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オーベルマン、ノーホエア・マン : 『オーベルマン』 とオシアン

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オーベルマン、ノーホエア・マン : 『オーベルマン』 とオシアン
オーベルマン,ノーホエア・マン
ー『オーベルマン11とオシアンー
辻村永樹‘
はじめに
エティエンヌ・ビヴェール・ド・セナンクールが1804年に刊行した,│ドiW
体小説│「オーベルマン」lObeJ・manは,発表から優い間,忘れられた件であ
った。それが│¥ぴ陽の11を兇るのは1832イのことである。フランス文蝋が
ロマンl{雑の旋風の只中にあったこの年,「オーベルマン』刊行と例年に生
まれたサントーブーヴが『ルヴュ・ド・パリ』誌に評論「ド・セナンクール
氏11を発炎し,この不遇の作家の再評価の機運がにわかに高まったのであ
った。翌年の1833年,作巷によって'『たに1締のi1航jと苫1:の註釈が加え
られた「オーベルマン』第2版がサン1、=プーヴによる序文とともに刊行さ
れ,多くの統稀を得る21。追って1840年にはさらに’篇の香前の加縦と全
体の改イルがなされた節3版が,これも『才・-ベルマンjと同年′kまれのジョ
ルジュ・サンドの序文を付して刊行され,この作111,のフランス・ロマン主義
小説の先駆けとしての地位が確かなものになった。
「ド・セナンクール氏」の11』でサントーブーヴはこう述べる。「ある年齢
で,ある糊神状態で「オーベルマン」を統むとき,ヤングやオシアンやウェ
ルテルがその各々の時代にもたらしたのと同種の傭熱を,この書は掻き立て
るに速いない‘1.エドワード・ヤングの待典『夜想」lVighlThoIlghl
(1742,仏訳1769),3世紀スコソトランドで成蹴したオシアン赫淵の災訳
とされあ「オシァン作品集」TheWorksqrOssian,thesonq/FYn9aI
(1765,仏訳は後述),そしてヨハン・ヴポルフガング・フォン・ケーテの
「蒋馨ウ.ヱルテルの悩み」DieLeidendGs./MngcnWヒヨIThers(1774,仏訳
‘
I
C
オーペルマン,ノーホエア・マン
1776)は,ともにフランス・ロマン主義者たちの枕頭の啓であった。サン
トーブーヴは「オーベルマン」にそれらと同種の精神を読み取ったのであ
る
。
これらの名の中でわれわれはとりわけオシアンに注目する。セナンクール
がジヤン=ジャック.ルソーとベルナルダン.ド.サンーピエールとともに
生涯を通じて好んで縮いたのがオシアンであった'1。われわれは本稿で,ま
ずは時代背景を明瞭にするために英国における「オシアン作IHl典」刊行の馴
情とフランスのオシアン受容の経緯を確憩し,その上でセナンクールがこの
謎めいた異国の詩からいかなる霊感を得たか,それがどのような形で「オー
ベルマン」に現れているかを論ずる。なお,本稿では「オーベルマン」のテ
クストとして1804年版を用いることとし,後年の補錐訂正部分の考察は穂
を改めることにしたい。
「オシアン作品集」の刊行とフランスのオシアン受容
1759年,スコットランドで家庭教師の傍らアマチュア詩人として作品を
発表していたジェイムズ・マクファーソンは,劇作家ジョン・ヒュームに乞
われ,ケール語古詩の断片を英訳したと称する原稿「オスカルの死』The
Deathq/、Oscurを渡す。エディンバラ大学で文芸修辞学教授を務めるヒュ
ー・ブレアはこれに興味を抱き,マクファーソンに残りの写本の英訳を強く
勧めた。それに応え,マクファーソンは次々に断片的な「翻訳」の原稿をブ
レアに託し,1760年,ブレアはそれらの断片を集成して「スコットランド
高地より採集しケール語ないしアース語より翻訳したる古代詩の断章j
FmgmentsqrA例cIentP℃etnノ,CoIIectedintheHりhIandSqrScotIand
qndtmnskItedjfDmtheGaeIIcorE庵elanguageとして出版する。
「古代詩の断章」は限られた範囲ながら評判を呼び,またたくまに瑚刷さ
れた。スコットランド高地にはさらなる忘れられた詩荊が残されているはず
だと信じたブレアは,著名人たちから経済的な支援を藻り3',マクファーソ
ンは2度にわたるゲール語詩採集のフィールドワークを敢行する。マクファ
ーソンの言によれば,この旅行では新たな写本の収集に加え,口伝による多
くの古謡の記録にも成功したという。その成果を元に.マクフアーソンは
4
Ⅱ
1761年末に「フインガルjFYrUaI,1763年に「テモラ」memomを,そし
て1765年にはそれらを集成した「オシアン作品集」を出版する。1773年
には新たに編纂しなおした新版「オシアン詩集」ThePbemsqrOssianも
出された。
これらの詩集は3世紀に遡るゲール語写本の忠実な翻訳であるという触れ
込みであったが,そこにはマクファーソンらの握造,偽作が紛れているので
はないかとの疑念を口にするものも,「英船辞典」(1755)の編纂者として
知られるサミュエル・ジョンソンをはじめ数多かった。'。にもかかわらずこ
れらの詩集は英国内外で大いに読まれ,マクファーソンに富と名声をもたら
した。出版後40年経っても「聖沓とシェイクスピアを除けば,オシアンほ
ど売れている本はない」と言われるほどであった71.
オシアンとは古代スコットランドの英雄フインガル王の息子で,これらの
詩篇を語り伝えたときれる盲目の老戦士の名である。「オシアン作品集』お
よび「オシアン詩集」には長短さまざまな蒔嚇が収録されているが,そこで
語られるのは荒々しい自然を背景とした数々の戦争であり,戦士たちの功壮,
戦いに引き裂かれる恋人の悲哀である。そしてそれらに通底するのが,戦争
を通じて父フインガルと息子オスカル,また幾多の戦友たちを失い,盲目と
なりながらもひとり生き延びて,在りし日の栄光をオスカルの貯嫁マルヴイ
ーナに物語るオシアンの郷愁と喪失感である。強烈な過去への志向と,彼岸
へ見送った者たちへの鎮魂の念が「オシアン作品集」全篇を貫いている。
オシアン詩篇の倣初のフランス語訳は,後にルイ16世治下で財務総監を
務めることになるアンヌーロベールージャック・テュルゴーの部分訳で,
1760年に発表された。その後,デイドロをはじめ数人が抄訳を試みている。
フランスにおける最初の「オシアン作品集j全駅は,1777年,ピエールー
プリームーフェリシアン・ル・トウルヌールによる「オシアン」である剛。
革命勃発とともに,オシアン詩篇の翻訳はほとんど見られなくなるが,
1793年から再び,シヤトープリアンのものをはじめ毎年のように抄訳や模
作が出される。1801年にはビエールーマリーフランソワ.バウールーロル
ミアンが新たな全訳を世に送るが,これは韻文によるむしろ翻案であった01。
「オーベルマン」が執筆されたのは1801年とされており'・I,またセナンク
ールの覚啓にル・トウルヌール訳「オシアン」からのケール語の引用がある
竿
オーベルマン,ノーホエア・マン
ことからも111,セナンクールがオシアン詩篇に親しんだのは1777年のル・
トウルヌール訳を通じてであろうと考えうる。以後,フランスには特筆すべ
き「オシアン作品集」の全訳はついに現れない'2'・
革命期の混乱を挟みながら,原書の出版から40年のうちに2度の全訳を
含め20本を超える翻訳がなされたという記録からも,オシアン詩篇が当時
のフランスに及ぼした熱狂が垣間見られるようである。節度と均整を旨とす
る古典主義がいまだ支配的であったこの時代のフランス知職人にとって,蕊
愁に満ちたオシアン詩篇の力強くも陰麓な調べは衝撃的であった。ポール・
ヴァン・チーゲムはスイスの詩人ザロモン・ケスナーとオシアン詩篇とがフ
ランスにもたらした新しい感性について,「もしロマン主義というものが,
とりわけ社会とその法に対する抗議を内包するものだとすれば,ケスナーと
オシアンはロマン主義者である」と断言し,ゲスナーの中に人は春,日光,
草花の匂い立つ初々しき,羊の群れの豊かな美を見出し,オシアンには秋,
夜,月光,嵐,不毛なヒースの荒野,人に馴れず孤独な縦の美を見出した
と述べている'31。
「オーベルマン」とオシアン詩篇
では,オシアン詩篇は『オーベルマン」の中にいかなる形で見出されるだ
ろうか。
「オーベルマン』は,主人公より一人の友人に宛てて醤かれた,9年にわ
たる全89篇の瞥簡という体裁を取る。それらの普簡のうちオシアンの名は
結末に近い2箇所に現れる。
常に穏やかな平野は思慮深い学者を育てるかもしれない。常に灼熱の砂漠
には裸行者や苦行者が住まうかもしれない。だが山がちで寒くもあり暖か
くもあり,厳しくもあれば微笑みかけることもあるギリシャ,雪とオリー
ヴの木々に覆われたあのギリシャは,オルフェウスやホメロスやエピメニ
デスを持った。さらに職しく気まぐれで,寒さ厳しく幸福の少ないカレド
ニアはオシアンを生んだ。
森や湖や雲が,祖先の霊や英雄たちの魂や木の精や神々に住まわれるとき,
4
3
不可視の存在が洞穴に鎖で繋がれ,また風で運ばれるとき,そういった物
どもが森閑とした墓場の上を漂い,暗い夜中に風の中で畔<のを聞くとき,
それは人間の心にとって何という故郷だろうか,雄弁にとって何という世
界だろうか!‘!。
書く決心をするのにこれほど待つべきではなかったとさえ思う。このさま
ざまな世紀の思索者たちとの交流の中には,何か魂を支えてくれるものが
ある。未来のL…(辻村註:替簡中何度か話題に出る著名な文学者)の書
斎で,ビタゴラスやプルタルコスやオシアンの隣に並ぶことができる日が
来ると想像する,それは名誉ある夢想,人間にとっての高尚な玩具だ'鋤。
前者の引用部分の直後には,主人公自身の手によるオシアン詩篇のパステイ
ーシュも披露されている。
見よ,裳は集まり海は波立ち稲妻は古き樫を打ち,舟は呑まれ雪は頂を覆
Jjrgや
い,奔流は四阿を揺るがし断崖を穿つ。風Iま変わり空は冷たく澄む。星明
、いく尋びと
かりのもといまだ脅かす海Iこ板切れが見える6軍人どもの娘らはもはや歌
わぬ。風は燃し音もない。岩々の上より男どもの声が聞こえる。冷たい滴
が屋根より落ちる。カレドニアの男は武器を取り夜闇へ発つ。山々を越え
奔流を越え,フィンガルの許へ駆ける!‘'。
ポール・ヴァン・チーゲムは「オーベルマン』におけるオシアン的表現の
例として上に引用した部分のほかに以下の一節を挙げている'7'。
幻影はまだ去らない。それらは僕の前に現れる。それらは通り過ぎ,遠ざ
かり,再び現れる,まるで青白く巨大な,無数の形で漂う雲のように'鋤。
ヴァン・チーゲムは具体的に「オーベルマン」とオシアン詩篇との対比をし
てはいないが,例えば次のような一節に.セナンクールがオシアン詩篇から
蕊った影響の一端が垣間見られるかもしれない。ル・トゥルヌールの仏訳
「オシアン」より,「フインガル」第4歌の一節を引用する。老オシアンが力、
判
オーベルマン,ノーホエア・マン
って参戦した父フインガル王とロホランの王スワランとの戦争を,亡き息子
オスカルの許嫁マルヴイーナに物語る。
ブランノの流れの畷きのほとりにそなたは一度ならず腰を下ろした,おお
トスカルの娘よ,そなたの白くまばゆい胸乳は,湖面を穏やかに泳ぎ西風
が翼を膨らませる白鳥の柔毛のごとく膨らみ高まった。そなたはそこで一
度ならず見た,紅の陽が退き濃い雲の陰におもむろに沈むを。風が渦巻き
深い谷間を吃り吹<とき夜が111の周りに影を集めるを。綴が落ち逆巻く奔
流は轟き稲妻が巌を砕<を。‘鱒の灯りに亡霊どもが立ち昇る。抗い難く物
凄い奔流は轟音をたてて111から下り落ちる。戦とはかくの如きものだ。お
いくき
お,その涙は何としたことか,泣くのはロホランの娘らの方だ,かの単
ぴと
あけ
人どもは数知れず鰭れた,血がわれらが英雄らの侭Iを朱に染めたのだ。わ
め
れは今,悲しみ,盲しい,残きれた。優しきマルヴイーナよ,われに涙を
流しておくれ,われはわが友らの墓を見た1,'。
オシアン詩篇の持つ憂愁,荒々しい自然描写,亡霊や幻影といったモテイ
フは,ヴァン・チーゲムの指摘の通り,確かに『オーベルマン」の随所に見
られる。だが,ヴァン・チーケムをはじめこれまでの研究では,「オーベル
マン」とオシアンの関連について伝記的事実や語蕊レベルの類似の指摘にと
どまっているように思われる。オシアン詩篇は「オーベルマン」という作品
のより深い部分にまで,その影を落としてはいないだろうか。われわれはそ
の可能性を考察するにあたり,まず「オーベルマン」第7の手紙に着目した
い。
第7の手紙に寵られる超越体験
「第5の手紙」(第1年8月18日付)から「第8の手紙」(第1年9月14
日付)までの間,主人公はスイス,レマン湖南東の谷間の町サン・モーリス
に滞在するが,その間の「第7の手紙」で,町の南西に蜂えるダン・デュ・
ミディ山(標高3257m)への山行が語られる。アルプスの自然の雄大さと
それに惹起される心理を豊かに描いたことで,「オーベルマン」全篇の中で
4
5
もひときわ注目される一篇である。
主人公は山の入口で案内者を帰し,時計,金銭など身の回りの品を地面に
残し,服すらほとんど脱ぎ捨てて,独り山に分け入ってゆく。マルセル・レ
イモンが指摘するように,身に新けていたものを取り去って俗世から隔絶さ
れた高所に身を置くこの主人公の行為は,ある種のイニシエーシヨン的儀式
を想起させる2。'。「イメージ・シンボル辞典」には,山について「高さのシ
ンボリズム。膜想の領域を象徴する2')」と記されている。日本でも古来より
山を盆地として畏れ敬う山岳信仰,111岳修験が行われてきた。修験道研究者
l:』じつt』
の宮家準によれば,「峰入修行によって得られる境地Iま要言すれば「如実知
郎」哨熊揃」という仏語に尽きると考えられる。如実知自心は自分の
真実の姿を知ることを意味している。峰中で,内省,沈思しながら歩くこと
によって自己の真のあり方を知ること,付帯的には,身体の具合を知ること
にもなる。自然法爾は,金剛界・胎蔵界の愛茶羅(宇宙そのもの)とされる
山中の自然にふれることによって,我執を捨て,現実を宇宙の摂理と受けと
めて,それに身を委ねることをさしている221」。また宗教学者ミルチア・エ
リアーデは「イニシエーション,儀式,秘密結社」(邦訳題「生と再生」)の
中で,天界への上昇を象徴するイニシエーシヨン儀式について「その経験を
経た者は人lljl的状態を超越し『純粋梢神」として生きる」と述べている”'。
さらに,われわれは主人公が山上で「雪片に目が疲れたのと,凍った表面
に照り付ける真昼の太陽の反射に目を灼かれたのとで,物がよく見分けられ
なかった2伽」と記していることにも注目したい。視覚の喪失を滞るこのくだ
りから連想されるのは,フランス革命にも陰に陽に力を及ぼしたとされる秘
密結社フリーメイソンのイニシエーションの儀式である251.志願者は目隠し
をして儀式に臨み,「ここに来た目的は何か」という問いに.「哀れな盲目の
志戯者である私は,災〈暗闇にありましたが,暗閥から脱して光を見るため
に,この栄光あるロッジに来ました」と答えるのである2.1。
さて,主人公は山頂まで500フィートの地点で絶壁に道を阻まれる。そ
こで主人公は眼前に広がる絶景に「自然全体がひときわ大きな秩序を,ひと
きわ明瞭な調和を,永遠の統一を具現している27'」ことを直観する。それは
言語を絶した超越体験である。
6
4
し
オーペルマン,ノーホエア・マン
この新しい世界の正確な概念を君に伝えることも,llI々の永遠性を平地の
言葉で君に言い表すことも僕にはできないだろう2剛。
そして下界の俗世に深い嫌悪を覚える。
騒々しい人間界の生活の感覚というものが僕には本当に亜苦し〈不毛に思
えた。動きは級慢に見えようが,思考がじっくりと典に活動的になるのは,
山に分け入り,静かな111の頂にいるときだと分かった。谷の人間は何の楽
しみもなく,せかせか,いらいらとその寿命を浪費している2鋤。
主人公は商売人という意に染まい職業を親に押し付けられそうになり,パ
リの家を出奔してスイスを訪れているらしいことが手紙で灰めかされている
が3.1,そのような強い反俗意識を持つ主人公にとって山上は何物にも侵され
ぬ聖域であり,本来自分がいるべき場所に思えたのかもしれない。
その文脈に沿うならば,俗世と対極の地点が111の頂ということになろう。
だが,主人公が「頂にいるとき」に感得した「新しい世界」について語ると
き,われわれはある違和感を覚える。というのも,前述したとおり,主人公
は山頂には到達していないからである。「静寂は騒がしい低地では決して体
験されなかった。いかなる言葉をもってしても言い表しえない,いかなる想
像力をもってしても予期しえないあの不動,あの永遠が溌るのは,冷たい頂
の上だけだ。''」という主人公の言葉が,豊頂を阻まれそれ以上進むことを断
念したうえで発せられたそれだというのは示唆的である。このことについて
は後にもう一度考えてみたい。
オーベルマンの意味するもの
ここで「オーベルマン」という題名について考える。この作品を櫛成する
89篇の手紙では,主人公と友人に対しては常に1人称と2人称が用いられ,
互いの名は明かされない。オーベルマンObermanないしObermannは実
在する人名であるのでこれが主人公の名であるとも考えられるが,そう断定
する根拠は本文中にはない。ドイツ語の接頭語oberは「上側,山側」を表
4
フ
し,接尾語mannは「−の人」の意をもつため,それらを合成した「上の
人」「山の人」を表す造語,あるいはそれにちなんだ主人公の仮名であると
も解釈しうる砲1.実際,セナンクールが折に触れて書き溜めた300ページ以
上もの鮮細な覚沓には,Oberの語釈として「高所。Oberlandとは高地の
意」と普かれている型!。また,ベアトリス・ル・ガルはこの名が「高地の人」
と「超人」の意味を持つ語Ubermanを連想させると指摘している型1。それ
らの示唆に従うならば,オーベルマンとは(地理的な,あるいは箱神的な)
高みに立つ人間ということになる。主人公はこの山上での体験を通じてオー
ベルマンとしての意識を抱いた,より正確に言うならばオーベルマンになり
損ねたということができるだろう。
もうひとつ,オーベルマン=高所の人という語にわれわれの見解を加えた
い。それは同様に「高地の人」を意味し,特に高地スコットランド人を指す
英語ハイランダーHi邸landerである。
デイドロ,ダランベールが中心となって編纂した「百科全瞥」(1751.
1772)にはHighlandersの解説として次のように記されている。「スコッ
トランドの山岳に住む人々。彼らは正しく古代カレドニア人の血を引く者で
あり,スコットランド低地の住民であるローランダーを除けば外国人と混血
することは少なかった。(中略)その子孫は今日もスコットランドの山岳地
方および島喚に住み,多くの父祖の慣習や生活様式を伝える蝿'」。
ル・トゥルヌール訳「オシアン」の序文でも,カレドニア人,山の民
montagnardsの生活様式や伝統が詳述されている。その幾つかを抜粋する。
彼らは国土を見晴らすため,また敵に見付からないために,常に高台に居
を柵えた細'。
カレドニア人をなお現代の未開人と分かつもの,それはオシアンの時代よ
り彼らが成し遂げてきたさまざまな技芸の発達である。彼らは古くより,
束の間の人生に詩や音楽といった愉悦の花々の種を播いてきた。前者の技
芸で彼らが成した発達は,この詞華集から見て取ることができよう37】。
カレドニア人は自然現象の多くを梢霊のしわざと考えていた。岩のこだま
8
4
オーベルマン.ノーホエア・マン
が耳を打つのは山の梢霊が耳にした音を好んで操返すからである。山国に
住んだ者にはよく知られる,嵐に先立って起こるあの<ぐもった悲しげな
音は丘の精霊の卿きである:蝋'。
また,以下のようなカレドニア人の実利的な生活技術への反発は,ある意味
で「オーベルマン」の主人公の反俗意識に通ずるかもしれない。
カレドニア人が安穏たる生活に対して抱いていた軽蔑は,常に彼らを工業
技術から,農業技術からさえも遠ざけていた。少なくとも,武器の鍛造の
技術を除けば,当時の詩篇にその痕跡を見出すことはできない3,'。
セナンクール挺生の2年後に完結した「百科全書」,また7年後に出版さ
れたル・トゥルヌール訳『オシアン」の記述からも,セナンクールと同時代
の知職人はフインガル王やオシアンらカレドニア人がハイランダーすなわち
「高地の民」であるという知識をある程度有していたと考えられる。セナン
クールがその作品の題を「オーベルマン」としたとき,そこにはスコットラ
ンドの高地の民ハイランダーヘの,さらには語頭と語尾にオーベルマンと似
た発音を持つオシアンヘの連想はなかっただろうか。かような空想を抱かし
めるほどに,「オーベルマン」という作品の根抵にはオシアン詩篇に通じる
ある主題が存在するように思われるのである。以下で具体的に作品をたどり
ながら,それを考察したい。
「オーベルマン」を貫くもの
そもそも主人公がスイスへ向かったのは,「幼年時代に心を奪われた静誼
な山々に隠れ家を選ぼう4。'」としたためであった。そして「僕は自主独立の
生活に入ったのだ。気候は充分に快いが自然の光景の厳しい美しさも見出せ
る,おそらくヨーロッパで唯一の国で生きるのだ"I」とスイスでの生活に期
待を寄せる。
そして主人公はサン・モーリスに仮の居を定め,前述したダン・デュ・ミ
ディ山への山行を敢行する。先に見たように主人公はそこで神秘的な法悦の
4
9
体験を持つ。だが同時に,山頂を目前としながらそこで引き返さざるをえな
かった主人公にとって,その経験はあと少しで到達できるはずだった真の達
成に対する瑳鉄でもあったのではないか。町に戻った主人公に,おそらくは
パリの実家で財産問題が持ち上がったことを告げる手紙が届き,主人公はス
イスでの生活を諦めフランスへ戻る。
パリで主人公は総々とした日々を暮らすが,やがてフォンテーヌプローヘ
赴き,スイスでの生活をなぞるかのように,森で生活を始める。だが苦々し
い気持は去らない。「すでに夜は暗かった。僕はゆっくりとその場を去った。
でたらめに歩きながら,心は倦怠に満ちていた。1僕には涙が必要だった,だが
卿き声を出すことしかできなかった。人生の初期はもう終わってしまった‘21」。
そして幼年期の追憶にひたる。「幼年時代に遡れば遡るほど,僕は深い印象
を抱く。(中略)7歳,6歳,5歳の頃に体験したことを探って見ると,同じ
ように忘れ得ぬ,さらに心安らかでさらに甘美な,他のどの年齢もそんな幸
福を持ったことのない完全な幻想によって形作られた印象が見付かる4‘'」。
パリでの数年を経て,主人公はリヨンに赴く。「これが僕の27歳だ。腿し
い日々はもう去った。ぼくはそれを目にするこ'ともなかった。(中略)僕は
人生を全うするずっと前にすべてを失ってしまった‘伽」と主人公は嘆く。あ
る日,少年時代を回想しながらリヨンを歩くう│ち,一人の女性に再会する。
かつて愛したデル…夫人だった。彼女は既に結婚しており子供を連れていた。
主人公は彼女の不幸な結婚に思いをめぐらせる。リヨンの街で満たされぬ
日々を過ごしながら,主人公はアルプスで死ぬことを夢み,幼年期を思う。
「僕は急いではいない,何ヶ月か後だろうと今日と同じようにそれをできる
から,そして死んでしまえたらという僕の流儀にかなう場所はアルプスしか
ないのだから‘副」。「空しく潰えてしまった僕たちの望みを,子供のころの僕
たちの計画を憶えているかい,美しい空が嬉しかったこと,世間から放って
おかれた,あの自由な孤独を。幸福を信じ欲するままに求める,まだ人生を
知らぬ無垢な魂の若々しい歓喜よ・純粋な希望よ・お前たちはどうなってし
まったのか、‘'」。
リヨンで1年を過ごし,主人公は再びバリに戻る。彼は過去に未練を残し
ながらも,現実に折り合いを付け退屈を受け容れようとする。「僕は計画す
ることを,未来に眼を向けることを,次の年齢を考えることを始めている。
5
o
オーペルマン.ノーホエア・マン
生きることへの執蒲をも持つようになるかもしれない』"」。主人公は再びス
イスに行く。徒らに過去を恋うるのではなく,現在,未来へ目を向けようと
する。「僕は絵のような景観を,かつてのように評価はするが,それを感じ
取ることは少なくなっている,というか,もうそういった感じ方は僕を満足
させない。こう言ったらいいかもしれない。僕はそれが美しいということを
憶えている,と‘鋤」。「人里はなれた,だが交通の便のいい,気候もそこそこ
穏やかで立地もよく,小川が流れていて滝の落ちる青か湖の波の音なんかが
聞こえるような牧場はないかと,谷という谷を探しているI卿」。
やがて主人公はアルプスに,ついに安住の地となるはずのイメンストロー
ムと呼ばれる地を発見し,そこに移り住む。だがダン・デュ・ミディ山での
啓示を再現しようというのではない。彼はかつてあれほど疎んじていた生活
の人になっている。「僕はついに住むところを見つけた。そしてそれはアル
プスにあるのだ。ほんの数年前には,それが僕にとって大きな喜びだった。
いま僕はそこで忙しく働くことの喜びを見出している"o'」。「諸々の決まり事
の必要が僕にとって自然なものになっている。人川の自主独立が何だという
のだ。僕には金が必要だ。金があればペテルスブルグだろうがナポリだろう
が住んでやるSII」
イメンストロームで一冬を越した主人公は,しかし自分の居場所であるは
ずのその場所でも,違和感と喪失感を禁じることができない。「僕はもはや
より良い日々を待つことはないだろう。何もかもがただ移り変わってゆくだ
け,僕は何も変わらない。切望したものの巾にいながら,何もかもが僕には
足りない鋤」。「美しい昼も僕には無意味だ,甘美な夜も僕には苦い。木陰の
安らぎよ’砕ける波よ’静寂よ’月よ’夜に歌っていた鳥たちよ,若き日々
の感悩よ’お前たちはどうなってしまったのか"'」。主人公は再び求めたア
ルプスの地も,もはや自分の心を燃え立たせることはないと悟る。「アルプ
スを,その湖の岸辺を,その山小屋の静けさを,時間と物事の永遠性と安定
を見たとき,僕は求めていたあの自然のたぐいまれな表情を知った。(中略)
僕は再び地上に降りた。そこではあの生命の本質的存在への盲目的な信仰が,
調和の取れた関係や完全さや明白な歓喜というあの幻想が消えてしまった。
それは無邪気な心なら楽しめるが,深みを得て冷静になった人,長い年月で
成熟した人は苦笑するような,きらめく仮税なのだ刷り。「君に告白する。イ
【
5
メンストロームや,思い出や,習慣や,子供っぽい叶画や,木々や,瞥斎や,
僕の愛着を楽しませることができたすべてのものが,僕の眼にはひどくつま
らなく惨めだった‘剛」。
主人公は虚無感に苛まれながら,長く空疎な生を生きてゆくだろう。それ
を物語るのが般後の手紙となる第89の手紙である。「たまには,自分がこの
地上を幽霊のようにさまよい眺めはするが何もこの手につかむことなどでき
ないのだということを忘れることもあった“'」。「僕はいま辺郎な谷にいる。
一所懸命に人生を忘れようとしている。高ぶりを抑えるために茶を求め,自
分を見失うためにワインまで飲んだ。家を建て,畑を耕している。そんなこ
とが僕の楽しみなのだ"'」。
以上見てきたように,「オーベルマン』は取り返しのつかない幼年時代や
若さ,かつて望んだが手に入れられなかったものへの感傷,愛惜,悔恨に貫
かれている。主人公は望み,憧れ,手を伸ばす。その象徴的な場面が,第7
の手紙に路られたダン・デュ・ミディ山への山行と山上(山頂ではない)で
の超越体験ということができるだろう。だが期待はいつも裂切られ,苦い挫
折感と幻滅が残る。主人公はまるで亡き人の遺品を弊る儀式のように,失わ
れた幼年期や損なわれた悩熱や希望を追想し,手放してゆく。オシアン詩篇
が過去への郷愁と死者への哀悼に彩られていたように,「オーベルマン」は
かっては存在した若さと純粋さへの追悼と鎮魂の物語なのだ。
若さは狩人の夢に似る。狩人は柔らかな陽の光のもと丘に眠るが,嵐の
只中に目覚める。周りには稲妻が飛び交い,腿風が木々の頭を激しく揺
する。そのとき狩人の魂は眠っていた静かな時に立ち返り,眠りの快い
夢を想う卿。(「オシアン」,「イニストナの戦い」より)
おわりに
再び「オーベルマン」という題名について考えたい。オーベルマンが「高
所の人」の意を持つことはすでに述べたとおりだが,これまで見たように,
「オーベルマン」の主人公が生活するのはアルプスの谷間の村やバリ,リヨ
粟
オーペルマン,ノーホエア・マン
ンなどの都会であり,主人公が「低地」と呼ぶ土地である。その意味で,主
人公は決してオーベルマンではない。山頂のすぐそばまで近づき,そこに存
する真実を垣間見ながら,主人公は山頂に立つことを拒まれ,嫌悪する下界
に戻らざるをえない。そして,オーベルマンの語に同棟に高地人を意味する
ハイランダーの含意がある可能性をわれわれは指摘したが,もしその可能性
に従うならば,主人公はオシアンの末商たるハイランダーになれなかった人
間であるともいえる。遥かな高みを希求しながら,主人公はいつも地上の挨
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『
〃
にまみれ,どこにいても自分の居場所はここではなし、という感覚から逃れら
れない。「オーベルマン」の主人公は現世において常に異邦人であり,自ら
の青春の魂を葬るためにきまよう流嫡者である。
だが,そのような苦渋にみちたこの書は,股後に一鯉の希望を残す。主人
公がいつか一冊の本を醤き,それがオシアンの隣に並ぶ日を夢想したことを
想起されたい。それもまた,主人公が目指したひとつの「111頂」といえるで
あろう。この小説の末尾,主人公はイメンストロームで荘漠たる日々を送り
ながら,残酷な人生の虚無にせめて一矢を報わんとするかのように,一冊の
本を著すことを決意する59'・オーベルマンとは,主人公が,そしてわれわれ
が,人生の無情を哀しみながらも時折振り仰ぐ遥かな高み,すなわち理想な
のかもしれない。
註
)
1 Sainte-Beuve.。M・deSenancourD、ReUuedePmS,le21janvierl832・
後にPbmmtscomempomms,t、1,Didier,1855に収録。
2
)
この1833年版よりセナンクールは題名をObemmnからObermCmnに改変
している。ドイツ風の色合いを付与しようとしたためであろうと推測されて
いる。C/:FabienneBercegol・qPresentatlon・inSenancour,Oberman・
GFFlammanon、2003.p、6.なお,セナンクールのドイツ脳には譲りが多
かったことがベアトリス・ル・ガルによって指摘されている。C/:B6atrice
1
15
1
34
陸Gall,LTmqgma蛇chGZSencmco皿LibmineJosもCorti,1966.t.2,
p、303.
Sainte・Beuve,Pb威mItscontempomIns.t,1.p・’49.
αLeGall,Qp,ciL,t、1,p,471.
支援者には,プレアとジョン・ヒュームの他.哲学者のデイヴイット・ヒュ
ーム,歴史学将のウィリアム・ロバートソンおよびアダム・ファーガソン.
5
〕
時人のトマス・グレイ,後に「オトラント城」(1764)でゴシック小脱の大
流行を起こすホレス・ウォルポールなどが名を辿れていた。
)
6 ここではオシアン詩篇の其贋をめぐる有名な「オシアン論争」には立ち入ら
ないが,その概要と意義を知るために好適な邦文献として以下の3点を挙げ
る。小菅全''1「オシアンと「偲他派』十八枇紀後半のガーリックをめぐる此
え響き」,中央大学人文科学研究所編「ケルト伝統と民俗の想像力」所収,
中央大学出版部,1991年,283-303頁c高橋哲雄「スコットランド歴史を
歩く」,岩波新書,2004年。玉田敬子「18世紀における「オシアン」と崇
商」,「ケルテイック・フォーラム」節】3巻,日本ケルト学会,2010年,
1
71
8
25-35頁。
高橋哲雄,前掲書,99頁。
LeTOurneur,Osskm,./YlsdeFYngα1,bar℃Iedu3、siさcIe;PD台sIes
galIjquestmduitessurI'αngIaIsdeMqCpherson,J、G・Dentu、1777.
ル・トウルヌールは翻択にあたり1765年の「オシアン作品災」を底本とし
ているが,時篇の排列に手を加え.原沓には採録されなかったマクファーソ
ン発表のオシアン詩篇を数篇加えている。
9
)
q:BeatriceD1dier.“剛峰mtu花deIaR6uoIut(o碗.ノmnCa1se,Presses
UniVersitairesdeFrance・’988,p、91.(邦択「フランス赦命の文学」.小
西酪幸訳,白水社,文叩クセジユ,1991年)
q:Bercegol,。p、ciL.P.5.
1
1
) C
fLeGall、Op、Cit,t、2,p、444.
1
2
} オシアン時細の仏択に関しては以下の2点の文献を上に参照した。PaulVan
1
0
〕
TYeghem・Ossianennwlce.F・Rjeder,1917;HowardGaskill,me
鋤剣司句刀副引q
l1111112
RecEpIionq/、OsskminEUmpe,Contjnuum,2005.
PaulVanTYeg1em,。p・Cit誉.t、1,pp、190-191.
Senancour.。p、Cu.、Lettre70.p、336.
1bid.、陸ttre78,p、356.
心雌,Lettre70.p、336.
VanTYe酌em,。p、ciL.t、2.p・’73.
Senancour・Qp・Cit..LettIを75.P、348.
LeTbumeur.。p、ciL.pp、84-85.
MarcelRaymond,Senancour‘sensqtIonSeIだじ台IatiOns・JoseCorti,
1965,p、20.
2
1
)
AddeVries.αctiOmnノq『SリmboIs〔mdImagenノ,North-Holland,1974.
gmountain。.(邦訳『イメージ・シンボル辞典」,山下主一郎他訳,大惟航
播店,1984年)
2
2
) 宮家巡細『山岱修験への州待」,新人物往来社,2011年,18頁。
2
3
) MirceaEliade,Initmtion、冗蛇s,SOCだI露secTもtes,Galllma1..1992.p,
171.(邦訳「生と再生」,堀一・郎択,東京大学出版会,1971年)
5
4
オーベルマン.ノーホエア・マン
2
4
) SenancOur‘。p、c化.Lettrc7.p,91.
2
5
〕
ベアトリス・デイデイエは,セナンクールが『オーベルマン」執箪以前から
フリーメイソンの雛式について何がしかの知職を持っていたであろうと述べ
1
11
12
1
61
71
81
93
0
2
2
2
2
33
ている。qEDidler,ScnqncDurmmfmcier・Sedes・’985,p,152.
q:吉村正和「フリーメイソン』,鋼談社現代新宵,1989年,67頁。
Senancour.Op、c雌.p,92.
1
b
i
d
.
,
p
、
9
3
.
1bid..pp、93-94.
1bid..Lettrel,p、60.
IbId.,Lettre7,p、95.
ナチス・ドイツにおける親衛隊Schutzstaf陸1.sSの階級のひとつに
Obexmann(親衛隊一等兵)というものがあるが,もちろん無関係である。
q/:JohnA,Engllsh・Sur丁でnderjnUItesDeaUt・StackpoleBooks,2011.
p
,
2
1
4
.
3
3
) LeGal1.。p、Cit..t、2.p、445.
3
4
) lb雌,t,1.p、189.
3
5
) Diderotetd,Alembert,EncgcIop台dIaBrlassonetc.,1751−1772.
11111111111111111111j
詑諏犯弱““狸偲“妬妬”幅⑬釦副錘顕型弱記
・Highlandersu(もcritparLouisdeJaucourt、17651.
LeTbumeur.。p、c化,p、xliii.
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x
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・
Senancour.。p・ci〔.,Lettrel.p,64.
JbkL.'おttrc2.p、65.
1bid..'傘tt正15,p,114.
I
b
I
d
.
.
p
、
1
2
2
.
IbId..LettrB37.p,166-167.
1bid..陸ttre42.p、196.
1bid.,陸ttre46.p、228.
lb【..,Lettre51.p、244.
1bid..陸ttre55.p、274.
1bid.、陸ttre60.p、284.
1bid.,陸ttre66,p,322.
1bid.,I緯ttre68,P、328.
1bid.,Lettre75,p、348.
1bid・
IbkL.p、350.
IbiEL,陸tt正84.p、381.
1bid,陸tt歴89.p,409.
5
5
1
1
1
75
85
9
5
Jbは.0p、410.
陸Tbumeur,Qp.c雌,p,150.
この点について,プルーストの「失われた時 求めて」やサルトルの「唱吐』
との劉似が指摘きれている。・鄭GaEtanP1con.gNote
と『オーベルマン」との劉似が指摘きれてい
,
surl,Oberm〔mdeS蛇
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communi”tions,Moutonopp、908-912;
30号
性『序脱」」,『紀要」,岡山大学教養部,30号
6
5
直幸「セナンクールの近代
91年,129-142頁。
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