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歴 史 地 震 の 研 究 (

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歴 史 地 震 の 研 究 (
1
6
1
歴 史 地 震 の 研 究 (1)
天正 13年 1
1月29日 (
1
5
8
6
年 1月1
8日)の地震の
震害、震度分布および津波について
田
飯
汲
事
I
n
v
e
s
t
i
g
a
t
i
o
no
fH
i
s
t
o
v
i
c
a
l Earthquakes (1)
i
s
t
r
i
b
u
t
i
o
no
f Seismic I
n
t
e
n
s
i
t
y,and
Earthquake Damage,D
Tsunami o
ft
h
e Tensho Earthquake o
f1
8J
anuary1
5
8
6
.
Kumizi IIDA
天 正1
3年 1
1月2
9日の地震の古資料の収集を行い,それらを調べ直して解析し,震害の全貌を明らか
にし震度分布を求めた。また震源の位置,地震の規模を定めた。震源地は伊勢湾内である
ζ
と,地震
のマグニチュードは 8クラスであることを示した。なお乙の地震の津波の規模および被害について新
I
L見解を述べた。
1
はじめに
3年 1
1月2
9臼 (
1
5
8
6年 1月1
8臼)の地震は大日本
天 正1
地震史料によれば,瀕海の地は海噺暴溢しとあり,津波
も広域であり,津波の発生もあったので,震源域は伊
勢湾内から臨海域およびその北部にわたる広域であった
1
7
)
今回得られた震害の資料を従来のものと
と考えられる 1
の発生が考えられる。しかし増訂大日本地震史料や理科
併せて報告し,その解析結果を述グてることにする。
年表ヰは津波の記事がなくなり,しかも震央は岐阜県大
2
.
日岳付近の東経 λ 出 136.8 0 E ,北緯 Ø~36.00N となっ
天正地震の震害について
(
i
)従来地震史料にある震害の概要
ており,山崩れによる被害の強調がめだっている。大森
4
)
房吉によれば津波地震として取扱われているし,気象庁
3年 間 2
9日乙丑,山城,
大日本地震史料もは,天正1
l津波の記事があり,震央は入=
観測指針には伊勢湾岸 ζ
大和,錆津,近江,美濃,尾張,伊勢,三河等の諸国地
1
3
6
.
80E,o=35.00N ,マグニチュード M~ 7
.
9となっ
C
震い,瀕海の地は海繍暴溢し,入畜死傷彩し,余震
大f
より長良 J
l
l
f
C
亘る線とな
ている。また震源地は飛騨白)11
っているが,その震央は伊勢湾になっている。
年を越えて止まずと記しである。
増訂大日本地震史料では,幾内・東海・東山・北陸の
以上のように,乙の地震には津波を伴ったことが知ら
I
I谷においては
諸道大に震い,越中木船城崩れ,飛騨自 J
れるので,海域の地震が考えられる乙と,大地震の震源
3
0
0人の死者を出し,人畜死傷移し,余震年を越えて止
域がど ζ であったかによって,今後発生する大地震に対
まずとある。
する防災対策上の考慮か重要であるとと,既往の地震よ
本那大地震概品は,伊勢・尾張・美濃・近江・飛騨
り地震の発生および被害の地域特性を考察するための資
越中の諸国,地大に震い家屋潰れ所々火災を発せり,就
料としても重要であることなどから,乙の地震の資料を
I
I (射水J
I
I
) 流域
中越中・飛騨両国・西部を北流する庄 J
調べ直した。特 i
乙今まであまり知られていない伊勢湾付
の地は震害甚しく山崩れ移しかりき。越中国木船城崩陥し
近村落における古い資料を発掘収集して吟味した。その
当時在城の前田秀継圧死せり。京都にでも震害少なから
結果,震害は伊勢湾北部にきわめて大きく,震害の範囲
0間程揺り崩きる。伊勢湾の沿岸に津
ず東寺講堂の棟瓦1
飯 田 汲 事
1
6
2
波ありたり。天正1
3年に信濃飛騨国境なる焼獄西麓 l
乙大
によれば,長島城は天正1
3年酉冬 1
1月2
9日勢尾大地震に
騨国方面に泥土を押し出し中尾の村落を埋
崩壌あり,飛l
て殿門矢倉塀等総て破壊され,火災も発生し石垣が少し
没したりとの口碑あり。乙れは事実ならんも,焼獄噴火
残った程度であった。坂手山最勝寺は地震で破壊され,
乙非ずして此の天正1
3年地震の為』 ζ大なる山崩れを
の為 l
後尾州海西郡立田村に移転し,杉江長祥寺は天正1
3乙酉
生ぜし結果なるべしとある。
大地震で俗僧ともに破壊の地となったとある。加路戸の
以上は既往の主な資料から得られた総括的な被害状況
内,唐崎の地は民家 8
∞余軒で絹細布,木綿織などの取
を示したものである。地震観測指針では飛l
騨白JlI
谷にて
ヨ│で繁栄の地であったが,地震のために加路戸は一時に
とより死者 3
0
0余,美濃,大垣,尾張,長島,
倒潰埋没 l
泥土となり,土民の家悉く転倒し,人馬倒死路巷 K充ち
三河岡崎,近江長浜等も被害大で,家屋倒半壊 4
0
0戸
,
たとある。善田新田も一時に泥土となり士農ともに亡失
余震は翌年まで続く,伊勢湾沿岸に津波とあり,また関
したとある。箕田村安養寺,東光寺,中島寺,善光寺等
東,申部近幾地方全般から東北,四国地方の一部が震域
は没亡している。長島町誌によれば長島城は 1
1月2
9日の
となっている。また増訂日本地震史料中にある飛騨史壇
天商地震で本丸,多聞などが倒壊し,石垣のみが残った
および大日本地名辞書の文献に乙の地震で保木脇の帰雲
ようである。天正1
9年豊臣秀次が石垣,塀,矢倉などを
山城が大山崩れで埋没し,城主内ケ島氏理一族以下家人
修復したことが長島細布 l
己記されているが,二の丸の堅
3
0
0余圧死埋没したとある。さらに山内系図三輩記には
もなく竹薮が生い茂り,城門の扉もなかったようで元の
白川谷で山崩れで 3
0
0余戸が埋没し,数百人の男女が埋
半分にも及ばなかったと記しである。古来の伝承 K本城
没圧死したという記事があるので,結局飛騨白川谷の保
を「二重域」というが,天酉地震で域の地盤が沈下し,
木脇で大山崩れのため帰雲山威埋没,城主内ケ島氏外数
元の結構の上にさらに築城したので言ったという。現 l
乙
百人圧死,家屋倒壊埋没 3
0
0余戸となる。なお山崩れの
長島中部小学校敷地の古井戸の底から巨材を横たえ巨石
ため白川が堰き止められ2
0日間も水が流れなかったとい
を並べた遺構が発見されているが,あるいは旧遺構の石
。
っ
垣の胴木ではないかと思われると記されている。長島記
越中木船(富山県福岡町木船)では木船城が地震動で
では尾勢大地震の時,平田忽ち涌出,山原野直ちに江河
ζ1上れば
3丈ばかり沈み崩壊し,城主前田秀継以下多数圧死した
崎じ,長島城大破壊云々とある。木曽崎村正
lは1
1月2
7日という記事もあるが, 2
9
という。乙の震害ζ
乙再営したとある。
加路戸の浄安寺が亡所となり岐阜 l
日の誤りであろう。近江(滋賀県)長浜では城主山内一
豊の幼女をはじめ数十人圧死し,京都では東寺講堂,濃
0
0体倒れた
頂院破損,三十三間堂の仏像が 6
l
f尾張長島
j
lよれば95T6反 8畝 2
6
歩(約9
5
.
7
h
a
) の田畑
津島市史ζ
がゆりこみ永荒地になったのは,との地震による陥没の
結果であるという。
ζ のため津島が衰微したが,それま
(三重県長島)では被害が大きし大垣では漬家が多く
で木曽川河口部の港町,門前町(広さ 5-6丁)で数千
また出火し,城中残らず焼失している。尾張岡崎城が破
軒の家があって繁昌していたという。したがってかなり
損し,また阿波では地割を生じた。京都・三河などで連
地震で被害を受けたと思われる。多度町史によれば徳蓮
日余震があり,翌年 3月 Cろまで続いている。
寺,阿弥陀寺,薬師寺,西道院,即心院
(
i
i
.
)今回判明した震害の概要
l
L
5寺は堂塔悉
乙埋れ,僧尼も
く潰れ,大師の遺物,縁起等すべて土中 i
d
Lどの資料に
長島細布?長島言己?長島町岩?長島記
d
f
Eよれば甚目
また何れかへ四散したという。尾張 j
旬行言
より長島付近における震害が新しくわかった。長島記附
寺(新居屋)の法性寺の堂殿が傾倒し,寺付近の二王門
では,森島,符丁回,篠橋など乙の地震で湧没したこと
大日堂,十王堂,弥陀堂,昆沙門堂等か被壊し,津島の
が記されており,森島は民家数百軒あったカ河主民は流亡
興禅寺は諸堂敗没しかっ火災にかかり伝記悉く失うとあ
または離散し,幾~霜を経て築震が生え,元和年間再び
る
。
新開地となった。森島について符丁回,篠橋等も新聞き
以上は主な資料についてその震害の概要を示したが,
c
再
れ旧名で呼ばれた。長島城は乙の地震で倒壊し,後 t
さらに他の資料と合わせて新たな震害を総合すれば次の
建されたが元の半分にも及ばなかったとある。加路声は
ようになる。
湧没したが,島は千軒の人家があり大繁昌した地であっ
(
1
)木曽三川河流域における沈下地域
た。また北野,駒江等も中世 K は有名な土地であったが
津島 (
9
5
.
7
h
a
) ,長島,佐屋,西新田(十四山村) ,
地震のために湧没した。下坂手村の地蔵堂は破壊され,
鎌島(弥富) ,多度(桑名) ,海津等の地域
繁栄した土地古瀬れて回池に変ってしまった。長島細布
1
6
3
歴 史 地 震 の 研 究 ( 1)
なお江州(滋賀県)長浜,佐保山(彦根)…)越州(福
1
2
1島のその他の沈没
加路戸,見入,中島,篠橋,符丁悶,森島,北野
倉,江 d
l
j
除名,鎌ケ池,駒江,大島 蔑生
p
p
9
華
r
r
又木,平
万,長十郎起し(西新田)などの 1
7島 l
乙及んでいる。
井県)北ノ庄(福井)鶴賀(敦賀
l
乙当時の島を記入してある。
山
長
¥
溜
局
¥
工
申
アF
度
P
Zと、も滅亡の地とな
っている。図 1f
こ烏の沈没を示した。図 2は現代の地名
/
¥!/
毘
ilJj費面
保保条
5
長
}
持
噴
事
伊勢渇
。
岡田市市
図 1 天正地震における木曽三川河口@伊勢湾臨海地域における
諸島の沈没
蔭影部分は沈没を示す
3Km
飯
1
6
4
回
汲
事
3草
,
J 市
F
z
i
曹
~
主
時
/
ノ
、
'
4
事
。
:
1km
l示した図
図 2 天正地震における諸島沈没位置を現在の地図上ζ
1
百
9(
¥
1
加子母村の威徳寺わ'よび津島の興善寺は倒壊後火災に
(
3
)社寺院の倒壊被害
浄安寺(加路戸) ,長島六坊のうち安養寺・善正寺・
東光寺・善光寺の 4寺(長島) ,最勝寺(坂手) ,長禅
寺(杉江) ,捻見寺(大島) ,徳蓮寺・阿弥陀寺・薬師
寺・西道院・悶j心院(桑名) ,興善寺(津島) ,法性寺
)
1
1威徳寺
(甚目寺
F,稲荷社
(
'
1
情村現在加子母村
(小島),日高神社(押付)諏訪大明神社(加路戸) ,地
蔵堂(下坂手) ,真清神社(一宮〉2
1
)
かかり焼失した。
d
L
〉破損した。
なお長島の八幡神社,伊勢外
(
4
)域の倒壊
長島城,篠橋城,加路戸城,善田城,桑名城および長
浜城が倒壊した。
雲域,木船域は埋没
このほか岡崎城が大破したが,帰i
している。
歴 史 地 震 の 研 究 ( 1)
以上より死者数は正確ではないが, 6,000~7 , 000人余
(
5
)
死者および建物の倒壊
死 者
り日路戸
屋舎倒壊(軒)
800~ 1
0
0
0
1
0
0
0 以上
約 500
数百
殴 名
約 500
数百
大 島
約 2
00
約 1
0
0
津 島
約 500
中駒平
森 島
1000~2000
島 約 1
0
0
200~500
i
:I汐
1
;
万 ゥ
1
1
野橋回度垣浜脇
1ョ ー イ
北篠符多大長保
1
1
1
1
約1
0
0
0
500~1000
約 200~
3
.
津波について
2
3
1
乙の地震に津波が伴ったと推定されるのは伊勢の穂原
に津波がきたという記事があり,力日路丙の西
9
武兵衛新
回では猛水のため欠失,巾島で、は地麗水難のため欠け失
せ残り少々などとある。また森島
没
a
符丁目・加路 H は湧
北 野 .1.駒江・篠橋副見入等の湧没とあるほか,善田
9
殿名は泥十一化し仁農ともに亡失とある。臨海の地は水難
溢波
9
亡所などとあり,田畑が長く荒地となっていたよ
I
1
かったものと思われる。長島・鎌島・福島等では地震と
1
1
約1
0
0
0
約 5
0
0
閃~
と推定され 9 民家も 8000~ 1
2,
0
0
0軒以ヒ倒壊したものと
考えられる。
うで,海水の浸入などにより塩水が溜まり耕作ができな
5
0
0
約 。
約1
0
0
0
1
0
0
約 5
0
0
数百
木 船
多数
多数
:
t
'
i
お U
l日
多し
多数
加子母
20~30
約
6000~7000 余
8000~ 1
2,
000
1
3
[
.
0
36~
1
6
5
5
0
同時に海水溢れ溺死者が多く, ?,度合郡穂原 l
こも津波が及
んでいる。
津波の高さは各島への海水浸入からみて 2~3m くら
いと推定されるので,津波の規模は今村・飯田スケ
ル
で m =1
.5くらいとなる。
4
.
震度分布
図 3(乙震度分布を示した。民家の倒壊 破損および地
9
1360
1380
@
、
鳥
耳Z
@甲府
む
グ
0
136
図 3 天正地震の推定震度分布図
0
138
0
34
品
飯 田 汲 事
1
6
6
変状況等より推定した震度は,大垣,長高等は震度 7,
事のほか余震があったという記事が見当らない。やはり
津島・一宮・長浜・名古屋@桑名・彦根は震度 6~7 ,
伊勢湾臨海域から琵琶湖付近までが震源域をなし,余震
伊勢@敦賀・福井・保木脇・木船。加子母は震度 6,京
の発生も多かったものと思われる。山崩れは,震央より
都・岡崎。渥美。洲本は震度 5~ 6,大阪・飯田咽高松
140~150km離れた地点においても大地震の場合には起こ
e
1
9
7
0年 5月3
1日のベルー・チン
岡山は震度 5 と推定した。これらの震度分布を図 3I
C7
f
く
りうると考えられる。
したがヲ震度 6の範囲の面積を求めると 2
.
5x1
0
'
k
r
n
'と
ボ テ 沖5
0
k
m
l乙起こった Ancash地震
なる。これを筆者が求めた震度 6の面積 Sと地震の規模
0
0
k
r
n離れた標高 5,600mないし 6
,
4 mのHuascaら約 2
o
2
日
(
M7
.
8
) では震央か
∞
ran l-[j~の氷河の一部が崩壊して山津波が発生した。こ
M との関係式
の山津波で山から 1
3
k
r
n離れた Yungay部落が全滅したが,
Log S(
k
r
n
'
)=1.3M-6.3
このような事件も震源から遠く離れた地点において発生
8
.
2となる。この地
1
1谷の山崩れによ
しているのである。天正地震の網開白 1
震の規模が ζ の程度であるかどうかを 1
9
2
3年の関東地震
る災害はこの Ancash地震の場合と類似性があるように
Cは天正地震と関東地震
の場合と比較してみよう。図 4I
も思われる。
より
9
地震の規模M を求めると M
二
とにおける震度 6および震度 7の範囲を示したが,両者
を比べると,天正地震の主主度 7および震度 6の範閉が関
東地震のものより大きいことがわかる。したがって天正
5
おわりに
今回,
ζ
の地震に関する資料を新 l
こ多く収集すること
地震の規模が関東地震のより大きかったものと考えら
ができたので,それをもとに解析した。地震の震害は伊
れる。
勢湾臨海部においてきわめて大きいことがわかった。そ
の震害の状況より震源地を推定したが,伊勢湾内が適当
この地震の震央は伊勢湾内にあると考えたほうがよく
と考えられる。震度分布を推定したが,震度 7および 6
3
6
.
8 E,北緯3
5
.
0 Nがよいと
地震観測指針の示す東経 1
0
0
お)
考えられる。余震の記事を示すのは尾張・三河。京都な
の領域は比較的広域であることがわかった。それより地
l多いが,臼 1
1
1谷や木船では山崩れや埋没の記
どの資料ζ
震の規模を推定するとマクニチュードM が 8
.
2となった。
b
(
ノ'
5
,r
J'
phv
Jf
¥-
/
/
¥
、
、
¥
J
o
∞km
1
匝恵理署盟晴瞳量瞳盟理品
図4
天正地震と関東地震との震度分布比較図
。
1
6
7
歴 史 地 震 の 研 究 ( 1)
乙の地震により死者が約 6
0
0
0
7
0
0
0
人余,民家の倒壊が約
1
0
)
伊藤定照: 長島細布,長島町教育委員会,享保
1
2,000-13,0
0
0軒に達したものと思われる。なおこの地
1
5年 3月
e:走行する養老断層に関係
震は伊勢湾を北北西一東南東 I
1
1
)
小寺氏五郎左衛門:長島記,享保1
7壬子 7月
して発生したのではないかと考えられる。
1
2
)
伊藤重信:長島町誌上巻,長島町教育委員会,昭
終りにのぞみ,この地震の資料収集 l
乙当り種々御援助
をいただいた名古屋市役所服部鏡洋氏並びに碧南高等学
和4
9年 1
1月
, 80-5
1
8
1
3
)
校坂部和夫氏に深く感謝する。また金沢大学工学部安達
正雄氏からも白鳥町史,外宮召立文案などの資料を送っ
小寺氏五郎左衛門:勢州長島記附,全,元文元丙
辰歳秋 9月
1
4
)
木曽崎村教育委員会:木曽崎村史,昭和4
3年
,
1-21
己記して謝意を表する。
ていただいた。乙乙 l
1
5
)
参考文献
津島市史編さん委員会:津島市史 (
5) ,津島市
教育委員会,昭和5
0年 3月
, 17-19
1) 震災予防調査会: 震災予防調査会報告(大日本
地震史料)第4
6号(甲)明治3
7年 3月
,
180-1
8
4
1
6
)
多度町教育委員会:多度町史,昭和3
7年
, 7
9
1
7
)
名古屋業書続編,第 7巻,尾張 f
旬行記(四) 8
0,
161-1
6
2
2) 武者金吉編,文部省震災予防評議会増訂大日本
6年 4月
,
地震史料第 1巻,昭和 1
3) 理 科 年 表 丸 善 昭 和5
2年
,
553-5
7
4,
1
8
)
地 1
6
1
0年
4) 大森房吉:地震学講話,東京開成館,明治4
白鳥町史史料編,長瀧寺経聞坊,年代記録(抄)
7
6
1
9
)
63-64
白鳥町史史料編,長瀧寺荘厳講執事帳,第 2巻
,
2
5
0
5) 気象庁:地震観測指針(参考編) ,昭和44年
,
1
8
4
5
8
6年天正地震および 1
0
2
6年万寿地震の
6)飯田汲事:1
2
0
)
加子母村:加子母村史,昭和 4
0
年
, 6
5
2
1
)
愛知県:愛知県災害誌,昭和4
5年 3月
,
津波と震害,第1
4回自然災害科学総合シンポジウ
ム
, 1
9
7
7年 8月
,
3
9
3
5
8
6年 1月 1
8日(天正1
3年 1
1月 2
9日)
7) 飯田汲事:1
1575-1578
2
3
)
2
4
)
3
3
9
8) 震災予防調査会:震災予防調査会報告(本邦大地
震概表)第8
8号乙,大正 8年 3月
, 6-7
9) 宇佐美龍夫:資料日本被害地震総覧,東京大学出
9
7
5年 3月
, 4
3
版会, 1
亀山測候所編:三重県災異史,昭和4
5年
, 1
0
K
.I
ida:L
ecture N
o
t
eo
nS
e
i
s
m
o
l
o向 T,
U
n
i
v
e
r
-
s
i
t
yo
fC
h
i
l
e,1
9
7
2,1
8
9
の地震の震害と津波,地震学会秋季講演会講演予講
2年 1
1月
,
集,昭和 5
4
6
2
2
2
) 宇治山田市教育委員会:宇治山田市史,昭和 4年
2
5
)
田原町教育委員会,田原町史,昭和4
0年
, 1
5
2
6
) Mateo Casaverde:ペルー市ユンガイ市におけ
る1
9
7
0年 5月3
1日の地震およびなだれ(日本語訳)
9
7
1年
, 1-6
ペル一国アンカッシュ大地震報告, 1
(受理
1
9
7
8
年 3月2
0日)
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