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束京歯科大学 - 東京歯科大学同窓会

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束京歯科大学 - 東京歯科大学同窓会
束京歯科大学
同窓会会報
第1
6
3号
1975年 2 月
東京歯科大学同窓会報 1
6
3号
目 次
巻頭言...
お知らせ...
.
.
.
.
.
…
ー
・
ー ………・・・………・一...
.
.
2
松宮副学長学術会議会員当選に当って一……… 3
新年交歓会ー ー………
…・・………・・…・…・・…… 3
本部短信……一...
.
..
.
.
.
.
.
.
.
.
・
・
・
・ ・・
… ・… 4
H
H
逝去会員 ー ・…………・…………………・ー・・… .
5
上回教授最終講義一
・……ぃ…………… .
.
.
6
母校だより ・
…
・
・ ……………・………・ ・
・
… …・… 7
会員 ・ 母校史料一…………・ ー… ……一… 8~9
父兄会連絡懇談会ー・………………………ー…… 1
0
進学準備夏季セミナ ー……………………・・・一
1
1
支部のうときー………・…-… - …・………… 12 ~ 15
同窓の皆さんへ(その 1)
一一大学病院より… .
.
.1
5
クラス会だより ・・・・・ ・ … ... .................. .. .... 16 ~2 2
すいどうばし-……・・……-……… ・ …・・… 23~32
よろず告知板 ・へんしゅうこうき…………ー… 3
3
編 集 委 員 伊 丹一男 ・中 久 喜 喬 ・梅田昭夫 ・中村泰之 ・山本啓介 ・桜井善忠 ・倉橋和啓
(表紙 ・カット
菊池豊)
年頭
、
.
・
、
ー
挨拶
真
井上
護みて ,新年のと挨拶を申し上げま す。
昨年は,インフレ,物価高に明け暮れた年でありまし
たが,漸く乗り切り,今日親愛なる同窓諸兄とご一緒
に,新春のと挨拶を交す事が出来ますのは,誠にと同慶
至極であります。
昨年の今日,此の場所に於て,私は緑の運動を I
手びか
(
会 長)
70
周年の記念行事が盛大に行われているのであります。
現執行部と致しましても,昨年 9月. 80周年記念研究委
員会を設け鋭意研究に当っております。
私は此の 80年を記念して
o基金募集ミの一大キャ
γ
ベンを打ち立て度いと思います。大正 8年 10月,血脇守
之助先生は,私財である三崎町の土地,建物,器材,設
けましたが,皆様のと協力を得て多大の資金が集まりま
備等一切を学校に寄付せられ,当時の価額で45万或は 50
した。全国殆んどの支部は申すに及ぱず,個人として,
万と称せられた。そして一般から 50万の寄付金を募集,
鹿島理事長,関根学長,松宮副学長を始め.多数の皆様
約 100万円の財団を作られま した事は諸氏のと承知の通
の高額のと芳志を頂きました。有難く厚く御礼申し上げ
りであります。其の時から本校の拡充計画は,主なる財
ます。尚,この資金集めは,今後も続けて参りますから
源を同窓の苦手附に依存するといふ不文律のノレーノレが出来
よろしくお即応、申し上げます。
たので‘あります。
顧みますれば,昨年は新春より ,臼歯役員改選問題に
忙殺され,西に往き東に走り席の暖まる聞もない程でし
た
。 3月,新執行部が発足し東歯側より副会長を始め
6人の方が新執行部にはいられたのであります。
稲毛地区に於ける,大学建設のマスタープランも. 3
~4 月頃には出来上ります。
今日 ,母校の拡充に直接貢献している同窓は,僅かに
子弟を母校に入学させている父兄に過ぎません。残る幾
3月末,新進気鋭の 1
6
0有余名の新入会員を迎えまし
千の同窓は,いわば手あきであり,受益者負担の原則の
た
。 7月の参院選挙は破れましたが,これには色々の原
みでは通用しないと思います。吾等 8.0∞の同窓は,今
因があったと思います。 8月には第 2回目の同窓子弟の
日の狂乱インフレにも堪えて,不自由なき生活を享受す
母校入学夏季セミナーを開催,応募者 130余名にのぼり
る事の出来る,歯科医業に携っている事を感謝し,母校
ました。 9月 1
0日,前同窓会長福島先生のと逝去 .10
月
の拡充計画に対し,基金応募の一大キャンベンに参加し
2日大学葬の礼を以って先生をお送りしました。
て頂き度いのであります。
1
1月 1
1日,ゴルフ大会の終りました夕方遂に,鹿島俊
昨年 1
2月,三木内閣の誕生,国民は此の新内閣に対し
雄郵政大臣誕生,歯科界から初の大臣が就任されたので・
期待する事極めて大なるものがあります。従って国会の
あります。同 25日には,松宮副学長の日本学術会議会員
閑散も,余り遠くない様な気がします,同窓井上裕氏
2月 9日,回中内閣の総辞退。
と当選.1
も,虎視院々,準備 OK. 再出馬のチャンスを狙ってい
以上は過去 1ヶ年に於ける主な出来事でありますが,
今希望に満ちた新春を迎えるに当り,過去を反省し,他
方新しい歳に備えなければなりません。
1975年,昭和50
年は恰も同窓会創立80周年に当るので
あります。
年. 50年. 60年,並に
同窓会に於きましては,過去30
ます。今度こそ全同窓一致団結して衆議院へ送ろうでは
ありませんか。
吾等の合言葉,参議院に鹿島あり ,衆議院に井上あり
の実現を期そうではありませんか。
年の新春に当
一年の計は元旦にあり。希望に満ちた 50
札一言申し上げて新年のご挨拶と致します。
1
ー
土 でー お 知 ら せ
ところ :千葉袖ケ浦カント リークラブ
-第 80回東京歯科大学卒業証書授与式
昭和50年 3月25日 (火〉午後 1時 30分
4
砂第 25回東京歯科大学歯科衛生士学校卒業 証書授
・昭和 50年度同窓会評議員会・総会ならびに同窓
会創立80周年記念式典・祝賀会
1月15日(土〉午前 9時
昭和50年 1
与式
昭和50年 3月30日(日〉 午後 l時
於 東 京 プ リ ン ス ホ テル
・第 194回東京歯科大学学会例会
昭和50年 6月21日(土〉午前 9時
午後 7時
評議員会,鹿島 ・井上後援会,式典,祝賀会
午後 5時
・昭和 50年度進学準備夏季セミナー
同
16日(日〉
午後 1 時 ~5 時
総会,記念講演会
とき:昭和50年 8 月 2 日(土)~ 17 日 (日)
ところ:赤坂プリンスホテル
於 野 口記念会館ホ ール
なお,詳細は次号で、 C案内いたします。万障
1頁をと覧下さい。
なお,詳細は本号1
・第 4回同窓会会国ゴルフ大会
お繰り合わせのうえ,多数会員のと参加をお待
ちしております。
と き : 昭 和50年 1
1月14日 (金〉
-東京歯科大学稲毛校地緑化運動
母校稲毛キャ
γ パス緑化運動に就ては,度々会報に掲載いたしましたが,本年 4月,稲毛歯科診療
所開設と相まって,いよいよ同窓各位の C協力が切望されます。既報分を含め,下記諸氏より C寄附
を戴いておりますので、御礼かたがたと報告します。
総会出席者一同
塩見寿二氏
函館支部
1
0
0,
0
0
0円
1
0
0,
0
0
0円
1
6,
000円
2
0,
000円
2
6,
000円
2
6,
000円
2
6,
000円
9,
000円
2
,
10
00円
2
2,
000円
大村太子二 氏
,
1
∞0∞
円
東京臨床矯正研究所
1
0
0,
0
0
0円
ロ
2
0,
0∞円
1
5,
000円
り
川
玉川支部
1
0
0,
000円
∞
,
1
1,
0∞円
6
0,
0
∞円
2
8,
0
∞円
1
5
8,
000円
6
7,
000円
1
0
0,
000円
5
7,
000円
5
0,
00
0円
5
0,
000円
70,
000円
6
,
10
00円
1
5,
000円
合日
足立区支部
滝野川支部
練馬区支部
小田原,足柄上・下地区有志
高知県支部
北 見支部
香 川県 支 部
下谷支部
,
l
∞000円
1
0
0,
0∞円
1
0
0 o
円
7,
0
0
0円
1
0
0,
0
0
0円
1
1,
000円
氏
齢在
松宮副学長
高原寛五氏
中国四国支部連合会
2
0
0,
000円
1
00,
000円
1
0
0,
000円
1
0
0,
000円
1
0
0,
0∞円
氏
氏
武部部氏部部部氏部会現
鹿島学校法人理事長
関 根 学 長
1
1
0,
0
∞円
45,
0
∞円
会盛康部齢支支秀支支支作支部部部連部支会会末
英部月
ず 国 喜 支 ・摩 県 長 県 県 県 源 県 支 支 支 支 県
雄支域ムハ期年
す 川川 東喜多縄井口木阜口田信森地郷森
沢畿和
い有有城鮎西沖、氷山栃岐沢秋南大芝近本青十一昭
東遊会有志
京北歯科同窓会有志
井 上同窓会長
天,心会卒業35周年記念
1
9
7,
0∞円
部
,
1
∞000円
合計
1
0
0,
0∞円
2,
959,
0
0
0円
緑に固まれた診療所,校舎の建設が夢で ない日が参ります。緑化資金は ,各支部で集められ, 同窓
会本部へと送金下 さい。
なお金額は 1 ロ1,
000円と致します。会員 1人あて 1 口以上,多ければ多いほど幸です。
2
〉
松宮副学長,日 本学術会議会員当選に当っ て
東京歯科大学学会会長関根永滋
東京歯科大学同窓会 会 長 井 上
真
第1
0
期日本学術会員選挙に当りましては,東京
3名の歯学代表を学術会議に送り出すことができ
歯科大学学会および同窓会が協力し,わが松宮誠
たわけで,本学はもと より,全歯学界の一層の発
展のため,まことと同慶の至りに存じます。これ
一副学長を候補者として推薦致しました所,会員
の皆様のと厚意あふれると支援により,ここにめ
一重に,本学学会および同窓会一致協力による組
で、たく,同副学長の再選をかち取ることができま
織的活動と,会員各位のと理解あると協力の賜と,
した。これにより ,定員 2名のところを,実質上
ここに厚くお礼申し上げる次第でございます。
「日
、
ー
ー
挨
拶
今般第 1
0
期学術会議会員選挙に際しま して,東京歯科大学学会 ,同じく同窓会のと推薦を得て立
候補致 しました所,ほぽ期待通りの成績を収めて当選することができました。これ一重に会員の皆
様の熱誠あふれると支援の賜と存じ ,ここに厚くお礼申し上げます。この上は従前の実績を充分に
活か し,歯学の発展のためさらに尽力する覚悟であります。会員 の皆様の一層のと理解をお願い し
当選のご挨拶に代えさせていただきます。
昭和 4
9年 1
2月
言
葉1
F
込官額松宮誠一
恒例の新年交歓会開催さる
同窓会の昭和5
0
年の幕明けは ,元 E恒例の新年
能わず,心な しか一
交歓会に始まつた
会は午後 2時より第 1教室に於いて中屋敷母校
抹の寂 しさを感じな
いでもなかった。
事務部長の司会でで、
開{催雀された。快晴には恵まれな
かったが,幸い雨も降らず,この交歓会には必ず
出席なさるお馴じみの顔が揃い ,先ず,鹿島理事
長,関根学長,井上同窓会長より年頭に当つての
ご抱負を伺った。また,本年は児玉父兄会長のご
挨拶も加わった。
次いで ,入江義次先生の乾盃の音頭で,母校の
発展と全会員の健康と発展を祈念 して,懇親会に
移った。会場はまことになごやかで ,そこここで
老若相交えての楽 しげな歓談が続いた。でも今年
は,もはや,福島秀策先生のお姿に接するすべも
3
一一二 本 部 短 信
1
2月1
2日 父兄会懇親会 井上会長出張
1
2月1
2日 丸 ノ 内 支 部 総 会 井 上 会 長 出 張
1
2月1
8日 下谷 ・浅草支部合同懇親会 山本副
行事・役員出張・その他
9年
昭和4
1
1月2
9日 鹿 島 郵 政 大 臣 を 励 ま す 会 於 高 輪 プ
リンスホテル
1
1月3
0日 六歯科大学連合同窓会(鹿島氏を励
ます会〉
1
1月3
0日
1
2月 1日
1
2月 7日
1
2月 7日
会長出張
昭和 5
0
年
1月 1日 新年交歓会
1月1
1日 大学支部総会 井上会長 ・清藤副会
長出張
大森支部総会清藤副会長出張
栃木県支部総会井上会長出張
愛知県連合支部総会井上会長出張
関東地域支部長会 清藤副会長 ・堤
理事出張
1月1
7日 共済部打合会
1月1
7日 千 代 田 支 部 新 年 会 井 上 会 長出張
1月21日 会報編集委員会
1月2
2日 理 事 会
1月2
3日 合同学術委員会
1月2
5日 京北歯科同窓会新年会 山本副会長
1
2月 8日 千 葉 県 支 部 総 会 早 速 ・吉田理事出
張
1
2月 8日 会報編集委員会
0日 四 校 会 談 清 藤 副 会 長 ・安嶋 ・村越
1
2月1
-熱田各理事出張
1
2月1
2日 日本橋支部総会 井上会長 ・阿保理
事出張
1
2月1
2日 城北連合支部総会
出張
1月2
7日 芝 支 部 総 会 井 上 会 長 出 張
山根理事出張
同窓会創立8
0周年祝賀会
へのお誘い.ク
2. 支部長交替
荒川区支部
鳥取県支部
大森支部
島根県支部
2
0・
9
卒安保稔
田本博猛
1
6
卒
2
6
卒
瀬川克己
1
4
卒石田秋二郎
東京フ。リンス,1¥テJレ
東 京 都 港 区 芝 公 園 3-3- 1 〒 1
0
5TEL 東 京 (
03)
434-4221
(大代)
を盛大なものにしたし、と存じます。
皆々様のご出席をお待ちいたしま
す
。
尚,詳細は次号でお知らせいたしま
す
。
FOA INTERNATIONAL AIRPORT
歪 車軍国限空理
A
出席を得て,記念すべき式典と祝賀会
旺
をお組み願い,当日は多数の会員のご
S
クラス会などもこの日を避けて日程
r
v倒
とになりまし T
こ
。
Tl
テル大宴会場で、記念の祝賀会を行うこ
Aリ
岨メ
スホテルで‘挙行し,午後 6時から同ホ
Y大
後援会. 8
0
周年記念式典を東京プリン
田
ヵ
日ア
1月1
5日(土〉
「お知らせ」の通り .1
は午前 9時より評議員会,鹿島 ・井上
u
.
本年はわが伝統ある母校同窓会の創
立8
0周年に当ります。本 2号ページ
4
1月 1日付
1月 1日付
1月 l日付
1月 1日付
逝去会員
下記の会員が逝去されました。 ここに謹んで哀悼の意を表し
心から御冥福をお祈り申し上げます。
推
薦
工藤盛勝
8
7歳
腸
癌
4
9
.
11
.1
3
兵庫県支部
干6
5
0 神戸市生田区江戸町89-1
推
三浦宗一
老
衰
4
9.
1
1
.1
5
淀橋支部
8
1歳
干1
6
0 新宿区戸塚町 1-567
明 4
4卒
横山省三
老
衰
4
9
.
11
.2
1
宮城県支部
8
5
歳
〒9
8
0 仙台市燕沢住宅7
5
推
阿部常吉
8
3歳
〒3
6
7 本庄市七軒町 13-4
動脈硬化症
4
9
.
11
.2
1
薦
薦
埼玉県支部
大
1
3卒
小山有美
7
3歳
道行三代治
7
3歳
4
9
.
1
1
.
2
3
メキシコ
推
薦
兵庫県支部
大
3 卒
兵庫県支部
大
7 卒
岐阜県支部
8
3歳
老
干6
5
4神戸市須磨区 1の谷町 4-2-22
民部雄太郎
北村清二
7
7歳
医学校
ニ宅
岡山県支部
推
薦
板橋区支部
昭
2 卒
広島県支部
推
薦
茨城県支部
推
薦
大森支部
4
9
.
1
0
.6
表
4
9
.7
.
3
0
1
市
気
E
金
4
9
.
1
2
.
1
1
〒5
0
3 大垣市南頬町 2-1
2
5
和歌山県支部
1
2卒
表
干6
5
2 神戸市兵庫区下沢通 5-4-12
7
5歳
〒6
4
7 新宮市新町通7
7
9
9
大
老
山路
4
9
.
1
2
.
1
2
麓
7
3歳
〒7
0
6
0
3 玉野市山田 3
1
7
6
舜
脳軟化症
4
9
.
1
2
.
1
9
6
5歳
〒1
7
4 板橋区坂下 2-26
-22
関谷祐視
中村儀兵衛
4
9
.
11
.1
8
4
9
.
1
2
.
2
9
7
1歳
干7
3
0 広島市大平町 5-4-14
久保田
勇
4
9
.
1
2
.
3
0
8
0
歳
干3
1
9
1
5 北茨城市磯原町3
6
7
7
1歳
〒1
4
5 大田区北十条 222-16
酒井太七
内
臓
癌
4
9
.
1
2.
2
8
5
衛生学上回教授最終講義行わる
上回喜一教授は昭和50
年 2月27日定年を迎えら
れるが,それに先だち昭和49年1
2月1
6日(月〉午
後 4時から第 4教室において ,専門課程第 3学年
に対する最終講義が行なわれ,学長を初め学生,
教員 , 同 窓 等 多 数 が 会 場 狭 し と 出 席 し 聴 講 し
た。
講義内容は 2部に分かれ,第 1部は水銀を追っ
a) 医の本質
b)健康保険制度問題,歯科医師の地域偏在,
差額徴集問題
c)歯科医師の公衆衛生的活動
d) 歯科大学での教育の 目的
上回 喜一教授の略歴・ 業績
てと題し,上田教授が長年月研究を続けられ,現
在もなお研究途上にある水銀を中心に先生の研究
経歴を講義された。また第 2部は「歯科医師の公
衆衛生的使命」と題さ れ
, 医の本質から説きおこ
昭和1
0年 3月 慶応義塾大学医学部卒業
4月 同校医学部助手(衛生学教室〉
1
2年 4月
同校医学部講師(衛生学教室),内
し,歯科医師の公衆衛生的活動の必要性,大学で
地留学として理化学研究所研究生
の教育の目的に及ぶ現在の歯科医師にとって大変
1
9
年 1月 慶応義塾大学医学部助教授(衛生
示唆の多い講義であった。
なお最終講義終了後午
学
〉
20
年1
2月 医学博士授与
後 6時から第 l演習室で
さる
最終講義記念パーティー
3
3
年 5月 東 京 歯 科 大 学
が衛生学教室主催で盛大
教授(衛生学
に挙行された。
教室主任),
同
大学大学院歯
最終講義要旨
学研究科教授
1. 水銀を追って
任慶応義塾大
(衛生学),兼
a)理化学研究所への
内地留学,ビ タミン ,農薬中毒
b)歯科と有害物質 (
Hg,As,F
.)水銀の分析
法(環境 ,食品 の分析〕水俣病,新潟水銀中
毒(ガスクロ マト グラフィ ーの活躍〉
c)無機水銀のメチル化, 日本の川魚の有機水
銀,大洋の魚の水銀
d)特定魚種における水銀の生物濃縮 ,食物連
鎖説,体内生合成説
学大学院社会
学研究科講師
3
5
年 1月 兼任厚生省予防衛生研究所非常勤
所員(歯科衛生部)
48
年1
0月 兼任東京医科歯科大学非常勤講
師
論文4
3,著書 1
8,総説7
8,公的活動と して東京
歯科大学関係以外厚生省,環境庁関係等各種委員
会 30の委員を歴任。学会活動と して日本衛生学
e) セレンと Cd,Hgとの措抗作用
会,口 腔衛生学会,国際労働衛生会議等1
0の学会
f)日本の 学位論文の在り方
の幹事及び評議員。昭和3
6年 7月から昭和48
年10
]
[
. 歯科医師の公衆衛生的使命
6
月までに国際労働衛生会議等 1
1回の海外出張。
母 校 だ よ り一 一
0 東歯大病院長再任
9
年1
0月3
1日で満 3年の任期を終了した山本義茂
昭和4
O 第1
9
3回東京歯科大学学会 (総会〉
病院長は,再任され 1
1月 1日付で就任した。なお木村吉
1
1月 8日
, 9日
, 1
0日 1
9
3回東京歯科大学学会が開催
された。一般講演は 6
7
題,特別講演は関根永滋学長の根
太郎副院長も再任と決定した。
管充填問題,シンポジウムは司会石川達也教授のもと歯
冠修復と歯周組織について羽賀通夫教授 ・佐藤徹一郎教
授が講師をつとめた。
0 フォーザイスデンタルセンター講師団来訪
去る 1
0月 8日,午前 9時からフオーサイズ臨床主任
Dr
.Lobene,Dr
.堀内実(本学昭和2
5
年卒), Hygi
e
n
is
t
S
t
o
n
e,A
s
s
i
s
t
a
n
tKeenanが来訪し,“米国小児歯科の
現況ぺ“ O
r
a
l
h
y
g
i
e
l
n
eの実技教育"についての講演,
O
昭和 4
9年度科学研究費補助金の交付
文部省の科学研究費補助金交付の本学関係の交付担当
ならびに配分額は次のとおりである。
1
) 一般研究
衛生士学校予防処置室および保存科において示説などが
行なわれた。
0
解剖慰霊祭
1
1
C 高添一郎教授
C 田熊庄三郎教授
1
1
D 若月英三助教授
1
1
D 佐藤徹一郎教授
2
) 奨励研究 A 金 子 芳 洋 講 師
3
) 試験研究 (2)竹 内 光 春 教 綬
1
6
0
万
1
4
0
万
4
0
万
4
2
万
2
9
万
1
7
0
万
1月2
1日(木〉専門課程中央
本年度の解剖慰霊祭は, 1
ホーノレにおいて仏式で・
厳粛裡に行なわれた。御遺族,白
0 学位記授与
2
菊会員,本学の関係者は真珠院のお墓にも詣でた。翌 2
山口幸夫(理工第3
7
5号 乙 1
9
7号〉
日(金〕には実験動物の供養祭もありねんごろに供養を
岩本昌平(口外
行なった。
針嶺清有(生理第3
7
7号 乙 1
9
9号〉
I 第3
7
7号 乙 1
9
8号)
明石隆吉(生理第3
7
8号 乙 2
0
0号〉
篠田
0 東歯祭挙行される
0
月3
1日より 1
1月 4日まで,盛大に行
本年度東歯祭は 1
7
9号
穣(愛知学院大理工 I 第 3
01
乙2
号
〉
8
0号 乙 2
0
2号〉
梅原征四郎(薬理第 3
なわれた。専門課程においては学部展示と講演会,進学
山 本 茂 久 ( 解 剖j 第 3
8
1号 甲 1
7
9号)
課程では市川祭にカが注がれた。また学生,教員,事務
西川
明(解剖第 3
8
2号 甲 1
8
0号)
職員との融和をはかるため球後大会も行なわれ多数の参
加をみた。
人
事
辞職教授長尾喜景(口
外
9
.8
.1
4
1) 4
講師山口順康(補
綴
9
.9
.
3
0
I) 4
第8
1
期生は昭和4
9
年1
0
月1
6日,専門課程第 4教室で登
休 戦 講 師 下 野 正 基 (病
理
l
l
) _~~. 1~. ')~
院式に参列し,その後臨床各科に配属されて修練を積み
採用講師奥田修平(保
存
0 第8
1期生登院
1月から本格的臨床実習に入った。なお本年からは病院
登院器材の大部分が大学病院からの貸与制に変更され
る
。
O 海外往来
下 野 正 基 講 師 ( 病 理 I)は,イタリアミラノ大学
I
s
t
i
t
u
t
od
iFarmacolo
gi
aed
iT
e
r
a
p
iaの Trabuc
ch
i
教授のもとで研究のため留学,昭和4
9年 1
0月 2日羽田を
出発した。
~50 . 9
.
3
0
4
.9
.1
6
1) 9
1
1
9
.1
0
.1
6
理
〕 4
笹岡京子(生
1
1
9.
1
1
.1
6
山本茂久(解
剖
〉 4
9
. 9.
1
6
助手川口雄次(市病産婦人科〉 4
1
1
l
l
) 4
9.
1
0
.1
6
奥野和志(補 綴
1
1
1) 4
9
.1
0
.1
6
山県
勇 (補 綴
1
1
9
.1
0
.1
6
1) 4
作 間 敏信 (
口 ト
タ
1
1
9
.1
0
.1
6
山根源之(口
タ
ト 1) 4
1
1
4
9
.
1
1
.
1
6
存
l
l
)
牧野健司(保
(大学広報4
5
号より〉
7
二 二二 会員・母校史料
続新学位令による学位受領者について
米 津
(一〉
東歯大同窓会報 1
6
0号〈昭和49
年 8月〕に,私は本題
和
一(名誉会員 ・昭和 7年卒)
う結果であった。
5名
以上を要約すると ,有学位者で歯学非有権者の 1
名と,母校以外の歯大で
について同窓生の新制医博号55
中
, 基
1名の,計66
名の氏名を中心に して,その
歯博号を得た 1
過半の 8名は臨床医学 ・薬学を含めて ,第 7部では完全
紹介 とねぎらいの記事を書いたが,その中に唯一 カ所だ
に非有権者であることが判明 した
。 これは全くの驚きで
5名
, 公: 2名が他の第 7部で有権者であり ,
け誤植があったので,謹んで訂正したい。それは文尾の
あり,勿体ないこととも思った。学術会議に直接電話で
で
医 38 の卒業年は31
照会さえすれば,有権者となる方法が教示され
, 届出す
表の中欄にあって, 池上英雄
なく. 3
2である。
る為の登録カ ー ドが送付されであろう。永久的に有権者
その節本題執筆に当って引用された広潤社版:日本博
となるためには,受領している博士号と学位論文の題
士録のうち未刊行の昭和41
.4
2
. 43
年の各版並びに 4
6
年
名,発表雑誌名 ,巻号,年月等の書込みと印鑑だけは忘
以降の版が,そんな短期間に出版された訳ではないか
れずに願いたい。
ら,普通なら本題の続編が書ける筈はないのだが,幸に
(ニ〕
今般の第 10期日本学術会議会員選挙では,第 1 ~ 7 部
して先般昭和49
年1
1月2
5日必着の郵便投票で第 1
0
期日本
学術会議会員選挙が行われ,その有権者名簿と追録が同
各30
名,計 21
0名が選出された。これを第 7部について
の
年 7月と 8月に発行されたのである。因って上記新制l
具体的に申すならば,全国区 A票では専門別に基 : 4.
医 ・歯博66
名について逐一当って見たところ,同年 3月
臨
末日までに登録カ ー ドで正式に届出さえ してあれば,有
1
5
名が各専門高,制頂に当選が決定 し,こ れを除外 した非
4. 公
2
.歯
2.薬 : 3名が割り当てられ,計
学位者故に,当然全員第 7部歯学有権者となれた筈なの
当選者の A棄 と全国区 B票 (専門に拘わらざる票〉の同
に,推 岩 瀬 源 次 郎 .1
1 立 川 勇.1
2 岩永行正.1
2
一人の得票を合算 したものの高,剖願に 8名が当選とな
奥原昌徳. 1
4 加藤正人. 1
8 本間康男. 1
9 伊東弘,
り,かくて全国区 CA ・B票〉で合計 23
名の当選が決定
23 有馬久男 .2
3 河野好孝. 2
3 丸川万吉郎.2
5 伊
する。次に北海道 ・東北 ・関東 ・中部 ・近畿 ・中国及四
藤公. 2
7 中島善和.28
西村七郎.34 水川秀海. 36
国 ・九州(沖縄含む〉の 7地方区で各 1名当選 して,第
宮下智也の 1
5氏の名が見当らなし、。不審に思って .1
0月
7部総計 30
名となる仕組みである。
2日福島秀策先生の大学葬のあった青山葬儀所の筋向い
今期は歯学の全国区 A票当選を目指 して東 日本より新
にある,日本学術会議〈東京都港区六本木 7ー 2
2-34
.
国俊彦候補が,西 日本から 白数美輝雄候補が出馬 して,
電話 03
-403
夫々 2581
. 21
1
4票を得て目 出度く当選せ られた。わが松
分)の選挙管理室に行って , 今期 1 ~7 部全有権者 1 88, 254
宮誠一候補は,歯学から 出馬されてはし、るが,専門に拘
名のうち,第 7部(医 ・歯 ・薬関係)は 8
4,
2
5
8名 (
歯学
わらないところの全国区 B票当選を目指 しておられ .A
のみでは 7
,
7
8
8名〉の登録カ ー ドを逐一点検 して見たと
票 474.B票 4,3
0
0の計 4,
7
7
4票を得て 8名中第 2位の
→291. 地下鉄 ・千代田線乃木坂駅下車 l
ころ ,推岩瀬源次郎:基礎医学〈以下基印)
C
関東地
1 立川勇 :非有権者(以下 x印). 1
2 岩永行
方区). 1
2 奥原昌徳
正 :基 (関東). 1
8 本間康男
(中部). 1
馬久男
x
. 14 加藤正人 :基
x
. 19 伊 藤 弘
x.23 河野好孝
x.23 有
x
. 23 丸川万吉郎
X.
2
5伊藤公:公衆衛生学〈以下公印) C
関東).27 中島善
8 西村七郎 :基 (関東).34 水川秀
和:基 (九州).2
海
x
. 36 宮下智也 :公 (中部〕で有権者であると言
8
高点で当選された。と同慶の至りである。
因みに概略ではあるが,今期の歯学有権者 7,8
0
0名弱
の構成は,東歯, 日大,大歯の関係者は夫 荷1
,8
0
0
名宛,
日歯8
00
名,九歯700
名,医歯大5
00
名,阪大歯200
名,そ
の他でで、あつたので
〈三〉
本編の主題である ,新学位令による学位受領者の続編
に話題を戻そう。その後の調べで判明 したのであるが,
会 員 宅母 校 史 料 二二二二
々非有非権者である例外を除いて,他の 1
7
名はこととと
毎校外で新制医 ・歯博号を得られた方が更に 3
2
名にも達
したので,一々と本人に照会した上でここに一覧表に し
く歯学有権者であって,母校外で学位の栄光にかがやか
て追加発表する。因みに前述の,日本学術会議保管の有
れた蔭には筆舌に尽せぬ御苦労があったものと存じ,重
権者登録 カードの 点検と ,日本歯科医籍録の記載や同窓
ねて慶祝の意を表するとともに ,ま だまだ記載洩れ も多
生よりの伝聞が主な取材源であって , 表中 1
6 高官昌
々あることと思うが,補完は他日の機会に譲り,ここで
3 田中幸光の両博士が基礎医学(関東地方区),
美と. 3
一先ず本稿を終ることとする。
1
9 中川俊彦. 3
6 梶井泰麿の両医博が基礎医学(中国
7
年以降の大学院歯学研究科修 了
他方母校では ,昭和3
・四国地方区〉の各有権者で.1
6 菊池美彦. 1
9 平野
者で提出論文の審査を受けて歯学博士号の栄冠を得た者
清孫. 1
9 本山周次. 2
4 小山
実 .2
6 角 倉 功.3
1
〈甲号〉は,昭和4
9
年1
2月 2
3日現在 1
8
1名であって,他
片田哲夫. 3
2 大野倣弘 .3
2 三 丸 亮 .3
7青木一生,
に学内外からの持込み論文で・の歯博号を得た者(乙号〉
37 杉 戸 勲 の 1
0医博.4
3 大橋泰子歯博の計 1
1名が夫
は. 2
0
7
名の合計 3
8
8
名がし、ることをままに銘記したし、。
新学位令による学位受領者について(東歯大同窓会報 1
6
0号
名
氏
卒業年 │
受領年
推
渡
部
岩
重
推
佐
野
兵
吾
出
秀二郎
雄
光
1
5
1
5
1
6
1
6
1
9
1
9
1
9
1
9
1
9
20
2
4
26
平
3
1
32
32
32
32
3
3
3
3
3
4
36
36
3
7
3
7
37
38
39
松
回
聡一郎
佐
藤
昭
雄
4
9
41
馬
,
場
孝
雄
8
医 4
4
3
4
3
内
山
文
博
大
橋
泰
子
大@
医 4
6
3
医 4
清
俊
彦
医
野
清
孫
医
山
周
次
医
績
山
穂
宝
諸
リ
員
司
医
×⑤
美
E
自ヨ
勝
回
中
)
1
1
平
本
山
日
良
実
角
倉
功
片
回
上
大
大
哲
進
原
野
橋
夫
倣
2
医 4
医
4
7
42
4
1
40
46
48
49
医
39
医
x @ 42
医
叔
医 4
7
亮
医
丸
中
主
字
光
医
山
本
広
之
医
原
梶
回
弁
青
中
木
杉
戸
鈴
回
寿
泰
宏
医
麿
医
耕
成
医
一
生
医
邦
49
弘
一
回
篠
受領年
名
氏
卒業年 │
x @ 41
x@ 4
1
彦
美
和
池
宮
菊
高
1
4
9
.8
.
3
0
) の追加
勲
医
介
医
4
9
3
9
42
4
3
42
47
4
9
4
6
45
学位計
受領年
O @ 42
x @ 48
4
8
4
7
O @ 47
医
医
9
8
名〈新制〉
名
3
36
3
7
38
39
40
4
1
42
4
3
44
45
46
4
7
48
49
6 (1)
1
0 (3)
8 (6)
4 (2)
9
1
3(1)
7 (3)
9 (5)
9 (4)
5 (5)
計
9
8(
3
2
)
l
7
7 (2)
(注〉
医:医博号
7
9
名 (
2
4
)
@:歯博号
1
9
名の内訳
医歯大 O
7 (2)
x
7 (5)
日大
日 歯口
1
阪大ム
2
大歯 大
1 (1)
九
1
歯
・
括弧内:追加分
9
一
一
父 兄会連絡懇 談会に協 力依 頼
東歯同窓会支部長,同窓会員各位
東歯同窓会長井上
東歯父兄会長
親愛なる東京歯科大学同窓会支部長,同窓会員各位に
は,平素格別のと協力を賜わり,衷心より感謝申 し上げ
て居ります。
真
児玉良知
果が生れ,延いては,輝やかしい発展の道も自から開け
て来るものと確信いたします。
父兄会が,懇談会規程を設けて制度化 し,全国父兄に
昭和5
0
年の新春を迎え,大学,同窓会,父兄会,共々
健やかに,益々発展の一途を辿りつつあります ことは各
位と共に,真に喜びに堪えません。
対話を呼び掛ける所以も ,その理念に基づくものであ り
ます。
各都道府県毎に,正副委員をと依嘱申上げ,同窓会支
昨年来,父兄会が提唱し,大学,同窓会,父兄会三者
一体化による,コミュニケ ーションの具体策につき,強
部との緊密な連繋により,活動を展開することになり ま
の一致を
力な運動を展開し,三者の聞で完全に協力体制l
充分本事業の趣旨をと理解頂き ,所期の目的を達成出来
見ると共に,懇談会規程も父兄会総会で可決されま し
得ます よう,絶大なると指導,ご協力をお願い申 し上げ
た
。
る次第であります。
世の中の,複雑化,多様化に伴い ,熱心な対話の必要
性が生ずるのも ,当然のことといえま しょう。
すが,同窓会支部長,同窓会員各位におかれましても,
終りに各位の御発展, C健勝を心よりお祈り申 し上げ
ます。
対話のある所に,温かい心の触れ合いがあり ,力の結
各 地 に 盛 り上がる 父 兄 懇 談 会
東歯父兄会 長 児 玉 良 知
神奈川県懇談会
会に,関根弘学生部長が講師と してと出席される好機に
昭和49年 1
1月1
6日 (
土〉神奈川県歯会館 (横浜市〉に
便乗 し
, 併せて愛媛県支部同窓会総会開催の機会を利用
おいて ,県支部連合同窓会開催の機会に便乗 し 三島平
させて頂き ,四国四県連合父兄懇談会を,松山市におい
左衛門先生のお骨折 りで,神奈川県父兄懇談会が開催さ
れた
。
て開催 した
。
幸い ,愛 媛 県 支 部 長 佐 藤 ー先生他多勢の方々のお
全国のトップを切って最初の計画だけに, C苦労も多
骨折りを頂き ,特に松山市在住の馬島
博先生の献身的
かった事と思われたが,それでも熱心な父兄が多数参加
と努力は,此の会を盛り上げるのに大いに与って力があ
された。
ったといえよう。
大学から松宮副学長,山本病院長,重松学生副部長他
大学から山本病院長(学長,同窓会長代理),関根
弘
教授多数,同窓会から井上会長他理事多数,父兄会から
学生部長,重松学生副部長,父兄会から児玉父兄会長が
児玉会長他理事多数が出席され,有窓義な懇談の一時を
それぞれ出席された。
過した。
愛媛,香川両県からは殆んど大部分のと父兄が出席 さ
れ
, 両親お揃いのご父兄もあり ,個別の懇談は,特に入
四園田県連合懇談会
念に行なわれた。定めし満足すべき結果が得られたも の
昭和49年 1
2
月 1日(日〉愛媛県スタデーグル ープ研修
と確信 している。
1
0
子弟のための た
進学準備夏季セミナーミ
母校進学を希望する本会会員子弟を対象に,学力の向
上をはかり 来春の栄冠を獲得するための一助となるこ
7
. 申込方法:申込書に受講料を添えて 4月1
5日までに
r
lOlJ東京都千代田区三崎町 2 9
ー1
8
とを期待して,同窓会では“第 3回進学準備夏季セミナ
東京歯科大学同窓会宛お申込み下さ L。
、
ー"を下記の要項により開催いたします。現高校 2年生
先着順に締切りますが,資格審査のうえ
決定し受講票を 5月上旬に発送します。
から高校カリキュラムの改訂がありましたので,本年は
新たな出題傾向の検討など一層の充実した内容にすべく
8
. 宿泊斡旋:希望者にはホテル(シ γ グノレ〉を斡旋し
ます。予約料 1
0,
0
0
0円を受講料に加えて
慎重に準備をすすめております。
と送金下さし、。
受講希望者の父兄にあたる会員は ,下欄申込書により
1
. 期
O現金書留
9
. 送金方法
応募されるようと案内申し上げます。
0銀行振込
間:昭和5
0
年 8月 2日(土) ~8 月 17 日(日〉
1
6日間
2
. 会
場:赤坂プリスホテノレ内
3
. 受講資格
(
富士銀行 九 段 支 庖 )
東京歯科大学同窓会 l
口座 1
52-50691
0
/
ホテノレ ・スク ー
ノ
レ
本会々員の子弟で5
1年度に母校進学を希
記:本セミナー参加者に対して ,明春の入学
付
試験に際 し,一切の特典を伴う ものでな
望する者
4
. 講
師:進学指導に権威のある学外講師
5
.定
員:1
0
0
名 (会場の関係で厳守します)
いことを念のため申し添えます。
なお,日程ならびに詳細は受講者に直接
6. 受 講 料 :6
0,
0
0
0円(昼食 ・教材 ・激励パーテー ・
連絡いた します。
主催東京歯科大学同窓会
模擬試験料を含U')
キ ・リ・・ト・・リ-線・
第 3回 進学準備夏季セミナー参加申込書
東京歯科大学同窓会長井上
昭和5
0
年
真殿
月
日
第 3回進学準備夏季セミナーに下記の者を参加 させたく, 受講料を添えて申込みます。
⑪
申込会員名
東歯卒業年次
会 員 氏 名 │
住
所 lT
l
年卒業
TEL:
会 員 と の 続柄
受講者氏名 !
受講者住所
高校
出 身 ・在 学 校
泊
(
5昨 4月現在〉
で 囲 む
3課目 受 講 も 可 能
で囲む
現盆
送 金 方 法
宿
O
物理
選択課目
3年 産 学 中 月 卒 業
斡旋希望
注〉 直 戸 極│は具体的 t
こ記載して下さい。(例:長男 ・二女〉
※
受理 :
月
日
資格 :
適 ・否
1
1
支部のうごき
北陸地域支部連合会総会
近郊の山々も薄らと色付き始めた仲秩の金沢で,時代
生の音頭で乾盃,当地の新鮮な山海の幸を銘酒で心行く
の差はあれど水道橋を巣立った越中,越前,加賀,能登
迄味わい, 校歌を高らかに歌って 9時半過ぎ閉会 とな
の人々との出合があった。それを北陸地区連合同総会と
る。更に歓談,夜更けに及び中には百万石の金沢夜景へ
呼んだ。
と灯火に溶け込んでいくやらで,秋の夜長を各位十二分
多忙極める先生方,関根学長,井上同窓会長,松宮副
に味わった。山中,片山津,山代,和倉と本邦でも有数
学長,山本病院長,北陸に縁りの深い米津名誉教授の御
の温泉地をかかえている我が石川県が敢て金沢市内で総
出席を得て ,会員多数出席の下に ,金沢市中心の三竹屋
会をもった成果もままに現われたようであった。
ホテノレで‘盛大に開催された。時は,昭和49
年1
0月1
9
.2
0
日である。
会は加藤石川県支部長の開会の挨拶に始まり,福島秀
策前学長の御逝去を悼み全員黙祷をささげる。関根学長
参加することに意義があるところの連合同窓会も,来
年は福井県にパトンタッチでき更に多くの同窓を誘い合
せ参集 し水道橋の更に発展を祈つての再会を約 し翌 1
0月
20日朝三竹屋ホテノレで、散会 した。
以下全来賓の先生方から夫々学校内外の近況,特に稲毛
当日の出席者
校地緑化運動推進と新診療所の開設,入学に関する諸問
大菅十造,菅田晴山,松島正康,深山正之,島信行,
題,水道橋本館の再建及び松宮誠一教授の第 1
0
期日本学
山崎 安 隆 , 干 保 利 , 柏 木 一 夫 , 石 崎 護,新谷政彦,
術会議会員選挙につき詳細なお話しをいただき ,大学の
金山嘉城,岡本種義,五十嵐嘉秋,篠山幹ー,三宅柾千代
益々発展に対して会員に多大の感銘を与えた。各件につ
大野大三郎,宇野正一,小 原 勇 ,白崎源有,手箆 正
,
いて話題が続出し予定時間を迄かにすぎて記念撮影し,
遠矢東城,元文伊和男,三宅淳一,山口一郎,牧野正
,
第一日午後 6時懇親会に移った。次回当番福井県篠山先
柴田誠悦,牛村宏,加藤敏行,西村寛猛,室橋春雄
,
1
2
支 部 の う ご き 二二二二二
近岡恒雄,山本二夫,角 三 郎 , 長 田 稔,竹下賢文,
北川守 信 , 斎 川 登 , 国 島 稔 , 宮 本 春 秩
木村茂,柿原昌一郎,早稲田正紀,伊川永一
, 高井勇学
大
(柿原昌一郎記〉
森
日
音
支
母校理事長鹿島俊雄先生が昭和4
9
年1
1月 1
1日第三次田
中内閣組閣に当り,郵政大臣に御就任されたことは我々
同窓は勿論のこと,我が国歯科界を挙げて至上の喜びと
する所である。丁度理事長の大臣就任祝賀会が 6歯科大
学主催で行われた 1
1月3
0日(土曜日).支部総会が地元最
高の料亭にて予定されていた。しかも続いて行われる懇
親会には母校から関線学長,同窓会から井上会長そ して
また,東京支部連合会からは清藤会長の御出席を予定 し
ていたが,急逮,大臣の祝賀会と言うことで先生の御出
席が中止となった。 この報を受けると同時に支部全員一
た。私共支部としても是非そうあるべく固く約束しなが
同,理事長の大臣御就任をお祝申し上げる反面誠に残念
でした。しかし,母校からは,学長の特別のお計らいで
ら,両先生をお囲みして,あっという聞に 3時間に亘る
1
年卒の中山正
米津名誉教授を御派遣下されたのを昭和3
たのしい時を過した。そうするうちに米津先生白から音
規君が自家用車にて出迎えてくれた。また同窓会からは
頭をとられ母校及び同窓会そして支部の発展を願って万
清藤先生が会長代理として,大臣就任祝賀会を中座なさ
歳三唱-…まことになごやかな懇親会であった。
って遅れながら御出席下さった。このことに対し会員一
追記:懇親会開会前に昭和4
9
年度総会を開催し,主な
同感激した次第である。また,米津先生を歓迎するにあ
事柄として ,過去 3カ年に亘って支部長を勤め
たり支部会員中同期生として唯一人,陸野善一先輩(旧
た私 ・吉井英祐は,一身上の都合により退任す
ることを申し出て了承され新支部長として昭和
姓前回〉があられたので大助かりであった。
懇親会開会 6時には全会員拍手をもって米津先生をお
26
年卒の瀬川克巳君が決定 した。なお就任は昭
迎えし,次いで少し遅れて来られた清藤先生をもこれま
和 50
年 1月 1日から。(支部長 ・吉井英祐記〉
た拍手をもってお迎えした。両先生共,御挨拶の中で学
当日の出席者
長及び同窓会長が出席出来ないことを非常に恐縮なさ
安達
れ,会員にその了解をもとめられた。特に,米津先生に
小野 武 夫 , 岡 本 孝,河 崎 直 好 , 神 田 隆,小山裕,
おカ通れては,沢山の資料御持参で,学内現況,次年度入
近藤健一,近藤正夫,酒 井 潔,佐野喜多雄,杉田英雄
直,我妻正巳 ,飯田外茂男,伊藤英之,遠藤正治
学案内そ して松宮副学長の日本学術会議会員選挙に関 し
杉原伸顕,鈴木貞夫,鈴木啓之,瀬川克巳, 田村正四郎
会員の協力をいた T
ごし、た こと についてお礼を申 され, 最
千葉重博,千葉貞子(旧姓内藤).徳植清佑,中西行ー,
後に稲毛における新 しい学園造り等について,細かにお
永田令蔵,永田千鶴子,中山正規,難波徹男,野村保雄
話 し下さった。続いて清藤先生におかれては, 先ず
,
兵藤佐一,藤本敏雄,丸山晴義,陸野善一,村田愛ー,
東京支部連合会の結束について力強く協力方を要望され
吉井英祐
世
世水会 4
0周年記念祝賀会
昭和4
9
年1
1月2
7日 午 後 6時
於帝国ホテル「鶴の間」
回
谷
支
以 上
部
初冬の空を夕焼が真紅に染め,短い冬の日が銀座のネ
オンを華やかに浮かびあがらせる噴。日 比谷は帝国ホテ
ノレ「鶴の間」に於て,世水会40周年祝賀会が催された。
年前の昭和 9年秋,大森海岸の料亭「楽々」
今から 40
1
3
=二二二二 支 部 の う ご き
に世田谷在住の同窓数名が,血脇校長をお招きし,血脇
みに米津先生は世田谷在住,世水会特別会員), 堀世田
年
。
先生自ら「世水会」たる名称を命名されて,丁度40
谷区歯科医師会長のと挨拶。林清,朝長秀夫(玉川支
その間諸先輩は相次いで物故しその沿革も判然としな
部〉両先生による懐旧談の後玉川支部長(玉水会とい
くなって来たので,ここで世水会の歴史をふりかえり諸
0
年前世水会より分離独立〉阿部先生の音頭で乾
う。約 2
先輩の足跡をしのぶと共に,将来の発展の礎としたし、と
盃。シャンペンの灰かな甘みに祝宴が開幕した。立食パ
考え, 40周年記念事業として記念祝賀会と記念史発行と
ーティのため,気の合った同士,或は久闘を叙す組,和
を行うことになった次第で‘ある。
やかな挨拶を交している間,日歯大,日大,医歯大,九
6名中出席者は 4
6
定刻をわずかに遅れて開会(会員 8
州 ・大阪両大代表,世田谷歯科医師会婦人部等の各支部
長より一言づっ祝辞があり,松宮副学長の急病欠席のた
名),山崎智世水会々長挨拶。 40周年記念事業について
の経過報告と来賓への謝辞,並びに世水会の今後の発展
めに会場に打たれた祝電が披露される内,清藤志郎東京
0
年
は我々の親睦を強めることである旨力説された後, 4
支部連合会長が多忙な時聞を割し、てかけつけられ挨拶さ
間に物故された会員に対し黙祷,東歯大ジャズ研のトラ
れた。ジャズ研の華やかな演奏裡に世水会名物,田嶋先
ンペットの奏でる追悼の調べに出席者全員で祈りを捧げ
生の奇術,福引等が行われお腹もころよい頃,校歌斉
た。次いで来賓挨拶に移り,井上真同窓会長より祝辞と
唱,井上同窓会長の音頭で世水会の万歳を三唱,三島副
現在の同窓会に関係ある情報,鹿島議員の郵政大臣就
会長の閉会の辞で午後 8時3
0分散会となった。
(小熊一路記〉
任,社会的批判の渦中にある我々の立場等について懇切
なると挨拶を頂戴し学長代理として米津名誉教授(因
..0拘.6.
東 京 地 域 支 部 連 ロココE
昨年 1
1月2
8日東京地域支部連合会定時総会と学術講演
後,懇親会が開らかれ盛況の内に散会しました。
会を同時に開催しました。
総会は,会務報告の後,連合会規約の改正と役員の任
期満了に伴う改選が行われ,清藤会長と朝長,坂両監事
が再選され,理事の選出は会長に一任と決定した。
引きつづき講演会に移り,科学評論家星野芳郎氏によ
り「人類は生きられるか」とし、う遠大なテーマで,食糧
問題,エネルギー問題,その他平素我々があまり関心を
抱かない点について,興味深く語られ,母校金竹教授の
「最近の歯科材料について」はスライドによる,平易な
中にも日常に役立つサジェッションを数多く含んだもの
として全員がすぐにも活用されましょう。講演会終了
后
+
木
県
東京地域支部連合会新役員名簿
会長清藤志郎 (
1
5
), 副 会 長 藤 村 博 (9),田中規正
(
2
3
),理事長岡寛伯 (
2
0
), 山 崎 智 (
2
3
),河村秀雄
(
1
9
), 桜 井 正 (
2
0
),北村宗久 (23),中野年朗 (
2
6
),
武石義弘 (
2
6
),生田博康 (
2
7
),並木俊雄 (
2
9
),猪鹿倉
2
9
), 菊 地 豊 (
2
7
),宮下達也 (24),神谷文彦
兼三 (
(
41
)
,福本忍 (
1
9
.
9
),鈴木義政 (
2
4
),吉井英祐 (
2
5
),
安藤三男 (
3
7
), 岡 英 男 (
3
6
), 天 野 恵 (
2
5
), 渡 辺 弘
(
2
2
),海老原信 (23),監事朝長秀夫 (
1
3
),坂覚 (
1
9
),
T15
),山崎数男 (
1
6
)
(宮下記〕
参与林清 (
支
部
昨年 1
2
月 1日,昭和4
9
年度定時総会が初冬の雄大な那
続き議長に小滝幹事を選出 し
, 議事に入る。庶務報告,
須高原ホテルで開催された。来賓として母校から井上同
会計報告,議案として第 1,第 2,第 3,第 4,第 5,
窓会長,松宮副学長,地元より栃歯会長大塚先生をお迎
第 6,第 7号議案を,全員一致拍手をもって無事可決
えして,盛大にとり行なわれた。先ず,松宮,井上両先
し,すべての議事を終了した。
生の祝辞を頂き母校の現況を拝聴 した
。
定刻より栗原支部長のあいさつから総会に入り ,ひき
1
4
ついで学術講演に移り ,母校助教授小平崇先生の(総
義歯の東歯大における現況について〉の講演をスライド
支 部 の う ご き ---二二
をもって拝聴した。
会員一同学生時代の想い出を頭に
浮かべながら 2時間余を有意義にす
ごした。
夕刻より,諸先生を囲んで懇親会
に移り,所要のため遅れて参加頂い
た大塚会長もまじえて,和気諸々の
うちに夜の更けるのも忘れて歓談し
た。最後に,校歌斎唱,母校及び同
窓会の万歳三唱をして宴をとじた。
翌日は,ゴルフ同好者によるコン
パがあり,栃歯会長,大塚先生はじ
め,多数参加 した。
総会出席者名
小滝鐙己男,井上純一郎,村井憲一,石川融,築瀬康三
栗原正三,岡田正信,黒崎弘毅,白井良夫,篠原誠一
築瀬六郎,斎藤 哲 , 高山晴之, 三回勇夫,内田俊之,
岡田一郎,築瀬伸,岡田正義,落合雅雄,大久保雅順
小平正夫,石塚玄,大坪正住,県
宮島一郎,神山登,池上武正,鈴木民夫, ~.占瀬洋一,
菊地誠
昌也,平山浄二,
(築瀬伸記〉
「一 一← 一 同 窓 の 皆 さ ん へ
④受付・診療時間
一一お尋ねに答えて一一・
東京歯科大学病院長
1
.
山本義茂
母校病院へ患者を紹介したし、ときは,どう
す れ ば L、し、ですか。
答:患者さんに紹介状(宛先は,例えば口腔外
受付
診療
初弘{平日 9:30~12 :0
0 平日1
0:00~17 :0
0
i
i
i
<
-L
土曜日 9:30~11 :0
0 土曜日 1
0:00~12 ・ 00
再来!平日 9:30~16 :0
0
l
土耀日 9:30~12: 0
0
※夏期 (7 月 11 日 ~9 月 10 日)は上記時間を変更する
科あるいは部長,お知合いの医員名宛〉を持
参 さ せ ,病 院 1階の新患受付窓口でお申し込
休診
場合があります。
日纏日 ・祝日・創立記念日 (2月1
2日
)
,
12 月 29 日 ~ 1 月 3 日
み下されば,その後のと指示をいたします。
もし ,おわかりにならない点がありました
ら,病院事務長室,病院長室にお出で下さ L。
、
2
.
母校の病院の臨床見学をして勉強をしたい
と思いますが ,どうした らよいで し ょうか。
答 : 右記の「東京歯科大学病院臨床見学者取扱
いについて」をと覧下さい。
なお,たまたま一寸立寄ったので,病院の
近況をと覧になりたし、とし、う場合は,何時で
も結構ですから ,病院事務長または病院長室
へお申し出下さ し
、
。
東京歯科大学病院案内
⑥診療科目
保存科 ・小児歯科・口腔外科・歯科麻酔科
補綴科 ・矯正科 ・放射線科 ・内科
東京歯科大学病院臨床見学者取扱について
1.この取扱は,東京歯科大学病院において臨床見学
する者(以下臨床見学者という〉の受入について必
要なことを定めるものとする。
2
. 臨床見学を希望する者は,見学しようとする診療
科の部長。担当教授の承認を得たのち,次の書類を
病院長に提出し許可を受けなければならない。
(
1
)
見学願
(
2
)
履歴書
3
. 臨床見学期聞は毎週 1回 3ヶ月以内を原則とする。
4
. 臨床見学者は次のことを守らなければならなし、。
(
1
)
臨床見学のみで直接診療には徒事することはで
きなし、。
(
2
)
本学の諸規則を守り,見学する診療科の部長の
指示に従わなければならなし、。
S
. 臨床見学者は当該医局の経費として月額 3,
0
0
0円
納入する。
(注:見学開始日文は終了日が月の途中の場合でも
その月の医局経費を納めること〉
6. この取扱は昭和4
9
年1
0月 1日から適用する。
1
5
クラス会だより
東
遊
会
第 54固定時総会,懇親会を昭和49
年1
1月26日に昔日を
れを行い,又校舎移転等の問題についても具体的に日夜
偲ぶ築地明石町の治作に於いて開催した。大学より関根
検討を続け,将来に発展して行くこを念願と していると
学長山本病院長のお二方を迎え,参加者北は斎藤君,北
挨拶された。
信の矢島君,南は塩見君と総数3
3
名の方々が元気一杯参
集された。
先づ会長は,久振りに皆健康の様子で誠に結構と久澗
をのベ,今回鹿島俊雄君が歯科界始って以来の大臣にな
られたことは,歯科界の名誉のみならず同窓会にとって
もこの上ない栄誉であり,喜びに堪えない次第であると
又,山本病院長よりは病院長改選に当り再度任命され
第 2期 3年間を懸命に務めて行く所信を表明された。次
いで三輪副会長より会務並びに会計報告があり万場異議
なく承認された。
新入会員は森谷銀治君会員総数 1
0
9
名
。
喜寿会員は前川平重,杉麻四郎,江川三郎,入江槌弥
,
祝福し,この栄誉を福島先生並ぴに宮下先生にお見せす
武田甲子雄,新藤信・大多和彦吾,矢島茂久の各氏,会
ることが出来なくて誠に残念に思うと述べ,更に東遊会
長より記念品が贈られた。
で先鞭をきったみど、りの募金も,塩見,大村ら。各氏よ
物故会員に対して一同敬度なる黙穏を捧げた。続いて
り多額のご寄附をいただきその後順調に進んでいると感
懇親会に入り各氏の喉自慢があり ,何れ も背とった杵づ
謝を述べた。又,東遊会から今回 8名の喜寿会員並ぴに
かの美声を張り上げて次々披露された。宴首甘となり時の
多数の叙勲者が選ばれ,誠に喜ば しいと挨拶された。
至るも忘れ献酬と懇談に一刻を過し時至り夫々帰路につ
続いて学長は,皆さんがし、つも歳を感じなく何日まで
もお若かく鑓鎌と しておられることは誠におめでたい次
第である。長い歴史を大学の歴史とともに歩ま れて来ら
し
、
た
。
終りに大学同窓会 ・その他各氏よりと寄附をいただい
たことを附記しお礼申し上げます。
れた先輩として功を積まれて参られた事は誠に名誉なこ
出席者 (敬称略〕関根学長,山本病院長,今回見信
,
とと祝福された。大学も稲毛の土地に診療所建設の鍬入
市川欣二,大村太子二,大多和彦吾,岡野素二,阿部菊
1
6
クラス会だより一一一一一
骨,小野富太郎,
金子
保
,
北原次平,斎藤富三郎,
清水信元,島田浅吉,塩見寿二,竹内米吉,寺本定次郎
'中久喜八十,鳴神輝,真栄悶義光,黛誉治,宮下清
壬
成
水谷義一,森谷銀治,矢島茂久,山口;敬蔵,井上真,
三輪源七,畦森語ー,地挽鐙雄,小山内喜久治,原徹
(客員〉
必』
2玄
鳥兎忽々私達が水道橋を出てから 50
年を経過致しまし
大正 1
5年卒
5月2
3日(金〉
伊豆非山方面見学
修善寺グラ
ずこ。若いものでも既に古稀に達し全く感無量です。そこ
で昨年 12月 6日,在京及び神奈川県会員林庄司,井崎,
谷,鈴木,若尾,今井,浜野が横浜中華街,万珍楼に集
や井崎君の大尽力に幹事片山,若尾,浜野も張り切って
J
おります。万障御繰り合せの上是非御参加下さい。
期日
ドホテノレ ・泊
壬1ft会大会開催
5月24日(土〉
り,皆様とゆっくり見物し又尽きぬ思い出を語り度いと
ー
下記の様に楽しい旅行を計画致しました。県議の庄司君
γ
三津浜方面見学
午後三島釈にて解散
会 費 一 人 約 2万円也
元学長杉山先生並ぴにテレビタレント沢田雅美さんも
参加の予定です。何れ詳細は後日御知らせ致します。又
昭和50年 5月22日(木〉湯ケ原駅集合
御都合で不参加の方も御近況を記載致しますので是非御
厚生年金会館 ・泊
返事を賜ります様御願い申上ます。
更
始
会
昭和 3年 卒
会員の皆様御元気にお過しの事と御喜び申し上げま
24日(土〉
霧島泊
す。本年度の総会開催地南九州旅行日程は下記の通りで
25日(日〕
宮崎泊
26日(月)
宮崎解散
す。
是非御家族振って御参加さい。
5月2
3日 ( 金 〉 鹿 児 島 集 会 指 宿 泊
珊
瑚
解散後有志
高千穂泊
27日(火〕
熊本解散
ゐ
、
昭和 5年卒
ヨ
玄
4年前,級友関根君,松宮君が学長副学長になられて
浜野記
が,生憎と其の後元学長福島先生の不慮の報に接し両君
以来年に 2回クラス会を開催することにした。初回は熱
とも出席出来なかったことは返すがへすも残念なことで
:
海温泉で・
秋は東京で,第 2回は石川県で能登,山中温泉
あった。年に 2回の中 1回は地方で開催することは,日
で秋は例により 1
1月東京で,第 3回は秋田県で大鰐温泉
頃出席出来ない方々も必ず 1人や 2人は卒業以来初めて
と十和田湖で開催,昨年は大阪の小宮君,奈良の大西君
お会い出来ることである。
の主催で関西方面で催されることにつて居たので・あった
1
1月 1日近鉄線で賢島の志摩観光ホテルに 5時集合,
が,春過ぎても夏に入っても何の音沙汰なく取止めにな
同ホテルは近鉄経営の優秀なホテルで小室君の特別の御
4日関根君,松宮君の学長,副学長
るのかと思い. 9月 1
配慮により近鉄社長からの直接の命令で超一流の室で人
再選の報に接し再選祝賀会を東京で開催した。ところが
部屋を与へられ豪華な一夜を明した。晩饗会は洋食でし
l
間もなく小室君の方から 1
1月 1日より 3泊 4日の旅行計
かもホテノレの支配人が小室君と特別の関係にあたる方と
i
画を知らされた。よく話を聞いて見ると切角クラス会を
かで開会にあたり出席され,シャンパンの差入れを受け
開催するにあたり関根君,松宮君が出席され得る僚との
会が始められた。翌朝 4時半に小生起床,西の空に半月
五十らいで両君の都合を伺って決定したとの事であった
が輝き下界は入江になって居り,処々に真珠の養殖が見
1
7
一一一一一 ク ラ ス 会 だ よ り
られ周りは松林にかこまれ全くの静けさを感じさせられ
少女歌劇を見てから白浜駅より国鉄で天王寺駅に出て解
た。翌 2日近鉄パスにて鳥羽へ出て朝熊神社と内宮を参
散した。
拝した。小生50年前中学 5年の時に始めて伊勢神宮に参
今度の旅行会の幹事を引受けて戴いた小室君,大西
ったので・あったが,其の時と変りない五十川の清流,神
君,和歌山の藤田君には御多忙の処,物心両面に多大の
宮の神々しさ。大橋の昔ながらの形そのままの風物に接
御迷惑をお掛けしたことに対し出席者を代表 して心か ら
したのであった。それで松坂市に入り鈴の屋,本居宣長
厚く御礼申上げる次第である。尚此の会には卒業以来安
合
の生家を見学,和田金で牛肉のサシミと焼肉を満喫しつ
めて 出席された高知の谷君御夫妻であった谷君は左半身
つ南紀海岸線をノくスで、尾鷲市を通り熊野市に入り勝浦を
不自由ながら元気に賢島のホテルで一夜を共にされた事
経て太地の観鯨荘に泊った。同ホテルでは海の宰,山の
が印象的であった。来年は富山県で菅田君,栗山君が御
幸が。山旅,殊にイノレカのサシミも始めて戴き未だに,思
世話下さる事になって居る。夫婦揃って多数御出席あら
い出となって居る。 3日鯨博物館を見学,那智参拝有名
ん事をお願する次第である。小宮君,大西君,藤岡君,
な潮岬の燈台を見学,白浜温泉白浜荘グランドホテルに
赤岩夫妻,和気君夫妻,長久保君夫妻,谷君夫妻,田上
入った。翌 4日泉都めぐりをして三段壁,ハマプランカ ,
海
AQE
四
(田上 記 )
昭和 8年卒
次の様に計画を立ててみました。
一一 碧い国,四国へーー
四海会の諸兄には御健勝にて益々御活躍のことと存じ
高知集合総会 l泊→足摺岬 l泊→道後温泉 1泊→高絵
1泊解散の 4泊 5日を予定しております。
ます。
さて. 49年度新潟四海会総会に於て. 50年度は四国で
物価上昇のおりから費用概算は 7 万 ~7 万 5 千円位か
と決定致されました。横矢,国沢二人では充分なおもて
かるのではなし、かと思っております。つきましては準僚
なしも出来ないではなし、かと心配致しましたが,お引受
の都合もあり是非参加人員の概数を承知致さなければな
け致しましたからには全力をつくしてお迎へ致しますの
りませんので,おり返し参加の有無をお知らせ下さいま
で,何とぞ御同伴で,碧い空,碧い海の四国路に大勢お
せ。尚,参加の決定は再び御案内申し上げます。
集り下さいまして旧交を暖められます様お待ち申してお
ります。日程につきましては 6月中旬頃が良いではない
かと思います。四国全体を御案内はとても無理との事で
五
イ
世話人横矢重和国沢重仲
(総会準備事務所高知市本町 3-2-8 横矢方〉
AQ
一
品
昭
四海会,四国総会
秋季総会の記
昭和 9年卒
夕刻総会開催,渋谷会長挨拶の後,伊東君への御見舞
の返信内容,及び病状の報告,春季総会から,秋季総会
1
1月1
7日(日).雨の京都西本願寺に集まる友3
8
名,手
迄に起った運命とは申せ逝去なされた飯島(仁).佐藤
を握り,肩を叩き合って久閥を叙す。広壮な本堂で,慰
(普).両君ににこの上もなく残念でならない。級友一同
名の氏
霊祭が初まる。大津幹事の読み上げる亡き級友 51
の御同情の弔慰金も送られた旨報告がなされた。
名に,在りし日の一人一人の面影を偲ぴ,感慨無量/
来春の総会のプランを照会,拍手の内に総会を終了。
厳そかな読経裡,各自護しんで冥福を祈りつつ焼香す
40
年振りの会員から自己紹介をとの申し出があり ,現 住
る。終って国宝参観,虎渓の庭,諸大名が大閣秀吉に謁
所,学生時代の着席番号,奥様同伴の人達は,それぞれ
見した大広間,日本最古の能舞台など,
只感嘆あるのみ。
伴侶を紹介. 40年前の着席番号を忘れ頭に手をやる人に
マイクロパスで,東山の霊山温泉へ,ラジウム温泉にて
疲れをいやす。
1
8
ドッと爆笑の一幕もあった。
次いで,渋谷会長に,長年の御苦労に対し,記念品目皆
ク ラ ス 会 だ よ り 一一一一一
呈の件が提案され,万雷の拍手のうちに決定される。
間もなく ,懇親会に移り ,中間君(金沢)の音頭で乾
蔭様で,生涯忘れ得ぬ楽 しい旅のーベージでした。心か
ら御礼を言いたし、。
盃。美伎も加わり ,膝を交えての歓談,歌や踊りに時の
次回担当の中田君で,御苦労乍らよろしく。
過ぎるのを忘れる。
出席者氏名
武藤君は, 8ミリの撮影に忙がしい。穂積君寄贈の
「昭伍会」と染めぬかれた母校旗を背景に,カメラのフ
8日は上天気。紅葉も一際美 しし
、
。
ラッシュが光る。翌 1
(A記
〉
荒井,石田,窪,石井,中田 ,堀内 ,大津,信太(以
上御夫妻〉
樋口,松田,亀山,浅井,藤本,田熊村,近藤(吟),
朝食時,次回総会を,中田君の御世話で「来春月中旬北
加藤,中井,関本,吉田(茂),栗原,永田 ,下野,竹内
陸路を 2泊」と決定する。
谷垣,鍋島,安保,杉浦, 山口,飯島(裏),武藤,波多
前庭でワイワイ言い乍ら ,賑やかに記念写真,互いに
野,池田
, 三好(肇),大岡,高橋(兼),羽田野,渋谷,
及川 │
。
再会を約し,東に西にと挟を分かった。
今回の企画,穂積,永田,近藤(与〕君,有難とう。御
A
Q
Z
志
昭和 1
7年 9月卒
昭和49年度一志会総会を 11月8日,神田明神下「宝亭」
において開催しました。
今回は役員改選と執行部を他県にお願いするという重
0年の聞に多くの級友を失いまし
われわれは,この 1
た。しかし,就任当初における会費の蓄積は零に近く ,
要議案が提出されました。
池田清君(千葉〉を座長に慎重に審議が行なわれま し
た
。
世間なみに弔慰金を花環も差し上げられない状態でし
た。しかし,現在ではなんとか世間なみに差し上げるだ
幹事長選出については, 5名の委員をもって構成する
幹事長選出委員会をつくり審議しました。
いすることに決定いたしました。
ご充分とは L、えません。
ろが大であります。しかし,ま T
それは,事業として記念誌の発行があるからです。一
したがし、ま して,幹事長の他の役員は神奈川県のクラ
スの諸兄にお願し、することになりました。
応,特別会費を徴集して,これに当てますが,調査,編
集などに費用がかかります。これと同様に「一志会だよ
1
2
月1
5日 現執行部との事務引継ぎを横浜中華街「珠
江飯庖」で行ない,次ぎのように新役員が決りました。
り」の発行があります。
印刷費,紙代と価上りする一方で,従来,年 1- 2回
発行しましたが昨年は 1度も発行することができません
幹事長三村力松
(クラス代表向窓会評議員兼任〉
で した。申し訳けないと思っております。
わたくしは,役員諸兄のパックアップでこのつのこと
庶 務 幹 事 関 口 敏 彦,石 田 新 也 , 池 田 嘉 夫
をやってまいりました。このたび,三村新幹事長の新構
会計幹事野口春治(留任〉
事児玉良知(留任〉
けの資金を確保することができました。これは役員諸兄
のと努力,ことに会計ー幹事の野口君のと努力に負うとこ
その結果,次期幹事長を神奈川県の三村力松君にお願
監
ュニケーションを目的とした「一志会だより」の発行の
二つに絞ってまいりま した
。
鵜飼
退任の役員は,長谷川正康,渡辺富士夫,吉井
想、の中に,この 2つを申送り事項として入れていただき
弘
弘,
丸森賢二の四名です。
退任のと挨拶
ました。
終りになりましたが,常に広い視野から私にアドバイ
スしてくれた渡辺富士夫君,児玉良知君,丸森賢二君,
昭和39
年1
1月,幹事長に就任以来 5期
, 1
0年間,大過
さらに,庶務幹事として「一志会だより」の情報収集や
なく過し得ましたのは一重に私をパックアップしてくれ
総会運営にと縁の下の力持になってくれた吉井弘君によ
ました役員の方々のと努力と F ラス会員と一同の ζ-理解
り感謝する次第です。
あると支援の賜と感謝いたしております。
この間, "ラス会の運営については会費徴集とその蓄
積(事業遂行のための資金〉と福祉資金と級友聞のコミ
年 11月
昭和49
(長谷川正康記〉
会費の納入先は野口春治幹事です。 4月頃現金封筒を
お送りしますのでお忘れなくお送り下さし、。
1
9
クラス会だより
AQZ
五
十
第2
5回を記
念、 して盛大に
昭和2
5年 卒
会場で手渡され,懐かしいあの時,あの顔 h に,何度も
昭和49
年1
1月 1
0日,東京四ツ谷のレストラン「セイフ
ー」に,松宮副学長,山本病院長,及び近藤愛知学院大
ベージをめくり返し,想出話にふけりました。編集に当
たられた諸兄のと苦労を想い心から感謝申し上げます。
3
名にも及
教授をお招きして行われました。参加者は .5
ところが,総会の翌朝,非情にも中山正君(世田谷区
びその中 1
3名が夫人同伴で出席され,広いフロアーも満
在住〉が急逝との悲報を受け,昨夜の盛会と思い合わせ
員の盛況で,幹事連もハラハラの仕通しでした。
て,人生の果敢なさに暗然としました。高校生と中学生
クラス主任で、あられた長尾教授が,長い間病床に就か
れて居りますが,総会当日有志が代表して御見舞に参り
ました処,大変お喜びになられました。病状も快方に向
のと子息の悲歎の姿を前にして,涙を押さえられません
で した。
中山君の御冥福を心からお祈りすると同時に諸兄の一
かつて居る御様子で,日も早い御全快をお祈り致してお
層のご自愛を願ってやみません。
ります。
会員の長い間の夢であったアルバムも,河西,大山
,
佐藤(敏).三村,星の諸兄にお世話を願って「佐渡と新
斎藤,長田諸兄の筆にも尽せぬ程の大変なと努力によっ
潟 J と決定致しま したので‘奮って御参加下さし、。
佐藤(泰).
尚
, 次回第 26回総会は,新潟県の金子〔裕).
て,卒業 25周年記念として見事な出来映えのアルパムを
宮
宅謹r
.
.
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.
.
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.
.
.
ー
、
,
(尾崎記〕
昭和 3
3
年卒
0
:
:
:
0
ミ意気軒昂 ミ一千葉県支部総会一
た大変賑やかな総会 ・忘年会となった。
6年前に千葉市(担当坂登〉 で結成した六喜会千葉県
旧臓と 言うには 1日早い 1
1月30日正午前,佐原駅頭に
I
I(鈴木智大〉 ・銚子(内田宏〉 小湊
支部は,以後,市 J
ゲストを出迎え,柳町宅に錦鯉の鑑賞に行くべく立ち寄
誕生寺(道脇公一〉と回を重ねて,第 5回目の今年度は
る。関東プロックで準優勝を果したとし、う鰹が,その優
柳町利夫君の肝入りで,佐原で会を持つことになった。
雅なプロポーションを,床にはめ込んだガラスの厚板を
忘年会の口あけでもある。
通して覗ける粋をこらした池に写している。それに比肩
集うは,第 l回目より ,お出まし頂いている進学課程
の山本又雄教授 ・第 3回目よりの平井満喜雄教授に加え
する程の魚が 50本近くも泳ぎ廻っているのだから驚きで
ある。
て,今回より特別招待会員として大橋和夫,井上昇の両
牛堀て名物のうなぎを食し,玉造町の吉 田製作所の工
君及び珍メン会の片岡保夫 ・斎藤一夫 ・渡辺晋一郎の 3
場を見学をした後,愈々本番の牛堀のニュー清水屋ホテ
常連に,地元故に余儀無く(?)お顔をお見せ頂けた佐
ノレに向う。はベるは柳町君推奨の美妓 4名,酒を波み交
原の平山真佐雄先輩 ・牛堀の鈴木孝雄君 ・鉾田町の田崎
し
, 酔の深まるにつれ, 予科の昔に立ち帰り,談論風
良光君とゲストを迎えて ,こ れに千葉県の面々の加わっ
発,果てはスト ーム 迄やらかし,平井教授の久方振りに
20
ク ラ ス 会 だ よ り 一一一一一
お見せになった,エッチヤチャで宴の幕を閉じた。
三郎君が遅参の故に写っていなし、。
翌けて. 2日酔で眼の定まらぬ朝食の席で,大橋,井
千葉県六喜会のメンバーは,鈴未智大 ・相有三郎・岩
上,田崎の 3君の飲み振りは,メンパーにしても恥かし
松健雄 ・斎藤安広 ・中島一臣 ・道脇公一・柳町利夫・坂
くない態度であたたと,全員の認める処により,正会員
登輝夫の出席者の他,当日の欠席の斎藤利夫 ・団代武の
として遇することに決定し次回を担当する斎藤安広君
多きを誇っている。
に申し送られた。
以上ミニミニクラス便りをどうぞ宜しく
下に掲げる写真は当日の勢揃いの模様であるが,相有
ン
凶
唱L
/
(坂登記〉
.
.
6
.
昭和3
4
年卒
コ
コr
何かと厳しい今日,此頃ですが,諸兄には,益々お元
気で御活躍のことと思います。
の後,現会長の若松君が幹事長に留任致しました。
夕方からは,会場を東京プリンスホテルに移し,旧ク
さて,卒業 1
5周年記念東京大会は. 49
年1
0月2
5日. 26
ラス主任の関根学長,副主任の西条先生並ぴに関根弘教
授の御三方を来賓に迎え. 9
0余名参加して,盛大に懇親
日. 27日の 3日間に亘 って行なわれま した。
先ず. 2
5日の中山カント リークラブにあける コソレフコ
パーティ ーが開かれました。締麗どころを交えて,心地
ンベは 9組の参加者を得て行なわれ佐藤剛也君が優勝し
よく酔い,大いに語り,旧交を温め,福引を楽しみまし
ました。
た
。
26日は,この所諸設備が改まりました母校の病院を小
児歯科,矯正,保存,外科等説明を受けながら見学致し
0名宿泊し,翌
その夜は,同ホテルに 2人 1部 屋 で 6
日,来年の再会を楽しみに散会しました。
ました。さらに,午後からは懐しい第 4教室で,関根弘
なお,来年(昭和50
年〉の開催地は,総会の席上,茨
教授の「前歯部補綴のカンどころ」の特別講演が行なわ
城県と決定致しましたので,奮って参加されることを望
れ,久し振りに学生気分を味わいました。それに引継い
み ま す 。 ( 山 岸 記 〉
て同教室でジ ーベン会の総会が開催され,諸議題の承認
八
紫
必
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)
.
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石橋寛祐君,世田谷区議選に出馬かグ
昭和 3
5年卒
高津)君から力強い出馬表明と抱負が述べられ,我々も
49
年1
1月 8日(金〕午後 6時,八紫会の第 1
5回目の総
その後援を約し,大いに意気が上ったので‘ある。地方都
会が京王プラザで開催され,その席上,同期石橋(旧姓
市並の大世田谷区で 5,
0
0
0票以上必要とする区議選はま
21
一一 一一 一 ク ラ ス 会 だ よ り
さに東京髄ーの激戦区といえる。本年 4月からは,区長
写っていない人が 2~3 名おりますが,留守家族の方,
も公選され,保健所行政も区へ統合され,まさに独立自
御心配なく,おたくの先生は写っていなくても出席 して
治体として,重要な役割をもっ区政に,同志石橋君の活
おりましたから。
躍する場を与えたいと存じます。他地域,地方の会員も
直ちに懇親会にはいり ,遠来九州の飯田君の乾盃でパ
どうか世田谷在住の親友,親戚の方 4 に,御挨拶を呼ぴ
ーテイをはじめました。年々変る懐かしい新宿の夜景を
かけていただきたいと存じます。
5
年間の追憶に思わず時のたつのを忘
限下に見おろし. 1
m て~ラス会当日は,慣例になりました第 9 回八紫
れました。 スピ ーチは腰原君の大学近況,小宮君の大学
会ゴルフ大会が午前 8時スタートで,名門久遜カントリ
退任の弁,東北歯科大の潤田教授のあいさつ。つづいて
ーにおいて開催されました ,小島君のお骨折 L 橋詰,
地方幹事から出席者紹介 と欠席者の近況報告等もしでも
2名の参加者は,和気あいあ
薄井,両幹事の運営で. 3
らいました。
い,スコアーに関係なく楽しい 1日を過しました。優勝
終りに 1
5週年記念行事ではありませんが,それに近い
は腰原君,ベスグロはシングノレプレーヤーの富沢君,そ
ものとして年末年始にハワイ旅行を計画しましたので,
の他,
ドラコン,ニアピン等の腕を競いました。
この機会に御家族連れで,寒い日本を離れ,はだかでお
次回を楽しみに練習に励みましょう /
正月を過しませんか。申込は早自に,決定は夏頃でも給
夕方の総会は菊地会長の会務及び同窓会報告と春原幹
構です。なお取扱は歯科医師会関係の旅行に手慣れた太
事の会計報告で,協議事項なしという,いたって和やか
平洋親光に任せてあります。本会からの世話人は,菊
でスピイーディな総会でした。記念撮影には,遅刻して
地,薄井,桜井です。(桜井記〉
期
胃
AA
+
昭和 3
7年 卒
十期会の皆さん / お元気ですか。大変ごぶさた致し
催します。母校の教授になりました溝上君,岩手医大の
ι まあ,こんな書き出しで始まることをお許
教授になりました高江洲君,おめでとうをこめてお祝い
ました。
し下 さし、。それ程までに長い間 ,クラ ス会の事について
の記念品目的呈を予定しております。また,学部会への焚
ごぶさたしておりましたが,卒業後 1
0
週年記念、のヒノレト
否も重要議題の一つです(目下会費未納,態度保留中〉。
ンホテノレでのクラス会以来. 3年ぶりでクラス会をやろ
十期会の会長,野間君はドイツ留学中て、
不在のため,
うと,目下準備中です。昨年の暮,東京在住の有志、が水
小坂君が代行しております。またクラス会は松本君が中
道橋の母校裏にある懐しのトミーグリノレで準備会を開き
心にな って 準備中です。と希望, ζ、意見, と要望等があ
ました。クラス全員に 出したアソケートの結果を参考
りましたらどしどし両君までにお寄せ下さし、。
に
, 今年の 6月に東京でクラス会を開催する予定です。
トミーグリノレ準備会出席者は次の通りです。
追って具体的なスケジュ ー
ノレはお知らせ致しますので,
全員ふるって参加して下さい。十期会の総会も同時に開
2
2
安藤,福武,堀,小坂,松本,溝上,田中,若月
出席番号順
(安藤記〉
故福島秀策先生を偲びて
大恩人
大 月 俊 夫 ( 昭 和 3年卒)
東京で苦学をしていました。
第 4学年に進む時,附属病院で使用する高額な器械代
実のところ父がある事業に大失敗をしま したので‘私は
について種々手を尽しましたが都合っかず休学に追いや
尽変在生勤学
と事に衛院大
亦洲恒
'病 科
も満科院軍医
て歯病陸ン
し魚軍戦天ピ
ま 6 陸野奉ル
き和'の'ハ
つ昭用団れは
にて採師ら生
職さ省遺せ先
就軍派さ策
力勃命班務附
賜
し 助卒。陸棚属秀て
当先なまに歯先富事さ
MP 島 を れ 配 ン の 林 の 下 と 援 に た
'満 配 島 し
M 福監ら高オ社小私し金と事し月
'と福之
2 島々月授
ぞか徒おとイ会'に話学の無ま
1 教
こ確生て'ラ式長様お奨大きき
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時生さしょ磨代次をれてを業し和目等凶主
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。
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大島げ大内後入者教
いで上専案其校医で
広物し歯に'学お専
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司き福正受先にに学縁
人'冥大。と島縮込小で
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者に霊翌まな思事当がし
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z' 先震遅で方いこで立たしてろりた出速も何を生がて
潔でに大位くい願と可でし'っこ通しし早て
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言まし立ととま申
高主。か京間近しお--不
7 う 一 れ 暫 り た ツ れ ひ 処 遅 の で'
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5 験入場しものら'ぽし一ら再たくた事のしょ
生持しでは
先のまん私際受の入ま'と去でんまヌかでしょっ私範格
され護の係にしろすちのよいえがのま心さ師合と
け,今日に至りました。
2
3
一一一 すいどうばし
一 一一
(西村,福島両先生をむかえ満洲在住者同窓会,年月,場処不明〉
と着任なされ,又々出会いの機会が多くなりました。
前頁の写真は満洲国康徳 3年 9月22日と明記してあり
ますので昭和 1
4
年 9月と思います。
前列は福島先生,奉天市の満洲国人歯科医師会の重鎮
みらしいようでした。戦功により 33歳の迂生も正七位勲
五等瑞宝章を拝受しましたとき,大変心をこめたお祝い
を賜はりました事を感銘深く記憶しています。
後述になりま したが終戦前には特に東歯専校と日歯専
2人, と小生,後列左から 2人目は,故野村孝君(昭和
校とは対立感甚しし率直に言ってお互にそっぽをむく
1
1年卒〉で,その他の方は東歯卒業者ですが,お名前を
傾向がありましたが満洲で日本歯科医専校長の 中原先生
忘れました。 と本人文はと知人からお便りをお待しま
は「福島先生は話せる人柄だJ と公やけに話され,心良
す。
く会談されていたとの逸話も記憶しています。
その当時,現東京歯科大学身長,関根永滋先生が新京
又東京の母校で生徒の及落判定教授会で或る生徒に就
陸軍病院に陸軍衛生兵としてと勤務されていたのではな
いて大多数の教授は落第表示であった際,福島先生は 1
いかと思い浮べていま す。
人決然と立って僅少の事で落第は穏当でないと頑ぱられ
重々恐縮至極の記述になりますがその当時福島先生の
故血脇校長も同意され合格決定となったとの逸話もあり
お話によりますと陸海軍,否,各省とも軍人国会議員は
ました。大人物であらせられた悌を思いつつベンを置き
別として民間人で歯科医専出身者で本省辞令で奏任官待
ます。(筆者,岡山県倉敷市在住。慶応大学医学専門部
遇(高等官〉の者は新京陸軍病院附の松尾某君と迂生の
卒,医博,歯科を標携して開業〉
4年頃花津,福島両先生をむかえ在満同窓会〉
(ハノレピンで ,昭和 1
24
すいどうばし 一一一一
福島秀策先生のことども
三 辰 会 米 津 和 一 ( 昭 和 7年卒)
(
ー〉
になったし同会の理事 ・奥村先生の残後,秀策先生は
秀策先生は,野口博士一時帰国の翌大正 5年,中井武
学長期間中理事で ,同様に杉山 ・関根の両学長も理事駿
一郎 ・風間文四郎の両先生らと一緒に母校を卒業され
を継承して今日に及んでいる。 1年後輩では鹿島参議院
た。一方校旗 ・校歌制定の年の翌昭和 3年入学の我々三
議員,村瀬東北歯大学長も総代として斉しく秀策生徒監
辰会員は,白山通り (旧電車通り〕前にあった今はなき
。
の訓育を受けた仲間. 40余年前の昔話りとはな った
東校舎でのわびしいパラ ック住ま 、。西校舎跡に秀策先
し
(
ニ〕
生現場監督され
母校卒業の昭
た新築の今の本
和 7年春,私は
館へ翌 4年春移
奥村先生の細菌
った。各方面か
に,松井教授は
ら見て,母校が
関根 ・松宮両先
近代的の学校ら
生と相前後して
しい学校になっ
花津先生の病理
たのは本館移転
に残られ,基礎
後である。入学
学教室では 4名
時にクラ ス総代
同年生というこ
4名が血脇校長
になる。 1
4年
好みで任命され
春,私は直接の
るが,入学の翌
指導者 ・中井先
年からは生徒の
生母校を去るの
互選。三辰会で
悲運に遭遇し
は 4年間総代勤
た。向年秀策先
続は駒ケ嶺君と
生満洲国に渡ら
私の 2人だけ,
れたもので,風
卒業時には田島 ・合津両君が総代に加わった。在学 4年
間先生は当時既に東京市技師に転出しておられた。世話
1年に中井先生
聞を通じての生徒監は秀策先生であり .1
ずき話ずきの中井先生の細菌室は,級友の溜り場でもあ
にパトンを渡して付属医院保存部充填科に戻られた。さ
った。不運続きの風問先生は 35年 4月 13日に逝去され
て 4学年計 16名の総代中には異色の人もいて,我々学生
た。終戦の直前に北京から中井先生無事帰国され,終戦
代表と学校との間に狭まれた秀策生徒監はさぞ苦労され
で秀策先生の夫人のみハノレビンから引揚げて見えた。
たことであろうが全校生徒 800名をよく統率しておられ
先生の引揚げは随分遅れて 28年 8月で,当時私は胸廓成
た。入学早々の 3年 5月21日,学聖 ・野口英世の逝去が
形手術を前年受けた後の静養のため市川病院入院中であ
報ぜられ,続いて学生会主催の同博士追悼会が青山会館
って,先生引揚直後にお見舞を受けて嬉しかった。戦中
でもたれた。閉会直後血筋先生を囲み,秀策生徒監を含
金モ ール花やかな満洲国交官服姿で、母校へ里帰りされた
めて母校幹部先生方や総代の面々とで撮った記念写真
のを一度だけ見たその日,会議室で集会中の三辰会席上
や,また母校卒業時,千駄ヶ谷の血脇先生邸へ生徒監に
で得意満面挨拶された時のあの先生の面影はどこにも見
伴われ総代 4名招待された時の本頁掲載の写真 もある。
られなかった。時の奥村学長は先生を再度母校へ迎え入
これが御縁でもあろうか,戦後私は野口記念会の評議員
れる意志はどうであったか,結局元同級生で満洲引揚組
25
一一一ー すいどうばし
8年 6月 1
9日,母校幹事 ・安井
あ ったかどうか。昭和 2
長,監事 もしたが, お蔭 で母校定年の直後に名 誉会員に
作太郎先生は,秀策先生の引揚げを待ちかねて逝去 され
推薦 されている 。秀策先生学長就任直後の 32年夏,三辰
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会玉井君の好意を受けて ,三原市の帝人工場や付属病院
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載 長'務担仏
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ら学昇ら
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席お。島もの会をたる院望の
2 年秀大と内て栄引始も古し続り辰さ島
出のる鹿事て援声げあ議衆ては
M' はら学し'を後を日くでだ三皆福
で君あ会理れ後
一挙で参につ選のり長生
し応のいげ庭5づまんと
同城で歯務か氏第での'員担当後あ学先力呼も。
住揚家月心頃し﹄め子
引な正人の楽星留末
ト扶蔭 日 専招同の放もが議を初年で策井協外きる仮
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26
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.後,遠慮気分も とれたらしく真に学長らしい学長にな
の阪大歯学部教授 ・渡辺悌先生のおられた大阪の年金
病院歯科に常勤嘱託として就職された。時の清水源一郎
られた。昭和の始め奥村先生らの提唱でできた , FD 1
病院長は阪大整形外科教授から 転出された人。私の郷里
とは別個の個人参加の国際歯科団体たる ICDの, 日本
・富山県の 魚津中学の先輩であ り,舎弟 ・清水源、二君並
部会の正式初代会長に34
年春秀策先生就任された。これ
人事部長大城宗利君と向級生でもあ った弘
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は福島 ・大井 ・松宮 ・鹿島フエローらの数年間の根廻 し
は大阪へ参上,秀策先生に同道して大城君と院長室にう
に依つて の出現で, 部会発足祝賀の席で新生日本部会第
かがし、先生の処遇改善を懇請 したが, 果 してずリヤクが
一期生の フエロ ー 4名の一人に私も選ばれたし,事務局
で,先生の新居では随時われらの接待役を務めておられ
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年卒である。杉
27
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すいどうばし
琴科寮と福島先生
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浦 安 夫 ( 昭 和1
0年卒)
福島先生が生徒監であられた助教授時代充填学
は何の仕度もなく後に従って遂に頂上を極め図ら
の講義叉金箔充填も手をとって教を受けたのであ
ずも夢科登山を果 したわけで、ある。学長先生が夢
るが長い戦争の空白をおいて再び御指導をいただ
科山に登られたことは ,誰も御存じないと思う。
いたのは多科寮が話題となってからであるから数
その際私は例によって先生と床を共にしたので、あ
えて 1
7・
8
年になるわけである。母校の
厚生施設を立科町にとの話が始ったの
が昭和3
2
年。翌3
3
年夏未開発の夢科に
福島先生が大井先生と渡辺昌夫,大塚
豊美両先生をお連れして来られ当時の
多科牧場の小屋の 2階,ランプ燈の下
でお泊りになったので、ある。同窓生は
小諸で 4先生を御歓迎 し,林輝幸君と
牧場長寺島父養氏(後の町会議長〉と
寮の建設予定地を決め,その年の秋借
昭 和40年 8月毒事科寮にて,東信支部総会に御出席の福島先生
地の契約をしたと記憶してい
るが先生は是非建設予定地の北
る。夢科寮が出来たのは昭和3
9
隣りの小川で歯をみがき洗面
年であるから以来 8年の間 ,福
もしようと連れ立ってお供をさ
島先生は建設のため細心の御努
力をされ,まさに毒事科寮生みの
せていただし、た。空気好し水
親である。毎年夏休になると先
の夢科をこよなく愛されたので‘
も好く緑もまた好 し
, 先生はあ
生は必ず母校の先生を 2人位御
8年私から基礎工事
ある。昭和3
案内されたものである。私はそ
が始り杉 山先生と松宮先生をお
の都度お相手をし ,国学院大学
寮に泊ってもらうことと した
。
福島先生の想い出は数々あるけ
=
..
昭和3
3
年夏,毒事科牧場旧事務所の 2階
れ ど,ある夏,御令息の直先生と大学の事務職員
連れして来られ,何から何まで
も御配慮、をいただいた。先生が
御不快で僅か中断されたこ とも
あるが ,その後は奥様と必ず年に一度は来ら れた
の方と 3人で来られ若い 2人が夢科山に登るとい
ものである。寮の屋根 ,冬の風目場,食堂,玄関
うから行ける所まで・行ってみようと申され,私共
ボイラ 一等細々と 心配されたこと数え切れない。
ある夏のこと中央線で夢科寮に来られ私が風邪で
休んでいるところ遠路見舞に来ていただし、て恐縮
の極みであっ た。昭和4
8
年には ,寮も大増築をし
たのであるが先生御夫妻と井上 同窓会長御夫妻,
高木先生御夫妻がお 出でになり管理人宮越さんの
山菜料理で地酒をくみ交 したのが最後の憶出 とな
ったわけで‘ある。
接 して居れば慈父の様な先生の教えは私の心の
昭 和8
年秋謬科寮基礎工事視察の福島,杉山,
山浦の各先生
28
中に脈々と して残っているであろう。
(筆者長野県立科町在住〉
すいどうばし 一一一一
私の中国訪問と中国人同窓の消息
穂 積 藤 雄 ( 本 会 理 事,昭和 9年卒)
私の念願であった中国旅行が昨年 1
1月「パンダを愛護
建設中である。戦争当時泥i
寧で 3日聞を要した八達嶺へ
する会」第三次答干し使節団の一員として実現した。
400粁の長
の道は立派に舗装され 2時間で到着。腕々 2,
2
年支那事変勃発と同時に自動車隊の小隊長とし
昭和 1
て出征し,北京より万里長城を越え進撃してから 5年間
城の一角に登って当時を想い出し胸迫るものがありま し
大陸の各地に転戦したが,その間北京に l年駐屯しまし
る寒い日でした。
た。帰路明の十三陵の見学, 1
1月中旬とはし、へ小雪の降
た。昭和 1
4
年奥村学長が視察と慰問のため北京にお出に
北京へ帰って気になる柳先生との面会についてもう一
なった時は,乗用車を提供し軍関係を始め北京の名所を
度旅行社へお願いしたら目下交渉中との返事。 4日目に
案内した事もありました。
連絡があって夕刻柳先生が私共のホテル民族飯庖へ来ら
今度の旅行目的は「パンダ」の会を利用して, 文化大
革命後の中国の姿を見,戦跡の一部でも訪ねられないか
との期待と ,中国人の同窓生数名の消息を調査したいと
いうことでした。一昨年はソ連旅行をしましたが,共産
れるとの連絡があった。
1>柳歩青先生の近況
先生は東歯 4年。東大 2年,千葉医大 4年と日本に 10
年留学された方で日本語も流暢,白髪まじりの上品な如
圏ではどこも旅
何にも学者らし
行スケジュー レ
ノ
い方で本年 62歳
は先方の政府機
とのこと。北京
関である旅行社
口腔医院の主任
が立てて,当方
教授とでもいう
の自由にはなら
地位である。私
ない。今度の旅
からは東歯の現
行でも出発前に
状を伝え話がは
北京,杭州,上
づみました。長
海に行くことだ
男は内科医,次
け判っていて,
男は工科大学を
詳細は不明。
出られ,三男は
出発前 1
1月 9
工人,お嬢さん
日東歯同窓会総
は 25
歳で未婚と
会で堤敏郎先生
(S1
5
卒〉から
(右は柳歩育先生,左は筆者〉
のこと。お孫さ
ん 2人で幸福な
伺級生柳歩青先生が北京市口!箆医院に居られることを聞
お暮しの様子でした。早速土産の日本酒,タパコ ,虎屋
きました。
の羊奨と TDCのネクタイピンを差し上げました。
北京に到着すると早速中国人同窓生名簿を国際旅行社
話によると北京大学には医歯系学部がなくて歯科医は
へ提出して面会できるようお願いしました。直接電話を
北京口腔学院で養成しているが,歯科医の数が不足して
掛けようかと思ったが,国情が違うので後から迷惑がか
いるので第 2口腔医院を建設中であるとのこと。中国か
かることを心配して乙式ノレートで面会できるのを待つこ
らは現在個人が外国へ送金して外国の学術図書雑誌を買
とにした。
入れることができないで困っているとのことでした。ク
天安門広場,紫禁城,人民公社,小中学校等の見学に
ついで万里長城八達嶺へ行くことになった。
昔立派にあった北京の城壁は取り除かれ,環状道路を
ラス会で中国同窓に日本の雑誌でも送って頂いたら,日
中友好増進の一助となると思います。
関根学長や同級生の竹内光春先生に特によろしくとの
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息 苦
苦
55.5619
33.1362
北京より送られて来た中国東歯同窓会員名
(注〕上より二行自・ 鉄路O医院の Qは総の略字。
最下段:郵O医院のOは電の略字。
ことで した
。
申込んだところ ,翌日来訪されました。ガ ーデンブリッ
同窓会名簿の S1
2
から S1
7年の間の分を切り取り持参
チ〔今は外白渡橋と呼ぶ〉近くの上海大医というホテノレ
し差上げま したとこ ろ,非常に懐かしく学友を想い出さ
で話がはず む
。 先生にお年を聞くことを忘れたが柳先生
れていた様子で、 した。又中国人同窓生数名の方の近況調
と殆んど同 じ位いと感じました。やはり歯科学生教育と
査の依頼を致しましたところ後日送って参りました。
臨床とで大変忙しい様子で した
。
5日間北京滞在後空路で,風光明朔な杭州へここで 1
中国は小学校 5年(都市では 6年〉初級中学 2年〈段
泊し特急列車で上海へ入る 。
山村)初級高級 4年(都市〉でそれぞれ 7年乃至 9年が
1>黄群華先生の近況
終ると 2ヶ年間段村或は工場で自分を鍛えた上で,大学
北京の柳先生から黄先生 (S1
2
卒〉が上海鉄路総医院
においでになることを聞いたので、上海で‘
も旅行社係員に
3
0
志願し ,所属職場の大衆討議を経て推薦される。 日本の
ガリ勉入学とは大分違う 。
すいどうばし 一一一一
大学生は各自の情況に応じ毎月最高 2
0元 (1元は日本
の1
50円〉の奨学金を貰う。
c
>上海第 9人民病院見学
外科では針麻酔抜歯が盛んに行はれ,短時間の見学で
も数例見受けました。
鋳造床局部義歯があったのて‘
価格を尋ねましたと ころ
訪中団には歯科医は私 1人。家内と昔私のところに勤
めていた技工士(戦友〉の 3名のために旅行社は親切に
2
0
元といって居られた。
ポーセレン,メタルボンドはやっていないし金の使
病院の歯科を見
用も禁じられて
学させてくれま
いる。
した。中国では
歯科機械,材
歯科と呼ばず口
料は総て国産。
腔科と呼ぶ。口
自力更生の意気
腔 科 が 口腔 内
込みがひ しひ し
科。口腔外科。
と感ぜら れた
。
矯正科に分れて
医療の重点が全
いて,補綴は矯
人口の 85 %の
正科で行ってい
農,工,兵の階
る
。
層に向けられて
これはソ連様
いることもお国
式で友好関係の
柄である。中で
よかった頃の分
も紅衛兵出身の
類の仕方が今も
歯科学生が軍服
残っているとの
〈右から黄群華先生,穂積夫人,筆者〉
説明であった。
の上に白衣を着
て治療をしている姿は印象的でした。
建物は英国のキリスト教会の病院をそのまま使用して
ともあれ今回の旅行は中国側の好意であらゆる面に便
い る。設備は古く ユニットには電気エンジンのみで昭和
宜を計らって頂き ,お蔭で東歯同窓生は中国にあって
初年の型のものが大切に使用 されていて , タービンは使
も,指導的立場で大活躍されていることを御報告いた し
用 されていない。最近上海でオイノレタ ービンが完成した
ます。
とのことで l台だけ設置されていた。
岡弘
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第 3回全国
ゴル 7 大 会 成 績
前回号は記事頼度のため掲載出来ませんでしたので今回下記の如く発表致します。
尚今年度の大会は同窓会 80周年記念大会を 1
1月 1
4日(金〉関東名門コース千葉袖ヶ浦カントリークラブで開催
します。
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(ハンデ 1
8点)
A 組成績 表
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により有意義な且つ楽しい大会になりましたことを皆様
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(ハンデ" 19~36 点〉
と共にお喜び申上げます。
昨今はこのような 200名に及ぶ大会を催すことは益々
困難になって参りました。今回は越生(おとせ〉カントリ
ー・ クラブの御好意、
により開催出来ました。オ ープン後
l年余のコ ースのため満足するコン ディションではあり
ませんでしたが, 短い秩の日に皆様の御協力により無事
全員ホールアウト出来ましことは御同慶に堪えません。
終りに本大会に熱意をもって御世話下さった阿保 ・熱田
両理事を初め諸先生方に厚く厚く御礼申上げ御挨拶と致
し ま す 。 ( 城 谷 加 寿 雄 )
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貸診療所
5年卒,中山正が急逝のため診療室
昭 和2
場所京王線つつじケ丘駅下車
徒歩 3分
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開設後
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武村千鶴(旧姓黒柳)(
34年 卒〉
.原稿応募規定
原稿締切りは奇数月の 15日で,翌月発行の会報に掲載いたします。
投稿は原稿用紙に横書きでお願いします。便重などのと使用はと遠慮、下さい。尚この会報専用の原稿I
用紙
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5字 x1
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行〉も準備しでありますから,必要な時に請求して戴けば,お送りします。
随想,詩,短歌,時評など,寄稿は 1 編 1 , 500 字以内 ぐらい,クラス会だよりは 700 ~ 800字程度でお
願いします。よろず告知板も, C遠慮なく御利用下さい。
折角 C寄稿戴いても,規定字数を超える場合は,掲載いたしかねることがありますのでと諒承下さい。
「私のアルバム」の材料などは ,ほとんどの皆様がお持ちと思います。簡単な文章をつけて是非と提ー
供下さし、。また古い想い出の写真など,お貸し願って誌上で昔のよしみを温めたし、と存じます。
原稿及ぴ写真は原則としてと返却いたしませんが,特に貴重な写真などの場合はその旨お書き添え下
さればと返送申しあげます。
。へんし ゅうこうき
お待ちかねの同窓会報合本ファイルを,本号と共にお届けいたしましたのでご利用下さい。
同窓会報もスタイルを変えてから 3年目になりました。更にスタッフ一同で、新たな構想をねっており
ますが,良いと着想がありましたら,と一報下さい。
おかげさまで原稿も順調に集まって居ります。でも,予算の関係もありますから,投稿規定による字:
数を守って戴き,できるだけ多くの会員諸氏の原稿を掲載したいと存じますのでご協力をお願いしま
す
。
同窓の皆さんには,全員に会報を隔月お送りしておりますが,毎号4,
50
通返送されて参ります。会員ー
がと住所を変更された場合は,自他に拘らず速かに本部までと一報下さい。
昭和ω年 2月1
5日 印 刷
編集 ・発行人
昭和5
0年 2月2
5日 発 行
伊 丹 一 男
東京歯科大学同窓会
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東京歯科大学同窓会会報第 1
印 刷 所
東京都千代田区三崎町 2- 9ー 1
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っしょに考えたい﹂そんな願いからオサダが発行してい
る 機 関 誌 で す 。 圏 内 、 外 の 診療 室 を 訪 問 し た り 、 女 優 さ
んを訪ねたり、待合室においていただこうと編集してい
ます 。 ご 希 望 の 方 は 下 記 の 請 求 券 を お 送 り 下 さ い
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ご 指 導 ・ 金 竹 哲 也 先 生 ・河 辺 清 治 先 生 ・ 中 村 広 次 先 生 ・ 桑 田 正 博 先 生
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作業側
-上 、 下 顎 を 陶 歯 、 プ ラ ス チ ッ ク 歯
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