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中欧から現代を考える - 大阪大学大学院文学研究科・文学部
2010/12/13 現代教養科目「現代文化を読み解く」: 「グローバリズムと哲学的思考」 第9回 「中欧から現代を考える」 2000/12/08 浜渦辰二 (文学研究科・臨床哲学) ドイツ語が母語ならドイツ人か • 例えば、夏目漱石(1867-1916)は、日本で生まれ育ち、 日本語を母語とし、日本民族に出自を持つ、日本の文学 者である • では、例えば、『変身』や『城』の著者フランツ・カフカ (1883-1924)はどうか? • カフカは、ドイツ語で書いたのでドイツ文学に分類された りするが、ドイツで生まれ育ったわけでも、ドイツ民族の 出自でもない • 他にも、同時代の文学者リルケ、哲学者フッサール、精 神科医フロイトについても同様 • 彼らはみな、ドイツ語が母語ではあるが、オーストリア帝 国(1806-1867)ないしオーストリア・ハンガリー二重帝国 (1867-1918)に生まれた「中欧」人 「中欧」って何? 自己紹介 • 文学研究科・臨床哲学/倫理学 • ふだんは「臨床」や「現場」というミクロな視点に重心を 置いているが(例えば)、 • 今日は「世界」と「歴史」というマクロな視点に立って考え てみたい • もともと、「20世紀の扉を開いた哲学」である「現象学」の 創始者フッサールの研究が出発点 • なかでも「間主観性(intersubjectivity)」という問題から、 自己・他者、コミュニケーション、学際性・間文化性、正 義とケア、ケアとビジネスといった問題を考察してきた • 今日は、フッサールの登場した時代背景である「中欧」 から現代のグローバリゼーションの問題を考えたい フッサールの場合 • ライプチッヒ大学・ベルリン大学で学び、ハレ大学、 ゲッティンゲン大学、フライブルク大学(すべて当時ド イツ帝国)で教壇に立ち、フライブルクで死去した • しかし、もともとオーストリア帝国モラヴィアで生まれ、 ウィーン郊外およびオルモウツのギムナジウムで学び、 ウィーン大学で博士号をとり、ウィーン大学のブレン ターノのもとで哲学に目覚めた(フッサール関係地図) • 最晩年にウィーン、プラハで講演をしている • やはり、他の「ドイツ哲学者」たちとは違って、出身は 「中欧」人だったと言えよう 「神聖ローマ帝国」って何? • 地理的な概念としての「Central-Europe」 • 文化的な概念としての「Mitteleuropa」 • 古代ローマ帝国(BC27-AD395) • 歴史的な概念としては「神聖ローマ帝国」 (962-1806)に重なる • ゲルマン人中心のフランク王国(800)成立 – 古代ローマ帝国が西ローマ帝国と東ローマ帝国に分裂(395) – 西ローマ帝国はゲルマン民族の大移動により滅亡(476) 、東ローマ帝 国はオスマン・トルコ帝国により滅亡(1453) – フランク王国が西フランク、中フランク王国、東フランク王国(それぞれ、 フランス、イタリア、ドイツの原型)に分裂(843) • 東フランク王国から神聖ローマ帝国(962-1806)が成立 – 神聖ローマ帝国の時代( 12~14世紀)に、ドイツ東方植民(ドイツの辺 境伯、騎士団、修道院などが行ったスラヴ人居住地などへの植民)やド イツ騎士団・ハンザ同盟のバルト海進出が盛んに行われる – ナポレオンにより神聖ローマ帝国解散へ(1806) 1 2010/12/13 神聖ローマ帝国崩壊後 「中欧」の消滅と復活 • 「プロイセン王国」(1701-1871)と「オーストリア帝国」(1806-1867) の主導権争い • 普墺(プロイセン対オーストリア)戦争(1866)でプロイセンが勝ち、 プロイセン主導による「ドイツ帝国」(1871-1918)の成立 • 弱体化したオーストリアは、ハンガリーとの「アウスグライヒ(妥 協)」によって「オーストリア=ハンガリー二重帝国(ハプスブルク帝 国とも)」(1867-1918)となる • ともに、第一次大戦で敗戦し、大戦後(1918年)に崩壊(ワイマー ル共和国、オーストリア共和国、チェコスロバキア共和国、ハンガ リー王国、セルビア・クロアチア・スロヴェニア王国に解体、一部 ルーマニア、ポーランド、ロシアに分割) • そこから、「小“中欧”」(旧「オーストリア帝国」のみ)と、 「大“中 欧”」(旧「ドイツ帝国」も含む)という二つの考え方がある • 第二次大戦後、アメリカ合衆国を盟主とする資本主義・ 自由主義陣営と、ソビエト連邦を盟主とする共産主義・ 社会主義陣営とが対立する「東西冷戦」の時代となり、 東西の境界に「鉄のカーテン」が下ろされた(1946-1989) (分断されたドイツ) • それとともに、数世紀にわたってドイツ人が住みつき、故 国同様、先祖代々住みなれた土地(ポーランド、チェコ、 ロシア)から、1200万人以上のドイツ人が追放された • そのとき、東欧と西欧の間の「中欧」が消滅した • それから43年後、ソ連のペレストロイカ、東欧民主革命、 東西ドイツ統一、ソ連の崩壊という、東欧革命(19891991)によって、「中欧」が復活してきた 「中欧」の復活 「中欧」の特徴 • すでに1970年代から一部の知識人や反体制派の間で西でも 東でもない「中欧」という空間が注目を浴びていた。 • 例えばミラン・クンデラ(チェコ出身の作家)は1984年のエッセ イ「誘拐された西欧―あるいは中央ヨーロッパの悲劇」におい て「最小限の空間における最大限の多様性」である「中欧」と、 「最大限の空間に最小限の多様性」であるロシア/ソ連とを対 照させ、共産党体制が「中欧」とされる地域にとって異質なも のであることを指摘した。 • 東欧革命の後にポーランド、ハンガリー、チェコ、スロバキア、 スロベニア、クロアチアなど「東欧」と呼ばれていた国々は揃っ て「自分たちは『東欧』ではなく、『中欧』であると主張し始めた。 以降それらの国々の主張に従って彼らを旧共産圏で、ヨーロッ パの東側にあったことから単純に「東欧」と呼ぶのをやめ、「中 欧」と呼ぶ試みがはじめられている。 「中欧」とドイツ人 • イギリスにとってもともと「ヨーロッパ」というのは大陸の人々 を指す言葉。イギリスは最近まで七つの海を支配する植民 帝国(大英帝国)であり、その関心はもっぱら世界に向けてき た海洋国家(イギリス艦隊)。現在でも米国と緊密な関係をも つ大西洋国家。 • フランスは「ヨーロッパ」ではあるが、かつてはイギリスと植民 地争いをし、いまでも関心はアフリカ・中東に向かい、最大の 地中海国家。 • スペインにしても、ラテン・アメリカへの旧植民帝国として、そ の歴史的・文化的関係はヨーロッパ外のほうが強い。 • 結局、ヨーロッパに深く根を下ろし、ヨーロッパの中央部に位 置して、スラブ世界と接してきたのは、ドイツであった。スラブ 世界(ポーランド、チェコ、ロシアなど)のラテン世界との接触 はドイツ人を通して行われてきた。 • 多様なものがお互いに交錯し、影響し合い、融 け合いながら生きてきた • 西欧のドイツ的なものとフランス的なものは融け 合うことがない • だが、中欧では、ゲルマン的、スラブ的、ハンガ リー的、ユダヤ的、ラテン的なものが、互いに排 除し合うことなく共生してきた • 世紀末ハプスブルク帝国のさまざまな都市 (ウィーン、プラハ、ブダペスト、トリエステ、クラコ フ、ザグレブ、リュブリャナ、等々)の繁栄 「中欧」とユダヤ人 • ハプスブルク帝国とユダヤ人との関係も、古くにさかのぼる • すでにローマ時代から、ウクライナとルーマニアの国境付近 にはユダヤ人商人がいたが、12~15世紀にかけてヨーロッ パ各地のユダヤ人達がこの地に流入してきて移住を許された • 1849年の教育改革でユダヤ人は大学教育を受ける権利が 認められ、1867年の12月憲法によってユダヤ人に社会的 進出のチャンスが与えられ、国内を自由に移動し、どこへでも 定住することができ、土地を所有し、企業を興すことも認めら れた • これまで禁止されていた職業につくこともできるようになり、大 学教授、医者、法律専門家、官吏への道も開かれた • ロシアで1870年代からポグロムというユダヤ人迫害が激しく なったのと対照的 2 2010/12/13 「中欧」のハプスブルク帝国 民族独立の代償 • 640年間、異民族と異文化に対して寛容だった • 帝国とはいえ、植民帝国ではなく、政略結婚によって領土拡 大を図った(「戦いは他のものにまかせよ、汝幸せなオースト リアよ、婚姻を結べ」) • ドイツ人、ハンガリー人、チェコ人、スロヴァキア人、ポーランド 人、ウクライナ人、クロアチア人、スロヴェニア人、イタリア人、 フランス人、スペイン人、そしてユダヤ人といった多くの諸民 族をうちに抱えながら、数世紀にわたって破綻を免れてきた • 超国家的・超民族的な理念が存在していた • 多民族の共存の上に、経済的・歴史的・文化的な共同体を形 成してきた • 類のない多彩で豊かな世紀末文化は、このような文化共同体 の存在なくしてありえなかった • ハプスブルク帝国崩壊は、諸民族の独立をも たらしたが、その後のナチスの台頭、ソ連に 衛星国家化ははたして最善の選択肢だった のか • 同じように、ソビエト連邦の崩壊、ユーゴスラ ビアの崩壊も、諸民族の独立をもたらしたが、 諸民族が入り混じって共存してきたという特 殊性を無視する形でのナショナリズムは、不 幸な結果をもたらしたのではないか 欧州連合 グローバリゼーション • 「欧州共通の家」(ゴルバチョフ)、「欧州連邦」(ミッテラン) • 「欧州共同体(EC)」(1992)から「欧州連合(EU)」(2009)へ • 欧州連合の標語: In varietate concordia(ラテン語: 多様性に おける統一) • 欧州連合の歌: 交響曲第9番第4楽章『歓喜の歌』(Alle Menschen werden Brüder) • 公用語:23言語 • 約5億人の人口を有する欧州連合においても文化や言語の 多様性は尊重されるべきものとして扱われている。 • とくに言語においては、欧州連合では市民に対して母語のほ かに2つの言語を習得する機会をもうけるなどの積極的な活 動を行っており、また欧州連合の関連機関では文書やウェブ サイトを複数の言語で作成している。 • 今日の話は、「中欧」に焦点を当ててきた • 「中欧」にこそ、「欧州連合」の原型があったのではないか • 「グローバリゼーション」となると、欧州だけにとどまらず、アジア・ アフリカ・オセアニアといった地域も含めた地球規模の話ににな る • 「世界の一体化」とも言えるが、それは、経済的不平等を生み出 しながらも互いに結びつきが深くなることを意味し、切り離すこと がいよいよ難しくなる傾向や様態をあらわしており、「同一化」や 「平準化」は含意していない。 • したがって、英語帝国主義やアメリカナイゼーション(コーラとマク ドナルドと市場原理の蔓延)とははっきり区別されねばならない • 「グローバリゼーション」の未来を考えるにあたって、「中欧」と「欧 州連合」の辿った歴史には、多くの学ぶことがあろう • いま私の関心は「北欧」に向かっているが、それは別の話になる もう一度、フッサールに 参考文献 • ナチスの影が忍び寄る1935年5月のウィーンで「ヨーロッパ的人 間性の危機における哲学」と題する講演を行った • フッサールは、ヨーロッパには「何か比類のないもの」があると言 い、それは古代ギリシアに発した「哲学」の精神であるという • それは民族や国民に制約されない、「民族の多様性」を超えた 「超民族性」を形成する。ヨーロッパという一つの地方でありなが ら、その一地方的な存在を超えて、世界へと開かれてあること、 そこに彼は「精神的形態としてのヨーロッパ」を見ていた • そして、没落か再生かという分岐点に立っているヨーロッパが、こ の「哲学」の精神によって灰塵の中からフェニックスのように蘇る ことを訴えた • この講演は、ウィーンの聴衆に一大センセーションを巻き起こした • それはまさに「中欧」人としてのフッサールを体現するものだった • 加藤雅彦『中欧の復活~「ベルリンの壁」のあとに」(NHKブックス、 1990年) • 三浦元博・山崎博康『東欧革命―権力の内側で何が起きたか』 (岩波新書、1992年) • 林忠行『中欧の分裂と統合~マサリクとチェコスロバキア建国』 (中公新書、1993年) • 沼野充義監修『読んで旅する世界の歴史と文化 中欧~ポーラ ンド・チェコ・スロヴァキア・ハンガリー』(新潮社、1996年) • 『ヨーロッパ・カルチャーガイド16 中欧~ヨーロッパの「ハート」が 熱い』(トラベルジャーナル、1998年) • ジャック・ル・リデー『中欧論~帝国からEUへ』(白水社、2004年) • 菊池良生『図説 神聖ローマ帝国』(河出書房新社、2009年) 3