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神の私への愛 No.13
こういのったら 神の私への愛 どうか br.Job t.,ofm. No.13 ― God’s love for me ― 人間は、いつか、どこかで、受難のキリスト・イエスに出会うのです。これは<疑 うことのできない確信>になっています。人間は「地獄にキリスト」あるいは「地獄 に仏」という体験をして、慈愛を末期の目で見つめるのです。 『支倉六右衛門、南蛮にてキリシタン宗門に帰依のこと、不届きの段、....再吟味 いたすゆえに、このまま評定所に出頭いたすべく、.....』 遠藤周作氏の描いた小説「侍」のラストは、侍の処刑をもって終わります。この侍 は藩命により渡欧し、藩の繁栄のために洗礼を受け、長旅の末に帰国してみれば、日 本はキリシタン禁令の世となっていました。便宜上、受けた洗礼でしたが、藩は侍を 処刑し、幕府への申し開きをはかります。その理不尽なあつかいを受けて、ふと侍は 「みすぼらしい」キリストを思い浮かべます。貧しい民衆(小者の与蔵もその一人で した)が、神としてイエスを仰ぐことに疑問を感じていた侍でしたが、.....その侍が、 今、キリストに<末期の目>を向けています。侍のキリストとの出会いを描きます。 「侍は屋根の向こうに雪の舞うのを見た。舞う雪は、あの谷戸のしらどり(白い鳥) のように思えた。遠い国から谷戸へ来て、また遠い国に去る渡り鳥。あまたの国、あ またの町を見た鳥。あれが彼だった。 『ここからは、......あの方が、お供なされます』 突然、背後で小者の与蔵の引きしぼるような声が聞こえた。 『ここからは、......あの方が、お仕えなさいます』 侍は立ち止まり、ふりかえって大きくうなずいた。そして黒光りのする冷たい廊下 を、彼の旅の終わりに向かって進んでいった」(遠藤周作著「侍」から借用) 人間は栄光のキリストに出会う前に、十字架の主に出会うように感じます。順境の 時にこの神秘が分かるなら、それは受難と死を黙想するからではないでしょうか。 心で祈るために: ☆ もっとも慕わしいキリストをイメージして、対話をしてください。 ☆ 苦しむイエスを知って、内側で覚える思いがありますか。 ☆ イエスは私のために死なれて、キリストとなられたことを信じますか。 聖書の個所: マタイ 26:36―56 ゲッセマネでのイエスの態度と言葉 ル カ 23:32―43 十字架上のイエスの態度と言葉 使 徒 9:10―18 選ばれた器、サウロの回心と喜び