Page 1 95 Sydney and Olive Checkland, Industり and Ethos
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95 〔 書 評〕 SydneyandOliveCheckland, IndustryandEthos,Scotland,18321914, EdwardArnold,1984,Ppx+218 北 政 巳 MasamiKITA 経 済 と都 市 へ の 定 着 」(TheMatureEcQnomyand 1 itsUrbanSetting),12「 本 書 は 著 者 グ ラ ス ゴ ウ大 学 経 済 史 教 授 チ ェ ッ ク ラ ソ ド と 同 大 学 歴 史 学 部 名 誉 講 師 の 同 夫 人 が,グ ラス ゴ ウ大 学 を 引 退 す る に 当 り,「 注 目す べ き 時 代 の 一 国 の 全 経 験 を 如 何 に 結 合 し,包 摂 的 に 理 解 す るか 」 (p.1)の 視 点 か ら,表 題 の よ うな ス コ ッ ト ラ ン ド社 ス コ ヅ ト ラ ン ド型 工 業 化 社 会 」(TheScottishVersionofIndustrialSocie. ty),参 照 文 献,付 録:年 多 く の 友 人 名 が 載 せ ら れ,私 を 紹 介 し,若 干 の 評 を 加}xて 先 ず 本 書 の 構 成 を の べ る と,「 序:ス コ ッ トラ ソ 続 き,第1部rヴ ィ ク ト リ ア 時 代 』(TheVictorian Generations)は1「 企 業 者 と 工 業 」(Entrepreneurs andlndustries),2「 ス コ ッ トラ ソ ドの 都 市 化 」 (TheUrbanizationofScotland),3「 田舎 と高 地 の ス コ ヅ トラ ソ ド人 」(TheRuralandtheHigh. landScat),4「 an.dPolitics),5「 コ ッ トラ ン ド と は 」 で は,著 者は先ず ス コ ッ トラ ソ ドの 置 か れ て き た 英 国 で の 位 置 を 明 証 す る.そ し て ス コ ッ トラ ソ ド人 の 「合 一 性 」(identaty) は,他 民 族 ・国 家 か ら 観 た イ メ ー ジ と 彼 ら 自 身 が 感 ず る イ メ ー ジ の 双 方 か ら 作 ら れ た と す る.そ ス ビ テ リ ア ソ(長 老 会 派)の 伝 統 と ノ ヅ クス 主 義 を 人 々の福祉 成 し た 人 物 群 像 と し て,文 福 祉 に と り くん だT・ ス コ ッ ト卿,社 チ ャ ル マ ー ズ 博 士,経 J・ People),7「 ル ズ,冒 険 者 で 宣 教 師 のD・ 家R・L・ ス テ ィ ー ブ ン ソ ン 等 を 挙 げ る.ま 徳 と 社 会 的 責 任 」(Religion, 知 識 人, 外 へ 向 け て の イ ソ パ ク ト:帝 国 を 越 え て 」(TheOutwardImpact:theEmpireand Beyond),10「 ら な る. そ し て 第 ∬ 部 『エ ド ワ ー ド と ジ ョ ー ジ 時 代 』(The EdwardianandGeorgianCoda)は,11「 カ ー ラ イ ル やS・ 済学者 スマイ リ ビ ン グ ス トソ,小 説 た工業化 ・バ ー デ ィ を 生 ん だ 国 で も あ る .そ の 他,政 界 で活 躍 し た ロ ー ズ ベ リ ィ卿 の ス コ ッ ト ラ ン ド 自治 問 題 へ ス コ ッ ト ラ ン ド民 族 と 英 国 家 」(The ScottishNationandtheBritishState)か 会 思 想 家T・ 会 の 裏 面 で 衝 突 し た 資 本 と 労 働 の 問 題 に つ い て,T・K 芸 術 と 科 学 」(TheIntellect,theArtsandthe Sciences),9「 ミ ル,社 豪W・ と 教 育 」(TheWelfareandEducationofthe MoralsandSocialResponsibility),8「 レ そ し て ス コ ッ ト ラ ソ ド人 の 近 代 で の イ メ ー ジ を 形 ス コ ッ ト ラ ソ ド労 働 者 階 級 」 宗 教,道 して ス コ ッ ト ラ ン ド人 の 心 情 を 形 成 した も の と し て,プ 挙 げ る. 階 級,権 力 と政 治 」(Class,Power (TheScottishWorkingClasses),6「 み た い. H 「序:ス ド と は 」(lntroduction:TheScottishIdentity)Yこ ェックラン ド 教 授 夫 妻 の25年 間 の グ ラ ス ゴ ウ大 学 で の 研 究 の 成 果 を も入 れ て い た だ い て い る こ とを 光 栄 に 思 っ て い る. 引 か ら な る. そ こ で 本 書 の 編 別 構 成 に 沿 っ て,チ 会 経 済 の 盛 衰 を 究 明 す る 意 図 を も つ.「 前 言 」(pre・ face)に,数 表,索 成熟 期 の 対 応 を 論 ず る. そ し て 現 代 的 意 義 に お け る ス コ ッ ト ラ ン ドを イ タ リ ア と比 較 し,ヨ ー ロ ッ パ の 北 と 南 の 問 題 を 論 じ る. そ こ に は ス コ ッ ト ラ ン ドに 精 通 し た 非 ス コ ッ ト ラ ソ 季刊 96 創 価 ド人 の 冷 静 な 分 析 が 行 な わ れ て い る と い え よ う. 第1部 の1「 企 業 者 と 工 業 」 で は,ス コ ヅ トラ ソ 頃 の 諸 工 業 と造 船 ・機 械 企 業 最 盛 期 ま で の 歴 史,鉄 道 維 工 業,さ 済 論 VoI.XIVNa.3 集 化 に対 応 させ られ た 農業 社 会,高 ドの 工 業 化 の 規 模 と 諸 条 件 や 企 業 家 群 像,1832年 や 鉄 工 ・鉄 鋼 業,繊 経 ら に 化 学 ・石 油 ・ ウ 動 と彼 等 の 抵 抗 等 を 追 求 す る.著 者 は,イ 年 に な って も,約68人 分 近 く,約580人 で ス コ ッ トラン ド全 土 地 の半 で 全 土 地 の3/4を (p.56)程 応 の パ タ ー ン を 追 求 し,こ 作 人 法 で 変 革 さ れ るに 至 る. の 時 代 の ス コ ッ トラ ン ド に 大 衆 教 育,個 人 の 責 任,神 才 へ の 返 答 に 重 き を お い た 」(p,12)の 代 で あ っ た 」(p .13)と その移民 の ピ 観 る. ス コ ッ トラ ン ドの 企 業 者 と し て,著 械 企 業 者 に ネ イ ピ ア,エ ル ダ ー,ス トム ソ ン,デ ア ドモ ァ,石 ソ,メ ニ ー,ピ ト,紡 者 は 造 船 ・機 テ ィ ー ブ ン ソ ン, ブ ス,ホ ニ ソ ガ ム,ホ ァ ー ド,コ ウ デ ソ,ベ ィ クソ ウル ズ ワ ー ス,ダ ル ヴ ィ ユ,化 績 企 業 に モ ソ テ イ ス,ダ ソ μ 学企業 では テナソ ソ ロ ッ プ,コ 亜 麻 ・黄 麻 企 業 に パ ク ス タ ー,コ ー ツ, ッ クス等 が 顕 著 で あ っ た.そ し て 著 者 は,ス コ ヅ ト ラ ン ド産 業 構 造 の 変 化 を 追 求 し,英 で あ った と指 摘 す る.そ れ は,1886年 権 力構 造 の 変 化,地 級 形 態,ト の小 主 ・権 力 と啓 蒙 主 義,教 会 と階 ー リ党 と ウ イ ッグ党,労 国 の 支 配 に よ る 平 和(PaxBritania) 働 者 階 級 の対 応 :チ ヤ ー テ ィズ ム,穀 物 法,普 通 選 挙 法,ス コッ ト ラ ン ド自由 主 義,地 方 行 政 と 自治,労 働 党 と 自由 党, 1900年 頃 の諸 政 党 を 論 究 し,ス 炭 ・鉄 鋼 業 者 に ニ ー ル ス ソ,デ リ ー,カ ッ プ,ベ ァ ス,ダ へ の天 賦 の で あ る.そ し て 国 内 の み な ら ず 海 外 で も活 躍 し,「 ー クは1880年 保 有 して い た 」 4「 階 級 ・権 力 と政 治 」 は,工 業 化 過 程 に お け る 企 業 者 活 動 に つ い て 「ス コ ッ ト ラ ソ ドの カ ル ビ ソ 主 義 は,常 ソ グラソ ドよ り も強 権 な ス コ ッ トラ ン ドの 地 主 を挙 げ,「1878 ィ ス キ ー工業 等 の企 業 集 中 化 の パ タ ー ソや 歴 史 的 対 諸 産 業 の 連 関 を 論 証 す る. 地人の都市へ の移 コ ッ トラ ン ド社 会 の 内 部 機 構 の 推 移 を 明 証 化 し よ うとす る. 注 目 され る の は 「ヴ ィ ク ト リア 期 ス コ ッ トラ ン ド の権 力 や 階 級 の 進 化様 式 を 理 解 す る際 の予 備 的 な 動 きは,〔18世 紀 の〕啓 蒙 主 義 の 時 代(AgeofEnlightment)の 中V'あ る」(p.67)と の 指 摘 で あ ろ う.そ して1832年 の ウ イ ッ グ党 の勝 利 は,ス コ ッ トラ ソ ド で の 永 続 的 な運 動 とな り,「 そ の世 紀 の 中 頃 か ら, 自由 主 義 へ と移 行 した 」(P.70)の で あ る. 5「 ス コ ッ トラ ソ ド労 働 者 階 級 」 で は,労 働 組 合 主 義 と政 治,労 働 者 の 生 活 を 中心 に,工 業 化 と普 通 即 ち大 英 帝 国 の繁 栄 に そ れ が如 何 に 貢 献 し て きた か 選 挙 法 実 施 以 降 の ス コ ッ トラ ソ ド人 労 働 者 の社 会 へ を 位 置 づ け る. の 対 応 を追 求 す る.著 者 は,「X836-37年 2「 ス コ ッ ト ラ ン ドの 都 市 化 」 で は,工 の 都 市 の 様 相,「 力 の グ ラ ス ゴ ウ,多 業 原動 彩 な 面 を も つ ア バ デ ィ ー ソ,一 工 業 都 市 ダ ソ デ ィ,1900年 都 市,そ 業 化以前 首 都 」 の エ デ ィ ソ パ ラ,工 の パ タ ー ン,自 頃 の 都 市 間 の 比 較,周 治 企 業,経 験 か ら学 び 得 る も の は 何 か 等 に つ い て 論 究 す る. 著 者 は,グ ラス ゴ ウ と エ デ ィ ンバ ラの 対 比 を鮮 明 繊 維 工 業 は な い が 家 具 ・ガ ラ ス 工 業,製 貧 民 で あ っ た 」(p.39)と ウ,ス 紙 ・印 刷 業 で は ほ ぼ 市 民 の13 す る.特 コ ッ ト ラ ン ドの 繁 栄 は,1888年 に 「グ ラ ス ゴ と1901年 催 さ れ た グ ラ ス ゴ ウ国 際 博 覧 会 」(p.40)に れ る と の べ る.興 味 深 い の は,「 に開 象 徴 さ アバデ ィーソは或 る 意 味 で は ス コ ッ ト ラ ソ ドで の 理 想 的 な 都 市 とい え た か も し れ な い 」(p.50)と 件,犯 罪 率,識 の グ ラス ゴ ウ で あ った 」 し て 「1840年代 まで は,ス コ ッ トラ ソ ドの工 業 階 級 生 活 は,綿 工 業 と石 炭 で 占め られ て い た 」(p.91).そ の 後,重 工 業 に重 心 が 移 し て,死 亡 率,居 住 条 字 率 を 理 由 に 挙 げ て い る 点 で あ る. 3「 田 舎 と 高 地 の ス コ ッ ト ラ ソ ド人 」 で は,工 で は 労 働 者 の 一 般 的 窮 乏化 を 辿 る が,他 方 で は 「熟 練 工 に よ る 労 働 者 貴 族 主 義」(p.96)が グ ラ ス ゴ ウは 工 業 化 と と も に 著 し い 人 口増 加 を み,1851年 %が が 開 始 され た の は1838年 り,機 械 ・造 船 業 に 労 働 者 は集 中 して い った.一 ・ 方 し,「 ニ デ ィ ソ バ ラは グ ラ ス ゴ ウ の 人 口 の 約1/3で, で 注 目 さ れ た 」(p.37),「 運 動 の挫 折 に もか か わ らず,英 国 チ ャ ーチ ス ト運 動 (p,87)と 評 価 す る.そ 辺 の紡 績 工 業 6「 人hの み られ た. 福 祉 と教 育」 で は,福 祉 の 挑 戦,改 主 義 の英 雄 達,救 貧 法,保 良 健 衛 生,家 屋 ・ 教 育 問 題, 中流 階 級 概 観 等 の項 目に つ い て 考 察 す る.そ して 「1832年 まで は,唯 一 の大 衆 福祉 の機 関 は 教 会 で あ った 」(p.98)が,数 主 義 やT・ 多 くの 成 功 した 企 業 家 の 慈 善 チ ャ ル マ ー ズ博 士 の よ うな 牧 師 の社 会 的 活 動 に よ り,福 祉 意 識 は 拡 大 した.チ 「18].9-22年,グ ャルマーズは ラス ゴ ウの 聖 ジ ョソ教 区で の 彼 の 実 践 が この 問題 へ の ア プ ロ ーチ に な る と 信 じ た 」 (p.101)の で あ る.そ の後 の グ ラス ゴ ウの 都 市 化, ス ラム 化 の 中 で,数 多 くの病 院 が 設 立 され 保 健 衛 生 December1984 97 事 業 の 普 及 を み て,社 会 福 祉 思 想 の メ ッ カ と もな っ た. か,カ ナ ダ と 日本 に つ い て の 記 述 が 数 多 く見 受 け ら れ る. 8「 宗 教,道 徳 と社 会 的 責 任 」 で は,ス ソ ド人 の 宗 教 意 識 教 会 史,教 イ ル ラ ン ド人 とR一 マ 教 会 主 義,外 コ ッ トラ 会 と 国 家 の 関 係,ア 国 へ の伝 導 高 の ス コ ッ トラ ソ ド宗 教 改 革 が ス コ ッ ト ラ ソ ドに 工 業 化 々な 複 雑 な反 動 を ひ き お こ ッ ト ラ ソ ド教 会 は,国 考 え る.そ して 「ス コ 教 会 や ロ ー マ カ ト リ ッ ク とは 異 な り,信 仰 の 寛 容 度 は ほ とん ど 許 さな か った 」 (P.119)の で あ る. 8「 知 識 人,芸 人 の 心 の 形:マ 世 界,ド 化,純 ニ 教 的 二 分 法,文 ラ マ と 音 楽,絵 等 を 挙 げ,「1832年 コ ッ トラ ソ ド 化 と 芸 術,書 画 ・写 真 ・建 策,ケ の 大 学,医 物 の ル ト文 薬,社 会 団体 以 前 の ス コ ヅ ト ラ ソ ド知 識 人 へ の 二 つ の 大 き な 影 響 は,宗 す る.著 教思想 と 合理主義 であ 者 は,そ の 後,「W・ ス コ ッ トや バ イ ロ ソ 卿 が ス コ ッ トラ ソ ド人 の 心 と文 化 に 第 三 の 要 素,即 と 観 る.さ ち ロ マ ソ テ ィ ズ ム を 導 入 し た 」(p.135) ら にR・L・ ス テ ィ ー ブ ン ソ ン やR・M・ レ ン タ イ ソ等 の 文 豪,W・ ィ,E・ マ ク タ ガ ー ト,G・ ホ ネ ル 等 の 画 家,ケ バ ヘ ニ リ ル ヴ ィ ン 卿 やJ・C・ り,少 グ ラ ン ド主 義 に 同 化,高 の 文 化(ゲ の4つ の 大 学 で あ り,3つ 紀 に 他 の 一 つ は16世 紀 に 設 立 さ れ た,そ は15世 れ ら は,ヴ 交 ・軍 事 活 動, 教 師 等 の 「仕 事 」 を 通 じ て,ま た カ ナ ダ, イ ソ ド,日 本 等 へ の 「国 」 を 通 じ て 追 跡 す る. 著 者 は,1603年 の 王 冠 の 合 併,1707年 の議 会 の 合 世 紀 に 最 高 潮 に 達 す る 歴 史 を 概 説 す る.そ 密 共 済 組 合(メ が イ ソ ソ)や の際 「秘 聖 ア ソ ド リュ ー ズ 協会 等 観 る.そ し て 最 も成 功 し た ス コ ッ ト ラ ソ ド人 商 人 ジ ャ ー デ ィ ソ ・マ セ ソ ソ 社 を 詳 述 し て い る.こ こ で は 夫 君 が カナ ダ人 で あ る こ と,夫 英 交 流 史 を 手 が け てい るせ い 人 が 目下,日 ド ワ ー ドと ジ ョ ー ジ 時 代 』 の る.特 ジ ネ ス 社 会,産 労 働 者,周 ラス ゴ ウ 業 王(Cap・ 辺諸 都市を調査 す に 世 界 史 上 に 輝 く世 界 最 大 の 造 船 業 地 帯 ク ラ イ ド,190X年 の グ ラ ス ゴ ウ 国 際 産 業 博 覧 会,北 リ ス 蒸 気 機 関 車 製 作 会 社,コ イギ ル ヴ ィ ユ 製 鉄 所,コ ー ツ と ク ラ ー ク社 の 合 併 等 の 巨 大 企 業 の 登 場 と,そ れ ら で 活 躍 し た 企 業 家 達 の ド ラ マ を 挙 げ る.そ 「1900年 に は,グ ラ ス ゴ ウ は,nン ドン,パ 市 と な っ た 」(p.182)の リ,ベ で あ る. 12「 ス コ ッ ト ラ ソ ド型 工 業 化 社 会 」 で は,入 長 と 動 き,労 市 生 活,労 し て ュ ー ヨ ー クに 次 ぐ よ うな 世 界 的(world- 働 者 階 級 の 健 康 と期 待,上 働 者 の 政 治 と価 値 観,田 著 者 は,著 に は 市 内 の3マ 民生 倫 理 等 か らな し い 工 業 化 ・都 市 化 の 結 果,「 ゴ ウ は,1914年 口成 ・下 級 の 都 舎 地 域,市 び の 同 一 性(identity)と グ ラス イ ル 以 内 に 約70万 人 が 住 む とい うヨ ー ロ ヅパ 随 一 の過 密 都 市 とな った」 と や,上 流 階 級 の 豊 か な 生 活 と貧 民 の 困 窮 生 活 を 対 照 化 し て,20世 済 構 造 を 解 明 す る.そ 『同 胞 ス コ ッ ト ラ ソ ド人 』 と し て 彼 ら を 結 び つ け る の に 役 立 っ た 」(p.155)と のrエ の 商 工 業 発 展 へ の 対 応,ビ (p.185)こ 併 頃 か ら の ス コ ッ ト ラ ソ ド人 の 外 国 進 出 が,18・19 バ ー デ ィ の 「ス コ ッ ト ラ ン ド観 」 itain.of工ndustry)と る. ス コ ッ ト ラ ソ ド人 の 海 外 進 出 を,外 固 執 し て い た. ユ1「成 熟 期 経 済 と 都 市 へ の 定 着 」 で は,グ 活 の 福 音,再 国 を 越 え て 」 は, 個有 実 の 歴 史 と の 接 合 を 試 み て い る. 次 い で 第H部 (p.147)と 9「 外 へ 向 け て の イ ソ パ ク ト:帝 か な りイ ソ 地 地 方(highland)は ー ル 語 を 含 む)に を 紹 介 し,事 ィ ク ト リ ア 時 代,近 代 化 に 向 け て の 闘 争 を 展 開 し た 」 讃 え て い る. ま り そ し て グ ラ ッ ドス ト ー ン や ロ ー ズ ベ リ ィ 卿 の,ま ル リン,ニ 績 の 推 進 力 は,そ 族 の合 陥 い た.つ な く と も 低 地 地 方(Lowland)は ranking)都 ス コ ッ トラ ソ ド人 の 科 学 ・知 的 業 「18 工 業 化 の 過 程 で の ス コ ッ ト ラ ン ド社 会 の 変 化 で あ マ 学 者 を 紹 介 し,「 に 来 の ス コ ッ ト ラ ソ ド人 文 化 は,民 一 性 の 意 味 を 失 う危 機 」(p .165)に クス ウ ェル の 様 な全 英 に は 当 時 の 世 界 を 代 表 した 科 商 人,宣 限 委 譲 問 題 を 挙 げ る.特 た 労 働 運 動 家T・K・ 術 と科 学 」 で は,ス 粋 ・応 用 科 学,4つ る 」(p.133)と うに 対 応 し た か,権 32年 頃,元 会 的 福 音 等 に つ い て 考 察 す る 。 著 者 は,「1560年 し た こ と に な る 」(p.117)と 国主 義 の 波 の 前 に ス コ ッ ト ラ ソ ド人 の 国 民 意 識 が ど の よ 地 地 方 の 正 統 派 キ リス ト教(Fundamentalism),社 時 代 へ 対 応 す る 際 に,種 10「 ス コ ッ トラ ソ ド民 族 と英 国 家 」 で は,英 紀 初 め の 同 市 の 社 会 ・経 して 「福 祉 自 由 主i義 と社 会 主 義 の 興 隆 を 労 働 者 間 に み る」(p.191)過 グ ラ ス ゴ ウ 大 学 教 授E・ 活 上 の 福 音(CivicGospel)運 地,現 程,さ らに ケ ア ー ドの 主 張 し た 市 民 生 動 の 流れを紹 介す る 在 の ス コ ッ トラ ン ド人 の 反 イ ン グ ラ ン ド主 義 の 根 拠 を 明 示 し て い る. 季刊 98 創 価 経 済 論 Vol.XIVNo.3 集 れ だ け 一 層,夫 皿 妻 の 深 い ス コ ッ1・ ラ ソ ドへ の 観 察 ・ 分 析 の 論 証 を 明 ら か に さ せ て い る こ と に な る.ま 本 著 は 文 字 どお り,グ ラス ゴ ウで20数 年 間 を 過 し る で ス コ ッ トラ ン ド人 に 語 りか け る 様 な 形 で の 文 の 運 た カナ ダ人 の チ ェ ッ ク ラン ド教 授 と ヨー クシ ア 出 身 び で あ る.と の イ ン グ ラン ド人 の 同夫 人 の 観 た 「ス コ ッ トラソ ド ッ ト ラ ン ド社 会 ・経 済 史 を 正 し く理 解 さ せ よ う と の 社 会 経 済 史 」 研 究 の成 果 で あ る.そ し て 最 も ス コ ッ 配 慮 が な さ れ て い る. トラ ソ ドを 代 表 した 「工 業 」 を と りあ げ,こ れ また 同 時 に,非 そ の 意 味 で,本 ス コ ヅ ト ラ ソ ド人 に,ス コ 書 は ス コ ッ ト ラ ソ ド社 会 経 済 史 ・ 彼 等 ス コ ッ トラ ン ド人 の 底 流 に 流 れ る合 一 性 の根 拠 経営史 の た るエ ー トス を と りあ げた 形 で ま とめ あ げ た もの で 文 末 の 参 考 文 献 や ス コ ッ ト ラ ソ ド年 表 も極 め て 有 益 あ る. で あ る. 非 常'/rv哲 学 酌 分 析 が な さ れ,そ れ 故 に一 般 的 に 使 わ れ 易 い 図 表 の 類 は 一 つ も入 って い ない.そ れは そ 「教 科 書 」 と し て 使 わ れ る こ と で あ ろ う. (経 済 学 部 教 授)