支配の届かないと 所有権論として、植民者にとっては農耕と土地所 ころに住んでいたので)、生来の自由を享受して 有権が一体のものであり非耕作地主化に歯止めを いた」(◎H−105)を引き、「国王の政策と「統 かけるという意味で法律に基づく所有権として、 治論』は占有の基礎としての征服への反対と、必 構成することを可能ならしめたのである。この点 要な植民地利得に備える勤労の奨励との問の微妙 で、「共有」論についてのうズレット説や、法律 な均衡を取らねばならなかった」(p.165)と評 的所有権論をとるタリー説へのアルネイユの批判 している剛。 は妥当性を持ってるし、又、タリーの「征服論」 検討5。 解釈へのアルネイユの批判も首肯しうるものであ アルネイユは、ロックのアメリカ植民地論が る。 「統治論』所有権章読解にとって決定的重要性を しかし、イングランドでの所有権論についての 持っていることを主張している。「自然状態」を アルネイユの解釈はやはり狭いと私は思う。労働 アメリカという歴史的事実をふまえた概念として こそが富の源泉ととらえるロックは、イングラン ロックが構成し、それが、イングランドをはじめ ドでの貨幣導入と土地所有をふまえて、金融資本 とする「市民社会=文明社会」との対比で未開社 や土地所有の利子や地代取得に対して、法定利子 会として描かれている、というものである。「自 率の設定に見られるように、法的規制を求めるも 然状態」を非歴史的仮説概念としてのみ受けとめ のであり、その基準は自然法である。つまり、自 てきた従来の解釈に対して、これは、有力な批判 然法基準による所有権の法的規制は、イングラン であり、『統治論』所有権章の全面的な読みかえ ドにおいては、法定利子率としてロックの主張す をせまるものである、 るところのものであったのである。ロックの目ざ 私は、アルネイユの見解を高く評価したい。た すものは、イングランドの農工の「中産的生産者 しかに、「統治論」所有権章は、ロックのアメリ 層」の保護・育成を基軸とし、「農産物供給と製 カ植民地論を充分にふまえなければ理解できない 造物販売地」としてのアメリカ植民地論を不可欠 し、「自然状態」を歴史的概念としておさえなけ の一環とする、イギリス型重商主義国家の樹立に れば、読解不能である、従来の解釈の一面性を正 他ならない。その際、こうした意味での所有権の すという意味でアルネイユの所説は傾聴に値する。 「保全と規制」を行えるかどうかが、ロックの国 しかし、アメリカ植民地論のみで、「統治論』所 家論の中心論点なのであって、もしこれを阻害す 有権章の読解が成り立つ、というものでもない。 る政治社会二市民社会ならば、「自然状態の方が 『統治論』全体の構成の中でのアメリカ植民地論 よい」とロックがいう場合、この「自然状態」概 の比重の測定がやはり必要であるし、又、「自然 念は、歴史的なものというより、むしろ、非歴史 状態」概念の歴史性と非歴史的仮説性との両義性 的仮説的なものであろう。所有権を侵害するもの も視野におさめる必要がある。 として具体的には、ロックは、チャールズ2世= ロックが「充分制限」を自然法=全人類の保存 ジェームズ2世の対仏従属的再版絶対主義路線の の枠の中で解決すべく、イングランドからの植民 強行をとらえていたが、それを「戦争状態」とし の奨励を行い、その正当化の論理として、狩猟経 て自然法基準により抽象的レベルで理論的に把握 24 1996年12月 福島大学教育学部論集第61号 しているからである。つまり、ロックの「自然状 とによってその経済を変更することを余儀なくさ 態」概念は、アメリカ=未開社会という歴史性の れるという議論は、土地の耕作と所有権者との間 みでなく、イングランド=文明社会の「戦争状態」 の関係を見たジョン・ロックによって進展した」 化への批判基準として、市民社会=文明社会にお (p.171)というジェイコブWilbur Jacobsの いてもなお有意義なものとして、非歴史的仮説性 『アメリカ・インディアンの剥奪1)‘spOSSθss腕g という意味をも保持しているのである。 εんθAηLεr‘Cαη1π4‘αη ゴ1ん4‘απS απ4 V区んあθS Oπ 注 此θCoJo漉αZFroηむ‘εr』(1972年)の見解をアル (11この点で、アルネイユは、バックル ネイユは肯定的に引用している。 StephenBuckle,op.ci孟.,がロックのアメリ アルネイユは、ロック理論のアメリカでの広範 カ植民地論を看過しているが故に、「アメリ な影響の例としてまず唱道者preachersたちによ カ・インディアンと英国人の蓄積との間の るロック利用をあげる。ボストンのハワード 〔ロック見解の〕基本的相違」に気づいてい Simeon Howard,メイヒュウJonathanMayhew, ない、と批判している(p.145)。 ニュージャージー大学総長のウィザースプーン (2)Thomas Scanlon,Nozick on Rights,Liber− John Witherspoom,コネチカットの主席判事バー ty an(i Property,P尻ZosoPんly απ(1P泓δ1εc クレイBulkley,エール大学総長のスタイルズ 、4∬α‘rs,6/1,1976−7.;James Tully,A Ezra Stilesはその例示である(pp.171−6)。 Dε8coμrsθoπPropθr孟』y,1980.;Jeremy アルネイユは、さらに司法におけるロックの使 Waldon,Lacke,Tully and Regulation of 用を指摘している。ブラックストンSir William Property.Po甑。αZS磁‘θs,32/1,1984。 Blackstoneの「イングランド法注解Com肌θ配αr‘一 (3)ここで、アルネイユは、ロック所有権論が θ80π抗εLαωs o∫EπgJαπ6』での所有権論への 事実上労働による無制限所有の擁護にすぎな ロックの影響を確認した上で、アーネイルは、 いとするウイリアムズの見解(op.cあ.)を 『注解』が18世紀アメリカでの重要な意義を持っ 批判している。 たことを主張している (pp.176−180)。ブラッ (4)ここで、アルネイユは、タリーの「正当な クストンの『注解』はブランケンリッジHugh H− 戦争」による「土地」剥奪正当化というロッ enryBrackenridgeによってフィラデルフィアで ク解釈を批判している。 継承された(pp.180−2)。又、フランスでは、 バァッテルEmeric deVatte1の「国際法五d)ro‘ε M ロックとジェファーソン dθsgεπs∫0αρr∫π吻1θsゴθZαlo‘πα施rεZJθ』 (1758年)によって継承された(pp.182−3)、と アルネイユは、『統治論』のアメリカ史への貢 アルネイユはいう。そして、ヴァージニアの政治 献を重視する立場から、ダンのロック理解を批判 家ブランドRichard Blandにおいても継承され する。ダンはロックの労働に基づく所有権論がイ た(p.184)、というのである。 ンディアンの土地収奪の正当化に用いられたこと 次いで、アルネイユは、ロックがアメリカのファー を認めながら、それも「地域的実際的利害」(p. マーに受容された例として、「1糖ωyo漉慨εθ配ッ 169)以上には及ばず、又ロックには斬新さはな Pos孟Boy』の匿名氏の論文や、ローガンGeorge いといって過少評価をしている、とアルネイユは Loganの『合衆国のヨーマンリー宛の書簡L臨εrs いう。アルネイユによれば、ロック理論は広範な 、444rθSSθdむ。 Y召0η↓απη)10∫〃惚Uηあθ4SむαθS』 影響を及ぼしたし、又、農業労働重視という点で (フィラデルフィア、1791年)、それに、「アメリ 新しいものであったし(pp.169−70)、この点で、 カ革命世代にとっての哲学者・神学者」といわれ 「遊牧の狩猟者は農業ないしは牧畜者の始めたこ るアレンEthanAllenをあげている(pp.185−7)。 伊藤宏之:植民地主義者としてのジョン・ロック 25 こうしたことをうけて、「アメリカ合衆国政府 「ロック『統治論』の出版以来3世紀の間、非 の先住民への対応の基礎」(p.187)が形成され、 ヨーロッパの人々に代わる選択は、自然状態と市 その集中的表現は第3代大統領ジェファーソン 民社会との二分法によって限界が明らかにされて ThomasJeffersonであった、とアルネイユは強 きている。先住民は、本当は「自然人』ではなかっ 調する。アメリカ独立宣言の構成へのロックの影 たし、『市民社会」の金言を受け入れてこなかっ 響が語られて久しいが、とくに「所有権の基礎と たのであるから、彼らの存在そのものが、自由主 してのロックの農業理論がジェファーソンのアメ 義思想に本来的な自然と文明、感情と理性、荒蕪 リカ・インディアンヘの政策を形成したことが看 地と私的所有権という二重性の根拠を失わせてい 過されてきている」(P.187)とアルネイユは評 るのである。多神教的なアメリカ・インディアン している。 は、近代性という概念が考えられる以前において アルネイユは、ジェファーソンの『英領アメリ さえ、啓蒙への最初のポスト・モダンな挑戦をし カの権利についての結論的見解。4Sμ肌肌αぴ たと主張することは、非歴史主義とのそしりをま 伽ωo∫伽羅9んむ80∫Br記‘sんA肌召r∫cα」(1774 ぬがれないであろう。同時に、英国の自由主義は、 年)や書簡を典拠に、ジェファーソン思想の骨格 J.S.ミルのような思想家によって発展したが、 を以下のように描く一 それが根づいた強力な植民地の利益と、それを明 ジェファーソンにおいては、所有権に次いで市 確に定める二重性に適応しないしそれが依拠する 民社会の核心に農業労働があった。インディアン 普遍的な理性への要求を受け入れない世界中の人々 が狩猟段階=自然状態に留まっている限りでは、 の引き続く存在とによって、悩み続けるであろう。」 ヨーロッパ系アメリカ人口の増大に比例してその (PP.210−11) 先住民の土地は制限されざるを得ないのであって、 検討6。 インディアンは農耕によってアメリカ社会の市民 ロックとジェファーソンの思想的一致が、「自 になるように奨励されねばならない、とジェファー 然状態」=アメリカ・インディアン、「市民社会= ソンはのべている。「ジェファーソンにとって、 文明社会」=アメリカ植民者社会というかたちで 哲学の実践的な成功は、インディアンがインディ 認められる、というのがアルネイユの所説である。 アンであることを止める程度に応じて測かられる しかも、ジェファーソンが、アメリカ・インディ というものである」(p.199)とシェーアンBer− アンの社会は「政府を持たない社会」といい、 nardSheehanが述べているのは正しい。「耕作な 「この社会の実情は最良の状態ではないといいき いしは勤労が私にとっては、所有権の唯一の正当 るのは、私の心にも、まだ判然としてない点があ な基準である」(p.191)とはジェファーソンの るが、人口が大いに増加すれば、それは無政府の 言葉である、と。 状態、とは両立しえないものとなります」(ジェファー こうして、アルネイユはジェファーソンとロッ ソンのジェイムズ・マディソン宛書簡、1787年 クを同一視している。そして、二人の思想が19世 1月30日)とのべているところがらも判るように、 紀において、合衆国最高裁判所長官マーシャル」一 先住民に対する植民者の定住農耕を正当化してい 〇hn Marsha11によって否定されたことに留意を る、こともアルネイユの指摘どおりである。又、 求めている。マーシャルは、1823年以降の判決で アルネイユが引用する「英領アメリカの権利につ 「英国人はアメリカ・インディアンを征服したの いての結論的見解』でのジェファーソンの言葉は、 だから、英国人が要求する土地への権利を持って 次のようである一 いる」(p.195)とのべているからとされている。 「あらゆる市民社会の本質と目的から考えれば、 しかし、アルネイユは、ロックやジェファーソ ある特定の社会集団がその領域の境界を確定して ンに対して、次のように問題を指摘する一 獲得した土地は、すべてその社会集団に所属する 26 1996年12月 福島大学教育学部論集第61号 ものとなり、その社会集団によって配分されるの 的に腐敗したという現象については、まだ実例が が当然のことである。土地の獲得とその配分とは、 ない。……/農業は大工や鍛冶屋を欲しているが、 その社会に属する人々全部によって、合議的に決 製造業の全般的経営ということにいたっては、わ 定されることもあり、あるいは彼ら人民の主権が れわれの仕事場はヨーロッパに留めておくことに 委託された代表たる立法府によって行われること したい。」(rヴァジニア覚割V砿θs oηむ舵鋭就θ もある。そして、もし土地の分配が以上のいずれ o∫Wη9‘π∫α』,1782年)山 かの方法でなされない場合には、社会の各個人は、 このジェファーソンの言葉はたしかに、ロック 彼が空地vacantとして見出す土地を自己の所有 のアメリカ植民地論と呼応するものである。しか とし、そこで占有居住するという事実が、彼にそ し、アルネイユも典拠とする『英領アメリカの権 の土地の所有権をあたえるものである。」(p.191) 利についての結論的見解』で、ジェファーソンは、 また、アルネイユは、ジェファーソンの1805年 「アメリカをイギリスから分離することは、われ 12月3日付『両院議会への第5次教書草稿』での、 われの願望でもなく、われわれの利益でもない」 アメリカ・インディアについての次の発言を引用 と結局のところ結びつつも、次のように注目すべ している一 き発言をしている一 「わが隣人のインディアンは前進している…… 「ジョージ2世国王治下の法律第23年に通過せ 農業や家庭内手工業を営み始めているし、彼らは、 しめられたもう一つの法律によれば、われわれの 土地が森林よりも少ない労働とより高い確実性で 作る鉄は、精錬加工manufactureを禁止され、 生活資料を生むということを感じはじめているし、 鉄が重量のかさむものであることはわかるが農工 又、彼らが占有物の改良の手段にとって、彼らの 業に必要であることに頓着なく、われわれは、手 剰余物や荒蕪地の一部を時々は売ることが彼らの 数料と保険料の他に英国との間の鉄の輸出入の輸 利益だということを見い出し始めている。」 (p. 送運賃を支払わされることになったのである。そ 193) して、その法律の目的は、英国の、人間のためで 先住民インディアンの狩猟経済から定住経済へ はなく、機械工業のための保護奨励にあったので の移行、つまり市民社会=文明社会化は、ロック ある。」12’ と同じくジェファーソンにとっても積極的に奨励 アルネイユは、このジェファーソンの言葉は引 されているというのである。 用していない。ロックと同時代のことではないと たしかにジェファーソンの農業重視は、次のよ いうことによるのであろうし、あるいは、ジェファー うな表現の中にも認められる一 ソンが先の『ヴァジニア覚書』にあるように、製 「ヨーロッパの経済学者は、あらゆる国家はそ 造業は「ヨーロッパに留めておくことにしたい」 の国自身の製造業の育成に努力すべきだというこ ということで当面はアメリカでは農業重視といっ とを、一つの原則として樹立している。……ヨー ているから、ということであろう。ジェファーソ ロッパでは、土地がすでに耕し尽くされており、 ンは、「アメリカ体制」=アメリカ重商主義形成 新たな耕作者には閉鎖されているのであるから、 の起点131の1826年に死去しているが、ほぼこの 漸増する人口を支えるためには、選択からではな 時期にインディアンの土地追放が本格化する。マー く必然から、工業に頼るしかないのである。けれ シャルによる英国人「征服」正当化論は、まさに どもここアメリカには、農民の勤勉を誘う無限の これに対応するものである。 土地がある。……農民は神があの聖火を燃えつづ アルネイユは、しかし、アメリカ型重商主義に けさせる焦点であり、それがなければ聖火は地の とってのマーシャル判決の意義をとらえることが 面から消え失せるかもしれない。どういう時代、 できない。アルネイユはロック=ジェファーソン どういう国民においてであれ、耕作者大衆が道徳 の問題点を「自然状態と市民社会=文明社会の二 伊藤宏之1植民地主義者としてのジョン・ロック 分法」に帰しているが、マーシャル判決をも含め 27 メリカ」は、田中正司氏や生越利昭氏らによって て、結論的に次のようにのべる一 関心が向けられてはじめている。田中正司『市民 「マーシャルの判決がロックとジェファーソン 社会理論の原型』(1979年)は、市民社会の起源 の考える人間理性の完成への進歩を止めたこと、 と原理の17世紀的理論の総括者としてのロックに そして、それが自然人という観念を消すことによっ 焦点をあて、その市民社会論にとってアメリカが て、インディアンに本当の人生にふさわしく生き 持った意義を説いているが、聖書的歴史に代わる る機会を与えた、ということは恐らく幸運である。」 人類学的歴史に基づく市民社会形成史論と所有権 (P.200) 論との関連についてはなお考察の余地がある。ま アルネイユの先住民アメリカ・インディアンヘ た、生越利昭『ジョン・ロックの経済思想』 の共感は、ロックのアメリカ植民地論を含むイギ (1991年)も、ロックの「植民思想」についての リス型重商主義に対する批判を徹底化すること以 論説を含むが、所有権論との関連が充分とは言え 外に展望はない。そしてそのことは、又、ジェファー ない。 ソンをロックと同一化して、彼らとマーシャルと アルネイユがタリー論文をうけて、経済論=所 切り離すことによってではなく、ジェファーソン 有権論レベルでロックのアメリカ植民地論を正面 を基盤として持ちマーシャルを必然化するアメリ に据えたことは今後のロック研究にとってきわめ カ型重商主義批判を不可避とするであろう。 て有益である。しかし、同時に、そのことが、ロッ 江 ク所有権論=経済論の全体像の中でいかなる比重 を持つかは、アルネイユによって充分に測定され ているとは見倣し難い。アメリカ植民地論でロッ 山 丁んθ五びθα加l SθZ就θd Wr諺ぬgs o∫Tん。η’Lαs ク思想のすべてが割り切れるかのごとき、アルネ Jθガθrsoη,edite(1,an(i with an lntroduction イユには疑問が残るし、アルネイユのアメリカ・ by Adrienne Koch&Willian Peden,New インディアンヘの共感も手放しでは首肯しえない。 York, 1944., PP.279−80. ロック思想の歴史的性格を把握するためには、ア 〔21 ‘わオol., p.298. ルネイユの達成を充分にふまえつつ、それがイン (3/宮野啓二『アメリカ国民経済の形成一 グランドの市民社会=国民国家形成にとって持つ 「アメリカ体制」研究序説一』、1971年。 意味を構造的に分析する必要があろう。アルネイ ユの新著は、さらに一般的にいえば、「市民社会 W 小括 と植民地主義」という思想史的課題を提示した、 といえよう。 アルネイユの新研究は、「統治論』所有権章を アメリカ植民地論として読み取ることを主軸とし ている。これは、ロック研究史において特筆すべ き創見である。ロック所有権論が、アメリカを舞 台として、グロチィウスやプーフェンドルフらの 自然法学、チャイルドやダヴナントらの経済学そ れにアメリカ合衆国建国期のとりわけジェファー ソンらとの思想的交錯として、又、ロック自身の アメリカ情報との関連で、壮大なスケールで考察 されている。 日本でのロック研究においても、「ロックとア (1996年10月25日受理) 28 福島大学教育学部論集第61号 1996年12月 John Locke as a Colonialist A critical assessment into the recent stu(1ies on John Locke(3) Hiroyuki ITOH In this paper,I assess Barbara Ameil’s JoんηLooんθαπd、4肌θr‘oα’銑θ五)4θπoθo∫EπgJεsん CoZo漉α1εs肌,1996. Ameilmaintainsthat traditional scholarship has failed to do justice to Locke by ignoring the implications of contemporary British imperial policy for the interpretation of his political thought. Ameil argues that Locke’s theory of property must beun(ierstandinconnectionwithLocke’spoliti− cal concerms,as part of his endeavour to justify the colonialist policies of Lord Staftesbury’s cabinet,with which he was personally associated. According to Amei1,the property based on labour is determined by labour in Amerindians.And, the property based on labour is regulated by govemment in civil society of Englandmen and English Planters. But,in my view,Ameil does not clear the historical meaning of Locke’s theory conceming the regulation of the property in civil society.