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No101

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No101
http://sekaishi.info
101
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大航海時代(3)
子午線で地球を分ける!?
トルデシリャス条約、サラゴサ条約
A、Bのカーブの度合いが異なるのは図法上、ど
うしてもこうなってしまう。子午線なので当然直
線である。
1)Aは、コロンブス( 1492 年、ス
ペイン)の「アジア到達」の報に
接した教皇【1:アレクサンデル6
世 】(位1492-1503)が、1493 年に
ヴェルデ岬西方の子午線をもって
設定した 植民地分界線 である。
「教皇子午線(きょうこうしごせん)」
とも言う。この線より東がポルト
ガル、西がスペインの勢力圏これ
によれば、アメリカ大陸全体でス
ペインが優先権を持つ。
注:スペイン出身の教皇アレクサンデル6世は、スペインの領土を増やすためこのようにした。
2)1494 年、スペイン、ポルトガル両国は、協議の結果 、
【 2:トルデシリャス条約 】を締結し、図1のA
の分界線を西に 270 リーグ移動させた。教皇もこれを承認しAの境界線は正式に破棄された。これによ
って、【3:ブラジル 】はポルトガル領になった。図1に【 2】による新しい植民地分界線を記入せよ。
だから、ブラジルはアメリカ大陸で唯一のポルトガル領。現在も公用語はポルトガル語。
日本とこの国の結びつきは深い。アントニオ猪木はブラジル移民として過酷な労働に耐えた体験を持つ。
3)一方、アジアにおけるスペイン、ポルトガルの勢力分界はあいまいだった。1529 年、スペインがモルッ
カ諸島をポルトガルに売却し、【4:サラゴサ条約 】を締結して両国の勢力範囲が確定した。これが図1
のBの分界線である。
スペインの征服活動
スペインは、先住アメリカ人によるマヤ文明、アステカ文
明、インカ帝国を滅亡させ、インディオを酷使した!実行
者たちを【5:コンキスタドール 】(征服者)と呼ぶ。
これらの文明の成立については当講座プリント No102
1)ユカタン半島:
【6:マヤ文明 】
図2のイ
6 世紀~ 14 世紀(10 ~ 13 世紀が最盛期)
○石造りの階段ピラミッド
○チチェンイッツァ の天文台
○マヤ文字(絵文字、一部が最近解読された)
16 世紀に至るもこの文明は残存していたが、スペイン人が
これを滅ぼした。後掲(2)(3)とは異なり詳細は不明!
2)メキシコ高原: 図2のロ
①テオティワカン文明(BC2 世紀~ AD6 世紀)
ピラミッド型神殿。 中心地はテオティワカン
図2のa
②15世紀にアステカ族は征服活動により【7:アステカ帝国 】
を建国した。アステカ文字は解読された。都は テノチティ
トラン(図2のb)。1521年、スペインの【8:コルテス 】
(1485-1547)は最後の皇帝モンテスマを捕らえ、アステカ帝
国を滅ぼし、ノヴァ=イスパニア州を建設した。
3)アンデス高地
右図のハ
【 9:ケチュア族 】が15世紀初頭までに【 10:インカ帝国
】を建国した。「インカ」とは「太陽の子」の意味。皇帝(=サパ・インカ)は太陽神の化身。
1533年、スペインの【11:ピサロ 】(1470?-1541)は実質最後の皇帝アタワルパを殺害し、インカ帝国を滅
ぼした。都のクスコもピサロによって 1533 年に破壊された。
文字はなかったが「【12:キープ 】」の色(内容)と結び方(数量)で伝達。精緻で堅牢な石造建築が発
達した。図2のcは標高 2500m の城塞都市【13:マチュピチュ 】。これは、発見当初言われていたよう
な「スペイン人によって追い詰められた最後の砦」ではなく、王の避暑地とする説が近年有力である。
図2のdはインカ帝国の首都クスコ。図2のeは地上絵で名高いナスカである。
アステカ帝国とインカ帝国は共通点が多いが、たがいにその存在を知らなかったと思われる。
08_No101.jtd
http://www.geocities.jp/sekaishi_suzuki/
4)知っていそうで知らない人が多い、インカ帝国後日伝。
この程度は教養として知っておこう!
①実質最後の皇帝アタワルパは、金銀の提供と交換に釈放を要求したがピサロは約束を破った。最終的に焚刑は免れ絞首刑
に。皇帝の位は、傀儡皇帝トゥパク・ワルパに継承され、その後アタワルパの別の弟であるマンコ・インカ・ユパンキに
継承された。彼は、スペインの傀儡として利用されることを拒否し、都を出て「新インカ帝国」と呼ぶべき勢力を立ち上
げ、スペインに抵抗した。マンコ・インカ・ユパンキの子、トゥパク・アマルは 1571 年、一部の残党を率いてクスコ北
方のウルバンバ川流域に立てこもった。その即位から 1 年後の 1572 年 4 月にスペイン軍の来襲によってビルカバンバ山
中の「新インカ帝国」は滅亡した。トゥパク・アマルは捕らえられ、激しく拷問された。莫大な金銀があるとスペイン人
が想像する「新インカ帝国」の都はどこか、と問われたのであろう。彼は何も語らず、1572 年 9 月 24 日にクスコで斬首
された。その都の実在性は不明。
処刑の時、トゥパク=アマルが処刑台に登り、執行人が刀を取り出したとき、先住民の全群衆が悲しみの叫び声を挙げて
涙を流した。この様子に、トゥパク・アマルは右手をさっと挙げて人びとを静まらせた。その毅然とした態度に、群衆は
一瞬で静まりかえった。トゥパク=アマルは死を目前にしたものとは思えない立派な態度で群衆に対してケチュア語で話
し始めたと伝えられている。
②それから約 200 年経った。1780 年、スペインの植民地とされたアンデス高原一帯でトゥパク=アマル2世を自称する指導
者(ホセ=ガブリエル=コンドルカンキ)に率いられた先住民による反スペインの大反乱が起きた。これを、歴史上「ト
ゥパク=アマルの反乱」と言う。鎮圧されたが、独立運動に大きな影響を与えた。
③更にその約 200 年後、1996 年、ペルーの日本大使公邸で天皇誕生日祝賀のパーティー(招待客 2,000 人)の最中、MRT
A(トゥパク=アマル革命運動)のコマンドが公邸を占拠、世界の目を釘付けにして 126 日間に及ぶ人質籠城事件となっ
た。トゥパク=アマルの血統とは無関係。人質の中には 24 人の日本人もいた。1997 年 4 月 23 日(日本時間)
、ペルー軍
・警察は公邸に突入し、MRTA のメンバー 14 名全員を射殺し、軍側に2名、人質にも1名の死者を出した。この事件の
背景には、ペルーにおける深刻な格差と貧困の問題が横たわっている。大学に行ってから納得の行くまで勉強されよ。当
時のペルー当局の責任者はフジモリ大統領であった。失脚後日本への実質的な亡命から 7 年、2007 年9月 23 日(日本時
間)チリ政府からペルー政府に引き渡されたフジモリ元大統領はリマに到着した。軍特殊部隊による市民殺害などの人権
侵害、汚職など 7 つの容疑を背負っての帰国である。
参考
「コンドルは飛んでいく」
1.大空に今日もまた はばたく
一羽のコンドルが 飛んでいる
どこからかあらわれて
アンデスのやまあいを
飛んでます
太陽の栄える国
豊かなこの地に
宝物もとめて
白人が攻めてきました
最も原詩に近い訳詞例
2.殺された王は灰の中から
コンドルによみがえりました
空高くコンドルは
国を守るでしょ
いつまでも
太陽の栄える国
豊かなこの地に
宝物もとめて
白人が攻めてきました
飛べ飛べコンドル飛べよ
果てしない空を
アンデスの山に
影を落として
裏切られたインカの
笛の音かなし
自由のために死ねと
パチャママの教え
スペインは南アメリカでこんなことをした
1)例えば、
【14:ポトシ銀山
】などで、インディオを酷使した。製錬技術の進歩もあって莫大な銀を生産。
ヨーロッパに価格革命を引き起こした銀は、この銀山のもの。図2で位置をチェックせよ。
酷使とヨーロッパから持ち込まれた伝染病でインディオの人口は激減した。
征服後約 100 年間で
↑天然痘、麻疹(はしか)、インフルエンザ゙、ペスト
5000 万人→ 400 万人
2)大量の銀は、ヨーロッパに送った他、【15:アカプルコ 】からガレオン船で太平洋を越え 16 世紀後半に
建設したマニラ(フィリピン)に送り、中国の絹、陶磁器と交換した。(アカプルコ貿易)
3)誇り高きインディオは、しばしば激しく反抗した。その最大のものは、 1780 年の トゥパク=アマルの
反乱である。トゥパク=アマル2世を名乗る指導者に率いられたアンデス高原一帯の先住民による反乱。
4)【16:エンコミエンダ制 】
1503 頃~
スペインが新大陸で採用した土地制度
スペイン国王は、征服者に対し、征服地の先住民をキリスト教化させることを条件に、先住民とその土
地の支配を認めた。事実上、征服者は先住民を労働力として酷使してよいということ。17 前半から~ 18
世紀には、負債を負った農民(ペオン)を主な労働力とする【17:アシエンダ制 】に移行する。
大土地所有にもとづく農園経営が広がり、ペオンを使役して大規模な農業や牧畜を展開した。
17 世紀半ばから銀の生産が減少に向かい、交易が衰えると、アシエンダ制はいっそう拡大した。
5)「インディアスの破壊についての簡潔な報告」(1542 年に書かれ 52 年に出版)・・・・スペインのドミニコ
派修道士、【 18:ラス=カサス】(1474-1566)がエンコミエンダ制下のインディオの酷使を国王に報告、
弾劾したもの。これによって、 インディオを奴隷にすることは禁止され、黒人奴隷の「輸入」が促進さ
れるという皮肉な結果となった。
【 】記入例
1:アレクサンデル6世 2:トルデシリャス条約 3:ブラジル 4:サラゴサ条約
5:コンキスタドール 6:マヤ文明 7:アステカ帝国 8:コルテス 9:ケチュア族 10:インカ帝国 11:ピサロ
12:キープ 13:マチュピチュ 14:ポトシ銀山 15:アカプルコ 16:エンコミエンダ制 17:アシエンダ制
18:ラス=カサス
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