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助けられる側から助ける側へ・・・・

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助けられる側から助ける側へ・・・・
昨日、前期期末テストが終わりました。皆さん、お疲れ様でした。中
間テストの時に校長室だよりに書いたのですが、テストは終わってから
も大切です。きょうから返ってくるテストで、自分の課題をしっかりと
つかみ、今後に役立ててください。
助けられる側から助ける側へ・・・・
さて、8 月 31 日に、総合防災訓練及び引取訓練がありました。皆さ
んは、どのように気持ちで訓練に臨んだでしょうか。
9 月 1 日は、避難訓練などの災害が起きた場合を想定した訓練を行う日として知られていま
すが、『防災の日』として、9 月 1 日が選ばれた理由をご存じでしょうか?
知っている人も多いと思いますが、一番の理由は、『関東大地震』だそうです。
大正 12(1923)年 9 月 1 日午前 11 時 58 分 44 秒、伊豆大島付近、相模湾北西部の相
模トラフを震源とする海溝型大地震『関東大地震』が発生しました。この地震はマグニチュー
ド 7.9、震度 6 の規模で、死者・不明者が 14 万 2,807 名、家屋全半壊 25 万 4 千件余、焼
失した家屋は 44 万 7 千余、山岳部では山崩れ、海岸部では津波が発生しました。
それでは、1月17日は何の日か知っていますか?・・・
「阪神・淡路大震災」が起こった日
です。この時も多くの方の命が失われました。この大震災でボランティアの活動が注目された
ことがきっかけとなり、平成 7 年に、毎年 1 月 17 日を「防災とボランティアの日」、1 月 15
~21 日を「防災とボランティア週間」とすることが決定されました。「災害時におけるボラン
ティア活動及び自主的な防災活動についての認識を深めるとともに、災害への備えの充実強化
を図ること」が目的とされているそうです。
3月11日の「東日本大震災」も、決して忘れられない日です。毎年その時期になると防災
の備えを確認することになります。この震災でも、実に多くの命が失われ、今も多くの方が避
難生活を送っています。また、放射線のため避難指示が解除されても、自宅に戻れない人がた
くさんいます。その方たちのためにも、私たちはこの悲惨な経験を生かさなければいけないと
思います。
その「東日本大震災」の時、釜石市の小中学校での生存率は99.8%だったそうです。残
念ながら5名の命が失われましたが、あの津波の中での生存率としては驚異的な数字だそうで
す。なぜ、多くの命が救われたのでしょうか? そのヒントは次の言葉にあります。
次の文章は岩手県釜石市で防災教育を担当した群馬大学教授の片田敏孝先生のことばです。
私は、岩手県釜石市の小中学校で先生方とともに防災教育に携わって8年になる。
「どんな津波が襲っ
てきてもできることがある。それは逃げることだ」と教えてきた。特に中学生には「君たちは守られて
いる側でなく、守る側だ。自分より弱い立場にある小学生や高齢者を連れて逃げるんだ」と話していた。
今回の震災では、多くの中学生が教えを実践してくれた。
ある少女は自宅で地震に遭遇した。地震の第一波をやり過ごした後、急いで自宅の裏に住む高齢者の
家に向かった。そのおばあさんを連れて逃げることは、自分の役割だと考えてくれたからだ。逃げる
準備をするおばあさんを待っているとき、地震の第二波が襲ってきた。彼女は箪笥(たんす)の下敷き
になり命を落とした。病気で学校を休んでいた子やこの少女を含めて、釜石市では残念ながら5人の小
中学生が亡くなった。それでも、命を落とした少女を含めて、一人ひとりが「逃げる」ことを実践して
くれたおかげで、小学生たちも、後に続いた。ところが、避難場所の裏手は崖が崩れそうになっていた
ため、男子生徒がさらに高台へ移ることを提案し、避難した。来た道を振り向くと、津波によって空に
は、もうもうと土煙が立っていた。その間、幼稚園から逃げてきた幼児たちと遭遇し、ある者は小学生
の手を引き、ある者は幼児が乗るベビーカーを押して走った。間もなく、来た道は波にさらわれた。間
一髪で高台にたどり着いて事なきを得た。釜石市街の港近くにある釜石小学校では学期末の短縮授業だ
ったため、地震発生の瞬間はほとんどの児童が学校外にいた。だが、ここでも児童全員が津波から生き
残ることができた。ある小学1年生の男児は、地震発生時に自宅に一人でいたが、学校で教えられてい
たとおり、避難所まで自力で避難した。また、小学6年生の男児は、2年生の弟と2人で自宅にいた。
「逃げよう」という弟をなだめ、自宅の3階まで上り難を免れた。授業で見たVTRを思い出したから
だ。すでに自宅周辺は数十センチの水量で、大人でも歩行が困難になっており、自分たちではとても無
理だと判断した。彼らは、自分たちの身を自ら守ったのである。
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片田先生が防災教育を行う前の子どもたちへのアンケートでは、
「家に1人でいると大きな地
震が発生しました。あなたならどうしますか」という質問に、ほとんどの児童は「お母さんに
電話する」
「親が帰ってくるまで家で待つ」というものだったそうです。その意識のままだった
としたら、多くの児童生徒の命が失われていたと思います。
「いざというときに無意識に行動で
きるようになるためには、実践によって知識を定着させることが必要だ」と考えたそうです。
昔から大きな津波を経験している釜石と、神奈川区とでは条件が違いますが、自分で自分の
命を守るという意識をもつことは共通だと思います。
中学生は子どもなのか大人なのかという議論もありますが、大震災のような非常事態の場合
は、立派な大人としての役割が求められます。万一の場合にも救助の手助けもできるでしょう。
得た知識を知恵として実践できるようになってほしいと思います。
しかし、
「自分の命を引き替えに他の人の命を助ける」ことを求めるこ
とはありません。最も大切にするのは、自分の命だと思います。
最も大切なもの・・それは
命(いのち)です
さて、改めて尋ねます。8 月 31 日の避難訓練はどうだったでしょうか?
いざというとき、無意識に行動がとれるような訓練になっていましたか?
最後の講評で少し厳しい言い方をしましたが、もっと真剣さや緊迫感が必要です。人員確認
に時間がかかりすぎです。
もし、不明者がいると、先生たちは捜しに行かなくてはなりません。そのために先生たちが
命を懸けることもあるのです。
(先日のフェリー火災で命を落とした乗務員は不明者を捜してい
たそうです。)
いざというときに無意識に行動できるようになるためには、実践によって知識を定着させる
ことが必要なのです。そのための訓練が避難訓練です。
次回の避難訓練は、もっと真剣に取り組んでください。避難開始から全員の安全が確認され
るまで、素早くできるようにしてください。
助けられる側から助ける側に・・・・大人としての皆さんにこの役割を求めたいと思います。
人を助けるには、自分の命を自分で守ることが前提です。最も大切なものは命です。
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