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【タイ】独立精神旺盛な若い世代――タイ映画の新しい波

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【タイ】独立精神旺盛な若い世代――タイ映画の新しい波
【タイ】独立精神旺盛な若い世代――タイ映画の新しい波
パーヌ・アリー(映像作家)
タイ映画史を通して見ると、映画産業の転換期と言える3つの重要な時期が浮かび上がる。第一期は 1970
年代初頭。チャトリ・チャラーム・ユーコン殿下のように米国 UCLA の映画学部を卒業した若い作り手たちが、質
の悪い 16 ミリ映画に席巻されていた当時の市場に、同時録音を取り入れた『その名はカーン』(73)や『最後の
愛』(74)のような作品で参入した。映画批評家たちに歓迎されたこれら2作品は同時代の問題をリアルな手法
で描き、現実逃避指向だった当時の主流映画との著しい対比を提示した。
第二の転換期は 1980 年代半ば、タイ南部出身の二人の男性、タニット・チッタヌクンとアディレーク・ワットリ
ーラー が『Suem Noi Noi Kalon Mak Noi(Happy Go Lucky)』(1985)と題する青春映画でデビューした時だ。ユニ
ークな物語と凝った編集・撮影スタイルが受け、この作品は商業的にも批評的にもヒットした。この成功がその
後 10 年続くことになる「青春映画時代」の幕開けとなった。
第三にして最新の転換期と言えば 1990 年代末にタイ映画が深刻な落ち込みを経験していたときに来た。製
作本数は 10 年前の年 100 本近くから年 10 本以下に激減していた。ところが 1997 年に CM 業界出身の二人の
監督、ノンスィー・ニミブットが『仏暦 2499 年ギャングが街を占拠する』を、ペンエーグ・ラッタナルアーンが『ファ
ン・バー・カラオケ』を発表し、映画産業を“眠れる美女の憂鬱”から目覚めさせた。ノンスィー作品はバンコクの
みで 7,500 万バーツ(約2億円)を計上し、タイ映画興行史の記録を塗り替えた。一方、ペンエーグの『ファン・バ
ー・カラオケ』はベルリン映画祭に選出され、世界三大映画祭に招待された久しぶりのタイ映画となった。
この3つの転換期に登場した監督たちに共通するのは、彼らがプロの映画製作技術を身につけた未来志向
なインテリだった点である。ほとんどが大学を卒業しており、タイ映画製作の現場を直接的あるいは間接的に知
っており、頭脳と実践の両方でタイ映画を前進させることになった。
ところで現在、私たちは第四の転換期に期待している。その時が来るとすれば、それはある特定の人々の手
によると思われる。つまり、「独立精神旺盛な若い世代」と私が呼ぶ人たちである。
「独立精神旺盛な若い世代」の物語は第1回タイ短編映画祭が開催された 1998 年に始まる。当初の応募総
数は 30 本程度だったが、その後年々数が増え、本 2004 年のコンペティションには 200 本近くの応募作が短編
映画作家たちから提出されるまでに成長してきた。
作り手たちは既成概念から自由に、まったく規制もプレッシャーも受けないで映画を製作できた。このことが、
年々この映画祭の受賞作品が形式的も内容的にも注目され、タイの観客のみならず国外の観客にも人気を博
すようになった原因である。
2000 年の不況からタイ映画産業が脱出した後、市場はよりオープンなムードになり、このことがさらに新しい
監督や新しい映画スタイルにチャンスを与えるようになった。それでも映画に投資する出資者は、製作現場の
経験のない新人監督を好まない傾向があった。1998 年の第2回タイ短編映画祭において『グランパ』でラット・
ぺスタニー賞を受賞したブーンソン・ナックポーが商業映画に進出し、パロディ映画『191 1/2』(02)を監督したも
のの興行的に惨敗し、この傾向には拍車がかかった。
ところが昨 2003 年になって大きな助け船が登場した。6人の新人たちが共同で監督したノスタルジックな子ど
も映画『フェーンチャン~僕の恋人』がタイ国内で 1 億2千万バーツ(約3億3千万円)以上もの興行収入を記録
したのだ。6 人の中には、1997 年の第1回タイ短編映画祭で白象賞の次席を獲得していたウィッタヤー・トンユ
ーヨンと、第6回でラット・ペスタニー賞を受賞したソンギュット・スグマカナンがいた。『フェーンチャン』は観客受
けしたばかりでなく、硬派の映画評論家たちからも「真の大発見」と激賞された。この映画はシンガポールや香
港を含む国外でも劇場公開されている(東京国際映画祭 2004 で上映)。
同年、インディペンデント長篇映画『Li』で演出力を研いでいたチューキアット・サックウィーラクンが、大学を
卒業したばかりのところを、低予算ホラー映画『ピーサート(悪霊)』の監督に抜擢された。『マッハ!』のプラッチ
ャヤー・ピンゲーオ監督の指名だった。期待に反して商業的にはそれほど成功しなかったが、技術力と安定し
た演出力を証明してみせた彼は、今ではタイで最も期待される映画監督と言われている。
さらに映画産業が“仕込み”中の二人の監督はテレビCM界の出身だ。バンジョン・ピサンタナクンとパックプ
ーム・ウォンプーム。二人は短編を作った経験があり国内外で賞を多く受賞している。彼らの初長篇映画『シャ
ッター』は公開から 3 週間足らずで 100 万バーツ(約 2,700 万円)を記録し、今年最大の興行収入と見込まれて
いる。
これらの監督たちが映画産業で傑出している理由を分析すると、三つの要点があげられる。
1)
学歴:ほとんどの新世代監督たちは映画学校の卒業生である。映画製作と映画理論の教育をきちんと
受けた彼らの土台はしっかりとしており、これは末永く今後のキャリア形成に役立つだろう。
2)
鑑賞体験:1989 年に第1回バンコク国際映画祭が開催されてから、バンコク市民は世界各国の映画を
見る機会を得るようになった。メジャーでない映画作品に触れることが若いつくり手たちに自分たちなり
の映画を作らせる刺激となったといえる。
3)
製作経験:上述の通りタイ短編映画祭は 8 年来、インディペンデント映画運動にとって重要な役目を果
たしてきている。今プロになっている監督たちはかつて短編映画を作って映画祭に応募し、主要な賞を
受賞していた。このような体験により技術力が磨かれ、良質映画の製作者になる訓練を積ませたのだろ
う。
第四のニューウェーブはまだ形になっていないが、こうした動きを見る限り、タイ映画の明るい未来が約束さ
れていることは確かだろう。
(翻訳:藤岡朝子、監修:映像出版課)
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