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欲望の輸出―ポー作品とセクシャリティ 高野泰志
欲望の輸出―ポー作品とセクシャリティ 高野泰志 エドガー・アラン・ポーは、少数の例外を除いてアメリカを描かなかった作家である。 特に生涯にわたってとりつかれたように描き続けた女性の死は、そのほとんどが異国、し ばしばヨーロッパを舞台に描かれている。ここでは特に、パリを舞台としているデュパン ものの推理小説を取り上げ、なぜそこに描かれる殺人がヨーロッパに「輸出」されなけれ ば な ら な か っ た か を 考 え み た い 1。 ポーは生涯を通じて何度も美女の死や復活を描き続けたが、それら女性の死と復活の表 象は、ポーのコントロールできない/されなければならない性欲を描いたものであると考 えられる。ポーは自らの性欲を誘い出す女性のセクシャリティに恐怖していたのである。 そのためにポーの作品では、生きながら埋葬したはずの性欲がしばしばよみがえる。ポー が作り出したとされる推理小説という小説ジャンルは、実はこの何度もよみがえる不合理 な欲望を囲い込むために生み出された小説形式なのである。 「モルグ街の殺人」においては、そもそも事件が起こる前は男性だけの世界と女性だけ の世界がきわめて明確に分け隔てられている。デュパンと語り手の、男だけの隠遁生活は し ば し ば ホ モ セ ク シ ャ ル を 思 わ せ る こ と が 指 摘 さ れ て き た が 2 、事 件 の 被 害 者 と な る レ ス パ ネ ー 母 娘 も ま た 、 自 分 た ち 女 性 だ け で 「 き わ め て 世 間 か ら 交 渉 を 絶 っ た 生 活 」( 191) を 送 っていると書かれる。その分け隔てられた世界に突如侵入するのがオランウータンなので あるが、この猿が性欲の表象であることは明らかであろう。狭い煙突に無理矢理女性の身 体を押し込むというレイプを思わせる行動だけでなく、オランウータンがそもそも逆上す るきっかけになるのはレスパネー夫人が梳いていた髪の毛であり、また自分が切り裂いた 傷口から流れる血であった。髪が女性性の象徴であることはもちろん、流れ出る血は女性 の身体性とセクシュアリティを強烈に指し示している。いわばこのオランウータンは、ポ ーの語り手たちが抑圧しようとしていた性欲の象徴であり、性欲に回帰した男が、性と身 体を持つ女性を攻撃しているのである。したがってこの作品において見つけだされるべき 真犯人とは、実は多くの作品でポーの語り手たちが隠し、抑圧していた性欲であると言う ことも可能だろう。 ポーはこの抑圧しても監禁状態から抜け出し、暴れ回る性欲を、捕らえ、再び閉じ込め て飼い慣らす必要を感じていたのである。デュパンの推理能力は、つきまとう不合理な欲 望を合理性で説明するためのものと考えられるだろう。あれほど頻繁に天邪鬼を描いたポ ーであるが、デュパンは人間の行動を徹頭徹尾合理的に説明し、未来の行動の予想までし て し ま う 。も ち ろ ん こ の よ う な 合 理 性 は 、デ ュ パ ン だ け が 持 っ て い た わ け で は な く 、 「暗号 論」などを見ても分かるように、ポー自身の傾向でもあった。ポー自身が合理的にすべて を解決しようとする傾向にありながら、天邪鬼にとりつかれるという矛盾を抱えていたの である。 ポーはこの不合理な欲望を理性で囲い込むだけでなく、自国アメリカを遠く離れたパリ に「 輸 出 」し た 。こ れ は「 美 女 の 死 」を 描 い た 一 連 の 作 品(「 モ レ ラ 」「 ベ レ ニ ス 」「 ラ イ ジ ー ア 」な ど )が す べ て ア メ リ カ 国 外 を 舞 台 と す る 一 方 、女 性 の セ ク シ ャ リ テ ィ が 登 場 せ ず 、 理性による推理のみを題材とする「黄金虫」が珍しくアメリカを舞台にしていることも、 「ここではない場所」 こ の 点 か ら 説 明 が で き る 3 。い わ ば 女 性 の セ ク シ ャ リ テ ィ と の 戦 い は 、 に排除されなければならなかったのである。 デュパンものの第 2 作「マリー・ロジェの謎」が、実際の事件メアリ・シンシア・ロジ 36 ャーズ殺しをほぼ忠実に扱い、未解決の事件の真相を解き明かそうとした作品であること は広く知られているが、この作品があえてデュパン「モルグ街の殺人」の続編として書か れなければならなかった理由は、第 1 作の評判が高かったからと言うよりはむしろ、メア リの死そのもののはらむセクシャリティをパリに「輸出」しなければならなかったことに 求められるのではないだろうか。未解決事件を雑誌紙上で解決するという意図を最大限効 果的にするためには、あえてデュパンものとして人名と地名を書き換えるよりはむしろ、 そのまま実際の固有名詞を使った方がはるかに大きなメリットがあったはずである。 「 輸 出 」前 の メ ア リ ・ ロ ジ ャ ー ズ 殺 人 事 件 と 、 「 輸 出 」後 の「 マ リ ー ・ ロ ジ ェ の 謎 」を 比 較 し 、加 え ら れ た 変 更 点 を 見 て み る と 、本 人 は 意 識 し て い な か っ た に せ よ 、ポ ー が「 輸 出 」 をする際に何を隠蔽しなければならなかったのかがはっきりと立ち現れてくる。ポーは、 作品中で海軍士官と駆け落ちしたマリーがその途中で口論の結果殺害されたと推理した。 『 レ イ デ ィ ー ズ・コ ン パ ニ オ ン 』誌 に 3 回 に 分 け て 掲 載 さ れ る 予 定 で あ っ た が 、11 月 号 と 12 月 号 に 2 回 分 を 載 せ た 段 階 で 真 相 が 発 覚 し 、 実 は メ ア リ は 堕 胎 手 術 に 失 敗 し て 死 亡 し 、 遺 体 を 遺 棄 さ れ て い た こ と が 判 明 し た の で あ る 。ポ ー は 最 終 部 分 の 原 稿 の 掲 載 を 1 ヶ 月 遅 らせ、真相を知った上で 2 月号に修正した原稿を掲載した。 ジョン・ウォルシュがこのメアリ・ロジャーズ事件に関して詳しく記述しているが、そ もそも当時の新聞には、メアリの行方不明が報じられた直後から堕胎手術を受けているの で は な い か と い う 説 が 掲 載 さ れ て い た ( Walsh 24) 4 。 ポ ー は 「 マ リ ー ・ ロ ジ ェ 」 を 執 筆 するにあたって、当時の実際の新聞記事をほぼそのまま収録しているが、おびただしい量 の新聞紙上の意見に対してデュパンに反論させているにもかかわらず、この堕胎に関する 記事には一切触れていない。またメアリは事件の数年前にたばこ屋で男性客を惹きつける ための店員として雇われていた。これもディヴィッド・ヴァン・リアによれば、当時のメ ア リ の 役 割 は 売 春 婦 に 近 い も の だ っ た よ う で あ る ( Van Leer 85-86)。 だ か ら こ そ メ ア リ は何度も堕胎を繰り返さなければならなかったのである。実際に当時同じ町に住んでいた 経験のあるポーは、当然このような事実を知っていたはずなのだが、ポーは作中でマリー の こ と を 「 卑 し い 女 性 で は な か っ た 」( 223) と 述 べ て い る 。 タ バ コ 屋 の 主 人 ア ン ダ ー ソ ン は作中では香水店のルブランとして描かれているが、トマス・マボットが示唆し、後にマ シュー・パールが明らかにした事実によると、ポーにメアリ・ロジャーズ事件のことを書 く よ う 依 頼 し た の は ア ン ダ ー ソ ン で あ っ た ( Mabbott 722, Pearl xvi-xviii)。 ア ン ダ ー ソ ンは自分に不名誉な噂を立てられることを恐れ、ポーに自分を事件とは無関係な人物とし て描くように頼んだというのである。そういう意味ではアンダーソンのもとでメアリの従 事していた売春行為について、ポーが触れなかったのはむしろ当然のことのように思える かもしれない。しかしヴァン・リアが詳細に論ずるように、ルブランとマリーが売春業と 関 係 し て い た こ と の 痕 跡 は 、 ポ ー の テ ク ス ト か ら 決 し て 隠 さ れ て い る わ け で は な い ( Van Leer 85-86)。こ こ か ら も ポ ー は メ ア リ / マ リ ー の 売 春 行 為 を 目 の 前 に し な が ら 気 づ い て い ないように思える。無残にレイプされた死体を描くことはできても、売春婦として男を誘 い、堕胎を繰り返す女性であるとは書けなかったのである。 ポーは作品中でこれらの事実を見ることを拒否し、隠蔽することにしたのである。いわ ばポーはマリーを誘う女ではなく、被害者として描くことで、そしてデュパンにそう推理 させることで、誘う女としての脅威を消去しながら、彼女を抹殺しようとした。しかしこ の推理は事件に関わった人物の証言で誤りであることが暴露される。結局ポーはこの隠蔽 工作に失敗し、原稿に「堕胎」の文字を差し挟まざるを得なくなるのである。これは偶然 の成り行きに過ぎないが、隠蔽された性の問題がその抑圧を越えて浮上してくる様子を見 ると、この作品の創作過程自体がまるで一連のポーの作品そのものと重なってくるようで ある。 37 真相を究明するという意味でも、作品の完成度という点からも、この「マリー・ロジェ の謎」はまぎれもない失敗作である。しかしこの作品の失敗そのものが、欲望しながらも その欲望を拒否し、抑圧しようとしながらも失敗し続けるポー文学の本質を何より雄弁に 物語っていると言えるのではないだろうか。そしてポーの生涯にわたる、女性のセクシャ リティとの戦いは、常にヨーロッパという「ここではない場所」で戦われなければならな か っ た 。失 敗 作 で あ る が ゆ え に 、 「 マ リ ー・ロ ジ ェ の 謎 」は ポ ー が 企 て た「 セ ク シ ャ リ テ ィ の輸出」のメカニズムをはっきりと暴露してしまっているのである。 Notes デュパンを主人公とする推理小説の第 3 作「盗まれた手紙」は女性のセクシャリティと の関わりでは非常に重要な作品であると言えるが、殺人を描いていないので、ここでは扱 わない。 2 た と え ば Van Leer 79 を 参 照 。 3 最晩年に書かれた「黒猫」はその珍しい例外と言える。 4 すでにこれ以前にもメアリは一度失踪しており、その際も実は当時のタバコ屋の雇い主 アンダーソンの計らいで 1 度目の堕胎をしていたことが明らかになっている。 1 Works Cited Pearl, Matthew. “Introduction.” Murders in the Rue Morgue: The Dupin Tales. New York: Modern Library, 2006. ix-xix. ---. Collected Works of Edgar Allan Poe. Vol. 2. Ed. Thomas Ollive Mabbott. Cambridge: Harvard UP, 1978. ---. The Short Fiction of Edgar Allan Poe: An Annotated Edition. Ed. Stuart Levine and Susan Levine. Urbana: U of Illinois P, 1976. Van Leer, David. “Detecting Truth: The World of the Dupin Tales.” New Essays on Poe’s Major Tales. Ed. Kenneth Silverman. Cambridge: Cambridge UP, 1993. 65-91. Walsh, John. Poe the Detective: The Curious Circumstances behind the Mystery of Marie Rogêt. New Brunswick, NJ: Rutgers UP, 1968. 38