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一51一一
中央アフリカ共和国の旅①
∼バンギからハタンガフオヘ∼
ボツサンゴアヘの道
中央アフリカ共和国の鉱物資源探査・開発の技術援助
を目的として日本からはじめて公式に派遣される機会
に恵まれた私は日本を出発する以前からか在り緊張
していた.そのおもな理由はこの国の実状を知るに
足る各種の資料を出発前にほとんど入手できなかったこ
と国土のほとんどカミサバンナと密林におおわれてい
ることは確かでありその上に赤遺アフリカ地帯特有
のラテライトによっておおわれている可能性が強いので
恐らく鉱床露頭はもちろん岩石の露出を見ることカミ
ほとんど不可能ではないかと懸念されたことツエツエ
蝿や猛獣や毒蛇匁どによる危機感にもとづく精神的疲労
それに目本の公館カミこの国にまだ設置されていない現
在今回の技術援助カミただ技術援助というだけではな
く目本とこの国とを公式に結ぶ重要なパイプの一つで
あるともいえる重要な意義をもっていると考えられてい
たのでそのパイプをより太くより強くするためには
たとえ短期間の調査旅行ではあっても一つでも成果を
挙げなけれぱ任務を全うすることにはならないという責
任感などであった.
しかし目本のおよそ2倍の面積をもちたがら人口が
わずかに1/50にすぎない人口遇疎しかも本誌221号
で述べたように野外調査にきわめて不利な条件下にあ
るこの国での2ヵ月間の調査旅行ではどう考えてみて
も鉱床露頭を発見することはほとんど不可能に近い.
あらかじめ既知鉱床を指定されその
価値判断を行なうことを目的とする調
査であれば比較的に気が楽だが50万
分の1地質図幅と!50万分の1地質
図を頼りに調査地を選定するいい
換えれば鉱床賦存を予測することは
決して生やさしいことではない.し
かも今回は一発勝負である.
キンシャサを発ってバンギのムポコ
空港に到着する直前に飛行機の窓越
しにオレンジ色のラテライトと深い密
林を見たとたんに気が滅入ってしま
った.しかしもう後へは退け荏い.
人事を尽くして天命を待つだけだ.
小村幸二郎
!50万分の1地質図を頼りに目本を出発する前に計画
した調査経路のうち目程の都合で西部地区を割愛し
チャド盆地の南縁に広大た地域を占める変動時花嗣岩地
帯と中央部の構造帯とに新露頭発見の望みをかけて調
査計画書を作成し水森林鉱山大臣の認可を得た.そ
して2月2目自動車による5,684k皿の奥地旅行出発
の目を迎えた.
午前7時にはバンギを出発することになっていたので
6時にはすっかり身仕度して待っていたのに迎えのラ
ンド・ローバーカミ来た時にはすでに11時を遇ぎていた.
結局ホテノレ前を出発したのはユ2時30分一日のうちで
一番暑くなろうという真昼間である.12時から2時30
分までは役所も商店も休みだし中心部にあるボカッサ
市場を除いては人の姿もあまりみられない.昼食を
すませてのんぴりと午睡をしようという時刻なのにわ
れわれは昼食抜きで出発である.総勢9名が座席カミ
1列しか在い2台のランド・ローバーに分乗して舗装
されていない遣を300km以上も走ろうというのだから
容易ではたい(第2図).その狭苦しい座席にシン
チレーションカウンター距離計ミネラライトカメ
ラ狂どを抱えて3人掛けしているのも大変だが座席に
乗れずにキャンプ用品食糧ガソリンその他を満載
した上に乗っている3人の幸さは並大抵ではない.舗
装されていない道を時速80km以上で走ることも少荏く
ない調査旅行の間私は荷物の上に乗っている3人カミ
ボジョモ
バタンガフオ
クキ
ボツサンゴア
ボツセンベレ
ボウアリ
バンギ
第1図調査行程図
一52一
振り落されはしたいかと心配のしどおしだった.しか
しラテライトの赤いほこりをかぶって肌の色さえさだ
かで荏くなった3人は「すごいほこりだ」と笑いなが
ら苦痛を表清に現わすことはついぞ衣かった・私に
はとても真似のできないことだがこれも自然児のたく
ましさのあらわれであろう.
バンギの11km北方にあるインビの校門所を過ぎると
道路は北酉方へ向かう未舗装の1号線と北東方へ向
かう舗装された2号線とに分か枠る.どちらも一級国
道である.私たちは1号線へ車を向けた.これから
2ヵ月間は舗装道路を走ることはない.
先カンブリア期Aの珪質岩を主とする変成岩類カミ完全
にラテライト化しているこの付近の道路はサバンナの
緑に映えて実に美しく真の独立国を目ざしてたくまし
く躍動する現在のこの国の真紅の血潮のほとばしりを想
わせる.そして激しく揺れる車に身をゆだねている
私には果しもなく打続く緑の野をしとやかで優美な
たたずまいを見せるかと思えば突如として怒り狂う
巨象のような激しさで突進むこの赤くそして猛女しい
道がこの国がたどってきた過去をそのまま表現して
いるようにも思えた.
ごく少数のピグミー族を主とする住民がこの広漠た
る高原地帯で自然の恩恵に依存して秘やかに不相な生
活を営んでいるのを発見したのは1800年フランスの
探検家ドリズイであった.そしてこの発見後間もな
い1805年以後本誌221号で述べたように外部からこ
の国へ移住してくる人が急速に増えていったわけである
がそうした外部からの移住も奴隷狩りに関係した諸
国が奴隷禁止令を発布した1945∼1950年を契機として
急速に減少していった.
一方コンゴを勢力下に治めここを拠点として中央
アフリカヘの進出を計っていたフランスは1889年に
初の駐屯部隊をバンギヘ派遣しいわゆる植民政策の実
行に着手した.しかしその植民攻策が自国の経済
を直接にうるおす物資の確保と白国への移入を主目的と
したものではたくすでに手中にしていたコンゴの大西
洋岸と紅海およびソマリア沿岸とを軍事的・政治的
に結びつけることを主目的としていたことは容易に推察
されることでありその例証の一つとして1898年バン
ギからスーダンヘ向かったフランスのマルシャン派遣隊
とこれに抵抗したイギリス軍との間に発生したファシ
ョダ事件を挙げることカミできる.先進国として古くか
ら栄えていたヨーロッパの国が自国とは遠く隔たった
アフリカの野で戦火を交える姿は一体先住民の眼
にどのように映っただろうか.またフランスのこの
地に対する植民政策の実行に際しては障害がなかったわ
けではない.たとえば北辺の町ンデレ付近ではフラ
ンス軍と地元のアラブのサルタン軍との間に中生層の
台地を舞台にして戦闘が展開されたといわれている.
こうした戦は当時随所で行なわれていたのであろう
カミ槍と弓矢は所詮火器の敵ではなかった.
そしてこの国の南限となっているウバンギ川と北限
と狂っている.シャリ川の名をとって当時ウバンギ・シ
ャリと呼ばれていたこの地は1894年にフランスの領
土の一つとなった.その後この地における行政機構
は徐々に整備されはじめ1900年には本格的校整備カミ開
第2図旅行出発直前の調査用車ランド・ローバー右はしの人物はコック
中央の人物はコック助手
1906{ドユ9ユO!ll
公
ユ920fド1958午以後
す
1ム
ガ際コンゴ
ボ共和田
ン
共
和
国
第3図中央アフリカ共和国の国土の変せん
一53一
始された.1906年にはチャドと合併されてウバンギ・
シャリ・チャドとなり'1910年にはさらにコンゴとガ
ボンがこれに加わってフランス領赤道アフリカ連邦と
なった(第3図).
初のアメリカ人が宣教師として渡来した1920年フラ
ンス領赤道アフリカ連邦からまずチャトカミ削除され第
2次世界大戦終結の翌年に当る1946年にフランス領赤
道アフリカ連邦の改革が本格的に開始された.1956年
には各領土に自主的政府機関の設置カミ認められ1958年
遂にフランス領赤道アフリカ連邦は解体し同年12月
1目中央アフリカは共和国を宣言しバルチレミイ・
ボガンダが初代大統領に就任した.しかしすべてに
一きわ秀でていたバノレテレミイ・ボガンダ大統領は国
民の尊敬と期待を一身に担い長年待ちつづけてきた完
全独立への道を国民とともに力強く歩みはじめはしたカミ
1959年3月29目不慮の航空機事故に遭遇して不帰の
人となった.
この国カミはじめて迎えた夜明けの道はまったく予期
せぬこの出来事によって一瞬のうちに闇に閉ざされ
はしたがバノレテレミイ・ボガンダ大統領の従兄に当る
デヴィッド・ダッコー民カミ第2代大統領に就任して再
たび明るい未来へつながる道となった.そして
「アフリカの年」と呼ばれる1960年中央アフリカ共和
国は8月13目に完全独立を宣言し9月20目に国連加
盟国となり外国の支配下におかれた一つの植民地とし
て生きてきた66年間の過去を清算して世界の真の一員
として生きる目を迎えた.
1960年12月政府は野党の中央アフリカ民主革新運動
を解消し以後は従来の与党である黒アフリカ社会革新
運動(Movementd'Evo1utionSocia1edeI'Afrique
Noire)たけの一党制となった.しかし完全独立を
果たし一党制によって政治カミ行なわれるようになったと
はいえまったく問題カミなくなったわけではなくそれ
は第2代大統領カミ初代大統領と近い血縁の者であ?たこ
と一つを例にとってみても多くの人の疑問と憶測とを
招く何かが底流にあったとも推察される.
そして1966年1月元旦ジャン・ベデノレ・ボカツサ将
軍が軍隊を率いてクーデターを起こし第3代大統領
に就任して現在に至っている.
この国のこのようた歴史の流れに想いを馳せそして現
実を見つめる暗いわゆる植民地であった当時の姿と独
立国となりそして成長を続けてきたであろう現在の
姿とは当然変貌しているにちがいない.しかし
これからの奥地旅行で様々のことを体験するにしても
独立以前と以後どの姿を比較することは私にはむずかし
い.ただ1960年に独立したアフリカの17の国のうち
10年後には独立当時の指導者の10人が完全に失脚する
かまたは死亡しそのうちの2人が暗殺されそして
新しく指導者となった10人のうち8人までが軍人である
という事実を知るとき何かを深く考えさせられる.
鞄を提げまたは頭上に載せた小学生が5∼6人づつの
灘をつくりじゃれながら帰って行く赤い道の右手で
突然すさまじいばかりの火の手が上カミり黒々とした
煙があくまでも澄みきった青空の中へ真直ぐに吸い
こまれてゆく.
サバンナ地帯でほ時折突如として火事力茎発生する
ものらしいがこの火はどうやら野焼きの人らしい.
赤道アフリカのサバンナ地帯の土壌はラテライトで代
表されるように異常在までに鉄分カミ多くて窒素や燐に
乏しくまた密林地帯の土壌はカリやマグネシウムが
乏しくなっている.どちらかといえば耕やしやすいサ
バンナを焼くこの火は現に生きているものを焼き殺し
はするか需要のほとんど100%を輸入に依存している肥
料の入手が容易ではないことからみれば経済的負担を
必要としないこの野焼きは新しい生命を生み出すため
に考えられたすばらしい人間の智恵と経験とによる所産
の一つである.
子供たちの姿カミ絶えてからは家も見えず対行車も
恋く視界に入るのは青い空とその下に続くサバンナの
緑と赤い遣だけである.バンギから約70k㎜のボウア
リで車の調子がおかしくなった.マンゴの並木が続
く道路の一隅に車を停めて点検してみるとガソリンタ
ンクはすでに空に狂っておりこれと連結されている予
備タンクのコックが開いていてこれもすでに空になっ
ていた.これでは車カミ息切れするのも当り前だ.
ボウアリの町の中心から若干離れているらしいこの付
近の風景はマンゴの木とそれカミ路面に落している形と
その向こうに見える萱葺きの家などカミうまく調和してい
るせいか美しくそして静かたたたずまいを見せている
(第4図)。昼食抜きで走ってきた私たちは木蔭に入
って国産ビールのモカフとフランスから輸入されてい
る缶入りのミネラノレウォーターであるエビアンとで喉を
潤ぼしパンと缶詰の鯨を昼食代りにとった.村人が
数人寄ってきた.とても愛想がよい村人ははじめて
見る東洋人に興味があるらしいがそれだけではなく
食物や飲物にも関心があるようだ.しかしそれらの
食物や飲物は私たちが直接に購入したものではなく
同行の鉱山地質局のフロスヘクターであるムッシュウ・
一54一
バトーカーが整えてくれたものである.こうした時は
現地の言葉を覚えるのに絶好の機会でもあるわけだが今
はそうした時間のゆとりはたい.
早々に食事を済ませてボウアリを出発した.町並
を過ぎて間もなくバンギから道路にぴったりと寄り沿
っていた4本の電燈線は右へ大きく迂回して視界か
ら消えた.この電燈線の基点は有名なボウアリの滝
の近くにあるこの国最大の水力発電所である.
「ボウアリ滝への道」と書かれた大きな立看板をうら
めしげに見る私の気持を知らぬげにランド・ローバー
は時速75kmでこの港への分岐点を過ぎバンギ近
郊ではもっとも有名な観光地となっているこの滝を見る
機会は完全に失せた.私は夜は照明に浮ぶというこ
の滝を見ることを一つの楽しみにしていた.それは
この国カミ講るこの滝の美しさを観賞するという欲望でも
あったか真意は岩石の露出をほとんど見ることがで
きないだろうこれから後の調査旅行をより有効にする
一つの手段としてこの滝付近に露出している珪質岩を
主とする先カンブリア期Aの新鮮な諾岩石を晋ひ見たい
という一つの願望であった.しかし先を急ぐこの目
の旅の途中ではこの滝へ行く時間的ゆとりはなく私
は遂に「滝を見たい」とはいい出しきれなかった.
それにしても予定通りにバンギを出発していればゆっ
くりと岩石試料を採取できたものを今となってはもう
後の祭りだ.
1本10フラン(13円)のマニオクを売る女たちが道路
傍にずらりと屋台盾を出しているヴァングウの村を過ぎ
4時!0分にボッセンベレに到着した.ポケットに入れ
ていた高度計は海抜750mを示している.
深い緑にすっぽりと包まれた谷に囲まれた丘の頂に広
がるこの町からの眺めは実に雄大である.車から降り
ると粋な制服制帽をうまく身につけた50歳ぐらいのお
巡りさんが屋早にやって来て直立不動で挙手してく
れた.
「バラオモウイイキンショニイ(今日はお元気ですか)
?」
「メルシイミソギ(有難うございます)スインショニイ
ドクトル(よくハらっしゃいました博士)」
「モウイイキゾテインドウオ(お国はどちらですカ))
?」
「ムビイイキゾテイジャポン(日本です)」
いささか緊張ぎみのお巡りさんの顔に笑が浮んだ.
喉の渇きを覚えて近くのビストロに入ってみた.40
m2ばかりの土間の片隅にしつらえた棚にモカフが20
本ばかりとモカフの工場で造られているソーダ水が10本
ばかり並んでいるだけで客はい狂い.泥壁に萱葺きの
家の中は冷んやりとして心地よく20歳を過ぎたばかり
らしい店の主は注文のビーノレをグラスに注ぐとすかさ
ずサンゴ語の音楽のレコードをかけてくれた.
ビーノレは生温かくて決して美味くはないが渇きき
った喉をうるほすには十分だし高さ1mばかりの手製
の木箱に納められたスピーカーからは実にボリュウムの
ある陽気なメロディが流れはし。めた.サービス満点だ
がこの若者も日本人にはじめて逢って緊張していた
のであろう自分から話しかげようとはしなかった.
夜ともなれば町の中心部にあるこのビストロは人
々の憩の場と狂ってにぎわいモカフカミ景気よく並び
明るい笑と音楽の中で夜更けを迎えるのだろう・そし
てはじめてこの地を訪ずれた日本人のことカミ今夜の
話題を独占することはまず間違いない.
ゆるやかにうねる丘の斜面を一気に下って平原に出
た・車窓から見る恩景はほとんど変化しない.パパ
イアがたわわに実るバッデバの村を過ぎて間も匁く灼
熱の太陽はようやく力尽きて草原の果てにゆったり
と身を沈めていった.夜のとばりの訪ずれは意外に早
く車窓からはみ出した右腕を冷気が突刺してゆく.
ヘッドライトの光の中に二つの人影が浮んだ.月の
先もない暗闇の中を歩く二つの影は槍と弓矢を手にし
た男と女であった.恐らく一胃の野良仕事を終え
て家路を急いているのだろうがその足取りには疲れは
みられない.
道路傍に点々と火が見乏る.電燈の次い生活を送
第4図ボゥアリ付近の風景大きな木はマンゴこの道路は国道1号
線でカメルー:■連邦共和国への主要ルートと狂っている
一55一
る村人が憩の夜の一時を迎える焚火である.寝るため
にだけ使われる田舎の家の前ではこうした焚火を囲ん
で家族揃って食事をし謡に興じている人力の姿がよ
く見受けられるがこの火は多分猛獣の襲撃を防ぐ
役目も果たしているのであろう.
完全に闇に閉ざされた7時夜空を焦がす野焼の火が
ぐんぐん迫ってきた.棒切れを片手にした5歳ぐらい
の裸ん坊カミ燃え盛る炎の近くに立って動こうとはし
ない.襲いかかる炎に棲家を追われて逃げ出してくる
小動物を見様見真似で引捕えるつもりたのかすぐ
近くに建っている萱葺のわが家に飛火しないように見張
っているのかは判らないが私には生活の智恵によっ
て生み出された野焼の火に立はだかるその小さ抵裸が
実にたくましく思えた.いわゆる文明社会に生きる人
々は恐らくわが子をこうした状況下におくことはな
かろう.そしてそうした社会においては自然は
憩の場か己の征服欲あるいは名誉欲を満たしてくれる場
としての存在価値しか認められないことが多いようであ
る.
この小さな裸が思いがけなくたくましく見えた理由は
よく判らないカミもしかしたら無意識の申に自然の
偉大さと美くしさとから遠く隔てられた社会に生きる者
のヒ弱さをもつ自分の広大な自然を生活の場として生き
る者への憧僚と強さの魅力とを眼のあたりに見たせ
いかもしれないしまた少年時代小高い山の頂に登
っては青い海原に無数に散らばった大小様々の島々を眺
め海に潜っては真珠貝や魚を求めた頃をたつかしく想
ったせいかもしれたい.私が少年時代を送った海辺に
は無数のカブトガニがのんびりと干潟を歩いていたし
木枯恩の吹きすさぶ頃の浜辺には大きなイカが打ち上
らげれているのをよく見かけたものだ.しかし美し
い海津美を誇っていたこの土地はやカミて産業振興の
波をもろにかぶって海は埋められ生物はいつの間に
か死に絶え土地は繁栄を迎えたもののいつの間にか
疲れ果てた過疎地へと変わっていった.そして今は大
きな貨物船カミ横付けになっていた桟橋は朽ち果てて跡形
もなく山の形は変わり若者の姿は余りにも少なくな
った.その美くしさはもう返ってはこない.
ったくなくなり今はすでに異郷にいるという実感が
どうしても湧いてこ狂いほどこの国に溶け込んでいるの
になぜタムタムの音がこうも自分の心をゆさぶるの
だろう.
一目の労働を終え家族揃っての夕食を済ませた後の
一時タムタムを叩き歌いそして踊る村人たちの姿
が脳裏に浮んでくる.音楽が人の心や動きや自然の情
景を表現する一つの手法であるならば消え入りそうに
低く静かでゆっくりとしたリズムから突如狂乱
を想わせるように高く激しく早いリズムに変わる
そのメロディは祖先から受け継がれてきたものである
だけに彼等が抱いている何かを表現していることは確
かだ.私にはそれが何であるかはもちろん削りはし
ないが喜怒哀楽を表現しているにちがいないと思える
そのメロディカミ彼等がそして彼等の祖先が激しい歴史
の流れに身をゆだねてきた過去の姿と未来へかける夢
とを象徴しているように思えてならない.
7時30分ボッサンゴアの入口に着いた.ランプを
灯す道傍の夜店では大人も子供も駄菓子を食べお
茶を飲みながら話に興じている.
オウアム県の県庁所在地であるボッサンゴア市はこ
の国第三番目の人口をもつ街だけに賑やかなのだろうが
ごく一部を除いては電燈がないのでそのたたずまいは
さだかでない.
何はさておき県知事官邸へ挨拶に伺ったが県知事
はチャド共和国との国境の町マノレクンダヘ旅行中との
ことで留守であった.県知事夫人に挨拶を済ませて
間もなく小型の乗用車がきて軽装の2人が降り立っ
た.一人はフランス語よりもイタリア語の方が得意と
いう市長のベナム・ピエール氏小柄のもう一人は県庁
の総務部長のサービス・ニコラス氏である.初対面の
挨拶を済ませた後近くのホテノレでビールを付会うこと・=
になった.ホテノレとはいっても木造2階建の小さな
もので客の収容数は10人前後らしい.もっとも旅
行者も少たいのであろうから堂々とした白亜のホテノレ
は必要租いのかもしれない.だが土地があり余って
いる国だけに庭は広々としており広いベランダも中
々いける.
哀愁を秘めたタムタムの音がどこからともなく聞こえ
てくる.そのリズムと音色はすべてを閉ざした暗闇
の中を走りつづける車に身をゆだねてきた私の心を妙
にゆさぶった.中央アフリカの夜道をはじめて走って
いることは確かではあるがバンギで20日間ばかり過す
うちにこの国の人たちとの間の精神的な一つの壁はま
私たちがそのホテルに着いた時ベランダの片隅のテ
ーブルで制服姿の男が一人静かにグラスを傾けていた・
聞けばボッサンゴアの税務署長さんとのことだ・ど
ちらかといえば市長さんは謹言実直型総務部長さん
はいかにもその職務にうってつけの性格らしく客人を
播きさせないゼスチャー入りの話術は大したものだ・
一56一
策5図マ:■ゴとブーゲンビリアに包まれたボッサンゴアの僧舎
いささか疲れてはいたが三人の実に巧みな接待ぶりに
つりこまれて時のたつのを忘れた.夕食前の私たち
は三人に厚く礼を述べて宿舎へ向かい9時20分バン
ギから314長mの第一目の旅は終った(第5図).
電燈のない宿舎ではあるカミ幸に水道は使用できる
しシャワーも使える.ラテライトのほこりをかぶっ
たせいか作業シャツはもちろん今朝おろしたばかり
の下着までも赤く染っていた.頭からかぶった水は
ほこりと睡気とを洗い流してくれた.コックのジュノレ
爺さん(第6図)と助手のパスカル(第7図)カミ準備し
た夕食はランプの灯を頼りにささやかにはじ・まり
そして実に呆気なく終った.
ランプの灯を頼りにメモを書き終え11時過ぎに寝袋
に入った.朝早く起きたこともあってやはり疲れて
いたのであろう.旅行第一夜のねむりは早かったよう
だ.
調査第一目
昨夜はぐっすりと出づたらしく午前5時30分の眼ざ
めは実にさわやかであった.エビアンの缶1杯の水で
歯を磨き顔を洗ってそ一つを表へ出てみた.夜のと
ばりはまだ完全にはあけきってはいないが宿舎の玄関
の横に咲くブーゲンビリアの真紅の花は素肌を鮮やかに
見せていた.昨夜は暗くて何も見えなかったかこの
椿舎が建っている敷地内は美くしく手入され敷地内を
突切る道路の両側にはマンゴの巨木カミ繁っている.胸
一杯に冷んやりとした空気を吸ってこのマンゴの並木
道をオウアム川へ歩いてみた.昨夜からゴトンゴトン
と伝わっていた音は僧舎から150mばかり離れた所に
ある綿工場(第8図)の機械の音であった.この綿工
場は24時間操業在のであろう.工場の入口で仕事をし
ている若い労務者が4人けげんそうな面持で私をし
一つと見つめている.
オウアム川は朝もやの中に音も匁く水の流れは点
々と突き出ている岩をやさしくなでている.岸辺に
杭う丸木舟の近くに痩身の老人カミ仔ずんでいる.何
を見つめ何を考えているのかまったく動こうとはし
ない.
突然近くの草がざわめき水ガメを頭に載せた少女
が2人ひょっこりと姿を見せた.大柄の花模様があ
る短かめのワンピースに身を包んだ少女のあどけない顔
が私に向かってほころび真白な窟がこぼれた.
「バラオ」
「バラオミン・ギイ」
「モウイキンショニイ?」
「メルシイミンギイ」
「イルテイモウイエン(お名前は)?」
「イノレテイムビシモン(シモンてつ一)」
第6図コックのシュル爺さん
せさらに臼と杵で粉末にし
ある.弦は7本で両方の手で
一57一
朝もやに包まれて音もなく流れる大河の水その岸辺
にイ字ずむ老人と一艘の丸木舟水を汲む少女(第9図).
私は夜露に濡れた草に腰をおろして実に美しく実
に平和なその光景を見つめたがら時のたつのを忘れた
(第!0図).
パンとコーヒーの朝食を終って第一目目の調査に出
発する.目的地はチャド共和国との国境から約30km
南方のボショモ部落付近である.赤道アフリカの一目
の活動は早く始まりメイン・ストリートを足早やに歩
く人の姿もかなり多い(第11図).
宿舎近くのガソリンスタンドで給油しずく近くの雑
貨屋でプラスチック製の水筒を買った.邦貨にして約
500円のこの水筒は本来は油か何かを入れるためのも
のであろう.店内には衣類から食糧品まで多種多様の
商品か並んではいるが肉と魚だけは見当らない.バ
ンギのスーパーマーケットでは生のイカタコ貝魚
第8図ボッサンゴアの綿コニ場
肉類などを売っているがこの店で売っているのはほと
んど缶詰だ・しかしバンギから遠く離れている割に
はバンギとくらべるとそれほど高くはない.ボッサン
ゴアの市街を離れて国道1号線を北上する途中マニオ
ク野菜果実小動物薪などを頭に載せてボッサ
ンゴアの市場(第12図)へ向かう多くの村人に出逢った.
彼らがどれほど離れた所からそうした品物を売りにやっ
てくるのか判らないが黙々と歩く彼らの表情には疲労
のいろはみられない。遠方から品物を売りにきた彼ら
はその品物を売った金で子供への土産や日用品を買い
そしてある者は市場近くのBARTIKODORO(第
13図)で喉の渇きをモカフでうるほしほんの一時の
語らいを楽しんだ後で家路をたどるのであろう.そ
れにしても強靱狂体力と脚力とが生活を全うするため
の第一条件とたっているのであろう彼らの姿には深く
考えさせられる何かがある.
第9図ボッサンゴアのオワム川で水を汲む小女
第10図ボッサンゴア市内を流れるオワム川
第11図ボッサンゴアの中心地付近中央の白衣の男はアラブ系後方
の白い塔近くに県庁がある
一58一
ボンゴヨで2級国道24号線に入った.これからクキ
まで約21kmの道路は大して荒れてもいないがクキを
過ぎたとたんに道はが晋ん悪くなった.車の速度は
20km前後に落ち激しく揺れるたびに右腕がドアに
ぶっつかる.運転手はもちろん大変だが当方も決し
て楽ではない.ボショモ(第14図)に着いた時には
ボッサンゴアを出発してからすでに4時間が過ぎていた.
交通信号もなければ対向車もほとんどないわずか1!8km
の遣である.
ボショモは泥煉瓦と萱葺きの家か道路に沿って数10
戸並んでいる静かな村であった.暑い盛りのせいか
マンゴの木蔭で立話しをしている数人の女性以外には人
影も見当らない.商店らしい造りの家も見えないよう
だが日用晶などを商う店があるのだろうか.
チャド共和国との国境になっているナナ・ハイヤ川
の1支流がボショモの2kmばかり東方で道路を横切る
地点で車を停めて早速調査にかかった.北辺の町ン
デレ付近から続く変動時花開岩々体の南端部付近に当る
この地区にはこの他に先カンブリア期Aのクキ層鮮
と第三紀のチャド層群が分布しているはずだカミ地形が
ほとんど平坦である上に植生におおわれているので露
出はみられそうにない.
ツエツエ蝿の恐ろしさを書物で知りまた同行のフ
ロスヘクターから聞いていた私はものすごくむし暑い
灌木地帯を歩き廻るうというのにフード付のアノラッ
クを着皮手袋をして万全を期した.しかも腰には
ハンマー錯クリノメーター肩には図ノウガメラ
距離計をさげサンブノレ袋医薬晶水筒たどを入れた
サプリュックを背負いシンチレーションカウンターを
手に提げている.相当荷重量物を身につけて歩こうと
いうのにこの調査地内には道カミない.
歩き出して5分ばかり過ぎた噴花商岩を不整合にお
おうチャド層灘の基底部付近と推定される付近で弱い
放射能異常が見つかった.まったく未知の国での調査
第1目目のしかも調査開始直後のこの発見は私にとっ
ては何よりも嬉しい出来事であった.しかし残念
ながらその異常は躍起になって追跡させるほど連続
してはい衣かった.
灌木をくぐり抜け密生する高さ2mばかりの萱をか
第13図ボッサンゴアの市場近くの飲屋の覆板.BARTI
KODORO(村のバー)Samb副tiCentrafrique中央アフ
リカのサンバ)MOCAFはバンギに工場があるビール会社
の名前象はこの会社のマーク
第12図
ボッサンゴア市場建物は
商品の約80%は野菜と果実
第14図チャド共和国との国境から約30km南のボジヨモ部落付近にはマンゴの
木が茂り道路の両側にカヤ薄の家カ糖ち並んでいる在肩中央アフリカ
共和国大便館のベルーム氏はこの部落の出身である
一59一
き分けながら調査を進めてゆくのは楽ではない.かつ
てサウジ・アラビア王国で陽蔭でさえ49Tであった
夏の初め一目8時間以上も直射目光を浴びて調査に励
んだ時も事かったカミ今はその頃とはまったく違った
何かがいっの間にか身体を触んでいるよう汰感じで
ある.
露出を求めてとぼとぼと歩き恋がら毒蛇ツエツエ
蝿猛獣などに気を配りシンチレーションカウンター
から眼を離せないので精神的な疲労が大きいせいだろ
う.2mばかり前を歩いていたガストンが不意に立
止り目くばせして銃に5m㎜の散弾をこめた.私
はガストンが何を見つけたのか分らないながらも
「早く逃げろうまく逃げろ」と一瞬祈った.ガスト
ンは足音をしのばせて50mばかり獲物を追って行っ
たがとうとう銃口が火を吹く瞬間はこなかった.
「ガゼノレ(鹿)がいたんだが」とがっかりした面持で弾
を抜くガスト:■を気の毒に元やり恋がら私はほっとし
た.私とて荒漠たる大地で野宿を重ねながら片時
も静止しようとはし注い苛酷なまでに厳しい自然とそこ
に生きる人々を長い間見つめてきた人間である.野
生動物の繁栄を計るために自然の節理として弱肉強食
が行なわれある程度はそれを殺すことカミ必要でありそ
うすることがそこに生きる人々や動物の生命を永らえ
るための方法の一つであることぐらいは百も承知して
いる.
しかし狙われた鹿かガストンの銃からうまく逃げき
ることを祈った私の胸中にはじめて訪ずれたこの国の
美くしい自然の静かなたたずまいを損うことをおそれ
そして今までは何の恐怖をも抱かずに餌を求め歩いて
いたであろう野生動物に対する憐欄の情と調査第一目
目に血を見ることを極度に嫌う気持とが去来したこと
は確かだ.一だがこうしたウェットな気持もたとえ
短かい間とはいえこれから先喜怒哀楽と起居を共に
する自然児の一人の友としてこの大地にたくましく生き
ようとする私の胸中から目を追うごとに次第に薄ら
いでゆくことだろう.そうした心の変化は生物に対
する愛庸いわゆる動物愛護という面からみれば精神
的惰落とみなされないこともないが一面白已のおか
れた環境に逆らって生きることのむずかしさというよ
りはむしろそうした環境の中で生き抜くために必要不
可欠のものであろう.新しい生命を生みそしてそ
れを青くむためには死を余儀なくされるものカ玉なけれ
ばならない.それは人間の社会においてもまた
野生動物の社会においても避けようとして避けること
のできない大いなる自然の偉大な淀の一つである.
調査旅行申は午後1時30分に仕事を終了することに
なっているということだカミこの目調査を終えた時には
1時30分をとっくに過ぎていた.うるさくつきまとう
無数の蝿に悩まされながら木蔭で一休みする.バン
ギを出発する直前に買求めた氷を入れたアイス・ボック
スの中ではモカフとエビアンが凍らんばかりに冷えて
いた.渇ききった喉を突刺すような冷たいビーノレとエ
ビアンは水道設備や井戸がきわめて乏しいこの国では
最高の清涼飲料水にたっているようだI岡くなったパ
ンと缶詰の錬をエビアンで流しこんだ後現地を離れた.
これから100良m一以上も悪路を走るのかと思うとうんざ
りする.しかも一番暑い時刻である.
目もくらむような強烈な光の中をひどい揺れようで
喘ぎながらボッサンゴアを目ざして行く.グラス1
杯のビーノレが切角眠りの淵に誘ってくれているのに激
しく身をゆする車はあくまでもそれを妨げようとす
る.まったく腹立たしい遣だ.
雨季に備えて橋の架け替え工事が始まったらしく
20人ばかりの若者が働いている.今朝は彼らを見かけ
なかったのでこの工事は始まったばかりなのだろう.
直径50c皿ばかりで長さ!0㎜ぐらいの丸太は恐らくケ
イホックだろう.その上に長さ5mばかりの丸太を
並べて蔓で縛り石を敷きつめさらに砂利を敷くと橋
は完成するが長さ!0㎜余り高さ5mぐらいのこの橋
が曲事上るまでには人力だけが頼りだけにかたりの
日数を要するようだ.
クキの家並を過ぎて間も粧く砂塵を高く巻いてこ
の国ではよく見かける白い小型乗用車が前方から突走
ってきた1そして行き交う折その車を運転してい
た婦人はすがすがしい微笑を残して行った.クキの
小さな教会の主であろうと思われるこの婦人は飛行機
も通わないこの辺境の地でもう何年ぐらい生活を営ん
でいるのであろうか.ほんの一瞬の出来事ではあった
けれども私はその婦人のさわやかな微笑の中に神
に仕え文明を遠く離れて生きる人々を限りない愛庸を
こめて導く身というだけではなく達観した人の強さと
美しさをかいま見た.あの優しい微笑が失せ放い限り
婦人はきっとこの町であるいはより奥地で美くし
くそしてより強くき全てゆくことだろう.
暑さと疲れとにうんざりしていた私は多分フランス
からきているのであろうその婦人との一瞬の出蓬いに
暑さ寒さ疲労荒れ果てた遣そして乏しい食生
一60一
活を当然のこととして受け容れるまでに至ってい狂い自
分の弱さを思い知らされた.決して若くはないこの婦
人との一瞬の出逢いとそれによって得そして考え
させられたことは私の脳裏に生涯強烈に焼きつけられ
ていることだろうしまた折にふれてともすればく
じけそうになる私を強く励ましてくれることだろう.
そしてそれは私にとってこの目最高の収獲であった
ように思える.
陽ざしが幾分弱まってきた.紺碧の空にくっきりと
浮んでいたゆるやかにうねる丘の連なりがいつの間に
か淡い紫色に変わっている.獲物を求めて山野を馳
け回っていた男も野良仕事に精を出していた女もぼ
つぼつ家に帰っているらしく通り過ぎる村には人影が
濃くなってきたようだ.
すばらしいプロポーショ.ンの身に色あざやかな民族衣
裳を縫った市場帰りの婦人の長い影がリズミカノレに
家路をたどって行く14時40分242kmの調査第1
目目は無事に終わった.
赤ワインとビーノレのアビタイザーで始まった夕食は
バンギから買ってきたパンにインスタントのポタージュ
・スープサラダ牛肉のステーキデザートガミマンゴ
という献立であった.コックのジュノレ爺さんは念入
りに料理したにちがいないのだがやはり多少は気にな
るのか食事が終わるまでいささか心配気にテーブル
の近くに立っていた.これから20目ばかり過ぎた頃に
はジュノレ爺さんは「ムビアエケテイコベテイ
モウレンギテイワリテイコーノラクウイケ
ーゲラケ(和しや明目の夕方河馬の娘の料理を食いたい
よ)」匁とと真顔でいう私にからかわれて腹を抱えて
笑いこけるようになるのだがこの時はまだかなり緊張
してい年ようだ.それも無理はない初めて顔を合わ
せて2目目目本人の性格も食物の好みもよく判らない
時である.
明目はこの町に別れを告げるということもあって夕
食後同行の連中に誘われて夜のビストロヘ足を運ん
でみた.はじめて見るビストロの入口は狭くその入
口付近にたむろしている10人ばかりの子供は出入りす
る客に関心をもち内部の様子を覗きたげである.
困りをトタンで囲っただけのビストロには色とりどり
の裸電球カミ揺れ中央にしつらえたコンクリートの踊り
場では多勢の若者が早いテンポのリズムにのって
強烈なエネルギーをほとばしらせ踊り疲れた若者は
回りのテーブルでモカフやソーダ水のグラスを傾けて
いる.生温いモカフで喉をうるほしながら彼らの踊る
姿を見つめているうちに私は「この若者たちのたく
ましいエネノレギーは昼間も燃え盛っているのだろうか」
とふと思った.
同じテーブルでモカフのグラスを重ねていた兵隊が
しきりにモカフをすすめビストロで働いているお嬢
さんと踊るようすすめてくれたカミアノレコールに弱く
また踊をまったくしらない私は固く辞退した.どう
やら私のような取得のない人間はビストロの客として
は最低らしい.しかし飲まず踊らぬ客なのにいろい
ろと世話をやいてくれる人カミ多いところをみるとはじ
めてお目見えした異国人の客ということを割引いても
この国には親切でお人食しが多いようだ.それは恐
らく豊かな自然があるからこそ青くまれたものであろ
うカミただそれだけの理由で青くまれたものではないの
かもしれない.
一般に異民族の支配下に生きることを余儀なくされ
た人あるいは民族はどちらかといえば弱い立場にお
かれたもの特有の保身の術をいつの間にか会得するもの
である.もちろんそれは力では放くて智恵であり
財力であり支配者に対する抵抗の一つの形でもあろう
がむしろ被支配者の枠からの一つの逃避でありま
た被支配者から武力を持たぬ支配者への脱皮でもある.
このことは過去の歴史をひもといてみれば誰もが否
定することのできない厳然たる事実であることが削る.
たとえばきびしい自然条件の中で生きてきたアラブの
人々が変転きわまりない戦乱の世を経て名だたる商
人としての活路を見出した事実祖国をもたぬ流浪の民
として生きなけれぱ校らなかったユダヤの民が商人とし
て大成した事実いわゆる華僑の呼ばれてきた人々の生
きかたなどはそのもっとも良い例であろう.
植民地として生きてきたこの国の人々はやはり一つ
の枠の中での生活に甘んじなければならなかったはずた
のになぜ俗にいうずる賢こさを身につけなかったの
だろうか.性格的に時流に逆らわない民族なのかま
たは逆らいたくても逆らう術を知らなかったのか私
には判らない.しかし優しい心を失なわせなかった
何かカミあったことは確かだろう.
飲みかつ踊る場には似つかわしくない私は一緒に連
れ立ってきた人たちより一足先にビストロを出て宿舎
へ帰った.闇に閉ざされた宿舎の中は異様柱までに
静かであった.綿工場は24時間操業なのであろう今
夜も機械の音が夜のしじ。まをふるわせてゴトンゴト
ンと聞こえてくる.一目の行動と地質に関する事項の
メモを整理し終えた時にはもう11時をとっくに過ぎて
一61一
いた.ガラス窓の破れをガムテープでふさぎがら一
んとしたコンクリート造りの広い部星の片隅におかれた
古びたベッドに身を横たえた.バンギよりもわずかに
100m高いだけの土地なのに肌寒い夜である.
最初の障害
ボッサンゴアからバタンカフォまで三級国道沿いに近
道すれば約150kmどんなに道が悪くても6時間もあ
ればゆっくりと行き着ける距離である.私たちはは
じめ途中無事に旅行できるようにボッサンゴアから
ブーカを経由してハタンガフォヘ行く径路を考えていた
が同行の連中のすすめでこの近道を行くことに変更
した.
ガソリンを補給し若干の買物を済ませて9時30分
にボッサンゴアを出発した.相変らず賜わっている市
場を過ぎて間もなく国道1号線からハタンガフォヘ通
ずる三級国道に入ったとたんに道はがぜん悪くなった.
想像以上の悪路である.2時間余りも費やして走った
56良mのガヤ部落近くで私が乗っていた車のエンジン
が停止した.どうやらバッテリーが悪いらしい.
ベテラン運転手のアントアンのてきぱきとした修理で
30分後にはどうやら動くようになった.そしてすぐ出
発したものの10kmも走らないうちにエンジンは再
び停止Lた.バッテリーがすでに使用限界に達してい
るらしい.こうたるとバッテリーのスペアのない悲
しさじっくりと腰をおちつけて修理するほかは狂い.
陽はすでに高く強烈な光の中でアントアンが修理を
はじめると陽気なハイヤ族の男や女房たちがもの珍
らしげに集ってきた(第1516図).彼らは故障車と
山のように積んでいる荷物とに興味をもっているような
そぶりを示してはいるがどうやらお目当は2人のジ
ャポネーズらしい.この村ではハイヤ族の言葉以外は
通じ恋いらしく「ポンジューノレミダムコマタレヴ
ウ」「バラオモウイキンジョニイ」とフラン
ス語とサンゴ語で誘しかけてみたが残念ながらもどち
らも通せず女房たちはケラケラ笑うだけだ.結局
同行9名の中でこの村の住人と話せたのはコックの助手
のパスカノレだけだ.素焼の器を手にとって見たりマ
ニオクを料理しているのを見たりする私たちを見てこ
の陽気な女房たちは腹を抱えて笑い小学校へ通ってい
る男の子は水ガメを頭に載せてカメラに締ってくれ
た(第17図).警戒心などは一がけらもなくまるで
10年来の知己のような振舞である.あくまでも澄みき
った空うっそうと茂るマンゴ高原のこの村で自然と
ともに生きているこの人たちの底抜けの明るさと屈托の
なさはきっと自然に逆らわぬ長い生活の中で知ら
ず知らずの中に身についたのであろう.
2時間ばかりかかってできるだけの手当をした甲斐
があってエンジンは動きょうやく出発した.しか
しやはりエンジンの調子はまともでなかった.ロ
ープで引張り時には後ろから押してだましだまし走
り続けてはいたもののハタンガフォヘ50kmの地点で
完全に立往生してしまった.こうなったらハタンガ
フォヘ急行してバッテリーを調達してくるよりほかに
方法がない.故障車と4人を現地に残して私たちは
ハタンガフォヘ出発することにした.自動車はもちろ
ん人の姿も絶えてない密林の中の狭く荒れ果てた道だ
けに日没後は猛獣が出没するのだろう.残留するこ
とに狂った4人のうち2人はすぐに薪を集めに走り
他の2人は銃を構えた.
たとえようもないほどに荒れ果てた遣を狂ったように
突走る車の窓からはみ出した腕を木枝がひっきりなし
第15図
ボッサンゴアの北東方57㎞付近のバイヤ族の若者達家の白壁には左は
しの少年と同じようにボクサーの姿が画かれているのがしばしぱみられる
がそれは寓や強い者へのあこがれの象徴わ一つかもしれない
第16図バイヤ族の女房淀ち割合いに小柄で実
に愛梱がよい腹部が異常なまでに出ているのは恐らく偏
食による栄養のアンバランスが原因の一つに恋っているので
はなかろうか上半身裸の人が多v'がまれにまるい葉のつ
いたツタを腰に巻いただけの人を見るζとがある
一62一
に叩く.ベザンガの村で火の手が上っている.萱葺
きの屋根が轟音とともに燃え盛っている家の前にたむろ
する村人の中で一人の老婆が泣いている.燃えてい
るのはこの老婆の家なのであろう.私は打ちひしが
れたよう恋弱々しい老婆の姿を見たとたんに村人たち
の愛情がこの老婆を力づけてくれることを祈った.
6時20分音もなく闇の中を流れるオウアム川の岸に
着いた.この川を渡ればバタンカフォだが橋はない.
対岸にいた係員に声をかけてフェリーを廻してもらった
ものの自動車をフェリーで渡せるのは午後6時までに
限られているということで係員に何度頼んでも遂に
車を渡してもらうことはできたかった..止むなく運転
手のレイモンドとジャン・クロードを車に残して私た
ちは部長宅へ向かった.
電燈はなく闇の中にぽつんぽつんと焚火がゆらめい
ている.マンゴらしい並木が両側に続く道を歩いてい
ることだげは何と放く判ったカミその他の様子は一切判
らない.しかしタムタムの音は高く歌声さえ聞こ
えてくるので町の中を歩いていることは確からしい.
調査用具だけしか持ってはいないのに私の足は空腹
と疲労とですでにもつれかけていた.思えば今朝
起きてからこれまでに口に入れた物はパン4片とココア
1杯缶詰の鰯2匹それに水だけだ.すぐそこだ
もうじきだという案内の男の声につられて目標のまっ
たく見えない暗闇の中を果てしのない旅路をたどる思
いで必死に歩いた.
「もういいかげんに歩くのを止めろ荷物を投げ捨て
てそこに転がってぐっすり眠れ」と悪魔の瞬きのよ
うなものカミ耳をつく.「付くそ意地でも立止るもの
か」と歯をくいしばって歩く行手にようやくラン
プの明るい灯が見えた.一刻も早くその灯の元にたど
り着こうと気は焦るカミ頼みの足は一向に進んでくれな
い.ようやく人声を聞けるところまでやってはきた
が道路からそのランプの灯にたどり着くまでには急
な石段を数10段も上らなけれぱならないことが判って
気が滅入った.まるで這うようにしてその石段を上り
部長に挨拶をして椅子に腰掛けたとたんに私の全身か
ら一気に力が抜けていった.
部長のマカウンダ・ピエール氏に窮状を訴えバッテ
リーの調達とフェリーによる自動車の渡河とを頼んだ.
一見とっつきにくそうな部長は実に親切で私たちの頼
みを早速聞き入れて下さった(第18図).
7時20分レイモンドとジャン・クロ.一ドはバッテ
リー2箇を積んで仲間が待つ密林へ引返して行った.
人里を離れた闇の中を走るのは楽ではない.荒れ果て
た山道はここが動物王国だけに危険に満ちている.
2人が無事に仲間のところへ帰り着きそして一刻も
早く皆元気な顔を見せてくれることを祈る一方疲れと
空腹とで気持カミ焦立って思わず愚痴をいいそうになった
私は引返して行った2人と辛抱強くこの2人を待って
いる4人の辛さを思いここでも自分の弱さを責めなけ
ればならなかった.
この夜食糧のすべてを故障車に積んでいた私たちの
手許には空腹を満たすものは何一つなかった.それ
を察してかまたははるばると訪ずれた客に対するし
きたりなのか部長は科たちを夕食に誘って下さった.
顔と手だけを水で洗っただけの身体は精気を取戻すには
まだ程遠い状態ではあったが冷たいビーノレと美味いワ
インカミ最高のアビタイザーと放りそして日本を離れ
て以来はじめて賞味する家庭料理の味カミ飢えていた私
第17図水ガメを頭にのせてポーズをとってくれたハイヤ族の少年この家は泥煉第18図
互に萱葺きの典型的な家の一つで軒先を広くとってあるのは陽蔭をつく
るため一般に家は寝るための場所であリ目中の生活はほとんど屋外で
行なわれる
バタンカフオ部長マカウンダ・ピエール式ジャン
・ペデノL・ホカ〃サ大統領と同ゼムバカ族の出身であ
る
一63一
を餓鬼と化したようだ.同席された部長と部長夫人
それに部長の御令妹の巧みなもてなしに私は多種多
様の料理を片っ端から口に運び食事半ば頃には「ム
ビアエケティコビティバンマラ(私はライオン
の料理を食べたいんですよ)」と冗談をいえるほどに
元気を取戻していた.
大食家ではない私にしてはこの夜の夕食の量は自分
でも驚くほど多かった.いささか恥ずかしくもあった
が大いに飲みそして大いに食べることを喜こぶ人たち
だから私の食欲は皆さんに喜こばれこそすれ決し
て軽蔑されるものではない.
10時過ぎに部長さんに送られて宿舎へ帰った.電
燈はなく水道もない.玄関のドアを開けて中へ入った
とたんにそれまで表の暗がりでとぐろをまいていたら
しい無数の蚊カミ久しぶりの人の体臭を嗅ぎつけてか
あるいはアルコーノレの香りに魅せられてか一斉に飛
びこんできた.防ぐ方法は唯一っアノラックを着込
み手袋をして顔を狙ってくる奴を叩き殺すことだ.
あてがわれた部屋の中には鉄製のベッドが一つ置かれて
いるだけできわめて殺風景である.私は作業服を
着て編上靴をはいたままそのベッドに身を横たえ闇
を見つめていた.腹がくちくなったせいもあってか
疲れカミど一つと出睡魔カミ急に襲ってきた.早くぐっ
すりと眠りたいと思う一方故障車と現地に残った連中
の到着を待ちわびる気持が激しく交叉する.12時を過
ぎた.だカミ人の気配も車の音も聞こえてはこない.
そして12時20分を確認した後自分の意に反して私
は不覚にも寝入ってしまった.
さめの原因は作業服と作業靴だ.2度寝のできたい私
はまだねむい目をこすりながらしぶしぶとベッドを
離れて表へ出てみた.まぶしい光がラテライトの庭
を一層鮮やかに照らし玄関近くに咲き乱れているブー
ゲンビリアの花は澄み渡る青空と宿舎の白壁に美く
しく映えている(第19図).庭の片隅にランド・ロー
バーが侍っている.しかも2台だ.それを見たとた
んに睡気は吹飛んでしまった.私の姿を見かけて
シュル爺さんがやって来た.聞けば2台の車は午前
3時に宿舎に到着したそうだ.連中の真面目な頑張り
には本当に頭が下る.
まったく予想もしなかった旅行当初のこの大きな障害
に遭遇してこれから先の長い旅路に一抹の不安な感じ
さらにまた日本と中央アフリカ共和国とを結ぶパイプ
の役目を果たせるかどうかいやどうしても果たさな
ければならない自分の立場を思うときたとえこれから
矢そのような障害や不安にとりつかれようともその役
目を全うしなければならない責任感が私の胸中をかき
乱すように去来した.
これから先不安と責任感とに責められて眠れぬ夜
カミ続くのであろう.胸を張ってバンギヘ帰れるかどう
かこの悩みはこれからの長い旅路が終わるまで尽きる
ことはない.そして最悪のばあいはバンギヘ帰り着
く目そしてまた帰国する目に頂点に達するだろう.
パイプの役目を果たすことそれほ考えれば考えるほ
ど浅学非才の私には異様なまでの重味をもって情容赦
なくのしかかってくる怪物に思えてくる.
(筆者は鉱床部)
2月5目午前8時妙な窮屈さで眼をさました.眼
第19図バタンカフオの国営宿舎
3LD-Kの小さなものだカ芸使いやすい聞取りに
なってv・る右側の小さな家は便用人用として
建てられたものらしい力量ふだんはこの宿舎の番
をしている囚人の寝室として使われている
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