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安達一紀著 『人が歴史 と かかわ る 力 歴史教育を再考
杜会系教科教育学会『社会系教科教育学研究』第13号2001 (p.136) 【書評】 安達-紀著『人が歴史とかかわる力歴史教育を再考する』 (教育史料出版会, 2000) 2,300円 原田智仁 (兵庫教育大学) 教師であると研究者であるとを問わず,これま で歴史教育に携わる者の最大の関心は, 「何を, どのように教える(学ばせる)のか」にあったと いってよい。学習指導要領や教科書に批判的な者 は「何を」に,またそれらに疑問を抱かない者は 「どのように」に重点を置いてきたが,いずれも 学校で歴史を教える(学ぶ)こと自体のもっ意味 については無頓着であった。つまり「なぜ歴史を 教えるのか」, 「学校で歴史を学ぶことの意義は何 か」は一様に不問に付されてきたのである。 この背景には,歴史学はあっても歴史哲学(メ タヒストリー)の貧困なわが国の学問風土が指摘 Ⅴ人が歴史とかかわる力 あとがき 著者のねらいは,歴史教育の射程と限界を見極 めることである。そのために,まず歴史教育で扱 う歴史の知を問い,それが国民国家形成の過程で 作られるとともに,国民国家体制の確立に寄与し てきたこと-それこそ"歴史の知の校知" -を明 らかにする。その上で,国民国家を必要な擬制と して,安易に否定せず直視すべきことを説く。 次いで歴史そのものの意味を問い,それが客観 的な過去の事実などではなく,誰かにより辻複が 合うべく語られた(ナラティブ)物語(スト-リ-) できるかもしれない。だが,それにしても"自由 主義史観''の活動が一定の支持を得ている状況を 見るにつけ,社会科(歴史)教育学が科学的社会 に他ならないことを明らかにする。それゆえ,磨 史教育に求められるのは科学的歴史認識や歴史的 認識や歴史的思考力の育成を標梼しながら,歴史 認識論の研究を欠落させてきたことのつけは大き いのではないか。著者の批判の眼差しは, "自由 主義史観"を突き抜けて,われわれ社会科(歴史) 教育学研究にも向けられている。 本書の概要を目次で示せば以下のようになる。 まえがき る力を身につけさせることだというのである。 思考力の育成ではなく,むしろ人が歴史とかかわ さらに,著者は如上の構成主義的な歴史理解に 立って,過去を認識しようとする認識主体のアイ デンティティを問う。そして,自己アイデンティ ティが他者との関係性の中で「差異」を仲立ちに して立ち現れるように,国民国家時代においては, 歴史の知自体がそれを認識しようとする者(民族, Iいま何が問題なのか Ⅱ 「国民国家」時代の「歴史の知」 1問われる国民国家/2国民国家形成のあり方 国家)のアイデンティティのために,彼らにより と特徴/3 「国民国家」時代における`歴史の 知の校知/4国民国家への基本的視座 Ⅲ 「歴史」とは何か一歴史の物語り論をめぐって 1歴史教科書叙述における「歴史の知」の位相 /2 「物語り」としての「歴史」/3 「物語り 論」とは何か/4歴史教育の論理としての「物 語り論」 Ⅳアイデンティティ・差異・他者の表象 1アイデンティティ/2差異/3他者の表象 造''-ことを明らかにする。 「表象された他者」との関係性の中で, 「差異」を 仲立ちにして創出される-つまり"歴史の知の担 最後に著者は,これまでの歴史教育がいわば歴 史の生産者の育成を目指してきたことを批判し, 歴史の消費者をこそ育てるべきだという。 「歴史 とかかわる力」がまさにそれである。人が「物語」 を生きてゆくしかない存在だとしたら,著者の指 摘はきわめて重い。歴史教育に携わる多くの教師, 研究者に一読を勧めたい。 -136-