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敬語 2 (謙譲語) 古文編 3 章
本科 / Z Study トレーニング / 国語 高2(高校)見本 QL05C2-Z1K1-01 古文編 3章 敬語2(謙譲語) 問一 次の中からそれぞれ最適な語を選び、傍線部を謙譲表現に直し て記せ。 きさき まかづ 奉る 啓す 仕うまつる 候ふ 承る 参る ⑴昔、二条の后に仕ふる男あり。 (伊勢物語) ⑵ゆかしくし給ふなる物を与へむ。 (更級日記) ⑶御琴の音をだに聞かで久しくなり侍りにけり。(源 氏物語) ⑷御前に人あるをりは、やがて問ふもをかし。 (枕草子) (蜻蛉日記) ⑸つとめて、中宮の御前に参りて言へば、 (枕草子) い ⑹夜のふけぬべかりつれば、そら胸やみてなん出でぬる。 ⑴= ⑵= ⑶= ⑷= ⑸= ⑹= 問二 次の傍線部をわかりやすく口語訳せよ。 ⑴かぐや姫を養ひ奉ること二十余年になりぬ。 ( 竹取物語) みかど 〈L5X〉古文編3章 わからないときは『サポート』のココ! 分 (大和物語) 解答時間のめやす ⑵亭子の帝、石山につねにまうで給ひけり。 (蜻蛉日記) ⑶物忘れをせさせ給はざりけると見給ふるなん、いとうしろや すき。 問三 次の傍線部を例にならって説明せよ。またそれぞれが高めてい る対象を、文章中の呼称を用いて記せ。 例 申す→謙譲の動詞 西の 対の姫君も立ち出で給へり。そこばく挑み尽くし給へる人 かたち おん ぞ の御容貌有様を見⑴給ふに、帝の赤色の御衣⑵奉りてうるはし う動きなき御かたはら目に、なずらひ聞こゆべき人なし。我が 父大臣を、人知れず目を付け⑶奉り給へど、きらきらしうもの きよげに盛りにはものし給へど、限りありかし。(源 氏物語) ⑴= ⑵= ⑶= 76 30 QL05C2-Z1K1-02 人を)点呼するのも面白い。 問一 ⑸ 中 宮 に 向 か っ て 申 し 上 げ る 場 合 に は、「 啓 す 」 が 使 わ れ る。 問二 ⑴かぐや姫を養い申し上げることが二十年あまりになった。 ⑹夜がふけてしまいそうだったので、胸が痛むふりをして退出した。 ⑸翌朝、中宮さまの御前に参上して申し上げると、 この設問においては已然形に直さなければならないが、その際、これ ⑵亭子の帝は、石山寺に日頃から参詣なさっていた。 の動詞。完了「ぬ」の上につけるときは連用形に直せばよい。 問三 西の対の姫君もお出ましになった。大勢の競っておられる方た ⑶(私を)お忘れになってはいなかったのだと拝見するのは、まこと に心が落ち着くことです。 ひ ごろ がサ変の活用をするということに注意。 問二 ⑵ 傍 線 部 に は 謙 譲 語「 ま う づ 」 だ け で な く、 尊 敬 の 補 助 動 詞 ちのお顔やお姿をご覧になるにつけても、帝が赤色のお着物をお召し ⑹「出づ」の謙譲表現は「まかづ」である。これはダ行下二段活用 「 給 ふ 」 も 使 わ れ て い る。 し た が っ て「 参 詣 す る 」 と 訳 し た あ と で、 になって動かずにきちんとしておられる横顔に、比べ申し上げること さん けい さらに「……なさる」という言い回しに直すこと。 のできる人はいない。ご自分の父である大臣に、こっそり目を付け申 し上げなさるが、きらびやかに美しく男盛りでいらっしゃるとはいえ、 77 ⑶傍線部に使われている「給ふる」は下二段活用動詞の連体形であ る。それゆえ尊敬ではなく謙譲を表していると判断される。 それも限度がある。 ⑶謙譲の補助動詞・大臣 問三 ⑴尊敬の補助動詞・姫君 ⑵尊敬の動詞・帝 問二 ⑴養い申し上げること ⑵参詣なさった ⑶拝見するのは ⑸啓すれば ⑹まかでぬる 問一 ⑴仕うまつる ⑵奉らむ ⑶承らで ⑷候ふ 問三 ⑴これは連体形であり、その語尾が「ふ」であるから、四段活 用動詞であると判断できる。よって謙譲ではなく尊敬。 ⑵「 奉 る 」 は、 ま れ に「 着 る・ 乗 る 」 の 尊 敬 語 と し て も 使 わ れ る。 この場合のように「御衣」のすぐ下にあるときは要注意。 ⑶補助動詞として使われる「奉る」は、まちがいなく謙譲。その敬 意の対象は、動作の向かっていく相手ということになる。 全訳 問一 ⑴昔、二条の后にお仕えする男がいた。 た ⑵見たがっていらっしゃるというものを差し上げよう。 ⑶お琴の音色さえもお聞きしないで、ずいぶん経ってしまいました。 ⑷(帝 の)御前に人がお仕えしているときは、そのまま(蔵人がその 敬語2(謙譲語) 3章 QL05C2-Z1K2-01 漢文編 3章 否定(句形の応用) 次の文章を読み、あとの問に答えよ。ただし、設問の都合により一 部送り仮名を省略したところがある。 亦 c ニ * 常 法。 」 一 二 分 〈L5X〉漢文編3章 わからないときは『サポート』のココ! 解答時間のめやす *矣=句末に置かれて断定・疑問・反語などの意を表す置き そ ヲ ほこラ タ ムル ヲ ヲ ニ ニ マル ハク シ レ 賞 スルハ ヲ 賞 ⑷所 二以 善 也。辞 ―勧 レドモ ハ いこと。 *常法=常に守るべき規範。 える置き字。 *君子=当時の高徳の人。 *厚=心づかいが深 [楚の国が隣国の呉に攻められて国都は陥落し、楚の昭王が国外に亡 しん 此。 ハク 楚。申包 ヲ ノ キ モノ クノ 臣 若 レ ヲ ハシム 師 救 * 二 字。 *師=軍隊。 *子満・子虎=秦の二人の大夫の名。*車 しんほうしよ レ イテ ニ チ ダシテ ヲ シ 而 会 レ之、 * ヨリ ヲ 於 申 包 胥。一 * 上 ハ 車五百乗。一子満曰、 * ひと ル ヲ 身 也。 救 レ急 除 レ害、 ヒ ヲ ク ハ 二 ム 先 与 二呉 人 一戦 レ レ あらはレ ル ハ 見。 *君 子 曰、 「申 レ 賞、 是 売 レ勇 也。 君 既 定 、 ヲ ザ ル ニ スルニ ノ シ テ ニ ひとヲシテ ヅ 楚人 a 命したとき、楚の大夫の申包胥は王の命令は受けなかったが西方の秦 下 キ ヲ レ ク ルハ 国、 非 レ為 ニ ニ 五百乗=戦車五百台 。 *而=接続を表す置き字 。 *於=起点・ ノ 二 ひきゐル 於 レ是 乃 出 ブ に救援を求めに行き、七日七夜宮殿の庭の壁に寄りかかって泣き通し ⑵ ニ ル モ ノ キ モノ かクノ ニ 此 亡。 吾 比較・対象などを表す置き字。 *焉=句末に置かれて語調を整 ハク レ ル 日 *矣。」 秦 哀 公 曰、「 楚 有 二臣 若 無 ヲ ノ ブルコト ケ ント 吾 亡 ノ た。 ] ⑴ テ ノ ヲ しメテ 胥以 二秦 師 一至 レ楚。 *子満・ *子虎、帥 ル ノ 「 ⑶ 吾 未 レ知 二呉 道。」 使 一 イニ レ たす ケ ヲ ン ズルハ 大 敗 二呉 師。一 呉 師 既 退、 昭 王 復 レ国 而 賞 始 ハク リテ ナリ レ ヨリ 名 也。 功 成 而 受 包 胥 曰、「 輔 レ君 安 レ ザ ル ニ スルニ ノ 非 レ為 ニ ニ 焉。」 遂 逃 レ賞、 終 身 b * ケ ヲ ク ハ ヲカ メント 又何 求 ル ニ ケ 子 之 不 レ受 レ命 赴 レ秦、 忠 矣。 七 日 七 夜 不 レ絶 レ声、 *厚 矣。 ル ハ 不 レ受 レ賞、不 レ伐 矣。 然 126 30 QL05C2-Z1K2-02 問一 a ~ c に最適なものをそれぞれ次の中から選び、記号を記 せ。 ア未 イ無 ウ非 エ不 a = b= c = 問二 傍線⑵⑷の読みを、送り仮名も含めてすべて現代仮名遣いのひ らがなで記せ。 問四 傍線⑶をⅰ書き下し文にし、ⅱ口語訳せよ。 ⅰ= ⅱ= 127 ⑵= ⑷= 問三 傍線⑴をわかりやすく口語訳せよ。 否定(句形の応用) 3章 QL05C2-Z1K2-03 せん 出 典 『新序』 「節士」第七 りゅうきょう 『新序』は前漢の 劉 向 の撰。春秋時代から漢代初めまでのエピソー ド の 中 か ら、 儒 学 の 立 場 か ら 見 て 訓 戒 と な る も の を 集 め た。 十 巻。 シ」と返るが、「非」は必ず「ニあらズ」と「ニ」から返ることに注 意すること。問題文でも「常法ニ」と「ニ」から返っている。送り仮 名の「ニ」がヒントである。 問二 漢文でよく出る語句について、その読みの確認の問題。 ⑵「 こ こ に お い て 」 。 「 是 」 は「 こ れ・ こ の・ こ こ・ か く 」 な ど の 漢文の代表的な四つの否定詞「不」「無」「非」「未」についての練 章 に 出 て き た ら 意 味 と あ わ せ て 読 み を 正 し く 覚 え る こ と。「 於 レ是 」 て)」、「以 レ是(これをもって)」、 「如 レ是(かくのごとし)」など、文 訓 を 持 つ か ら 注 意。「 於 レ是( こ こ に お い て ) 」、「 是 以( こ こ を も っ 習問題。 「未」については「再読文字」のカリキュラムでも取り上げ は、〈そこで〉、「是以」は〈こういうわけで〉 、「以 レ是」は〈これを〉、 「節士」とは〈節操のある人物〉の意。 て お り、 〈 ま だ …… な い 〉 と 時 間 の 流 れ の 上 で の 否 定 で あ る。「 不 」 「如 レ是」は〈このようである〉の意。 ……」と読める語で、 一 —— テ スル ⑷は「ゆえん(ゆゑん)」。〈原因・理由〉や〈方法・手段〉を表す 「未」は用言の否定、 「無」 「非」は体言の否定、ということもできる。 さらに言えば「無」は〈 (体言)がない〉〈(体言)はない〉の意であ ノ これに「ゆゑ」の訓を与え、「ん」がついて「ゆゑん」の読みが定着 が、ここは後者。もともとこの語は「所 二以 い〉という意である。 「無」と同じ用法の否定詞に「莫」があり、今 した。二字句の慣用読みは時々試験に出されるので覚えておくとよい。 る の に 対 し、 「 非 」 は「 ( 体 言 ) ニ あ ら ズ 」 と 読 み、〈( 体 言 ) で は な 回の問題文には出ていないが、よく登場する。 問三 「 吾 」 は 秦 の 哀 公 自 身。「 亡 」 は 滅 亡、 国 が 滅 び 王 の 地 位 を 「所謂(いはゆる)」 、 「以為(おもへらく) 」等。 吾 ニ a 」 と 対 句 構 成 で 述 べ ら れ て い る こ と か ら も、 —— レ 問一 a 「臣」を打ち消す。 「若 此」は「臣」の修飾句である。また、 「楚ニ有リ 「矣」は注にあるように句末の置き字で訓読しない。ここは断定・言 失うこと。「無 レ日」は、 〈間もなく・何日も過ぎないうちに〉の意。 b「見(あらはる) 」という動詞( 「みゆ」と読んでもよい)を打ち い切りの調子を示している。〈私が滅亡するのも先のことではない〉 a はイ「無」であることが判断できよう。 消す。 「終身」は〈一生涯・死ぬまで〉である。訓読して「身ヲ終フ などとすればよい。 意。「呉道」は〈呉の国の道路・地理〉の意だからそのままにしない ルマデ」としてもよい。 〈その後、一生姿を現さなかった〉という意。 c 「常法」という体言を否定する。送りがなの「ニ」に注意する。 で「呉の道」と読んだ方がわかりやすい。書き下し文は「吾未だ呉の 問四 「 未 」 は 再 読 文 字。 「 未 だ …… ず 」 の 訓 で〈 ま だ …… な い 〉 の 「 ニ あ ら ズ 」 の ウ「 非 」 が 入 る。 同 じ 体 言 否 定 で も「 無 」 の 場 合 は 道を知らず」、口語訳は「私はまだ呉の国の道路(地勢)がわからな ここに入るのはエ「不」である。 助詞や活用語尾を示す送り仮名はなく体言からそのまま「(体言)無 128 QL05C2-Z1K2-04 い」でよい。 訓読 あい こう い そ しん か ほろ ひ な あ われ いま くわい あら こう な もと ほろ ご おほ われ いた みち はじ しやう じ しやう う ここ う ご お しん は)楚と合流して、大いに呉の軍勢を打ち破った。呉の軍は引き上げ、 ほ さ (亡命していた楚の)昭王は国にもどって復位し、論功行賞は申包胥 から始まった。申包胥が言った、「国君を輔佐して国を安定させるの は、自分の出世の為に行うのではありません。国家の危機を救い害を しん われ 秦の哀公曰はく、 「楚に臣の此くのごときもの有るも亡ぶ。吾に臣 な 除くのは、自分の名誉の為に行うのではありません。事がらがうまく か ため しやうしんはうしよ これ しん はう しよ しん し まん い ふく み あら またなに めい あつ しやう きう また しん つひ う はうしよ し し の此くのごときもの無し。吾の亡ぶること日無けん」と。是に於いて そ ひきゐ たたか せうわうくに ご ひと やす ため さだ しん し ゆゑん そ いき賞を受けるというのは、自分の勇みたった行為を売ることです。 すなは くるま ご ひやく じよう ま しりぞ くに な きみすで た もつ 乃 ち師を出だして楚を救はしむ。申包胥秦の師を以て楚に至る。子 王は国に復位されました。この上私は何を求めましょうや」と。そこ まん し すで たす う くん し い すす し 満・子虎、 車 五 百 乗 を 帥 る。子満曰はく、「吾未だ呉の道を知ら で昭王の賞から逃れて、一生姿を現さなかった。時の高徳の人は言っ そ ひと ご きみ のぞ ゆう しゆうしんあらは すく ず」と。楚人をして先づ呉人と 戦 はしめて之に 会 し、大いに呉の師 た、「申包胥が王からの命令を受けなかったのに(自分から)秦国に やぶ い を敗る。呉の師既に 退 き、昭王国に復して 賞 申包胥より始む。包胥 赴いたのは、忠義の行為である。七日七夜(秦の宮殿の庭で)声をあ い がい し 曰はく、 「君を輔け国を安んずるは、身の為にするに非ざるなり。急 げて泣き通したのは、忠義心の深いことであった。 (自分の行為に対 すく こ のが ぜん なぬ か なな よ こゑ しやう し を救ひ害を除くは、名の為にするに非ざるなり。功成りて 賞 を受く しての)賞を受けないというのは功績を誇らない姿勢と言える。しか こ るは、是れ勇を売るなり。君既に定まる、又何をか求めん」と。遂に し賞というのは善行を奨励するためのものである。その賞を辞退する しやう ちゆう しか 129 し 賞 より逃れ、 終 身 見 れず。君子曰はく、「申子の命を受けざるに秦 というのは規範に合うものではない」と。 おもむ ほこ あら 問一 aイ bエ cウ に 赴 くは、 忠 なり。七日七夜声を絶たざるは、厚し。 賞 を受けざ じやうはふ るは、伐らず。然れども 賞 は善を勧むる所以なり。 賞 を辞するは亦 常 法に非ず」と。 全訳 問二 ⑵ここにおいて ⑷ゆえん 問三 私が滅亡するのも先のことではない 秦の哀公が言うに、 「楚にはこのような忠義の家来がいても滅亡し た。余にはこのような忠義の家来はいない。余が滅亡するのも遠い先 問四 ⅰ吾未だ呉の道を知らず。 ⅱ私はまだ呉の国の道路がわからない。 のことではない」と。そこで軍隊を派遣して楚を救援させた。申包胥 は秦の軍を率いて楚に到着した。 (秦の)子満と子虎は戦車五百乗の 軍を率いていた。子満が言うに、 「私はまだ呉国の地勢がよくわかっ て い な い 」 と。 楚 の 軍 を 先 に 出 し て 呉 の 軍 と 戦 わ せ( そ の 後、 秦 軍 否定(句形の応用) 3章