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1.総括(PDF:701.8KB)
1.総
括
1.沿革
大津に最初に人が住みついたのは、縄文早期で今から数千年も昔のことである。
大津の開拓期を深く知る資料は乏しいが、古事記、日本書紀等の古代文献によると実に古く、2世紀頃前半
の景行天皇の御代に現在の大津市穴太に高穴穂宮が造営された時にはじまるといわれる。
即ち、日本書紀に
「春二月丑朔辛亥幸幸近江国、居志賀三歳。是謂高穴穂宮。」
「君帝日手天皇坐近淡海之志賀高穴穂宮、治天下也。
」
と記されている。
その後、667 年に天智天皇が大和から大津に皇居を定め遷都されたのが、この歴史的胎動から発生した本市
の古き開明の時代であった。
文治元年(西暦 1185 年)11 月に源頼朝が近江源氏佐々木氏を守護職とし、京滋の要衝として大津に奉行を置
いて町の繁栄に備え、天正2年(西暦 1574 年)に織田信長が大津に宿場を設けて次第に栄えた。
同 13 年(西暦 1585 年)豊臣秀吉が今の浜大津に大津城を築き、水運を開拓し交通を統制したのが世に名高い
「大津百艘船」の隆盛期であった。
徳川氏の天下となって元和3年(西暦 1617 年)に大津を幕府の直轄地とし、大津代官所を置き伝馬町を設け、
湖浜に多くの倉庫を建てて米穀を貯蔵し京滋の備えとして以来、近江国の産米は大津へ集め京阪輸送への要地
としたことからその繁栄はすばらしいものであった。
明治4年大津県が置かれたが、その年廃藩置県の令があって翌5年に滋賀県と改称され、近江全国は滋賀県
の管轄となったことから、大津は県都として今日の礎を築いた。
明治 22 年に大津町制を施行し、さらに同 31 年 10 月1日に大津市制を施行するに至った。
昭和年代になって、7年に滋賀村、8年に膳所町、石山町、26 年に雄琴村、坂本村、下阪本村、大石村、下
田上村、42 年に瀬田町、堅田町と合併し、近畿の中核都市としての都市基盤を整えつつ、平成 10 年に市制 100
周年を迎えた。
平成 15 年には人口 30 万人に到達するとともに、京都、奈良などに続く全国 10 番目の古都として政令指定さ
れるなど、県都にふさわしい都市として発展している。平成 18 年に志賀町と合併し、平成 20 年に市制 110 周
年を迎え、平成 21 年4月には中核市へ移行し、さらなる飛躍を遂げている。
【大津の名の起こり】
大津の名が起こったのは、西暦 667 年3月に天智天皇が都を大和飛鳥宮よりこの地に遷され、
「志賀大
津の宮」と称されてから国史にあらわれるようになったが、時には「古津」と改称されたこともあるので、
正しくは「大津」と称されたのは延暦 13 年(西暦 794 年)に桓武天皇が都を平安京に定められた時、天智
天皇を仰慕されてその在りし都を「大津」と改称されたことにはじまる。
「延暦十三年勅、近江国滋賀郡古津者、
先帝旧都今接輦下 何追昔号改称大津」
日本記略
1
大津市略年表
西 暦
年 号
縄 文
〃
古 墳
667
672
761
788
794
806
857
862
1571
1575
1585
1601
1630
1684
1869
1871
1872
1880
1885
1889
1890
1891
1898
1904
1925
1930
1932
1933
1936
1940
1945
1951
1961
1963
1964
1967
1968
1969
1970
1973
1974
〃
1975
1978
1979
早 期
後 期
前 期
天武1
天平5
延暦7
〃 13
〃 25
天安元
貞観4
元亀2
天正3
〃 13
慶長6
寛永7
貞享1
明治2
〃 4
〃 5
〃 13
〃 18
〃 22
〃 23
〃 24
〃 31
〃 37
大正 14
昭和5
〃 7
〃 8
〃 11
〃 15
〃 20
〃 26
〃 36
〃 38
〃 39
〃 42
〃 43
〃 44
〃 45
〃 48
〃 49
〃 〃
〃 50
〃 53
〃 54
事
項
石山貝塚がつくられる
滋賀里北遺跡がつくられる
大塚山、茶臼山古墳、木の岡古墳群がつくられる
中大兄皇子(天智天皇)が大津に遷都
壬申の乱おこる 大友皇子敗れ、大海人皇子が飛鳥に遷都
良弁が石山寺を建立
最澄(伝教大師)が比叡山寺を建立(のちに延暦寺と改名)
桓武天皇が古津を大津に改称
最澄が天台宗を開宗
逢坂の関を復興
円珍が園城寺(三井寺)を再興し、天台別院とする
織田信長が比叡山を焼く
〃
瀬田唐橋を架ける
浅野長政が大津城を築く
戸田一西が膳所城を築く
このころから大津絵が大谷付近で売られる
松尾芭蕉、大津を訪れる
汽船「一番丸」が就航
大津県が置かれる
大津県が滋賀県に改称
京都、大津間に鉄道が開通
琵琶湖疏水に着手
大津町制の施行
琵琶湖疏水完成
大津事件が起こる
大津町に市制施行
瀬田川(南郷)洗堰が完成
柳が崎水泳場が開設
上水道を布設
滋賀村と合併
大津市と膳所町、石山町合併
大津市民病院開院
近江神宮造営
アメリカ軍が大津に進駐
下阪本、坂本、雄琴、大石、下田上の5村と合併
市民憲章制定
名神高速道路開通
琵琶湖大橋完成
堅田、瀬田の2町と合併
びわこ大博覧会開催
下水道終末処理場開設、アメリカ・ランシング市と姉妹都市提携
東海道本線複々線完成(京都―大津)
大津市初の消防艇「おおつ」進水
国鉄湖西線開通
近江大橋完成
市民会館開設
スイス・インターラーケン市と姉妹都市提携
全国高校総体が皇子山陸上競技場を主会場として開催
2
西 暦
1979
1981
〃
〃
1983
1984
1987
〃
1988
〃
1989
1990
〃
〃
1992
1993
〃
1994
〃
〃
〃
〃
1995
〃
〃
1996
1998
〃
1999
〃
2000
〃
2001
2002
2003
〃
2004
2005
〃
〃
〃
2006
〃
2007
2008
2009
〃
〃
2010
2011
〃
2012
〃
年 号
昭和
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
平成
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
54
56
〃
〃
58
59
62
〃
63
〃
元
2
〃
〃
4
5
〃
6
〃
〃
〃
〃
7
〃
〃
8
10
〃
11
〃
12
〃
13
14
15
〃
16
17
〃
〃
〃
18
〃
19
20
21
〃
〃
22
23
23
24
〃
事
項
西ドイツ・ヴュルツブルク市との友好の共同宣言
第 36 回国民体育大会が皇子山陸上競技場を主会場として開催
第 17 回全国身体障害者スポーツ大会が皇子山陸上競技場を主会場として開催
市立図書館開館
大津クリーンセンター開設
中国黒龍江省牡丹江市と友好都市締結調印
川少年自然の家開設
京都府、滋賀県、京都市、大津市の4首長が疏水下りを行う
京滋バイパス開通
大津市公設地方卸売市場開場
新庁舎(新館)開設
歴史博物館、市民文化会館完成
大韓民国・亀尾市と姉妹都市提携
第3回全国健康福祉祭(ねんりんピック)びわこ大会開催
生涯学習センター開設
北部地域文化センター、北図書館開館
庁舎第2別館竣工
情報公開制度スタート
大田廃棄物最終処分場竣工
大津クリーンセンター最終処分場竣工
JR叡山駅が比叡山坂本駅に改名
比叡山延暦寺が世界文化遺産に登録
西大津バイパス全線開通
大津港「びわこ花噴水」完成
大戸川ダム移転宅地造成工事竣工
老人保健施設ケアセンターおおつ開設
市制 100 周年を迎える
なぎさ公園完成
市民病院増築棟完成
教育相談センター開設
やまびこ総合支援センター開設
G8環境大臣会合開催
特例市へ移行
南大津大橋開通
市の人口 30 万人に(7月 29 日)
古都として政令指定される
におの浜ふれあいスポーツセンター開設
名神山手の幹線市道開通
景観行政団体に指定される
大津放水路一期区画通水
湖西道路無料開放
志賀町と合併
大津市新総合計画基本構想策定
琵琶湖の市町境界確定
市制 110 周年を迎える
中核市へ移行
大津市保健所開設
大津市動物愛護センター開設
旧大津公会堂グランドオープン
大津びわこ競輪場廃止
市民憲章制定 50 周年
幼保一体化施設「やまのこひろば」開設
国道 161 号志賀バイパス(北小松~北比良間)開通
3
2.位置及び面積
(1)位
置
大津市は滋賀県庁の所在地で、本州のほぼ中央に位置し、琵琶湖国定公園の西南端にあって、京阪神、中京
及び北陸の三経済圏の要にある。
市域は、北端が比良山系と丹波山地の谷間にある川細川町から安曇川上流に沿って南へ花折峠を境に伊香
立を経て、東へ丘陵地沿いに真野町で琵琶湖に接する。それより比叡、長等、音羽山系を背に湖岸に沿ってさ
らに南から東へと伸びる。瀬田川をはさんで東に広大な平地と更には田上山系を擁して、東端は上田上大鳥居
町に達し、南端は大石小田原町に至る細長い都市である。
方
位
地
名
経度、緯度
極
東
上田上大鳥居町
極
西
山
極
極
距 離
東経
136°02’
町
〃
135°48’
南
大 石 小 田 原 町
北緯
34° 52’
北
 川 細 川 町
〃
35° 17’
中
※日本測地系による
(2)面
積(国土地理院面積)
総 面 積 合 計
464.10 ㎢
田
24.44
畑
2.52
宅
地
35.00
池
沼
0.30
山
林
108.39
原
野
3.76
雑
種
地
13.28
そ
の
他
276.41
※H25.1.1 現在、総務部資産税課課税資料
4
20.6 km
45.6 km
隣
接
地
名
草津市、栗東市
京都市
甲賀市、宇治田原町(京都府)
高島市
3.大津市の変せん
(1)自 治 制
実施年月日
区
分
面 積
(㎢)
人 口
(人)
名 称
所 在 地
明 22.7
町 制 施 行
14.20
28,941
大津町
上京町町役場開設(現札の辻)
〃31. 10. 1
市
14.20
32,446
大津市
〃 市役所開設
大5. 6. 27
市 庁 舎 移 転
〃
橋本町(現浜大津一丁目)
昭3. 10. 13
市 庁 舎 移 転
〃
〃
〃4. 6
都市計画都市に指定
〃
〃
〃7. 5. 10
滋賀郡滋賀村を合併
28.39
42,364
〃
〃
〃8. 4. 1
大津市、滋賀郡膳所町及び同郡石山町を廃し、
その区域をもって新たに大津市を置く
62.48
69,116
〃
〃
〃26. 4. 1
栗太郡大石村、下田上村及び滋賀郡坂本村、下
阪本村、雄琴村を合併
154.50
102,860
〃
〃
〃42. 3. 6
市 庁 舎 移 転
154.50
119,462
〃
〃42. 4. 1
栗太郡瀬田町及び滋賀郡堅田町を合併
303.68
159,442
〃
〃
平 13. 4. 1
特例市となる
302.33
292,447
〃
〃
〃18. 3. 20
滋賀郡志賀町を合併
374.06
323,713
〃
〃
〃21. 4. 1
中核市となる
464.10
334,341
〃
〃
(2)市
制
域
施
行
御
陵
町
年 月 日
面 積
(㎢)
明 31.10. 1
14.20
市制施行
昭 7.5. 10
28.39
滋賀村合併
〃 8. 4. 1
62.48
石山、膳所町合併
〃 26. 4. 1
154.50
雄琴、坂本、下阪本、大石、下田上村合併
〃 36. 4. 1
154.69
公有水面埋立
〃 38. 4. 1
154.81
〃
〃 39. 4. 1
154.82
〃
〃 40. 4.1
154.85
〃
〃 41. 4. 1
154.88
〃
〃 42. 4. 1
303.68
瀬田、堅田町合併
〃 43. 4. 1
303.74
公有水面埋立
〃 44. 4. 1
304.18
〃
〃 47. 2.1
304.21
〃
〃 50. 2. 7
304.22
〃
平 元. 11. 10
302.17
〃 4. 10. 1
302.24
〃 6. 6. 3
302.30
〃 9. 4. 23
302.34
〃 15. 4. 1
302.33
国土地理院公表
〃 18. 3.20
374.06
志賀町合併
〃 19. 9. 28
464.10
琵琶湖の市町境界確定
5
摘
国土地理院公表
〃
公有水面埋立
〃
要
4.人口・世帯数の推移
(1)年 次 別
年 次
世帯数
人
総
数
口
男
女
備
考
明治 31 年
5,826
32,446
15,923
16,523
市制施行
大正9年
7,336
31,456
15,085
16,371
第1回国勢調査
14
7,824
33,779
16,440
17,339
第2回国勢調査
昭和5年
7,816
34,379
16,857
17,522
第3回国勢調査
7
8,328
42,364
-
-
滋賀村合併
8
12,961
69,116
-
-
膳所、石山町合併
10
14,235
71,063
34,593
36,470
第4回国勢調査
15
14,339
67,532
33,054
34,478
第5回国勢調査
22
18,528
81,426
41,243
40,183
第6回国勢調査
25
18,636
85,251
41,843
43,408
第7回国勢調査
26
22,292
102,860
52,381
50,479
雄琴、坂本、下阪本、大石、下田上村合併
30
22,885
107,498
52,121
55,377
第8回国勢調査
35
25,413
113,547
55,294
58,253
第9回国勢調査
40
29,108
121,041
59,486
61,555
第 10 回国勢調査
42
45,901
159,442
77,943
81,499
瀬田、堅田町合併
45
43,966
171,777
83,887
87,890
第 11 回国勢調査
50
52,311
191,481
93,996
97,485
第 12 回国勢調査
55
64,976
215,321
105,890
109,431
第 13 回国勢調査
60
72,012
234,551
115,527
119,024
第 14 回国勢調査
平成2年
82,556
260,018
127,321
132,697
第 15 回国勢調査
7
92,319
276,332
134,971
141,361
第 16 回国勢調査
12
100,949
288,240
140,242
147,998
第 17 回国勢調査
17
111,336
301,672
146,353
155,319
第 18 回国勢調査
18
126,077
327,479
159,235
168,244
志賀町合併
22
130,335
337,634
163,250
174,384
第 19 回国勢調査
23
137,107
338,751
164,152
174,599
4月1日現在
24
138,919
340,339
164,958
175,381
4月1日現在
25
139,783
341,489
165,455
176,034
4月1日現在
6
(2)統 計 区 分
(単位:世帯・人)
平成 17 年 国勢調査
区
分
世帯数
人
総 数
平成 22 年 国勢調査
口
男
女
人
世帯数
総 数
口
男
女
総
数
118,475
323,719
156,881
166,838
130,335
337,634
163,250
174,384
小
木
和
小

伊
香
真
真
野
堅
仰
仰 木 の
仰 木の 里
雄
日
吉
坂
下
阪
唐
滋
山 中比 叡
藤
長
逢
中
平
膳
富
士
晴
石
南
大
田
上
田
青
瀬
瀬
田
瀬
田
瀬
田
松
戸
邇
野
川
立
野
北
田
木
里
東
琴
台
本
本
崎
賀
平
尾
等
坂
央
野
所
見
嵐
山
郷
石
上
上
山
田
南
東
北
1,274
1,262
2,825
1,778
154
752
2,260
2,711
6,429
683
1,535
1,382
2,556
1,530
3,545
3,135
5,660
5,766
1,099
2,269
4,738
3,374
1,917
5,170
6,824
3,861
6,307
4,355
3,399
1,640
3,722
708
2,011
4,483
5,210
5,673
6,478
3,953
4,170
8,852
5,072
346
2,714
6,871
7,819
17,378
2,515
4,894
4,392
6,742
4,378
10,091
8,971
15,596
15,328
3,024
5,727
11,254
8,686
4,276
13,237
17,187
10,799
15,918
11,886
9,696
5,430
11,714
2,400
6,972
11,289
14,318
14,320
15,504
1,911
1,987
4,236
2,394
157
1,281
3,275
3,689
8,517
1,176
2,354
2,114
3,329
2,045
4,854
4,374
7,429
7,400
1,426
2,813
5,460
4,034
1,983
6,254
8,186
5,389
7,681
6,084
4,628
2,639
5,723
1,138
3,412
5,735
6,899
7,131
7,744
2,042
2,183
4,616
2,678
189
1,433
3,596
4,130
8,861
1,339
2,540
2,278
3,413
2,333
5,237
4,597
8,167
7,928
1,598
2,914
5,794
4,652
2,293
6,983
9,001
5,410
8,237
5,802
5,068
2,791
5,991
1,262
3,560
5,554
7,419
7,189
7,760
1,449
1,474
3,046
1,789
136
746
2,516
2,781
7,135
677
1,562
1,655
3,002
1,524
3,661
3,573
6,059
6,624
1,148
2,387
6,019
3,514
2,329
5,782
7,300
3,931
7,065
4,664
3,499
1,666
3,816
732
2,656
5,164
5,705
6,183
7,366
4,166
4,385
9,007
4,803
286
2,531
7,323
7,297
17,716
2,298
4,562
5,071
7,908
4,007
10,050
9,716
16,096
16,493
3,014
5,716
13,573
8,622
4,665
14,131
17,688
10,577
16,863
11,968
9,384
5,276
11,177
2,252
9,112
12,885
15,005
14,766
17,245
1,976
2,098
4,349
2,257
123
1,198
3,506
3,484
8,678
1,107
2,151
2,463
3,831
1,855
4,784
4,764
7,740
7,957
1,407
2,826
6,521
3,975
2,185
6,654
8,425
5,261
8,157
6,034
4,507
2,539
5,453
1,058
4,423
6,428
7,215
7,333
8,528
2,190
2,287
4,658
2,546
163
1,333
3,817
3,813
9,038
1,191
2,411
2,608
4,077
2,152
5,266
4,952
8,356
8,536
1,607
2,890
7,052
4,647
2,480
7,477
9,263
5,316
8,706
5,934
4,877
2,737
5,724
1,194
4,689
6,457
7,790
7,433
8,717
※1.統計区と学区とは、必ずしも一致しない。
2.国勢調査の世帯の概念と住民基本台帳の世帯の概念は相違している。
資料:政策調整部 市政情報課
7
5.都市宣言
(1)大津国際文化観光都市建設に関する決議
天智天皇が志賀に大津宮を奠められてから、わが大津市は、歴史的、文化的、観光的に重要なる地位を有
し、麗湖琵琶の景勝と共に、京都、奈良に比肩する文化観光資源保有市であることにかんがみ、国際文化の
向上を図り、世界恒久平和の理想達成に資し、文化観光資源の維持開発及び文化観光施設の充実によって、
わが国の経済復興に寄与するため、将来国策たる近畿観光圏建設の一翼を担うため、大津市を国際文化観光
都市として推進することを大津市議会は満場一致をもって宣言する。
右決議する。
昭和 33 年3月 11 日
大 津 市 議 会
(2)公明選挙都市宣言に関する決議
選挙は民主政治の基礎であり、民主政治の健全な発展のためには選挙が公明かつ適正に行わなければなら
ない。
ゆえにわれわれは公明選挙を確立するため、市民のすべての希望と熱意を結集してこれが実現を期するよ
う努力する。
よって本議会は、満場一致の議決をもって公明選挙都市たることを宣言する。
右決議する。
昭和 38 年3月 22 日
大 津 市 議 会
(3)勤労環境整備健康都市宣言に関する決議
市制施行以来ここに 66 年、わが大津市が現在近代都市建設への途を力強く前進しつつあるゆえんのもの
は、域内産業の生産性向上にもとづく発展がその大いなる力をなしていることにかんがみ、その中核をなす
ところの勤労市民の生活環境の整備・改善をはかることは市政上最も緊要なる課題である。それらの市民に
対し各種住宅の増設、公営の福祉施設の整備、青少年の非行防止ならびに健全娯楽指導対策の実施、保健、
公衆衛生の増進、社会保障施策の充実、中小企業に対する適切なる指導、労働災害及び公害の防止などをは
かりもって産業と生活との均衡を回復し、健康にして文化的なる市民生活をいとなみ得る施策を実現するた
め、わが大津市を勤労環境整備健康都市として推進することを大津市議会は満場一致をもって宣言する。
右決議する。
昭和 39 年 11 月7日
大 津 市 議 会
(4)交通安全都市宣言
わたくしたちの大津市は、京阪神、中京、北陸の三経済圏のかなめにあって、近時、産業文化の著しい進
展に伴い、市勢は飛躍的な発展をみつつあるのである。
しかしながら他方、これに伴い、自動車交通量の異常なまでの激増は、交通戦争の様相をますます高め、
交通事故による災害は日々増加の傾向にあることは、真に遺憾にたえないところである。
このため、従来からそれぞれの分野において適切な対策を講ぜられてきたのであるが、更に交通事故の絶
滅を強力に推進するため、市民総ぐるみの運動として、交通安全意識の高揚をはかり、交通の安全を確保す
る必要があるものと確信する。ここに本市は、あらゆる組織と機能を結集し、真に健康で明るく住みよい「大
津市のまちづくり」にまい進するため、市民の総意にもとづき大津市を「交通安全都市」とすることを宣言
する。
昭和 40 年9月 30 日
大 津 市 議 会
8
(5)青少年健全育成都市宣言
近時青少年の非行が、急激に増加しつつあることは誠に憂慮にたえない。
地域社会が発展するか否かは、青少年が明るく正しく成長するかどうかにかかっている。
わが大津市議会は、さきに勤労環境整備健康都市たることを宣言し、健康にして文化的な市民生活を営み
得る施策を推進しつつある現在、青少年の健全な育成はわれわれの重大なる責任といわねばならない。
われわれはこの責任の重大さを痛感し次代を担う青少年が健やかで、強くたくましい心身を育て、将来に
向って大きな夢を描き、明るい町づくりに励むよう、市民の総力を結集して強力な施策を全市的に推進する
ためにここに「青少年健全育成都市」たることを宣言する。
昭和 41 年6月 18 日
大 津 市 議 会
(6)世界連邦平和都市宣言に関する決議
戦争を防止し、地上に原水爆のおそれのない恒久平和を実現することは、今や全人類の悲願である。
大津市は日本国憲法を貫く平和精神に則り、世界連邦建設の趣旨に賛同し、全世界の人々と共に人類永遠
の平和確立のため、努力することを宣言する。
昭和 44 年3月 20 日
大 津 市 議 会
(7)ふるさと都市宣言に関する決議
近年、わたくしたちの郷土、大津にもまちづくりを進める上で、憂慮すべき現象がいくつか現れてきてい
る。
身近な自然が壊され、固有の歴史既が失われつつある。
人口が急増する中で、いつの時代にあっても、まちづくりの主役は市民であるという認識に立って、市民
自治意識の高揚をさらに図りつつ、わたくしたち大津のまちを人間性あふれる自然と文化の共存するまちに
したい。
心のふれあう、にぎわいと風格のあるまちにしたい。
このようなイメージを持つまちこそが、わたくしたちの願うふるさと像である。
本年は、わたくしたちのまちが市制をしいて 85 周年にあたる意義ある年である。
この記念する年にあたり、市民一人ひとりがこのようなまちの創造を共通のテーマとし、愛する郷土を“大
津に住んで本当によかった”とだれもが実感できるような、個性豊かな「ふるさと都市」として築き上げる
ことを決意し、ここに大津市議会の名において宣言する。
昭和 58 年9月 20 日
大 津 市 議 会
(8)「ふるさと都市大津」恒久平和都市宣言に関する決議
世界の恒久平和は、人類共通の願いである。
わたくしたちは、
「ふるさと都市大津」の豊かな自然と古来からの香り高い文化にはぐくまれ、日々平和を
享有している。
この平和を恒久のものとするため、世界唯一の核被爆国の国民として、全世界の人々に被爆の恐ろしさ、
苦しみを訴え、その惨禍を二度と繰り返してはならない。
大津市は、世界平和を願い、積極的に国際交流をはかり、外国諸都市との友好関係を深めてきている。わ
たくしたちは恒久平和の実現を願い、国是である非核三原則を堅持し、世界連邦平和都市宣言とともに核兵
器廃絶をめざし、核戦争防止を強く訴え、ここに「ふるさと都市大津」恒久平和都市を宣言する。
昭和 62 年6月 17 日
大 津 市 議 会
9
(9)交通安全教育都市宣言に関する決議
交通事故を無くすることは、市民すべての願いである。
大津市は、昭和 40 年市民の悲願をこめて「交通安全都市」を宣言したが、今なお悲惨な事故はあとをたた
ず、ますます多発化の傾向にあることは真に憂慮すべきことである。
大津市は、人命の尊重を基本理念として、市民の生命の安全確保を図るための交通安全施策の整備に万全
を期するとともに、今こそモラルの高揚と交通安全教育の徹底を図ることが最大の責務である。
ここに新たな決意をもって交通事故の絶滅を期するため、交通安全教育都市を宣言する。
昭和 62 年6月 17 日
大 津 市 議 会
(10)ひとが輝く男女共同参画都市宣言に関する決議
今、社会のあらゆる分野における活動に男性と女性が共に参画し、喜びも責任も分かち合う男女共同参画
社会の実現が求められている。
男女共同参画社会とは、男女が社会の対等な構成員として、自らの意志によって社会のあらゆる分野にお
ける活動に参画する機会が確保され、もって男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受す
ることができ、かつ、共に責任を担うべき社会である。
女性の社会参画が進む中、男女共同参画社会の形成は、大津市がめざす「ひとが輝くふるさと都市大津」
の実現に向け一層重要なものとなってきた。
わたくしたちは、社会の変化に的確に対応し、互いの人権や人格を尊重して、男女双方の信頼と協力のも
とに生き生きとした湖都づくりを進め、一人ひとりがその担い手であることを意識し、連帯感をもって地域
社会を創りあげる必要がある。
ここに、すべての市民が平和で暮らしやすい 21 世紀の大津を築いていくため、
「ひとが輝く男女共同参画
都市」となることを宣言する。
平成 10 年9月 22 日
大 津 市 議 会
6.名誉市民
「本市市民または本市に縁故の深い者で、公共の福祉を増進し、または学術技芸の進展に寄与し、もって
ひろく社会の進歩発展に貢献し、市民の尊敬の的と仰がれる者には、この条例の定めるところにより大津市
名誉市民の称号を贈り、その栄誉を表彰する」
(大津市名誉市民条例第1条)と規定されている。大津市で
は昭和 33 年3月に本条例を施行して以来、10 人の方々が表彰されている。
堤
康次郎 氏
昭和 33 年 10 月1日表彰
明治 22 年3月7日生
昭和 39 年4月 26 日死去
業 績
政財界における豊かな経験と識見により、常に指導と援助を惜しまれず、殊に本市が国際文化観
光都市を標榜するや特に積極的に関心をよせられ、その基盤の確立に果たされた功績は誠に大で
ある。
辛 島 浅 彦 氏
昭和 33 年 10 月1日表彰
明治 15 年7月 17 日生
昭和 40 年 10 月 15 日死去
業 績
昭和2年4月、石山に誘致された東洋レーヨン滋賀工場の創設にあたり、初代工場長として創設
期における幾多の苦難をのり越え、卓見と強靭なる実行力をもって、遂に今日隆昌の基盤を確立
させ、本市南部商工業地帯の開発の先駆をなし、本市発展の一大原動力となっている時、同工場
の生みの親としての氏が残された業績は誠に大である。
10
竹内 角左衛門 氏
昭和 33 年 10 月1日表彰
明治 12 年5月 25 日生
昭和 50 年8月5日死去
業 績
大正4年に職を弁護士に奉じて以来、県市にわたり社会福祉問題や戦後未曽有の混乱期における
労使間の調停など民生安定と社会福祉の振興に、また県弁護士会長として県下法曹界の重鎮とし
て残された幾多の業績は誠に大である。
上 原 茂 次 氏
昭和 45 年 10 月1日表彰
明治 26 年 11 月 28 日生
昭和 46 年5月 28 日死去
業 績
昭和2年、34 歳にして政界に入り、住民自治の育成とその発展のために精進し、大津市長になっ
て 12 年間、
その豊富な経験と高邁な識見と加うるに卓越した行政手腕をもって今日の市の基盤を
築かれた功績は誠に大である。
西 田 善 一 氏
昭和 56 年4月 20 日表彰
明治 41 年8月1日生
昭和 56 年4月 25 日死去
業 績
昭和 26 年に政界入りし、昭和 39 年から8年間は大津市長として市議、県議の豊富な経験を生か
し行政の推進に献身され、退任後においても、商工、観光、福祉、体育面等の指導的要職につき、
市政発展のために尽力された功績は誠に大である。
小 倉 遊 亀 氏
昭和 56 年4月 20 日表彰
明治 28 年3月1日生
平成 12 年7月 23 日死去
業 績
昭和 7 年に女性として初の日本美術院同人となり、昭和 37 年に芸術院賞を受賞、昭和 55 年には
女性としては 3 人目となる文化勲章を授与されるなど、日本を代表する女流画家として、生誕地
大津の存在を内外に再認識させるとともに、市民に多大なる文化的啓発を与えた功績は誠に大で
ある。
守 田 厚 子 氏
平成5年 10 月1日表彰
明治 35 年8月 12 日生
平成 16 年 10 月1日死去
業 績
昭和 21 年9月に滋賀県遺族会、
昭和 23 年8月には全国に先駆けて大津市未亡人会を結成された。
以降、滋賀県の母子福祉の向上と就労の場の確保に献身努力される一方、昭和 57 年には全国母子
寡婦福祉団体の会長に就任され、女性の地位向上と社会参加に尽力された功績は誠に大である。
山 田 耕三郎 氏
平成5年 10 月1日表彰
大正6年1月 15 日生
平成 24 年9月 22 日死去
業 績
昭和 47 年9月に大津市長に当選され、
「福祉は行政の原点」との信念のもと2期8年の在任期間
中、卓越した行政手腕を発揮し、大津市発展の基礎を築かれた。さらに昭和 55 年、参議院議員に
当選、長年の経験を生かして福祉の向上と地方自治の確立に尽力された功績は誠に大である。
山 下 元 利 氏
平成6年3月 14 日表彰
大正 10 年2月 22 日生
平成6年3月 14 日死去
業 績
昭和 42 年1月に初当選し、以来、連続して 10 期 27 年にわたり衆議院議員として活躍。この間、
内閣官房副長官、防衛庁長官に就任され、国政の重要な役割を担い日本の発展に貢献された。氏
は特に琵琶湖総開発特別措置法の制定をはじめ大戸川ダム建設、京滋・西大津バイパス建設及び
なぎさ公園等の諸事業にも惜しまぬ指導と援助をいただき、今日、近畿の中核都市としての大津
市発展のために尽くされた功績は誠に大である。
11
山 田 豊三郎 氏
平成 16 年4月 21 日表彰
大正 11 年 10 月 13 日生
平成 21 年7月 18 日死去
業 績
昭和 47 年に大津市助役に就任、昭和 55 年6月には第 21 代大津市長に当選され、在任中は「市
民の心を心とする市政」を信条とし「人間性の尊重」
「市民自治の確立」
「環境の保全と創造」の
基本理念のもと、23 年6か月にわたり、県都として、また近畿の中核都市として着実な発展に尽
くされた功績は誠に大である。
7.姉妹都市
(1)LANSING(ランシング市)
―アメリカ合衆国・ミシガン州―
姉妹都市提携/昭和 44 年(1969 年)10 月1日
〈概
要〉
・人 口
約 114,000 人
・面 積
87.9 ㎢
カナダとの国境に位置するミシガン州の州都。
ミシガン湖とヒューロン湖に挟まれたロアー半島の南側にある。
自然に恵まれた州の政治、経済、文化の中心地であり、自動車工業をはじめ、世界的大企業を有す
る工業都市である。
〈提携までの経過〉
アメリカ合衆国とカナダの国境にある五大湖の一つ、ミシガン湖を持つミシガン州と日本一の琵琶
湖を有する滋賀県との姉妹提携調印(1968 年 11 月 14 日)のため渡米した野崎知事に、ランシング市
長あての大津市からの親書を託したところ、調印の際に両州県知事の交歓の中で、州都であるランシ
ング市と県都・大津市との姉妹都市提携が話題となった。
これを契機として、都市的事情の類似している両市が、経済、文化、青少年などの交流を目的とし
て、昭和 44 年 10 月1日の大津市制記念日に両市長間の国際電話をもって正式に姉妹都市提携した。
(2)INTERLAKEN(インターラーケン市)
―スイス連邦・ベルン州―
姉妹都市提携/昭和 53 年(1978 年)10 月1日
〈概
要〉
・人 口
約 6,000 人
・面 積
4.4 ㎢
スイスのほぼ中央部に位置する世界有数の観光都市。
ブリエンツ湖とツーン湖の間にあって、海抜 4,158mの雄峰ユングフラウヘの登山鉄道の起点とな
っている。
周辺に点在する古城は、中世を彷彿とさせる面影をとどめている。
〈提携までの経過〉
1976 年(昭和 51 年)8月、インターラーケン市において開かれた茶会をきっかけとして、両市民
の間で心の触れ合いが芽ばえた。
両市は、地理的条件等においても共通点が多くみられることから、両市民間の相互理解による様々
な交流を通じ、双方の友好関係が深まることを期して、大津市制 80 周年記念日(昭和 53 年 10 月1
日)に大津市民会館でインターラーケン市の親善使節団を迎え、姉妹都市提携を行った。
(3)WURZBURG(ヴュルツブルク市)
―ドイツ連邦共和国・バイエルン州―
姉妹都市宣言/昭和 54 年(1979 年)2月 13 日
〈概
要〉
・人 口
約 133,000 人
12
・面 積
87.7 ㎢
ドイツ南部に位置する、マイン河沿いの美しい都市。
州の政治、経済、教育、文化などの中心地で、ヴュルツブルク大学では、有名な医師シーボルト、
Ⅹ線を発見したレントゲンらも学んでいる。
ぶどうの生産を中心とした農業が盛んな「フランケンワイン」の産地であり、ロマンティック街道
の起点としても有名である。
〈提携までの経過〉
ヴュルツブルクの生んだ詩人マクス・ダウテイダイ(1867~1918)の名作「琵琶湖八景」
(
“Die acht
Gesichter am Biwasee”
)の縁もあり、相互に友好親善関係を深めることを期して、昭和 54 年 2 月 13
日にヴュルツブルク市のクラウス・ツァイトラー市長を迎えて姉妹都市提携を行った。
(4)GUMI (亀尾市)
―大韓民国・慶尚北道―
姉妹都市提携/平成2年(1990 年)4月 12 日
〈概
要〉
・人 口
約 420,000 人
・面 積
616 ㎢
韓国の中央部にある内陸都市であり、市内を鉄道、国道、高速道が走る交通の要衝でもある。
市内には巨大な工業地域が広がり、電子、繊維、半導体を中心とする先端技術産業都市として飛躍
的な発展を遂げている。
豊かな観光資源にも恵まれており、金鳥山道立公園をはじめ、天生山城や洛東書院、さらには故朴
正熙大統領の生家などには、多くの観光客が訪れる。
〈提携までの経過〉
昭和 61 年の大津市、亀尾市両商工会議所の姉妹提携を契機として交流を深め、経済・スポーツ等の
分野で相互訪問を重ねた。
その後、亀尾市から姉妹都市提携の申し出を受けるなかで、平成元年 10 月には大津市から訪問団
を派遣し、同年 11 月には、徐相殷市長一行が来津されるなど、両市友好の絆が深まったことから、
平成2年4月 12 日の姉妹都市締結に至った。
8.友好都市
MUDANJIANG(牡丹江市)
―中華人民共和国・黒龍江省―
友好都市提携/昭和 59 年(1984 年)12 月3日
〈概
要〉
・人 口
約 2,800,000 人
・面 積
40,600 ㎢
ロシアと国境を接する黒龍江省東南部に位置する農業及び軽工業都市であり、東北地方の鉄道、道
路交通の要地でもある。
松花江の二番目に大きな支流である牡丹江が町を迂回して流れ、周囲は山に囲まれた風光明媚な地
であることから、
「北国の江南」とよばれている。
〈提携までの経過〉
川と湖に恵まれた「水の都」牡丹江市は観光地としても名高く、両国でそれぞれ有名な湖である琵
琶湖と鏡泊湖を有する縁で、双方の友好関係を更に深めることを期して、訪問団の相互派遣を経て、
昭和 59 年 12 月3日に牡丹江市の訾 章市長を迎えて友好都市の締結がなされたものである。
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