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均一な分離派戦争

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均一な分離派戦争
経営FOCUS
「エネルギーピーク」に日本はどう備える
もったいない学会会長・東京大学名誉教授 石 井 吉 徳
限りある地球
1.高く乏しい石油時代が来る
1.1 地球は有限、自然にも限りがある
この人類にとっての「本質」を理解するのは至難の
ようである。「有限地球」で人類は今も増え続け物質
的に無限の成長を望むが、これは地球資源の限りなく
収奪を招くものとなる。地球温暖化など地球規模問題
は現代社会を象徴する。
だが日本では今も経済、効率が強く要請される。だ
が国民はもう欲しいものが余りない。そこで為政者、
指導層は国民に無理に物を買わせようとする。まだ使
えるものを捨てさせようとする。
このようなことを浪費、無駄と言ったのは、そう昔
のことではない。そこでエコノミストは経済成長は雇
図 1 「地球は有限」
:過剰な人口、資源の大量消費そして
自然環境破壊(1984年 6 月27日、未だ人口は44億人)
用のためにも必要という。しかし本当にそうなのだろ
永遠に経済成長は可能と思うようである。その尺度
うか。これは資源浪費の持続不能の仕組みなのではな
が GDP であり、その成長が全てのようである。だが
かろうか。有限の地球で人類だけが無限成長できる筈
GDP は経済の一面しか見られない、欠陥の多い尺度と
はないからである。
思われる。
インド生まれのノーベル経済学の受賞者アマルティ
物を大量に生産し捨てる。これが現代社会の仕組み
ア・センは「どんな経済学者もそれ程賢くなかった、
だが、自然はもう大量廃棄物を処理しきれず、地球規
純粋な経済人は事実、社会的には愚者に近い」と言っ
模で自然環境は劣化する。そこで循環型の社会を、と
ている。私の専門は地球物理学である。地球は丸く有
なるが、この過程にも大量のエネルギーが要る。「ゴミ
限にしか見えない。当然地球の資源を有限と考えるの
は資源」ともいうが、ゴミとは物流が拡散、散逸、分散、
である。人間の欲望を今のままに増長させれば、いず
そして劣化した末路に過ぎない。これを元の有用物質
れ地球は人類を支えきれなくなる、と思うのである。
に戻すには、必ず相当のエネルギーが必要となる。
図 1 は 1984 年、ある国際シンポジウムのために作っ
熱力学第二法則では、これは増大したエントロピー
たが関心を持ってくれたのは外国人のみ、日本人の反
を下げること、必ずエネルギーが必要と教えている。
応は鈍かった。当時、人口はまだ 44 億人。それでも
ここで第一法則とはエネルギー、物質の保存則である。
地球の限界は明らかであったが、それから 20 年を経
それを示すのが図 2 である。これは質の良い低エン
過したが人類、地球問題は一向に解決しない。
トロピー物質を分散、拡散させる高エントロピー化へ
未だに識者は、地球の限界を認めない。主流の新古
の過程である。
典派資本主義と言われるエコノミストは市場至上主義
大量生産型の社会は大量のエネルギー消費によって
を唱え、マネーが全て、地球資源問題すら市場が解決
支えられているが、基幹エネルギーである石油にも限
するという。それは市場で物の値が上がれば資本が投
りが見えるのである。石油生産が需要に追いつかず
下され、技術も進歩すると考えるからである。そして
ピークを迎えている、それを「石油ピーク」という。
経営 FOCUS
資源
大量生産
大量消費
大量投棄
1.2 現代石油文明は、過去の発見量を使って繁栄
している
石油は発見されて始めて生産できる。当たり前だが
循環
日本人はそれを理解できない。長年外国から買うものと
思って来たからであろう。
図 4 は石油発見の歴史である。基本的に石油発見量
エネルギー
図 2 大量生産、消費、投棄社会:
循環には大量エネルギーが必要
は小数の超巨大油田で決まるから凹凸が激しいが、平
均すれば 1964 年頃がピークであった。以来、発見量
は減少の一途。一方生産量は増大するのみで特に近年
の増加は顕著で、中国、インドなどのアジア諸国、そ
して依然アメリカの増加である。
表 1 は明快である。発見の最大は第二次大戦直後の
十 数年間のみ、その後減少の一途である。一方消費量
はこの表では 250 億バーレル / 年だが、最近は 300 億
バーレルとその増加傾向は納まりそうにない。今では
発見は生産の 5 分の 1 程度でしかない。この間、資本
投下、技術の進歩も進んだが効を奏していない。そし
て最後の頼りが今も中東となる。
表 1 世界の石油発見量の推移と今の消費量:発見量の 4 倍
図 3 国際的な公式見解:旺盛なエネルギー需要は
常に満たされる(DOE, IEA) 時期
年平均石油発見量(10 億バーレル)
1945 ∼ 1960
35
1970 ∼ 1990
23
1990 ∼ 1999
6
1990 ∼ 1999
年平均石油消費量:25
資料:世界の石油発見量の歴史と減税の消費量、Duffin, BP Amoco 他
そのピークの時期は正確にはわからないが、遠い先の
1.3 中東油田はなぜ巨大なのか
ことではない、既に来ているのかもしれない。
多くの方は中東の重要性を、漠然とは理解しておら
しかし国際エネルギー機関である IEA を始めとし
れようが、その本質はそうではないようで、そのため
て、内外の公的機関はそれを認めたがらない。戦略性
かこれからも石油は見つかると思うようである。勿論
に欠ける日本は、このような公式見解を鵜呑みにする
中小油田はこれからも発見されるだろうが、年間消費
ようだが、本当にそれでよいのか、リスクの問題とし
量が 300 億バーレルを補うのは無理である。
て考えるべきではないか。これが本稿の主題である。
中東の埋蔵量は桁違いで、その中程度の油田でも北
海油田すべてより大きい。カスピ海周辺も、ひと頃は
第二の中東と言われ
たが、南部が意外に
伸びなかった。
中東がなぜそん
なに巨大なのか、そ
れを理解するには
億年単位の地球史
を理解しなければ
ならない。
図 4 世界の石油発見ピークは 1964 年であった、
そして価格の乱高下(ASPO NEWS 2005)
図 5 には 2.25 億年
前の超大陸パンゲ
世紀型の石油文明は峠を越しつつある。
だがそうではないという意見が、未だ大勢を占める。
石油はまだ有るというのだが、これは見方の相違、
「資
源とは何か」を理解しないためといってよい。そこで
改めて「資源とは」だが、(1)濃縮されている、(2)
大量にある、(3)経済的に利用できる位置にあるもの、
特に(1)の濃縮が大切である。
石油、石炭、天然ガス、ウラン資源など現在の主流
エネルギー資源は、この 3 条件をみたしている。特に
石油は常温で流体であるため車、航空機、船舶の内燃
機関に欠かせない。
対して太陽エネルギーなど自然エネルギーは、(2)、
(3)の条件を満すが、(1)の濃縮条件を満たさない。
従って大面積が必要で濃縮をどうするかが問題となる。
これからは、資源とはを正しく理解することが大切
で、そのための科学的な尺度が後述する EPR である。
近年、世界の石油資源の質が低下している。技術的に
は回収率を上げることはできるが、それに要するエネ
ルギーは増加する。つまり経済性が低下することとな
図 5 地球史上特異な中東、大陸移動と太古のテチス海、
TETHYS:右最上図の赤道上(USGS による)
る。またいわゆる「石油の寿命」も単に「可採埋蔵量
を年間生産量で割ったものでしかなく、質が考慮され
ていない。この寿命後何十年、枯渇はという議論には
アが次第に分離し現在に至るまでの、いわゆる大陸移
科学的な根拠が薄弱なのである。量だけの議論はもう
動が示されている。この過程で中東油田ができた。先
止めにしたいものである。
ず 2 億年前の三畳紀(Triassic)に、右上図のテチス海
1.5 石油ピークとハバートカーブ
(Tethys)が中東油田の始まりである。この内海が地
1956 年、アメリカ、ヒューストンのシェル石油研究
球史上、石油生成に特別に好都合であった。当時の中
所の地球物理学者 K. ハバートは、1970 年頃にはアメ
生代は二酸化炭素の濃度が今より 10 倍も高く、気温
リカの石油生産がピークを迎えると述べ、当時は大変
は 10℃も高かった。つまりこの地球温暖化が活発な植
な反撃に会ったという。だが事実 1970 年、アメリカ
物光合成を促した。しかもテチス海は 2 億年もの間、
48 州の石油生産は頂点に達しその後再び生産が上向く
赤道付近に停滞し内海であったため海水は攪拌されず
ことはなかった。石油生産の推移はベル型をたどる、
酸欠状態が続いた。このため有機物はあまり分解され
その曲線をハバートカーブといい、それが減衰に変わ
ず、石油熟成に好条件であった。この偶然が中東油田
るところをハバートピークと呼んでいる。石油ピーク
を作った。石油は探せばまだまだある、という単純な
のことである。
発想は地球史から見て正しくない。
この石油生産ピークは可採埋蔵の半分を消費したと
もう一つ重要なことがある。それは中東大油田の発
きに訪れるという。その後減耗する。繰り返すが、こ
見が古いことである。皆老齢で世界最大のサウジアラ
れは枯渇のことではない。ハバートは横軸を年代、縦
ビアのガワール油田は 1948 年の発見である。
軸を年生産量のカーブは左右ほぼ対称のベル型を辿る
1.4 20 世紀型文明の終焉:石油ピークと石油減耗
と考えた。曲線の大きさ、面積は埋蔵量に合わせ、カー
人類は石油可採埋蔵量の半分を既に使った。あと半
ブの形は過去の生産量で決める。原理は単純だが、こ
分あると安心してはならない、何故なら人間は質のよ
の発想は「資源とは何か」の本質を突くものであった。
い取り易く儲かるものから採取するからである。残り
このハバート理論を最近フランスの TOTAL などで
は質の悪い後述の EPR 値の低いものばかりで、ネッ
石油探鉱に長年従事した地質学者 C. J. Campbell が世
ト・エネルギーが少ないのである。この意味でも 20
界 に 応 用 し た。 図 6 は 1998 年、Scientific American
経営 FOCUS
ている。いま日本の水田地帯に生き物が殆どいないこ
とをご存知だろうか。「トンビが飛ばない」のである。
原因は肥料、除草剤、殺虫剤などの大量使用で、これ
は広域環境汚染、日本の海の富栄養化の原因でもある。
地質学者の大矢暁によると韓国で窒素肥料は、必要
量の 3 倍も使用されているそうだが、日本の使用量は
それを上回るかもという。肥料も農薬も石油から作る
もの、石油ピークは食の安全保障上の大問題なのであ
る。いうまでもないが農耕機械も石油で動く(図 8)。
石油
図 6 C. キャンベルによる全世界ハバート曲線:
石油ピークは 2004 年(1998) 肥料・農薬
農業機械・燃料
誌に発表したもので、ここではピークは 2004 年となっ
食料
ているが、この 2004 年が議論の種となった。
しかしこれに見るとおり、ハバートカーブは滑らか
である。従って 2004 年という具体的な年は、元々そ
れほど重要ではない。21 世紀の初頭、例えば 2010 年
以前に石油生産の限界が来ると理解すればよい。いわ
自然・環境
図 8 石油に依存する現代農業、そして広域環境汚染
ゆる寿命はあと 40 年などという、枯渇の話ではない
2.2 自然と共存する農業、多様な生態系の保持
のである。序ながら天然ガスも無限ではない。アメリ
合成化学肥料や農薬は、食料生産に絶対不可欠と思
カでは石油ピークの 3 年後の 1973 年、「天然ガスピー
う人は多いが、この常識は必ずしも正しくはない。長
ク」を迎えていた。
年にわたり有機農法を実践してきた全国愛農会など
これからわかるが、地球温暖化対策も根本から見直
は、自然の生態系を保持すれば最低限の農薬使用でも
す必要がある。石油が無限と思うか、石油ピークが来
可能だという。
るかで対策の理念に雲泥の差が出るからである。図 7
は、IPCC と対比して石油減耗論を表現したものである。
2.石油に浮かぶ現代農業
2.1 石油も農業を支える
レーチェル・カーソンの「沈黙の春」が現実となっ
図 7 温暖化 IPCC と石油減耗:人類は温暖化
させ得ないか(ASPO 2004) 図 9 先進国中で極端に低い日本の食料自給率 40%
(農水省 1999)
日本は 75%が山岳である。大陸に適する大規模農業
図 10 には、EPR が 20 と 2 の今が示されており、同
が、日本に適するとは限らない。これからは、この国
じネット・エネルギーを得るのに、後者は 10 倍のエ
土を最大限利用する知恵、営みが必要なのであろう。
ネルギーが必要なことがわかる。
石油に依存し自給率は 40%の日本農業、農民の半数以
次いで図 11 は運輸関係の EPR である。これから巨
上が 65 歳を越す国、石油減耗の時代をどう生きるのか。
大 油 田 は EPR 60 で 非 常 に 高 い が、 オ イ ル ピ ー ク 時
3.理解されない資源:エネルギーは質が全て
3.1 質が全てのエネルギー源:エントロピーの法
則からの教訓
1970 年頃のアメリカの油田は 20 と低下している。そ
して 1985 年には 10 以下である。今では 3 程度に落ち
ているという。同じ油田でもこのように EPR の値は
大きく異なり、生産とともに EPR は低下してゆく。
石油は単にエネルギー問題に留まらない。食の安全
老齢化するといってもよい。
保障を脅かし、石油を原料とする合成化学工業に大き
この図は石油減耗の影響を、最も受けやすい運輸に
な影響を与える。石油は現代文明の「生き血」なので
ある。
そこで問題を熱力学第 2 法則、エントロピー法則か
ら更に考えたい。自然現象ではエントロピーは常に増
大する。集中した質は常に拡散、分散、平準化、均一
化に向かい「質」は常に劣化する。高温の物質を放置
すれば環境温度になる。水は高地から低地に落ちる。
低温は環境温度になる。このように自然界では常に「コ
ントラスト」が消滅する。人間社会も同様で放置する
と常に均一化、低俗化する。
ゴミも同様、散らばるのみである。この一方向性は
絶対であり、その逆方向は自然には起こらない。これ
がエントロピーの法則、永遠の真実なのである。この
原点は「確率」であり、自然は「起こりやすい方向」
のみに進むものである。
例えば、コップに落ちた赤インキ一滴は自然に分散
するが、もとの一滴に戻すのは容易ではない。環境温
図 10 EPR の意味:1.0 以上でないと意味がない
(BJ FLEAY、MURDOCH UNIVERSITY,
WESTERN AUSTRALIA 1998)
度にまで下がった水を、再びもとの高温にするには、
必ずエネルギーが要る。低地に落ちた水を集め、高地
に戻すにも労力が必要である。図 2 でも述べたが、拡
散したゴミを、資源としてリサイクルするにもエネル
ギーが必要である。
一方、エネルギー、物質が保存されるのが熱力学の
第一法則で、これは量の保存則であり第二法則が質の
劣化を語るのと対照的である。
3.2 エネルギーの出力/入力比:EPR
エネルギーを理解するには、エネルギーの出力/入
力比で眺めると本質が見えてくる。これを EPR(Energy
Profit Ratio)、EROI(Energy Return on Investment)
などというが、妙なことに日本では殆どしられていな
い。この EPR は次式で定義される。
EPR = 出力エネルギー / 入力エネルギー
図 11 各種のエネルギー源の EPR と運輸
(BJ FLEAY、MURDOCH UNIVERSITY,
WESTERN AUSTRALIA 1998)
経営 FOCUS
ついての研究結果で、オーストラリアで 1998 年発表
うにしたい。
されている。
石炭、原子力も大切というのは、そのような意味に
3.3 日本のエネルギー課題
おいてであり、単純に脱石油というのは戦略的でない。
地球は有限、いつまでも安く豊かな石油があるので
先ず現代の浪費型社会を早急に見直すのである。それ
はない。昨今の石油価格の乱高下はそれを反映するの
が「高く乏しいエネルギー時代」を生きる知恵であろ
だが、エコノミスト、エネルギー専門家ですら、中東
う。これはライフスタイルを変えるというレベルの話
が不安定だから石油が高騰するなどと誤解する。脱石
ではない。
油は非在来型の炭化水素資源、例えばタールサンドな
人類は数億年の地球の蓄えを、たった 1 世紀で使い
どの重質油がまだまだ膨大などと主張する。それがメ
切ろうとしている。そして石油ピークは人類に文明史
ディアにも流れる。
的な変革を求めている。これは石油ピーク論が悲観的
これが質を考えない議論で、先のカナダのタールサ
に過ぎるなどという話ではない。そこで日本の立場か
ンドでは EPR は 1.5 と低いのである。非在来型はその
ら思いつく事柄などを以下に記す。
名のとおり石油とは全く異質の、低品位の資源なので
石炭、原子力をどう考えるか。日本の石炭、海外炭
ある。
そして石炭液化の意味。原子力での電力供給は何処ま
日本で話題のメタンハイドレートなどは、資源と言
で可能か。原子力も上流から下流まで石油に依存する。
えるかどうかすら疑問である。海水ウランも濃縮には
燃料サイクルなども EPR で整理する。
膨大なエネルギーが必要である。いずれもエントロ
水力、地熱など在来型の自然エネルギー利用も、
ピーを下げる話だからで、このように量の大きさのみ
これからは小型分散水力、低温地熱利用なども視野
に着目する話が日本には多すぎる。この意味でも EPR
に入れる。分散、地域エネルギーは地方自治体と知
の導入は大事である。
恵をだす。注意すべきは自然エネルギーの巨大シス
水素も例外ではない。水素を自然エネルギーからと
テム化である。そして地域分散を常に考える。これ
いう話は一見わかりやすいが、その前に低密度の自然
は雇用も生む。
エネルギー利用が問題である。つまり水素社会の掛け
石油ピークについての緊急課題が運輸である。これ
声に踊ってはならない。燃料電池車も気になる。そ
も流行に惑わされないこと。水素を万能と思わない、
の前に脱車社会なのではないか。流行のバイオエネル
燃料電池は選択肢の一つに過ぎない。バイオ、有機廃
ギー農業だが、これも石油に支えられている。後でも
棄物の利用に先端技術を過信しない、エネルギーは変
触れるが、トウモロコシは人がそのまま食べるのが最
換する度に損失する。社会インフラは、急には変われ
も効率的で、家畜、特に牛に食べさせその肉を人間が
ない、思いつきで拙速しないこと。正しい問題認識が
食べるのは無駄、もったいないことである。植物残渣
先決である、など。
も発酵メタンも、そのまま上手に燃やすのが合理的で、
その総合的論理、戦略に EPR、エネルギー収支を
昔から発酵メタンはそのまま燃料として使ってきた。
忘れないことである。石油ショックの 1970 年代から、
自然エネルギーの開発は 21 世紀の重要課題だが、
膨大な税が投入されてきたが技術開発の多くは成功し
その意味をよく理解して推進すべきである。自然エネ
ていない。天然ガスからの合成液体燃料では、エネル
ルギーは広く分散している、広域のまま利用するのが
ギー 65%がその製造過程で費やされるというが、頼り
最も合理的で、無理に集める巨大技術は今まで殆ど成
の天然ガスも有限である。
功していない。それはエントロピーを下げる話だから
である。これも EPR で考えるべきである。
4.新たな問題の出現:日本はどう備える
3.4 「高く乏しい石油時代」をどう生きるか
4.1 食べ物を車に奪われてよいのか
石油は代替はありそうにない。それほど石油は優れ
前に「石油ピーク」は「農業ピーク」と述べた。農
た資源なのである。これからは高く乏しい石油時代を
業も石油に依存するからである。日本の農業従事者の
どう生きるかが問題であろう。石油はこれからも大事
半数は 65 歳以上と高齢であるが、欧米が 45 歳以下で
なエネルギー源である、大事に使い後世にその恵みを
あるのと対照的である。これも経済至上主義、効率優
出来るだけ残すことを考えないと、子孫に恨まれよう。
先が招いた弱点であろうか。
しかし資源は質、量ともに減耗することは忘れないよ
今「地球が危ない」が流行だが、危ないのは人間で
あり、特に日本が危ない。だが最近「水田が油田に」
このような理由から、世界全体は 2025 年頃が石炭
などと報道される。バイオ燃料のことで、バイオはカー
生産が頭打ちになるというのである。石油の後は石炭
ボンニュートラルなどが流行しているが、あたかも人
がある、クリーンコール技術を活用すれば、という期
の食料より車の燃料の方が大事であるがごとき風潮で
待に冷や水をかけるようなニュースである。これから
ある。
は「石炭ピーク」を気にしなければならなくなった。
米からエタノール、菜種から車燃料をなどと報道は
4.3 日本の Plan B を考える
氾濫気味だが、これも短期、長期のいずれの議論か常
プラン(Plan)A,B、C そして D、という言葉をご
に意識する必要がある。例えば、余っている米からエ
存知じか。プラン A は今のままだが、これはありえな
タノールを作るのは、今の荒れた水田の維持の短期的
い。そこでプラン B となる。だがその内容はさまざま
な便法というべきで、長期的な国家戦略とならないこ
で、私は「日本のプラン B」を考えている。そしてプ
とを肝に銘じておく必要がある。
ラン C とは、徹底した自然回帰策である。今のキュー
繰り返す、石油ピークは食料ピークである。石油ピ
バ型といっても良かろう。最後のプラン D とは Die off
ークの例から学びたい。ソ連崩壊後の北朝鮮とキュー
の D、崩壊である、この D がプラン A の行き着く先で
バは、周知のごとく北朝鮮は飢餓状態となった。だが
ある。技術万能のプラン B も同様かもしれない。有名
キューバは、徹底した自然との共存に成功して国民は
な L. ブラウンのプラン B はこの型のようである。最
飢えなかった。キューバ第二の革命とも言われており、
近「不都合な真実」で有名な A. ゴアも、その範疇に
贅沢は出来ないが食は確保され治安も良いという。
入るとの見解がある。
キューバは止むを得ずに自然と共存する社会に転換
そこで日本のプラン B である。それには先ず日本を
したが、今では有機自然農業の手本と言われるほどで
知る必要がある。今までの欧米の大陸国家への追従か
ある。徹底した自然との共存、脱浪費、省エネルギー
ら脱して、日本の自然との共存、を図るのである。元々
で持続型社会の構築に成功した。一方北朝鮮は在来型
日本は 75%が山岳の島国である。大陸を見習うことは
の工業的な農業に固執し、国民は飢餓に追い込まれた。
意味はない、そろそろ脱欧米の日本の知恵を構想した
日本もこれを教訓としたいものである。
いものである。
4.2 「石炭ピーク」の懸念
思い起こせば、太平洋戦争の直接の切っ掛けはアメ
今まで石油ピークの話をしてきたが、最近気になる
リカの石油禁輸にあった。そして 60 年余を経て石油
ことが増えてきた。世界最大の産油国サウジアラビア
ピークである。石炭ピークも視野に入れるなら「エネ
は今でも増産可能と公式に言ってはいるが、生産は掘削
ルギーピーク」に備えるとなる。ではどうするかだが
を増やしても頭打状態のようであった。そして 2006 年、
原理原則的には先ず脱浪費である。
年率 8%も生産が減少したようである。これが一過性で
日本のエネルギー消費が今の半分だったのは、それ
あれば良いのだが、そうでなさそうである。
ほど昔のことではなく、1970 年頃である。その当時、
今もアフリカなどで新油田が発見されるが、その規
人口はほぼ 1 億人であった。当時、日本人は飢えてな
模は小さく、メキシコ湾の深海での油田発見が朗報と
どいなかった。そしてむしろ今より心は豊かであった
伝わったが、そのエネルギー収支は小さいという。こ
のではないか。これから重要な教訓が得られる。無駄
れも当然である。
をしない、無限経済成長を望まない、マネーが全てと
加えて、2006 年ころから、
「石炭ピーク」がヨーロッ
は思わない国、だがしたたかな国を目指すことは如何
パの石油専門家の間で話題となっている。そして 2007
であろうか。
年 に 入 り、 ド イ ツ の 専 門 家 グ ル ー プ EWG(Energy
「無駄をしない浪費しない」は、生活水準の低下を
Watch Group)が公的データなども参考に本格的な分
意味しない。何故なら無駄とは要らない、なくても良
析の結果、石炭資源量が今まで思ったより、かなり少
いという意味だからである。
ないと懸念を表明した。そして中国の資源量はよくわ
からないとしながらも、その品位、質の低下は心配材
な お 本 稿 に て 説 明 不 足 は、 拙 著「 石 油 最 終 争 奪
料と述べている。アメリカの石炭の低品位化はすでに
戦:2006 年 日 刊 工 業 新 聞 社 」、 ホ ー ム ペ ー ジ http://
周知のことである。
www007.upp.so-net.ne.jp/tikyuu/ などを参照されたい。
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