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里山ガーデンで最期まで生きる力を育む

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里山ガーデンで最期まで生きる力を育む
里山ガーデンで最期まで生きる力を育む
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認知症の研究会で共に
発表をした先生や研究会
に参加した先生と話をす
ると、集団レクなどのデ
イサービスの仕組みには、
自分が高齢者になった時
は利用したくないと口を
えます。高齢者を一く
くりにしてしまわず、各
人に応じた細やかなケア
を提供する仕組みを作ら
ねばならないと考えるよ
うになりました。不自由
になった時こそ家族に迷
惑をかけず、気の合う人
達と過ごすことでストレ
スがなくなり、リラック
スして過ごせる、そうし
た良い介護の場が今後は
もっと必要になってきま
す。
2025年問題やこれ
から迎える多死時代を考
え、わかば会では急性期
から慢性期、リハビリ、
介護にいたるまで、でき
ていただく、人生の輝か
しい一幕を施設に入って
も披露することで、周り
の人たちに元気を与え、
本人の気持ちも前向きに
なると考えています。
医療法人わかば会 俵町浜野病院 理事長 浜野 裕
先生には入所者の前で踊っ
わかば会のはじまりは た。足腰が弱らないよう
1950年、父が佐世保 にとスポーツ好きの父に
市俵町に 床の耳鼻科医 老人会のゲートボールに
院を開設した時にさかの 行くように勧めましたが、
ぼります。その後私が院 行きたがりませんでした。
長を引き継ぎ、2002 知り合いのいない老人会
年には救急告示病院とな には何の興味のなかった
りました。2003年に ようです。肉親の看取り
拡張改築工事をした際に をきっかけに身体面だけ
病棟機能に加え、5階を でなく、家族や社会的な
グループホームにして、 背景を含めて患者さんを
2階にはリハビリ、デイ 診る必要があると思いま
ケアを造りました。さら す。
に病院裏にサ高住わかば
レジデンスを開設し、閉 高齢者が直面している
院された近隣の産婦人科 疾患だけでなく、その人
を、小規模多機能ホーム が歩んできた人生や歴史
にしました。そして20 をふまえてその方の問題
10年わかば会 周年記 を考えてあげなければな
念事業として里山ガーデ りません。治療、介護の
ンのある有料老人ホーム 説明をすると寂しそうな
わかばテラスを造り、そ 表情を浮かべる人が多く
こにデイサービス風祭り います。でも現役で活躍
を併設し、さらに201 していたころの話を聞い
2年には認知症対応型デ てあげると表情が明るく
イサービス里山療法クラ なり、今後の人生に正面
ブをオープンさせました。 から向き合い、リハビリ
などに取り組む気持ちに
なります。テラス入居者
でお茶の先生をなさって
いた人には庭で野点の会
をしていただき、踊りの
90
現在までの 年の病院
の変遷の中で、父は 歳、
母は 歳で認知症で亡く
なりました。まだ介護事
業に本腰を入れる前でし
る限りの診療体制を整え
ています。私は若いころ
大阪で循環器の3次救急
病院にいましたし、救急
専門の外科医もいるので
ほとんどのケースに対応
できます。どうしても手
に負えない場合は、協力
病院に搬送しています。
我々が出来る範囲で救急
医療を行ない、その後療
養病棟に移る。それから
帰宅する時にショートス
テイと在宅をつないでい
こうとしています。わか
ば会は法人内に多くの施
設があるので介護プラン
の変更などが迅速に行な
えます。
隔に転移。縦隔部の転移
巣が広がり、気管が圧迫
されて呼吸が困難となり
ました。その後、肺炎で
呼吸不全がますます深刻
になったので、病院に移
して治療をしました。そ
の間、転移巣が大きくな
り完全に呼吸ができなく
なりました。人工呼吸器
を付け肺炎の治療をして
いましたが、癌の転移が
広がり余命は長くありま
せん。
口から管を入れて人工
呼吸器をつける際、患者
さんが辛いので鎮静剤を
投与します。患者さんの
娘さんが来た時、いつも
今わかば会は在宅医療、 口に管が入った状態で眠っ
ています。娘さんに﹁父
その中でも施設在宅での
はずっとこの状態なので
終末期医療に力を入れて
しょうか﹂と言われ、対
います。グループホーム
面してもらうために気管
の入所者が病気になって
切開をしました。これで
入院するとすぐに帰りた
口から入れた管を抜いて
がります。グループホー
鎮静剤の投与をせずに済
ムが自分の家だと思って
み、目を開けることがで
くれているからです。ご
きます。言葉は発せませ
本人の希望があれば病気
んが、目で意思疎通がで
が重くてもできるだけ早
きるようになり、やがて
く戻っていただきます。
筆談でコミュニケーショ
看取りはグループホーム
ンが取れるようにもなり
で行います。サ高住や住
ました。しかしだんだん
宅型有料老人ホームも同
と病状が悪化した時、声
じです。病院での医療を
にならない声で﹁テラス
行った後は、なじみの場
に帰りたい﹂と言うのが
所で、なじみの人たちに
分かりました。テラスの
囲まれている方が幸せな
入居者の名前を出して、
人生の終わり方だと思っ
ている方がほとんどです。 その人に﹁会いたい﹂と
も言いました。何とか帰
してあげたいと思いまし
先日住宅型老人ホーム
たし、ご家族も希望され
わかばテラスで看取った
たので、在宅酸素の機械
方は、入居後食道癌が見
を2台導入し、わかばテ
つかった時にはすでに縦
ラスに持ち込みました。
最善の治療をするために
かなりの人員を投入し、
病院スタッフの力も借り
ながら最期の数日間を過
ごしていただきました。
この患者さんは病院か
らわかばテラスに戻すこ
生きる糧を皆で分かち
合うことが人間の生きが
いになります。それを多
くの人が体験し、元気に
なってもらうことで、医
療費、介護費の削減にも
つながるのではないかと
思っています。
とを告げた時に目の力が
この活動を知ったアメ
蘇りました。人生の最期
リカのラトガース大学の
を自分が好きな場所で迎
研究者と同ラトガース大
えるのが人間にとって幸
より長崎大学環境科学部
せなことだと改めて感じ
教授として赴任される五
ました。数年間、共に過
島先生から、和風庭園の
ごした仲間に囲まれ、テ
終末期認知症患者に対す
ラスで過ごすことができ
る効果についての共同研
る。人生の最期を素晴ら
究の依頼があり、アメリ
しい環境で過ごしていた
カ、日本、それから香港
だけたのではないかと思っ との共同研究の準備を進
ています。娘さんにもと
めています。
ても喜んでいただけまし
た。
日本人は農耕民族で、
稲作を中心に1年を考え
団塊の世代が高齢者に
ていたのではないでしょ
なった時を考え、介護を
うか。春になると田を耕
支える仕組みとして私達
し、水を張って田植えを
が取り組んでいる里山療
する、そして秋に収穫す
法についてお話します。
る。それがDNAに刻み
外に出て太陽の光を浴び
込まれているのかもしれ
風を感じる。それが生き
ません。これが人種や国
る力につながると考え、
を超えて効果があるか?
デイケアに来た人たちに
良い結果が得られるので
病院にある菜園で花や野
はないかと期待していま
菜を栽培してもらってい
す。
ます。収穫する時は皆さ
んとてもいきいきしてい
野菜作りは天候に左右
ます。デイケアの中にい
されます。ある年、トウ
る時より目に輝きがあり、 モロコシが不作で、私は
動きもテキパキしていま
皆さんががっかりすると
す。これはいわゆる園芸
思っていましたが、がっ
療法です。この作業を美
かりするどころか﹁来年
しい日本の風景、里山ガー はがんばろう﹂と言って
デンの中で行う。それが
おられました。それまで
里山療法です。
土仕事などしたこともな
い人がほとんどです。農
作物を作ることは人間の
エネルギーの源なのでは
ないかと思えた経験でし
た。心の奥底にあるエネ
ルギーをいかに引き出す
かが、我々の仕事だと思
います。里山ガーデンが
小さな集落の役割をして
いるのかもしれません。
食べることは生きるこ
とです。食べ物を育て、
収獲し、調理して食べる。
野菜を家庭に持って帰る
とご家族も喜びます。そ
れが生きがいにつながり、
また来年も栽培したいと
未来への希望がわきます。
わかばテラス内に棚田を
作り、もち米を育て、畑
ではジャガイモやスイカ、
トウモロコシなどを栽培
しています。自然の中で
楽しく過ごせるだけでな
く、医学的にも自律神経
機能が改善し、免疫細胞
が活性化するなど良い結
果が得られています。
生きる糧をみんなで分かち合うことが人間の生きがいになります。(浜野 裕)
(第604号)
九 州 医 事 新 報
2014年9月20日(毎月1回20日発行)
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浜野裕:1951 福岡県小倉市に生まれる 1979 久留米大学医学部卒業 大阪大学医学部付属病院第 1 内科(循環器科)入局 1980 同医局より桜橋渡辺病院(大阪市 3 次救急病院)循環器内科
に勤務 1986 桜橋渡辺病院循環器内科医長 1988 俵町浜野病院 副院長 2001 俵町浜野病院院長 2002 医療法人わかば会理事長 【所属学会】日本循環器学会専門医 日本内科学会認定医 日本超音波学会専門医 日本東洋医学会専門医 日本心臓病学会 日本糖尿病学会 日本集中治療学会 日本老年病学会 日本認知症学会 日本認知症ケア学会 長崎県県北臨床内科医会理事
浜野敦子 :1953 佐世保市俵町に生まれる 1979 久留米大学医学部卒業 関西医科大学第 3 内科入局 1983 俵町浜野整形外科・耳鼻咽喉科勤務 1987 俵町浜野病院内科勤務 2002 医療法人わか
ば会理事に就任 2011 有料老人ホームわかばテラス施設長に就任
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