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首都機能移転の論拠と その不確定性

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首都機能移転の論拠と その不確定性
首都機能 移転 の論拠 と
その不確定性
市
目
1.は
宏
雄
次
1.は
じめ に
2,国
会 等 移 転 の決 議 と前 後 の動 き
3.首
都 機 能 移 転 の論 拠
4.論
拠 の背 後 に あ る ドライ ヴ ィ ング ・フ ォー ス
5.論
拠 の変 遷 と移 転 内容 の変 質
6.論
拠 の妥 当性 と首 都 機 能 移 転 の意 味
7.お
わ りに
じ め
に
国会 等 移 転 審 議 会(以
1月16日)で,国
川
下,移
転 審 議 会 と 略)の
第9回
審 議 会(1998年
会 な ど首 都 機 能 の移 転 先 の第1次 候 補 地(調 査 対 象 地 域)
が発 表 され た(1)。こ こに至 るま で に は,バ
が開 発 指 向 に あ った90年 代 初 頭,国
ブル経 済 で,依 然 と して 日本 全 体
会 等 の 移 転 に 関 す る決 議(1990年11
月)に 端 を発 し,そ れ以 降 の連 続 した一 連 の プ ロセ ス が存 在 して い る こ とを
忘 れ て は な らな い。 そ の決 議 の一 年 後 の92年12月
に 「国 会等 の移 転 に関 す
る法 律 」(以 下,移 転 法 と略)が 成 立 し,国 会 等 移 転 調 査 会(以
下,移
転調
査 会 と略)が 設 置 さ れ た。 そ の後,移 転 調 査 会 は第 一 次 中 間報 告 「明 日の 日
(373)25
政経論叢
本 と新 しい首 都 」(94年6月)で
第66巻第5・6号
移 転 の 意 義 と効 果,第 二 次 中 間報 告(95年6
月)で 移 転 の範 囲 と手 順,.新 首 都 の都 市 造 りを 提 示 して き た 。 そ して,95
年 末 の12月13日
の最 終報 告 で移 転 候 補 地 の選 定 基 準 が だ され,調 査 会 はそ
の役 割 を終 え た。 そ の半 年 後,首 都 機 能 移 転 は候 補 地 の選 定 と い う具 体 的 な
フ ェー ズ へ と移 行 す る たあ に,1996年6月19日
に,そ
の3年
半 前 の92年
12月 に 発 布 され た 「国 会 等 の 移 転 に関 す る法 律 」 が 修 正 さ れ,与
党3党
と
新 進 党 の議 員 立 法 に よ る 「国会 等 の移 転 に関 す る法 律(改 正 法)」(以 下,改
正 移 転 法 と略)が 発 布 ・施 行 さ れ た。 そ して,具 体 的 な調 査審 議 を行 うた め
に,上 述 の移 転 審 議 会 が1996年12月16日
に設 置 され た の で あ った。
こ う した一 連 の動 きの な か で,知 名 度 の低 か った新 首 都 建 設 の論 議 が一 般
世 論 に高 ま りつ つ あ る こ と も事 実 で あ る②。 しか しな が ら,首 都 機 能 移 転 の
動 きが 本 格 化 す る(少 な く と も,行 政 上 の手 続 きに お い て は)な か で,な ぜ
首 都 機 能 の移 転 が 必 要 な の か と い う論 拠 は依 然 と して 明確 な説 得 力 を も って
いな い。 本 稿 で は,移 転 の論 拠 と,何 ゆ え に そ れ が具 体 化 へ 向 か い っ っ あ る
の か,そ
の経 緯 と理 由 を考 え て み る。 そ れが 結 果 的 に,こ の テ ー マ が抱 え る
課 題 と不 確 定 性 を 明 らか に す る はず で あ る。
2.国
会 等 移 転 の 決 議 と前 後 の 動 き
今 回,戦 後 の歴 史 の な か で,初 め て遷 都 問 題 が 具 体 化 の 段 階 に 至 っ た の
は(3),1990年ll月
に移 転 の決 議 が 国 会 で な され る と い う認 知 の た め の 行 為
が具 体 的 に行 わ れ た こ とに主 た る要 因 が あ る と考 え られ る。 そ の決 議 が な さ
れ る にあ た って は,当 時 の東 京 へ の過 度 の集 積 へ の危 惧 とい う国民 的合 意 に
近 い 時 代 背 景 が あ った こ とを抜 きに は語 れ な い。 そ して,そ の決 議 後 の進 展
につ いて は,そ れ を 肉付 け した官 と,陰 に陽 に先 導 した民 の グル ー プの存 在
が あ った こ と も無 視 で きな い。
26(374)
首都機能 移転 の論拠 とその不確定性
この 国会 主 導 で行 わ れ た遷 都 論 議 の 出 発 点 は,そ の15年
こ と75年2月
前 に さかの ぼ る
に発 足 した 「新 首 都 問 題 懇 談 会 」(略 称,新 首 都 懇)と
い う超
党 派 の国 会 議 員 を 中心 に した一 部 学 識 経 験 者 も含 あ た 懇 談 会 に あ っ た。90
年 の国 会 決 議 が な され る寸 前 に は230人
が,75年
の 発 足 当 時,会 長 で あ る金 丸 国 土 庁 長 官 は,「 人 口 規 模55万
面 積8100ヘ
以 来,村
もの与 野 党議 員 が メ ンバ ー にな った
ク タ ー ル,移 転 費 用8兆8千
人,
億 円 」 と い う金 丸 構 想 を 打 ち出 し,
田敬 次 郎 を会 長 代 理 と して懇 談 会 の会 合 を続 け て きた。・そ の 間,あ
ま り 目に見 え る進 展 が な か った が,80年
代 末 か ら90年 代 に入 って,急
に動
きが 見 え 始 め た。 その 背 景 に は急 速 に進 行 す る東 京 一 極 集 中 へ の危 惧 とい う
社 会 経 済 環 境 に加 え て,リ
ニ ア ・モ ー ター カ ー に よ る第 二 東 海 道 新 幹 線 の建
設 に よ る新 首 都 へ の ア ク セ ス確 保 の可 能 性 が 高 ま った とい う客 観 情勢 もあ っ
た④。 この 時 点 で,具 体 的 に リニ ア ・モ ー タ ー カ ー の沿 線 に首 都 機 能 を 移 す
とい う合意 も,ま た議 論 も な され た訳 で は なか ったが,背 後 に,こ
う した雰
囲 気 が あ った こと は事 実 で あ る⑤。 決 議 につ い て は,社 公 民 の野 党 三 党 が お
お む ね賛 成 し,と くに野 党 第一 党 の 社 会 党 は,土 地 問 題 を 解 決 す る に は,首
都 移 転 は欠 か せ な い と い う主 張 で あ った(6)。これ に対 して,首 都 の座 を 失 う
東 京 で は,鈴 木 都 知 事 と 自民 党 都連 の 反 対 が あ っ たが,首 都 移 転 で はな く,
首都 機 能 の 一 部 移 転 と い うこ と で最 終 的 に了 解 点 が え られの,首 都 機 能 の 移
転 を国 会 移 転 か ら始 め る とい う シナ リオで,決 議 が な され る こ と に な っ たの
で あ る⑧。
こ う した政 治 の動 きに対 して,政 府 は いか な る ス タ ンス を と って い たのか。
首 都 機 能 移 転 に つ い て,政 府 が 正 式 に と りあ げ た の は,1977年
され た 「第 三 次 全 国 総 合 開 発 計 画 」(三 全 総)に
に閣 議 決 定
さか の ぼ る。 首 都 機 能 の 存
在 が 東 京 に お け る 中枢 管 理 機 能 の集 積 を生 み,東 京一 極 集 中 の要 因 とな った
と い う判 断 か ら,そ の首 都 機 能 の移 転 再 配 置 が,国 土 総 合 開発 政 策 上 の 重要
な課 題 と して位 置 づ け られ た。 そ の該 当 す る文 言 は,第5章
(375)27
・計 画 の実 施 の
政経論 叢
第66巻第5・6号
中 の 「首 都 機 能 の 移 転 問 題」 に 触 れ た 以下 の 文章 に示 され て い る。
「現 在 首 都 で あ る東 京 は,東 京 都 と そ の周 辺 県 の 区域 を含 め て 巨大 な 都 市
とな り,全 国 人 口 の約24%(昭
和50年)が
等 は,経 済,行 政,教 育,文 化,社
居 住 して い るが,中 枢 管 理 機 能
会 な ど全 部 門 にわ た り高 度 に集 中 して お
り,こ の よ う な中 枢 管 理 機 能等 の 東 京一 点 集 中型 の国 土 利 用 の 構 造 は,過 密
過 疎 問題 に対 処 す る こ と,大 震 災 な どの 災 害 に対 処 す る こ と な どの 視 点 か ら
根 本 的 な 再編 成 を 必 要 と して い る。(中
この た め,21世
紀 に 向 けて,1億
略)
数 千 万 人 の人 間 と国 土 と のか か わ り あ い
を展 望 す る中 で,均 衡 あ る国土 の利 用 を 図 り,.各 定 住 圏 にお け る定 住 の 基 礎
的条 件 を 整 備 す る ため に は,東 京 にお け る中 枢 管 理 機 能 集 積 の主 因 と な り,
東 京 一 点 集 中 の 要 因 と な って き た首 都 機 能 の 移転 再 配 置 を進 め る こ とが,国
土 総 合 開 発 政 策 上 の重 要 な課題 とな るだ ろ う」(下 線,筆 者)
この文 章 に続 い て,具 体 的 な 移 転 の 形 態 につ い て遷 都 と分 都 の方式 が あ り,
そ れ ぞ れ に長 所 ・短 所 が あ る と の記 述 が な され て い る。 いず れ に して も,こ
の 引 用文 章 か ら分 か る よ うに,移 転 先 につ いて の 言 及 は な い もの の,か な り
明確 に首 都 機 能 の移 転 につ いて 触 れ られ て い る。
この三 全 総 で 示 され た考 え方 は,そ の 一 つ の 手 だ て と して,そ
年5月
の 「首 都 改 造 計 画 」,86年6月
の 後,85
の 「第 四次 首 都 圏 基本 計 画 」 におい て,
東 京 区部 内 に立 地 して い る政 府 機 関 の一 部 を首 都 圏 内 の業 務 核 都 市 等 へ 移 転
す る民 部 ・分 都 に つ い て の推 進 とい う形 で具 体 策 が示 され た 。 さ ら に88年
6月 に 「多 極 分 散 型 国 土 形 成 促 進 法 」 が 施 行 され,7月
に は,そ
れ に基 づ く
移 転 に関 す る基 本 方 針 と移 転 の対 象 とす る機 関 等 が閣 議 決 定 され た。 これ に
よ って 東 京 に集 中 した政 府 等 機 関 の うち,ブ
ロ ッ ク機 関 や特 殊 法人 な ど が,
業 務 核 都 市 へ 移 さ れ る こ とに な った。
こ の時 期,民 部 ・分 都 の流 れ は,東 京 へ の諸 機 能 の過 集 積 に対 す る当面 の
対 応 策 と位 置 づ け られ,本 格 的 な遷 都 問題 は必 ず しも議 題 とされ る段 階 に入 っ
28(376)
首都機能移転 の論拠 とその不確定惟
て い な か った と判 断 され よ う。
そ して,三 全 総制 定 か ら10年 を経 た87年
に策 定 され た 「第 四 次 全 国 総 合
開 発 計 画 」(四 全 総)に お いて は,「 遷 都 問 題 につ いて は,国 民 生 活 全 体 に大
きな影 響 を及 ぼ し,国 土 政 策 の観 点 の み で は決 定 で き な い面 が あ るが,東 京
一 極 集 中へ の基 本 的 対 応 と して重 要 と考 え られ る。 そ の た あ,政 治 ・行 政 機
能 と経 済 機 能 の相 互 関 係 の在 り方 を含 め,国 民 的 規模 で の 議 論 を 踏 まえ,引
き続 き検 討 す る。」(第II章
・多 極 分 散 型 国 土 の 姿 と そ の 実 現,第1節
極 集 中 の是 正 と各 圏 域 の役 割)と
・一
い う形 で の み示 され,そ の 当 時 の民 間 で の
遷 都 論 議 の 高 ま りか らみ れ ば,先 送 りに され た感 もあ った(9)。
しか しな が ら,80年
代 後 半 の 東 京 へ の 諸 機 能 の 過 度 の 集 中,そ
れによる
地 価 高 騰 の 深 刻 化 と い う状 況 に至 り,個 人,団 体 を含 め て各 種 の遷 都 論 が発
表 さ れ た。 ま た,88年
の政 府 の総 合 土 地 対 策 要 綱 に お い て も 「政 治 ・行 政
機 能 等 の 中 枢 的 機 関 の 移 転 再 配 置 につ い て,幅 広 い観 点 か ら本 格 的検 討 に着
手 す る」 と明記 され た。 そ う した動 き の な か で,具 体 的 な遷 都 検 討 の動 きが
出始 め,90年1月
に,国 土 庁 に 「首 都 機 能 移 転 問 題 に関 す る懇 談 会 」(以 下,
移 転 懇 と略)が 開 催 され た。 そ して,11月
の 「国 会等 の 移 転 に関 す る 決 議 」
に よ って,「 国 会 及 び政 府 機 能 の移 転 を行 うべ きで あ り,政 府 は そ の 実 現 に
努 力 す るべ きで あ る」 との 移 転 推 進 へ のお 墨 付 きが 与 え られ た。 さ らに,内
閣総 理 大 臣 が 「首 都 機 能 移転 問題 を 考 え る有 識 者 会 議 」 の開 催 を決 定 し,首
都 機 能 移 転 の実 現 は具 体 的 に 動 きだ した。 特 に移 転 懇 で 行 わ れ た作 業 は,そ
の 後 の 移 転 法 の 立 法,移 転 調 査 会 の検 討 の ベ ー ス とな る もの で,92年6月
の最 終 と り ま とめ で は,新 首 都 の 規 模 を 最 終 的 に 人 口60万
ha,建
設 費 用14兆
す な わ ち,88年7月
円(う ち5兆 円 は土 地 代)と
人,面
積9,000
い う数 字 を 公 表 して い る。
と い う至 近 の時 期 に閣 議 決 定 に よ る民 部 ・分 都 型 の
東 京 一 極 集 中 の是 正 の方 向 を決 あ な が ら,そ の 一 方 で,本 格 的 な 首 都 移 転 へ
の手 続 きを始 め た の で あ る。
(377)29
政経 論 叢
表
第66巻 第5.・6号
首都 機 能 移 転 の手 続 きに 関 わ る経 緯
1964年6月
建設省 が 「
新首 都建設 の構想」(河野一郎構想)発 表
1975年2月
超党派 の国 会議 員が 「
新首都問題懇談会」 を結成
1977年ll月
第3次 全国総 合開発計画 で首都機能 の移転再配 置を国土 総合 開発政策 上の重要 課
題に
1987年6月
第4次 全国総 合開発計画 で一部政府機関 の移転再配 置を検討課題 に
1988年6月
多極分散型 国土 形成促進法 が施行,国 の行政機関等 の東京都 区部 か らの移転 を盛
り込 む
1990年1月
国土庁長官 が有 識者 らか らなる 「
首都機能 移転問題 に関する懇談 会」 を開催
11月
衆議院
12月
首相が 「
首都機 能移転問題 を考 える有識者 会議」 の開催を決定
1991年6月
8月
1992年6月
参議 院で 「
国会等 の移転 に関 する決議」
移 転 懇 談 会 が 「首 都 移 転 に際 して は,政 治 ・行 政 機 能 と経済機 能 を分離 し,政 治 ・
行 政 機 能 に純 化 した新 首 都 を想 定 す る」 と と りま と め
臨時国会 で衆 ・参両議院 に 「
国会等 の移転 に関 する特 別委員会」 を設 置
「首都機能移転問題に関す る懇談会」が新首都の規模 と建設費用 を と りまとめ て
公表
7月
「首都機能移転問題を考え る有識者会議」が とりまとめを公表
12月
「国 会 等 の 移 転 に関 す る法 律」 が 公 布 ・施 行
1993年4月
第1回 国会等移転調査会 を開催
1994年6月
国会等移転調 査会が第1次 中間報告(首 都機能移転 ・その意義 と効果)
1995年6月
国会等移転調 査会が第2次 中間報告(首 都機能移転 の範囲と手順 ・新首都 の都市
づ くり)
6月
連立与党3党 合意
9月
調査会 の 「
基 本部会」が移転先 の選定基 準などの審議 開始
11月
経団連 が 「
首 都機能移転 の早期実現 を要望 する」提言 発表
12月
国会等移転調 査会が最終報告(移 転先地選 定の9項 目の基準 などが決め られる)
1996年6月
与党3党 と新進 党が国会等移転法改正案 を国会 に提 出,成 立
1996年12月
国会 等 移 転 審 議 会 ス タ ー ト
国会等移転 審議会による候補地 の選定作 業
1997年7月
財政構造 改革の期間中である2003年 度 まで は建設事業 の財政資金 の 投入 凍結 を
閣議決定
1998年1月
国会等移転 審議会による第一次候補地 の発表
1998年 初 夏
審議 会によ る候補地の現地調 査
1999年 秋
審議 会 に よ る首 都 移転 場 所 の発 表(最
終 的 に は 法 律 で 移 転 を 決 め る) .
関連 法案の整備,首 都移転 庁(仮 称)の 設置
2004年
2014年 頃
30(378)
新首都 建設の開始(当 初予 定は2000年)
国会及び主要省庁の移転 と国会の開催(当 初予定は2010年)
首都機能移転の論拠 とその不確定性
そ の後 の経 緯 は,文 頭 に述 べ た とお りで あ っ た が,95年
末 の移 転 調 査 会
の 最 終 報 告 で想 定 さ れ た ス ケ ジュ ー ル は,そ の後 の財 政 構 造 改 革 の施 策 の 中
で,や や後 倒 し とさ れ て い る。 当初 の工 事 着 手 予 定 の2000年
第1回 国 会 開 催 は2010年
は2004年
へ,
か ら2014年 へ と変 更 され た。(表 参 照)
こ う した ス ケ ジュ ー ル の変 更 は,財 政 逼 迫 と い う外 部 条 件 に起 因 す る もの
で あ る こ と は確 か で あ るが,実
は それ を乗 り越 え て ま で,当 初 ス ケ ジ ュー ル
を順 守 す る根 拠 が 欠 けて お り,そ れ が,こ
の首 都 機 能 移 転 に お け る論 拠 の不
確 定 性 を 象 徴 して い る。
3.首
都 機能移 転 の論 拠
国 会 等 移 転 調 査 会 の 第1次 中 間 報 告,第2次
中 間 報 告,最 終 報 告,そ
して
移 転 審 議 会 によ る第1次 候補 地 の 発 表 と い う実 務 レベル 的 な新 都 市 建 設 の概
要 が決 め られ て い くな か で,依 然 と して 明 確 に され て い な いの が,何 故 に首
都 機 能 移 転 を行 うの か の論 拠 で あ る㈹ 。
先 ず,今 回 の 一連 の経 緯 が90年11月
の衆 参 両 院 の 国 会 決 議 に端 を発 した
の で あ れ ば,こ の決 議 の 内容 が 問 わ れ る こ とに な る。
〈国 会 等 の移 転 に 関 す る決 議 〉
わ が国 は,明 治 以 来 近 代 化 を な し とげ,第 二 次世 界 大戦 後 の 荒 廃 か ら立
ち上 が り,今 日の繁 栄 を築 きあ げ て きた。 今 後 の課 題 は,国 民 が ひ と し く
豊 か さ を実 感 す る社 会 を実 現 し,世 界 の人 々 との友 好 親 善 を深 め,国 際 社
会 に貢 献 して い く こと で あ る。
わ が 国 の現 状 は,政 治,経 済,文 化 等 の 中枢 機 能 が首 都 東 京 へ集 中 した
結 果,人
口 の過 密,地 価 の異 常 な高 騰,良 好 な生 活 環 境 の欠 如,災
害時 に
お ける都市機能 の麻痺等 を生ぜ しめると ともに,地 域経済 の停 滞や過 疎地
(379)31
政経論叢
第66巻第5・6号
域 を拡 大 さ せ る な ど,さ ま ざ ま な問 題 を発 生 さ せ て い る。
これ ら国 土 全 般 に わ た って 生 じた歪 を是 正 す る た め の基 本 的対 応 策 と し
て 一 極 集 中 を排 除 し,さ らに,21世
紀 に ふ さ わ しい 政 治 ・行 政 機 能 を確
立 す る た め,国 会 及 び政 府機 能 の移 転 を行 うべ きで あ る。
政 府 にお いて は,右 の趣 旨 を体 し,そ の 実 現 に努 力 すべ きで あ る。
右 決 議 す る。
(下線,筆 者)
国 会 及 び政 府 機 能 の 移転 が一 極 集 中 を排 除 し,21世
紀 にふ さわ しい政 治 ・
行 政 機 能 を 確 立 す るた めで あ る との 主 張 にな って い るが,そ
の前 半 に あ る文
言 を読 め ば,そ の 主 た る ポイ ン トは過 密 の解 消,一 極 集 中 の是 正 を 目指 した
もの で あ る こ と は明 確 で あ った 。 こ こで 明 らか な こ と は,そ の 要 旨 は,決 議
の な され る13年 前 に三 全 総 で 示 さ れ た東 京 一 点 集 中 型 の 国 土 利 用 の 是 正 を
求 め た こ とに類 似 した 主 張 とな って い る こ とで あ る。 そ して,そ の 後 の 四全
総 に お け る東 京 区部 内 に立 地 して い る政 府 機 関 の一 部 を首 都 圏 内 の 業務 都 市
へ 移 す考 え方 が,仮 に,依 然 と して 生 きて い るの で あ れ ば,こ れ は首 都 機 能
を現 存 の首 都 圏 内 へ民 部 ・分 都 す る とい う点 で整 合 性 を もっ こ と に な る。 そ
の結 果,決 議 の2年5ケ
月前 に 閣議 決定 され た ば か りの ブ ロ ック機 関 の 移 転
が 促 進 さ れ る こ とに な った は ず で あ る。
しか し,現 実 に はそ の 方 向 に 進 ま な か った。 そ の2年 後,こ の 国 会 決 議 の
内 容 を具 体 化 した 法律 が制 定 さ れ るが,そ の 中 で の移 転 の 論拠 の部 分 を 拾 っ
て み る と,
〈法 律 の前 文 〉
我 が 国 は,国 民 の た ゆ み な い努 力 に よ り(略)
しか る に,我 が国 の現 状 は,政 治,経 済,文 化 等 の 中 枢機 能 が 東 京 圏 に
32(380)
首都機能移転 の論拠 とその不 確定性
過 度 に集 中 した こと に よ り,人 口 の過 密,地 価 の高 騰
生 活 環 境 の悪 化,
大 規 模 災 害 時 に お け る危 険 の増 大 等 の問 題 が 深 刻 化 す る一 方 で,地 方 に お
け る過 疎,経 済 的 停 滞,文 化 の画 想 化 等 の問 題 が 生 じる に至 って い る。 こ
れ らの諸 問題 は,単
に国 土 の 適 正 な利 用 を図 る と い う観 点か らのみ でな く,
し っこ く
時 代 の変 化 に対 応 した新 しい社 会 を 築 く上 で,大
き な栓 桔 と な っ て い る。
(こ こ に,そ の 後 の改 正 法 で災 害 対 応 の文 言 が加 え られ る)
この よ うな状 況 に か ん が み,一 極 集 中 を排 除 し,多 極 分 散 型 国 土 の 形成
ぜい
に資 す る と と もに,地 震 等 の大 規 模 災 害 に対 す る脆 弱 性 を克 服 す るた あ,
世 界 都 市 と して の 東 京 都 の整 備 に配 慮 しつ つ,'国 会 等 の東 京 圏 外 へ の移 転
の具 体 化 に つ い て 積 極 的 に検 討 を 進 め る こ と は,我 が 国 が 新 しい社 会 を建
設 す るた あ,極 め て 緊 要 な こ とで あ る。(以 下,略)
(下線
筆者)
こ こで は,移 転 の論 拠 が 明 らか に東 京 一 極 集 中 の是 正 と,そ れ に よ って 国
土 の均 衡 あ る発 展 を 目指 す こと が前 提 と な って い る こ とが,あ
らた め て読 み
とれ る。 た だ し,そ の手 法 と して首 都 圏 内 へ の民 部,分 都 が 行 わ れ る可 能 性
は否定 され る形 とな って い る。
と こ ろが,こ の1992年12月
の 法律 制定 時点 か ら3年 経 った1995年12月
の移 転 調 査 会 最 終 報 告 で は,こ の論 拠 の前 提 に 微 妙 な変 化 が 表 れ て くる。 そ
の変 化 とは,移 転 論 拠 の 多様 化 と,「 東 京 一 極 集 中是 正 」 と い う項 目 が ト ッ
プ ・プ ライ オ リテ ィか ら消 え た こ とで あ る。 実 は,95年
国 会決 議 の 行 な わ れ た90年 末,そ
時 点 に お い て は,
して法 律 が制 定 さ れ た92年 末 の時点 とは,
明 らか に東 京 一 極 集 中 の状 況 に変 化 が 出始 めて い た の で あ る。
80年 代 終 わ りの集 中 の ピー ク時 に は,東 京 圏(東
県,埼
玉 県 の1都3県)へ
京 都,神
葉
年 間30万 人 を超 え る人 口 の流 入 超 過 が あ っ た。
しか し,こ の数 字 は90年 代 に入 る と変 化 を見 せ始 め,94年
(381)33
奈 川 県,千
に 初 め て 年 間1
政経論叢
万7000人
第66巻 第5・6号
の転 出超 過 に転 じた の で あ る。 こ う した転 入 か ら転 出 へ の 変 化 は
戦 後 の経 済 成 長 の な か で,1954年
以 降,40年
間 で初 め て の 現 象 で あ った 。
バ ブル が は じけて 雇 用 機 会 が 減 った こ とが主 要 因 と考 え'られ て い るが ①,そ
れ ま で の工 場 等 移 転 制 限 法 に よ る工 場 立 地 の抑 制 や,大 学 の地 方 移 転 な どの
分 散 政 策 の影 響 も少 なか らず寄 与 して い る と考 え られ るω。 しか も,地 価 の
安 定 や景 気 の 回復 な どで,一 時 的 に転 入 に よ る東 京 圏 の 人 口増 が あ った と し
て も,今 後,大
きな転 入 超 過 に な る とは考 え に く い と予 測 せ ざ るを 得 な い状
況 に あ る。
そ の主 た る理 由 は,少 子 化 現 象 に よ る人 口減 や,若 年 層 の減 少 とい う傾 向
が 全 国 的 に み られ る こ とに象 徴 さ れ る よ うに,日 本 の人 口 は,今 後 減少 局 面
へ 向 か う と い う客 観 事 実 が あ るか らで あ る。 「日本 の 将 来 推 計 人 口』(国 立 社
会 保 障 ・人 口 問題 研 究 所1997年1月)を
の 動 向 を,上
み て も,中 位 推 計(出
・中 ・下 の うち中 位 の 率 で 推 計 す る方 法)で
生 率 の今後
は2007年
が ピー
クで,以 後,自 然 減 に転 じて い る。
ま た,総 務 庁 の 国勢 調 査 で は95年 の 東 京 圏 の 人[コは3,258万 人(そ
ち,東
京 都 は1,177万 人)で
あ る。 東 京 都 で は 東 京 圏 の 今 後 の 人 口 予 測
(「東 京 都 区市 町村 別 人 口の予 測 』1997年3月)を
れ ば,2010年
のう
行 って い るが,そ
の 人 口 は3,364万 人(東 京 都1,157万 人)で,2010年
れ によ
を過 ぎ る
あ た りか ら東 京 圏 の人 口 は横 ば い に な る と予 測 して い る。
こ う した社 会 的 要 因 だ けで な く,人 口60万 人 の新 都 市 が 生 み だ す 一 極 集
中 是 正 効 果 へ の 疑 問 が,数 字 に よ って 具 体 的 に明 らか に さ れ て きた こと も,
最 終 報 告 で 集 中 是 正 が 論 拠 の筆 頭 か ら落 ち た こと に大 き く作 用 して い る と考
え て も不 自然 で は な い。
東 京 都 が1993年
に行 っ「
た調 査 で は,3,200万
人 の 人 日 を もつ東京 圏 の中 で,
仮 に60万 入 が全 員 東 京 か ら移 転 した と して も,通 勤 電 車 の ピ ー ク時 の 混 雑
率.は194%か
34・(382)
ら192%へ
と2%し
か 緩 和 さ れ な い(混 雑 率200%は
体 が 触 れ合
首都機能移転 の論拠 とその不確定惟
い,相 当 圧 迫 感 の あ る状 態)の
で あ る。 ま た,道
路 混 雑 率 は2.02か
へ と0.07減 るだ けで,渋 滞 解 消 に な らな い(1.75以
らL95
上 は慢 性 的 混 雑 状 態)
と い う結 果 で あ っ た。(13>
こ う した数 字 は冷 静 に考 えれ ば極 め て妥 当 な もの で あ るだ け に,一 極 集 中
に よ る弊 害 の 解 消 と い う言 い方 が,移 転調 査会 と して前 面 に押 しだ せ な くな っ
て きた こ と は十 分 に推 察 され る。 そ の結 果,そ
れ に変 わ る論 拠 と して,国 政
全 般 の 改 革(い わ ゆ る人 心 一 新 論)が 登 場 す る。
論 拠 の 重 点 の移 動 の 例 は,こ の他 に もあ る。95年1月
の 阪 神 ・淡 路 大 震
災 の発 生 時 に は,三 全 総 の 中 で,災 害 へ の対 処 の方 策 と して の首 都 機 能 の移
転 再 配 置 を述 べ て い る こ と もあ り,緊 急 な要 件 と して,一 時 は大 き く ク ロー
ズ ・ア ップ さ れ た。
東 京 が災 害 の 直撃 を受 け る と,首 都 機 能 が マ ヒ して 危 機 管 理 の上 で大 き な
障害 を生 じる㈹,故 に 移転 す る と い う議 論 が 事 実 味 を帯 び たの で あ る。 しか
し,こ れ につ い て は,主
と して二 点 の理 由 に よ り トー ン ダ ウ ンを 迫 られ た。
一 つ は,危 機 管 理 上 の要 とな る首 都 機 能 が 何 を 指 す の か が は っ き り して い る
訳 では な い が,仮 に 中枢 的 な意 思 決 定 機 関 が 新 首 都 へ 移 され る とす る と,そ
の こ と に よ って の み だ け で,首 都 機 能 の危 機 管理 が 完全 に な され るの か と い
う点 で あ る。 なぜ な ら,危 機 管 理 の 司令 塔 と して の シ ス テ ムの 存在 と人 員 の
配 置 が あ れ ば,そ れ は新 首 都 で な くて も,ど こに あ って も よ いか らな の で あ
る。 も し,現 在 の ま ま東 京 に首 都 機 能 が置 か れ て いて も,保 全 す べ き首 都機
能 と危 急 時 の管 理 機 能 の た め に,既 存 の都 市,例
え ば,首 都 圏 内 の業 務 核 都
市 や 既 存 の地 方 の大 都 市 を ネ ッ トワー ク して バ ッ ク ア ッ プを構 築 してお けば,
所 期 の 目的 は達 成 され る はず で あ る(【5)。
も う一 点 は,首 都 圏 人 口3,200万 人
の うち の60万 人 だ けを 助 けて,残
りの98%を
置 き去 りに して ど うす る の か
とい う議 論 で あ り,'こ れ は首 都 の み大 切 で あ る と い うエ ゴ的発 想 につ なが り,
感情 的 反 発 を 招 きや す い。 いず れ に しろ,こ の2点 と もに答 え が簡 単 に は出
(383)35
政経論叢
第66巻第5・6号
せ な いの で あ る。
こ う した経 緯 が あ って,現 段 階 で は,人 心 一 新 論 的 視 点 に立 って,首 都 機
能 移 転 を 行 政 改 革 の起 爆 剤 とす るの が 政 府 の立 場,ま
た対 外 的 に は,す で に
打 ち 出 した一 極 集 中 の是 正 が 頻 出 回 数 は減 り なが ら も,依 然 と して一 人 歩 き
を して い るの で,そ れ を あえ て 否 定 しな い で い る と い う状 況 で 推 移 して い
る(16)。
い わ ば 理 念 が プ レて い る間 に,人 心 一 新 論 の 展 開 を させ て,手 続 きだ けが
着 々 と進 む と い うプ ロ セ スが生 じて い る ので あ る。
そ れ を 表 したの が 移 転 調 査 会 に よ る最 終 報 告 の 以 下 の文 言 で あ る。
「…首 都 機 能 移 転 は,政 治,行 政 及 び司 法 の 中枢 機 能 を東 京 都 心 部 か ら東
京 圏(概 ね60km圏)外
の新 首 都 に移 転 し,物 理 的 な 政 ・経 分 離 を 図 る こ
とに よ り,,国 政 全 般 の 改 革 を 補 完 し,加 速 し,定 着 させ よ うとす る もの で あ
り,そ の た め に極 めて 効 果 の 大 きい影 響 力 を もつ 物 理 的 ・具 体 的 な 手 段 と も
い うべ き もの で あ る。
ま た,首 都 機 能 移 転 は,政 治 と国 民 の 関 係,政 治 と行 政 の関 係,行 政 と国
民 の 関係,行
政 内 部 の 関 係,国 際 社 会 との関係 等 国政 全般 を根 源 に さかの ぼ っ
て新 た な 視 点 か ら見 直 す ため の 極 め て 重 要 な 機 会 で あ り,契 機 で あ る。
そ の よ うな意 味 で,首 都 機 能 移 転 は,地 方 分 権 や 規 制 緩 和 と並 び,21世
紀 へ 向 け た わ が 国 社 会 の改革 の た め の 車 の 両 輪 と も い うべ き重要 施策 で あ る」
(「国 会 等 移 転 調 査 会 報 告 」95年12月,16頁,下
線,筆 者)
こ う して,首 都 機 能 移 転 の 意 義 を 幅 広 い国 政 全 般 の 改 革 の中 に位 置 づ け る
こ と にな り,ま た,「 今 日東京 は3,00f万 人 を 超 え る世 界 最 大 の 都 市 圏 を 擁
す る都 市 に膨 張 し,過 密,巨 大 都 市 化 に伴 う諸 問 題 の試 練 に さ らさ れて い る
ば か りか,首 都 機 能 自体 もそ の 影 響 か ら免 れ 得 な い事 態 を招 い て い る」(同
19頁,下
線,筆 者)と い う表 現 が 使 わ れ る こと に な り,首 都 機 能 移 転 に よ っ
て 東 京 の 過 密 が 解 消 さ れ るの で はな く,過 密 都 市 の お か げ で首 都 機 能 に弊 害
36(384)
首 都 機 能 移 転 の論 拠 とそ の不 確 定性
と な る と い う論 調 に 変 化 し て い る の で あ る。 しか も,こ
の最終報告書の中で
は 「新 首 都 」 と い う用 語 が 用 い ら れ て い る。 そ れ ま で も,こ
れ た こ とが な か っ た 訳 で は な い が,そ
れ ま で の ス タ ン ス は,首
し て 新 都 市 を 造 る と い う トー ン で あ っ て,政
記 さ れ た こ と に よ っ て,一
4。
の用語が用 いら
都機能を移転
府 の正 式 な最 終 報 告 書 に明 解 に
歩 踏 み 出 した 形 と な っ た(呈
η。
論 拠 の 背 後 に あ る ドラ イ ヴ ィ ン グ ・フ ォ ー ス
深 刻 化 す る東 京 問 題 へ の対 応 や地 方 へ の 分 散 が 望 ま れ る な か,1980年
代
末 に は,政 府 だ けで な く,首 都 機 能 移 転 の第 三 次 ブー ム と も いえ る さ まざ な
提 案 が な され た㈹。
具 体 的 な移 転 先 の 地 名 が 明 記 さ れ た遷 都 の提 案 に は,東 北 経 済 連 合 会提 言
に よ る,最 高 裁 判 所 の山 形 あ る い は盛 岡へ の移 転,第 二 国会 議 事 堂,国 立 情
報 セ ンタ ー の仙 台 大 都 市 圏 へ の建 設 構 想 等 が あ る。 東 海 銀 行 調 査 部 で は,首
都 機 能 移 転 の3ケ ー ス を想 定 した結 果,移 転 先 と して名 古 屋 を提 案 した。 八
幡 和 郎(通 産 官 僚)は 三 重 県 北 部 の新 都 市 に各 省 庁 の大 臣官 房 を移 転 し,皇
居 は新 首 都 に遠 くな い と こ ろ に造 営 す る等 の提 案 を して い る。 さ らに,土 木
学 会 東 北 支 部 は仙 台 北 部 で の 「仙 台 首 都 構 想 」 を提 案 を して い る。
特 定 の 場 所 を 明 記 して い な い もので は,武
村 正 義(衆
議 院 議 員)に
よる
「ザ ・ハ ー ト計 画 」,社会 経 済 国民 会議 の地 方主 導 によ る首 都 機 能 の 分 割 分 散
(す な わ ち分 都)の 提 言 が あ る。 さ らに,天 野 光 三(京 都 大 学 教 授)は
甲府,
名 古 屋,大 阪,東 京 都 千 代 田 区 の4地 区 を含 ん だ 「拡 都 構 想 」,グ ル ー プ20
の大 阪,京 都,名 古 屋,東 京 間 の 情 報 ネ ッ トワー ク とニ ア モ ー ター カ ー を導
入 した 「東 京大 改造 」 の 夢 物 語 が 提 唱 され た。
一 方 ,そ の後 の首 都機 能 移 転 で 有 力 な動 き をす る 堺 屋太 一(作
人 口10万 人 以 下,当 初 規 模 は5万 人 程 度,2千
(385)37
家)は,
万 坪 の 用 地 を 想 定 し,首 都
政経論叢
第66巻第5・6号
機 能 と して最 低 限 必要 な立 法府 と行 政 府 の み の コ ンパ ク トな移 転 を 「新 首 都
建 設 構 想 」 と して 打 ち出 した。 しか しそ の 後,堺 屋 は国 会 移 転 決 議 の気 運 が
高 ま った90年
の2月,社
会 経 済 国 民 会 議 か ら 「新 都 建 設 の 提 言 」 を 発 表 し
た。 そ の 内容 は,政 治 行 政 機能 を体 系 的 に受 け入 れ る新 しい都 市 「新 都」 は,
当初 の人 口規 模20万 人(そ
の後30万
に 増加),面
積 は5000haと
し,そ
の
建 設 が,日 本 の政 治形 態 と行政 機 構 の 規 模 や 権 限 を全 面 的 に見 直 す 契 機 と な
り,し な や か で小 さな 政 府 を生 み 出 す 道 を 開 くこ どを 期 待 す る もの とな って
い る。 新 都 に は内 閣,中 央 省庁 が 置 か れ る ものの,行 政 機 関 は再 編 され た新
しい行 政 機 構 と して移 転 し,第 二 の 東 京 と な る こ とを 避 け る。 ま た,日 本 列
島 の 中央 部 に,真
に国 際 化 され た新 しい政 治 行 政 の中 核 都 市 が 誕 生 す る こと
に よ り,日 本 各 地 が 活 性 化 し,一 方,東
京 も世 界 都市 へ の 新 た な発 展 を と げ
る と い う もの で あ った 。 こ こで の 注 目す べ き点 は,新 都 は首 都 で は な く,東
京 が 首 都 の ま ま残 るの で,遷 都 には な らな い と い う注 釈 が つ け られ て い る こ
とで あ る㈹ 。
堺 屋 は,こ の新 都構 想 提 案 の 理 由 を,東 京 集 中 が 損 失 を生 み だ して い る こ
と,遷 都 の一 つ の形 態 と して の 改都 ・展 都 ・分 都 は,そ れ ぞ れ 問 題 が あ り否
定 さ れ る べ きで あ る と い う論調 に求 め て い るが,そ の 中 で 特 に強 調 して い る
の は,中 央集 権 的 「官 業 体 制」 の打 破 に有 効 で あ る こ とで あ る。2年 後 に,
この提 案 が再 度,文
庫 版 に所収 され るに あ た って,新
た に加 え た序 文 で,堺
屋 は東 京 過 密 対 策 や 地 価 抑 制効 果 に 移転 問 題 が 歪 曲 され る こ と を恐 れ る 旨 を
述 べ,移 転 の効 果 が 一 極 集 中是 正 に 強調 され る こ とか らの 方 向 転 換 を図 って
い る⑳。 また最 近 の著 書 で は,従 来 か らの手 法 で あ る 日本 の過 去 の歴 史 を概
観 し,遷 都 に よ る人 心 一 新 の効 果 を 強 調 して い る⑳。
「新 都 建 設 の提 言 」 で は,新 都 の建 設 を進 め る手 段 に つ い て も触 れ て い る。
ま ず,「 基 本 構 想 審 議 会 」 を発 足 させ て,新 都 の機 能,場
日程,土
所,建
設 と移 転 の
38(386)
地 利 用 な ど の 問題 を審 議 す る な ど の手 順 を踏 む こ とや,建 設 に は9
首 都機 能移転 の論拠 とその不確定 性
兆 円 の費 用 と25年 の 期 間 が 必 要 と考 え た。
80年 代 後 半 に は,民 間 の諸 提 案 が 少 なか らず あ る も の の,政
府側 手続 き
の線 上 の背 後 で,そ の 内容 の類 似 性 か ら,現 在 の首 都 機能 移転 の 流 れ の なか
で は,民 間 の推 進 母 体 で あ る 「新 都 建 設 推 進 協 議 会 」㈲ の会 長 を つ と め る堺
屋 太 一 を 中心 とす る グル ー プが国 会 決 議 後 の推 進 活 動 を牽 引 して い る と考 え
られ る要 素 は少 な くな い。 しか も,す で に国 会 決 議 以 前 か ら,後 に 国会 等移
転 調 査 会 が 提 示 して い くよ うな首 都 機 能 移 転 の論 拠 の構 築 や手 順 を示 して い
た こ と を見 れ ば,そ の 可 能 性 は一 層 疑 い よ うが な い。
移 転 の効 果 に つ い て は,例 え ば,前 述 の 国土 庁 の移 転 懇 談 会(90年12月
∼92年)の
座 長 で,ま た移 転 調 査 会 で も基 本 部 会 長(93年4月
∼95年12
月)を 務 め た 八 十 島 義 之 助 は,そ の 当 時 の経 緯 を振 り返 って,当 時 は一 極 集
中是 正 が論 議 の 中 心 で あ り,そ の 時 点 で は,未 だ 移 転 の主 た る根 拠 が 変 って
いな か った こ とを 述 べ て い る(23)。
ま た,80年
人r団
代 後 半 に 遷 都 論 を 提 案 した 個
体 も,そ の 後 の経 済 社 会 状 況 の 変 化 の 中 で さ した る再 提 案 を して い な
い。 そ の意 味 で も,政 府 側 の 動 きに 符 合 して 移 転 論 拠 の 重 点 移 動 を 対 外 的 に
目に見 え る形 で 発表 して い るの は,堺 屋 とそ の グル ー プ に限 られ て い る。
ま た,堺 屋 の政 府 側 提 案 の 中 の各 種 委 員 会 で の 役 割 も,そ れ を 裏 付 け て い
る。 懇 談 会(委
会(議
員30名)及
員以 外 の委 員19名)及
(委 員5名),移
転 審 議 会(委
び懇 談 会 小 グ ル ー プ(メ
び そ の 基 本 部 会(委
員20名)及
ンバ ー9名),移
員8名)と
び その 計 画 部 会(委
転調査
新 都 市部 会
員15名),こ
れ らす べて の委 員 を堺 屋 は か ね て き て い る。 こ う した形 で懇 談 会 か ら現 在 の
審 議 会 まで 連 携 して委 員 を務 め て い る の は他 に下 河 辺 淳(元
国土 庁事 務 次
官)(24)しか い な い。
こ う した政 府 側 手 続 き の他 に首 都 機 能 移 転 の推 進 の動 きを みせ て いた のは,
景 気刺 激 を望 む経済 団体 で あ る。低 迷 す る景 気 を回 復 させ,日 本版 の平 成 ニ ュー
デ ィ ール 政 策 と も いえ る大 規 模 な公 共 投 資 に よ る 日本 経 済 の景 気 誘 発 効 果 へ
(387)39
政経論 叢
第66巻第5・6号
の 期待 が 根 底 に あ り㈲,政 府 へ の 要 望 をた び た び出 して い る。 そ の な か で,
最 も積 極 的 な経 団 連 は,国 会 決 議 の翌 年 の91年5月
に 「首 都 機 能 移 転 の 早
期 実 現 を要 望 す る」 提 言 を発 表 し,ま た,移 転 の 改 正 法 案 が 提 出 さ れ る寸 前
の,96年5月
の定 時総 会 で も豊 田章 一 郎 会 長 が,早
期 実 現 につ いて言 及 し
て い る。 そ の 他,関 西,中 部,東 北 の 地 方 経 済 団 体 も誘 致 運 動 を含 め て積 極
的 な推 進 を 求 め た⑯ 。
5.論
拠 の 変 遷 と移 転 内 容 の 変 質
移 転 の 論 拠 が プ レを生 じる中 で,首 都 機 能 移 転 の 内容 も,そ れ と 呼応 す る
形 で変 質 を しっ っ あ る。 そ れ は,移 転 懇 報 告,国 会 等 移 転 法,調 査 会 報 告,
改 正 国 会 等 移 転 法,審 議 会 報 告 と い う節 目 に そ れ ぞ れ表 れ て きて い る。 各 種
論 議 を 踏 まえ な が ら内容 を煮 詰 め て い くの で あ るか ら,刻 々 と修 正,改 変 さ
れ て い く こ と に,そ の善 悪 を言 うの は必 ず し も妥 当 で は な い。 しか し,そ の
中 で も無 視 しえ な い主 要 な部 分 を あ げ れ ば,先 ず,上 に述 べ て きた移 転 の論
拠 の プ ラ イ『
オ リテ ィの変 化 で あ る。 これ は3点 に集 約 で き る。 第1点 は一 極
集 中 是 正 効 果 で あ る。 第2点
は,地 震 等 に よ る大 規 模 災 害 へ の脆 弱性 克服 か
らの必 要 性 で あ る。 そ して,こ の 第1点,第2点
1上
した の が,第3点
の比 重 が下 が り始 め た 中 で
で あ る人 心 一 新 論(国 政 全 般 の改 革)で あ る。
一 極 集 中 是 正 効 果 に つ い て は,既 に述 べ て きた よ うに 三 全 総,国 会 決議,
そ して国 会 等 移 転 法 の文 脈 に沿 った もの で あ った。 ま た,災 害面 につ いて は,
1995年 の 阪 神 ・淡 路 大 震 災 の 教 訓 と して,そ の 半 年 後 の 改 正 移 転 法 の 前 文
に挿 入 文 と して 以下 の 表 現 が追 加 され た。
ぞ
「と りわ け,阪 神 ・淡 路 大 震 災 に よ る未 曾 有 の 被 害 の発 生 に よ り,大 規 模
災 害 時 に お い て 災 害 対 策 の 中枢 機 能 を 確保 す る こ との 重 要 性 につ いて 改 めて
認 識 した と こ ろで あ る。」
40(388)
首都機 能移転 の論 拠 とその不確定性
そ して,人 心 一 新 論 は,移 転調 査 会 報 告 で示 され た もの の 中 に,東 京 中 心
の社 会 構 造 の変 革,新
しい政 治 行 政 シ ス テ ムの 確立 とい う形 で表 現 され て い
る。 この 最 終 報 告 に お け る移 転 の意 義 と効 果 の要 旨 は以 下 の5項 目であ るが,
そ の うち の初 め の2項 目 に,人 心 一 新 論 に 関係 す る内容 が掲 げ られ る こ と に
な る。
〈首 都 機 能 移 転 の意 義 と効 果 〉
①
東 京 中心 の社 会 構 造 が変 革 され る こ と
明 治 以 降,政 官 民 一 体 とな って東 京 を頂 点 と して富 国 強 兵,殖 産 興 業
に専 念 して きた体 制 を改 め る こ とに よ り,東 京 中心 の序 列 意 識 が崩 れ,
人 々や 企 業 の東 京 指 向 が緩 和 され る こ と。
②
新 しい政 治 行 政 シス テ ム が確 立 され る こ と
政 治 ・行 政 機 能 が 自 ら率 先 して移 転 し,物 理 的 に政 治 ・行 政 の 中心 地
と経 済 の中 心 地 を分 離 す る こ とに よ り,規 制 緩 和 や地 方 分 権 等 国 政 全 般
の 改 革 を推 進 す る牽 引力 とな る こ と。
③
新 た な経 済 発 展 が 図 られ る こと
新 首 都 建 設 へ の投 資 は,幅 広 い 内需 の拡 大 と持 続 的 な技 術革 新 を促 し,
広 く内 外 に,さ
らに後 の世 代 に ま で及 ぶ経 済 的 波 及 効 果 を もた ら し,ま
た,貿 易 不 均 衡 の 是 正 を通 じて,諸 外 国 と の経 済 的 軋 礫 を緩 和 す る こ と
が で き る こ と。
④
国 土 構 造 の 改 編 が 進 む こと
東 京 の 優 位 性 が 相 対 的 に低 下 す る こ と な ど に よ り,東 京 へ の吸 引力 が
減殺 され,東 京 へ の 集 中 が 集 中 を 呼 ぶ メ カ ニ ズ ムが 打 破 され る こ と。 ま
た,重 層 的,複 合 的 な情 報 通 信 ・交 通 ネ ッ トワ ー クが 形 成 され る こと。
⑤
首 都機 能 の 災 害 対 応 力 が 強 化 され る こ と
東 京 と同 時 に地 震 等 の 大 規 模 な 災 害 を被 る可 能 性 の 少 な い場 所 へ 首 都
(389)41
政経 論叢
第66巻第5・6号
機 能 を移 転 す る こ と に よ り,リ ス ク を分 散 し,国 土 の災 害 対 応 力 の 強 化
を 図 る と と もに,首 都 機 能 移転 跡地 を活 用 す る こ と に よ り,東 京 の 防 災
性 の 向上 に も資 す る こ と。
(移 転 調 査 会 報 告,要
旨 よ り)
こ う して,一 極 集 中 是 正 効 果 は,過 度 な量 的集 積 に よ って生 み だ され る弊
害 の解 消 と い う視 点 か ら,中 央 集権 型 の 社 会 構 造 の 変 革 と い う視 点 へ 姿 を変
え,ま た,災 害 につ い て は優先 の順 位 が 最 後 とな り,し か も移 転 後 の跡 地 が
防 災 に有 効 で あ る と い う表 現 に 変 わ った。
そ して,そ の 一 方 で 移 転 の論 拠 を 強化 す る ため の もの と して,新
た な表 現
が付 け加 え られ た。 移 転 調 査会 の最 終 報 告 の 半年 後 に制 定 され た改 正 移 転 法
で は,移 転 に あ た って の検 討 指 針 が 第2章
∼ 第11条
の中 で,第4条
移 転 法 で は 「第4条
に あ るが,こ
こ に含 まれ る第3条
が 修 正 され た 。
地方 へ の権 限 の 委譲 の積 極 的 推 進,国
に よ る規 制 の
合 理 化 等 行 財 政 の 改 革 と的確 に 関連 付 け る もの とす る。」 と な っ て い た が,
これ が改 正 移 転 法 で は 「第4条
地 方 分 権 の 総 合 的 か っ 計 画 的 な推 進,行 政
の各 般 に わ た る民 間 活 動 に係 る規制 の 改善 の 推進,行
政 の 制 度 及 び運 営 の 改
善 の推 進 等 行 財 政 の 抜 本 的 な 改革 と的確 に関 連付 け る もの とす る。」
と され た。 す な わ ち,国 政全 般 の 改革 の 実 行 が,首 都 機 能 を移 転 す る に あ
た って の前 提,言
い換 え れ ば,既 に述 べ た よ うに,こ の;つ
は両 輪 と して 位
置 づ け られ た の で あ る。
一 方 ,こ
う した論 拠 の変遷 に あ って,移 転 内 容 も微 妙 に変 質 した。 そ の典
型 的 な例 が,移 転 対 象 と な る機 関 の範 囲 で あ る。
国 会 等 移 転 法 の ベ ー ス とな った移 転 懇 の最 終 と り ま とめ(92年6月)で
は,「 第2章
首 都 機 能 移 転 の方 法 」 の 「基 本 的 考 え方 」 の 中 で,首
都機 能
移 転 の方 法 を 検 討 す る に当 た って の 整理 を 行 って い る。 先 ず,「 「首 都 機 能 」
42(390)
首都機能移転の論拠 とその不確定性
は,立 法 府 ・司 法 府 ・行 政 府 の うち,全 国 を統 括 す る機 能 で あ る」 と して,
特 殊 法 人,大 使 館 等 首 都 機 能 を 補 完 す る あ る い は密 接 に関 連 す る機 能 を 「準
首 都機 能」 と定 義 して い る。 そ して,「 新 首 都 に立 地 す べ き機 能 は,新 首 都
に 現在 の 東 京 と同様 の集 中 要 因 を 付 与 す る こ と は避 け る」 前 提 に 立 ち,「 移
転 に 当 た って は,政 治 ・行 政 機 能 と経 済 機 能 を分 離 す る こ と を原 則 と し,政
治 ・行 政機 能 に純 化 した}も の とす る。 そ して,こ の 政 治 ・行 政 機 能 の 移 転
に つ い て は,「 今 後 の 複 雑 化 す る社 会 に お い て は行 政 が 一 体 化 し総 合 的 に 対
応 す る必 要 の あ る こ と,行 政 部 門 に対 す る国 会 の 国 政 調 査 権 の 発 揮 の 便 を 図
る必 要 の あ る こと か ら,国 会 と行 政 の 中 枢 部 門 は近 接 して 立 地 す る こ とが 適
当 で あ る」 と して お り,こ の 段 階 で は行 政 機 能 につ いて は,中 枢 部 門 と い う
抽 象 的 な く く りと して い た。 さ らに新 首 都 は 「相 当 程 度 の 機 能,規 模 の集 積
を有 す る必 要 」 が あ り,「 首 都 機 能 は原 則 と して 段 階 的 ・計 画 的 に,最
に は」 全 体 が移 転 さ れ る(一 括 移 転)も
終的
の と して い る。 これ を 受 け て,移 転
対 象 機 関 に つ い て,移 転 法 の第1章 総 則,第1条
に,
国 は,国 会 並 び に行 政 及 び司 法 に 関 す る機 能 の うち 中枢 的 な もの(以 下
「国会 等 」 とい う。)の 東 京 圏 以 外 の地 域 へ の移 転(以 下 「国会 等 の 移転 」
と い う。)の 具 体 化 に 向 けて 積極 的 な 検 討 を行 う責 務 を有 す る。
(下線,筆 者)
と示 され る こ と に な る。 ここ で国 会 等 が 「国 会 並 び に行 政 及 び 司法 に 関 す
る機 能 の うち中 枢 的 な もの」 で あ る こと が,具 体 的 に 明 らか に され た。 しか
し,こ れ は後 に変 更 さ れ る こと に な る。3年 後 の改 正 移 転 法 で は,行 政 と い
う用語 が,そ の 活 動 に関 連 す る行 政 に関 す る機 能 と修 正 さ れ た の で あ る。 こ
の 修正 は移 転 対 象 の 行 政 機 能 を中 枢 的 な ものか ら,国 会 の活 動 に 関連 す る も
の へ と限 定,縮 小 した こ と を意 味 す る こ と に な った の で あ る〔z7>。
す な わ ち,中 枢 的 との 限 定 条 件 が っ け られ な が ら も,国 会 と行 政 ・司法 機
能 の一 括 移 転 が 前提 と され て い た もの が,行 政 機 能 につ い て は限 定 さ れ て,
(391)43
政経論叢
第66巻第5・6号
しか も,一 括 移 転 の前 提 が くず れ て い る の で あ る。
で は,限 定 され た行 政 機 能 と は何 か。 そ の原 形 は,改 正 移 転 法 の半 年 前 に
示 さ れ た移 転 調 査 会 報 告 の移 転 の対 象 の 中 の行 政 機 能(内 閣 及 び 中枢 性 の高
い政 策 立 案 機 能,危 機 管 理 の中 枢 機 能 等)に 見 る こ とが で き る。
す な わ ち,中 央 官 庁 の 中 で は,国 会 及 び 内閣 との 関係 で 中枢 性 の高 い政 策
立 案 等 に関 わ る機 能 だ けが対 象 とな った の で あ る。・
これ は,96年5月
の 自民 党 に よ る橋 本 行 革 ビ ジ ョ ン の 原 案 に,そ
の解 答
が よ り一 層 明確 に示 され た。
「中 央 官 庁 の再 編 成 は,首 都 機 能 移 転 と の関 連 も念 頭 に置 い て取 り組 む こ
とが必 要 。 組 織,機
能 を再構 成 し,ス リム化 す る。 官 庁組 織 を 政策 立 案 部 門
と制 度執 行 部 門 に仕 分 け,国 会 と共 に移 転 す るの は前 者 の み 少 数 で よ い」㈹。
中 枢性 の高 い政 策 立 案 機 能 と は,具 体 的 に は政 策立 案 部 門 の こ とで あ り,
そ の 他 の 制度 執 行 部 門 は移 転対 象外 と い う こ と に な るの で あ る。.
た しか に,最 終 フ ェ ー ズで人 口60万 人 規 模 の新 首 都 建 設 で は,現
在 の東
京 一 極集 中 の 構 図 を物 的 な規模 で は簡 単 に変 え られ な い。 む しろ,そ の原 因
を つ くりだ して い る中 央 集 権 シ ス テ ムを 見 直 し,分 権 化 を推 進 す る き っか け
と して 国 家 プ ロ ジ ェ ク トを位 置 づ けれ ば よ い と い う考 え方 は成 りた つ 。そ の
意 味 で は,こ の視 点 は遷 都 にお け る本 質 論 と して の方 向 を示 して い るか も し
れ な い。 しか し,そ こで問 題 と な る の は,き
っか け と して の役 割 が あ る に し
て も,そ れが そ の後 の具 体 的 な ア ク シ ョ ン ・プ ロ グ ラム に ス ム ー ズ につ な が
る も の と な る の か否 か とい う点 で あ る。 現 実 の行 財 政 改 革 の動 きに あ って も,
政 策 部 門 と執 行 部 門 の仕 分 け,更 に は そ の 中 で の移 転 対 象 部署 の選 定 な ど は,
既 存 の シス テ ム の変 更 が容 易 で は な い こ とか らみ て も,そ の不 確 定 性 は一 目
瞭 然 で あ る。 も し,現 在 の仕 組 み に対 して一 石 を投 じる とい う程 度 の イ ンパ
ク トで終 わ り,そ の一 方 で新 首 都 の事 業 だ け が進 む と い う結 果 にな るの で あ
れ ば,行 財 政 改革 と首 都 機能 移 転 とい う両 輪 は不 成立 とい う こ とに な るの で
44(392)
首都機能移転の論拠 とその不確定性
あ る。
6.論
拠 の 妥 当性 と首 都 機 能 移 転 の 意 味
改 正 移 転 法 で 設 置 が 決 め られ た国 会 等 移 転 審 議 会 は,「 移 転 先 の 候 補 地 の
選 定 及 び これ に関 連 す る事 項 につ い て調 査 審 議 す る」(第13条)も
のであ る
が,「 具 体 的 に移 転 対 象 地 の 現 地調 査 を 行 う こと が で きる」(第19条2項)
こ と も明 記 され て い る。
こ の移 転 審 議 会 の 目的 が 候 補 地 の選 定 に あ る た め,以 上 述 べ て きた移 転 の
論 拠 の変 遷 や内 容 の変 質 が あ っ て も,あ くま で も移 転 の前 提 が確 定 され て い
る必 要 が あ る。 す な わ ち,過 去 の経 緯 の 中 で正 当性 な い しは説 得 力 を失 った
もの につ い て,審 議 会 と して の整 合 性 を保 っ た め に,い
くつ か の 修正 が必 要
と な り,そ の具 体 的 な数 字 な どが 明 らか に さ れ て い る。 そ の主 た る もの と し
て は(1998年2月10日
現 在),最 終 的 な新 都 市 の規 模,建 設 に お ける フ ェー
ジ ン グ,建 設 費 用 の再 試 算 な ど で あ る(29)。
ま た弱 点 の補 強 と して は新 都 市 に
お け る文 化 育 成 へ の視 点 の提 議 が あ る㈹ 。
首 都 機 能 移 転 の論 拠 が 明確 な説 得 力 を持 って い な い に も関 わ らず,具 体 化
へ の手 続 きを踏 みっ つ あ る。 しか し,少 な く と も戦 後 の1960年
代以 降 の都
市 化 の進 行 に お け る首 都 ・東 京 の肥 大 化 の 中 で,先 ず,そ の 受 け 皿 を 求 め た
時 期 が 常 に あ った こと は事 実 で あ る。 これ は,そ の皿 を 東 京 近 隣 に す るか,
遠 隔 地 に す る か の違 い が あ った に せ よ,東 京 の拡 大 を前 提 に した もの で あ っ
た㈹ 。 と ころ が,そ の後 の展 開 は,東 京 が 日本 の 国 土全 体 の 中 で 突 出 して し
ま っ た と い う事 実 の下 で の議 論 とな る。 そ こで は牽 引 力 と して の 東 京 の 存 在
を絶 対 と して肯 定 す る の か,逆 に絶 対 で あ るが故 に生 み 出 され る弊 害 に つ い
て は否 定 さ れ るべ きな の か とい う解 釈 の違 い の ぶ つ か り合 いの な か で,と
に接 点 を見 出 せ な い ま ま推 移 して きて い る。
(393)45
も
政経論叢
第66巻第5・6号
90年 代 初 頭 か らの 一 連 の動 きの 中 で は,あ え て 首 都 機 能 の 移 転 と い う用
語 を 用 い て首 都 移 転 と い う言 い方 を避 け て は い る もの の,明
らか に 中央 集 権
構 造 と して の東 京 の存 在 に対 す るア ンチ ・テ ー ゼ の思 想 が色 濃 くで て い る。
そ う考 え る な らば,現 代 の 日本(と
りわ け,戦 後 の 日本)の 発 展 の牽 引力
で あ った 東 京=首 都 とい う構 図 を,東 京=経 済 の牽 引,新 首 都=国 政 全 般 の
改 革 の 牽 引 と い う構 図 に移 そ う と い う主 旨 で手 続 きが 進 め られ て い る中 で,
そ れ が 真 理 で あ るか な いか の結 論 は でて い な いが,そ
あ るの は,遷 都(な
い しは,そ れ に類 す る行 為)に
こで明 らか に な りっ っ
は,そ れ が 国 家 に と って
極 め て重 要 な 意 味 を もっ と い う点 で,首 都 の 移 転 を必 要 とす る明 確 な論 拠 の
存 在(な
い しは確 認)と,そ
の 実 行 にあ た って は全 国 民 的 論 議 が な けれ ば,
担 保 され な い と い う こ とで あ る。 しか も,最 終 的 に実 行 す るの で あ れ ば,そ
の た め の 合 意 の 確 認 作 業 と い う プ ロ セ スが 存 在 しな らな けれ ば な らな いで あ
ろ う。
政 府 に よ る手 続 きの70年 代 後 半 か ら現 在 まで の約20年
間 の 経 緯 の 中 で,
明 らか に存 在 した きた テ ーゼ は,首 都 機 能 の東 京 か らの 移転 で あ る。 しか し
な が ら,そ れ を正 当 化 す る理 由,並
び に 移 転 の対 象 範 囲 は,幾 度 か の 変 化
(な い しは変 遷)を 遂 げ て きた 。 移 転 先 につ いて は,移 転 調 査 会 が 定 め た 選
定 基 準 に従 って 候補 地 が 地域 とい う形 で,未 だ4ヵ 所 示 され た段 階 で しか な
い。
そ もそ も,移 転 法 自体 が移 転 す る こ とを 決 め た もの で な く,移 転 の検 討 を
す る と い う主 旨 の法 律 で あ った こと を考 え 合 わ せ る と,移 転 懇 か ら現 在 の 審
議 会 ま で の一 連 の作 業 は,首 都 機 能 移 転 の壮 大 な シ ミュ レー シ ョンに過 ぎな
い と考 え ざ る を得 な い。 この シ ミュ レー シ ョ ンが具 体 的 な新 都 市 建 設 に移 行
す る た め に は,表 立 った議 論 を避 け て きた部 分 に つ い て の説 得 力 を も った説
明 が 不 可 欠 で あ る。
その 詳 細 を述 べ る こ とが本 稿 の 目 的 で は な い が,そ の テ ー マ の主 た る もの
46(394)
首都機能移転の論拠 とその不確定性
を あ げ れ ば,ほ ぼ4点 指 摘 で き よ う。 先 ず,首 都機 能 を もっ た新 都 市 は新 首
都 な の か否 か と い う点 で あ る。 な ぜ遷 都 と い う用語 を 用 いな いの か。 次 に,
新 しい 日本 社 会 の姿 が,東 京 か ら首 都 機 能 を移 した都 市 に よ って 先 導 され る
と い う考 え方 は,全 世 界 的視 点 で現 代 の 日本 の存 在 を考 え た と き,果 た して
本 当 な の か。 更 に,20世
紀 の 都 市 が 生 み だ した 問 題 を 克 服 す る形 で新 都 市
を考 え る な らば,な ぜ新 都 市 像 が大 胆 に示 され な い の か。 最 後 に,仮 に首 都
機 能 を 移 転 した都 市 が 新 首 都 で な い と して も,国 家 に と って の これ程 の重 大
な事 柄 につ いて の 最 終 的 な決 定 が,審 議 会 の議 論 の 最 終 線 上 に あ る と い う プ
ロ セ ス 自体,20世
紀 型 の 旧来 の意 志 決 定 方 式 で あ り,21世
紀 以 降 の 日本 の
姿 を 決 め るか も しれ な い重 大 案 件 につ いて,な ぜ 国 民 的 合 意 を得 る手 段 を示
さな い の か 不 思議 で あ る。
先 ず 第1の 疑 問 で あ るが,国 会 決 議 に 始 ま る首 都機 能 移 転 の 論 議 で,の
ど
に骨 が さ さ って い るか の よ うに 常 に わ だ か ま りが生 じて きた の が,遷 都 と い
わず,(首
都 の)機 能 の 移 転 と い う表 現 を用 いて い る点 で あ る。
た と え ば,遷 都 とい わ ず に首 都 機 能 移 転 と い う用 語 を 使 用 して い る た め
"皇 居"の 問 題 に ま った く触 れ て お らず,そ
れ が 遷 都 論 そ の もの を"あ
いま
い"に して い る(32)。
ま た,中 央 行 政 機 関 の一 部 を移 転 させ た だ け で は遷 都 な
い しは新 首 都 に は な らな い と い う議 論 も可 能 で あ る。 なぜ な ら,オ ラ ンダ の
国 会 と中 央 官 庁 の 多 くはハ ー グ に あ っ て も,首 都 は ア ム ス テ ル ダ ム な の で あ
る。 そ う なれ ば,現 在,議 論 の 対 象 と さ れ る新 都 市 は首 都 に は な らな い わ け
で,1990年
の国 会 決 議 や,96年
の改 正 国 会 等 移 転 法 の 成 立 に あ た って の 都
知事 や東 京都 選 出 議員 の 反 対 は杞 憂 と い う こ とに な る㈹。
しか し,少 な く と も,首 都機 能 移 転 に よ って 懸 案 と され る こ とが 解 決 され
るの で あ れ ば,財 政投 入 の意 味 も認 め られ よ うが,そ の 効 果 が 確 実 に明 らか
に さ れ ず に,国 家 プ ロ ジ ェ ク トと して新 都市 を作 る こ との意 味 が 問 わ れ る こ
とは疑 い な い。
(395)47
政経論叢
第2点
第66巻第5・6号
は,日 本 の国 力 が衰 退 して い く,す な わ ち80年
代 後 半 に 確 立 した
国 際 的 プ レゼ ンスが 低 下 して い くこ とが 恐 れ られ始 め て い る状 況 の下 で㈹,
東 京 か らの 一 部 機 能 の 移 転 の 是 非 の 問 題 が 存在 す る こ と であ る。 多 極 分 散 型
国 土 が,成 長 の ピー ク と され て い る80年 代 後 半 の政 策 立 案 に あ た っ て の 主
要 な概 念 と して 用 い られ た背景 に は,多 極 で分 散 して も国 力 を維 持 で き る だ
け の潜 在 力 が存 在 して い た と い う事 実 が あ るの で あ る。 現 在 の よ うに既 に与
条 件 が変 化 しつ つ あ る中 で,そ れ を推 進 す る こ とが 結 果 的 に 何 を 生 み だ す の
か,そ
の答 え を 示 さず に手続 きだ けを 進 め て い くわ け に は い くま い。
第3点
は,都 市 論 の存 在 の有 無 で あ る。 首 都 は一 国 の 国 力 と知 力 が 反 映 さ
れ た象 徴 で あ り,同 時 に,生 活 す る市 民 に と って の 魅 力 あ る都 市 で な けれ ば
な らな い。 人 口160万 人 を数 え るま で に成 長 した ブ ラ ジ リア で,ブ
ラ ジ リア
一 世 が成 人 し,地 元 に根 を生 や し始 め っ つ あ って も,依 然 と して リオや サ ン
パ ウ ロ との 間 で金 帰 月来 す る層 は存 在 す る の で あ る。 都 市 の 文化 は長 い時 間
の蓄 積 と最 低 限 の一 定 規 模 の集 積 に よ って育 まれ,洗 練 され る。 既 存 の 魅 力
あ る都 市 の 文 化 と空 間 を超 え る こと の で き る新 首 都 は,21世
て,お
紀 の 日本 に とっ
そ ら く初 め で最 後 の壮 大 な都 市 造 り とな るで あ ろ う。 そ の 時,新
たな
文 化 を生 み だ せ るだ け の都 市 の空 間 と機 能 の姿 が示 され な い まま に,遷 都 の
効 用 と い う論 理 が優 先 して建 設 の プ ロセ ス が決 め られ るの で あ れ ば,「 都 市
と は な にか 」 とい う 日本 と 日本 人 に と って の命 題 に永 久 に答 え る機 会 を 失 う
こ と に な ろ う(35)。
第4点
は,最 終 決 定 が 審議 会 の結 論 に従 って手 続 きが進 め られ る形 にな っ
て い る こと で あ る。 審議 会 の最 終 報 告 を待 って,そ れ を 法律 で 決 定 し,関 連
の 法 案 を整 備 し,「 新 首 都 づ く りの統 括 機 関 と して,新
責 任 を有 す る国 家 機 関 」(移 転 調 査 会 報 告,71頁)を
転 庁 な ど),そ
作 り(例 え ば,首
の後 の事 業 化 を図 る こ と に な っ て い る。 しか し,そ
民 の 意 思 の確 認 は 限定 的 で あ る。
48(396)
首都建 設 に一 元的 な
都移
こで の 国
首 都機 能移転 の論拠 とその不確定性
国 民 の意 思 を把 握 す るた め,様 々 な 世論 調 査 等 を 行 い,ま た,公 聴 会 や
公 開 討 論 会 等 を行 い,多
を 図 る と と もに,で
くの機 会 を用 いて 国 民 的 な 論議 の よ り一 層 の 高 揚
きる限 り多 くの地 域 の意 向 を直 接 聴 取 す る必 要 が あ る。
いわ ゆ る国 民 投 票 につ いて は,わ が 国 で は,国 民 投 票 で直 接 民 意 を 問 う
た前 例 は な く.,ま た,キ
ャ ンベ ラ や ブ ラジ リア等 諸 外 国 の例 を見 て も,国
民 投 票 で首 都 の位 置 を 決 定 した事 例 は な い。 さ らに,現 行 憲 法 下 で は,国
民 投 票 の結 果 に よ り国 会 を 拘 束 す る こ と は で き な い もの と さ れ て い る。
(移 転 調 査 会 報 告,84頁,下
この よ う に,あ
線,筆 者)
くまで 審 議 会 答 申 を尊 重 す る との主 張 と な って い るが,現
在 の審 議 会 の委 員20名
の うち,明 確 に移 転 反 対 の立 場 に あ る と さ れ て い る
の は,元 東 京 都 副 知 事 の 一 人 だ け と い う状 態 で あ る㈹。
7.お
わ
り に
今 ま で み て き た よ うに,一 連 の首 都 機 能 移 転 へ の動 きは,・1980年 代 後 半
の,過 去 に 例 を み な い東 京 へ の一 極 集 中 ・過 密 の加 速 と それ に起 因 す る大 都
市 問題 の発 生 とい う社会 経 済 環 境 が あ り,そ こに,政 治 にお け る リー ダー シ ッ
プ を もつ金 丸 信 と,官 民 を束 ね られ る堺 屋 太 一 が 存 在 した と い う事 実 を抜 き
に して は語 れ な い こ とが わ か る。
しか ・
し,そ の後 の プ ロセ ス の 中 で依 然 と して疑 問 が払 拭 され な い の は,移
転 決 議 を推 進 した政 治 家 の思 惑 と,決 議 が な さ れ た後 に示 さ れ て:きた移 転 の
内容 との 問 に不 整 合 が み られ る こ とで あ る。 過 去 の歴 史 か ら言 え る こ とは,
遷 都 と い う国 家事 業 は,国 の 独 立 な'どと い った国 家 的 命 運 が 決 あ られ る時 期
に行 わ れ た こ とや(3S),強大 な 権 力 者 が,そ の プ レゼ ンスの 手 だ て と して 建 設
を推 進 した場 合 が,具 体 的 な建 設 につ な が って きた と い う事 実 で あ る。 そ こ
(397)49
政経論叢
第66巻 第5・6号
で は,決 断 が極 め て 意 図 的 で あ って も,背 後 に は,か な り明 確 な 具 体 化 へ の
与 条 件 が 存 在 す る と こ ろで の政 治 的 決 定 が な され て い る。 そ の 視点 か らみ れ
ば,今 回 の よ うに,遷 都 の推 進 理 由 が比 較 的短 期 間 の う ちに変 化 す る こ と 自
体,歴 史 の証 に あ て は ま って い な い。 さ らに,そ の き っか け とな るべ き事 象
(与 条 件)は,国
家 的 見 地 に立 って み れ ば,お
そ ら く国 の 歴 史 に と って 幾 度
と あ る もの で は な い よ うな深 い意 味 と理 由 を も った もの で あ るべ きに違 い な
い。 現 在 の 日本 で,戦 後 の55年 体 制 が崩 壊 した,あ
る い は戦 時 体 制 で 導 入
され た シス テ ム の 限 界 が 露呈 した と い う見方 が存 在 す る に しろ㈹,そ れ だ け
で遷 都 を 押 し進 め る に は,根 拠 が 希 薄 で あ る。 成 熟 段 階 に足 を踏 み入 れ た国
家 に あ って㈹,国 家 が上 昇 に向 けて の急 速 な発 展 段 階 に お い て有 力 で あ る手
法 を あて は め る に は,た
とえ 何 らか の新 た な解 釈 が加 え られ て いる に して も,
そ の 効 果 の正 当 な判 断 が不 可 欠 で あ る。 しか も,そ れ に つ い て の,よ
の人 々の 支 援,す
な わ ち国 民 の 合意 が 必 要 で あ る。 そ して,も
拠 の 結 論 を求 め る手 だ て を求 め るな らば,そ れ は唯 一,な
な手 段(例
り多 く
し不 確 定 な論
ん らか の大 仕 掛 け
え ば,国 民 投 票 な ど)に よ らな け れ ば な らな い の で は な いか と考
え られ る。
(文 中,敬 称 略,ま た 肩書 き等 は当 時 の もの)
〈注 〉
(1)候
補 地 と して 上 げ られ た の は,北 東(宮 城 南 部 か ら,福 島,栃 木,茨 城 中 北
部 に 至 る4県 に ま たが る国土 軸 上 の 地 域),東
河,.静 岡 県 西 部 に至 る地 域),三
ま た が る地 域)で
あ るが,選 定 基 準 で あ る東 京 か ら60km以
い う条 件 か ら大 き く離 れ た北 海 道,岩
(2)首
海(岐 阜 県 南 部 か ら;愛 知 県 三
重 ・畿 央(三 重,滋 賀,京 都,奈
良 の4県
上 ∼300km以
手 な ど は,候 補 か らはず され た 。。
都 移 転 な い しは首都 機 能 移 転 の 賛 否 につ いて,総 理 府 は過 去4回 の 世 論 調
査 を行 って きて い る。 首 都 移 転 に つ い て,1973年
成 が32.6%,92年
は賛 成 が19.9%,88年
は賛
に は首 都 機 能 移 転 が ど ち ら か と い え ば 賛 成 を 合 わ せ て58.2
%と 増 加 して い る。 と こ ろが,改 正 移 転 法 が 成 立 した後 の1997年5月
目 の世 論 調 査 で は,賛 成 は54.5%へ
50(398)
に
内と
の4回
と低 下 した。 これ は移 転 の 手 続 きが 現 実 化
首都機能移転 の論拠 とその不 確定佳
したの と,移 転 の内 容 が明 らか に な る に つ れ,一 般 世 論 の認 知 度 が高 ま った こ
とに起 因 す る もの と考 え られ る。 反 対 意 見 は2LC%で
だ った もの は,財
(42.1%),政
(3)近
源 へ の 懸 念(63.4%),東
あ った が,反 対 意見 の主
京 の 土 地 問 題 の解 決 に な ら な い
治 ・行 政 ・政 治 の 一 体 性 が 重 要(39.2%)で
あ った。
代 国 家 に な って か らの 遷 都 は一 例 しか な い。 そ の,明 治 維 新 に伴 う東 京 遷
都 も,天 皇 の 東 幸 と江 戸 を 東 京 と改 称 す る1868年7月
に だ さ れ た詔 書 に よ っ
て な され ただ けで,東 京 遷 都 と い う正 式 な公 表 は な い ま ま,京 都 か ら東 京 へ首
都 が 移 され,爾 来100年
(4)90年11月
以 上 の年 月 が経 過 して きた。
の 議 会 開 設 百 周 年 を前 に して 移 転 決 議 に こぎつ け る見 通 しが高 ま っ
た 背 景 に は,誘 致 合 戦 の 激 しか っ た りニ ア新 幹 線 の実 験 線 建 設 地 の決 定 もあ っ
た 。 リニ ア中 央 エキ ス プ レス国 会 議 員 連 盟 の会 長 で もあ る金 丸 信 の人 脈 の広 さ
が,遷 都 論 議 の 進 展 に も大 き く影 響 した(日 本 経済 新聞1990年6月24日
(5)新
朝刊)。
首 都 懇 の 会 長 で あ る金 丸 信 は,リ ニ ア建 設 と国 会 移 転 を地 元 の 山梨 県 な い
しは リニ ア沿 線 にか らめ て い る との 風 評 が 根 強 か った(『 週 刊 東 洋 経 済 』1990
年11月3日
(6)首
号,pp.14∼15)。
都移 転 問 題 は,自 民 党 よ り野 党 の ほ うが,よ
ば89年11月
り熱 心 な側 面 が あ っ た。 例 え
か ら12月 に か け て の 参 院 土 地 問 題 特 別 委 員 会 の 土 地 基 本 法 の 審
議 の 中 で,野 党 は,一 極 集 中 の 排 除 の た め に は,首 都 移 転 が 必 要 で あ る と の立
場 で,当 時,委 員 長 だ った社 会 党 の 福 間 知 之 氏 は,-首 都 移 転 の決 議 を主 張 した
ほ どで,こ れ は 実 現 しな か った が,土 地 基 本 法 の成 立 に当 た っ て,こ の趣 旨 で
の福 間委 員 長 発 言 が議 事 録 に残 され た(『 サ ン デ ー毎 日』1990年7月15日,p.
42)。
(7)金
丸 会 長 が鈴 木都 知 事 と90年4月19日
夕 方 会 談 し,首 都 移 転 問 題 に消 極 的
な都 の協 力 を要 請 した。 これ に対 し,知 事 は首 都 移 転 その もの につ いて は受 け
入 れ られ な い が,「 多 核多 心 型 の都 市 分 散 と い うの は よ く分 か る」 と 述 べ,一
部 首 都 機 能 の移 転 に つ い て は理 解 を 示 した(日 本 経 済 新 聞1990年4月20日
朝
刊)。
(8)新
首 都 懇 の幹 事 長 に就 任 した 野 呂 田 芳成 は建 設 省 出 身 で 衆 院 建 設 委 員 長,土
地 問題 特 別 委 員 長 を歴 任 して お り,首 都機 能 の 移 転 を 国 会 移 転 か ら始 め る と い
う シナ リオ を描 い た。 国権 の最 高 機 関 で あ る国 会 が 移 って,行 政 府 が 残 る はず
が な い の で,実 質 的 な首 都 移 転 の提 案 で あ った。 この 提 案 に 金 丸 会 長 が 飛 びつ
い た のが5月 下 旬 だ った。 そ の結 果,自 民 党 内 の 了 解工 作 は ス ムー ズに 進 み,
海 部 首 相 以 下,各 派 領 袖 も,全 員 が賛 成 した(日 本経 済 新 聞1990年6月24日
朝 刊)。
(9)し
(399)51
か し,四 全 総 がむ しろ遷 都 の議 論 に火 を つ け た とい う見 方 もあ る(磯 村 英
政経論叢
第66巻 第5・6号
一 『都 市 問 題 読 本 」 ぎ ょうせ い,1991,p.190)。
確 か に,官 学 民 間 を 含 め て 遷
都 の 案 が 百 家 斉 鳴 の状 況 で あ っ た60年 代 か ら70年 代 に比 べ れ ば鎮 静 化 した と
は いえ るが,全 国 総 合 開 発 計 画 の 中 で の 「多 極 分 散 型 国 土 の姿 とそ の実 現 」 と
い う章 で の 取 り上 げ と い う意 味 で は,移 転 と い う認 識 につ いて は継 続 して い た
との 評 価 もで き よ う。
(10)筆
者 は,首 都 機 能 移 転(な
中 の 是正,②
い しは遷 都)の 論 拠 を客 観 的視 点 か ら,① 一 極 集
大 規 模 投 資 に よ る景 気 誘 発,③ 都 市 の 安 全 性 の確 保,④ 均 衡 あ る
国 土 構 造 の 形 成,⑤ 国 民 の 意 気 高 揚 効 果,⑥ 行 政 改 革 ・分 権 推 進 の ス テ ップ,
の6点 を 指 摘 して い る。 た だ し,明 白 な効 果 を 上 げ得 る の は② と,ま た⑥ に つ
い は 具 体 的 な 道 筋 が み え るな ら矛 盾 はな い と判 断 して い る(市 川 宏 雄 「首 都 機
能 移 転論 議 と現 段 階 の 課 題 」(『 都 市 問 題 』第87巻,第9号)pp.20∼24)。
(11)バ
ブル 経 済 後 の有 効 求 人 倍 率 は0.63(1995年)と
ピー ク時(89年)の
(12)国
土 庁 は,既
に転 じ(88年
低 下 し,1.5倍
に近 づ い た
半 分以 下 に下 が った 。
にバ ブル経 済 の 後 半 で は,東 京 圏 へ の人 口 の転 入 超 過 数 は減 少
以 降),金 融 業 な どで東 京 集 中 の 傾 向 が 続 く一 方 で,工 場 や 大 学
が地 方 へ 分 散 す る と い う 二 極 化 が 始 ま っ て い る と分 析 し た(日
1990年11月22日
(13)東
本経 済新 聞
朝 刊)。
京 都 「国 会 等 の移 転 に関 す る影 響 予 測 調 査(そ
の2)』 平 成6年7月,pp.
117∼120。 また,筆 者 は,山 手 線 に 入 る直 前 の 郊 外 か らの 通 勤 電 車(5方
に つ い て,1992年
面)
に 「
首 都 機 能移 転 問題 に 関 す る懇 談 会 」 が 示 し た新 首 都 へ
の移 転 人 口 の想 定 を も・
とに,首 都 機 能 移転 に よ る通 勤 混 雑 の 緩 和 効 果 を予 測 し
た。 予 測 に お い て は,東 京 か ら新 首 都 に移 転 す る従 業 者 は,首 都 機 能(立 法,
司 法,行 政)と 準 首'都機 能(特 殊 法 人,大 使 館 等),民
の公 務 部 等)の
従 業 者10万4000人
間 随 伴 機 能(民
周 辺(千 代 田 区 内)に あ った と仮 定 し,ピ ー ク時(通 勤 時 間帯)の
は通 勤 交 通 の み を 対 象 と し,ま た,鉄 道 の輸 送 力 は1990年
そ の結 、
果,ピ
ー ク時 の 山手 線 外 側 断面 の 混雑 率 は199(年
移 転 に よ って197%に
間企 業
と した。 この 従 業 者 の 職 場 はす べ て 霞 ケ関
鉄道利用者
時 点 の ま ま と した。
で200%の
しか 落 ち な い こ とが判 明 した 。(市 川 宏 雄+富
も の が,
士 総研 東
京 問題 研 究 会 『東 京 は こ う変 わ る一 「遷都 」 「分 権 」 の 基礎 知 識 』 東 洋 経 済 新
報 社,1995,pp.142∼145)。
(14)例
え ば,村 田 敬 二 郎"21世
1996年6月
(15)1988年1月
紀 の 日本 の グ ラ ン ドデ ザ イ ン"『 実 業 の 日 本 』
臨時増刊号 「
新 首 都誕 生 」p.47。
に 閣議 決定 さ れ た 「国 の機 関等 の 移転 に つ い て 」 で,中
央官庁
の ブ ロ ッ ク機 関 が 首 都 圏 内 の業 務 核 都 市 を 中 心 と して移 転 され る ことに な った。
そ れ は結 果 的 に業 務核 都 市 の整 備 を推 進 す る もの で は あ るが,そ
52・(400)
こに 首 都機 能
首都機能移転 の論拠 とその不確定性
を分 散 させ,ネ
ッ トワ ー クさ せ る こ と は,物 理 的 に十 分 可 能 な は ず で あ る(富
士 総 合 研 究 所 『国 会 等 の移 転 に関 す る影 響 調 査 一 東 京 の 整 備 の あ り方 』1996
年3月,pp.88∼104)。
(16)国
会 決 議 以 来,多
か らめ て,数
くの マ ス コ ミの論 調 で は,首 都 機 能 移 転 を一 極 集 中是 正 と
は それ ほ ど多 くは な いが 報 道 して き た。 しか し,そ の数 が減 少 し
っ っ も,依 然 と して その 論 調 は残 って い る。 日経 新 聞 の90年
の朝 夕 刊 掲 載 の 記 事 につ い て見 て み る と,1990∼93年
能 移 転 関 連 の 記 事 数 は137件,そ
触 れ た もの が18件,94∼97年
代 に入 ってか ら
の 前 半4年
間 の首 都機
の う ち一 極 集 中 是 正(緩 和,解 消 を含 む)に
の 後 半4年 間 で は,426件
の うち15件
と な って
い る(な お,件 数 は記 事 の 長 短 に関 らず 検 索)。
(17)国
土 庁 は,移 転 調 査 会 の 最 終 報 告 が 出 され た 後,『 新 首 都 づ く りの 早 期 実 現
を め ざ して』 と題 した パ ン フ レッ トを 発 行 した が,首 都 移 転 に反 発 す る 自民 党
都 道 の議 員 の 抗議 に よ り,急 遽 回 収 す る事 態 とな った 。 この パ ンフ レ ッ ト回 収
以 降,「 新 首 都 」 とい う用語 は使 わ れ な くな った。
(18)首
都 機 能 移 転 論 は,こ れ まで さ まざ ま な か た ちで,出 て は消 え る と い う こ と
を繰 り返 して きた。 ま ず,1960年
代 前 半 に 当 時 の 住 宅 公 団 総 裁 で あ った 加 納
久 朗 に よ る東 京 湾 埋 立 論 に 口火 を切 った の が第1次
年 代 後 半 か ら70年 代 前 半 に第2次
ブー ム,80年
ブー ム で あ る。 この 後,60
代後 半 に 現 在 の 第3次
ブー ム
が沸 き起 こ って い る(市 川 宏 雄 他 ・前 掲 書,pp.98∼106)。
(19)堺
屋 太 一"見 よ この 素 晴 ら しき 「新 都 」 構 想"「 文 芸 春 秋 」1990年9月
号,
pp.174∼1880
(20)堺
屋 太 一 『「新 都 」 建 設 」(文 春 文 庫)1992年,文
(21)堺
屋 太 一 「「
次 」 は こ うな る」 講 談 社,1997年,PP257∼266。
芸 春 秋 社,pp.1∼6。
しか しなが
ら,こ の視 点 は遷 都 の意 義 を説 明 す る こ と に適 して は い る が,同 時 に人 口 や 産
業 を 含 め た国 家 規 模,行 財 政 シ ス テ ム,し か も公 と民 の役 割 分 担 な どの内容 を,
現 代 社 会 を 前 提 に して 適 用 可 能 性 を述 べ な い と,単 な る ア ナ ロ ジー に終 わ る こ
とに な ろ う。
(22)95年2月
に社 会 経 済 生 産 性 本 部(社 会 経 済 国 民 会 議 と生 産 性 本 部 が 合 体 し
た もの)に 経 済 界,労 働 界,言 論 界 等 ひ ろ く国 民 各 界 の結 集 の下 に国 民 運 動 を
目指 して 設 置 され た 。(新 都 建 設 推 進 協 議 会 パ ンフ レ ッ ト)
(23)日
本 経 済 新 聞1998年1月18日
朝刊。
(24)過
去 の 日本 の 全 総 計 画 の 立 て 役 者 で あ った 下 河 辺 淳 は,直 接 的 な新 首 都 像 を
提 案 は して い な い が,新 首 都 の 必 要 性 に つ い て の 力 説 を して い る(下 河 辺 淳+
粕 谷一 希 「対 談 ・遷 都 は本 当 に必 要 か 」 『フ ァイ』1996年4月
(25)筆
(401)53
号,pp.9∼ll)。
者 らの試 算 に よ る と,新 都市 建 設 た め の 費 用 で あ る9兆 円(基 盤 整 備 費+
政経論叢
第66巻 第5・6号
施 設 整 備 費)を 産 業 連 関 分 析 に よ って 日本 経 済 に及 ぼ す経 済 効 果 を計 算 した結
果,25.3兆
円 の生 産 誘 発 効 果(こ
の う ち,付 加 価 値 ベ ー ス と して12.9兆
円)
が予 測 され た 。 これ は,直 接 的 な投 資 か ら約2.8倍 の生 産 が 誘 発 さ れ る こ と を
示 し,仮 に都 市 建 設 が10年
間 で行 わ れ れ ば,日
本 のGDPを
年 間0.28%引
き
上 げ る効 果 が あ る(市 川 宏 雄 他 ・前 掲 書,pp,130∼137)。
(26)こ
れ に対 して,東 京 商 工 会 議 所 は,東 京 の 経 済 力 低 下 を恐 れ て,反 対 を 表 明
した(読 売 新 聞1996年6月2日
朝 刊)。
(27)大
西隆 「
分 権型 社 会 と首 都 機 能 移 転 」(『都 市 問題 』 第87巻
∼36。
(28)読
売 新 聞1996年5月16日
(29)移
転 審 議 会 で は,97年7月
第9号),pp.35
朝刊。
に,移 転 懇 の試 算(92年6月)の
下 方 修正 を行 っ
て い る。 移転 規 模 と費 用 に つ い て は,国 会 を 中 心 に移 転 す る第1段 階(人
万 人,面 積1,800ha,費
用 は 公 的 負 担2,3兆 円,民 間投 資 ・負担1.7兆
政 機 関 が半 分 移転 す る1/2ケ ー ス(人 口30万
人,面
積4,800ha,費
口10
円),行
用 は公 的
負担3.0兆 円,民 間投 資 ・負 担4.5兆 円),行 政 機 関 が 全 て 移 転 す る最 大 ケ ー ス
(人 口56万 人,面 積8,500ha,費
兆 円)と3段
用 は公 的 負 担4.4兆
円;民
間 投 資 ・負 担7.9
階 に 分 けて い る。 これ に よ って規 模 の若 干 の縮 小 と,公 的 負 担 の
軽 減 を試 み て い る。
(30)首
都 機 能 移 転 に 係 る文化 的側 面 が,第4回
検 討 が 行 わ れ,そ の 後97年10月
の 移転 審 議 会 で 堺 屋 委 員 を 中 心 に
に そ の検 討 結 果 が 発 表 され た 。 特 に新 都 市 が
既 存 の首 都 に 文 化 の 蓄 積 や 文化 発 進 力 に 問題 が あ る との 指 摘 に応 え よ う と して
い る。
(31)特
に,第1次
ブ ー ムの 時 期,皇 居 新 築 計画 が 公 表 され,東 京 オ リ ン ピ ックが
開催 決 定 され る と同 時 に,東 京 の 人 口の一 千 万 人 突 破,通 勤 ラ ッシ ュ と い っ た
東 京 へ の 集 中 問 題 の深 刻 化 等 が 首 都 機 能 移転 論 を活 発 化 した(市 川 宏 雄 他 ・前
掲 書p.98)。
(32)遷
都 や 首 都 移 転 と い う表 現 を 表 だ って 使 わ な くな っ た い き さつ は,既 に,80
年 代 後 半 の 自民 党 内 での 論 議 で,国 会 機 能 を 移 せ ば 遷 都 だ と い う政 府 側 の意 見
と,天 皇 を お 移 しせず に遷 都 は いか な る こ とか と い う議 員 側 の意 見 の対 立 が あ
り,金 丸 信 が 「遷 都 と は言 わ ず,ま
た皇 居 は勝 手 に移 す べ き は な い」 と裁 定 し
た こ と に よ る と言 わ れ て い る(読 売 新 聞1996年5月31日
(33)国
朝 刊)。
会 等 移 転 改 正 案 の提 出 に あ た って,自 民 党 都 連 の 議 員 が 反 対 し,原 案 に
「東 京 都 と の比 較 考 量 を通 じて 検 討 」 な ど の条 文 が付 け加 え ら れ る こ と に な っ
た(「 東 京 新 聞 』1996年6月12日
付)。 ま た,前 述(注17)の
よ うに国土 庁 の
パ ンフ レ ッ ト 『新 首 都 づ く りの早 期 実 現 を 目指 して』 が回 収 さ れ る事 態 に 発 展
54(402)
首都機能移転 の論拠 とその不確定性
した。
(34)バ
ブ ル経 済 崩 壊 後,東 京 の金 融 業 の ア ジア へ の シ フ トが 起 こ りは じめ,そ れ
を き っか け に都 市 ・東京 の 空洞 化 が危 惧 され て い る(岡 部 直 明"広 が る東 京 市
場 の 空 洞 化"『 フ ァイ』1994年11月
(35)過
号,pp.19∼22)。
去 の 日本 の 都 市 造 りが,政 治 の無 策 と私 利 私 欲 型 経 済 の反 映 で しが な か っ
た こ と に鑑 み,今 回 の 遷 都 論 につ いて も,託 す べ き夢 もな く,都 市 論 を展 開 せ
ず に政 治 機 能 だ け の移 転 を論 じて い る とい う強烈 な批 判 が あ る(井 尻千 男"反
遷 都 論 宣 言",『 発 言 者 』1995年11月
号,pp.122∼126)。
ま た,国 を初 め,誘
致 各 県 が 描 き出 して い る新 首 都 像 は,大 自然 の 中 に 低 層 で 広 々 と大 平 原 に広 が
る絵 柄 で 共 通 して お り,こ れ は 明 らか に キ ャ ンベ ラや ワ シ ン ト ンを イ メ ー ジ し
て お り,日 本 の 山 が ちな 地 形 を 若 干 考 慮 した もの もあ るが,従 来 型 の先 進 事 例
の模 倣 を 抜 け 出 して はい な い。
(36)国
会 等 移 転 審議 会 の 委 員 の 人 選 に あ た って,東 京 都 は委 員 の 資 質 と して 「行
財 政 改 革 に優 れ た 見 識 を 持 つ 」 と明 記 され て い る こ とか ら,移 転 反 対 派 を 送 り
込 も う と した(日 本 経 済新 聞1996年6月19日)。
そ の結 果,12月
に 設 置 され
た審 議 会 に反 対 派 と され る一 名 が選 任 され た。
(37)世
界 に お け る遷 都 は過 去 に 約20例
あ るが,そ の主 た る論 拠 は,独
立 を契 機
と した もの(ニ ュ ー デ リー,イ ス ラマ バ ー ド,ス リ ・シ ャヤ ワ ル ダ ナ ブ ラ),
政 治 体 制 の変 革 が理 由 と な った もの(東 京,ア
合 や地 域 的均 衡 を図 った もの(ブ
ンカ ラ,モ ス ク ワ),民
エノ ス ア イ レス,キ
族 的融
ャ ンベ ラ,ブ ラ ジ リア),
そ の他 の理 由 な ど の主 と して 四 点 が あ げ られ る(市 川 宏 雄 他 ・前 掲 書pp.116
∼117) 。
(38)戦
時 体 制 下 に戦 後 の成 長 の礎 と な る 中央 集 権 型 の シス テ ム が 出来 上 が って お
り,そ れ が うま く機 能 して きたが,い
よ い よ破 綻 を始 め た と い う主 張 で(野 口
悠 紀 夫 「一 九 四 〇 年 体 制 一 さ らば戦 時 経 済 』 東 洋 経 済 新 報 社,1995年),似
よ う な概 念 を,堺 屋 太 一 は 昭和 十 六 年 体 制 と呼 ん で い る(日
年9月10日
(39)市
た
本 経 済 新 聞1995
朝 刊)。
川 宏 雄 他 『成 熟 都 市 東 京 の ゆ くえ一2008年
い,1998年,pp.1∼7。
の都 市 基 盤 と 政 策 』 ぎ ょ う せ
国 家 が 成 熟 した段 階 で の首 都 移 転 の例 と して は,国 民
投 票 に よ って ボ ンか らベ ル リ ンへ の遷 都 が 決 ま った ドイ ツの ケ ー ス が あ る が,
これ はあ く まで 旧首 都 へ の 回 帰 で あ り,新 都 建 設 に よ る移 転 と は性格 が異 な る。
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