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日本における海外旅行保険の誕生と 約款の歴史的変遷 - JAFIT

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日本における海外旅行保険の誕生と 約款の歴史的変遷 - JAFIT
日本国際観光学会論文集(第21号)March,2014
《論 文》
日本における海外旅行保険の誕生と
約款の歴史的変遷
さ き も と
ま さ
と
先本 将人
ジェイアイ傷害火災保険株式会社
The research of the overseas travel insurance in Japan is not advanced compared with that of other automobile insurances and
the fire insurances.
As a starting point of the research of overseas travel insurance the purpose of this research is to clarify the birth and historical
changes of policy conditions of the overseas travel insurance in Japan.
1.はじめに
ニッチな保険種目である海外旅行保険
を意味している。従って永住目的で海外
旅行者個人を保険契約者として海外旅
に関わる書籍は若干あるが、これに関わ
へ行く人や、永住権をもって外国に居住
行保険に加入をして、保険金請求する割
る研究論文は日本では皆無であり、充分
する人は除外をされている。商品によっ
合は年々増加をしている。また海外旅行
な研究が進んでいない分野である。本研
ては海外旅行方面や被保険者年齢等(主
中に旅行者が晒されるリスクについて
究の目的は、海外旅行保険研究の足掛か
に70歳以上)のリスクに応じて、リスク
も、従来のケガや一般的な病気、手荷物
りとして、日本における海外旅行保険の
細分型で保険料率を変えることがある。
の盗難等に加えて、テロリズム・伝染病・
誕生と損害保険商品自由化解禁(1998年
旅行代理店を通じて旅行者個人に販売
新型インフルエンザなどの新たなリスク
5月22日)までの歴史的変遷を明らかに
される海外旅行保険商品の主な特約には
についての対応が求められ、これにとも
して整理をすることにある。
傷害死亡・傷害後遺障害・治療救援費用・
ない海外旅行保険で補償される範囲は拡
傷害治療費用・疾病治療費用・疾病死亡・
大をして進化を続けている。
2.現代の日本の海外旅行保険
賠償責任・救援者費用・携行品損害・航
しかしながら、日本の損害保険種目の
現在日本で旅行者個人が契約者および
空機遅延費用・旅行事故緊急費用・旅行
なかで海外旅行保険は、正味収入保険料
被保険者になる旅行保険という括りで考
キャンセル費用等がある。
の額からみて、極めてニッチなマーケッ
えると、国内旅行保険、国内航空傷害保
トである。日本における海外旅行保険の
険、海外旅行保険、旅行総合保険、宇宙
3.世界における旅行保険の誕生
年間正味収入保険料は各保険会社が数字
旅行保険の5つがある。旅行総合保険は
3・1 イギリスにおける鉄道の発明と
を公表していないため正確なデータはな
国内旅行中と海外旅行中の両方を補償す
いが、旅行会社を販売チャネル(販売代
る保険商品である。
傷害保険は、急激かつ偶然な外来の事
理店)として販売する海外旅行保険は年
海外旅行保険は、海外旅行中の様々な
故によって被保険者が傷害を受けた場合
間700億円から800億円と推定されてい
リスクに対応して、損害保険商品の中で
に、その程度に応じて、一定の約定によ
る。
(この他に旅行会社以外の損害保険代
も旅行中の疾病リスクを補償することに
り保険者が保険金を支払うという保険
理店や保険会社の直接販売の収入保険料
大きな特徴がある。一般の保険は、保険
で、諸外国にあっても古くから創設され
が加わるが、この部分の正確な数字も不
会社の責任期間として日時を定めた始期
販売をされてきている。
明である。)一般社団法人 日本損害保険
から終期までを保険期間としているが、
傷害保険の発祥の国はイギリスであ
協会「ファクトブック2013日本の損害保
海外旅行保険はその期間内かつ海外旅行
る。イギリスにおける鉄道の発明と発達
険」によると2012年度の損害保険全体の
行程中に発生した保険事故を対処として
が、傷害保険の誕生に大きく関わってい
正味収入保険料は約7兆3,718億円にな
支払責任をもつと定めている。この海外
る。18世紀に欧州で興った産業革命は
っている。いずれにしても海外旅行保険
旅行行程中とは、旅行者が保険証券記載
様々な機械化と工業化をもたらし、1814
の占める割合は損害保険全体からみると
の海外旅行の目的を持って、住居を出発
年には世界で初めての蒸気機関車をイギ
極めて少ないと言える。
してから住居に帰宅するまでの旅行行程
リスの「鉄道の父」と言われるジョージ・
-35-
発達
日本国際観光学会論文集(第21号)March,2014
スティーブンソンが発明した。鉄道博物
表1:鉄道旅客保険会社の販売当時の鉄道傷害保険内容
館「井上勝と鉄道黎明期の人々」(2010)
によれば、1825年にはイギリスのストッ
クトン~ダーリントン間で世界最初の公
共鉄道が開業をして、その後欧米を中心
とし て 鉄 道 は 急 速 に 広 ま っ て い っ た。
1830年にはジョージ・スティーブンソン
傷害事故
死亡保険金(※)
保険料
1等乗客
2等乗客
3等乗客
1,000ポンド
500ポンド
200ポンド
3ペンス
2ペンス
1ペニー
(※)死亡にいたらない傷害は傷害の程度(心身の苦痛、時間または金銭的損失を含む)に応
じ死亡の場合の保険金額を限度とする合理的な金額
出所:安田火災海上保険㈱「傷害保険の理論と実務」を基に筆者作成
が息子のロバート・スティーブンソンと
共同で設計・制作した「ロケット号」が
対象は鉄道員にまで拡大をされ、ランカ
な検討が行われたが、結局欧米の例にな
リ バ プ ー ル ~ マ ン チ ェ ス タ ー 間(約
シャー/ヨークシャー鉄道の使用人の勤
らって損害保険として扱われた。その後
200km)を最高時速46.6km、約4時間30
務中の事故について、包括的な保険証券
時代は昭和になって火災保険会社や海上
分で走っている。
が1851年にだされており、現在の団体傷
保険会社でも傷害保険をあわせて販売す
しかしその頃の汽車は大変に危険な乗
害保険の萌芽はこの時期まで遡ることに
るようになり、多くの損害保険会社が傷
り物で、1830年9月15日の開通式の時に
なる。
害保険を扱うようになった。
開通記念列車に試乗をした下院の指導者
1850年には鉄道事故による傷害だけで
ちなみにわが国における最大の保険種
が汽車にひかれてしまうという事故があ
なく、全ての傷害保険を補償する「普通
目である自動車保険の創設は遅れること
ったということである。(木村栄一「損害
傷害保険」
の会社が設立された。つまり、
3年の1914年になるので、旅行保険の方
保険の歴史と人物」、2007)
傷害保険の始まりは鉄道事故の傷害をリ
が歴史的に古いことになる。
木村栄一「損害保険論」
(2006)によれ
スクヘッジすることに由来をして、その
ば、1849年1月19日付けのザ・タイムズ
後日常生活を補償する傷害保険へと補償
4・2 創設時の内容
紙は次のように当時の鉄道の様子を報じ
範囲が広がったのである。
1911年に営業が開始された傷害保険の
ている。
専門会社である日本傷害保険株式会社の
“railway accidents are almost of daily
4.日本における海外旅行保険の誕生
基礎資料によれば、傷害保険の種類と料
occurrence, generally ending in loss of
4・1 日本傷害保険株式会社の設立
率は以下の通りということである。
(損害
limb-often of life”
木 村 栄 一「損 害 保 険 の 歴 史 と 人 物
保険料率算定会料率業務部「傷害保険料
率の変遷」
、1991年)
「鉄道事故がほとんど毎日のように起こ
(2007)」によれば、わが国における旅行
り、多くの人が手足をなくしております
保険の誕生は、粟津清亮法学博士による
基本となる保険種類は普通傷害保険と
が、しばし死亡者もでています。」
ものである。粟津博士は1900年にパリで
旅行傷害保険である。旅行傷害保険の中
開催された保険の国際会議に出席をした
には国内旅行の鉄道旅行中の傷害危険を
3・2 鉄道傷害保険の誕生
機会を利用して、欧米の保険事業を視察
担保する「鉄道旅行傷害保険」と日本国
このような状態だったので、1848年に
した。そして欧米では汽車や汽船その他
内外の旅行中の傷害危険を担保する「海
は ロ ン ド ン に「鉄 道 旅 客 保 険 会 社」
の交通機関の利用による死亡や傷害を保
陸旅行傷害保険」があった。この「海陸
(Railway Passengers Assurance Co)が
険する「旅行奇災保険」が、工場や鉱山
旅行傷害保険」は現在の海外旅行保険の
設立され、鉄道の切符と同じ大きさの鉄
その他の職業上の奇災に対して保険する
ルーツである。
道傷害保険のチケットが駅の改札口で発
「職業奇災保険」
、日常生活で被った傷害
傷害保険の料率については、事業方法
売された。世界で最初の傷害保険は鉄道
を保険する「平常奇災保険」と同様に発
書と算出方法書にそれぞれ記載をされて
事故による傷害を対象にはじめたもので
達していることを知ることになる。そこ
いるが保険料の算出基礎に関しては、わ
あるといわれており、またアメリカでも
でわが国にもこの奇災保険と訳される保
が国はじめての事業であり傷害統計がな
1850年に同様に鉄道傷害保険は発売され
険、つまり傷害保険を作る必要があると
いことから主として諸外国の実例を参考
たということである。(木村栄一「損害保
考え、こうして農商務省に保険会社の設
としている。特に普通傷害保険について
険の歴史と人物」、2007)
立を申請して、日本で最初の傷害保険専
はドイツのアリアンツ傷害保険会社のも
また安田火災海上保険㈱「傷害保険の
門会社「日本傷害保険株式会社」
(現在の
のを、旅行傷害保険についてはドイツの
理論と実務」
(1980)によると販売促進の
株式会社損害保険ジャパン)が1911年に
ケルン傷害保険会社やロンドンのエムプ
ため駅の事務員には販売手数料が支払わ
誕生したのである。
ロイヤーズ・ライヤビリチー保険会社に
れて、駅長は保険会社の株式の10%まで
販売当初は行政でも、傷害保険が損害
よる保険料を参酌して定めていた。旅行
の所有が認められていた。その後保険の
保険なのか生命保険なのかについて慎重
傷害保険に付帯する主な特約としては、
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日本国際観光学会論文集(第21号)March,2014
登山担保特約や航空機搭乗担保特約があ
る。保険販売の場所が鉄道の駅から航空
も少なくないなど、不具合があった。そ
り、割増保険料を徴収することにより付
機の空港へと変わったが、旅行出発間際
こで1936年に統一的改正約款案の作成が
帯をしていた。
に旅行交通手段の乗り場で保険販売をす
決議され、1941年にようやく改正案を脱
るという、現在の海外旅行保険販売ビジ
稿したが、そのうちに太平洋戦争の勃発
4・3 創設時の旅行保険の販売方法
ネスモデルのルーツをここに見ることが
もあって一時棚上げになる。そして終戦
日本傷害保険株式会社は、営業開始と
できる。
後に再び保険料率改正ならびに保険約款
同時に鉄道の駅構内売店や切符販売所を
問題が取り上げられ、以前の改正案を検
保険代理店として委託契約をして、旅行
5.海外旅行保険の歴史的変遷
討修正して新改正案を作成して、1947年
保険の契約獲得に努めていたといわれて
5・1 海外旅行保険約款の統一
8月に各社一斉に統一の保険約款を採用
いる。現在に置き換えると、JR等の鉄道
さ き に も 述 べ た よ う に 傷 害 保 険 は、
するに至った。
各社と保険会社が代理店委託契約をして
1911年日本傷害保険株式会社によって営
改札口付近や駅構内のキヨスク等で国内
業が開始されて、海外旅行保険は傷害保
5・2 海外旅行保険の商品確立
旅行保険の販売をしていたことになる。
険普通保険約款に旅行傷害危険担保特約
保険約款が統一された後もいくつかの
危険な旅行交通手段の主力が鉄道から
を付帯することで販売された。その後次
課題が残っていた。海外旅行保険におい
航空機に変わった現在においては、日本
第に一般の損害保険会社でも海外旅行保
ては、旅行地域を3地域に分けて、それぞ
各地の空港構内の保険代理店に委託をし
険を販売開始したが、各社とも内容を異
れの保険料率を決定して、航空機の搭乗
て、対面販売のカウンターや自動販売機
にする保険約款を使用していたため、不
危険についても割増保険料を取って担保
を設置して海外旅行保険を販売してい
合理な点や保険約款解釈上疑義を招く点
するなど、
外国の保険会社と比較して保険
料率の差は非常に大きいため新制度の開
図-1 日本傷害保険株式会社の広告
発の必要性があった。また医療保険金に
ついても従来の定額払い方式ではなく、外
国の保険会社と同様の実費を担保するこ
とが検討された。こうして、1951年12月に
乙種海外旅行傷害保険が新設された。
(従
前の海外旅行傷害保険は実務上「甲種」と
して区別した。
)航空搭乗危険の割増保険
料は不要として、医療保険金を実費担保
にするなど、現在の海外旅行保険の原型
を感じさせる商品が誕生した。
同年4月にはアメリカン・インターナ
ショナル・アンダーライターズ社(現在
の AIU 保険会社の前身)が米国のハノ
バー・インシュアランス・カンパニー社
の英文海外旅行保険約款に日本語訳を付
出所:「損害保険の歴史と人物」
して、大蔵省から海外旅行傷害保険の認
表-2 日本における海外旅行保険誕生までの略歴
可を受けた。このように1951年はわが国
年
1814年
1825年
1830年
1848年
1848年
1850年
1872年
主 要 事 項
・イギリスでジョージ・スティーブンソンが蒸気機関車を発明
・イギリスで蒸気機関車「ロコモーション号」がストックトン~リントン間を走行
・イギリスで蒸気機関車「ロケット号」がリバプール~マンチェスター間を走行
・ロンドンに鉄道旅客保険会社が設立
・イギリスで世界最初の鉄道傷害保険が販売
・アメリカで鉄道傷害保険販売
・日本で新橋~横浜間の鉄道開通
・粟津清亮法学博士がパリで開催をされた保険の国際会議に出席をして欧米の保
1900年
険事業を視察する。
・日本傷害保険株式会社によって日本で最初の旅行保険(現在の国内旅行保険と海
1911年
外旅行保険)が販売開始される。
における海外旅行保険の商品確立の元年
となった。
5・3 疾病危険担保特約の新設(1964
年11月1日)
現在保険業法では、保険を生命保険固
有分野(いわゆる第一分野の保険)、損害
保険固有分野(いわゆる第二分野の保
険)
、生命保険・損害保険のどちらともい
えない分野を第三分野の保険として、3
出所:「損害保険の歴史と人物」を基に筆者作成
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日本国際観光学会論文集(第21号)March,2014
表-3 疾病危険担保特約新設時の保険料(保険期間1年)
疾病治療を傷害治療の場合の担保範囲
①入院費および入院諸雑費
支払限度額(1疾病70日を限度とする)
入院費
保険料
(1日当りの限度額)
入院費
入院諸雑費
5,400円
378,000円
54,000円
12,960円
(イ)
(36ドル)
(15ドル)
(1,050ドル)
(150ドル)
17,640円
7,200円
504,000円
72,000円
(ロ)
(20ドル)
(200ドル)
(49ドル)
(1,400ドル)
②職業看護費
入院費
支払限度額(1疾病70日を限度とする)
保険料
(1日当りの限度額)
3,600円
252,000円
4,320円
(イ)
(700ドル)
(10ドル)
(12ドル)
5,400円
378,000円
6,480円
(ロ)
(15ドル)
(1,050ドル)
(18ドル)
③手術費
支払額
保険料
(イ)
基本手術費表の額
2,700円(7.5ドル)
(ロ)
基本手術費表の2倍の額
3,600円(10ドル)
(ハ)
基本手術費表の3倍の額
5,400円(15ドル)
(ニ)
基本手術費表の4倍の額
7,200円(20ドル)
(ホ)
基本手術費表の5倍の額
9,000円(25ドル)
と同一にして、入院と通院を問わずに保
険金支払いを全て実費払いとして欲しい
との旅行者からの要望が強かったので担
保内容の明確化をした。また事務の取扱
い簡素化を併せて改定をした。
海外旅行中の危険を総合的にカバーす
る特約としてあらたに、賠償責任危険担保
特約・携行品損害担保特約・海外旅行傷
害保険特別費用担保特約(現在の救援者
費用特約)
の3つを新設した。いずれの特
約も現在の海外旅行保険の商品構成に不
可欠なものであり、約款が独立化されたこ
とも相まって、名実ともに海外旅行保険の
商品が確立をされた年となった。
5・6 保険料率の自由化(1998年5月
22日)
つに大別している。当時、疾病危険は生
金額を全額支払うようになる。
命保険分野であるという解釈であったの
で、損害保険分野である海外旅行保険は
疾病危険の補償対象外だった。しかしな
国民のレジャーの多様化・大型化およ
び商取引の国際化などにより日本人の海
5・5 海 外 旅 行 保 険 の 約 款 独 立 化
(1974年8月1日)
外渡航者数は増加の一途を辿り、1986年
には約550万人に達し、1990年には1,000
がら海外旅行者から海外で疾病危険を補
これまで海外旅行保険は普通傷害保険
万人を超える日本人が海外渡航をした。
償することについての要望が次第に強ま
の普通約款に第1種あるいは第2種海外
この渡航者数の増加に伴い、海外旅行保
った。1964年4月に日本人の海外旅行が
旅行傷害保険特約を付帯したものを基本
険の加入者数も増加をし、収入保険料も
解禁になったことも当然背景にあり、旅
契約として、それに疾病あるいは疾病死
順調に推移をしていく。
行者の便益を図る面からも、海外旅行行
亡の特約を付帯して引き受けていた。
国民所得水準の向上、自由時間の増大、
程中に疾病にかかり支出をした、入院費、
しかしながら、内容形式ともに海外旅
手軽にできる海外主催旅行の普及などを
職業看護費および手術費を補償する疾病
行のリスクをカバーする実情とはあわな
背景とした海外旅行ブームにより1996年
危険担保特約が新設された。旅行者が女
くなっていた。保険期間は普通傷害保険
には短期の旅行者から長期の旅行者まで
性の場合は15%の割増保険料をとること
とは違いほとんどが1ヶ月未満と短期で
あわせて海外渡航者数は1,700万人を超え
とし、保険料と保険金額はアメリカドル
あり継続性がないという質的な特性があ
た。この海外旅行者を対象とした海外旅行
と日本円の両方で表示をされた。この両
り、今後契約量の増大が見込まれること
保険は主要な大衆保険商品の1つとなる。
平価表示は変動相場制度の移行に伴いド
から取扱いの簡素化を図る必要性があっ
旅行者からの要望に応えて海外旅行を
ル表示が削除される1971年8月まで続く
た。このため海外旅行保険は独立約款に
取り巻く危険を総合的に担保する魅力的
ことになる。保険期間1年での保険料は
改めることになる。また保険料率につい
な商品にすべく1974年の海外旅行保険の
以下の通りである。
ては、業法認可料率から算定会料率へ移
約款独立化から1996年までの22年間で合
行することになり「損害保険料率算出団
計7回にわたる保険約款の改定と保険料
体に関する法律」により申請手続きを行
率の見直しを行った。
うことになる。
1996年に保険業法改正による保険料率
5・4 疾病死亡危険担保特約の新設
(1969年10月1日)
疾病危険担保特約の新設から5年後、
海外旅行者数が順調に推移していく中で
海外旅行中の疾病による死亡を担保して
欲しいとのニーズが高まってきた。そこ
で疾病死亡危険担保特約を新設して、疾
病により死亡したときにも疾病死亡保険
表-4 海外旅行保険の約款独立化に伴う主な改定
1
2
3
4
5
疾病治療の担保拡大と実費支払化
賠償責任危険担保特約の新設
携行品損害担保特約の新設
海外旅行傷害保険特別費用担保特約(現在の救援者費用特約)の新設
保険料率に関する申請手続きの変更(算定会料率への変更)
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日本国際観光学会論文集(第21号)March,2014
自由化が決まり、1998年5月22日に施行
の保険約款を採用するに至るまでの時期
からも、海外旅行行程中の疾病危険を補
されて、全保険会社が同一の保険約款と
を「創設期」と整理をする。保険約款を
償する必要があった。1964年11月に海外
保険料率を使用する時代、いわゆる護送
統一することにより今後の発展に向けて
旅行行程中に疾病にかかり支出をした、
船団方式は終焉をむかえて、海外旅行保
の保険商品の基盤整備が完了した。
入院費、職業看護費および手術費を補償
する疾病危険担保特約を新設し、1969年
険は商品自由化の時代に突入をして現在
6・2 確立期(1947年9月~1964年
に至る。
3月)
10月には疾病死亡危険担保特約を新設し
た。損害保険商品の中でも、海外旅行保
6.歴史的変遷の整理
保険約款が統一された後もいくつかの
険は疾病リスクを補償することに最大の
1911年の日本傷害保険株式会社営業開
課題が残っていた。特に外国の保険会社
特徴がある(国内旅行保険は補償対象
始による海外旅行保険の誕生から、1998
と比較して保険料率の差は非常に大きい
外)
。
現代の海外旅行保険の保険請求件数
年の海外旅行商品自由化にいたるまでの
ため新制度の開発の必要性があった。こ
の約50%は疾病リスクに関わることであ
歴史的変遷を、上記を踏まえて主に保険
のようなことを背景に1951年4月にはア
ることを考えると、日本人の海外旅行が
商品の認可取得と商品改定(特約新設に
メリカン・インターナショナル・アンダー
解禁時期に合わせて疾病リスクを補償す
よる補償範囲拡大)、そして海外旅行渡航
ライターズ社が米国のハノバー・インシ
る特約を新設した意義は大きく重要な
者数の伸長の観点から以下の通り創設期
ュアランス・カンパニー社の英文海外旅
ターニングポイントになった。
→確立期→発展期→拡大期の4段階に整
行保険約款に日本語訳を付して、大蔵省
理をする。
から海外旅行傷害保険の認可を受けた。
また同年12月に乙種海外旅行傷害保険が
6・4 拡大期(1974年8月~1998年
4月)
6・1 創設期(1911年~1947年8月)
新設された。現在の傷害治療費用にあた
海外旅行保険は普通傷害保険の普通約
イギリスでの鉄道傷害保険誕生から約
る医療保険金を実費担保にするなど、外
款に各種特約を付帯してきたが、今後契
60年以上遅れて、1911年日本傷害保険株
国の保険会社のスタンダートに追いつ
約量の増大が見込まれることから取扱い
式会社の設立により海外旅行保険が日本
き、現在の海外旅行保険の原型を感じさ
の簡素化を図る必要性があり、1974年に
に誕生した。海外に行く日本人が極めて
せる商品を確立させた。
独立約款に改めることになった。同時に
限定的であった時代であり、また各保険
会社で異なる保険約款を使用して、保険
新設をした3つの特約は(賠償責任危険
6・3 発展期(1964年4月~1974年
7月)
約款の解釈も異なるなど混迷をしていた
担保特約・携行品損害担保特約・海外旅
行傷害保険特別費用担保特約(現在の救
時期もあった。太平洋戦争の終戦後に保
1964年4月に日本人の海外旅行が解禁
援者費用特約)
)
補償する範囲を著しく拡
険料率改正ならびに保険約款問題が取り
になり、今後の海外渡航者数の飛躍的な
大した。それまでは、海外旅行者本人の
上げられ、1947年8月に各社一斉に統一
伸長が見込まれて旅行者の便益を図る面
傷害と疾病リスクのみの補償であった
が、第三者からの賠償リスク、身の回り
表-5 海外旅行保険の誕生と歴史的変遷の整理
変遷
時期
品等の盗難・破損リスク、海外旅行者本
主要事項
海外渡航者数
人が傷害や疾病にかかった場合に家族が
・日本傷害保険株式会社営業開始(海外旅行保険販
売開始)
・各保険会社での海外旅行保険販売普及
・海外旅行傷害保険の統一約款が採用
海外現地に行く渡航費用や滞在費用を補
・ハノバー・インシュアランス・カンパニー社が海
1948年
確立期
外旅行傷害保険の認可取得
9月以降
・乙種海外旅行傷害保険の新設
年までの22年間で合計7回にわたる保険
1911年
創設期
以降
・海外旅行の自由化解禁
1964年
発展期
・疾病危険担保特約の新設
4月以降
・疾病死亡危険担保特約の新設
行者の多様なニーズを応えるべく、1996
約款の改定と保険料率の見直しを行い
12万人(1964年)
49万人(1969年)
・海外旅行傷害保険特約の約款独立化
・賠償責任危険担保特約の新設
1974年
拡大期
・携行品損害担保特約の新設
8月以降
・海外旅行傷害保険特別費用担保特約の新設(現在
の救援者費用特約)
成熟期
償するようになった。このあとも海外旅
1998年5月22日以降、海外旅行保険は商
品自由化の時代に突入をした。
(成熟期)
その後海外旅行保険誕生の当時では想
像もできなかったと思うが、派生的に宇
233万人(1974年)
1998年
・海外旅行保険商品自由化(護送船団方式の終焉) 1,580万人(1998年)
5月以降
宙旅行保険まで開発をされた。海外旅行
保険は、旅行者の多様な旅行中のリスク
実態と旅行者のニーズに即した総合的な
保険として現在に至るまで発展を続けて
いるのである。
出所:筆者作成
-39-
日本国際観光学会論文集(第21号)March,2014
引用文献
1.鉄道博物館「井上勝と鉄道黎明期の
人々」鉄道博物館、2010年、2頁~
3頁、6頁~7頁
2.木 村栄一「損害保険の歴史と人物」
社団法人日本損害保険協会、2007年、
19頁~20頁、32頁
3.木村栄一・野村修也・平澤敦「損害保
険論」有斐閣、2006年、12頁、215頁
4.損害保険料率算定会料率業務部「傷
害保険料率の変遷」1991年、1頁、
137頁、140頁
5.安田火災海上保険㈱「傷害保険の理
論と実務」1980年、112頁~113頁
【本論文は所定の査読制度による審査を経たものである。
】
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