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大海難の悲劇が灯した 友好の絆

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大海難の悲劇が灯した 友好の絆
宗谷管内
猿払村
大海難の悲劇が灯した
友好の絆
ルカ号の惨事に触れている。
“政治”を超えた救助活動。
が、
7
2
0人の犠牲者…
約400人の生存者を救出し、700人を超える遺体を収容した
地元の人々の奮闘は大変なものだったらしい。が、この海難事
『漆黒に閉ざされる吹雪の午前2時3
0分ころ、浜鬼志別の
故がその後の歴史に残るのは惨事の大きさの故だけではない。
浜辺に建っている漁業神源一郎宅の雨戸をけたたましく叩く
日ソが激しく戦ったノモハン事件の停戦協定発効後3カ月
者がいた。しかも妙な叫び声も聞こえる。荒れ狂う潮鳴りの
も経たない時期で、日ソ関係が最悪の状態だったにもかかわ
中で源一郎はそれを聞き、急いで雨戸を開けた。/戸を開け
らず、人々が人間としての無私の救助活動に当たったという
て彼は、さらに仰天した。/激しく雪の舞う戸外に、見上げ
ヒューマニズムの発露があったためでもある。
るような大男、ずぶ濡れになって寒さにガタガタ震えている
2年後には第2次世界大戦が始まり、この事故はやがて忘
異国人5人が立っているではないか。そして、彼らは泣くよ
れられた。が、猿払村の人々だけはこの悲劇を心に留め続け、
うな哀願するような声で何か喚きながら、手真似で沖を指さ
事故の翌年から戦中、戦後を通して毎年、犠牲者の霊を弔う
し示した。/海の男の源一郎は、すぐ船が難破したことを知っ
法要を営んできた。
同村の浜猿払地区に「電話通信ゆかりの碑」がある。34年
た。』
(同9年)、同地区と樺太女麗(サハリン・プリゴロドノエ)
戦前の1939年(昭和14年)
12月12日、カムチャツカ近海で、
間約163キロに海底ケーブルが敷設された。
約1千100人の漁夫と家族を乗せたソ連の貨客船インディギ
ルカ号が、ウラジオストクへの帰路、暴風雨に遭遇し、猿払
終戦直後の45年(同20年)8月22日、ソ連軍の侵攻によっ
村浜鬼志別の沖合約8
00メートルのトド岩付近の浅瀬に乗り
て、真岡(ホルムスク)郵便局の9人の女性電話交換手が「さ
上げて転覆、720人が死亡する歴史的な大惨事となった。
ようなら、さようなら、これが最後です」の声と共に集団自
冒頭の一文はその海難を伝える猿払村史の臨場感溢れる記
決した悲劇は、あまりにも有名だが、この最後の交信を海底
述だが、作家の司馬遼太郎氏も「街道をゆく38−オホーツク
ケーブル経由で直接聞いたのが猿払電話中継所。戦争の悲劇
街道」であえて「大海難」の項を立て、村史同様インディギ
を後世に伝えるため、記念碑を建て、実物のケーブルを保存
インディギルカ号の慰霊碑で記念撮影するのは、オジョールスキイ村訪問団の恒例の行事になっている。
=2003年7月、猿払村浜鬼志別で
98
している。
「日本最北端の村・猿払」はその苦渋の歴史を秘めながら、
海を隔てて向かい合うロシア(旧ソ連)と良くも悪しくも“共
存”せざるを得ない運命にあったといえる。
歴史が生んだ「日本最北の村」の“新たな歴史”
オジョールスキイ村(ロシア)と姉妹都市に
56年(同31年)の日ソ国交回復に伴って、同村でインディ
ギルカ号の遭難者を弔う慰霊碑建設の機運が起こり、全国か
ら約1千200万円の寄付、また、ソ連から慰霊碑用にシベリ
ア産花崗岩とソ連漁民の約8
00万円にのぼるカンパが寄せら
れた。
言葉の垣根を越えすっかり仲良くなった両村の中学生たち
=2004年7月、オジョールスキイ村で
71年(同46年)10月、遭難したトド岩が遠望できる同村浜
鬼志別の猿払公園に慰霊碑が完成、ソ連漁民のカンパは近く
の日ソ友好記念館の建設に充てられた。記念館には遭難の惨
中学生だけでも合計1千4
0
0人もの
分厚い交流
事と救出作業を生々しく伝える写真や資料が今も展示されて
いる。
慰霊碑の序幕式には、ソ連側からもトレグボフ海運船舶省
猿払村ではこれを機に同年から「いきいき北方圏交流の郷
次官らが出席したが、同次官は「ソ連の兄弟を救助するため
土(さと)」づくりを提唱、以来、随時相互訪問しながら交
に尽くして下さった偉業を私たちは永遠に思い起こすでしょ
流内容を打ち合わせ、93年民間の国際交流団体として設立さ
う」と語った。
れた猿払村国際交流協会とともに、姉妹都市交流の充実に取
この言葉にもあるように猿払村の“善意”をソ連側は高く
り組んできた。
評価、実現はしなかったものの、海産物の増殖のための合弁
当初、入国査証(ビザ)取得に時間がかかったり、往来の
企業設立の申し入れとともに、姉妹都市提携の希望もソ連側
ための漁船などのチャーター、連絡の手違いなどさまざまな
から寄せられてきた。2年間の相互訪問を経て91年(平成3
難問を抱えながらも、交流は年を追って定着してきた。
年)1
2月、猿払村でサハリンのアニワ湾にあるオジョールス
自治体同士の交流打ち合わせ会議のほかに提携直後は、オ
キイ村(旧長浜、人口約2千6
00人)との友好姉妹都市提携
ジョールスキイ村から水産加工研修生を受け入れ、同村の要
が正式調印された。
望に応えて92年には猿払村村民の募金で注射器、粉ミルクな
日本最北端の村とサハリンの漁村の「村同士」の珍しい姉
どの医薬品を寄付した。
妹都市が実現したわけだが、何よりも、過去のヒューマニズ
さらに村民による一般交流事業も猿払村からは7回78人が
ムあふれた救助活動の歴史が、半世紀の時を経て姉妹都市提
訪問、オジョールスキイ村からは6回68人が来村した。
携として花開き、新たな国際交流の歴史を紡ぎ出すという稀
これだけでも結構な交流実績だが、何といっても両村の姉
妹都市関係の中核となっているのが、中学生を対象にした交
有なケースとなった。
流事業だ。
「次代を担う子供たちの交流で友好と国際感覚を育てる」
という当初からの方針で、提携時の91年から毎年欠かさず相
互訪問を続けてきた。
同村の中学校は拓心中1校のため、平等に派遣交流を体験
できるよう同中3年生全員を対象に、同協会を通して旅費全
額が村から助成される仕組みだ。十勝管内陸別町の中学生の
海外研修事業同様、余程の事情がない限り全員が海外経験を
積むことになる。
2004年(同16年)までに拓心中生徒の訪問は1
4回754人、
オジョールスキイ村の中学生の来村は13回618人で、合わせ
るとこの1
4年間で実に約1千400人もの相互派遣数。道内の
インディギルカ号の慰霊碑に献花するサハリン・オジョールスキイ
村の人々=2003年7月、猿払村浜鬼志別で
他都市でもそう例をみない分厚い教育交流となっている。
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ロシアの伝統的な踊りを披露するオジョールスキイ村の中学生たち
=2003年7月、猿払村で
その最大のものが従来通りの方法で提携を続ける上での財
再び人命救助にも一役
政上の問題。
01年1月オジョールスキイ村の11歳のジェーニヤ・ポペン
猿払村は国のふるさと創生基金を人材育成基金として活用
コ少年が家庭用天然ガスボンベの爆発で全身の73%を火傷す
し、1991年の姉妹都市提携以来毎年、50人前後の中学3年生
る事故に遭った。サハリンでの治療が難しいため、姉妹都市
全員を全額助成で派遣してきたが、財政難から2004年に条例
関係にある猿払村などを通して援助の要請が寄せられ、同村
を改正し、6千100万円を一般会計の財政調整基金に繰り入
が身元引受人となりポペンコ少年は札幌医大で治療を受ける
れざるを得なくなった。
ことになった。
同様に、オジョールスキイ村側も中核となる漁業コルホー
その治療費の不足分を補うために猿払村国際交流協会など
ズの水揚げ不振で苦しい台所事情にある。
が中心になって募金活動を展開、同村だけでも3
60万円の募
こういったことから、04年(同16年)8月、両村は村長ら
金が集まり、猿払―オジョールスキイ両村の姉妹都市交流は
幹部が猿払村で交流打ち合わせ会議を開き、緊迫した財政状
さらに深まる結果となった。
況などを考慮して、05年から涙をのんで当面の交流事業を休
止する覚書を交わした。
猿払村では「姉妹都市提携そのものが変わるわけではない。
財政難で交流は一時休止に
ただ、従来のような毎年の交流は残念ながら、当面は見直さ
しかしながら、約半世紀前の海難による大惨事と献身的な
ざるを得ないということ。何らかの知恵を出し合って、姉妹
救助活動、それに感謝する姉妹都市提携の実現、その後の大
都市提携は今後も続けていく気持ちに変わりはない」という。
規模な中学生による交流など、道内の国際交流の事例として
小さな財政規模の地方自治体にとって、理想は別にしても
は極めてユニークで実のある内容を持つ両村の姉妹都市提携
“財政難”という現実が、国際交流を継続する上で大きな難
だが、ひとつの大きな曲がり角に遭遇している。
問としてのしかかってきていることは間違いない。
猿払村
!
http : //www.vill.sarufutsu.hokkaido.jp/
人口:約3千人
オホーツク海に面した日本最北端の村で、村として
は道内では一番広く、総面積の約8割が山林や原野
で、手づかずの自然に恵まれている。猿払はアイヌ
語の「サラブツ」(葦原の河口)が語源といわれる。
ホタテ、牛乳など漁業、酪農が中心。1955年(昭和
面積:5
9
0
30年)頃は人口は約9千人を数えたが、その後人口
減が続いている。
国際交流の問い合わせ先
宗谷管内猿払村総務課
100
℡(01635)
2―3131
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