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地 図 に 見 る現代世界

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地 図 に 見 る現代世界
黄河流域の土壌流出、塩害と断流
九州大学大学院工学研究院環境都市部門 教授 楠 田 哲 也
地
図
に
見
代 世界
現
る
る山脈を一つ越えると長江の上流が並行して流れ
黄河の姿
ている。この地区の年間降水量はほぼ400mmで、
黄河流域を特徴づける地理学的要素は寒冷、少
この地から黄河は南東に下り甘粛省から四川省に
ない降水量、黄土である。その結果、灌漑農業、
入ると降水量は600mmになる。このあたりの高
「黄」河の由来である黄色の河川水、塩害と断流
地の積雪は春の融雪期にまとまって流出する。つ
が生まれている。そして、黄土高原からは口蹄疫
いで北上して青海省に戻り龍羊峡ダムを経て甘粛
やアレルゲンをも運ぶ黄塵が西日本に飛来してい
省に入ると降水量は350mmまで低下する。東に
る。
流れ蘭州に入る。このあたりまでで黄河に流れ込
黄河は、中国第二の大河で、青海、四川、甘粛、
む水の60%が供給され、水質も清冽である。4月
寧夏、内モンゴル、陝西、山西、河南、山東の9
頃の流量は800m3/s前後である。しかし、蘭州は
省・自治区を流れ、渤海に注ぐ。流域の人口はお
化学工業都市であるため、工場排水等により濁り
およそ9200万人、流域面積は75.2万km2でわが国
始める。
の面積の約2.2倍、本川長は5464km、落差は4484
黄河はその後北上し寧夏自治区に入る。このあ
m、平均年降水量は466mm、平均年流出量は560
たりの降水量は200mmである。蒸発ポテンシャ
3
億m 、海への年間土砂輸送量は16億tである。
ル(バケツに張られた水が蒸発するときの水面の
次ページのランドサット画像からもわかるよう
低下量)は降水量の10倍以上になることもあるの
に、黄河は乾燥地域から黄土高原を経て華北平原
で黄河の南側にも砂漠が見られる。そのため、農
を横切り渤海に到達するため、黄河の特性は上流
業(春小麦、トウモロコシ)には灌漑(年2回)
から河口へと大きく変化している。黄河は青海高
が必要であり、青銅峡灌漑区(銀川付近の左岸
原(青蔵高原東北部)の約古宗列(ヨコソレ)盆
側)のために低いダムで川を堰き止め河川水の一
地にある扎陵湖に端を発する。この湖の南側にあ
部を取水している。さらに北上し内モンゴル自治
̶1̶
帝国書院版「新詳高等地図 最新版」p.13
は東に転じる。ランドサッ
ト画像に示したように黄土
高原からの土砂流出の90%
は内モンゴル自治区の托克
しい
がはげ
土壌 侵食
塩害が顕
著
なとこ
ろ
地域
托からこの潼関で生じる。
中流は潼関までであり、河
口 鎮 か ら1206km下 っ て い
る。この間に降水量は400
mmから600mmに増加する。
この区間で河川水はまさに
黄水となる。そのため土砂
河套灌漑区
の堆積がひどく潼関のすぐ下流にある三面峡ダム
河口鎮
のために流速が低下して土砂が堆積し河床を高め
内モンゴル 自治区
ている。2003年9月に関中平原を流れる黄河の支
青銅峡灌漑区
楡林
流渭河流域に氾濫を生じさせたのは土砂の堆積で
利津
寧夏自治区
陝西省
青海省
山西省
扎陵湖
蘭州
三門峡ダム
甘粛省
潼関
小浪底ダム
山東省
河床が高くなり水が掃けなかったためである。
潼関から河口までが下流部になる。このあたり
高村
の降水量は年間600mmである。この間すべて天
井川である。開封の街では市街地より13m上に川
河南省
底がある。
四川省
塩害域
土砂発生域
水利用と塩害
区に入ると東に流れを変える。このあたりの降水
量は少し増加するものの250mm止まりで蒸発ポ
黄河の年間平均取水量は年間350億m3、年間平
テンシャルは最大で降水量の16倍に及ぶ。この地
均流出水量の60%であり、水不足感を感じ始める
の北側(左岸側)にある河套灌漑区(高知県とほ
40%よりはるかに高くなっている。この取水量の
ぼ同じ広さ)でも低いダムにより取水している。
内訳は灌漑78%、工業用水13%、生活用水9%で
さらに、少し東に流れると托克托県近くの河口鎮
あり、農業用水の比率が高い。この農業用水を使
に至り黄土高原を時計回りに南下し始める。この
っているのは、黄河流域の総耕地面積11.9万km2
地点までが黄河の上流と称される。源流から河口
のうちの灌漑耕地面積7.1万km2である。 このうち
鎮までの本川長は3472kmである。この辺りは黄
塩害に見舞われているのはおよそ5300km2である。
河で最も北(源流より緯度で6度北上)にあるた
この塩害をもたらす塩の由来には2通りある。
めに春になっても最後まで氷結し上流からの水を
第1は灌漑用水が蒸発しその中に含まれていた塩
流しきれず、そのままでは洪水を引き起こすため
が土壌表層に長年かけて集積するもの、第2は地
4月初めには河川を覆う氷を爆破して水を流して
下水がもともと塩水で地下水が地表面下2m内に
いる。
近づくと毛管現象にて地表面まで上昇して影響を
その後、山西省と陜西省に渡る黄土高原の中を
及ぼすものである。黄河流域は前者、後者はオー
南に下り無定河等からの大量の土砂を受け入れつ
ストラリア中西部に見られる。第1の場合でも、
つ潼関に至る。関中平原の東側にある潼関で流れ
地下水位が低く集積した塩が撒水により溶脱して
̶2̶
地下水に移行し、しかも地下水が移動しやすい場
土砂の粒度は0.025mmより粗いものが多い。黄河
合にはこの問題は生じない。
の年間平均流出量はおよそ583億m3、海域への年
黄河流域の灌漑区でとくに大きなものに、青銅
間平均土砂輸送量16億tなので、長江の年間平均
峡灌漑区、河套灌漑区があるが、前述の理由によ
流出水量4400億m3、年間平均土砂輸送量5.31億t
り青銅峡灌漑区で塩害は見られず、地下水の排水
に比べると、水量の少なさ、濁りのひどさがよく
が悪い河套灌漑区に限られる。この塩害が見られ
わかる。
る地域の主作物は搾油用のひまわりや飼料用のト
中国では各地の土砂の流出量を削減するために、
ウモロコシである。これらの地域の灌漑は年中行
斜面での耕作を段々畑に作り替え、さらにかつて
っているわけではなく、年2回、春と秋である。
食糧危機を回避するためになされた開拓策を改め、
秋の終わりに灌漑し冬季は氷結させて土中に水分
退耕還林(耕作を止めて森林に戻す)政策を推し
を貯え春の融解により塩分を地下水に戻すことに
進めている。わが国から乾燥地における植林のた
より塩を洗い流し、その後春の灌漑を施している。
めにODAによる支援がなされている。この退耕
経験により作り上げられたこの方式も近年の科学
還林策の推進は生活水準の向上と相まって中国の
的な調査によりその効果が少し疑問視されるよう
食糧生産量を減らしており、環境保全は異なる社
になっている。塩害に悩まされている地域は、青
会問題を生み出し始めている。
銅峡灌漑区以外に山西省臨汾を通過して黄河に左
断 流
岸から流入する汾河流域にも少しある(図参照)
。
なお、ランドサットデータに示されているように、
黄河の断流は河口からほぼ100kmの利津水量観
黄河流域ではないが渤海湾沿岸域にも塩害に悩ま
測所にて水が見られない状態をいう。歴史書によ
されている地域がある。これは人為的なものでは
れば降水量の異常減少により、307年、1372年、
なく地質学的な生成理由により塩性土壌となって
1640年に発生し、干害の被害は甚大であった。近
いるためである。
年は1972年から1999年まで28年中22年、1991年か
ら1999年 は 連 続 で 断 流 が 生 じ た。1981、1995、
土 砂 流 出
1997年には断流は河口から700kmに及んだ。2000
黄河は古書に「黄水一石、含泥六斗」とも謳わ
年以降断流が解消したのは中国水利部黄河水利委
れているように土砂濃度はかなり高い。この土砂
員会から各種の取水量を一律削減するように指示
の90%が河口鎮から潼関までの中流区間の黄土高
が出されたことによる。
原から排出される。この地域の黄土高原は数十か
ら数百mの黄土層に覆われ、夏から秋にかけての
豪雨とともに流出する。流域の土壌侵食面積は
45.4万km2で、最も侵食が激しいのは中流域の河
黄河の利津における断流日数
年
断流日数
1991
1992
1993
1994
1995
1996
1997
1998
1999
2000
16
83
60
74
122
136
226
142
34
0
口鎮と楡林の間の窟野河周辺であり、土砂の年
少し上流の高村水文観測所では1995、1996、1997
間 侵 食量は25,000t/km2に も 及 ぶ。 年 侵 食 量 が
年の断流日数はそれぞれ8日、7日、25日と少ない。
2
2
15,000t/km より多い地域は3.67万km ある。こ
清華大学の王忠静教授は断流の原因を降水量の
の流出土砂は1/4が河道内に堆積し、1/2は河
減少10%,蒸発量の増加9%、土砂流出防止10%、
口三角州に、残りは海域に輸送される。河道内に
取水増加61%、その他10%と分析しているが、同
堆積する土砂は小浪底ダムより下流の河床を年間
大学の楊大文教授は降水量の減少が主因としてい
10cm高めうる。なお、この河床に溜まっている
るように、学会でも意見は分かれている。
̶3̶
いきいき体験 授業実践 地理A編
身近な地域から日本に住む外国人について考える
群馬県立太田高等学校(定時制課程) 長 谷 川 修
1.はじめに 2.身近な地域の調査と結びつける 街を歩けば外国人とすれ違う。そんなことが本
ここでは、
教科書 p.36∼37「外国人が増えてき
校のある群馬県太田市ではあたりまえの風景とな
たのはなぜだろう?」を主題として取り扱う。そ
っている(図1)
。生徒も日常外国人と接する機会
の流れの中で教科書p.50∼60「身近な地域で国際
を持っているし、何より私が勤務する定時制課程
化の進展をとらえよう」にある地域調査を組み合
では、多くの外国人子女が学んできた。ここ5年
わせることが効果的である。しかし、本校定時制
間だけでも、ブラジル・ペルー・パラグアイの国
のように時間的な制約により身近な地域の調査が
籍を持つ南米系の生徒、ミャンマー・インド・ベ
難しい学校は多いことだろう。そこで、今回は指
トナムの国籍を持つアジア系の生徒が多数在籍し、
導者が統計資料を準備してみた。様々な施設から
校内には様々な言語が飛び交っている。まさに、
の資料の入手手順を説明することで、生徒も擬似
生徒にとって外国人は身近な存在である。
的にではあるが調査の一端を垣間見ることができ
さて、
「私の勤務する地域ではそれほど外国人が
る。もちろん、十分とは言えないが、実践後の生
いるとは思えないが」と疑問に思う先生方もいる
徒の感想には、
「他にも市役所や統計局に行って調
だろう。その場合は、身近な地域を市町村から都
べてみたいことがある」との記述も見受けられた。
*
道府県のスケールまで広げて考えていただきたい。
都道府県レベルの統計では思いがけずたくさんの
外国人登録者がいる。高校の地理では都道府県も
3.授業の流れ(おもな問い)
①1981年と2001年を比較して、日本を訪れた人々
身近な地域として取り扱うことができることから、
の増加した国、減少した国はどこだろう(教科
本校ほどではないにしろ、
日本中どの学校でも
「日
書p.36の主題図①・②の比較)
本に住む外国人」は身近な地域から捉えることが
②日本に住む外国人の出身国はどの国が多いのだ
できる主題となり得るだろう。
ろう
(教科書p.37の主題図③)
③太田市に住む外国人はどのく
らいいるのだろう(プリント
:太田市の統計資料)
④太田市に住む外国人の出身国
はどのような国だろう(プリ
ント:太田市の統計資料)
⑤日本と太田市では居住する外
国人の出身国の特徴に違いあ
図1 帝国書院版「高校生の地理A 最新版」p.37
る。なぜ、そのような違いが
*帝国書院版「高校生の地理A 最新版」
̶4̶
あるのだろうか
模造紙サイズで作った力作である。流線を用いて
表現するなど工夫がなされているが、細かく見る
4.スキルコーナーを利用する と間違いも多い(たとえば、凡例の設定、アイス
学習指導要領(地理A)に「地図の読図・描図
ランドの扱いなど)
。
今年はこの主題図を導入の教
や地域調査などの作業的、体験的な学習の一層の
材として活用してみた。生徒は先輩の作品のレベ
充実」とあるが、教科書にあるスキルコーナーは
ルの高さに驚きながらも、しだいに改善点を指摘
とても便利である(図2)
。ここでも、授業の流れ
し、自分たちの主題図作成のヒントを得たようだ。
の第③段階でスキルコーナーを活用し、グラフの
作成を指導した。
生徒の作業のスピードには大きな差異があるた
め、作成させるグラフはレベル別に3種類用意し
ておき、生徒に選択させた(ここでは「太田市の
過去10年間の外国人登録者数」をテーマにA:総
計の推移、B:総計および男女別の推移、C:ベ
スト5の国の総計および男女別の推移、以上3つ
を選択させた)
。
生徒が作成したA∼Cのグラフはそれぞれプリ
ントに掲載し教材にすると、いろいろな発言が飛
図3
び出してくるので面白い。
6.おわりに 今回の実践では、教科書を利用
した発問から、生徒や地域の実態
に合った発問へと内容を構成した。
ただ、授業計画に柔軟性を欠いた
ためか、外国籍の生徒の発言を十
分に生かした授業にはならなかっ
図2 帝国書院版「高校生の地理A 最新版」p.37
た。その点は、今後の課題とした
い。
5.主題図の作成 地理Aはおもに主題的な方法に立脚した学習が
授業の流れの第④段階の場面で「太田市に住ん
組み立てやすいよう配慮されている。とくに、
「高
でいる外国人の出身国の統計を活用して、その様
校生の地理A」は文章による表現が少ない分、地
子や特徴を世界地図上にわかりやすく表現してみ
域や生徒の実態に合った様々な主題を設定できる。
よう」と、生徒に投げかけてみた。
この教科書の特色を生かして、今後も生徒にとっ
図3は同じ問いで昨年度の生徒が作成した主題
てより面白い主題を見つけていきたいと考えてい
図である。トレーシングペーパーを利用し特大の
る。
̶5̶
いきいき体験 授業実践 地理B編
気候を通して世界の中の日本を知る
埼玉県立大宮中央高等学校 関 谷 正 文
ていく習慣がついてきたのである。
1.本校単位制による定時制生徒の特色 3.気候を学ぶ 本校は、全国で5番目の単位制による高校であ
る。初めて高校生活を体験する者、一度は高校生
『楽しく学ぶ世界地理B』の教科書(帝国書院)
として学んだ経験のある者、社会に出て多くの経
では、今まで発行された教科書と違い、写真や図
験を積んできた者などが共に学び、年齢的にも15
解説明が多いので、生徒は旅行のガイドブック的
歳から50歳くらいと幅広く、県内全域から通学し
感覚でとても身近にかつ親しみを持って活用して
てくるので、毎日登校できない者や、学ぶ時間帯
いる。
が限られている者など一人ひとりが、今までの自
このような雰囲気の中で、今世界全体で地球温
分の経験を生かし学習条件にあわせ卒業をめざし
ている。
多様な生徒のニーズに合わせ、適性や興味、進
路に応じて各自が自由に教科・科目を選択し学年
制の枠をとりはらった「単位制高校」というもと
で生徒は学んでいる。
生徒は、一人ひとりが個人別時間割を持ち、各
自のペースで学習を続けている。
2.地理学習の効果 このような状況の中で、地理を選択する生徒は
各気候区の特色(その1) クラス 生徒番号 氏名 (プリントNo.16)
1 熱帯( )→[ ] 2 乾燥帯( )→[ ]
(1)( )[ ] (1)( )[ ]
ア
気候の特色① ○気候の特色①
② ②
イ
植生→ ③
ウ
土壌→ ○土壌→
エ
分布→ ○分布→
(2)( )[ ]
ア
ア気候の特色①
②
イ
植生→
ウ
土壌→ (2)( )[ ]
エ
分布→ ○ア気候の特色
(3)( )[ ] ○イ植生→
ア
気候の特色① ○土壌①
② ②
イ
植生 ① ○分布→
②
ウ
土壌 ①
②
エ
分布→
自分の意志で受講しているので、比較的積極的な
姿勢で授業に取り組んでいる。
最近の世界における激動の出来事については、
生徒も強い興味関心を持っているが、実際に授業
において『イラク』はどこにあるか、夏季オリン
ピックが行われる『アテネ』はどこの国と、問い
かけても即座に答えが返ってこない。
しかし地図帳などで確認し、日本との距離や広
さの違いを認識しながら学習を進め、こちらの地
名の問いかけにすぐ興味を持って調べていくうち
に、自分たちから、地名について、事前調査をし
各気候区の特色(その3) クラス 生徒番号 氏名 (プリントNo.18)
5 寒帯( )→[ ] ◎気候統計
(1)( )[ ] a( )
ア 気候の特色→ 縦軸に(① )
、横軸に(② )を示す座標軸
植生→
イ
を定め、各月の数値を示す点を順に直線で結んだもの。
ウ 土壌→
図形の大小は、気候の季節変化の大小に対応する。図
エ 分布→
は、海洋性気候では小さくまとまるが、大陸性気候で
(2)( )[ ]
は(③ )に長くなり、雨季と乾季のある気候で
ア 気候の特色①
は、
( ④ )に長くなる。
②
イ
分布→
※高山気候( )
ア
気候の特色①
②
③
イ
分布→
気候区名 A( )
B( )
C( )
D( )
̶6̶
暖化が進んでいる中、現在、ケッペンの気候区分
でてくる4つの気候区分の特徴の中でとくに今回
を学習しているが、教科書および地図帳を併用し
は、日本の温暖湿潤気候(Cfa)と夏季オリンピッ
ながら前ページのプリントに取り組んでいる。
クが開催されるアテネが該当する地中海性気候
この3枚(1枚はスペースの都合で割愛)のプ
(Cs)を生徒と共に比較してみた。
リントの前段階として、世界の自然環境や地形を
今回のアテネオリンピックは、期待される野球
学習し、気候の基本知識として、ケッペンが設定
の長嶋ジャパンの活躍を筆頭にメダル獲得の高い
した「A・B・C・D・E」の配列やそれに付随
種目が多い中、生徒の関心も高く、世界史の授業
する記号を説明し教科書33ページに記載されてい
でギリシャ・ローマ時代を学習し歴史的建造物が
る【気候区分の指標】を確認しながら、前述のプ
多いことも理解しているので、日本との比較につ
リントに入っていく。
いて生徒からも積極的な意見が多く出た。
基本的には先程の「A・B・C・D・E」の順に熱
一例として
帯、乾燥帯、温帯、冷帯
(亜寒帯)
、寒帯と見ていくが、
●日本の温暖湿潤気候については
各気候では必ず、気候の特色を2つ以上、植生分
①温帯の中でも四季の変化が一番はっきりして
布・土壌、世界のどの位置に分布しているかを説
いる。
明していく。また、赤道付近の高山地帯の特別な
②今年は梅雨の6月に台風が多い。
気候区分を最後に説明し、同じ緯度にあっても高
③季節に応じた風が吹く。
度によって気候が大きく異なることを実感させる。
④樹木の種類が多い。
また、気候統計には、はずすことができないハイ
⑤秋の紅葉が美しい。
サーグラフの活用方法についても解説をしている。
⑥最近は真冬でも地球温暖化の影響で暖かい。
●アテネ(ギリシャ)の地中海性気候については
4.日本との関係の深い気候帯を探求 ①降水量のグラフの形が日本と逆になる。
日本は、北海道、東北・北陸、甲信越の一部
(冬降水量が多く、夏は乾燥する)
を除き温帯気候に該当する。とくに我々の住む関
②地中海に面した地域にはリゾート地が多い。
③日本に比べて長期休暇を取る人が多い。
④夏の乾燥に強いオリーブやコルクガシなどの
耐乾性の植物が多い。
(この地域に生息する月桂樹をマラソンの優
勝者に捧げることを知っている者も多数)
⑤ワインの原料となるブドウやオレンジの栽培
が盛んである。
こちらが想定していた解答よりも豊富な内容が
あり、このテーマを主眼に選んだのは良かったと
東地方埼玉県において
思った。
は、比較的年間を通し
これからも、この新しいタイプの教科書を活用
て温暖な気候である。
して生徒の実態、時事内容と興味にあった授業を
そこで、温帯の項目に
つくりあげていきたい。
白壁の家の並ぶリゾート地とひっそりとした街なか
(「楽しく学ぶ世界地理B 最新版」p.26)
̶7̶
資料で学ぼう
日乾(にっかん)レンガと
もいう。今日でも中東地域、
日干しレンガ
とくに農村部などを訪ねれば、
日干しレンガ造りの建物をひ
んぱんに見かける。私も1980
年代から90年代前半にかけての下エジプトや北スーダ
ンの農村でのフィールドワークの際に、そのような家
屋をよく目にした。
日干しレンガの製造・利用 私はエジプトやスーダン
日干しレンガづくり(スーダン)
で、日干しレンガを作っている場面にでくわしたこと
がある。スーダンでの聞き取りを中心に、そのプロセ
スを紹介しよう。
まず、少々粘り気がある土と砂とを混ぜ合わせたも
のに水を加えて練り、粘土状になった素材を木枠に入
れて整形する。そして木枠からはずして2∼3日ほど
天日で乾燥させれば、日干しレンガができあがる。木
枠の大きさによってレンガの形を調整することができ
るが、私が目撃したものは25cm×15cm×8cmほど
日干しレンガ造りの家の壁面と水飲み場(スーダン)
のものであった。専門の職人が作るが、手馴れた者は
活用は限定されてきた。サハラ砂漠に近い北アフリカ
1日に2000個ほど作るという。なお、エジプトの日干
や西アフリカ、アラビア半島を含む西アジア、ユーラ
しレンガはそれよりも少し小さめであるが、素材の中
シア中央部の少雨地域などである。また、中南米の乾
に麦藁くずなどを入れてレンガの亀裂を防ぐ工夫が施
燥地帯でも利用されてきた。
されている。
雨に弱く、全体的に脆い日干しレンガの弱点を補っ
このようにして製造された日干しレンガは、住宅、
たものが、焼成レンガである。1980年代初頭の下エジ
倉庫、畜舎などの壁を作る建材として利用される。ス
プト農村部などでは、日干しレンガ(
「生レンガ」
と呼
ーダンの場合、日干しレンガを積み上げる際に、レン
ばれていた、ちなみにスーダンでは
「緑レンガ」
)から
ガ同士の接合剤として砂に水を混ぜたものを用いる。
焼成レンガ(
「赤レンガ」
と呼ばれていた)へと建材が
そしてレンガの積み上げが済み、四面の壁が完成する
しだいに代わりつつあった。そして、農地の一角で、
と、外装としてセメントと砂と水を混ぜた素材を壁面
日干しレンガを4∼5mの高さに積み上げ、焼成レン
に塗り、壁を固めて強化する。一方、内装には砂に水
ガを作る作業をよく見かけた。
を混ぜたものを壁面に薄く塗り、それからアラビア・
日干しレンガを積み上げながら段ごとに重油を塗り、
ゴムを水で溶かした液体を塗って壁面をなだらかにす
外壁面にも重油を塗った後に粘土で固めて密閉した塊
る。もちろんセメントの利用は今日のやり方であり、
はアミーナと呼ばれていた。最下段にのみ通気口を開
かつては泥で塗り固めただけであった。
け、内部から火をいれて焼成レンガを作るのである。
日干しレンガの分布と焼成レンガ このように日干し
酸素の供給を制限するので、焼く期間は10∼15日ほど
レンガはかなり簡単に製造できる建材であるため、古
かかった。80年代では安価な重油が使われていたが、
代から建材としてよく利用されてきた。メソポタミア
かつては石炭を使っており、その頃には1か月以上も
文明などには、日干しレンガ造りの神殿などもあった
燃え続けていたという。アミーナからの煙は当時の農
ことが確認されている。その一方で降雨には弱いとこ
村を彩る風物詩のひとこまであった。
ろから、乾燥地帯で建材としての木材が乏しい地域に
̶8̶
(東京都立大学人文学部社会学科教授 大塚和夫)
資料で学ぼう
まつたけの輸入(2003.1 ∼ 12)
食料消費の変化に追いつかな
まつたけの
い農水産物の国内生産 平成
輸入動向
図を載せている。日本人の約
15年度版の農業白書は面白い
40年間の供給熱量と品目別熱
量自給率の図である。自給率は、通常、この供給熱量
総合食料自給率をさすが、40年前の73%から近年は40
%にまで下がり、先進国の中で異常に低い。自給でき
る米が全体の供給熱量に占める割合を低下させ、油脂
や畜産物は自給率が低下したが消費はむしろ拡大し、
輸入量
(t) 輸入額
(円) 1kgあたり
(千円)
中国
カナダ
北朝鮮
米国
韓国
ベトナム
トルコ
モロッコ
メキシコ
ロシア
ブータン
計
1,119
371
284
182
147
38
34
20
18
6
2
2,221
55億7605万
13億5489万
9億7079万
7億5172万
20億7287万
1億3587万
8879万
8465万
1億2111万
785万
677万
111億7136万
5.0
3.7
3.4
4.1
14.1
3.5
2.6
4.2
6.7
1.4
3.5
5.0
出典 日本関税協会『日本貿易月表』
(品別国別)2003年12月号
の数字をみる
と、国産量は
極端に減少し、
今では国産の
30∼40倍の量
のまつたけが
輸入されてい
る。国産単価
は近年では輸
入価格の7∼
輸出していた魚介類や自給できていた野菜等が輸入部
8倍になっている。1975年は国産で774tあり輸入は
分を拡大してきたこと等、消費の変化、それに追いつ
ゼロであった。しかし生育に望ましい里山の管理はな
かない国内生産の様子が一目瞭然である。
されず、また肝心の松が松くい虫の被害にあうなど、
「国民経済計算年報」によると、農林水産業は2001
国内生産の見通しが暗かったにもかかわらず、バブル
年度で名目7.0兆円(実質8.4兆円)を生産しており、
の影響で需要は伸びて、
1985年では国産が820tとピー
国内総生産507兆円(名目)の14%にあたる。しかし
クを迎えるとともに1817tの輸入も行われている。こ
驚くべきことに輸入がほぼ同額となっている。2002年
れ以降は国産が激減状態(2002年の国産はわずか52t、
の輸入額も7.2兆円で、内訳は農産品3.0兆円、畜産品
単価はキロ43,000円)になり、一層、輸入に依存する
1.3兆円、林産物1.1兆円、水産物1.7兆円である。農産
ようになって、日本の商社は世界でまつたけ探しを始
品で最大の品目はとうもろこし2500億円(3200億円の
めたのである。
たばこを除く)
、畜産は4700億円の豚肉、林産物は3300
まつたけはアカマツのみで生育すると理解されがち
億円の製材加工材、水産物は3000億円のえび、が最大
だが、
「寒地ではエゾマツ、ツガ(マツ科)の林に生え
輸入額である。野菜は農産品に入るが、最大の品目は
ることもある」と『広辞苑』に記されている。まつた
ブロッコリーで137億円、これに次ぐのがまつたけの
けは根に寄生し秋に地上に自生するが、寄生先の宿主
115億円である。
はアカマツのみではない。
極端に低いまつたけの自給率と輸入相手国 日本人が
カナダでは樅
(マツ科)
の類の林で採取され、広い中
珍重するまつたけは、香りと食感、とりわけ香りが大
国では広葉樹林や、椎やくぬぎ
(ブナ科)
、なら林など
事にされている。そうした味わい方は日本のみであり、
でも採取されるといわれる。トルコやモロッコでは、
食文化が近い韓国でもキムチ鍋などにも食材として入
古代レバノンで使い尽くされたレバノン杉が残ってお
れるから、香りよりも食感であろう。中国、さらには
り、杉林で採れるといわれている。しかし林で採取さ
中近東からも輸入されているが、これらは現地でも食
れることと宿主になる樹が同一とも断定できない。ま
べるがあくまでも材料としてであって、日本的な位置
つたけはいろいろあるようで、遺伝子的には日本のま
づけではない。
つたけと異なっていたり、日本のまつたけが持つ香り
2003年の輸入額も111億円で、単価は韓国が高く、
の有無の差になっているようであり、
それは価格差にも
キロ14,000円である。最大輸入量の中国は5,000円、他
現れている。筆者の経験では1980年代、カナダの現地で
はさらに安い。
食べたまつたけはまったく香りがしなかった記憶があ
国産はどうか。まつたけは、貿易統計は野菜だが、
る。韓国産の高値は日本のそれに近い香りが原因かも
農林水産省所管だと林野庁の特用林産物になる。両方
しれない。
(早稲田大学政治経済学部教授 堀口健治)
̶9̶
資料で学ぼう
マレーシアの油やし栽培面積の推移(単位:ha)
油やしの収穫作業 油やしの
油やし
プランテーション
プランテーション(40ha以上)
原産地は西アフリカであるが、
今では東南アジアが生産の大
半を占めている。熱帯植物油
のうちでココやしの栽培が停
滞的であるのに対して油やしは栽培面積、生産量とも
に増加を続けている。油やしの収穫作業は危険を伴う
1960
1965
1975
1985
1995
2000
小農場(40ha未満)
合計
農場数
面積
面積
面積
62
121
690
1454
2831
3581
51,053
84,146
389,756
766,756
1,255,466
2,024,286
0
12,799
252,035
715,643
1,284,621
1,352,378
51,053
96,945
641,791
1,482,399
2,540,087
3,376,664
出所:マレーシア統計局およびマレーシアパーム油公社
重労働である。苗木を苗床から育てて1年経つと圃場
には小農が上回る。1996年以降、再びプランテーショ
に移植するが、成長は早く5年もすれば実をつける。
ンが上回って現在に至っている。連邦土地開発公社は
樹高は数年の間は小さくて、大型の彫刻刀状のノミで
貧しい入植希望者をターゲットに小農経営を確立する
実の房を切り落とすことができるが、年とともに急速
ことが本来の目的であったが、工業化が進む中で入植
に樹高が高くなるので、長いポールの先端に大きなカ
希望者も減少し、公社は80年代後半からプランテーシ
マのような刃物を取りつけた道具で房を切り落とす。
ョン部門に重点を置くようになった。大規模私企業農
長いポールは重くて撓うから先端の刃物をうまく操る
園と中小華人農園を併せて、マレーシアのプランテー
のは難しい。房を切る前に周辺の葉を切り落とす。葉
ションの平均規模は約600haであり、平均従業者数は
といっても巨大な葉柄に5寸釘のようなとげがたくさ
100人程度である。近年、ゴムの植え替え時期に、ゴ
ん生えている。房はまっすぐに落下するから避けやす
ムに代わって油やしが植え替えられる例が多くなって
いが、葉は真っ直ぐに落ちないこともまれではないか
いる。
ら、注意を要する。熟した房が高いところから落下す
マレーシアでは連邦土地開発公社によって1970年代
ると、実がたくさん飛散する。飛び散った実を拾い集
以降、何万haもの巨大開発計画がマレー半島の内陸
める作業は子どもでもできる軽作業であるが、1個20
と東海岸地方で行われた。
その結果、
マレーシアのパー
kg以上もある房を一輪車のネコで起伏のあるところを
ム油生産は急増し、1980年代、アメリカの大豆油業者
運んで農道脇に集めるのは重労働である。収穫作業は
らによる反熱帯植物油キャンペーンが繰り広げられた。
1人1日平均10∼50房である。
パーム油生産の第1位はマレーシアで約5割を占め、
油やしの実はネズミの大好物である。高温高圧の蒸
第2位のインドネシアは約3割を占めている。インド
気による処理をした後の実は食べられないことはない
ネシアでは、1980年代以降油やし栽培面積が増加して
が美味しくはない。ネズミの天敵は蛇である。ネズミ
おり、スマトラ全域をはじめとして、イリアンジャヤ
をねらう蛇のなかには毒蛇のコブラもいる。油やし農
などの東部地域にも広がっている。また一時凍結状態
場の作業中にコブラに遭遇することもある。
だったフィリピンのミンダナオでも油やしプランテー
パーム油の用途 油やしの果実から採れるパーム油は
ションの開発が推進されることとなった。しかし近年
マーガリン、アイスクリーム、ケーキ、ポテトチップ
の大規模な油やしプランテーションの開発はインドネ
ス、即席麺など色々な食品に用いられ、石けん、シャ
シアにおける森林火災や森林破壊の最大の原因と目さ
ンプー、化粧品、洗剤などの非食品も含めて、私たち
れているなどの問題もある。マレーシアでもマレー半
の生活の中で広く役立っている。
島部の栽培面積の増加は緩やかになってきたが、ボル
作付面積の拡大 マレーシアにおける油やしの作付面
ネオ島のサバ、サラワクでは急速な増加が続いている。
積は1959年の約5万haから2002年には約367万haへと
今後ともパーム油の伸びは著しく、近い将来、パーム
大幅に増加している。プランテーション、小農別では
油が世界の植物油の第1位を占めるものと予想されて
1985年まではプランテーションが大きかったが、86年
いる。
̶ 10 ̶
(拓殖大学経済学部教授 平戸幹夫)
EU新加盟国と日本企業の活動
����� ���
ジェトロ主任調査研究員
(在欧) 福 良 俊 郎
2004年5月1日、中・東欧および地中海地域の
(3)財政規律−2
(公的債務残高がGDPの60%以
10か国が新たにEUに加盟した。これはEUにとっ
下)
て5回目の「拡大」にあたるが、1度に10か国も
(4)為替の安定(為替相場メカニズム=ERM2=
の国々がまとめて加盟するのは初めてである。こ
に最低2年間参加し、ユーロに対する自国通
の拡大によりEUは、人口が3億8,000万人から4
貨の変動を上下15%以内に抑えること)
億5,500万人へと約20%増加し、領域(国土)も
(5)長期金利の安定(長期金利が、消費者物価上
約25%拡大したが、当面の経済規模
(GDP)
の拡大
昇率の最も低い3か国の平均金利から2%ポ
は約5%に留まる。
イント以内)
エストニア、リトアニアおよびスロベニアの3
EU拡大のインパクト
か国は2004年6月27日にERM2に参加し、ユー
単位:%
拡大年
新規加盟国
1973
デンマーク、
アイルランド、
英国
ギリシャ
スペイン、ポルトガル
オーストリア、フィンラン
ド、スウェーデン
キプロス、チェコ、エスト
ニア、ハンガリー、ラトビ
ア、リトアニア、マルタ、
ポーランド、スロバキア、
スロベニア
1981
1986
1995
2004
加盟による
人口増
加盟による
GDP増
ロ導入準備で他国に先行した。これら3か国は
33.4
せる措置を講じていた。これら3か国(およびラ
17.7
32.4
2.8
11.6
6.2
6.3
3.7
これ以前から、自国通貨の変動をユーロに連動さ
トビア)は、多くの国が達成に苦労する財政規律
(経済収斂条件の
(2)と
(3)
)についても基準内に
あり、2006∼2007年にはユーロ導入を果たすとみ
られる。他方、チェコ、ハンガリー、ポーランド
などの主要国は、過大な財政赤字の是正に時間が
19.5
4.8
かかるため、ユーロ導入が遅れるとみられる。
出所:欧州委員会資料をもとに作成。
注:2004年の新規加盟による人口増は2004年1月現在の推定、
GDP増は2002年データ。
新加盟国のユーロ導入目標と財政規律の現状
対GDP比、%
エストニアなどがユーロ導入準備で先行
キプロス
チェコ
エストニア
ハンガリー
ラトビア
リトアニア
マルタ
ポーランド
スロバキア
スロベニア
新たにEUに加盟した10か国は、既加盟国のデ
ンマークや英国と違い、通貨統合参加が義務づけ
られているため、ユーロ導入が次の目標になる。
ユーロ導入には、以下5項目の経済収斂(コン
バージェンス)条件を満たす必要がある。
(1)物価の安定(消費者物価上昇率が、最も低い
財政収支
−4.6
−5.9
0.7
−4.9
−2.2
−2.8
−5.9
−6.0
−4.1
−1.7
累積債務
74.6
40.6
5.4
58.7
16.0
22.8
73.9
49.1
45.1
28.3
ユーロ導入目標
2007年以降
2009∼2010年
2006年
2010年
2006∼2007年
2007年
不明
2009年
2008∼2009年
2007∼2008年
注)財政収支のマイナスは赤字を示す
出所)財政収支、累積債務データは欧州委員会の2004年春季予測にお
ける同年分。ユーロ導入目標は各国首脳等の発言からとりまとめ
3か国の平均から1.5%ポイント以内)
(2)財政規律−1
(単年度の財政赤字がGDPの3
%以下)
̶ 16 ̶
今後の拡大の焦点はトルコ
新加盟国への外国投資の増加を予想
中・東欧諸国ではブルガリアとルーマニアが
国連貿易開発会議(UNCTAD)の2004年4月30
EU加盟の交渉中で、ともに2007年初めの加盟を
日付発表によると、EU新加盟国に対する外国直
目標にしている。また、旧ユーゴスラビアのクロ
接投資は2000年に217億ドルを記録した後、2001
アチアとマケドニアが加盟申請済みで、クロアチ
年195億 ド ル、2002年215億 ド ル、2003年117億 ド
アの加盟交渉は2005年早々に始まる予定である。
ルと推移しており、顕著な増加はみられない。こ
EU側では、
「
(旧ユーゴなど)バルカン諸国の
れは、国有企業の民営化を契機とした外資参入が
欧州復帰はEUの悲願」
(欧州委員会プロディ委員
一段落したためと思われる。新加盟国の多くは、
長)としており、将来のEU加盟は織り込み済み
1990年代の後半からEU加盟に先立つ構造改革の
である。他方、残る加盟申請国トルコについては
一環として国有企業の民営化に着手し、この過程
将来の加盟が確実になったわけではなく、同国の
で通信、エネルギー、金融などの分野を中心に旧
加盟問題が今後のEU拡大の焦点になっている。
国有企業の買収による外資の進出が進んだ。
トルコは1987年4月にEU(当時はEC)加盟を
他方、UNCTADは企業立地の専門家や多国籍
申請したが、EUはいったん1989年に加盟交渉開
企業を対象とした調査結果をもとに、今後、中・
始は時期尚早とトルコの要求を退けている。その
東欧地域に対する外国投資が増えると予想してい
後EUは、1999年12月の首脳会議でトルコを加盟
る。国別ではポーランド、チェコおよびルーマニ
申請国として正式に認定、2002年12月の首脳会議
アが投資先として人気を集めており、業種別では
では、トルコの民主化の進捗状況をみて2004年末
食品加工、輸送機器、電気・電子機器などの製造
の首脳会議で加盟交渉を開始するか否かを決定す
業、建設・不動産、小売・卸売、運輸、教育・保
ることにした。
健などのサービス業が有望とされる。
この間トルコはEUの要求に対応して、死刑の
筆者が今年2月、ハンガリーのドイツ商工会議
廃止、軍部の政治介入排除、少数民族(クルド
所で聞いたところでは、ドイツの中小企業の対ハ
人)保護など政治の民主化を進めている。このた
ンガリー投資がEU加盟後に増加すると予想して
め、英国やドイツ、イタリアなどの政府はトルコ
いた。これは、EU加盟による制度の調和・明確
のEU加盟を支持している。しかし、
(1)
トルコの
化により、社内に法律などの専門家を持たない中
国土の大部分が小アジアに属しており、EU加盟
小企業も進出が容易になるためである。ハンガリ
の前提である「欧州の国」といえるかどうかとい
ーには既に4,000社以上のドイツ企業が進出した
う問題があり、また、
(2)
人口の多いトルコが加
とみられるが、従来は会社法や税法の規定にあい
盟するとEUの意思決定に強い発言権を持つよう
まいなところがあり、中小規模の会社では対応に
になること、
(3)
イスラム教徒中心の国であるこ
苦慮することがあったという。
となどから、同国の加盟に抵抗を示す国もある。
新加盟国側は、EUの地域開発補助金とともに
EUが2004年12月の首脳会議でトルコとの加盟
外国投資受け入れによる経済発展を期待している。
交渉開始を決定すれば、同国の将来のEU加盟が
このため、誘致活動を活発に展開するほか、法人
確実になるが、経済改革など課題は多く、実際の
税率の引き下げなど投資環境の改善に努めている。
加盟までには時間がかかると予想される。
一例をあげると、2004年初めにスロバキアが法人
̶ 17 ̶
税を25%から19%へ、ポーランドが27%から19%
ている。国別の進出製造企業数はチェコ51社、ハ
に引き下げた。
ンガリー40社、ポーランド27社などとなっている。
業種別では自動車と電子部品が中心で、日本の産
着実に増加する日系企業
業競争力を反映している。
欧州委員会は2003年11月14日、ブリュッセルで
自動車については、トヨタがチェコでプジョー
「拡大EUにおける日本の投資」と題するセミナー
(フランス)との合弁工場を建設中のほか、ポー
を開催し、欧州各国から約170人の日本企業関係
ランドでエンジンとトランスミッションを製造し
者が参加した。セミナーではラミー委員(通商担
ている。また、スズキがハンガリーで乗用車を生
当)以下、欧州委の幹部が新加盟国におけるEU
産、いすゞがポーランドでディーゼル・エンジン
制度の導入状況から、労働問題、環境対策、国家
を製造している。ただし、自動車部品や電子部品
補助金に至るまで幅広い分野について説明した。
分野の進出企業のすべてが日系アッセンブリー企
こうしたEU域外国の日本を対象とした催しは異
業との取引を目的としているわけではなく、欧米
例であり、投資受け入れ側の新加盟国のみならず
企業を顧客とする進出例も多い。
EUも、日本が新加盟国に投資し、技術移転と雇
ジェトロのアンケート調査によると、こうした
用創出を通じて経済発展に貢献することを期待し
中・東欧進出日系企業の多くがEU加盟の影響を
ていることを表している。
プラスと見ており、とくにEUとの間の通関手続
東洋経済新報社の「海外進出企業総覧」によれ
きの簡素化による物流面の効率化を期待している。
ば、日系企業は2003年11月の調査時点でポーラン
また、規格・基準の調和によるコストダウン効果
ド、チェコ、ハンガリーの3か国で17,000人近い
への期待も強い。反面、相次ぐ外資系企業の進出
雇用を創出している。このほとんど、約15,000人
により賃金水準が急速に上昇したり、優秀な人材
は製造業に従事しているが、同分野における日本
の確保が難しくなることへの懸念が表明されてい
からの派遣員は188人に過ぎず、幹部に進出先国
る。進出企業の当面の狙いは生産品の西欧市場へ
の人材を登用したり、西欧の子会社出身者を活用
の輸出だが、進出先の経済発展に伴い当該国や近
していることが窺える。
隣の新加盟国市場向けの販売を増やす計画である。
在中・東欧日系製造業数の推移
日系企業でも労働集約的産業の場合は、安い労
(単位:社)
〈左軸:個別数値(棒グラフ),右軸:中・東欧全体(折れ線グラフ)〉
60
各年(暦年)末時点での所在数
(□内は在中・東欧日系製造業全体)
50
ポーランド
チェコ
ハンガリー
その他中・東欧
中・東欧全体
40
30
20
10
0
140
137
15
21
27
38
119
94
70
44
53
賃を求め新加盟国のさらに「外側」に進出してい
120
る。自動車用ワイヤーハーネス製造の矢崎総業は、
100
ルーマニアに
80
工場を持つほ
60
か、ハンガリ
40
ー国境に近い
20
94
95
96
97
98
99
2000 2001 2002 2003
ウクライナの
0
ウジホロドに
(出所:日本貿易振興機構・ジェトロ調査)
ジェトロの調査によると、中・東欧諸国に製造
工場を建設し ウジホロド(ウクライナ)の矢崎総業子会社
拠点を持つ日系企業は2003年末で137社と、2001
た。同工場に日本人は常駐しておらず、運営はス
年末の94社、2002年末の119社から着実に増加し
ロバキア人幹部が中心になっている。
̶ 18 ̶
エーゲ海のサントリーニ島
奈良大学名誉教授 坂 本 英 夫
2002年2月25日から3月11日まで奈良大学地理
このネア・カ
学科の海外巡検旅行でイタリア、ギリシャ、イス
メニ島には集
タンブール等を訪問した。その間、エーゲ海に浮
落はないが、
かぶサントリーニ島に3泊4日滞在した。エーゲ
島内は自由に
海にある島々のうち、この島が有名な理由は海上
見学できる。
カルデラ(二重式火山島)で独特の景観をもって
ネア・カメニ
いるからである。
島を取り囲む
ネア・カメニ島の火口 噴気が出ている
3つの島が外
輪山に相当し、
329m
イア
サントリーニ島
内側が急な崖、
317m
ティラシア島
外側
(外洋側)
が緩斜面とな
ティラシア
295m
ロープウェイ
旧港
ネア・
っている。
フィラ
ふつうサン
カメニ島
トリーニと呼
127m
パリア・カメニ島
空
港
新港
(アティニオス港)
アスプロ島
567m
アクロティリ
ばれているの
は主島のサン
トリーニ島
カマリ
で、正式には
ティラ遺跡
アクロティリ
遺跡
サントリーニ島・イアからティラシア島
を望む 外洋側は緩斜面
ペリッサ
ティラ島であ
る。現地の人
0
1
2km
はサンドリー
ニと濁って発
Ⅰ 火山島の地形
音する。サン
サントリーニ島の外洋側斜面 中央左
側は野菜畑
紀元前1450年の大噴火によって現在の地形とな
トリーニ島の面積は 76km2、伊豆大島(91km2)
ったが、当時人口5000人の町ティラが全滅したと
よりひとまわり小さい。冬の人口は約 8,000 人で
される。このため「アトランティス大陸」の伝説
あるが、観光客が増える夏は3万人にふくれあが
の地でもある。正確にいえば、サントリーニは爆
る。外洋に面して5か所ばかりビーチがあり、夏
裂によって大小5つの島から成っている。ネア・
の海岸は賑わう。ただし、火山性の土壌なので砂
カメニ島は中央火口丘に相当し、この島は山頂部
の色は黒い。
に火口を持っていて、いまなお噴気をあげている。
̶ 22 ̶
エーゲ海の島々の植生は貧弱ではげ山が多いが、
Ⅱ 集落の立地
訪れた時は雨期の後なので、島は一応緑に覆われ
この島の最大の産業は観光である。内湾の海面
ていた。牧草地もあるが、耕作放棄状態の畑も多
からそびえ立つ、200∼300mの急崖上に白い家々
い。フィラの近くでは野菜やハーブなど、すぐに
や教会が立ち並んでいる独特の景観が呼び物であ
食卓に出せる作物が栽培されている。
る。いわば外輪山の稜線にあたる部分にホテルや
農業としてはブドウ栽培が重要である。一般に
レストランのテラスがあり、航行する外洋船や青
地中海地方のブドウの木は、高さ1mくらいの杭
い海、日没などが眺められるし、それがポスター
につるを絡ませて栽培する。この島では冬から春
やカレンダーにエーゲ海の風景写真として紹介さ
にかけては杭もなく、つるをグルグル巻きにした
れている。私たちが訪れた3月上旬はまだシーズ
まま地面に置いてある。島の各所にワインの醸造
ンオフであったので、ホテル、レストラン、店舗、
場があり、訪れれば見学、試飲、即売も可能であ
別荘の大部分は閉鎖したままで、島内は閑散とし
る。購入して、夜にホテルで痛飲した学生もいた。
ていた。この
Ⅳ 水事情
ような建物が
稜線上に集中
サントリーニも離島につきものの水問題がある。
しているのは
集落ごとに共同の井戸があり、民家では天水を蓄
不自然である。
えている。それらは飲料水以外の生活用水に使う。
観察してみる
地下水には海水が含まれているので、シャワーを
と、島の生活
拠点となる施
あびても完全にはサッパリしない。本土から大量
フィラの町と旧港 層理とジグザグ道路
の生活用水が運搬船によって島に持ち込まれる。
設は稜線からやや下がった外洋寄りに位置する。
大きいホテルやレストランは港に来た運搬船から
幹線道路、バス停はそうであり、いくつかの集落
水を購入する。夏期は島内を水運送車が走り回る。
は中腹の緩斜面や外洋寄りに立地している。島の
いずれにしても、島の人々は市販のミネラルウォ
中心フィラの町の地元民用の小売店、スーパー、
ーターを購入して飲料水としている。島内のスー
レストランなどのある中心街は稜線より下がった
パーマーケットには巨大な水のペットボトルが並
東側の緩斜面に位置している。
んでいる。
ティラ遺跡やアクロティリ遺跡の位置からみれ
海水を真水に変える蒸留装置はミコノス島にあ
ば、古代からの島の中心は南部にあったといえる。
るが、サントリーニ島にはない。夏期の観光客の
前者は野ざらし状態であるが、後者は発掘中で見
増加は深刻な水不足を招く。3月に訪れた筆者ら
学できる。ギリシャ人のアイデンティティを示す
は、ホテルで「水の節約を」という掲示をみたが、
景観として、ギリシャ正教の教会が島内くまなく
入浴はできた。地中海性気候の下、夏場の入浴は
分布していて、41の教会と4つの修道院がある。
困難であろう。
島の最高地点567mには大きな修道院があって、
本稿作成にあたり、ギリシャ政府観光局の石本
島内のどこからも眺められる。
東生氏には、地図のご提供と水事情調査をお願い
した。厚くお礼申し上げたい。
Ⅲ 土地利用
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[写真解説]バグダッドで断食明けの夕食に出かける。客のほとんどは家
族、友人と連れだっての食事なので、断食が明ける前から出かけて席を確
保する。そして料理を机いっぱい注文して、断食が終わる時刻を待つ。
昨年の激しく揺れ動くイラクへの訪問は、10月26日からの断食月にぶつ
かった。エジプトやトルコなどと比べると、イラク人はまじめに断食をし
ていた。アンマンからバグダッドへ1000kmの道のりを運んでくれた運転
ムスリムの食事
手は煙草、
水も口にしなかった。その彼の楽しみは夕食である。テシュリー
プ(羊肉の煮込み)
、ハンモス(ペースト状のエジプト豆)
、トルコでユフ
カと呼ぶ薄いパン、野菜サラダ、ヨーグルト、水、スイカ、ナツメヤシと
食べきれないほどのメニューだ。席待ちの客にはスープが配られる。とて
も戦争をやっている国とは思えない。
(写真/文 大村次郷)
イスラームは信者の衣食住を大きく規定する宗教・
断食月の間ムスリムは、原則的に、朝起きた後は一
文明である。その中でもよく知られているものとして、
切の飲食はとらず、喫煙もしない。唾を飲み込んだり、
豚肉食や飲酒の禁止がある。その根拠は、神(アッラ
薬を飲んだりすることを慎む者もいるが、その一方で
ー)の言葉を集めたものとされるコーランに見られる
密かに飲食をする者がいないわけでもない。職場、学
文言である。たとえば、第2章173節では、死肉、血、
校、家庭などでいつも通りに仕事に励むが、とくに日
豚肉、それからアッラー以外の名が唱えられて屠られ
照時間が長い夏の暑い盛りにあたった時には苦しく疲
た動物からの肉全般の食が禁じられている。したがっ
れやすくなり、仕事の能率はかなり落ちる。そして月
て厳格な信者は、日本の普通の店で売っている牛肉な
の後半にもなれば疲労は蓄積し、些細なことで争いが
ども、アッラーにささげられた物ではないとの理由で
生じやすくなる。そこで、多くの者が早めに職場を切
口にしない。また、飲酒の禁は第2章219節や第5章
り上げ、ゆっくりと昼寝をとる。
90節などでふれられている。一般に、イスラームの規
日没が近づくと、町や村は静かになる。皆、自宅な
定に従って準備されたものをハラール食材・食品と呼
どで、日没後のアザーンが聞こえてくるのを今や遅し
び、そうでないもの(ハラーム)と区別する。近年で
と待ちかまえる。アザーンが聞こえると一斉に食事を
は日本でもムスリム人口が増えてきており、ハラール
始める。最初はシロップとナツメヤシの実を数粒とる
食材を専門に売る店もできてきている。
のがよいとされている。それからおもむろに肉、野菜、
また、コーランの第2章183∼185節などに記されて
パンなどに手を伸ばす。断食月の夕方の食事はイフタ
いるように、断食の義務もある。
ールと呼ばれ、普段以上のご馳走がでることが多い。
ムスリムが重要な儀礼の際に用いるイスラームの暦
最後に果物やお菓子を食べ、人心地ついてから礼拝を
(ヒジュラ暦ともいう)は、われわれが使っている太
行う。夜間は親戚・友人などを訪問したり、テレビの
陽暦とは異なり、月の満ち欠けで1か月を計算する太
特別番組を見たり、この期間限定で開催される遊戯施
陰暦に基づいている。その第9月、アラビア語でラマ
設や催し物会場にでかけたりして、夜遅くまで町や村
ダーンと呼ばれている月、その日中に断食は行われる。
はにぎわう。このような娯楽の時間帯にも軽食や飲み
それは、ある程度の年齢に達したムスリムすべてに課
物を楽しむ。就寝前や夜明け前にはサフールという食
せられる戒律である。ただし、病人、高齢者、妊婦、
事をとって翌日の断食に備える。
旅人などは免除されるが、この期間外に断食したり、
奇妙に聞こえるかもしれないが、断食月の食料、と
貧者に施しをしたりしなければならない。
くに肉、砂糖、バター、小麦などの消費量は、普段の
ヒジュラ暦は1年は12か月からなり、1か月は29日
月よりも増える。それほどイフタールにはご馳走がで
か30日、したがって1年は354日前後になる。つまり、
るのである。断食月に特有のお菓子類が作られること
ラマダーン月は一定の季節に固定されてはいない。そ
もある。そして、月末に近づくと、翌月の最初の3日
して、断食は日中、正確にいえば早朝の礼拝の呼びか
ほどに行われる断食月明けの祭(イード・アル=フィ
け(アザーン)から日没直後のアザーンまで行われる
トル)用の準備が始まる。スーダンではこの期間に特
ので、ラマダーン月が夏至の頃にあたれば1日の断食
別なビスケットが作られたりする。 時間が長く、冬至の頃であれば短いことになる。
(東京都立大学人文学部社会学科教授 大塚和夫)
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