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経営者と従業員の距離感に関する一考察

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経営者と従業員の距離感に関する一考察
Nara Women's University Digital Information Repository
Title
経営者と従業員の距離感に関する一考察
Author(s)
小高, 加奈子
Citation
小高加奈子: 奈良女子大学社会学論集, 第23号, pp. 57-75
Issue Date
2016-03-01
Description
URL
http://hdl.handle.net/10935/4169
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奈良女子大学社会学論集第23号
経営者と従業員の距離感に関する一考察
小高
加奈子
はじめに
株式会社島精機製作所(以下,島精機という)は,和歌山市に本社工場を置くコンピュ
ータ横編機およびデザインシステムのトップメーカーである.1962 年に現社長の島正博氏
が創業し,日本の高度成長期の繊維機械ブームの中で手袋編機と横編機の自動化と高性能
化を武器に競合メーカーを追い越して約 10 年で国内上位に躍進し,オイルショックの逆風
に見舞われたものの,コンピュータ制御量産機とトータルデザインシステムの開発により
世界市場の攻略に成功し,約 20 年で世界のトップクラスに駆け上った.
世界初の独創的な製品を次々と開発してきた島精機の技術力は業界の枠を超えて広く知
られており,2007 年には「無縫製コンピュータ横編機およびデザインシステムを活用した
ニット製品の高度生産方式の開発」により,事業体による優れた独創的研究に対して与え
られる第 53 回大河内記念生産特賞を受賞している.
筆者は,同社のご好意により,同社の躍進を支えた組織の変遷とそこで生まれた情報的
相互作用に関する調査研究を2011年より続けている.2012年に50周年を迎えた同社の組織
現象の解明に取り組むにあたり,まず同社の経営基盤・企業文化が形成された創業初期の
組織の特徴を理解することから始めることとした.その結果,同社の創業初期には,島社
長を中心とする極めて効率的な組織的情報創造の基盤があったことが確かめられた.
創業者であり,現社長の島正博氏が島精機の成功を牽引してきた最大の功労者であった
という事実に疑問を挟む余地はない.しかしながら,その役割が実際にいかなるものであ
ったのかという点では,さまざまな見方が有り得る.
島精機に関する研究の端緒を同社の OB 社員の方々へのインタビューに求めたこともあ
って,これまでの研究では同社の過去の事業の展開と組織の発展にまず焦点を当ててきた.
その後,インタビューの対象者をさまざまな世代の社員に広げていただいたことで,島社
長のリーダーシップのあり方について考察を深めることができた.
島社長の経営行動の最大の特徴は,自らの言葉による経営哲学の発信と頻繁な現場巡回
である.これらが現場に対する柔らかい指導となって,島精機の事業の成功に結び付いた
ことは既に確かめている.
筆者は,島社長による現場の従業員に対する働きかけ方の巧みさを理解する一つの手が
かりを,ゲオルグ・ジンメルの「異郷人」概念に求めることができると考えている.ジン
メルは異郷人の概念によって空間的な近接状態と社会的な距離感がもたらす特性について
洞察した.異郷人は,ホスト社会に対してそこでは決して得られない知識や資源をもたら
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す.それ以上に,空間的な近接がホスト社会についての理解を可能とすると同時に,社会
的な距離感の結果として公平性や客観性,自由といった属性が生じ,それらが異郷人にホ
スト社会において独特の役割を与える.
島社長がときおり現場に現れて従業員に語りかけ,問いかけるとき,その従業員にこの
ような意味での「異郷人」として受け止められることがあって,そういう状況が経営的に
さまざまなプラスをもたらしているのではないかと,筆者は考えている.本稿ではこのよ
うな考察の結果についてとりまとめた.
1 ジンメルの異郷人論の概要
ジンメルは,キリスト教徒社会の中に商人や金融業者として定着したユダヤ人のあり方
を念頭におき,異郷人の概念を示した.彼によれば,異郷人はホスト社会に地盤を持たな
い「移動性」を本質としながら,一定の「共通性」の基盤を持ち,その結果,
「中立性」
「客
観性」という性質を得て,ホスト社会の人々と独特なつながりを持つことができた存在で
ある.まず彼の所論の概要を整理してみる.
1.1
移動性と共通性
ジンメルは,異郷人の本質を彼らが「移動」し,周囲と通常の形では結びつかない存在
であることに求める.
経済の全歴史をつうじて異郷人はいたるところにおいて商人としてあらわれるか,
あるいは商人は異郷人としてあらわれる.本質的に自家需要のための経済が支配して
いるか,あるいは空間的に狭小な圏がその生産物を交換しているかぎり,その内部に
おいてはいかなる仲介商人も必要ではない.商人が問題となるのは,まったく圏の外
部で生産される生産物のためのみである.これらの必要品を購入するために,もし人
びとが異郷にさまよう――そのようなばあい彼らはこの異なった領域においてはまさ
に「異郷の」商人である――のでないかぎり,商人は異郷人であるにちがいなく,他
の人間にとっては,いかなる生存の機会も存在しない.……
ところで仲介商業へのかの依存,さらには往々にして,ちょうどそれからの昇華に
、、、
おいてのように純粋な金融業へのかの依存は,異郷人に移動性という特殊な性格をあ
たえる.移動性が限られた集団の内部におこることによって,この移動性において近
接と遠隔とのかの総合が活動し,この総合が,異郷人の形式的な位置を決定する.そ
、、、、
れというのもただちに移動する者は折にふれて個々のあらゆる要素と接触するように
なるが,しかし血縁的,地縁的,職業的な定着化によって個々の要素と有機的に結び
、、、、、、
つくことはけっしてないからである.(Simmel 1908=1994: 286-287)
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このような異郷人の性質に照らせば,彼らが訪れたホスト社会への関わりは限定的なも
のにならざるをえないと通常は予想されるところであるが,ジンメルによれば彼らは周囲
に対して大きな影響力をもつ場合がある.それは一定の距離感を意識させながら,ある種
の共通性に基づくつながりを確保している状態である.
最後に近接と遠隔との割合は,異郷人に客観性という性格をあたえるが,なお実践
、、、、
的な表現を,彼にたいする関係の抽象的な本質に見いだす.すなわち有機的に結合し
ている人びとへの関係は,たんなる普遍的なものにたいする特殊な差異の同等性にも
、、、、
とづいているのに,人びとは異郷人とはたんに一定の普遍的な性質のみを共通にもつ
にすぎないということに見いだすのである.……
われわれが異郷人とわれわれとのあいだに国民的あるいは社会的な,職業的あるい
は一般に人間的な性質をもつ同等性を感じるかぎり,異郷人はわれわれに近い.この
同等性が彼とわれわれとをこえて,一般にきわめて多くの者を結びつけるがゆえにわ
れわれと彼を結びつけるにすぎないかぎり,彼はわれわれには疎遠である.(Simmel
1908=1994: 288-289)
客観性というキーワードについては次項で検討することとして,まず異郷者の移動性と
共通性について総括したい.これらの二つの属性は,ジンメルが見いだした異郷人概念の
中核である.異郷人はギリギリのところで共通性が認識されている点で,ホスト社会とつ
ながっている.何らかの共通性が見いだせなければ,その相手は自らにとって意味のある
形での相互作用の対象とはならない.共通性の基礎としては,さまざまなものが考えられ
るが,何らかのやり方で意思疎通が図れることは最低限の条件であるだろう.そのような
つながりがどうにか感じられる対象の中で,最も疎遠な相手こそが,ジンメルがいう異郷
人である.
われわれが異郷人とわれわれのあいだに国民的あるいは社会的な,職業的あるいは
一般に人間的な性質をもつ同等性を感じるかぎり,異郷人はわれわれに近い.この同
等性が彼とわれわれをこえて,一般にきわめて多くの者を結びつけるがゆえにわれわ
れと彼とを結びつけるにすぎないかぎり,彼はわれわれには疎遠である.(Simmel
1908=1994: 289)
1.2
中立性と客観性
異郷人のもつ距離感が周囲との関係を誰にも偏らない,中立的なものとする.その中立
性が周囲からの信頼を生み,ホスト社会で発生するさまざまな問題の解決に際して彼らの
客観的な判断が重んじられることとなる.
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この状態のいまひとつの表現は,異郷人の客観性にある.異郷人は根底から集団の
特異な構成部分や,あるいは集団の一面的な傾向へととらわれていないから,それら
のすべてに「客観的」という特別な態度で立ち向かう.この態度はけっしてたんなる
距離と無関与を意味するのではなく,遠離と近接,無関心と関与からなる特別な構成
である.……
また,異郷人の客観性と関連するのが,以前にふれた現象,もっぱらでないにせよ
たしかに主として旅を続ける者に妥当する現象である.すなわちそれは,しばしば彼
には驚くべき率直さと告白が,いっさいの近い関係者には慎重に保留される懺悔の性
格へ達するまでに示されるということである.……
客観性をまた自由ともよぶことができる.すなわち客観的な人間は,所与のものの
受容と理解と考量とをあらかじめ決定するかもしれない束縛に,まったく拘束されは
しない.(Simmel 1908=1994: 287-288)
すなわち異郷人は実践的にも理論的にもより自由な人間であり,彼は状況をより偏
見なく見渡し,それでより普遍的より客観的な理想で判定し,したがって行為におい
て習慣や忠誠や先例によって拘束されない.(Simmel 1908=1994: 288)
2 島社長の経営行動の特徴
島精機は,マーケットインの発想の下,ユーザーであるニット製造業者の課題や将来を
洞察し,ユーザーが競争に勝ち残り,利益を上げていくための強力な武器となるような手
袋編機,横編機及びその周辺のシステムを開発し提案してきた.この過程で島社長は強い
リーダーシップを発揮し,画期的な技術開発を次々と成功させてきたのである.
ジンメルの異郷人概念を参照しながら,島社長の経営行動を二つの切り口から吟味して
みたいと思う.
一つは,島社長の言葉である.島社長は,常々,素朴な言葉で自身の考えや思いを周囲
に伝えようとされてきた.このようなスタイルは,いわゆる学歴を経ずに繊維機械業界の
先端に登場し,
若くして業界を代表するリーダーの立場に立たれた経緯によるものらしい.
筆者は,島社長の言葉が周囲の人びとに受け入れられた結果,
「共通性」の基盤が形成され
たと考える.
もう一つは,島社長の日常の言動である.島社長は,とにかく現場に頻繁に足を運ぶ経
営者である.そして赴いた現場では何かメッセージを残していくということを自らに課し,
従業員に絶え間なく語りかけ,問いかけることで,従業員の創意工夫を引き出してきた.
筆者は,島社長はこうした日々の行動の中で「公平性」「客観性」「自由」を示してきたと
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考えている.以下ではこれらを具体的に確認していきたい.
2.1
リーダーとしての言葉
島社長の言葉とその背景にある考え方や経験を示すために,島社長が定時制通信制教育
振興会に寄せた寄稿文を紹介することから始めたい.本寄稿文は本稿の主題に関わる重要
資料であるので,若干長くなるがすべて引用させていただく.
エバーオンワード(限りなき前進)
島
正博
私は昭和 12 年3月に和歌山市で生まれました.戦後の激動期から今日に至るまで多
くの体験を重ねてきましたが,その原点となる考え方は定時制高校時代に働きながら
学ぶ過程で身につけることができました.愛知県にあるトヨタ博物館では,豊田自動
車の創業者である豊田喜一郎氏の日記が紹介されています.そこには,
「学校で学ぶよ
りも 15 歳,16 歳のときに機械に慣れ親しんだ方が機械をどのくらい理解するかわか
らないし,このような人が学校でしっかり勉強すれば,本当に機械に通ずるようにな
る」と書かれています.私も自分の体験からまったく同様に感じています.
以下,私の定時制高校から会社設立にいたるまでの一端を紹介したいと思います.
ゼロからのスタート
私が終戦を迎えたのは8歳のときでした.戦争で父親を亡くしたため,いきなり家計
の担い手となりました.和歌山市は昭和 20 年7月9日に大空襲に見舞われ,我が家も
何もかも失ってしまいました.ゼロからのスタートです.生きるために,まずは住む
ところの確保から始めなければなりません.しかし,一面の焼け野原には木材らしき
ものはありません.
周囲を駆け回って見つけたのが,お寺に立っていた卒塔婆でした.
最低限の分なら許してくれるだろうと失敬してきて我が家の柱としました.南無阿弥
陀仏と書かれた柱の家で考えることは,ともかく生きることでした.まずは食糧の確
保のため,家の近くを開墾して野菜作りを始めました.穴を掘りガレキを埋めて作っ
た畑では,やがて多くの野菜ができ,家族だけでは食べきれずご近所におすそ分けを
するほか販売も始めました.その内にご近所でも野菜作りが始まると,次は天ぷらに
して売ることを考えました.最初は野菜の天ぷらだけでしたが,やがて近くの海で海
老やキスを取ってきて付加価値をつけた商品をそろえていきます.戦後の物のない時
代,貧乏からくるハングリー精神で,生きるため食べるために多くの工夫を生み出し
ました.
原点に戻って考える~クモの巣の原理~
9歳になったとき,家族が腸チフスで入院してしまいました.私は学校で予防接種を
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受けていたため感染を免れましたが,その間,バラックの家に一人残り,毎夜天井を
ながめる生活となりました.当時は,まだ家にラジオもなく,ひたすらクモの巣を観
察することになります.窓に巣を張ったクモの動きを見ているうち,やがてその習性
に気づきました.クモは巣のど真ん中に陣取り,ハエや蚊などの獲物がかかるとすば
やく捕獲して再び元の真ん中の位置に戻っていくのです.その繰り返しを観察してい
るうちに,クモがどうして真ん中にいるのかが次第に分かってきました.真ん中なら
360 度見渡せるし,獲物に対していつでも最短距離でいくことができる.ここから学
んだことは,常に原点に戻ることの大切さでした.原点に戻るという考えは,その後
の開発設計や会社経営に際しても大きなヒントになりました.困難な壁が立ちはだか
るときや,行き詰まったときには,いったん原点に戻って考え直すことで何度か打開
策を見出してきました.
手袋編機との出会い~定時制高校への進学~
実家の隣に池永製作所という手動手袋編機の修理工場がありました.小学校の高学年
の頃からその工場で手伝いをするようになったことが,現在の仕事に結びつくことに
なります.大人に混じって機械工場の手伝いをしていく中で工夫を重ねる楽しさを覚
えていきました.手袋の手首部分と手の平部分を縫い合わせるために二重環かがりミ
シンを考案したのは 15 歳の時でした.モノのない時代のため,歯車などの部品から手
作りで完成させ,その後 200 台ほどの販売につながりました.もともと工夫したり考
えたりするのが好きで,小さい頃から多くの発明をしてきました.学校から帰ると修
理工場に入り込む生活を繰り返し,高校への進路を決めたのは,卒業を間近に控えた
ギリギリのタイミングでした.もともと将来は銀行マンになりたいと思っていたので
すが,当時は片親だと銀行には採用してもらえないと聞き,一転工業高校の機械科に
進もうと考えました.ところが,担任の先生に相談すると即座に無理だと言われてし
まいました.あまり勉強していなかったことと,当時の機械科は人気の学科でしたの
で,先生の反応も当然でした.しかし,
『どうせだめでも一度受けてみてはどうか』の
言葉をいただき,参考書をプレゼントしてくれました.こうして入学試験の日程が迫
る中で参考書の丸暗記に没頭しました.ダメでもともとですが,先生の気持ちに応え
たいという思いが加わり必死で覚えました.その結果は合格,しかも成績は全日制を
含めて県下で二番目だったと後で知らされました.こうして和歌山工業高校定時制機
械科に進学しました.仕事をしながらの学業生活でしたが,好奇心が旺盛で2年生か
らは学校終了後に週3回ずつ空手とダンスの教室通いを始めていました.
そうした中で出会ったのが早川禎一先生でした.先生自身,企業に勤めながら夜学で
教鞭を振るわれていたのですが,技術の話に止まらず多くのことを教えてもらいまし
た.中でも『特許』の話は新鮮でした.その当時は,音のしない下駄,緩まないネジ,
自転車の発電ランプなど,手当たりしだいに考案していましたが,先生から『焦点を
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絞りなさい』とアドバイスをいただき,徐々に仕事で接していた手袋編機に集中して
いくようになります.そんなある日,ニュースで作業手袋が人の生命に関わっている
ことを知りました.当時染色工場などで働いている作業者が手袋をしていたばかりに
歯車に巻き込まれて生命を落とすという事故でした.それ以来,歯車に巻き込まれて
もすぐに脱げる安全な手袋ができないものかと考えるようになりました.考えた末に
ひらめいたのは,手首の部分にゴム糸を編みこむことでした.これなら着脱が簡単で,
いざという時にも大きな事故につながることもありません.ゴム糸挿入手袋の誕生で
す.18 歳で初めて申請した特許は手袋の製造方法を根本から変革する画期的なものと
なりました.定時制高校の三年生の時でした.自分の考えた技術が世の中に役立つこ
とを目の当りにし,仕事を通じて世の中に無い新しい価値を創造し,社会の発展に貢
献していくことこそが自分の使命であると確信しました.
当時の定時制高校は4年制でしたので,学校を卒業したのは 19 歳のときでした.しば
らくは,それまでの池永製作所に勤務しながら,ゴム入り手袋の製造を行い,また森
精機製作所の技術顧問にも就任し,一人三役をこなしていました.森精機さんは現在
では世界的な工作機械メーカーとして有名ですが,元は手動手袋編機の製造を手がけ
ていたご縁から技術顧問として迎えていただいたのです.
会社の設立
一人三役をこなしていくうちに,やがて機が熟して会社設立の運びとなりました.昭
和 36 年のことでした.三伸精機株式会社を設立し,24 歳で社長となりました.手袋
編機の全自動化を夢見ての設立でしたが,研究開発のかたわら売上確保のため手動機
に取り付ける半自動装置の製造も手がけていました.企業としては順調なスタートを
切ったのですが,やがて経営方針をめぐり経営陣が枝分かれすることになりました.
森精機さんの創業社長である森林平さんにアドバイスをいただき,現在の株式会社島
精機製作所の社名に変更したのは昭和 37 年2月のことです.森林平社長には,その後
も会社経営について多くのことを教えていただきました.私が年若くして起業して頑
張ってこられたのは,すばらしい方々との出会いがあったからです.定時制高校の恩
師早川先生からは特許の話以外にも様々なことを教えていただきました.その中でそ
の後も大切にしているのが心理学の話です.先生曰く『心理学の原点は,相手の立場
に立つことです』と.この相手の立場に立って物事を考えることの大切さは,その後
の会社経営における根幹となりました.編機を製造販売する当社は生産財メーカーで
あり,お客様は当社の機械を使ってモノづくりをされますので,信頼を得ないと成り
立ちません.このことを理解してもらうため,社員には『タライの水』にたとえて説
明をしました.近ごろは「タライ」
(桶)を見かける機会も少なくなりましたが,タラ
イに十センチほどの水を張り真ん中に手を入れて,こちら側に引き寄せようとすると,
水は反対側に逃げていきます.手の上から,指の間から抜けていくのです.逆に手を
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向こう側へ押しやると,水はこちらに押し寄せてきます.これが生産財メーカーの原
点です.まずはお客様に儲けていただくこと.そうするとリピートオーダーという形
でご注文をいただけます.いかにしたらお客様に儲けていただけるか,お客様の立場
に立って考えることの大切さを説き,会社設立以来,技術指導やノウハウの提供を実
践してきました.業界の発展のため,お客様の発展のために貢献するのが当社の使命
「ギブ・アンド・ギブン」として海外でも
です.この「タライの水」を英語で表現し,
実践していきました.
夢に向かって挑む
毎年,新入社員に対して質問することがあります.
「蒸気機関車はどうして前に進むの
か」という質問ですが,前に進むのか,後ろに進むのか,なかなか正解は出てきませ
ん.たまに答に窮して『社長,蒸気機関車などいまどき走っていませんよ』という社
員も出てくることがありますが,これが一番いけません.考えようとせず質問から逃
げるための口実だからです.問題にぶつかったときに逃げようとするのは,知識が先
に立つ人にありがちです.知識が邪魔になって,やる前にできない理由を考えてしま
うのです.会社はできない理由を考えるために給料を払っているのではありません.
『不可能というのはやる気のない証拠』なのです.先の機関車の答は左右の車輪の位
相が違うからですが,新入社員には,日頃から好奇心を持ち,何故?を繰り返す習慣
をつけてもらいたいと指導しています.一日に一つでも関心を持てば一年では 365 の
収穫につながります.しかし何を見ても関心を持たない生活ではゼロのままです.1
とゼロでは大違いです.ゼロに何を掛けてもゼロのままです.
また,社員には仕事を愛しなさいと話しています.人は何のために働くのか,社会に
貢献するためです.自分に与えられた使命を果たすため,仕事を愛して欲しいと伝え
ます.そして,その愛を一歩広げることで家族を愛し,自分が住む地域を愛し,さら
には自分の国を愛してもらいたいと願っています.
かねてより【愛・創造・氣】の三つが時代をひらくキーワードと考えてきました.い
ずれもコンピュータにできないことばかりです.コンピュータは計算のほか,過ぎて
しまったこと,出来上がったことを記憶するのは得意ですが,
「意志」を持つことはで
きません.世の中で,真に値打ちがあることはコンピュータにできないことです.当
社はコンピュータも製造しているメーカーですが,社員にはコンピュータにできない
ことを大切にするよう伝えています.
若い頃を振り返って思うことは,一人の力だけでは目標を達成することは出来なかっ
たということです.多くの方々に支えられ,そのつながりの中で一歩ずつ進むことが
出来ました.若い皆さんには【夢】を描いてもらいたいと願っています.夢を持ち,
その夢を宣言して,実現に向けて努力をしてください.周囲の皆さんに対し感謝の気
持ちで接していけば,道は必ず開けると信じています.
(財団法人全国高等学校定時制
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通信制教育振興会 2011)
2.2
従業員に対する働きかけ
経営者による現場の巡回が重要な経営行動であることは異論のないところであるが,問
題はその内容や頻度であり,
それらが従業員の行動をどのように刺激しているのかである.
次の二つのインタビュー記録は,島社長による従業員への働きかけ方とその影響力をうか
がわせるものである.島社長は従業員にギリギリ達成できるような高い目標や課題を投げ
かけてその取り組みを見守ることで巧みに能力と意欲を引き出している.
小高:開発されることに対して,日頃からどのようなことに気を配っていらっしゃる
のですか?
奥野:まぁ,あの,社長が来られるので何か与えられるわけです.それについて会社
の中で考えるのは時間に制限があるので,帰ってからとかそのへんでパッと閃くこと
が
小高:あぁ,そうですか.じゃあ,常に頭の中で考えていらっしゃるということです
ね?
奥野:そうそうそう.自然と.最初はそんなんじゃなかったですけど,
小高:今はもう,考えることが自然なことなのですね?
奥野:そういうのが,まぁ,身に付いたというか.極端に言うたら,社長に昔言われ
たことあるんです,
「夢の中で考えろ」とか,そういうことが言われたことがあったん
ですけど.
小高:そういうことが現実に起きますか?
奥野:1回,ほんまに.
小高:あぁ,そうですか!?
奥野:ほいで社長が言うてたん,これなんかな~と思ったんもありましたね.結構あ
れ,寝てる間に考えてる,脳が多分働いてるんちゃいますかね~.
(中略)
奥野:それを見てじゃなしに,もう全然違うとこから.社長のテーマがとても難しい
ものが多いんで,もう何かの拍子に,何かをやっていてパッと閃くというか.既成の
もの,あるものを見てても,今現実にあるわけですから,社長は無いものを求められ
るんで,それっちゅうのは閃きとか,
小高:衣料関係以外のものから?
奥野:以外のことやってて,思いつくとか考えつくことが多いです.同じことばっか
り考えてたらダメ.発想の転換とかって社長はよく言われるんですけども,他のこと
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をやってても常に
小高:頭の中は
奥野:もう無意識のうちに考えてる.
小高:そういうことが自然と身に付いてこられたということですね?
奥野:ような気はします.そら,毎日来られたり,昔やったら若かりし頃やったら 1
日に2回来られて,朝来て,昼の食事終わって「できたか?」って昼から言われて,
これはちょっと早すぎる,せっかちやしな~って,ハハハ(笑).あれは 1 番きつかっ
たです.休憩時間位しかなかったんで.そんなぐらいに結構スピーディにせんかった
ら.他の仕事やってても社長に言われたら,もう最優先になりますんで.他ほってで
も社長の方をしなさいって昔から言われてます.
小高:社長さんはよく人を見ていらっしゃるというか,応える方に対して高い目標を
どんどん与えていかれるところがあると思うんですけど,
奥野:それはあると
小高:ですよね.
奥野:今日言われて,地球一周回ったら次の日なんで,次に変化が無かったらダメな
んです.毎日毎日変化していかんかったらアカンから.っていうことは言われたらそ
の日に必死になってやって,ほんでまぁ次の日にできて.それの段々繰り返しになっ
てくるんで.段々と感覚が,ハハ(笑).
小高:奥野さんの頭の中がパニックになったことはないのでしょうか?行き詰まると
か.
奥野:あ~,スランプですか?う~ん,スランプ……,なんか知らんけど上手いこと
何故かいけてしまう(笑).
小高:社長さんのおっしゃる要求に対して,奥野さんは無理をなさっているという感
覚は無い感じですか?大変は大変だけれども,
奥野:何時間も長い時間考えたりとかはしない.
小高:あ,そうですか.じゃあ,切り替えを上手くされるわけですね?
奥野:そう,はい.
小高:素晴らしいですね.
奥野:いえいえ,そんなことはない.それか切羽詰まって,この日までにどうしても,
この日にどうしても休まなアカンので絶対せなアカンって(笑).1 回あったんです,
ここが強くなって
小高:ええ,衿元の?
奥野:あれ,ちょうど言われたんが,賞をいただいて旅行に行くのを,家内と旅行に
行くのを
小高:50 周年パーティの時に受賞されたんですよね?名人賞を.
奥野:旅館まで全部取って,1週間休みくれたんで,それの行く直前ぐらいにそれ言
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われたんで,これやらんかったら行かれへんと思って(笑).
小高:なるほど(笑).でも,それをクリアされて?
奥野:それでもう,閃きました.1日で.それはもう会社の中で.絶対に考えやなア
カンので.(1)
小高:社長さんは普段はそれほど饒舌な方ではいらっしゃらないようですが,ここっ
ていう時はものすごく…….
池田:そうですね.我々はもう,顔とかしぐさを見ていたら分かりますよ.
小高:何を考えているかっていうことをですか?
池田:うん,今は迂闊に話に行ったらダメやなとかね.逆にそういう間合いというか
タイミングというものがあるんですよ.うん,やっぱり下手なタイミングでいったら
やっぱりどうしてもね,うまくいかない.そやから,そういうのも分かってる分かっ
てないで,仕事の進め具合っちゅうんが…….
「これとこれがありますけど,どうしま
しょう?」っていう聞き方は絶対にダメやね.
「この案とこの案あるんですけど」って
言うたら,
「どっちええんよ」って言われます.1案だけはダメなんで,2案,3案を
持っていって,「こうで,こうで」って言うのがいい方法で.
小高:じゃあ,自分の考えをある程度…….
池田:うん,その人の考えが無いとやっぱりダメなんですよ.他人の考えはダメで…
….
小高:社員の言ったことをまずは聞いて,そこから社長さんが選ばれるってことです
か?
池田:そやね,多分,自分で線を決めていると思います.
小高:じゃあ,ある程度,社員に任せて?
池田:うん,まぁ,説明の仕方によってね,中身をよく理解してないなと思うとどん
どん聞いてきます.それで,もう理解してるなと思うと,
「あぁ」ってもうすぐにって
そんな感じ.
(かえって)これでいいんかな?って思う時ある(笑).それはもうちゃ
んと分かってるんやろね,説明の仕方でもう分かってるんですね.だから,書類 1 個
持っていっても,説明やってても言うてる最中でも,サインくれますから.でも,あ
れ?って思った時には止まって,きちっと聞かれます.ポイントはものすごくよく見
ますね.(2)
3 経営者と現場の距離感についての示唆
ジンメルの異郷人の概念を踏まえて,島社長の経営行動と島精機の歴史を振り返ると,
ある程度大きな組織において,経営者が現場の従業員にとってどのような存在として受け
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止められているのか,そして経営者としてどのような立ち位置や経営行動を示せば現場に
対して好影響が与えられるのかといった問題への切り口が浮かび上がってくる.
3.1
現場巡回による移動性の発生
一般に,組織の規模が大きくなると一体としての運営は難しくなり,一体運営が効率的
な規模の複数の下位組織に分割して統制することにならざるを得ない.島精機の場合には
従業員数が 300 人程度の時期がその分岐点であった.
そのような状態になると,各下位組織は組織ごとに配置されたリーダーが日常的な管理
を行うこととなり,経営者は日常的に接する存在ではなくなる.ここで経営者が現場との
接点を持とうとしなければ,従業員にとり経営者は相互作用の可能性が感じられない異次
元の存在となるだろう.
これに対して,島社長の場合は現場を頻繁に巡回することを日課とした.巡回した先で
は必ず何らかのコメントを残すことも励行されていた.こうした経営行動の結果,多くの
従業員にとり島社長は自分にとって遠い存在だが定期的に現れて何か有益なものを残して
いく存在として認識されたのではないかと推察される.
3.2
中立性と客観性の維持
人員規模が大きい組織においては,上位下位の指揮命令関係が,その運営の骨格として
重視される.上位下位の関係は,経営者から末端の従業員に至る階層秩序になる.組織が
そのような形になれば,
従業員の感覚では経営者は自分より上司に近い存在になるだろう.
経営者が現場に現れたときに上司と親しい関係を周囲に示すことは,こうした先入観を
強める.そうなった場合には,経営者はジンメルが示した異郷人の客観性や中立性を身に
まとうことはできない.そうなると,経営者が現場にもたらす知見や洞察への信頼性が大
きく傷つけられる懸念が生じてくる.
この点,島社長の場合,職場の上司との関係はまさに厳正中立であり,同じ職場の従業
員と区別するところは一切ない.異郷人が身にまとう中立性と客観性を自らの意思で体現
している.そのような存在が現場に頻繁に現れ,さまざまな課題やその解決へのヒントを
示すならば,その職場のメンバーが影響を受けることにより,客観的な事実や証明を重ん
じる風土が生まれやすいであろう.
3.3
従業員との適切な距離感
島精機の従業員の中で,自分や上司・同僚・部下を,島社長と同等・同種・同類の存在
と考える者はおそらくいないであろう.ただ,共通の目標や信念,考え方,価値観などの
ある部分を島社長と共有していると信じている者は少なくないと思われる.島精機の従業
員にとり,島社長は前者の意味で異質であり,後者の意味で同質である.
こうした関係性から移動性,客観性,自由といったジンメルが指摘した異郷人の特性が
68
奈良女子大学社会学論集第23号
自然に滲み出てくるはずである.それを裏付けるかのように,島社長は従業員とこうした
独特の距離感を持ったつながりを保つように努めておられるようにうかがわれる.
島社長によれば具体的に指示を与えたり,解決を示すことは易しく,むしろ周囲の人々
が自らそれにたどり着くのを待つ方が難しい.あえて相手の主体的な創意工夫に期待して
一定の距離を保つことで,親密さの過剰としての馴れ合い状態を避けつつ,共通の目標や
課題に向かって全力を尽くす意思で客観的につながることを求めてこられたのだろう.
結局,自社の組織や取引先,関係先とのネットワークの規模がある程度大きなものにな
ると,親密さをよりどころとしたつながりによるリーダーシップには限界があるのだろう.
その中心にいるリーダーが親密な関係を維持できる人数には物理的及び時間的な限界があ
るからである.
他方,ジンメルが異郷人概念において示したように,相互作用という観点から見ると,
ある種の距離感を取ることで得られるものがあり,島社長はそれを経営実践の中で巧みに
活かしている.島社長の現場の従業員に対する態度は気さくで柔らかいなものであるが,
その問いかけの内容は実力を最大限に発揮することで何とかクリアできるような高いハー
ドルである.ジンメルは「親密」と「疎遠」,「近接」と「遠隔」の混合のさまざまな割合
や組み合わせが生み出す結果を重視した.島社長の経営実践により,ジンメルのこうした
洞察が現実化していることが確かめられる.
3.4
島社長の距離感の取り方
島精機のあらゆる職場において,島社長自身が「習慣」
「忠誠」や「先例」によって拘束
されない存在であることは自明である.島社長はそれを超えて,現場の従業員が「自由」
な物の見方,考え方をするように呼びかけてきた.島社長の日常の言葉は,発明家・技術
者としての資質や実績と実体験を背景に,物理的な環境,機械や製品の機能や原理,更に
は周囲の人びととの関係性などに対して注意を促すものである.
島社長が秘書に「階段はいくつあったか」と尋ねたことがあった.階段や廊下を歩いて
いるような何の変哲もない日常行動においても,段数や幅,歩数や時間がどのくらいかか
ったかなど,その時の状態や状況をチェックする習慣があれば得られる情報があり,その
情報にアイディアが触発される場合があるということを伝えようとした言葉であった.
島精機には精密な鉄道模型で有名なドイツのメルクリン社製の蒸気機関車の模型があり,
島社長は新入社員にそれを見せて感想を尋ねることがあった.これも階段のエピソードと
同様の意図で,観察力,洞察力,そしてあらゆる対象から何らかの情報や意味を読み取ろ
うとする日常的な心構えの大切さを伝えるものであった.
前述の引用にあった「タライの水」のたとえは,周囲の人びととの関係性について基本
的な考え方を示している.相手から一方的に何かを得ようとするのは所詮無理であり,ま
ず自身が相手のために何らかの貢献をして初めて,相手からの返礼も期待できる,という
考え方である.このような姿勢で相手と接しようとするならば,当然,相手の状況やニー
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奈良女子大学社会学論集第23号
ズに関心を持つことが必要になる.
次の二つのインタビュー記録は,島社長が事象を見つめる視線の鋭さやその背景や原理
に対する洞察,そして周囲のフォロワー達が島社長の意図や考えの正確な理解にいかに注
意を払っているかという姿を示していて興味深い.
社長:400 年前に編み針が出来て,次にベラ針がね,それが 160 年前に出来て,そし
て今から 10 数年前にスライドニードル.そうするとポーンポーンと針の頭を叩かれて
るわけやから,針の頭になったら毎回ハンマーで,1秒間に1回2回ってそんなに叩
かれたら,目回ってくるでしょ.針の気持ちになったら.それで,この1番初めの 430
年前のなには,こんな,ここにちょっと穴開いてるわけなん.それでここ押さえたら,
この中に入るでしょ.それで糸をこう上げて,ここを押さえるとここの中にこういう
風に入って,それで糸がこの上を通ってこの辺を通過する時にはこれが上がるとくる
りっと.そしたら編み目できるわけ.そうするとみな編むばっかりしかできない.そ
れが 430 年前.それを今度,ここをこういう風にしてこれがくるりっと,これがベラ
針.これがビューってこう回るでしょ.そうするとこの針の速度が1秒間に1メート
ル,1秒間にいごく(動く)わけ.そうするとここ1秒間ですが,ここで単純に 10
倍いくと,ここの速さが1秒間に 10 メートルの速さになるでしょ.1秒間に 10 メー
トルの速さでポーンと衝突するわけ.そういう風になったら,相手の立場に,相手は
人であったりモノであったり色んなもの,物理的に言うても針のフックになったら毎
回…….
小高:そうですね(笑)
.
社長:そうすると1秒間に1回としても 24 時間にしたらどんかいになる?そんかい叩
かれたら,こうでしょ.自分の手やったら痛い(笑).針の立場に立ったら痛くなるで
しょ.すごくそんかい振動与えられたら,金属疲労起こってポロッと.そしたら損す
んのは,動かしてる人が損する.それの元の経営してる人が損する.折れてなにする
と今度,折れるんはいいけども,それ,針を入れ替えて,また掃除しなかったらいか
ん.そうするとすごいロスになるでしょ.それが効率になんねやから,自分のそれを
綺麗に掃除していくとこういうようなことも楽になってくるでしょ.そういうような
ことで,会社の社員でもそういうような「こんなにしたら効率よくいけるよ,こんな
にしたら音出ないよ」そういう風にちょっとアドバイスすると,
「はぁ~」ちゅうよう
な感じになるでしょ.どんだけになら?
小高:1秒に1回だから,1分で 60,それが 24 時間になると…….
社長:ハハハハハ(笑)
.
藤田:1,440.
社長:え?それは分や.
藤田:あっ,
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奈良女子大学社会学論集第23号
社長:それ掛ける 60.
藤田:86,400.
社長:86,000 回は1秒に1回でそうよ.手袋やったらもっと.それで速さでポンって
いく.それで今のは 10 倍やけども実際は 20 倍 30 倍.そうすると1秒間に 10 何メー
トルから 20 メートルの,それはもう自動車の速度にすると 100 キロとかそんなになっ
てくる.それでボーンって当たってなにしてると今度は針も痛いでしょ.それで腹立
ってきて,ポンと折れちゃろって,ハハハ(笑).ほんでそんなになるんが,このベラ
針,これが 1847 年にマシュー・タウンゼントさんちゅうて,これ,発明した.そんで
僕が 1997 年にちょうど 150 年後にスライドニードル,これはここの太さが段々細くな
って,こういうような,そうすると先が細くなってるから折れないでしょ,釣竿とか
ゴルフのクラブみたいに,そういう風にして,そうすることによってこの中が懐を広
く取れる.そして,この外側が小さい方が綺麗な目できるわけやから,こういう風に.
それでここはこれぐらい細くしてポンと叩いたら余計に毎日針折れるようなそんな感
じになるでしょ.細くしたというなには,ここにこういう風に.そうすると叩いてる
なにから見たら,ものすごい優しく,あ~,これは綺麗な編み目を作る役目に針があ
るわけやから,叩くんも叩かないようにしたらもうちょっとあの,早く良い綺麗な目
を作らんといかんなと針がそう思うでしょ.そしたら良い機械になってくる.それで
ここで手で,ここでグー出して引っ込めてっていうのがあるでしょ.それと同じよう
に編むんは,こっちだったらこう伏せるだけ,そこで編むだけになってくる.今度,
これになったら,これ出してこれ引っ込めて,これ出してこれも一緒に上がってちゅ
う.これ出しかけて,これを更につく.そうすると目が移るようになってくる.そう
いう風ななんで,今まで短期の,これだったら編むか編まないかだけ,こっちの場合
だったら,編むかタックするか編まないか目を移すか受けるか,6,こっちは2,そ
うするとこういう風になにするとね,色んなあの,12 通りあって 12 の2乗やから 144.
こっちは 36 でしょ.こっちは4.そしたら,4,36,144 通りできてくる.そういう
元はホントに簡単なことで発明してるんと違って算数(笑).
小高:はぁ…….
社長:その,相手の立場になって,針の立場になってポンポン頭叩かんでもええよう
にしたら,そしたら針が綺麗な目を作らんといかんなって,そんなになってくるでし
ょ.
小高:社長さんの相手の立場に立つというのは,私は対象がどうしても「人」という
風に思ってしまってましたけれども,なるほど針の立場に立つということですね.な
るほど,すごい.
社長:そうするとね,目作るんに,こっからここまで糸を運ぶと次に編める.これは
こっからここまでいごかんと(動かないと)いかんでしょ.そうするとこれは3分の
1ほど,こっちが 100 にして,大体3分の1ぐらい,まぁ 30 ぐらいのなにでいごき(動
71
奈良女子大学社会学論集第23号
き)するわけです.これが 100 にすると,こんかい上がるとやっぱり倒れてくるでし
ょ.こんかいになったらもう倒れないでしょ.それでこんかいだけ行こうと思たら,
そこの秋葉山の山からその辺の山だったら,麓も短くて,そうすると小さいもんを動
かすんにエネルギーが少ないでしょ,そしたら省エネ.それで生産性が上がって,目
が綺麗.そしたら三方良しになるでしょ.それがスライドニードル.1997 年,こっち
側が 1847 年,ここでこっちの分は 1589 年.これだけの間に進化して,これがホール
ガーメントを作る元に.この針(ベラ針)では絶対に理想のホールガーメントは出来
ないん.(3)
社長:今までも言わなんだら「早いんですよ」って,何よりか早いんか.
小高:比較が無いとなかなか理解も……,遅くなりますよね.
社長:やっぱりね,言葉からね,言葉って頭から出るわけやろ?
小高:そうですね,うん.
社長:そうすると日本語まちごてる(間違っている)頭やったら,頭の中がやっぱり
まずいわけやから,それを直さんといかんわけ.
小高:社長さんがよくおっしゃる,
「あの,なに」っておっしゃるじゃないですか.
「な
に」っていう言葉.あれは,どう皆さんに伝わっていくのですか?
藤田:いや,あの~,それぞれが想像するんや.社長,なに言いたいんかな?って聞
きながら.
小高:あぁ.
藤田:
「なに」と言うて,分かるようにならなかったらアカンと思うんやけど.
小高:もう,部長さんクラスになられるとお分かりになられているのでしょうね.
藤田:いや~.あぁ,社長,あぁ言うてるな~とかってみんながそれぞれ想像して.
小高:あぁ,なるほど.
社長:何にも無いものをね~,作り出してね~,やっていこうと思たら,言葉も作り
出してやっていかんといかん.
小高:そうでしょうね.すべてがオリジナルでいらっしゃいますから.
社長:そう.
小高:だから,その,皆さんも社長さんの考えられることっていうのは奇想天外って
いうか(笑)
,ね,自分の頭の中には無いことばかりなので,きっと理解するのにも時
間がかかるのではないかな?って思うんですけれども,
藤田:うん.
社長:時間かかるんやけども,このやる気があったらね~,そんなむつかしいこと言
うてないんで,まぁ,義務教育でできる範囲の.創造性はあるけども,それは新しい
ことであるけども,しようと思ったらそんなに難しいことではないん.
小高:あぁ.(4)
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奈良女子大学社会学論集第23号
4 おわりに
最後に,本稿をまとめるにあたり,多くの方にご協力いただいたことに触れておきたい.
とりわけ島社長には,本研究の実施に関して最大限のサポートを賜った.また島精機の藤
田取締役総務人事部長には,さまざまな手配や貴重なアドバイスとコメントを頂戴した.
更に島精機の社員や関係者の皆様にも,ご多忙のなか快くインタビューにお付き合いいた
だいた.ここに心からお礼を申し上げたい.
[注]
(1) 2015 年 5 月 8 日の奥野氏へのインタビュー記録より抜粋.
(2) 2011 年 12 月 5 日の池田氏へのインタビュー記録より抜粋.
(3) 2014年11月26日の島社長及び藤田氏へのインタビュー記録より抜粋.
(4) 2014 年 12 月 16 日の島社長及び藤田氏へのインタビュー記録より抜粋.
[文献]
小田章・小高加奈子,2014,
「島精機における組織の成長に関する一考察――バーナードの
組織概念と伊丹の場のマネジメント論を用いて――」
『経済理論』和歌山大学経済学会,
第 377 号: 19-41.
小田章・小高加奈子,2015,
「場のマネジメント論の観点から見た経営者の言葉の影響力に
関する一考察」『経済理論』和歌山大学経済学会,第 381 号: 61-82.
株式会社島精機製作所,2015,
「歴史・沿革」同社ホームページ(2015 年 9 月 23 日取得,
http://www.shimaseiki.co.jp/company/history/).
小高加奈子,2013,
「島精機の強さの源泉:OB へのインタビューから判明した事実」
『奈良
女子大学社会学論集』第 20 号: 65-81.
小高加奈子,2015,
「非公式組織における「社交」の要素」『奈良女子大学社会学論集』第
22 号: 23-38.
財団法人全国高等学校定時制通信制教育振興会,2011,『燦々の太陽を求めて(第 15 集)
―働きながら学ぶ青少年を支援する手記集』.
Simmel, Georg,1917,Grundfragen der Soziologie: Individuum und Gesellschaft: Walter
de Gruyter(1979,清水幾太郎訳『社会学の根本問題――個人と社会』岩波書店.)
Simmel, Georg,1908,
Soziologie:Untersuchungen über die Formen der Vergesellschaftung
Gesamtausgabe, Duncker & Humblot(1994,居安正訳『ジンメル社会学
会化の諸形式についての研究』白水社.)
73
下巻――社
奈良女子大学社会学論集第23号
辻野訓司,2009,
『EVER ONWARD 限りなき前進: シマセイキ社長島正博とその時代』産経新
聞出版.
(こたか
かなこ
奈良女子大学大学院人間文化研究科博士後期課程単位取得満期退学)
74
奈良女子大学社会学論集第23号
A Study on the Sense of Distance between Executive and Employee
KOTAKA
Kanako
Abstract
SHIMA SEIKI Mfg., Ltd. is the leading manufacturer of the computerized flatbed knitting
machine and related design systems which has its main office and factory in Wakayama City, Japan.
Mr. Masahiro Shima, its current president, started the business. Despite the negative impact of oil
shock, it reached Japan's top three in ten years and world's top level in twenty years from the
start-up with the successful development of mass-produced computerized machines and
comprehensive design systems.
A review of the concept of the stranger of Georg Simmel and an analysis of results of my field
studies at SHIMA SEIKI revealed that an executive may be able to emphasize neutrality and
objectivity by maintaining the sense of distance from employees.
(Keywords: Management, Stranger, SHIMA SEIKI)
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