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Page 1 Il Ilオだよりl 雑学シリーズ39 実は外国の歌でした。 日本の愛
‖ ーズ39 I IIオ た,(井 ι l 雑学シリ しか し、大部分 の少年兵は故郷 に還 ることがあ りませ んで した。 2013/2/5 塞旦昼 国の歌で した。 日本 の愛唱歌 の 中には、一 般 に 日本 の歌 曲 と思われてい るが 、原 曲は実は外 国 の歌 とい うのが よくあ ります。例 えば前号 の 「仰 げば尊 じ」「蛍の光 」 はそ の典型 です が 、今 回はそ の よ うな歌を特集 してみま した。 次年度 の練習 曲の候補 として ご検討 い ただければ大変嬉 しく思 い ます。 。「旅愁」 (♪ ふ け行 く秋の夜 1907年 (明 旅の空の∼ ) 治 40年 )に 発表 された音楽教科書 「中等教育唱歌集」で取 り上 げ られ て以来 、 日本人 に広 く親 しまれて きま した。 原 曲はジ ョン・P・ オ ー ドウェイによる “ Dreaming of Home and Mother" (家 と母 を夢 見て)と い うアメ リカの歌です 。 歌詞 は詩 人 の大童球渓 )が 訳 した翻訳唱歌です。 (い んどうきゅうけい 私 は子供 の 頃、蓄音器 で この歌 を何度 も聴 いてい ま した。 この 歌は 「日本 の歌百選」 に選 ばれてい ます。 これ は平成 19年 に文化庁 と 日本 PT_4全 国協議会 が 、親子 で永 く歌 い継 いで欲 しい歌 101曲 を選 んだ もの で 、 これ に選 ばれた とい うこ とは 「日本 の 歌」 として帰化 した とみなせ ます 。 。「故郷の廃家 J(♪ い くとせふ るさと 来てみれば∼) アメ リカの作 曲家 ウィ リア ム・ヘ ィ ス による “ My Dear Old Sunny HOme"に 、犬童球 渓 が訳詞 をつ けた もの で 、明治 40年 に 中等教育 唱歌に選定 され ま した。 元 は外 国 の歌ですが 日本人 の郷愁 を誘 い ます。 硫黄 島へ の空襲が激化 してい く中、夕方 に な って米軍機 が 引き上 げ る と、地下壕 か ら出て きた少年兵 た ちは夕 日を見なが らこの歌 を合 唱 し、遠 い故郷 を思 い 出 して はお互いに励 ま し合 つた と言います 今 も年 1回 硫 黄 島で行 なわれて い る慰霊祭 には、 この 歌が歌われて い ます。 O「 埴生の宿」 (♪ 埴生 の宿 も我が宿 玉の い 装 うらやま じ∼) 原 曲はイギ リスの作 曲家ヘ ン リー 。ロー リー・ビシ ョ ップの作曲 した “ Homel Sweet HOmel"(楽 しき我 が家)と い う曲で、里見 義 の訳詞 で知 られてい ます 。 なお、「埴生 の宿」 とは 「貧 しい小 さい家」 の意味です。 映画 「ビルマ の 竪琴」の挿入歌 になっていま した。 ビルマの戦場 で 日本兵 が 敵イギ リス兵 と森 を隔てて 「埴生 の宿」 を合唱す るシー ンが感動的で した。 この歌 も 「日本 の歌百選」に選 ばれ ています。 Or冬 の星座」 (♪ 木枯 らしとだえて さゆ る空 よ り∼ ) この歌 の原 曲は 、「故郷 の廃家」 と同 じくア メ リカ の作 曲家 ウィ リア ム・ヘ イ ス が作 曲 した “ M011ie Darling"(愛 しのモ リー)と い う甘 い ラブ ソングで 、 星 とは 関係 の な い 歌です が、堀内敬 三が格調 の高い歌詞 に しま した。 凍 てつ く冬 の夜空 に明る く輝 く星 々 を歌 つた この唱歌 は、新制 中学設 立 当初 の昭和 22年 に発行 された 「中等音楽 1」 に載 つて い る文 部省唱歌です。 私 はその年 に 中学 に入 学 しています が 、戦後 の どさくさの 中で教科書 もな く 学校 で教 わった記憶 があ りません。 しか しなぜかよ く知 っています。 これ も 「日本 の歌百選」に選 ばれ ています。 。「星の界 (よ )」 (♪ 月なきみ空に き らめ く光∼ ) 「星 の界」は明治 43年 、中学校 唱歌 として 登場 しま した。 原 曲はアメ リカの作 山家チャール ズ・コン ヴァースの作 曲 した讃美歌 312番 “いつ く しみ深 き友 なるイ エ ス は "で す。作詞は杉 谷代水 (だ いすい)で す。 。「故郷の空 J(♪ 夕空晴れ て秋風吹 き 月影落ちて鈴 虫鳴 く∼) 「故郷 の空」 は明治 21年 に発表 された 「 明治唱歌」 の 中にある歌で 、明治 か ら現在 まで永 く歌 い継 がれて い る小 学唱歌です。 作詞者 は鉄 道 唱歌で有名 な大和 田建樹 です。 (軽 く ボ ー トを漕 げ )と して 19世 紀 前 半 には広 く歌 われ て い ま した 。 日本語 の歌詞 は尾張地方 に古 くか ら伝 わる 「わ らべ 唄」 と言 われ ています。 迦 (♪ こおれる月か げ 空に さえて 真冬 の あ ら波 よす る小 島 ∼) 原 曲は 1881年 にニ ュー ヨー クで 出版 された讃 美歌集 に載 つてい る讃美歌 の であま り歌 われ ていませ んが 、 日本では 「故郷 の空」 として教育的 な唱歌 として歌 “ The Golden Rule"(黄 金律 )で す。 日本 で初 めて紹介 された の は明治 21年 (1888年 )に 出版 された 「明治唱歌 第 3集 」 です。「灯台守」は勝承夫 の作詞 です が 、他 に 「旅泊」 (大 和 田建樹作 われ てきま した。 日本 のふ る さとを描 い た 日本画 を見 るよ 詞 )や 「助 け船」 (佐 佐本信綱作詞 )な どの同曲があ ります。 うです。 0「 むすんでひ らいて 」 (♪ むすんでひ らいて 蠅 い う曲 とな り、ア メ リカで は “Lightly Row" O「 灯台 猥 な歌 、 とい うイ メー ジが持たれ ています っ イ ギ リスでは麦畑 でイチ ャィチ ャす る卑 , っ 4フ3・ した ら、 こち らの 方が原 曲に近 い本来 の歌詞で した。 ・ T ボクには恋人いないけど ぃっかは誰かさんと麦畑 ザ ドリフ ター ズ が歌 う 「誰 か さん と誰 か さん」 の方 が替 え歌 と思 つてい ま では “Hinschen klein"(幼 い ハ ンス )と ●フ事中 0■ ♪誰かさんと誰/DAさ んが麦畑 チ ュッチュチュッチュしている麦畑 それ が ョー ロ ッパ 各地 に伝 わ り、ドイ ツ 静●聴,= 〓す曇 原 曲は ス コ ッ トラン ド民謡 で 、 “Comin'Thrd the Rye"「 ライ麦畑 で 出会 う とき」 とい う題名 です。 手 を うってむす んで∼) 誰 で も歌 った こ とのある 「むす んでひ らい て」 を作 曲 したの は、フ ラ ンスの 大思 想家 のジ ャ ン・ ジャ ック 。ル ソー です。 1752年 にルイ 15世 の前 で公 演 されたオペ ラ「村 の 占い 師」の第 8場 のパ ン トマ イ ム劇 で用 い られ た曲だそ うです。 ル ソー は「社会契約論 」な どで有名 になる前 に、専 門的 に音楽 を学んでお り、 何 曲か作 曲 しま した。 その うちの一 曲が 「むすんでひ らいて」 で した。 日本語 の作詞者 は い まだ不明です。「日本 の歌百選」 に選 ばれています。 今 は幼稚園や保 育園で手 遊び歌 として定着 してい るこの歌ですが、かつ ては ・ 1思 い 出 (久 しき昔 )」 (♪ 壇 に赤 い花 さく いつかの あの家∼) 文部 省 唱歌ですが原 曲はイ ン グラン ド民謡 です。 イギ リスの作 曲家 トーマス・ヘ ー ンズ・ベ イ リー が 1833年 に古 くか らあっ たイ ン グラ ン ド民謡 を今 の形 に整 えた とい われています。 久 しぶ りにあった昔 の恋人 と、過 ぎ去 った 日々 の思 い 出を語 り合 い 、ともに 懐 か しんで再会 の喜びをかみ しめ るノス タル ジ ックな歌詞で、題名 は “ Long, long ago'' です。 日本 には 明治 23年 に入 つて きてお り、「明治唱歌第 1集 」 に 「旅 の墓」 (大 和 田建 樹作詞 )の 題名で発表 されています。 2年 、近藤朔風 が、長 い 問別れて いた遠 い音 の恋人が帰 つて きて 、昔 の思 歌詞 を代 えてで讃美歌 として歌 われ た り、「見渡せ ば」とい う童謡 であった り、 大正 い 出を語 り、今 も愛 は変わ らない と告 げる、原詞 に近い訳詩で 「久 しき昔」 と 「戦 闘歌」 とい う軍歌 として歌われ るな ど 、数奇 な経歴 をもつ 歌です。 題 して発表 しま した。 。「ち ょうち ょう」 (♪ ち ょうち ょう ち ょうち ょう 菜の葉 にとまれ ∼) 昭和 22年 発刊 の 「6年 生の音楽」 に掲載 された、古 関吉雄 の 「思 い 出」が登 この 唱歌 が登場 したの は 、明治 14年 の 「小学唱歌 集 初編」 です。 メ ロデ ィーの起源 は非 常 に古 く 18世 紀初期 か ら伝 わ るスペ イ ン民謡 とされ てい ます。 場 してか らは 、 こち らの歌詞 で歌われ ることが多 くな りま した。 冒頭 の 「垣 」 を 「柿 │だ と思 ってい る人が多 い よ うです。 。「大 きな栗 の本 の下で」 (♪ 大 きな栗の本の 下で あなた とわ た し∼) 日本 に伝 わったの は戦後 で、 GⅡ Qの 人 々 が歌 っていた 曲を聞 き伝 えで歌 い 出 した こ とが きっか け とい ゎれ ています。 そ して 、NHKテ レビの 「 うた のお じさん」 で友竹正則が動作 をつ けて歌っ た ことによつて広 ま り、手遊 び 歌 として親 しまれて い ます。 これ も 「日本 の歌 百選」 に選 ばれてい ます 。 O「 庭 の千草」 (♪ 庭 の千車 も む しのね も かれ て さび しく な りにけ り∼) 原 由はアイル ラン ドの民謡 “ The Last Rose ofSummer"(夏 の名残 のバ ラ) です。咲 き残 ったバ ラの花 をわが身に置 き換 えてい とお しむ 、切 な く美 しい歌 これ も 「日本 の歌 百選 」 に選 ばれています。 第 2回 リリオ コンサ ー トの演奏 曲です 。 。「幸せな ら手 をたた こ う │ 東京 オ リンピ ックの年 1964年 に坂 本 九が歌 つて ヒ ッ トしま した。 これ も 「日本 の歌百選 」 に選ばれ て い ます。 原 曲が スペ イ ン民謡 とは意外 です が 、次 の よ うな経緯 で歌が生れま した。 作詞者木村利人 が この 曲を知 ったのは、早稲 田大学 の学生であ った 1959 年 フ ィ リピンでボ ラ ンテ ィア活動 を していた ときのことです。 フ ィ リピン とい えば太平洋 戦争 の激戦地で、 多 くの罪 の ないフ ィ リピン人 です。明治 17年 、小学唱歌集 第 3編 に 「菊」 とい う題名で載 っていま したが、 が犠牲 にな ったた め 、反 日感情 が強 く残 つてい ま した。 「庭 の 千草」 に改題 されています。 木村氏 は聖書 を通 じて心 を通わせ よ うと努力 した結果 、彼 らは過去の 日本 「埴 生 の宿」の訳詞者 であ る里見 義 の作詞 です。「千草 とは秋 に 」 野 に咲 くも の行為 をゆる し、本村氏に優 しい態度 で接 して くれま した。 ろ もろの 草 の こ とです。 ボランテ ィアのキ ャ ンプ となった小 学校 の校庭では、子供たちがよ く大声 なぜ か蓄音器 で聴 い た三浦環 (た まき)の 美 しい ソプ ラノの声 が 思 い 出 され ます。 で古 い このスペ イ ン民謡 を現地語で つ 歌 て くれま した。 ペ フ ィ リピンで ス イ ン民謡 が歌われ ていたのには理 由があ ります。 O「 故郷 を離 るる歌」 (♪ 園の小百合、なで しこ、垣根の千草 ∼) 16世 紀 にマゼ ラ ン率 い るスペ イ ン船 団がフ ィ リピンに上 陸 してか ら、1"8 Der letzte Abend"(最 後 の夜 )力 S原 曲です。 ドイ ツ民 謡 “ 年 の米西戦争でア メ リカに奪われ るまでの間、 フィ リピンは スペ イ ンの植 民 作詞 は 「早春賦 」の作詞者 である吉丸 一 昌で、大正 2年 出版 の 「新作唱歌第 地だ つたのです。 5集 」 に掲載 され た 日本 の唱歌 です。 ボ ラ ンテ ィア活動 を終 え、 日本 へ 帰 る船 の 中で、本村氏 はそ のスペ イ ン民 ドイ ツ民謡 とはい え、肝 心 の ドイ ツで は全 くといっていい ほ ど忘れ去 られ 、 謡 のメ ロデ ィー に歌詞 をつ けま した。 わず かに文献 の 中にだ け残 っている寂 しい存在です。現状 を考 える とこの歌は これ を仲間内で愛唱歌 として歌われ ていたの を偶然坂本 九が耳に し、 いず ドイ ツの歌 とい よ り日本 の歌 といったほ うがぃぃ くらいだそ うです。 みた くの元に うろ覚 えのま ま持 ち込み 、それ をいずみた くが採譜 して レコー 戦前 の女学校 では合 唱曲 として歌われ、姉 もよく歌 つてい ま した。 ド化 しま した。 。「大 きな古時計 」 (♪ 大 きなの っぱの こ うして今 日知 られてい る 「幸せ な ら手 をたた こ う」 が生 まれ ま した。 古時計 お じいさんの 時計 ∼) 大 きな古時計 (My Grandhthers clock)の 作詞・作 曲は 、 アメ リカのヘ ン 以上 15曲 を取 り上 げま したが 、他 にも 「つ りがね草 」「才女」 (ス コ ッ トラ ン リ・ ク レイ・ ワー クで 1876年 に発表 され ま した。 ド民謡 )「 霞みか雲か J(ド イ ツ民謡 )「 真 白き富士の嶺」 (讃 美歌)「 やさ しの山 1962年 に NHKテ レビ「みんなの歌」で放送 され 、2002年 には平井 堅が 吹」 (ド イ ツ民謡 )な ど多数 あ ります 。 カバ ー した ヴァー ジ ョンで更 に知 られ るよ うにな りま した。 後期高齢者 には こころ癒 され る歌 ばか りです。 亀岡弘志 (記 )