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会場見取り図

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会場見取り図
(1) Walk this way
映像 9 51
撮影 : 森下佳 出演 : 羽吹理美 車輛 : 角田啓
2015
震災から 4 年経って、はじめて福島に行った。
事故直後、何故かどうしても被災地に赴く気になれず、
むしろ時空間を離れて、「広島」や「関東大震災」を経
会場見取り図
巡りながら制作を重ねてきた。しかし、皆が震災や事故
を忘れかけ、オリンピックも決まり、徐々に「復興」が
メディア上で喧伝されてきた頃、俄に被災地をこの眼で
見たくなったのだった。
リアリティの無い記号の街。どうしようもないリアルが
そこにあるはずなのに。
常磐道に沿って、いわき、楢葉町、富岡町、福島第一原
発、南相馬などを見て回った。今年の 1 月から、およそ
一月に一度。所詮、東京者の、
「観光客」(東浩紀 ) の視線で。
ただ、なにより網膜に焼き付いたのは、除染作業 (=「復
(9)
興」) が進むに従って、逆説的に、いやむしろ論理必然
的にか、山のように堆積し増え続けてゆく黒い巨大な塊、
(8)
フレコンバックだった。
(6)
目に見えない、それゆえにあらぬ恐怖を駆り立てもする
物質の付着する木や土を、ただフィジカルに詰め込んだ
(4)
(1)
(2)
(3)
だけの布っ切れ。可視と不可視の境界線、耐用年数 5 年
の安全弁。分厚いようで薄っぺらくて、禍々しいのに無
力そう。コレ、ここに置きっぱなしにするんだろうか?
(3)’
……
たぶん、本当の意味での「復興」は何も果たされていない。
(3)”
しかしそれでもなお、僕らはこの道を歩いてゆかねばな
らない。
ボエッティの代表作に《MAPPA》がある。これは、
世界地図をベースに、各国の領土・国境線ごとにそ
の国の国旗が縫い込まれているという、織物の作品
だ。一見、華やかで楽しいビジュアルにみえるが、
しかし、制作の動機は極めてコンセプチュアルであ
る。なぜなら彼は、1967 年に起きたアラブ・イス
ラエル戦争 ( 第三次中東戦争 ) で国境線が変化した
ことをひとつのきっかけとして、《MAPPA》の制
作を始めたからだ。彼は言う。
「私の仕事、『マッパ』は秩序の提示であり、ゲーム
(戦争)のルールを知るための疑問である」※
21 世紀の現代、ボエッティの言葉を借りて言えば、
「ゲーム(戦争)のルール」は変わった。
国旗に象徴される国境内の領土を基とした主権国家
間の「ゲーム(戦争)」から、テロ リズム、ゲリラ
戦、そしてインターネットにおける動画投稿サイト
や SNS を駆使したグローバルな情報戦へと変容を
遂げている。それは終わりなきゲーム、終局なきチェ
スのようなものだろう。であるがゆえにこそ、僕ら
は " 新しい地図 " を提示する必要がある。
それは、領土ベースで国旗が区切られた「秩序」で
はなく、各々の「普遍」を巡って、主義・民族・宗
教・国家などが横溢してぶつかり合う 混沌 " であり、
「われわれ/彼ら」の間の境界線 (Border Line) を
絶えず刷新し引き直し続ける、即ち " 織ってはほど
かれる "、迷彩柄のように眩惑的な、新しい世界地
図になるだろう。
※引用 http://www.yomitime.com/081712/0601.html
(7)
(2) Flexible Container Board
(2)’
(3)
パネルに土嚢袋
2015
フレコンバックのマチエール、その機能性ゆえ無機
質に織り上げられた繊維は、むろん、美しくはない。
(5)
(3) Untitled
インクジェット・プリント
2015
福島第一原発 20km 圏内にある帰宅困難区域、富
岡町の風景。除染作業を優先するがゆえに手が付け
られてこなかった、散乱したガレキや倒壊したまま
会期 : 2015年6月26日(金)∼7月5日(日)
場所 : TAV Gallery
の家屋は、4 年経ったいまでも、震災当時の様相を
生々しく残している。
(4) New World Border
(5) N.W.B - A
N.W.B - I
N.W.B - F
N.W.B - J
テキスタイル
2015
I
P
A
C K
(6) UNIVERSALISM
足踏みミシン
2015
その呼び名が「Machine」の日本語読みに由来す
るように、ミシンはかつて「工業技術の象徴」( ア
ンドルー・ゴードン『ミシンと日本の近代』) であっ
た。その意味で、アームに表記された
「UNIVERSAL」には機械における「自在」という
訳があたるが、言うまでもなく、「全世界的」「普遍
テキスタイル
2015
的」という訳語も含意しよう。そう、「普遍」を刻
アルテ・ポーヴェラのイタリア人作家、アリギエロ・
縫い上げて、境界線を紡ぎだす。
印された Machine( 機械=ミシン ) は、布地を糸で
(7) オデュッセイア
砂、
フレコンバック、
ブラウン管テレビ、石膏像など
のミクスト・メディア
2015
初めて訪れた被災地である福島県いわき市の久
之浜で、海岸線を無心で撮影していた。
よせてはかえすその波先は、当たり前だけど常
に流動的で、どこからが海でどこからが陸なの
か、その境目を見ていると、全く判然としなく
一方で故郷に残された妻ペネローペは、4 年ほ
ど前に起きた災害をきっかけに現れた、見えな
い求婚者たちに言い寄られながら、夫の帰還を
待ちわびている。フレコンバックの生地を織っ
てはほどきながら̶̶。
(9) ペネローペの境界
に想定した陸と海の境界の、自然による当然の
映像 3 41
撮影 : 森下佳 出演 : 羽吹理美
2015
侵犯に過ぎないのかもしれない̶̶そう思うと、
オデュッセウスは帰って来ない。
真新しく拵えられた防波堤、その人工的で建築
10 年くらい前、遠い海の向こうの戦争に行った
的な出で立ちに、どこか根源的な空しさを覚え
きり。
るのを禁じ得なくもなった。……
難破したか、あるいは身罷ったか。
そもそも『オデュッセイア』は、オデュッセウ
行方は未だしれない。
なってくる。津波なんていうのは、人間が勝手
スの帰還の物語である。「トロイの木馬」のエピ
ソードで知られるトロイア戦争に出向いた彼は、
なにより、4 年前のあの日から、この街の者は
十数年に及ぶ戦闘の後、そこで勝利をおさめた
みんないなくなってしまった。
にもかかわらず、故郷・イタケーへの帰路で数々
ある者は海にさらわれ、またある者は土地を追
の災難に見舞われ、さらに 10 年間に渡って海
われて。
を漂泊することになる。
もうこの街を気にかけるひとも少ない。
この物語を僕は、陳腐であることを自覚しつつ
取り残されて、私はひとり。
も、勝手に現代に読み替える欲望に駆られた。
オデュッセウスは 10 年ほど前から、故郷のフ
ただ、荒廃した城のぐるりには、求婚者たちが
クシマを離れ、イラク戦争に赴いている。そこ
たむろしている。
で彼は英雄的な活躍を見せるも、戦闘は終結せ
日夜、城の財産を食い潰す豪族ども。
ず、泥沼化し、ひとまず帰路についたところ、
狡猾こく忌まわしいゴロツキ。
その道中で難破し、どこかの海岸に打ち上げら
れている̶̶。
この布地が織り上がったら、私は奴らのうちの
ちなみに、ホメロスの叙事詩では、やっとのこ
ひとりと結婚して、
とでイタケーへと帰り着いたオデュッセウスが、
この城を明渡さなければならない。
息子のテーレマコスと共に、妻に言い寄ってい
た求婚者たちを皆殺しにし、夫婦が城の寝室で
埋葬のために亡骸を巻く黒い布。
語らうところで物語は終わる。
死者を覆う経帷子。
しかし、おそらく現代のオデュッセウスは、
PTSD にかかっている。『アメリカン・スナイ
だから私は、織り上げない。
パー』( クリント・イーストウッド ) のクリス・
日中大きな織布を織って、夜毎にそれを解きほ
カイルみたく。だから、もし故郷に辿り着いても、
ぐす。
その後の平穏な生活は約束されていないだろう。
灯火が傍にともる時分に。
後方には一つ眼の怪物・キュクロプスが鎮座し
ている。
わたしはこの街で、夫の帰りを待っている。
オデュッセウスが漂着したのは久之浜なのか、
富岡なのか、あるいはイタケーの海岸なのかは、
オデュッセウスは帰って来ない。
僕の預かり知るところではない。
(8) Endless Loveless
ミクストメディア
2015
取り残されて、私はひとり。
取り残されて、私はひとり。
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